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2009年2月 2日 (月)

禅:ZEN

映画の日の昨日、「禅:ZEN」をみてきました。坊主まつりでした(不謹慎)。 127分。(←誕生日12/7と一緒!?) 時間の長さは感じませんでした。
禅、宗教をテーマとするため、どうしても説教くさい面が少々出てしまいました。が、勘太郎が払拭しました。すごい。 カリスマ性がありました。この映画は、勘太郎でなければ成立しなかった。それほどの存在を感じました。
映画は、中国の場面から。留学僧として修行の場を求める道元。若さゆえのまっすぐさ。この場のころは、普通の映画でした。 道元は、この人こそ 我が師という人と出会う。人との縁で。 一心に修行を重ねる。座ることで悟りを開く座禅“只管打坐”にたどりつく。 ここらへんから、静かにひきこまれていきました。日本に帰る。強い信念を持つが、けっして強く語らない。名演技というのとは違うよさがあった。勘太郎には、大袈裟でなく淡々と 伝えたいものを、感じさせる力があった。
道元という人物に、京の人々は感じるものがでてくる。  徐々に普及が広まると、それをやっかむ比叡山の襲撃や、戦乱の世 自分が殺めてきた亡霊に惑わされる武将など いかにもありそうなシュチエーションとなる。この場は、ややしらじらしく感じた。音響とか、CGとか、そういうものは逆にいらないと思った。 亡霊に悩む北条時頼には、藤原竜也。この人狂わせたら日本一のうちの一人と思っているので、これはよかった。ただCGはノーサンキュー。 
権力にわずらわされるのならば、道元は、山奥にこもり 修行に打ち込み 現世との交わりを絶ち、ただ己の修練の道で生きていった方が幸せなのでは、と考えながら観た。それは間違い。自分のためだけにあるものは 教えではないから。
勘太郎演じる「道元」には、寺をまもるために役人にあうとか、民に救いを差し伸べるとか、自分のおかれた立場では、こういう行動をおこさなくてはならないというジレンマがない。迷いを生じる必要がなくなるところまで、己と向き合っている。 年齢を重ねた人でない 若者であっても 人がついていきたくなるであろう まっすぐな人であった。道元に、禅に、圧倒された。 中村勘太郎という人は、こんなにすごかったのか。映画の始まりの若い道元のまっすぐさと、映画の終わりの晩年の道元。成長により異なるものもあれば、かわらないものもある。 その人の芯にある”まっすぐさ”は、中村勘太郎という人のなかにもあるのだろうと思った。
おカタイところが、いい映画。

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