2008年10月 7日 (火)

錦秋漫画祭

いつものように、おさるに貸していただく名作漫画を読む。三浦しをんちゃん絶賛の2作。
まず、杉本亜未の『ファンタジウム(3)』(講談社モーニングKC)。泣かないと強くみえるのって言葉にドーーーーン。口に出さず、考え抜いて生きている人の言葉はしみる。ちびっこであれ、大人であれ。環境がそうさせるという要因もあるが、マジシャン長見良くんの言葉は、胸に響く。
次に清水玲子『秘密 トップシークレット(1)~(5)』(白泉社)。ぞわー。震撼。これは大作。超大作でありますぞ。
普段、我々は目でなく脳でみているらしい。目は媒体の一つ。肝心要なのは、脳でどう感じるか。 
人が死ぬ。これは事件か自殺か。 惨殺された人。手がかりがなく行き詰る捜査。 殺された人が最後に何をみていたか脳に聞くというのだ。タイムリミット前の死体から脳を摘出し、難しい医療行為を経て、本人が生前みた映像を映し出すという方法で。選び抜かれた精鋭達 科学警察研究所法医第九研究所「第九」では、捜査のため、その映像をみる。そこから推理する。 末来の話という夢物語的なものでなく、近末来実現可能な恐ろしさを秘めたその技術に驚愕する。そのアイデアに驚愕というのか。 その技術がもたらす怖さ。人の想像力の果てしなさとか。途方もないものに圧倒される。
壮大で、緻密で、驚愕。登場人物の個性設定のいいこと。ぐっとくる。なにより絵が美しい。
怯えきった殺された人が最後にみた(最後になってしまった)映像。 理解不能な凶悪な犯人の残虐な殺戮の場の映像。見るだけで、気が狂ってもおかしくないような映像をみなければならない。 憎しみだけでなく、愛情やら何やら、いろいろな感情で、がんじがらめになった人々の想いに押しつぶされそうになる。のしかかってくるものが大きすぎる。それに耐えられない人間の弱さのようなものが、逆にいとおしくもなった。 冷静沈着・頭脳明晰なエリートであっても、完全な人間ではない。それでも立ち向かう姿勢がすてき。これは怖いだけじゃない。ページをめくる手がゆっくりになる。進めない。それでも、目を話さず読みました。超大作なり。

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2008年10月 5日 (日)

おのおのがた!

平成中村座十月大歌舞伎 通し狂言「仮名手本忠臣蔵」Cプログラムをみて参りました。面白かったぁ。見ごたえがありましたぞ、おのおのがた!
ABCDと4つも組み合わせのある中から、一番渋いと思われる組み合わせをチョイス。九段目、山科閑居の場のあるものでござる。戸無瀬の勘三郎さんは初役だそうです。以前、演舞場で昼夜忠臣蔵がかかった月に、歌舞伎座で八・九段目が上演されました。そのとき、勘九郎さんのお石・玉三郎さんの戸無瀬がともに初役でした。(だったと思います・・・) こんなすごい人達にも、まだ初役なんてことがあるのねと驚いたことを思い出しました。
 大 序 鶴ヶ岡社頭兜改めの場
口上人形からはじまる、時代がかった一幕。じわじわと幕が開く。47回祈を打つというので数えてみた。幕がひらききると人形のようにうつむく一同。いいねぇ。ワクワクします。 若狭之助は橋之助さん、気の強そうな若者ぶり。塩冶判官は勘太郎さん。若い。でも、判官はこういう若者だったのだろうな。品格がありました。足利直義は新悟くん。とにかく丁寧に丁寧にがんばってました。顔世御前の孝太郎さん、高師直の彌十郎さん 想像していたよりもおちついた感じでした。文を渡してからがいやらしかった。パワハラ?ここがこれから続く物語の発端なのね。 若狭之助のまっすぐさが印象深い一幕でした。 
 二段目 桃井館力弥上使の場/松切りの場
原作に忠実な上演は34年ぶりとのこと。たとえ家が断絶になろうとも、正義を貫くために師直を成敗すると息巻く若狭之助。正義感あふれる血気盛んな武者ぶりがいいの、橋之助さん。何をいっても聞く耳をもたない若に、加古川本蔵 仁左衛門さんが、若の信じるとおりになさいませ。本蔵も同意でごさいますと力強く答える。「もう逢わぬぞよ本蔵」と言う若狭之助の気合、受け止める本蔵の気合いに圧倒された 若狭之助がひきあげたとたん、本蔵は先手を打つ。贈り物(賄賂)をたずさえ 師直のもとに向かう。「馬引けぇ」と言う 必至な様の 格好いいこと。止め立てする家来を退け、本蔵供のもの続けと花道へ。ついて行きそうになりましたことよ。この段があると、ぐっとわかりやすくなる。 若の刀で、このようになさいませと松の枝を切る本蔵。柄に収める際に、刀をぐっと押しつける。松やにで刀が開かないようにという思いをこめて収めるというのがよくわかった。若に意見するのも、大変だ。
 三段目 足利館表門進物の場/松の間刃傷の場
唯一おかしみのある場。松之助さんのエヘンバッサリの場での親分格は、新十郎さんでした(右足をだしたらバッサリでしたが)。ひとときの安らぎがありました。 本意でない師直への賄賂(まいない)。ぐっと耐え忍んで、主のために詫びる本蔵。気持ちはわかりますぜと思いつつみる。一つボタンが掛け違ったら、若狭のお屋敷が敵を取ることになったのかもしれない。どうなるかわからないものだなぁ。
Cプロに松の間刃傷の場があると思わなかったので、思わぬプレゼントをもらった気分。怒り心頭で乗り込んでくる桃井若狭之助。大迫力&ものすごい格好よさ。橋之助さんのかっちょよさを久々に(!?)実感。めちゃくちゃ格好いい。這いつくばって謝る師直らに、斬るにすら値しないと去る。最後の最後まで熱い男のまま、去っていきました。衝立の蔭から、しぼりだすような思いの本蔵。顔や祈るような手が一瞬しか姿がみえない。なのに、その存在感は大きい。二段目があったからこそ、この本蔵の息詰まる緊張感がよくわかる。面白い。 その後、登場する塩冶判官登場。 勘太郎さんは最初、師直にたきつけられても穏やかに対応する。中啓でたたかれるあたりから、なんだこの人はと、怒りがおさえきれなくなる。その経過がとても丁寧で、すばらしかった。若々しい。どうしても許せない怒りがよくわかり、本蔵よ、斬らせてやってくれれば・・・と思った。(そのあとで、この本蔵の止めたことがきいてくるのだが)
 八段目 道行旅路の嫁入
戸無瀬、小浪の二人の踊り。年の近い親子の踊り。顔を見合わせるときの様子のいいこと。そのあとの段で起こることを踏まえてみるというのが、なんともいえないものだと思う。
 九段目 山科閑居の場。
Cプログラムの構成的には、この段のために今までがあったといっても過言でないような。すばらしかった。
力弥の手にかかろうと、加古川本蔵が故意にお石に悪態をつく。戸無瀬が止めるのを振り切り、小浪が止めるのを そっと抑える。そしてそれでもあしざまに言う。みなを振り切り、ぐっと背を向ける(客席に顔を向ける)。その時の、万感の思いの顔つきにジーンとしました。鼻の奥がツーンとしました。 由良之助、橋之助の登場。これで本蔵の心情がみなにわかるのだと思うのだけど、切なくて。由良之助の堂々とした登場がなかなか。そして、本蔵が苦しい息のなか、刃傷沙汰の場面の述懐が、よかった。 お石が、静かに熱く、由良之助を送るさまもよかった。あれもこれも、胸にしみました。
見ごたえがある舞台でした。熱い芝居にこちらも熱くなりました。その上、客席のあついこと。張り切って着物でいったので、もうあつくって。いろいろな意味で熱いです、浅草。   
三段目の橋之助さんが、怒り心頭で花道から出てくる力強いあの姿と、何も言わず、ぐっと立ちつくした九段目の仁左衛門さんのあのお顔が、心に強く残りました。

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2008年10月 4日 (土)

『芸づくし忠臣蔵』

明日の平成中村座観劇に備えて、関容子さんの『芸づくし忠臣蔵』(文春文庫)を再読。ほぉーと驚いちゃった。もう何回読んだかわからないのに。お脳がお小さいからなのかしらん。一番肝で語る部分の多いと思われるCプログラムを選んだので、見ているこちらも、しっかり取り組めるように予習。先代の勘三郎さんや、先代の仁左衛門さんのおはなしが出てくるので、いろいろ見ておきたいポイントが増えました。明日への期待は高まるばかり。

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2008年10月 2日 (木)

『たば風』

眼科にいったら、受診が下手だといわれました。眼科に慣れてないでしょと。確かに眼科は怖いのであまりいかないけれども。そういうふうに言われたのは、はじめて!とてもまっとうな眼科でした。目の治療時には、目のあたりだけ気をつけるのでなく、早寝をし、食事をしっかりとり、体を動かすことも大切だと。とにかく風邪をひかないようにとのことでした。目を治すのには、目薬だけじゃなく、きちんとした生活を!そのとおりだなぁ。まっとうな意見だなぁと思いましたことよ。守れるかどうかは、おいておいて。
いつも目をこすっちゃう。泣いたらハンカチでゴシゴシしちゃう。どっちもバイ菌の入る行動だそうです。悪いことは、みーんなやってるぜ。へへへ。 ちょっとまじめに通おうかと思います。目力をきたえなくっちゃならないしね?!

宇江佐真理の『たば風』(文春文庫)を読んだ。蝦夷に絡んだ短編集。丁寧に丁寧にかかれています。その丁寧さに、ゆっくり読まなきゃ申し訳ないと思い、ゆっくり読む。江戸のものを扱ったお話よりも、この短編集は 忠義と心のいたばさみ感が強く、少し固い感じの物語のような気がします。男であれ女であれ、主従の関係が、生活に強大な力を持つ。そんな流れに翻弄されながらも、自分のすべき道を、静かに進もうとする。 真摯な娘たちの気持ちに、だらだら生きていてすみませんとも思うほど、しゃきっと姿勢よく、真剣に毎日を生きている人々が描かれていました。みどころがある とか、心優しいとか、そういう単語をつかいたくなる本でした。

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2008年9月30日 (火)

『少年計数機』

たまたま部屋で手にとった、石田衣良の『少年計数機』(文春文庫)を読み返してみた。
なんだか、20世紀少年で考えたようなことがでてきた。子供のころ、「暴力」や、「強大な力」をかっこいいものと憧れる。それを、少年少女の時代に置いてこないで、そのまま「悪」に憧れ続けた人の描き方がうまいな、衣良は。(エラソウですが。) 金を得るための手段の暴力というより、純粋に力で制したい欲という形の暴力とでも言うのだろうか。 その悪を全否定せず、自分で考えるゆとりというか、その悪にも悪くない人柄を与える。 こんな話がありましたという紹介。その上で、自分で考える空間を用意している。答えをあいまいにして、どうとでも取れるようにするのではない。 読みながら 気がつくと、自論を練っている。そんな空間を持たせるストーリーだなと思った。このシリーズは特にいいな。

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2008年9月28日 (日)

ござる乃座 40th

国立能楽堂へ。『ござる乃座』をみてきました。今回の公演で40回目だそうです。ご自身の個人のこの会、1回目は青山の銕仙会能楽研修所で開催されたそうです。20年の年月を重ね、40回。すごいなぁ、萬斎師。 あまりに輝かしい経歴をみると、あれ?わたしは何をしてきたのだろうか・・・と 考えてしまいます。 クヨクヨせず、楽しく観劇!
本日の演目は、狂言『咲嘩』 素囃子『盤渉楽』 狂言『歌仙』
『咲嘩』
連歌の会の当番にあたる主人(石田師)。都に住む伯父に指導を受けようと思い、太郎冠者(萬斎師)をお迎えの使いにだす。初めての都に胸踊らせ向かう太郎冠者。案の定、伯父がどんな人かどこに住むか知らない。いつものことながらのんきな設定。その上、都に甥を持つ方はいませんか?と大声で呼んで歩く。なんてアバウト。 そこへだましてやろうと都の詐欺師、咲嘩(万之介師)が登場。咲嘩をつれ田舎にもどる。 きまりきったパターン。道具を何ひとつ使わない。3人だけの舞台。 素直に 舞台に集中して観ることができた。狂言というものは、そういうものだと よく知っていたはずなのに、あらためて無駄なものが何もない舞台だなぁと思った。しみじみそう思った。
なんでだろう。 あーそんなこと言ったらまた主におこられるなぁ など素直に鑑賞した。いいなぁ。咲嘩ってこんなにシンプルで面白かったのだなぁ。
『盤渉楽』
素囃子。大鼓 亀井広忠、小鼓 幸正昭、太鼓 金春國和、笛 栗林祐輔
盤渉という音には、水のイメージがあり、水辺で舞が舞われる場面を音楽的に演出する役割を果たすこともあると解説にありました。まだまだわからず。ほぉーっと思う日がくるのが、楽しみ。
『歌仙』
素朴な咲嘩とうってかわって、豪華な歌仙。
和歌の神、玉津島明神に参詣し、我に力を!というような祈りをささげると、奉納した絵馬から歌仙がでてくる。柿本人丸(万作師)、僧正遍昭(萬斎師)、在原業平(深田師)、小野小町(高野師)、猿丸太夫(月崎師)、清原元輔(石田師)。歌仙が歌を詠みあおうということになる。各自が引き当てた題は難題。それぞれが頭をひねりあう。 ここから、どんな風流なことが始まるのかと思えば・・・・。 遍昭と小町って、怪しいんじゃないの?というような 庶民的というか、まるで小学生のような会話となる。 怒る遍昭。 なぜか、遍昭と小町 VS 他の4歌仙の戦いとなる。 しかも、歌でなく武器で。 高尚なのか そうでないのか・・・ こんな設定なのに。決してドタバタにならない。そこが素晴らしい。声に出して笑わというものでない。じんわりとおかしみがひろがってくる。 型の力で、決まり切ったことがしっかりある設定の上、のんきな物語が進む。 面白いなぁ、狂言って。

狂言っていいなぁ。能楽堂っていいなぁ。 おれをみよ!ってものすごいアピールがあるわけでない。 シテに集中させるような効果は、何もつかわない。 いさぎよい、そのスタンスの強さを感じました。

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2008年9月26日 (金)

新秋九月大歌舞伎 再見

~新秋九月大歌舞伎 新橋演舞場 再見~
先週末にて、海老蔵歌舞伎を見納め。その覚書。とにも かくにも 義賢最後に惚れこみました。
松也くんの葵が、格段によくなっていました。情け深い、葵でした。実盛物語だけをみると、葵の立場が掴みにくく今一つ 心にとどまらなかったのですが、今回は違います。ばっちり心にしみました。先御代との娘 待宵姫を大切にする心、義賢を思う心、家を思う心、小万を思う心、情の深さを感じる女性になってました。
門之助さんの小万、本当にいい。竹生島参りで、「女ながらにみこまれて」と白旗を預けられ これを何としても守りぬくという静かな覚悟がみえた。泣けました。花道に小万、舞台中央に義賢がいたときに、小万のほうを見つめた程!?すばらしかった。
それだからこそ、実盛がその覚悟を感じたのであろう。 正義の見方といわんばかりに涼しい顔をして、小万の腕を 白旗もろとも海におちるよう切り捨てる。 白旗を取替えそうとしたのに残念無念とばかりに、いけしゃあしゃあと言う。海老蔵さん、こういうのよく似合うわ。そこがいいの。このあっけらかんとした感じが。 その後の実盛の小万最後の下りを物語る時に、急にじわじわと効いてくる。 葵御前の、九郎助の思いもよく伝わる。実盛物語の、実盛のあの語りの大切さがやっとわかった。
海老蔵義賢は、待宵姫・葵御前・小万の三人を見送ることになる。 その3人を見送る表情が、それぞれ違う。ここが今回一番 胸に響いた。
待宵姫には、優しい言葉ひとつかけずに送り出した という不憫さを秘めた苦悩の表情。  
葵には 相手を祈るような想い。そしてまだ見ぬおなかの子をも祈る想い。そんな強い想いを感じた。
小万には、お前を 信じている。命がけで この白旗を頼むぞという信念。魂が抜けても動けよという力があった。
娘 待宵姫とも、妻 葵御前とも、もう会えないという切ない想いに もらい泣きしました。それぞれを送るときの あの細かな感情。感心した。
最後、ぼろぼろになった義賢が、葵を送り出した後に、 おなかの子に せめて一目あいたかったと嘆く。 その後、しぼりだすよう言う。「ま よ う た 。ま よ う た 。」と。
あの「まようた。」がたまらなかった。かすれるような声でつぶやくと、すっと表情が変わる。「小万見届け物語れ」と力強く言い残し、最後を迎える。
主従、忠節 こそが全ての武士の世の中で、家族のことを思い嘆く。その人間らしさを振り切って、兵として見事散っていく。その気持ちの揺れのようなものを感じ、じーんとしました。やるなぁ、海老蔵さん。
舞台の気迫はもちろん、こちらの観る気合も相当なので、相乗効果のようなものもあるかとは思いますが、今月の演舞場 特にこの昼の部はなかなかのものだったのではないでしょうか。みごと。
夜も、なかなかでした。
加賀見山旧錦絵。上手に座ったせいもあり、完全にチーム岩藤所属気分。意地の悪さは、なかなかのもの。ほくそえむ怖さもすばらしい。
尾上が自害した部屋に入り、暗がりにすっくと立つ。最前から、もう死ぬかまだ死なぬかと待っても・・・という。おまけに、いい慰みになったわといい放つ。 あまりにも ひどい。これは、こういう妙な愛嬌がないとだめね。 そんな岩藤は、最後 仕返しの場、詰めが甘いので、案の定やられちゃう。 あんなにうまくいってたのに。その悪の形勢がひっくりかえりそうな、隙もある、大きいけど どこかまぬけな悪が よく似合ってました。
亀治郎さんのお初は、心底尾上を慕っていました。ちょこまちょこまかと、しかも達者に動きまわる。なのに一つもうるさくなかった。
尾上のよかったこと。卑屈にならず、ひたすら耐えている様がみごと。みじめでなく、おいたわしいというか。岩藤の理不尽な折檻も、はわさまの折檻よりもありがたい、うれしいと言って耐える。そのけなげさ。姫が慕うのもわかる。私、こんなに耐えていますと、アピールすることなく、じっと耐える。その姿は美しかった。けなげにみえるのは型の力なのでしょう。チーム岩藤のくせにだんだん尾上に肩入れしたくなるほど。草履で打たれた後の花道の引っ込みと、休憩後、自室へ戻るときの花道の出のすばらしかったこと。もう周りに誰もいない。周りに気を遣い何も言わなくてもいい。けれども、まだここは人目のあるところと、必死に進む。歩くだけで、全身に悲しさを匂わせる。すばらしい、時蔵さん。
堪能しました。
もちろん、かさねにも、うっとりしましたことよ。

大満足。

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秀山祭 歌舞伎座・夜の部

歌舞伎座夜の部を覚書。
「近江源氏先陣館 盛綱陣屋」。
遅刻してしまったので、しんみりしそびれる。盛綱母 微妙の芝翫さんや、妻早瀬の玉三郎さんが悲しんでいる様をみて、これは見ごたえがあっただろうなぁと思う。昼の逆櫓が辛かったので、遅刻ついでに ここは あえて 忠節を重んじる悲しみにひたるよりも、全体の配置の工夫や、袴の裾の効果とか、視覚的なものに注目しました。耐える男に、耐える女。とにかくじっと耐える。ぼーっとみていても、飽きさせないものがありました。 盛綱一子小三郎の玉太郎くん、堂々としてました。
「干支に因みし戯れ絵の趣親子鷹 鳥羽絵」
富十郎・鷹之資 親子の踊り。清元には延寿太夫さんが。これ終えてから「かさね」のため演舞場へいらっしゃるのかしら?
いい演目でした。気に入っちゃった。富十郎さんは下男の升六。鷹之資くんは台所で暴れるねずみ。ねずみを捕らえ、すりこ木で打とうとしたら、すりこ木に羽が生えて飛んでいく。その隙にねずみが逃げる。そんなアホなという話が、歌舞伎らしく豪華で、かわいくて。とってもとっても楽しい気分になりました。升六パパの肩に手をかけ、顔を覗き込むねずみ鷹之資くん。かわいかった。会場中がにっこりしました。富十郎さんは、動きをとめる所が どこもかしこも決まります。たった15分の踊りなのに、気持ちを楽しくする効果があります。
最後に「天衣紛上野初花 河内山」
なぜか、のれませんでした。3階Bのお気に入りの席で鑑賞したのになぁ。
高木の左團次さんは立派だし、数馬の錦之助は自分の身を呈して必死に諌めるし、松江出雲守の染五郎さんは横暴で勝手な当主っぷり。浪路の芝雀さんはとにかくかわいそう。上州屋のおまきの吉之丞さんはさすがの貫禄。河内山の吉右衛門さんは細かいところまで行き届いた、なかなかの御数奇屋坊主っぷり。一つづつは悪くないのになぁ。組み合わせかなぁ。まともに組み合わせすぎていて、突拍子もない感じがでにくいのかなぁ。わからない。不思議。
染五郎さんは勝手なこと言いそうだし、錦之助さんはとにかく気の毒。由次郎の北村大膳は、必死にがんばってました。が いかんせんストレートな悪人すぎ(大声だし)。 なんだかね、こういう出来事があってもおかしくない感じがしました。目の前の、横暴な当主に巻き込まれた人達&空気を読めない悪党に ぐったりしたのかも。 なんていうのかなぁ、こんな人いないよ!ってほどオーバーな役者さんが混じると、歌舞伎味がでるのではないでしょうか。そして、いかにも芝居という独特な感じになるのではないであろうか。 例えば、ここに團さまのような あーあーもうバレちゃうよと思うような のんきで かつ でっかい河内山がいるとか。もしくは、梅玉さんのように いつも上品なのに、女子好き好きな光線を出しはじめると止まらないようなお気楽当主がいるとか。(誉めてます!) ひとりのんきなお人がまじると、いいのではないでしょうか。違うかなぁ。 おまけに?と思う大向こうもかかりました。ここで決まりというところで大向こうがかかり、終わったところで、もう一回同じのをかける人がいたの。しかも、大当たりとかも言ってました。あの人、余分です。
なにか、いろいろなものが微妙にずれていて、どんどん悪のループに入っていってしまいました。自分でも不思議なほど、残念な感じ。これだけのメンツなのになぜ、という もったいない気分になりました。
 
写真売り場に、「芝雀の浪路の写真どれ?」と いきまくおじさま(お客)がいました。売り場の人がはっきり答えないと、「じゃあわかる人連れてきて」とえばってました。 えええ?! どっちかわからないなら、どっちでもいいじゃん と思ったわ。どっちも芝雀さんですしね。(昼の部のお筆は女中さん。夜の部の浪路は腰元さん。似たようなもんじゃんと。) 私を含め写真をみていた人は、答を知っていたようでした。けれども誰も、えばりん坊さんには教えてあげませんでした。(最後に写真売り場の人が教えていました。) 写真を買うぐらいのことでも、エバリようがあるのですね。 前にも 筋書きを買おうとしたら、「いかほど?」といいつつ横入りしてきたご婦人に驚いたこともありました。並んでいたのに。私のコト見えないの?と思いましたことよ。あと「いかほど」って本当に言う人も居るのねと。 立派にみえてびっくりする大人も いっぱい居るところです、歌舞伎座。 ん?渋い感じの〆になっちゃった・・・ (人に話すと、変な人みちゃったわと 面白思い出に変わるのですが。)
それでも、毎月通うわ。LOVE♪

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2008年9月21日 (日)

『20世紀少年』『21世紀少年』

おさるにかしていただいた計24冊の漫画を、ちょっとずつ読みすすめました。浦沢直樹の『20世紀少年』22冊+『21世紀少年』上下(小学館)。どえりゃーことになってました。こわかったよー。映画をみて知っているところは何とかなりましたが、その後のこわいこと。挟んであったメモには、発狂しそうでした。その晩はもうトイレに行けなかったほど。読み上げましたが、今一つはっきりわかった自信がもてず、ちょっと読み返しました。
映画のときにも思ったけど、自分で書いたことが本当になる怖さがうまい。自分が書いたことすら忘れている子供のころのこと。子供のころお思い付きに一生責任なんてもてない。しかも世の中が滅びていくことになるなんて。ひぇー。逃げ出したくなる。
その人の言ったことや、気持ちというものは、人や場合によってとても印象に残るものだ。ずっと忘れられないこともある。それはいい場合も悪い場合にも。
おかしな新興宗教にしか見えないと思っていても、ある人にとってはそれは100%の信頼に値するありがたい教えになる。 なんで、あんなふざけたことを信じられるのだろう?と頭をひねってしまうような教えも、命をかけてまで守る指名をおびてみえる。なんだろうなぁ、その巨大な力って。
子供のころ、悪いこととか力というものが魅力的にみえる。悪の力でなんでもできるという空想をする。それは誰もが通る道だと思う。 ドカーンって爆発し、
かっこいいーで終わる。 小学校も終わりにかかるころになると、もっといろんなことに目が向く。そして、いつしか、忘れていく。そうやって成長していく。  けれども、それができない人がいる。誰でも心に影を差すものを背負っているのに、そういう思いをしているのは自分だけだと思うのであろうか。 小学校のころから支配されてうた自分の気持ちに自分が押しつぶされる。 そういう心の痛みに耐えられない人が恐ろしい勢いで増えているような気がする。 なんか、まじめに いろいろと考えた。
映画第2弾で、アラタちん(古田新太)をみるのが楽しみ。でも、第2弾のときにはあらかた忘れてそう。お脳がお小さいから。なんども楽しめていいけどね。
すごい漫画でした。

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パコと魔法の絵本

TOHOのお得な共通鑑賞券で、パコと魔法の絵本をみてきました。先に指定券をとっておいてくれたおさるは、映画館の人に「他の作品もご覧になれますがよろしいですか?」と言われたそうです。ええ、パコで。ぜひパコで。パコをお願い。かわいそうなパコ・・・
最初はテンションが高く、あーもうついていけないわ。ここで脱落ね。さよ~な~ら~。という感じでした。ところが役所広司がでてきたあたりからもう。あのがんこじじいが、わたしを泣かせるのです。「お前が 私を知っているってだけで腹が立つ。」とブリブリ怒ってました。また、パコのかわいいこと。おじさんのこと知ってるかといわれ、「知らなーい」という気の使わない言い方。こびなく、無邪気でかわいい。見ためも本当にかわいい。 途中からずっと泣きっぱなし。ベタなのだけどね。 時々笑ったりね。ヤクザがじゅんぺいを探すくだりでは、震えるほど笑いました。 国村準のもの悲しいオカマが、しんみりよかった。男はコーヒー、女はミルク、ワタシはカフェオレ・・・って歌ってました。 デブと私とカフェオーレを思い出しました。バツグン?(X-GUN ?) 大泣きしたのに、そんな〆。
世のガンコジジイ必見です。

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