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2008年12月31日 (水)

心にのこった舞台1ダース<2008>

今年も、いい舞台を沢山みたなぁ。道楽三昧。マイチィ☆的ベスト舞台1ダースを考えてみました。12に特に意味なし。 

 「釣狐」 12月 国立能楽堂
狂言師として最終課題であり、狂言の最高秘曲といわれる大曲。深田師の狐、相対する猟師は万斎師。狂言を夢中になって見始めていた頃でなく、今観ることができて本当によかった。あのときにはわからなかったことものを感じることができたと思う。(そして、この先もそういう自分がいると思う。) 観終わった後ぐったりするぐらい集中してみました。それだけ惹きつけられる舞台でした。75分が 全く長く感じなかった。

 「文楽公演 義経千本櫻鑑賞」 3月 国立小劇場
まずいわ!文楽にノックアウトだわ!もう道楽は増やせないのに。桐竹勘十郎さんのせいだわ。口をあけて驚いてみていたに違いないわ、わたくし。狐の悲しむさま、喜ぶさまにみとれました。 狐の人形と、狐を遣う人形遣いが一緒に飛んでいくなんて・・・反則だわ。びっくりするほど面白かった。

 「暫」 4月 金丸座
こんぴら歌舞伎。小屋の雰囲気もあり、忘れがたい場面です。大きな素襖の袖をものともせず、ガッガッガッと登場してきたあの大きさは、印象的。でっけぇー。理屈を超えた感じがたまりません。

 「成田山 開基1070周年記念奉納」 4月 成田山
連獅子の奉納舞踏。その特別な場所の効果もあると思うけれども、日が暮れ 本堂から、特設舞台に下りてくる獅子達は、印象的でした。

 「わが魂は輝く水なり」 5月 シアターコクーン
実盛物語を歌舞伎でよくみているので、設定も、話も、人物相関図もよくわかり、より深く観劇できた。菊之助さん演じる五郎、萬斎師演じる実盛。親子のそれぞれを思う心、その表わし方の違いが面白く、切なさが胸にしみた。
目を輝かし語った父の言葉が、息子にあたえる影響。現実の壁。しかも、世は戦国。生きている息子、亀三郎さん演じる六郎と、すでにこの世のものでない五郎、なぜか五郎が見える父実盛。三人の微妙なバランスは見ごたえがあった。

 「三三・吉弥 二人会」 6月 にぎわい座
歌舞伎は、歌舞伎座。落語は寄席。専用の場所でみるのが一番。地元横浜ですが、はじめてみました。そして大笑いしました。涙をながして笑っちゃった。吉弥さんがあまりにおかしく、休憩時間になっても思い出し笑いするほど。これからでる三三さんのことが心配に・・・余計なお世話でした。全くタイプの違う面白さ。みんなにみせてあげたくなるほど。みた人全員幸な気持ちになることうけ合い。

 「吉野山」 7月 歌舞伎座
玉三郎さんは、すごいと思っていましたが、改めて別格の人だと思った。美しかった。幕あけから通常の吉野山と異なり、静御前は花道でなく舞台に登場。登場した瞬間、客席が、うわーと言ってしまう存在感。 海老蔵忠信もきれいですし。屋島の戦語りも、とても面白かった。静御前が寂しそうな素振りをみせると、忠信がなんとも切ない顔をする。そんな気持ちのやりとりもよかった。 

 「簸屑」 9月 宝生能楽堂
野村狂言座での公演。万作師の太郎冠者が、水鏡に自分の姿を映してみるという動作に驚いた。なかなか、あそこまで心に残ることは少ない。このあと集中力が続かなくなちゃった。それほどよかった。自分一人で、道具にたよらず、能楽堂中を集中させるとは。みごとでした。

 「源平布引滝」 9月 新橋演舞場
義賢最後がよかった。ちょっと心情をこめすぎという気もしますが。くやしさ、いとおしさ、命がけで託す気持ちなど、表情からあふれ出ていました。 表情だけじゃない方がいい気もしますが。しかし、あの見送る時の表情は忘れがたい。もらい泣きしました。
若い今、わかりやすいということはひとつの表現方法なのだと思う。
(12月に文楽でも源平布引滝がかかった。勘十郎さんの義賢最後は色っぺーとしびれました。文楽で色っぽいと思う日がくると思いませんでした。)

 「伽羅先代萩」 11月 新橋演舞場
ドロドロドロと煙が立ち込め、すっぽんから仁木弾正登場。あの、海老蔵弾正のすごかったこと。巻物をくわえ せりあがり登場。巻物をくわえ登場。一言も発せず、花道を、じりじりと去っていく。それだけ。でもそれだけじゃないの。劇場中が息をのみましたもの。ひきよせる力とかっこよさにメロメロです。その前のしっかりとした芝居のことを忘れ、この場面の記憶しか残らないかと心配するほどすごかった。

 「伽羅先代萩」 11月 新橋演舞場
竹の間・御殿の政岡。菊之助さん。みごとでした。気品のある方です。情の深さ、忠節心、親心、そういう心の様子が、よくわかります。自分を抑え、毅然とした政岡は、立派でした。でしゃばらず、美しく、でも力強い。達者な方です。 

 「盟三五大切」 11月 歌舞伎座 
大人の歌舞伎にほれぼれ。菊五郎・時蔵・仁左衛門のかっこよさといったら。はぁ~。冒頭の佃沖新地で、船ですれ違う場面から、心をがしっともっていかれました。菊五郎さんの色気ったら、あなた。若造にはだせません。時蔵さんの仁左衛門さんをだましながらも、気になるという大人の感じ。殺しまくる仁左衛門さんのかっこいいこと。名乗るだけで、しびれちゃう。筋なんかどうでもよくなるほど、場面場面がかっこいい。きまりすぎ。演目と配役が絶妙でした。ほれぼれする味がでていました。 

今年も、沢山いいものを観て楽しい一年でした。遠征旅行もほどほど(2月&4月)のお利口さんでした。とはいえ、やはり道楽しすぎだなぁと思います。来年は地に足をつけて歩んで行けるのでしょうか。自信がありません。もうすでに、来年の芝居はじめが、楽しみ♪なのですもの。
来年も、よい舞台と たくさん出会う いい一年になりますように。

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心にのこった美術展ベスト7<2008>

今年も、あれこれ美術館・博物館に足を運びました。まだまだ、ほーっと感心しているだけですが。マイチィ☆的ベスト7を考えてみました。7という数字に特に意味なし。しいていえば、ラッキーセブン。

 「英国美術の現在歴史:ターナー賞の歩み展」 森美術館
ダミアン・ハーストの「母と子(分断されて)」という作品はすごかった。牛を縦半分にして、ホルマリンにつけてあるもの。母と子を、自分自身をも分断。「死」をテーマにした作品だそうです。その作品のことを聞いていたし、チラシでみていたけど、実物はすごかった。

 「大正の鬼才 絵空事師・河野通勢」 松涛美術館
はじめて河野通勢という名をしりました。明治・大正という時代に、このような画風のものが描かれたことに驚いた。いろいろなものの展示があったが、どれも人真似でなく、迫力がある。不思議でした。この美術館にぴったりだった。

 「ベルナール・ビュフェ」 ベルナール・ビュフェ美術館
伊豆長岡にあるずっと気になっていた美術館。思う存分ベルナール・ビュフェをみる。好きです。そして、いい美術館です。

 「岡村桂三郎展」 神奈川県立美術館 鎌倉
2年前の夏、国立近代美術館の「モダン・パラダイス展 大原美術館+東京国立近代美術館―東西名画の饗宴」で、一目ぼれした 岡村桂三郎作品。終了間際にこの展示を知りホクホクと出向く。圧倒される。かっこいい! 生きている作家と知り、結婚しよう?!と思っていました。2年たち、どんな方かはじめてわかりました。(既婚者でした。)

 「巨匠ピカソ展」 国立新美術館 / サントリー美術館
国立新美術館とサントリー美術館で、同時期に開催の「巨匠ピカソ」展。パリの国立ピカソ美術館改装中に、世界巡回。日本では、この2館で開催。
国立新美術館 「巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡 」約170点
サントリー美術館 「魂のポートレート」全58点 全てポートレートで構成。
特色があり、どちらも見ごたえがあった。ピカソ万歳。

 「今森光彦の昆虫写真展」 写真美術館
虫がキライな人にもお勧めしたいほど 面白いもの。どうやって、こんな瞬間をおさめたのでしょう!という写真ばかり。虫は、美しく、怖く、不思議。 全体的に、虫への愛を感じる楽しいい写真展でした。 

 「横浜トリエンナーレ2008」 
ほんのちょっとですが、ボランティアとしても参加したので、思い入れあり。三渓園のすごさも、思いだす。 

今年は、美術館自身に個性がある大きすぎないところが印象に残りました。来年も、いろいろ見に行こう

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心にのこったこの1冊<2008>

本を読んだ感想をつけるのって難しい。本を読んで、どう思ったのか自分に問い返してみるのは、いいことだと思う。 ブログをはじめるまでは、「あー面白かった。さぁ、次読もうっと!」って感じで読んできた。どう感じたかを表すのは、難しいし、観念的になったり、理屈っぽくなったりする。それでも、考えてみようと思う。 感想をつけるのはうまくいかない。訓練だと思って 上達する日を楽しみにつける。 とはいえ、感想を つけそびれた本が大分たまってしまった一年でした。

心にのこったこの1冊 ベスト3という矛盾したものを考えてみました。1冊なの?3冊なの? 気にしない気にしない。

 『さくら』 西加奈子(小学館文庫) 
泣けてしかたなかった一冊。切ないとかじゃなく、あったかくなって泣いた。いとおしい一冊。 この一文が、とても気に入った。
 「たった今大切な髪留めを無くしてしまった女の子でも、思わず一緒に笑ってしまうような声だった。」

 『太陽の塔』 森見登美彦(新潮文庫)
文体にびっくりする。まいった!と思った一冊。 冒頭にもびっくり。 
 「何かしらの点で、彼らは根本的に間違っている。
  なぜなら、私が間違っているはずがないからだ。」

 『対話篇』 金城一紀(新潮文庫)
文章にうっとりした1冊。 辛い題材「死」を扱っているものですが、じんわりとしみこんできた。

<番外編> 
 『くものすおやぶん ほとけのさばき』 秋山あゆ子(福音館書店 こどものとも612号)
「ばちあたりなことを。ふてぇやろうだぜい。」なんて言葉遣いが素敵。すみずみまで細かく手がこんだ画。みもだえするほどかわいい絵本。
 

舞台や、美術展と異なって、本は とびぬけて面白かったものが、自分の中ではっきりとしている。読んだ本は どれもこれも、読んでよかったと思うものばかりで、ハズレはほぼなしです。 が、しびれるほど面白かったもの、はじめての感覚に震えたものは、この3冊です。

来年も、本を読むのが楽しみです。

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2008年12月27日 (土)

年忘れ 大漫画祭り

年末なのに。お祭りだ。まんがだまんがだワッショイワッショイ。 大掃除も、年賀状も、決算もワッショイだ! 本当は、夜中にちょっとずつ読んだ小心者です。来年は、何ごともワッショイな大物になるぞ!
またまたまた、おさるにどーんと漫画を貸していただいた。メルシー。
漆原友紀『蟲師(1)~(10)』(講談社アフタヌーンKC)。 先日読んだ、本田孝好の『FINE DAYS』(祥伝社文庫)と、どこか似たところのある空気間の作品もあった。世の中には、人の目にみえない何かがいる。蟲だ。 その蟲と、わたりあうことができるのが蟲師である。その不思議な体質ゆえ、一箇所にとどまることができない。蟲を呼んでしまうから。その設定が悲しい。毎日 同じところに帰る。それが暮らすということ。 その毎日同じってことの重要性を感じるからこそ悲しい。 見知らぬ人と接して、命がけで蟲と対決して、その土地に人に情を感じる。でも去らねばならない。経験が、より技を持つ蟲師とする。そういう力を持つものがいる。と淡々と表す。この凝った作品を読むと、すごく大変な思いをして書いているのだろうなと思う。でも、蟲師の映画をみたときのことを思い出してちょっとおかしくなる。有楽町でみたのですが、遠くで、ゴォーーーッっていう地下鉄が通る音がずーっとしていたから。映画の内容より、ゴォーーーッって音ばかり思い出す。 ああ、オダジョーがすきそうな雰囲気だなと思った。でも、これを映画化って、ちょっと無理だなぁ。もうすぎたコトだけど。 一気読みさせていただいた贅沢者が言うのもなんですが、全部不思議なのよねー。不思議もこれだけ続くと不思議が普通っていうか。すみません。  山や、川や、海が近くにあって、たまーに不思議なこともある。そういう普通の暮らしでもバランスが危うくなるときがある。都会にすんでいたら、もうすでにバランス崩れてる。これじゃ、地球も壊れちゃうよ。心配です。
椎名軽穂の『君に届け(8)』(集英社マーガレットコミックス)。 進級しても主要メンバーはみんな同じクラスよ。だって、先生に根回ししておいたもん。 ありえん。(でも許しちゃう。) 爽子と風早くん、周りのみんなも甘酸っぱい。あまずっぱすぎ。読んで、若返りだ!
羽海野チカ『3月のライオン(2)』(白泉社)。自分がいい人ぶっていないか、心配になる。誰かのためになんて、してあげる感いっぱいの言葉と、本当の言葉はもつ力が全然違う。 そういう大事なことを教えてくれるすばらしいまんが。日に三度のご飯を、きちんと食べる。おいしく食べる。できれば誰かと一緒に食べる。そのことの大切さをしみじみ思う。 長く生きている人(おじいちゃんたち)って、じわっとくることをいう。ドラマ「風のガーデンの」緒方拳さんみたいに、口からでてきたことばは、体にしみこんでいく。すごいなぁ。年をとったら、そんなおじいちゃん?!に、なれるかなぁ。なりたいなぁ。
よしながふみ『きのう何食べた?(2)』(講談社モーニングKC)。本屋さんで、限定ビニールカバー付きみたいなのが出てました。なぜ?って思いましたが、コレを読んで納得。うっかりできるかもと思わせるおいしそうな料理。雰囲気(男子と男子のカップル)もいいし、おいしそうだし(料理が)。旬の食材をって、おいしくて、安くて、言うことなしなのね。(無駄なくいかせる料理人がいるからだけど。)あーおいしそう。
黄島点心の『くままごと(1)』(徳間書店) ギャハハハハ。これ、最高。くまなんだもん。くまバカなんだもん。あっバカって言っちゃった。親近感? 子ぐま達、腹黒いのだけど、所詮くまなんでね。間が抜けた悪意っていうぬるさと残酷さ。笑いました。パンダの位置もいいの。ルックスは白黒でキュートだけど、自分クマだから。ふざけたコト言うと(言わなくても)、破壊をもたらすわよって感じ。 秀逸なのは、番町更屋敷。ヒーヒー言いながら読みましたことよ。あのオチには、ふきだしましたぞ。 

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2008年12月25日 (木)

『四畳半神話大系』

121 メリークリスマス
子供たちは サンタに喜び、子供たちのかわいい言葉に 大人たちは喜んでいるのね。 どっちつかずの私には、本棚を下さい サンタさん。
これは、近所のキラキラハウス。ごくろうさまです。

おお!これは、あの『太陽の塔』の人ではありませんか。しかも文庫と喜んで購入。森見登美彦の『四畳半神話大系』(角川文庫)を読む。
相変わらずすごい。自虐なのに自信に満ち溢れているような、力強くうじうじするというような。そして、この4章にわたる世界のまじわりかた。新しい。 といいますか、ドリフのもしもシリーズ?!すごい。
ロクでもないことしかしないけど、緻密に行う男ども。冴えない大学3回生。隣には黒髪の乙女がいてしかるべきなのらしい。黒髪の乙女か。妄想に走りまくっているとはいえ、これだけ考察されてつくしていたら立派だ。世間になんて適応せず、度肝を抜いていて欲しい。
落ち込むにも、コムズカシイ言葉や言い回しを多様し、ありがたくするあおもえてくる。軸に描いて、床の間に飾ろうかしらん。床の間ないけど。
映画サークルで、小津って・・・ すごい。そして、小津の人柄もすごい。 樋口師匠。こういう人は師匠です。落語家でも、ない人(タレント)が落語家に簡単に師匠とかいうけど、本当の師はこういう大物のことをよんでほしい。変な大物だけど。ツワモノ?
1冊の本の中に、同じ文章がでてくる。そのことがこんなに効果的とは。驚いた。すごい人だ。もう万歳だ!やはりしびれる本。ブラボー

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2008年12月23日 (火)

『FINE DAYS』

週末、3分間クッキング的な番組をみていたら、クリスマスにぴったりのイチゴとマスカルポーネの簡単ムースというメニューでした。初心者むけ・簡単・手軽・すぐできます という語彙が並ぶので見てみた。3分でできるのね。 そうしたら、しょっぱなから ふやかした粉ゼラチンを冷蔵庫で30分冷やすって言っていました。3分超えてる・・・ ムースの台になるスポンジケーキの薄いのも突然現れましたし。分量紹介にも含まれてないじゃぁありませんか・・・  でも、うーん。できるかも!って思わせる簡単さでした。 若い男子アナウンサーと、妙齢の女教師っていう組み合わせが、案外衝撃的でした。今は、そういうスタイルなの?

おさるが、不思議な話だよ と言っていた 本田孝好の『FINE DAYS』(祥伝社文庫)を読む。不思議だった。ちょっとぞくっとする不思議さ。不思議な能力が出てくる短編が4つで構成された本。
FINE DAYS ・ 登場人物が高校生なのに、きちんとした自分の言葉が使えるの。この年でこれだけ使えていたらよかったな。何をしていたのでしょう、私は。これは怖かった。
イエスタデイズ ・ 表紙からすると、これが映画化のようです。不思議さがちっとも怖くないと思った。
眠りのための暖かな場所 ・ これが、一番好きかな。悪くない怖さだと思った。
シェード ・ 歴史は繰り返す。今、この一生はこれ限りだけど。永遠と続く連鎖の中の一部であっても、今は今しかない。きれいな怖さだと思った。
魔法が使えたらって、誰もが一度は願うことだけど、普通なまま、あがいて、よくわかんなくて、悩んだまま生きている方がいいな。たとえ、不思議な力にまきこまれて命を失うことになっても、命を奪うほうにまわるよりいい。 簡単にどっちといえる性質のものではないけど。みじめさとか、物悲しさとかなく、淡々と不思議な世界を描いているように思う。変わったものだなぁと不思議さを味わって読んだ。

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2008年12月19日 (金)

『乙女なげやり』

日本に、ドン○○ーテ という名の ディスカウントショップが流行するとは、松本幸四郎さんは 夢にもおもわなかったのだろうな と思いつつ帰宅。

三浦しをん のすんばらしいエッセイ『乙女なげやり』(新潮文庫)を再読。夏休みに読んだのですが、覚書を付け忘れていました。一番に笑ったのは、冷蔵庫に頭をぶたれるとこ。ドリフみたいのがいいのかしら、わたくし。 夏休みにゴロゴロしながら読んで、大笑いしていたので家族に気味悪がられる。 しかも、後になってから 「さっきの気味が悪かったよ」と言われたの。その場で言いにくかったの? だって面白いのだも~ん。
夏から3回目くらいの読み直し。なのにまだ、電車の中で笑っちゃった。もう、さすがわぁ。しをん大先生。ずっと先生についていきます。
今回は、歌舞伎も登場。時蔵さんをみるたびに「時蔵いろっぺー」というしをんちゃんのセリフが頭をよぎるほど。しかも、11月に歌舞伎座でかかったのですもの! 通し狂言「盟三五大切」。これよね、しをんちゃんが観たの。時蔵さん 確かに色っぽかったっす。 そして、わたくしも、周りのお客さんを観察して、あれこれ心の中で語りかけたりするわ。何者かしら?と想像したりするわ。わかるわ。 特に、3階は かわりものの宝庫なのですもの。
文楽を観に行っても、しをんちゃんのことを考えます。三味線と浄瑠璃って夫婦のような絆で結ばれているのねと思っていたのに・・・ 三味線一棹に、義太夫さんが7人もでてきたの。何、この組み合わせは。一夫多妻?!とかいうキレイなものではなく、泥沼化?ドキドキしましたことよ。 (その組み合わせは、序幕だけで その後はちゃんと夫婦の組み合わせで出できました。) わたくしも ようやく、先月の文楽[義賢]で、「義賢と勘十郎 色っぺー」としびれるところまで、たどりつきました。ちいさな一歩ですが。あぁ、しをん大先生の真似をして精進していく所存であります。(わたくしの場合、人形と人形遣いの方に夢中です。)
弟に片思いぎみの一人バカップルぶりやら、バクチク妄想など、おもいっきり大笑いしたわ。 祖母との会話なんて、胸をあっためながら大笑いよ。 昔のバイト先の店長、やおなじみの友人も、いとおしいわ。 漫画を語る口調は、うっとりします。 何よりも描きっぷりがうんまいねぇ。 始終妄想には、余念がないわたくしですが、それを表すことができないの。がんばるわ。

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第44回野村狂言座

昨日の覚書。 
小雨降る中、ワゴン車からダンボールを降ろし、台車に積むサラリーマン2人。 雨なのに大変だなぁと、歩きながらぼんやりとみていたら、やおら 一人が自分の背広を脱ぎ、その箱の上にかぶせた。おぉ。 そして2人は台車を押しつつ去っていきました。 
「小笠原(仮名)さん、大変! 大事な上着がぬれちゃうじゃないですかあ。」
「ハハハ。 いいんですよ、こんなの。 ボロ雑巾ですから。」
「もう、小笠原(仮名)さんったらあ。」 
取引先の女子と、そんな会話をかわすのであろうか。なるほど。 あれは、女子社員との会話をはずませるための演出なのか。やるな、サラリーマン小笠原(仮名)め。 
会社近くの道路で見た光景。そんなことを考えながら?! 出社。 
 

さて、本題。 恒例の野村狂言座にいってきました。 
個人的なことですが(個人的なコトしか書いてないけど)、この日でわたくしは、今年の舞台納め(←ちょっと演じているっぽいいい方ですけれども、年中みてるだけ)。 まぁ、来年早々に観劇予定なのですけれどもね。
年4回分セット販売の狂言座、今年は、今回でおしまい。3回連続で、よい香りのおばさまの隣で香りをかぎながら鑑賞。今回も楽しみにしていたのに。両隣が空席でした。変態を恐れていらっしゃらなかったのかしら。和風の甘いいい香りなので、つい嗅ぎました。ごめんなさい・・・
『茶壷』
同じ和泉流ですが、演者は、名古屋狂言共同社の佐藤友彦さん・融さん親子。そっくりです。
『栗焼』
先日、重厚な釣狐をみた後 なので、こういうカラっとしたのどかな おかし味の舞台が心地よい。狂言って、庶民だれでもアハハハと笑うことのできる演目だと 思いました。
万之介師 主が、丹波から見事な栗をもらう。お客に出そうと、万作師 太郎冠者に栗を焼くように命じる。一生懸命焼く様のかわいらしいこと。栗に切れ目を入れなかったから、栗がはぜて驚いたり。うまいことやけたなぁとほれぼれとみたり。 みているこちらも、にっこりしながらみる。 さぁ、主に栗を持っていこうと立ち上がる。 プーンと香ばしい香りがして、辛抱たまらなくなる。その、うっとりとした顔。 こちらも一緒にクンクンと嗅いでしまった。 まてよ、やい太郎冠者 その栗の風味はどうかと聞かれて、存じませんでは身内として恥だ。よし、この小さいをひとつ。と食べてしまう。 おいしそう。  次々と食べる。ペッこりゃ虫喰いじゃ、もう一つと食べる。案の定 全部なくなる。 その後、すました顔をして、竈(かまど)の神様が現れて、栗をくれと言うのであげました といけしゃあしゃあと言っていました。可愛らしかった。いくつになっても、憎めない太郎冠者め。というほのぼのとした感じ。それを、一挙手一頭足 なめらかに優雅な動きで演じてらっしゃいました。 
『金津地蔵』
あれ?俵の中に入って担がれるモノじゃなかったかしら?と思ったら、それは「柑子俵」でした。 どちらも、親の頼みで、商品になりすまして売られる狂言。(←こう書くとすごいなぁ。) 一昨年の狂言座 年末に観た「柑子俵」では柑子になった裕基くん。 今回は仏になっていました。
親である萬斎師は、すっぱ。仏師になりすまし、新しいお堂を建てた田舎ものに 仏を売ってやろうという。 うまいこと言いくるめ、子を呼ぶ。「金法師」と呼ぶのが好き。仏に化けて、売られてくれと頼む。親のため、寂しいが売られましょうと言うけなげな金法師。そっと、連れ戻してやるので、待っているようにいい、田舎モノに売る。
背中と背中をつけた形で、おんぶして田舎に帰るのは、石田師。小さい子がいないとできない演目ですね。 田舎で、所のものに自慢する。みなでお供えものをすると、「供華をくれてうれしい・・・」 と仏が答えちゃう!かわいい。 おおといってありがたがる田舎モノたち。最後には、仏に舞ってくれと願い、仏は、舞う。そのあとをついて廻り、はやしながら退場。 なんてのどかなのでしょう。 ちいさいのに、おおまじめで、とにかくかわいい。 ちゃんと、手をあわせじっとしている。面をつけたまま、台詞をいい、舞う。みごと。どんどん大きくなってしまうのでしょうね。今の この愛らしさを覚えておこうっと。みかん(柑子)に化けたり、仏にばけたり。のんきだなぁ。 そういう滑稽なことを、きちんきちんと美しく演じる。 狂言っていいなぁ。
万作師・万之介師 兄弟競演に、裕基くん 大活躍という舞台で、今年の鑑賞のしめくくり。 道楽者、満足であるぞ。うれしいぞ。

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2008年12月17日 (水)

『猫泥棒と木曜日のキッチン』

橋本紡の『猫泥棒と木曜日のキッチン』(文庫)を読む。 正直言って、橋本紡のタイトルのつけ方は、わたしにはぐっとこない。『流れ星が消えないうちに』もそうであった。手に取る気があまりしない。
でも、この本もよかった。読んでよかった。巻頭から、ストンと作家の手のうちに入るような感じがする。 お母さんが家出をした。 書き出しから、喪失感のような、喪失した思いのないことへの驚きのような、感情設定がよくわかる。そこから始まる小説というところが面白い。全体の分量もさほど多くない。淡々とした文体のそれらは、表現をいかにシンプルにするか選びぬかれたものという重さも さほどない。 けれども、無駄がなく且つテンポが良い。本に風味をあたえる語り口は個性的である。
親が子を捨てたようで、子が親を捨てているようでもある。 
17歳のみずき・5歳の弟コウちゃんの兄弟。毎日 おいしい食事をつくり、倹約して買い物をし、学校に通う。 みずきの友人 健一。しっかり生きているのに、気の毒がられる。そのことの方が、よっぽど気の毒だ。彼のこの2人のくらしの大切な一端をになっている。 家族という歯車がズレてしまっているほうが、落ち着く集団。それは、いつか終わりのくることのような危うさもあり、 また お互いを必要とする絆は、生活の中で太くなるようでもある。 魅かれた猫を弔うことがあたえる均整。
何かがきっかけで現実が押し寄せてくる。その現実に押されて動けなくなってしまう。毎日って、あやうい均整に辛うじて保たれているだけ。逆に、くずれる きっかけを待っていたのかもしれない。そんなことを考えていることに自分にも気が付く。 変わった空気の本。

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2008年12月16日 (火)

釣狐

覚書
心に残る舞台というものには、今までに何度か出合ってきた。
先週、ある舞台を観た。この舞台をみることができて本当に本当によかったと思った。幸せだ思った。そういう舞台であった。
舞台はもちろん、この日にいたるまでの演者の道のり、過程をも 思い 感慨ひとしおであった。 とてもすばらしいものであった。手に汗を握って鑑賞した。狐の気持ちになって、何一つ見逃したくないという集中力で、舞台をみつめた。75分という大曲であったが、ちっとも長くなかった。 演じきった演者2人が幕に入る。静かで深い拍手がずっと続いた。なんだか拍手をやめたくなかった。 ブラボーーというスタンディングオベーションのような大喝采とは異なる、なんともいえない いい拍手であった。 狐の健闘をたたえ、猟師と狐の対決をたたえ、釣狐という大曲に向かった演者への拍手であったように思う。迫力の舞台をみせてもらった観客からのお礼の拍手。心をこめて拍手した。
国立能楽堂25周年記念の特別公演の一環で、12月10日に国立能楽堂で育った30~40代の能楽師を中心とした、若手研鑽の公演があった。夜の部を鑑賞した。演目は、「鶏聟」「中の舞」「釣狐」。
「釣狐」は、狂言師として最終課題であり、狂言の最高秘曲といわれる大曲だそうだ。
「猿に始まり、狐に終わる」
「靭猿(うつぼざる)」の小猿の役で初舞台を踏んだ者が、「釣狐」の老狐を演じることでひとまわりとなる。修行の様子を表した言葉だそうだ。
大曲・秘曲としての位も格も備えたこの曲は、演じる人間にとっては、体力と気力の限界に挑戦する曲でもあるそうだ。
2006年の12月、はじめて「釣狐」を観た。いままでみてきた狂言と、まったく異なるその舞台に仰天した。師匠が、その大曲に挑戦されるという。当日にいたるまでのストーリーも加味され、とても思い出深いものであった。
舞台が終わり、脱力したようになった。 すごいものをみたなと。 今、この舞台をみることができてうれしい。今だからこそ、心にひびくものがあった。いくつもの舞台をみてきて、すごさが少しはわかるようになった。
白蔵主という人の姿に化けて でてくる狐。足や手は、狐のそれである。狐の装束の上に、人間の装束をつけ、面をつけている。 白蔵主という猟師の叔父に化ける狐。繰り返し繰り返し、わが身の姿を見て 人にみえるかどうか確かめる。念入りに確かめることにより、年を重ねた狐だと思った。安心しないからこそ、生き残ってきたのだと。
狐の動作を押し殺そうとする。しかし、あれは狐であった。狐としての生々しさ。その違和感。何がおこるのだろうという前兆ぶりがいい。
そして、こんなにわかりやすい形で人の振りをするといことの表現方法の難しさに驚く。 
人になって人前にでようとする狐の、緊張がよく伝わってきた。一挙手一投足、力が入り、息苦しいほど。その緊張は悪い感じではない。もう殺生はやめるという猟師。その言葉だけでは納得しない狐。 殺生のおろかさを説き聞かせる。 背後から、腰をかけるために用意にした床机に、驚く。みているこちらも一緒にドキっとした。 力の入る説法。入れば入るほど 猟師に疑問の火が灯る。目の前で罠を捨てさせる。今捨てろとせまる。 あつくなるが為、我を忘れる狐と、そのきっかけで冷静になる猟師。ひとつひとつのきっかけが、積み重なっていく感じが面白かった。
狐を受けて立つ猟師。 萬斎師の演じる猟師は、すっと狐を叔父だと信じた。徐々に疑いが浮かぶ。 あれは、狐だ!と気づいてからの勢いがすごかった。着々と狐を追い詰めていく緊張感が見事だった。怖くて、みているこちらの気配を殺したい気がした。
帰り道に、捨ててある罠に、エサがついていることに気がつく狐。こんなうまそうな餌をつけたまま捨てるとは。説得に成功し意気揚々と古巣に帰るはずが、どうしても帰ることができない。そこにエサがあるから。罠のエサとわかっているのに。 帰ろう、帰ろうといいきかせても、どうしても放っておくことができない。帰ればいいのにと祈るように思いながらみた。 罠からエサだけとってやろうと決意する。それには、こんな人の衣はいらない。このあおみどりを脱ぎ捨て、戻ってくると、狐は一度幕に入る。 この間も不思議な気分の時間であった。 狐になって戻ってくる。今度は、全身毛の衣。急に大きく感じた。エサをとろうとする狐。罠にかけてやろうとする猟師。その対決は互角で、一歩もひけをとらないという緊迫したものであった。シートン動物記の描写のよう。 生き物の本能で、エサを取ろうする葛藤が、全く 滑稽には感じられなかった。 一度は罠にかかるが、そこから逃れきる。幕に入ってからの鳴き声が耳に残る。姿が見えない声だけの方が、逆に本能とせめぎあった狐が出ているように思えた。
こんなに真剣に舞台を堪能することができるのだと、驚いた。
全身で観た。感じた。心に残る舞台となった。

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遠山桜天保日記

覚書
先日、国立劇場で「遠山桜天保日記」をみてきました。
尾花屋小三郎 後に祐天小僧小吉の菊之助さん。ぼうず役の時の美しいこと。 花道横(花外)の席でした。いいかおりがしました。柑橘系かな。
時蔵さんは歩き方ひとつで、ちゃんと年をとります。 お白州なのに、お久しぶりでありんすとか、小三郎の菊之助さんと いちゃつくとことか、のんきでよかった。
菊五郎さんは、遠山の金さんと、悪党 角太夫。しかも、悪党は、按摩にばけたりする。休憩時間に、後ろのおばちゃまたちが、「いい人か悪い人かわかんないわ」と言ってました。 おばちゃまたちは、黒御簾から洋ものの盗人曲を長唄さんが奏でると大笑い、金さんがでてきたら、大喜びと うらやましくなるほど?!楽しそうでした。
菊五郎さんはいっぱいでてくるのですが、松也くんや亀寿きんなど あれ?これだけ?という方が多く、もったいない。もっともっとみんなに活躍して欲しかったです。(松緑さんは活躍してました。)うわぁ、って思いはじめたところで暗転。(暗転が多かったです。) 立ち廻りも、配置具合が美しかった。出の雰囲気も渋く、なにやらはじまりそうでいい感じ。 でも短い。いつも、すばらしく、たっぷりしていたので、どうしても長くたっぷりしたものをって期待しちゃう。 明るく楽しい演目でした。 それでも、もっと金さんを、もっと みんなに出番を、もっと立ち廻りを、 もっと~ って気分にもなりました。

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2008年12月15日 (月)

おのおのがた、歌舞伎座へ討ち入りでござる

十二月十四日。今年の歌舞伎鑑賞納めをしてまいりました。歌舞伎座百二十年 十二月大歌舞伎 昼夜鑑賞。
鐡之助さんと、歌江さんが休演されていました。国立劇場では、権一さんが休演。心配です。
昼の部、3階大賑わい。今月は、楽しみ度が少しおさえめで、昼夜3階B。そんな気分で、開演ギリギリに駆け込む。 昼の部はまんべんなく面白ろうございました。いやぁ失礼しました。 まず、「高時」。道成寺の舞づくしで出てくる「北条高時 天狗の舞」です。梅玉さんは横柄なのがよく似合う。控え目なのがよく似合う魁春さんが、衣笠。天狗さん達の動きも、機敏で、振り回し方がすごいの。面白かった!天狗の真似をして踊る高時の、微妙なずれ具合がうまい。天狗たち、好き勝手でした。博多で海老蔵さんの高時をみたときに、楽屋で、天狗をやっていた人怒られないかしらと余計な心配しましたが、今回のからかい方もすごいです。人でないものでした。これ、面白い演目ですね。
続いて、三津五郎さんの「京鹿子娘道成寺」これが、シンプルで美しい道成寺でした。余計な装飾(感情とか)がなく、基本の美しさみたいなものを感じました。(道行で常磐津を用いる坂東流ならではの特別なものらしいので、よくわからないけれど。)クラッシックでシンプルで正統派ってこういうのかもと思いました。白拍子花子は、ちょっとなまめかしくもありました。きれいで、きれいさに飽きない舞でした。
昼の最後は、「佐倉義民伝」。なんだか、泣かせようとしてる話でしょと斜めな視線でみていたのですが・・・うっかり泣いちゃった。しかも結構ぼろぼろと。幸四郎さん演じる宗吾をみて、段四郎さんが「だんなしゃま、だんなしゃま~」っていうのがかわいらしかった。きゅーんとしました。  
116 休憩。雨だし、ご飯も 飲み物も おやつも おうちから持ってきたので、ずっと歌舞伎座にいました。カレーコーナーのカウンターに一度座ってみたかったの。蝶ネクタイした、寡黙そうなおじさまが一人で黙々と働いているので。誰もいないわ。チャンス到来!ホットコーヒーを飲んでみました。そうしたら、ビスケットがついてきました(マリーの) おまけ?特別? 壁に、開演前サービス クッキー付きって書いてありました。私にだけのサービスでなく、開演前特別サービスでした(あたりまえ)。 こういう、ちょっとしたおまけに出会うとうれしくなります。おすすめ。 (相変わらず、おいしそうな画像にならないけど)
さて、夜の部。3階は、わりと空席ぎみ。 そこへ外国の若者が沢山現われました。40人位いました。何?何?何祭り? 大きい体なので、ぎゅうぎゅうでした。寒い鳥かごの中の小鳥みたいに肩寄せ合ってました。いろいろおかしいので、ついつい観察しちゃいました。  まずは、「名鷹誉石切(なもたかしほまれのいしきり)」石切梶原です。これ、外国の方には難しいのでは?イヤホンガイドは借りているみたいですが。案の定、真後ろの外人さんがいびきをかき出しました。仲間がおこしてました。しょうがないかな。(舞台でも寝ていてグラグラしている人が!あれはしょうがなくない!) 富十郎さんはちっちゃいのに、えらそうにみえます。声も大きい。でも前は、もっとでていたような。奴鷹平として鷹之資ちゃん登場。まるまるぷりぷりしてました。娘梢の魁春さん、動きがかわいい。段四郎さんの六郎太夫、よかったです。囚人呑助は、家橘ちゃん。酒づくしの言葉遊びっていうより、酒の間違いで死罪になっちゃったことへのボヤキっぽくて、おかしかった。新しいわ。 
次に「高坏」これには、外人さん大喜び。笑い声がたくさんあがってました。よかった。(←何故?)次郎冠者は、染五郎さん。うまいね。さすが。
最後は、「籠釣瓶花街酔醒」 佐野次郎左衛門さん、九重に惚れればよかったのに。東蔵さんの九重は情にあつそうでしたもの。八ツ橋花魁は福助さん。初菊で児太郎くんが出てきてびっくり。初菊花魁よ。ちょっと いかがわしい感じがしました。どうなのかなぁ。 下男治六は、段四郎さん。荷物をかついだ姿が、ほっそりしていてびっくり。さっきまで、大きくみえたのに。役者ですね。 幸四郎さんの佐野次郎左衛門、顔に景気よくあばたを書いていました。満座の中、振られたときのみすぼらしいこと。後ろの外人くんが、はぁーっと大きなため息をついていました。梶原でイビキかいてた人なのに。それだけ、感じがでていたのでしょうね。かなり大きい人で、座席にみっしりつまっていて、背中ごしに感情がかなり伝わってきました。 3階の前の方にいた外人くんたち(6~7人)は、八ツ橋縁切りの場で、かえっていきました。えーーーそこまでみたのに・・・ ふられっぱなし。しかも、その中の一人は笠地蔵にあげそうな、笠をかぶってかえっていきました。すごく、人に興味をもたす人々でした。 今日は、大向こうがすごかったです。特に、高麗屋。染五郎さんには「染高麗~」って意気揚揚とかけてました。まぁ2人いるけどさ。 高麗屋でいいのじゃないかしら。いちいちわけなくっても。(←文句じゃないです) とても、好きなのでしょうね。高麗屋への掛声率が高かったもの。 「花魁、そりゃ そでなかろう」という台詞の前で、まってました!と掛けたときは、?と思いました。振られまち? 見せ場だけれどもね。
舞台も、客席も、大向こうも、何もかも堪能してきました。 これで、今年の歌舞伎納めです。 今年も楽しかった。 ありがとーーーー♪ 

おまけ
2月の演目がでてました。身を乗り出してみてきました。。
117 さぁ、読めるもんなら、読んでごらん! by残飯フォトグラファー (ボケボケ)

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2008年12月13日 (土)

生誕祭&金さん祭り&忠臣蔵祭

先週末は、おさるとカッパの生誕記念日。同じ年同じ月同じ日に生まれた奇跡を祝うため?!プチ旅行にでました。横浜から半蔵門へ、一泊二日の旅。みっちりと楽しんでまいりました。
昨日出発!平日昼間にしか行くことのできない、お肉のおいしいお店で昼食。(「牛幸」は、夜も営業してますが値段の壁にはばまれ行くことかなわず) もちろんお肉をいただく。こんなにおいしいハンバーグ、はじめて食べました。 お洋服にしみついたお肉臭を飛ばすために!?テクテクあるく。いいお天気なので、きもちいい。茅場町のお店から、水天宮、人形町、浜町へ。東京洋菓子倶楽部というクラシックなケーキやさんでケーキを購入。そのまま三越まで。けっこうなお散歩。ミカドコーヒーで、なつかしのモカソフトに舌鼓。お互い職場でおつかいにいった思い出の味。おいしい。三越新館のよく通ったお洋服やで柄違いの指輪を購入。生誕祝だものね。
いざ 半蔵門へ。(今度は地下鉄。) ホテルでのんびりし今日のメインイベント 国立劇場へ! 金さん祭り鑑賞。これはまた、別途。
終演後、目と鼻の先のホテルへもどる。ラックチーン。いつもこんな風ならいいのになぁ。このホテルのバーラウンジは皇居と東京タワーと国立劇場が見えるすてきなトコ。あれこれ話しつつ夕食&フリードリンクを堪能。カクテルなんかもたっぷりいただく。お泊りですしね。 その後も お部屋で、ケーキを食べたり、プレゼント交換をしたり。夜中まで、笑いつづけました。
明朝、皇居と国立劇場をみながら朝食。チェックアウト。国立の伝統芸能資料館で干支の動物展を鑑賞し、歌舞友と親交をあたためる。猪のかぶりもの、ちいさかったです。目つきが、家橘さんぽい?!トラはふわふわでした。知っているあれこれを、近くでみることができます。どれもこれもキュートです。
歌舞友と別れ、上野へ。ジャイアントパンダ(本当にジャイアント)がいる、パンダ橋をわたり、東京国立博物館へ。今日は この周辺でたっぷり遊ぶのであります。まずは、常設展の浮世絵コーナーへ。今日のお目当ては浮世絵。仮名手本忠臣蔵特集ですぞ!
葛飾北斎筆  初段/二段目/三段目/四段目/五段目/六段目/七段目
歌川国芳筆  八段目/九段目/十段目/十一段目/十二段目
見よ!この豪華なラインナップ!これは、勘平、力弥と興味深く鑑賞しました。ちゃんと猪もいます。 その上、今日は 関容子さんの「仮名手本忠臣蔵をめぐる、歌舞伎とっときの話」という講演会がありました。忠臣蔵がかかるたびに『芸づくし忠臣蔵』を読みなおすわたくしにとって、ワクワクの企画であります。お話は、ほとんど本に書かれたものでしたが、関容子さんご自身からのお話は楽しかった。普通のおばさまでした。トークの達人というわけでもない。でも、歌舞伎が好き、面白くて仕方のないという心が伝わりました。歌舞伎が好きでしかたない。ばっさりと切り捨てる論評をする気はない。面白いと思うことを伝えたい、思ってもらいたいと話してらっしゃいました。いのししに入っている人も、みんな好き、とにかく気になったことを、聞きに行っちゃうとのこと。かわいらしい方でした。関さんの本を読むと、歌舞伎がみたくなりますし、役者が好きになります。1時間30分の持ち時間では、時間が足りず、7段目は飛ばしてました。当日参加で、別途の費用もかからず、お得でした。
歌舞伎衣装や、根付や、仏像や、陶器・・・ これ見て、あれ見てと指さしあいつつ 鑑賞。
お昼は、スープにライスに数量限定のビーフシチュー。(とビール)。おいしい。今日のお昼も夕食のようなしっかりとした食事になりました。 ビバ東京国立博物館!
東博の敷地の隣にある、気になっていた建物にもいってきました。「黒田記念館」ここは、黒田清輝の作品があります。帝国美術院付属美術研究所跡。その研究所のようすと黒田の作品が展示。建物も素敵です。黒田の作品の色のやわらかい美しさにおどろきました。湖畔が展示されていました。この絵のやわらかさ、美しさ、大きさに驚く。写真にはこの良さが全然でていません。 前を通ったことは何度かあったのですが、このような施設だったとは。いいところです。木・土の13:00~16:00のみ公開。
そして、隣の国際子ども図書館で。ここの建物は本当にすてき。舞踏会でもひらけそう。外国にいるみたいな気持ちになります。旧帝国図書館だったここは、すばらしい建物を実にうまく保存しています。本来の建物をくるむように、透明な壁の建物をたてています。老朽化した部分を保護し、そのまま使用できるものは活かす。100年前に造られたルネッサンス様式の西洋館も、これなら今でも使用しつつ保存できます。おさると、歌舞伎座もこうすればいい!と熱く語りました。特別展「童画の世界 -絵雑誌とその画家たち-」にもいってきました。今でも欲しい絵本がたくさん。デザインのかっこよいこと。 絵本が沢山ある図書館。子供の視線にぴったりの低い本棚。子供がたくさん絵本を読んでいて、ガヤガヤさわがしくて、あったかい雰囲気。自分たちの読んできた絵本がたくさんありました。のんびり座り込んで読みたくなった。いい部屋。子供たちよ、たくさん本をよもうね。何度もよもうね。本ってすごい。
帰りに横浜で夕食。ライオンにて(またビール?!)。抽選券を得る。これでハワイに!と意気込む。(2人ともティッシュでした。)
あー楽しかった。 たっぷり遊びました。 おさるありがと & お誕生日おめでと。 

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2008年12月 8日 (月)

『THE MANZAI 1~4』

覚書
あさのあつこ『THE MANZAI 』(ピュアフル文庫)を4冊読みました。子供もの好きの心に、直球でドーンとくる作品。
中学生の少年が主人公。母親の実家のある、大阪に転向してくる。
前の学校で、いろいろあったモヤモヤを抱えている少年、瀬田歩。新しい学校には、それを吹き飛ばすような少年、秋本貴史が待っていた。吹き飛ばすどころか、その勢いのある風に巻き込まれ翻弄する。でも、その翻弄は、案外いいものであった。
体のやたらでかい少年、秋本貴史に呼び出される。転校早々いじめられるのかショックを受けでも、やられっぱなしはイヤだという気概で その場所に向かう瀬田歩。ところがそれは、漫才のコンビを組んでくれ!という申し出だった。
人気者になりたい要素なんか、一つも持たない主人公のアユムは、とまどいながらも、その誘いにのせられ、まきこまれ、かけがえのない友を得、友のために必死になる。子供のころって、友人との関係が日々のくらしで一番大切なこと。そのためにおびえ、振り回される。わかるなぁ。その感じ。臆病さ。
あかるく見える少年も、おとなしそうな少女も、賢そうな女子も、秀才の男子も、何か抱えてる。抱えつつ、がんばってる。相談するのも、頼るのも、下手くそで、とにかくがんばってる。 子供のときって、まぁいいやってあきらめたりしない。どうしようどうしようとと、おろおろしつつも、一人で戦う。どうにもならなく、どんどんずれていっちゃうけどね。 あぁ、こういえばいいのにとヤキモキしつつも、その要領の悪さがまぶしかったりもする。
大人ってきたない。外でいい顔しても、心は違う。くちさがのない言葉が、周りを傷つけ、子供に暗い影を落とす。 子供も、苦労している子の方が、心が大きく優しいのかもしれない。子供に苦労をかけていると、心配している親御さんは、そんなこと気にせず とにかく必死でがんばれと思った。
誰かにとって、必要だと思われることが、どれだけ勇気をあたえてくれるか。一人ぼっちになりたくないから 一緒にいるのではない。一緒にいたい、話たい、聞きたい、そっとしておきたい、そういう存在を大事に思う仲間がいるってことが、どれだけ大きいかとい力になるのかよくわかる。ちょっとまぶしいほど。
あと、子供のときって男女平等だなと思った。。
恋とかも、かわいい。あったかい本です。

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2008年12月 7日 (日)

タナからボタモチ

115 写真にとると、なんでも残飯のように見えるという特技を持つマイチィ☆です。←これ、おさるのおかげで得たおもち。うれしかったのですが、やはり、おいしそうにみえません。おいしかったし、うれしかったのになぁ。

最近、海老蔵さんのTV出演がたくさんあります。 徹子の部屋は、徹子さんがすごかった! オーラの泉では、最近 海老蔵さんは 大人になっておりこうなコメントが多いなぁと 何故かさみしく思っていたわたくしを喜ばせるコメントがたくさん。愛らしかった&面白かった! 今晩のおしゃれイズムは・・・ すごいなぁ。そうよ、これよこれ!この感じよ!とっぴょうしもなく、超人ですね。好き♪ 
南座観劇は、あきらめました。うーん、やっぱりみたいなぁとウズウズしていましたが、その気持ちが、落ち着く面白さでした。 1月を楽しみにします。
あー すごかったなぁ。大笑いしちゃった。 そして、ステキ♪

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源平布引滝 ~色っぽいぜ義賢~

覚書
いってきました、文楽。源平布引滝。義賢館の段. 矢橋の段. 竹生島遊覧の段. 九郎助内の段.上演。これは、9月演舞場で何度もみた演目ではないですか!すっかり夢中になった桐竹勘十郎さんご出演ですし。意気込んで切符をとりました。1番前にて鑑賞。 うふ♪  演舞場の配役を思いだし、これは松也くんね、これは海老蔵さんねと思いつつ鑑賞。
かっこいい!義賢。色っぽかったです。というより、色っぺー。 田村正和がなんとかで候みたいな、目をつむったお芝居をしたとき、彼はきっとこういうイメージものをやりたかったのだろうなと関係ないことまで思いましたことよ。ぞくぞくしました。そのあとの段は、ちょっと気が抜けてしまったほど。あー格好よかった。
『義賢館』は、38年ぶりの上演だとか。筋書きで知りました。こんなかっこいい見せ所満載なのに、あまりかからないのですね。なぜでしょう。文楽はまだ片手で数えるほどしかみたことがありません(たしか5回目)ので、よくわかりませんけれども。
もうひとつ驚いたこと。国立劇場の今年最後の文楽・東京公演。年末は、明日の文楽を担う中堅・若手中心の舞台だそうです。勘十郎さんや和生さんは、中堅・若手なの?!(ベテランにみえます。若々しいベテラン。) おまけに、みた日が初日だったことにもびっくり。
もう、人形とか、人形遣いとか、そういうのを超えた、なんすごいものになってました。特に、義賢。あの気迫。魂の叫びを、しっかり受け止めました。なんかもう、語りがフランス語になっていても気持ちはわかりそうなほど伝わると思う程のものがありました。変なたとえですが。 小まんは、吉田和生さん。これが、またけなげ。かいがいしく、熱い魂。なんでしょう、この2人(木曽義賢と小まん)は、人を前のめりにさせるような、ええっと見入ってしまうような何かがあります。
文楽って、全部義太夫さんが話すのですね、あたりまえだけど。しみじみそう思った。一言も、離さないのに、表情もそう変わらないのに、なんで、あんなに細やかで、風情があるのでしょう。 あと、人形って大きい。サイズがね。毎回驚いちゃう。
人形だからこそ、できるいろいろなことが面白かった。襟首つかんで持ちあげちゃうとか、投げ飛ばしちゃうとか、首を もいじゃうとか。とにかく、義賢館が面白かった。九郎助が槍を持って戦うとこなんて、手をたたいて喜びたくなっちゃった。だって、本当にやっつけちゃうのだもの。九郎助は、玉也さん。わしの辞書に加減という文字はない!という戦いっぷり。みているこっちがよけてしまいそう。ぶんぶん槍を振り回してました。矢橋で、小まんが戦うのも、なかなか。歌舞伎の花の枝で優雅に戦うのより、ずっとアクティブでびっくり。いやぁ面白かった。
竹生島遊覧の段の小まんを助けるところも、すごい。湖上にうきつ沈みつの小まんとか、なるほどの工夫。斬り落とした腕がうかぶところなんて、ほぉと思いました。 九郎助内の段は、歌舞伎でいう実盛のところ。本当に、同じ。(といいますか、歌舞伎がいいとこ取りしているのですが。) 運ばれてきた死がいである小まんが、一念で一時生き返るところが、歌舞伎のようにとっぴょうしもなく感じなかった。ぐっときました。瀬尾十郎が、孫に手柄をとらすために、首を落とさせるところは、大迫力。は最後、馬上の実盛素敵でした。
とにもかくにも、義賢館です。追ってとして背後から迫る進野次郎宗政。自分の腹に刀を差し、進野次郎共々串刺しにする。人形なので、本当に腹に刀を差すのです!ぐえーーーと思いつつ見る。途中で、髪がほどけ、バラリとなる。そこが色っぽい。刀を杖に、よろめきながらも立ち上がり、空を見つめ、ばったりと倒れ、階段にくずれおちる。(←ここが、歌舞伎の仏倒しにとりいれられたのでしょうか)。 ここ!ここがとにかく忘れられません。かっこいいー色っぺー。 桐竹勘十郎さんに、トキメキです。

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2008年12月 4日 (木)

『世界音痴』

覚書
おさるに貸していただいた、穂村弘『世界音痴』(小学館)を読む。面白い。2日くらいしてまた読んでみた。面白い。短歌をつくる人って あの文字数にいたるまでの思いは大きいということは容易に想像できるのですが、世界ができていないと短歌も おはなしも何もできないのだなと思った。これは、エッセイなので、非常にくだけていて、フニャフニャな人となりを、よくもまあってほど紹介してある。そのヘンテコさの中でも、独特な世界感はすごい。
超ダメダメエッセイ。
飲み会で、自然に会話するのがいかに困難か。だいたいにおいて、自然にっていうのが難しい。あぁ、我がことのようだと思いつつ、うまいこと書くなと思う。ここまでじゃないと思うところと、わたしのことと思うところに、揉まれつつよむ。世界音痴ってすごい言葉。
ご自身のものと、歌人の短歌がのっている。短歌も面白いなと思った。

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『もしもし、運命の人ですか。』

覚書
穂村弘『もしもし、運命の人ですか。』(メディアファクトリー)を読む。去年くらいに出版された新しいもの(2007年3月)。文庫化されたら 改めて買おうと思い、今回は借りてみました。デザインは仲條正義。洒落てる。そして、穂村さんも洒落た感じになってきたと思う。ダメダメっぷりが弱まった。あの一人で世界の外側にたたずんでいる感じ、まるで、世界の内側にいるかのような顔をして、外側にいることを、ものすごく意識したあの感じが、落ち着いてきました。おいてかれた感あり。
それでも、いろいろ勝手に妄想する世界は、面白かった。題のつけ方のうまい人だな。歌人ってすごいな。

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ウィンク? ムンク? モンク。

昨年の夏、青山ブックセンターでのサイン会で、岸本佐知子さんにサインしていただくため、ご本人の前に立ったワクワクのわたくしの前に、立ちはだかった男、それは松田哲夫。 一生に一度の機会を奪った憎いあんちくしょう。
サイン会会場で、やっと私の番になりました。その時、急にあらわれ、購入したばかりのわたくしの本を勝手に手にとり、何版?だの、夕食の場所のことだのを、目の前に私が存在していないみたいに 岸本さんと話をしだしました。そして、私へのサインの時間は終了。なんなんだ!ちくま書房の人なら、岸本さんと いつでも話せるでしょうに。こちとら、一生に一度なのに。悲しくなった。後で バカっ と憤った。 がっかりした。

そのときほどではないけどね。
今回の、いしいしんじトークショーのときも、どうなの?と思った。
開場への入場時間になるやいなや入ったわたしたち。はしっこだけど3列目に座ってワクワク。いしいしんじさんの登場を待ちました。
開演間際になり、司会の人がいしいしんじさん登場と言ったら、関係者がぞろぞろと入ってきました。タイミング悪いなぁ。これは、たいしたことないけど。慣れてるだろうにと思ったぐらい。 いしいしんじさんのお話が始まり、ほーっと夢中で聞いていると、出版社の全身真っ黒な魔女みたいな人が、横をうろうろしたり、落ち着きがなかった。 前の方に、空いた席があった。トークショー中なのに、端の関のお客さんを、内側につめさせたかと思ったら、その通路横のいい席に自分が座ってました。自分で座るのぉ!ちょっとあきれた。 私の前の席なので、わさわさと うっとうしかった。 結局、魔女は その席から立ち上がり空席になりました。えーなんだそれ。 最後に、遅刻してきた落ち着きのないお客さんが座りました。やれやれ。 その後も、横に控えていた関係者の方々は、いしいしんじさんが、おはなししてるのに、ざわざわしてました。指示を飛ばす声がうるさいっちゅうねん。静かにしてくれたまえ。
私自身、本にたずさわる仕事をしている人はうらやましく、そういうのもあって 必要以上に 気に障るのかもしれない。
でも、ちょっとひどい。 本が好きで、作家が好きで、めったにない機会を楽しみにしてきている人の心が わからなくなってしまっています。それでは、いけないと思います。

青山ブックセンターはすばらしい本やさんです。企画もウキウキするものばかり。すぐに満員になるはずです。これからも楽しみにしています。

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2008年12月 2日 (火)

いしいしんじトークショー 於;ABC

覚書
三渓園で 明治時代の金持ちを堪能し、横浜へ。夕ご飯並みの量のお昼ごはんを、盛々と食べ腹ごしらえ。いざ、青山へ。今日のメインイベント「いしいしんじトークショー」へ向かうのであった。

青山ブックセンターにて、『四とそれ以上の国』新刊記念のトークショーに参加。満員御礼。おさるの手配でつつがなく参加。さんきゅ。
横浜トリエンナーレのリングドームでのイベントでは、赤パン(赤いパンツ着用)でした。この日は桃パン。やっぱり、普通じゃないわ。すてき。
この日も横トリのときのように、即興小説書きがありました。この間は、どうなるのこの話とハラハラしましたが、見事におさまったのを知っている今回は、お話のみえない行く末に安心して身をゆだねました。変なゆるーい緊迫感が漂い面白い。 書いた原稿は無造作に床に落とす。縦書きでした。5枚の紙に書きあげ、完了。 帰りに参加者に、その即興小説のコピーをプレゼント。うれしい。お宝です。 でもね、どれか1枚なの。どれがあたるかお楽しみっていうのが いかしてる。私は最後のページをいただきました。おはなしは、用紙の半分しか書いてありませんが、その変わりにオワリって書いてあります。そこがうれしい。
質問コーナーもあり。 ちょっと?の質問にも、プロの物書きが答えるとすこぶる楽しい。
最初から最後まで、ずっと一人で おはなししてました。余計な質問も合いの手も必要なかった。おみごと。面白かった。
即興小説の中で、よしもとばななさんの新刊について触れました。すばらしい本です。今年のNo1だと言っていました。だけれども、週刊ブックレビュー出演の折には、違う本を薦めたとか。なぜならば、その番組は、本の内容について語りあうものだから。新刊は未読の人が多く ふさわしくないとのこと。その毅然とした対処に、「こちとら 伊達や酔狂で 本を書いているんじゃぁ ありゃしないぜぇ」 といったプロの姿をみました。いろんなところで、チラチラと おおーっ と思う部分を みせてもらいました。いかしてる男子です。好きです。
①自分の話 
②即興小説  - 会場が、現実から離れてしまう
③質疑応答  - ボーっとした会場を、引き戻す
最後、現実への調整をして全部で1時間半の予定です、とその日の構成について、先に説明してくれました。プロはどんな場でも、みごとに構成できるのだな。きっと人生も。

終了後、サイン会。コトリちゃんを描いていただく。本当に、一冊づつ違うのイラストを描くのね。前の人はクワガタみたいなのでした。後ろのおさるは、ペンギンでした。うれしい。コトリが好きになりそう。コトリのついているものを買ってしまいそう。『四とそれ以上の国』は四国のことだそうです。読むのが楽しみ♪
サイン本を胸に抱え、再び横浜へ。みなとみらいへ。デートの人ばかりのロマンティックなお店で夕食。観覧車とかいろいろなものがキラキラしているのをみながら、いただく。生演奏もはじまり非常にムーディ(勝山)。 女子ならば、白くてフワフワした服を来て こういう所で ご馳走してもらうべきだわ と言いつつ、おさると 食べきれないほどの食事をいただく。いろいろな分野で満腹の一日でした。

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横浜三回忌 ~三渓園 鑑賞編~

覚書
ある晴れた日、横浜トリエンナーレ2008へいってきました。(三浦しをん好きにとっては「横浜三回忌」。)ちょっとはなれたエリアにある三渓園へ。
横浜トリエンナーレ千穐楽?! じゃなく、最終日に おさると繰り出しました。11月は、2度 三渓園を訪れる。バスだけという交通の便が悪いので、なかなか足が向かない。どちらも晴天の大当たりの日でした。紅葉を愛で、アートに触れてきました。
一番の感想。三渓園はすごい。 
横浜三渓園は明治時代に生糸貿易で財をなした、原三渓(原富太郎)が造った広さ175000㎡もある庭園とのこと。園内には京都や鎌倉から移築した重要文化財の歴史的建造物ほか、狩野派の襖絵など素晴らしい文化財が点在しているそうです。そうだったのね。庭園内の10の建造物は国の重要文化財に、3つの建造物は市の重要文化財に指定されているとのこと。ほぉ。三溪園自体が国から名勝地の指定を受けているとのこと。ほぉ。ほぉ。そんなすごいところ。 「コレいいな、うちに移築しておいて。」と原三渓エチュードしながら、おさると園内を歩きました。柿の実を沢山つけた木とかが似合うの。三渓園が開園されて、102年だそうです。お金もちはこういう風にお金をつかうべきだねと、おさるが言うのを聞き うなづく。森ビル建てても、100年後にすばらしいと思うだろうかってことね。ビバ三渓園。
さて、横浜トリエンナーレについて。
中谷芙二子「雨月物語--懸崖の滝」 Fogfalls #47670
110_2 109_3 「雨月物語―懸崖(けんがい)の滝」と題したこの作品は、旧東慶寺仏殿近くに霧で幻の滝をつくったもの。中谷芙二子さんは、《霧の彫刻》を始めて制作したのは、大阪万博のペプシ館だそうです。歴史があるスタイルだったのですね。 小川のようなところに突如霧が発生する。空は真っ青、いいお天気なのに、急にあやしい雰囲気になる。木々の間から、霧に向かって指す光が美しい。幻想的でみとれる。(写真より、ずっときれいでした。もう一枚の写真は、小鳥ちゃんとのコラボ) 人工的なものとは、思えない。足もとはぬかるみ、少し前が見えないほどの霧。横の竹林も怪しい雰囲気を増す。かぐや姫の入った竹とかを、うっかりみつけてしまいそうな感じ。(みつけちゃったらどうしたらいいのだろう。姫を育てることは困難なので。光っていたら放っておけないし。)  怖い。だけれども何なのか見ていたいという きれいさ。 突然霧が晴れる。あたりははっきりわかる。人工的な光が、バッバッとフラッシュする。 帰りに通ったら、また霧に囲まれていました。 「霧の彫刻家」のつくる世界は、わからなくてもきれいでした。これ、好き。
内藤 礼「無題(母型)2008年」・横笛庵
初音茶屋から、寒霞橋を渡った奥にある田舎屋風の草庵「横笛庵」。なんと美しい言葉の並びでしょう。(そのような雅な感じはわからなかったけれど。) 高倉天皇中宮、建礼門院に仕えた「横笛」と平重盛の家臣「滝口入道」との有名な悲恋があるそうです。横笛は、寺にこもり入道から送られて来た千束の恋文をもって己の像をつくったとのこと。その像が安置されていた庵だそうです。(像は戦争で紛失)
そんな美しい「横笛庵」にあるのが内藤礼の作品。天井から吊るした細い糸が電熱器にの熱で揺らぐという作品。こういっちゃうと、元も子もない気がする。会場のある一箇所からみないと、雰囲気がでない。なんだか、大袈裟でよかった。(これだけのために、ここまでするっていう感じが面白かった。)風にふらふら頼りなく たなびく糸。こういうものに風情を感じるのは私が日本人だからなのね。はかないからこそよいというか。優しい気持ちでふっと微笑んでしまう作品。
ティノ・セーガル(Tino Sehgal)「Kiss」 ・ 旧矢箆原家住宅
111 トリエンナーレのイベントで、いしいしんじさんが、面白かった!と戍井さんに勧めていた作品。それは、これです。灰色の靴下を履いた男女がね!と。(その日のダンサーの靴下は黒でした。) あれ参加してもいいのかな?とまで言っていました。
立派な茅葺屋根の古民家、 旧矢箆原家住宅。まずは、ここを見学。床を踏んでも、手すりを掴んでも、みがきこまれた木の肌が気持ちいい。ここで暮らした人の沢山の記憶が残っていそうな家。2階にあがってみました。屋根と壁の隙間から、暗い室内に差し込む光が、力強く本当に綺麗でした。レーザー光線のように力強いのは、午前中の光だからでしょう。きれい。囲炉裏には火がくべられていました。火もきれい。いぶすことで、防虫効果があるそうです。ずーっと続いた暮らしには、意味があり知恵があします。便利で立派な家にすんで、このような知恵を忘れてしまってよいのでしょうか思いましたが、水を組んで火を起こして米を炊いてということができるかといえば、無理です。すばらしい家でした。
1階で、ティノ・セーガル振り付けによるパフォーマンス。セーガルの作品は、ものとして制作も展示もせず、美術展に来る観客が体験をする状況を設定するものらしい。何もない展示室で人が一人寝転がっていたり、男女がキスをしていたり。作品は記録として残されず、観客の記憶のなかにのみ残るものだそうです。
男女デュエットダンサーが音楽のかからないなか、畳の上で踊る。ずーっとみていたら、振りは決まっているようでした。最初は驚きますが、じっとみているとダンサーの体は美しいなと思いました。 かなり熱烈にからみあう振りなので、民家の中を見学されていたおばさまが「キャッ」と言ったり、ドギマギして部屋にはいらないおじさまがいたり面白かったです。建物の外に、少々過激な表現になっていますと張り紙がありました。外から大声で、「芝居か?練習か?」ときくおじいさんや、ダンサーのそばへ、一人ずかずか入っていって、「欄間がすばらしいわ」と連れの方に大声で言っているおばさまもいました。ボランティアスタッフが、近づく人に小声で「アートのパフォーマンス中です」って説明していました。大変そう。
でてきてから、おさると不快に思うものがある、それは何からくるか考えてみた。私は、日本古来の家屋の中で行われることは、日本古来のものを踏みにじっているような気がするからかもしれないと思った。例えば、英国のピーターラビットの故郷のような典型的なクラシカルな民家で、大駱駝鑑のような白塗りの男女がからみあって踊っていたときに、英国国民が同様の気持ちになるのではということ。意義や意味があっても、生活の基本の場でどうなのと。 素直に、恥ずかしがったり、わからなかったら自分のわかることに置き換えたりする方が素直なのかも。 こんなことを考えること自体 自分をみつめ直すというような意味において、パフォーマンスの主旨にあっていたりして・・・ なんでここで、こんなことをと思い、おおむね面白かったです。
ホルヘ・マキとエドガルド・ルドニツキー(Jorge Macchi and Edgardo Rudnitzky)「薄明」・旧東慶寺仏殿
あーあの貴重な建物は、旧東慶寺仏殿でしたのね。本堂内での20分のパフォーマンス。決められた人数の人がお堂に入る。20分間は、出入り、おしゃべり、移動禁止。しずかにしていなくてないけません。貴重な建物なので、壁や柱によりかかるのもダメ!OKした人だけが、鑑賞者となります。ボランティアの人からの事前注意に、特別派手なパフォーマンスはありません(それでいいですね!)というのがおかしかったです。そのとおりでしたので。対角線状に吊るされたロープづたいに、裸電球のような照明が斜め上から下に移動します。音楽がかかっています。以上。
ホルヘ・マキとエドガルド・ルドニツキー(アルゼンチン)。ブエノスアイレス在住のマキが、構成。ベルリン在住のルドニツキーが音楽らしい。そしてアルゼンチン。うーん何もかもわからない。「時のはかなさ」とかを表しているらしい。うーむ。約20分静かしていた自分も可笑しい。全くわからないけれどイヤではありません。
あれが、旧東慶寺仏殿だったということに一番びっくり。江戸時代初期の建造物だそうでだ。
トリス・ヴォナ=ミッシェル(Tris Vonna-Michell)「むだにともるあかり」・涵花亭
庭園の池の中に橋のかかった島がある。そのあずま。周りからボソボソと声が。いろんな国の言葉でボソボソ。ボランティアのおばさまが、「聞こえているこの声が作品らしいです」と言っていたのが印象的です。そうしかいい様がないなぁ。
以上5作品。「涵花亭」とか きれいな名前だなぁ。三渓園すごい。

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少年よ大志をいだけⅥ

覚書
先週末、西洋美術史 勉強会が開催された。またまたホクホクと参加する。 この勉強会は、いろいろとためになる。西洋美術史についての勉強はもちろん、自分の弱さも しみじみ感じる場にもなっている。毎回 バカみたいに緊張し、委縮し、自信喪失する。とても楽しく、参加して本当によかったと思うのだけれども、そういう自分の弱さを 観察したりもする日となっている。
今回は、講義の聴講側にいた方が、逆にみんなの前で講義をするという新しい取り組みも開始。人前で話すことの難しさを、人ごとながら感じる。
カルロ・クリヴェッリという祭壇画の画家。日本では、名が通っていない。紹介されている本もなかなかない。ロンドンのナショナルギャラリーでカルロ・クリヴェッリのピエタと出会い、立ちすくむほどの衝撃を受けた筆者。私が紹介しないで、誰が紹介する!という情熱で書き上げた本。その本を出版した著者自らの話をきく。話をきいて、カルロ・クリヴェッリへ興味がわいたのと当時に、著者の情熱の傾け方にも興味がわいた。どんな風に追い求めたのだろう。どういう人なのだろうと。
惚れるほどの作品と出会うことのできた幸運がうらやましいと先生がコメントされた。面白いたとえで、愉快に聞いていたが、それは、とても心にひっかかるコメントであった。そのもののために、お金も、時間もつかって、それでも とことん つきつめてみたいものと出会うということは、幸せなことなのだなと。
その後、いつもの先生による講義。 「北方ルネサンス」、「死と生」、「西洋美術に見る影」、「ネオプラトニズム」、「自画像・肖像画」に引き続き、今回のテーマは「構図の時間軸」いままでのまとめのような視点で捕える。 ネオプラトニズムの回に、ボッティチェルリのプリマベーラについて詳しく講義を受けたのに、すらすらと記憶がでてこない。だいたいこんな感じという感覚・筋道は、覚えているのだけれども、それを人に伝わるように説明できるかどうかという違いは大きい。その壁を感じた。そして この作品をみたときの面白みが格段とあがった。
もともと、自分の好みを振りかえってみると、嫌いな絵画というものはない。興味深く見ようとは思わないものはある。けれども、嫌いと感じるものは特にない。 今は、好きな絵画、興味のある絵画がどんどん増えている。あれもこれも見たい。とにかく見たい。そういう時期なのかもしれない。 以前は、宗教画はどれも同じようにみえていた。まだ そんなにわからないけれど、モチーフの意味するものなど、興味ポイントが増えてきて、断然面白い。
自分の大きな壁は、人に伝えることが下手すぎるということ。面白さを知ったら、自分の好きな人には そのことを伝えてみたいと思う。自分の意見に同意して欲しいわけではない。紹介してみたい。けれど、これは難しい。押し付けるのでなく、小難しくなく、ただ まっとうに表現することの大切さ・難しさ。それを、しみじみ感じる。
「面白い」と思う。何がそんなに面白いと感じたのか、考えてみることが くせになりつつある。継続の先に上達があることを願おう。
この日、先生が共同で翻訳に携わられた ストイキツァ著の”A Short story of the shadow” 『影の歴史』(ヴィクトル・I.ストイキツァ著 岡田温司、西田兼訳. 平凡社) と、『カルロ・クリヴェッリ マルケに埋もれた祭壇画の詩人』(石井曉子著/講談社出版サーヒ゛スセンター) 2冊を入手。どちらも、サイン本♪ ホクホク持ち帰る。ゆっくり楽しもうと思う。

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レオナール・フジタ展

覚書
もう先月のことになってしまいました。上野の森美術館へ、「レオナール・フジタ展」をみにいってきました。
「素晴らしき乳白色」と言われる藤田の白は本当にきれい。みるたびに思う。(演舞場の2階にも、藤田の画がかかっています。) こんなきれいな白があれば、あのすごい時代のパリでも埋もれずに、藤田という気になる人でいられたのだろうなぁ。
今回の目玉は、「ライオンのいる構図」「犬のいる構図」「争闘I」「争闘II」の4つの連作を日本で初めて一堂に会するというものだったそうです。行ってから知りました。藤田嗣治ってだけで、見に行きましたので。
1992年にパリ郊外の倉庫で発見されたこれらの作品は、縦横3メートルの大作4点。なんと、所在が不明になっていた「幻の作品」だそうです。フランスにて6年の歳月をかけて修復された作品達。これが一挙に並ぶ部屋は、大迫力でした。
この連作は、最晩年を過ごしたエソンヌ県に寄贈されたそうです。エソンヌ県ではこれらを常設展示する美術館の建設を計画中とのこと。どうなるのでしょう。想いが強すぎて、どう飾ったらいいのか手も足も出ないと思った。(展示を頼まれてないけど・・)そんな迫力があります。細密で迫力。うごめいている感じの大作でした。
辛口なことをいえば、本展が日本における最初で最後の一挙公開!とか、世界初公開!とか、盛り上げようとしすぎかな。無理に言わなくとも 見れば、すごさは 感じます。説明程度で結構です。
日本人藤田嗣治でなく、フランス人レオナール・フジタとしてその生涯を終えたレオナール・フジタ。帰化し、カトリックの洗礼を受け改名する。その宗教への思いの強さを、感じたのは、ランス「平和の聖母礼拝堂」。レオナール・フジタ人生最後の仕事として手掛けたのは、ランスにある平和の聖母礼拝堂という教会のフレスコ壁画の習作群。本物は教会にあるのでみるわけにはいきませんが、この礼拝堂の壁画のフレスコ画のための、綿密なデッサンを見る。教会の模様を表した映像を見、実際にこの教会をみてみたいなぁと思う。緑の中、その小さな教会はとても暖かく、きれいでした。風見鶏など、細部にいたるまで自ら装飾を手掛けた、愛を沢山そそいだ教会です。この教会のことを知ることができたことが、うれしかった。 村にあるアトリエ「ラ・メゾン=アトリエ・フジタ」の内部も再現されていました。手作りによる家具や食器、小物、人形がかわいい。自分の身の回りのものを、自分の好きなもので囲む。よい晩年だったのですね。
若く、華やかなパリの時代。才能あふれる画家たちと悩み、苦しみ作品を創っていることそばにいたのは、モデルの美しく魅惑的な女性。 晩年そばにいたのはどんな女性だったのかなと思いながら写真を眺めた。女子として、どの時代に傍にいるのが幸せなのかしらと考えたりしました。(私は晩年派かな。)

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