絵空事師・河野通勢
美術館鑑賞 覚書
先週、松涛美術館に「大正の鬼才 絵空事師・河野通勢 (新発見作品を中心に)」をみてきました。HPにあった、岸田劉生風の一枚の絵《好子像》をみて、なんだか気になりました。何の予備知識もなく見に行きました。大発見。面白かった!
勝手に、「つせ」という女性だと思っていました。「かわのみちせい」という男性でした。
明治、大正というこの時代に、どうしてこういうモダンなものを描くことができるのか、首をひねりつつみる。不思議。戦争があったのに、なぜこの膨大な作品が残っていたのだろう。(油彩画、挿絵、スケッチ、日記 等 資料約350点展示) 不思議。そして、このなんともいえない粘りっこい、強烈なタッチはなんなのだろう。不思議。
高橋由一に学んだという父 河野次郎の作品もすばらしかった。上等って感じの作品。父の英才教育を受け、長野のハリストス(キリスト)正教会で幼児洗礼を受けた。信仰心のあつい人。(クリスチャンネームをもつ。)
小さいころから、長野でただ一人、デューラーやレンブラントをひたすら模写し独学でデッサン力を身につけたそうです。この時代、しかも長野でデューラーを知る子供なんていないと思う。出品物には、自宅にあった洋書も展示。この時代に、こんな立派なものが18冊も。ダ・ヴィンチ、レンブラント、デューラー、ルーベンス、ミケランジェロにウィリアムブレイク。銀座の丸善で購入したらしい。武者小路実篤の友である。とにかく、その人生にも驚きっぱなし。
作品も圧倒されるものばかり。
初期の長野の、裾花川などをの風景を描いたものは、遠近法のデッサンの力がすごく、地面が隆起してきそう。日本人の描く感じのものではない。デッサンの横に描かれた言葉も面白く、じっくりと眺める。
草木の細密描写がすごい。あまりに細かく、迫力があるほど。
宗教画も、西洋の宗教画と日本画といろんな要素が混じっている。大胆で、細かくて。その上、信仰心を感じる絵になっている。聖書をもとにした宗教画の面白いこと。(母は、『アダムとイヴ』をみて、その川で泳いでいる人が、きちんとひじをあげて泳いでいることに目をつけていました。泳ぎのフォームをチェックするとは・・・)
岸田劉生風の、自画像や人物画像。濃厚。自画像に熱中した時期もあったそうだ。
妻の素描の横には、妻を描くといつも腹が立つ とメモ書きがある。美しさを描けないかららしい。女性の肖像画はほとんどないらしい。それなのに、妻の妹 好子像は、その人を赤裸々に描いている。にきびまで。構図はモナリザを彷彿とさせるもので、背景の景色に写生をしている自分を描きこんだり、北方ルネサンス風のモチーフをいれたりしていて面白い。
歌舞伎や、シェークスピア劇、横浜のダンスホールを描いたものは、はなやかで、かわいらしい。
蒙古襲来之図は、油絵で描かれているが、日本画のタッチで面白い。
薄いタッチの油絵が日本風で面白く、かと思えば、分厚いタッチの濃厚なものも。
本の挿絵や装幀からは、豪華な暮らしをしていた人の持つゆとりある優雅なものを感じる。「項羽と劉邦」の挿絵原画や、箱の装丁のモダンで繊細で美しいこと。 『接吻市場』という書籍は、装丁の美しさだけでなく、中身も気になった。
銅版画の緻密さにも圧倒される。虫眼鏡で見てみたくなったものも。震災後の「丸善跡」や「武者小路実篤邸焼け跡之図」は貴重な資料でもある。
風俗画になると、やわらかく滑稽。「こんなに居てもこれはと思ふ奴ア一人も居ねい」。「あゝ、アの子は洋服が汚いので馬鹿にされて居る」なんてストレートなのものも。
何をやっても人真似でなく、なんだかえらく迫力がある。整っていない勢いがある。しかも粘りっこい。なんだろう。面白い。不思議だなぁ。
なぜ、この人は世間に名が知られていないのであろうか。
岸田劉生や武者小路実篤も絶賛した早熟の天才だったらしいのに。
両親とみてきました。2人は入館料無料。私は300円。驚くべき価格設定。大金持ちが、道楽で庶民にコレクターをみせてあげようというような優雅な感じがします。(本当は、渋谷区の美術館です。)2階の皮のソファーが喫茶になっているのですが、周りは作品。閲覧室の中に、いきなり喫茶が。これがまた、お金もちの家のようです。
奇想のイマジネーションを発揮する画家、河野通勢の回顧展は、平塚を皮切りに長野まで4ヶ所で開催。彼が幼いころすごした長野の地でみたら、また面白いかもなぁ。
「大正の鬼才 河野通勢-新発見作品を中心に」
2008/02/02~03/23 平塚市美術館
2008/04/05~05/25 足利市立美術館
2008/06/03~07/21 渋谷区立松濤美術館
2008/11/22~2009/01/18 長野県信濃美術館
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