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2007年1月 7日 (日)

釣狐

昨年、圧倒された『釣狐』を、もう一度観るために。福岡へ行って参りました。萬斎師の狐、今度の相対する猟師は深田師です。
演じ方が変わったのか、私の鑑賞が2回目で落ち着いていたのか、狐が前回より年を経たように感じた。まず自分で自分の姿を確認する場面の慎重さが、余裕のある様子で確認していた。
白僧主として、猟師へ諭そうと必死な様も すこし落ち着いて やや上から説得しようとしているように感じた。
そのため、帰り路 捨ててあるえさのついた罠を見つけたところからの感情の高まりとの差が大きくなり、押さえた迫力から 発散する場の緊迫感が大きくなり 躍動感が怖いほどだった。
今回は、狐と猟師の対決という感じが強くでていたように思う。
慎重に慎重に罠を仕掛ける猟師、息をつめて狐を待つ緊張感。中ごろより、猟師の動作1つ1つが丁寧でゆっくりと手間をかけたものになり、その重々しさがよかった。みている方も ものすごく力が入った。
万作師の猟師と比べるものではないと思うが、静かな動きで気配や変化を感じさせる狐をやりこめることができる猟師と異なり、がむしゃらで全霊で狐と対峙しようとする猟師をそこに見た。前半、丁寧で慎重で動きを極力押さえていただけにその対決がよかった。演者によりいろいろ感じることができる奥深さをまた実感した。 秘曲といわれるのがよくわかるすごい演目であった。はるばる見にきてよかった。 罠からえさだけをせせりとってやろうとする狐。人の姿にばけたままではままなら ぬ。このあおみどり(衣)を脱いでこようともどる。
狐になって登場。それまで老人の小さくなってしまった老いた体つきと異なり、き つねの姿はたくましく大きかった。えさにむかって、どうしてもあきらめることの できない葛藤は、気高くもあった。 見所から笑い声が上がるのが不思議だった。  みるもの全員に、ありがたがれとは思わない。沢山の舞台をみてきたので、この張 り詰めた空気を感じることができるのかもしれない。みはじめたころに、この舞台と出会っていたら、こんなに深く胸に響かなかったかもしれない。ばかみたいにいろいろみてきた甲斐があったなあ。こんなに圧倒される舞台を堪能できて幸せ。狐の本能からの泣き声が まだ耳に残る。

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