« 『自虐の詩』 | トップページ | スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ »

2007年10月17日 (水)

万作を観る会

なんてシンプルな会の名でしょう。毎年楽しみにしているこの会に、今年も行ってまいりました。国立能楽堂にくると、なんだかしゃきっとします。今回の演目は、「昆布売」、語・仕舞「姥捨」、「鐘の音」、「千切木」とたっぷり。
狂言3曲、なかなかでした。
「昆布売」野村遼太くんの狂言をみると、基本をきっちりと演じる美しさを感じる。
「鐘の音」万作師、万之介師。ご兄弟の なんともいえぬ味わい。万作師は、感情をださないのに、しっかり伝わる。わざとらしくないのに、ついクスっとなる。うなっちゃう。なによりもあの足の運び。なめらかさ。いったい、どうなっているのでしょう。
「千切木」狂言のおおらかでのどかな感じがよくでる一曲。今日はなんだか短く感じました。
今回のお楽しみは、万作師による語「姥捨」をみた後、能シテ方による仕舞「姥捨」があること。今日は近藤乾之助さん。
この会のちらしには、頭上に月が輝く薄の野。そこに書かれたこの一行。
..
「来んと言いて月日を過す姥捨の 山の名つらきものにぞありける」
..
なんだか気になった。能 姥捨(おばすて)を予習してみる。(今までにみたことがあるのだろうなぁ。理解してないので片っ端から忘れちゃう。
都から来た男(ワキ)が、信濃の国 姥捨山で仲秋の名月を眺めている。そこへ里女(前シテ)がきて「わが心慰めかねつ更級や、姥捨山に照る月を見て」という和歌を教え、これは自分のことだと言って消え去る。里人(間)より姨捨の悲惨な伝説を聞いた男が、一夜を過していると白衣の老女が現れ舞う。男にはもう老女の姿が見えない。夜が明け、都へ帰る男を見送り、老女は また ひとり山に残される。(老女自身が姥捨山と一体になった。)
間語りは、淡々としていて 更にその哀しさが強くなった。 映画 楢山節考とは違う角度から感じるものがある。 乾之介さんの仕舞いは、中正面でしたのでちょうど目付け柱でお姿がみえず。ぴったりもとの位置にもどられるので姿はほとんどみえず。中正面だからね。仕方ない。決められた位置にしっかりいつづけるすごさを体感 !?
これから、語や仕舞の前には予習しようかな。間語りの際に、あの一行のところで、はっよしたもの。 より興味深く楽しめましたしね。

|

« 『自虐の詩』 | トップページ | スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 万作を観る会:

« 『自虐の詩』 | トップページ | スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ »