« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »

2009年7月25日 (土)

天神祭みたいです。7月24日が宵宮、25日が本宮とか。 「夏祭浪花鑑」のあの祭りは、天神祭のことなのかしらん。ちょうさや ちょうさ。(あれ?よぉうさや よぉうさ?) ちょっと歌舞伎座をのぞいてきちゃった。 気になる 憎いあんちくしょうめ (否 文句)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月23日 (木)

七月大歌舞伎

覚書
歌舞伎座では、毎日毎日 舞台がかかっているのになぁ・・・ と思い気になっていた歌舞伎座へいってきました。海の日にね。 10日ぶり。
夏祭浪花鑑。少しづつかわってきました。 市蔵さんの迫力が増してきました。いい、みすぼらしさ。芝居の上のみすぼらしさ。みごと。 猿弥さんの恰幅もいいねぇ。 勘太郎さんのお辰は、胸の合わせが広くって頼もしい。(たくましい。)間がいいなぁ。少々力がはいりすぎなのが、若々しくっていいかも。 獅童さん、だいぶがんばってきたぎみ。うまく、尻っぱしょりができず、どうするのかなと思ったところ、着物を裂けるほど足を踏ん張ってました。がんばれー。  海老蔵さん、すっきりとした住吉鳥居前の場のとこ大好き。かっこいい。 課題にむかって猛進する様を感じました。人の気をひく男に間違いない。これからも楽しみ。  新十郎・新蔵コンビの健闘っぷりも成田やひいきにはうれしい。特に、新十郎さん。ひさびさに駕籠を担いだり、獅子舞になったり。コレよコレと喜ぶ。
天守物語。芝居ががった大袈裟な感じがいいわ。 これ玉三郎さんじゃないと成立しないかも。 舞台を天守にみたてる階段の使い方がうまい。 人にあらざる者の世界を、素直に楽しむ。 図書さまは、一生 若々しいままだと思う。(きっぱり)
思ったのですが、みんな何かひとこと言いたくなっちゃう舞台だと思います。 若者が挑戦したり、鏡花のように古典的な歌舞伎とは違うものの時は。  玉三郎さんや海老蔵さんの挑戦する舞台は、あれこれ持論を持ち出し何か発言したくなる輩をうむみます。私も含めて。 よくも、悪くも?! 興味をひきよせるのでしょう。 この気分は、なんだろうと考えたくなっちゃう。 そういう空気っておもしろいなぁ。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月21日 (火)

海の日漫画祭

いつものとおり、おさるのおかげで漫画祭り開催。いつも、ありがと。
映画を見に言ってギョエーと思ったMWから。手塚治虫『MW』(全二冊/小学館文庫)。2冊なのね。手塚治虫の描く悪って、こういう方面にも広がるのね。残酷さ具合がすごい。おどろおどろしさでなく、ぞーっとする。人を怖がらせよう、不快にさせようという方向でないところが、なんというか胸の具合が悪くなる。 結城美智雄は、玉木宏よりすごかった。 美智雄さんの銀行の名前は違うのね。時代を感じるわ。歌舞伎役者の血が入っていました。そこの無理な部分だけ、ちょっと一息つけました。助かった。歌舞伎役者は特別なのでなんでもできていいかも。その血が入っていたら。(いいのか。)神父さまが西郷どんみたいな人で、ちょっと驚く。昔は悪だったのね。 映画は映画で新たなシチュエーションを考えていたのね。音とか映像とかなくても、この漫画はとても激しかった。『MW』を読んだおかげで、MWは、Man Woman のことだとわかりました。1冊目の解説に教えられました。2冊目は解説もない。おわちゃったあとの救いのなさを、より強くしました。解説なしというスタイルにも、効果があるのね。
どうしていいのかわからない、この重い気持ちをなんとかしてもらおうと、『かぶく者(5)』(デビッド・宮原&たなか亜希夫/講談社モーニングKC)を読む。すごい。男の子の漫画だ、これ。どええええええの繰り返しで、もうどっちがどっちなのか、どっちが影響を与えているのか、なんだかわけがわからなくなりました。御見物衆としては、こんなに驚くものを人生で、何回かみたい。 四谷怪談のところ、すごい。この舞台どうなるの。ワクワクする。 巻末の「デビ夫流歌舞伎鑑賞術」、わざわざ述べるなら、こういうのにして。つまらんガイド本よ、コレを読んで反省せよ。このぐらい思うことがある人だけ、書いてほしい。 
男の子の漫画のあとには、女の子もの。『本屋の森のあかり(5)』(磯谷友紀/講談社コミックスKiss)。本やなのにこんな働き手いるのか。唖然としつつ、なぜか対策を考えながら読む。どうしても、本をさがしにくい本やってあるな。棚の出版社名のところに張り紙するのだけは、やめてほしい。
最後に、『ファンタジウム(4)』(杉本亜未/講談社モーニングKC)。自分の努力でどうにもならないことを かかえる子供に対して、人はなんて残酷なのだろう。特に大人の。大人の都合って、本当にロクでもない。長見良の底知れぬ哀しさには、何も言葉が出ない。何かできると思うことがおこがましいのだな。言葉を大事に読む。毎回思うけど、本を読んでいるみたいな気分になります。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年7月18日 (土)

『闇色のソプラノ』

北森鴻 『闇色のソプラノ』(文春文庫) を読む。 たっぷりした 深い小説でした。
若くしてこの世を去った童謡詩人。名も知られぬまま、その命を散らした天才童謡詩人の残した作品には、力があった。
その作品に魅せられのめりこむ女子大生桂城真夜子、童謡詩人・樹来たか子、その息子樹来静弥、郷土史研究家・殿村三味、桂城真夜子の彼や、樹来静弥の彼女、病院にきている患者などが、入り組んだ縁で結ばれていく。振り返ってみるとカチリとつじつまがあうように伏線が張られている。幸せとか幸せじゃないとか もうわからなくなってくる。変な方向がある。 
読み手に衝撃をあたえたり、癒しをあたえたりする 樹来たか子の詩「生キモノノ謡」。いい詩歌である。あたりまえのことですが、これも北森鴻 が作ったのですよね。すごいなぁ、北森鴻 。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

金曜日は、8時まで!東京国立近代美術館へ行ってきました。楽しみにしていた、ゴーギャン展。 ポール・ゴーギャンの作品は、荒いタッチのイメージがあったのですが、それは作品の持つ激しさで、実際には、きれいな線で描かれていました。
日本初公開をうたい文句にしている『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』。すごかった。大きさと思いの迫力に驚く。これを描くために、苦悩し、波乱に満ちた茨の道を歩いてきたのかもしれない。そして、これが描けたら死も怖くないかもと、ふと思った。 本物をしっかりと自分の目に焼き付けた後、戻り映像による説明をみて、また本物をみました。たっぷりとスペースがおってあります。相当の混雑を予想しているのでしょう。今日はまだ2週間目なので、少し佇んでいれば、一番前でゆっくりと鑑賞できました。
とにかく、ゴーギャン・ゴーギャン。約50点もの作品。こんなにきれいな色彩だったのかしら。頭の中とのイメージのギャップが楽しい。
展示の最後の方は、晩年の作品。あの大作を描いたあと。『浅瀬(逃走)』という作品に目をひかれた。前の青い馬に乗るのは「死」を意味するものらしい。その「死」に先導されて続く馬の上には、若い勇者。 足元にはきれいな水をたたえた川がある。とても美しいい色の水。死というものを、絶望でも恐れでもなく悲しげにでもなく 描いているようで その死をイメージする川が魅惑的ですらあった。 展示の最後には『女性と白馬』が飾られていた。 激しさは息をひそめ、自然の揺るがない大きさを感じる。絵の上の方、山の中腹に白い小さな十字架が描かれている。ゴーギャンは、この絵が描かれた年になくなり、その白い十字架のもとに埋葬されたそうです。これも、また印象に残った。
画家というものは、激しい人生を生き、人生をけずって作品を作るものなのだ。穏やかに、のんびり暮らすことを放棄し、変わりに生涯、作品のために戦うのだ。彼のもとめた「楽園」というのは、普通のおだやかなものではないのだろうと思った。
満足。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

矢の根、藤娘

昨日、社会人のための歌舞伎鑑賞教室を観てきました。開演前に、ふらっと切符売り場へ。わたしのようにふらっとくる人が数人。サラリーマンとかもいました。いい傾向ですね。お財布にやさしい金額設定もうれしい。いつのまにか、切符代をつりあげる松竹とは大違いだ!(なぜか、松竹の悪口!?)
元まずは、「歌舞伎のみかた」。亀鶴さん、がんばっていました。ディズニー好きの男だなぁ。みんなにわかりやすく、ディズニーに例えてくれているようですが、却って私にはわからないよぉ。スティッチって、何?あの青いのの名前だろうことまではわかるけど。そんな自分が面白かった。
最後に立ち回りを披露。取りかかる捕り手達は、中村翫政さん+研修生諸君だったそうです。研修生くんたちは、来年は歌舞伎役者として活躍します、みなさま注目を!という、亀鶴さんの紹介には、愛があふれていました。よぉし!応援するぞ!と思いましたもの。一番背の高い方は、プロのバレエダンサーとして舞台に立っていたそうです。歌舞伎だ!と一大発起して研修所に入られたそうです。(稚魚の会、今年もやっぱり観にいかねばならぬかもと思いました。) 
「矢の根」 男女蔵もうすこし、声が出るといいのに。もったいない。 大健闘だと思います。荒唐無稽な存在って、いるだけでドーンと何かを訴えなくっちゃならないのだなとしみじみ思う。馬が出てきてからは、大分のびのびされたような。 この一か月を経て、男女蔵さん より どっしりされるのではないでしょうか。 台詞廻しにところどころ團さまの口調がみられました。 最近の、男女蔵さんの活躍をみると、もっと どーんとして見えるかと思いました。芯になる人ってすごいのですね。 丁寧に演じていることが伝わってくる舞台でした。
「藤娘」 ぱっと明かりが入ったときのあのはなやかなこと。何度みても、この瞬間はいいものです。飽きません。梅枝くん、恐るべき21歳。うまいなぁ。手の動きのやわらかいこと。たおやかで、はじらいがあって、丁寧で。いうことない。しいていえば、出来すぎ過ぎ。(変な文句。) 学校で連れてこられた学生諸君には、いい刺激だと思う。なんだかわかんないけど、すごーくきれい。そんな感想をいともたやすく引き出せる舞台でした。3階一番後ろの席から観ましたが、魅せる力がある。 でももうちょっと、風情というか空気があってもいいかな。歌舞伎座でみるときにはあるのに。一人って、芯って、すごいパワーを持っているものなのだなぁ。 もうちょっと、歳を重ねると雰囲気の味がでて最強になるのだろうな。
すがすがしい公演でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月15日 (水)

MW

昨晩、おさると邦非映非連。MWをみてきました。 これ、本当に手塚治虫が描いたの?残忍。そしてどうしてよいか途方にくれる。
元ARB(←つけなくてよいかも)の石橋亮が、一番がんばっていました。中年の星と呼んであげたいくらい。
主役は玉木宏のようだけれども、私の目には、主役は山田に映りました。山田のできなさ加減がぐっときます。 TVもいいけど、断然スクリーンでみたい男です。
玉木宏のというか、結城の殺しの手口は、考え付かない残忍さなの。怖い。怖くて持っていったタオルをみてました。(目をとじると怖いので) 玉木宏は、無駄な肉がなさすぎで、なんでもできすぎで、人じゃないようでした。そこがまた怖い。 一方、山田の選んだ道は神父。ただ祈る。 最後のシーンはえらくかっこうよかった。まさに、神々しかった。
2時間以上もみていたけど、なぜMWと名づけられたのか不明。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『深海のYrr(イール)』(上) (中) (下)

PCが使えなくなってしまい、ちょっとお休みしてました。 なければ なしで生きていられるものですな。でも、回復してくれてよかった。

その間、フランク・シェッツィングの『深海のYrr(イール)』(上) (中) (下)(ハヤカワ文庫)を読みました。
これは、父が買ってきて面白いと喜んでいた本。分厚くて、3冊もので、面白いとくれば言うことなし。おまけに、行数も多い気がします。字がいっぱい。 さっそく、読む。面白い。 なんだか、すごーく大袈裟な本です。そして大袈裟に負けないストーリー。
海に昔からの漁法にこだわりつづけ、一艘の葦舟を出す漁師がいる。静かに始まる。これから予想されるものスゴイことへの予兆を感じさせる出来事が勃発する。愚かな人間が、産業だのなんだのと自然を蝕んだツケが回ってくるというストーリー。 よくある話にならないパワーがある。まさか、この現象とあの現象に関連があるとは・・・ 展開がうまい。
海洋学者たちが沢山登場する。一人一人の個性がはっきりしていて魅力的。その人のダメなところまで、ダメなところこそ、愛おしいというか。
途方もない話なのだが、どこか別世界の話というわけでは決してない。むしろ、恐怖感を身近に感じる。 実際のNEWSで、巨大クラゲが突然大量にあらわれたとか、海水の温度があがったとか 耳にする。ぞーっとする。あの話は、おはなしなんかじゃないのだと。 人間はおろかだ。 とりあえず、街角にあるモニターを全部消したい。資源の使いかたを間違えてます。とにかく、できることを探して、何かせねば。いつの日かじゃなくて、すぐに滅びてしまうかもしれないのだから。
海峡とか、海流の働きのすばらしさを知りました。こういうの地理でならっていたかも。あのときは、ちっとも関心しなかったのだろうな。ありがとう、潮の流れよ。
途中、怖くなって何度か本を閉じちゃった。おそろしい。現実も恐ろしい。 ぐいぐい読ませる本でした。 あと、いかにもハリウッドで映画化されそうな本でした。(案の定、ハリウッドで映画化予定だそうです。) ドイツで、エコミステリーとして大いに売れたらしい。そんなとこにエコをつけなくてよいと思う。そのぐらいしか文句のつけようのない、しっかりと調べあげたのだろうなと思わせる大作でした。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 9日 (木)

『熱血ポンちゃん膝栗毛』

山田詠美さんの『熱血ポンちゃん膝栗毛』(新潮文庫)を読みました。
年齢を重ね、幾分落ち着いてきたような気も。大切なことを守るためには、真摯に対決する。それ以外のことは思うがまま、大胆に。
自分にとって死守すべき大事なことが、きちんとしていればいいのよね。でも、あんなに潔く 日常を分けられない。あこがれる。立派な酒のみさんなところも、好き。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 8日 (水)

山内龍雄

覚書
画廊。 私は敷居が高いように感じ、なかなか足を踏み入れることができません。
先週末、銀座に行ったおり きれいな色だなと ギャラリーにかけられた絵を 外から じっとみていたところ、ギャラリーの方に中に招いていただき、作品をみせていただきました。
ギャラリー・タイムというところで、山内龍雄さんという画家の作品しか扱わないそうです。
静かで、穏やかで、深い作品色合いの作品でした。
ギャラリーは、どんどん入ってみていいところだそうです。(でも、なかなか入るのは難しいです。)
山内龍雄さんの作品は、黙って静かにみていたい作品でした。(絵画は、そういうものかもしれませんが。) 手法が新しく世界でも注目されているそうです。 難しいことはわかりませんが、深みのあるきれいな作品でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 7日 (火)

七月大歌舞伎 天守物語

251_2夜の部。最後に、天守物語


城の天守には、城主も知らぬ別の世界があり、愚かな人間どもを見下ろし、ながめながら暮らす天上人がいる。 この設定がすばらしい。そして、そんな暮らしをしていそうな玉三郎さんを堪能。 振り向いたり、からかったり、所作がいちいちかわいい。こういう人を姫と呼ぶのね。納得。力を持ち、かつ高貴。かわいらしく、時に残酷。なんだか桁違いの存在。
姫川図書之助は、海老蔵さん。図書の声もいい。言葉もはっきり。瑞々しい青年。忠義か、正義かと悩む。誠実を絵に書いたような若侍。しかも苦悩するの。いいわ。
天守物語も、海神別荘のように 白黒はっきりの世界。人は苦悩する。天上人は地に未練あるものに無理強いしない。いくら力があっても。
お目目キラキラさせている凛々しい図書さま(海老さま)、清らかに心に惚れる富姫(玉さま)・この2人の見つめあう姿。舞台に二人しかでていなくても、すごい存在感。舞台中にオーラがでているよう。

歌舞伎は、情も大切。細かい心情表現にぐっとくる。 でも、こういう大袈裟さも歌舞伎。  主役ってこういう人たちのことを言うのだなと思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

七月大歌舞伎 夏祭浪花鑑

252翌日曜日に、夜の部を鑑賞してきました。またもや最前列で♪
カウントダウン時計が300日でした。もう、止めてしまいましょう、ねぇ。
夏祭浪花鑑から。
勘太郎さんのお辰のうまいこと。なんですか、あの間は。間もいいし、所作もいい。セリフもいい。うますぎてもう、年増の色気すら感じましたことよ。あっ今怒った、相手の気持ちをのみこんだ と、感情がわかりやすい。こういうとこが若い。それにしてもうまい。 「こちの人の好くのはここじゃない」ポーンと胸をたたき「ここでござんす」なんてとこは、一緒に胸をたたいて言っている気分に。人の気をぐっと掴む間だねぇ。   (お辰の絽の黒い着物から透けてみえる、二の腕の赤い線はなにかしら。)
三婦の女房おつぎに右之助さん。金毘羅の時は升寿さんだったなぁと思いだす。うちの人を自慢する下りが、かわいらしかった。右之助さんは、出すぎず、ふわっと風情を出す。いいです。 三婦は猿弥さん。器用な方ですね。器用だけど決して小さくならない。まとまっちゃうのと安定とは違う。おちついてみることのできる人。恰幅がよく、かわいい。お若いのに、現代人じゃないみたいでいいですね。
さて、団七。 海老蔵団七.。住吉鳥居前の場、大阪弁を丁寧に丁寧に演じていました。今回も勘三郎さんから習ったのでしょうか。そんな空気がありました。丁寧すぎて、少し硬いかな。でも、さっぱりと粋がよくって、格好よかったです。下駄で、足音高く鳴らしながら粋に歩くというのは、難しいのですね。音は出ていましたが、足の運びが硬かった。(ややロボットっぽい) 呼びとめられても ものともせず、大股で歩き去るなんていうのはうまい。 綺麗。 住吉鳥居前の場は、なかなかしまっていて面白かった。
三婦宅で舅 三河屋義平次の悪事を知った団七が、その後を追う。ここはよかった。 花道へ飛び出していくときの迫力。ぐっともりあがる。七三で止まった形のカッコいいことよ。義平次 市蔵さんの連れ添う駕籠に追いつく。その駕籠まて と必死にとめる。 団七がとても大きくみえた。 駕籠を返してから、ちょっとトーンダウンした。ひとつひとつのセリフに対して、感情はこもっているのだけど、全部に感情がこもっていてメリハリに欠けたのだろうか、ぐっと集客力が落ちてきた。ちょっと酷ないい方をすると歌舞伎座の舞台の大きさ、広さを感じてしまった。先程はあんなに団七が大きくみえたのに。 感情が全部強すぎて、際立つところがなくなってしまったように思う。 草鞋履きの義平次が、団七の立派な雪駄を見つけ、こんな立派なものを履きおってと、その草履で憎々しげに額を打つ。割れた額をみて、男の生き面にと憤る団七。ここ見せ場です。怒りを抑えきれなくなる場。なにもそんなに強くぶたなくてもというくだりは、抑えぎみでよかったのに、肝心の決め台詞で 感情が高まりすぎ なんて言っているかわからなかった。 あーもったいない。 昼の海神別荘のセリフが丁寧で聞き取りやすくとてもよかったのに。残念。 話のつじつまなんて合わなくてもいい。でも、叫んで 見せ場のセリフが聞き取れないというのはいけない。感情のコントロールというのは、なんと難しいことだろう。 大人はさらっとできちゃうから、逆に言葉が響かなかったりする。(耳ざわりが良すぎて。) 若い方だと、懸命で 言葉をしっかり言おうとするので、こちらもしっかり聞く気がする。 止まって形を決めるところが、あんなにも引き立つから、余計感情のコントロールのところがもったいない気がしました。あまりにもきれいに場を運ばれると、冗長になって面白くないし。難しいものだ。 小屋の大きさもあるのかな。金毘羅の時にしびれるほど魅入った 舅を手にかけてしまうところが、少しさらっと感じました。うなっちゃうほどうまいと思った市蔵さんの義平次も もっとすざましかったような。 後半になって、きっと化けると思う。 勘三郎さんの印象がこんなにも強い団七に、果敢に挑戦する意義を 大いに感る舞台でした。 また楽しみに みに行こう。
男の意地だとか、男がたたないだとか、そんなことばっかり言っている男共。男気って面倒。でも、そんな男共に惚れちゃうんだ。 女の意地とか、かわいらしさとか、そういう空気を楽しむ芝居なのですね、この演目。 なんだかんだ言っても 渾身の海老蔵団七に、惹きつけられました。 いろんなことを考えながら、じっくり鑑賞。 しかし、歌舞伎座は広い。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

七月大歌舞伎 海神別荘

249昼の部、五重塔の後45分の休憩をはさみ、海神別荘。
前回歌舞伎座でみてから、3年くらい経つようです。年月を感じました。大人になってました、海老蔵 公子。歌舞伎のようにいつまでもみることのできるものではないのかもしれません。他の組み合わせは考えられませんし。 ちょっと一本調子ぎみだった性急な若さが落ち着き、海くらい仕切っていそうな貫禄がありました。 マントも体の一部さ くらい 軽やかにひるがえす。 まわりにかしづかれるのが似合う似合う。 言葉の美しさを聴かせる鏡花世界。 セリフが聞き取りやすい発声でした。涼やかな声。セリフまわしで若々しく感じました。
海底に公子が住む。 人間の美しい女を、自分のもとに呼び寄せる。 女は、最初は恐れを感じていたが、公子を間近でみて ここに残るという。うーむ単純。顔だけなのか(顔形だけなのか)。 私が元気なことを知らせたいといつまでも未練がましく言う女と、その理屈がのみこめない公子のやり取りがいい。あなたの言うこともわかるけど・・・なんて、こう円満に進めようとするものが一切ないのだもの。なぜわからん女よ、なぜだ という性急さ。この別世界さが いいねぇ。 女が公子に 「あなた」と呼びかけるところは、本当に好き。
前回のように、公子と美女に、鏡花の言葉に、うっとりと酔うような気持ちでの観劇にはならなかった。言葉は確かに美しい。今回は耳当たりよく響き、このスケール感を おどろきながら堪能という感じでした。
あっけらかんと、見事に白黒つく世界がここにある。 いいか悪いか。もう気持ちのいいほど。 正義と悪がはっきりしている。中庸はない。そんな浮世離れした世界をすんなり演じることができるのは、この2人。ものすごい2人。 ものすごい。 演技力とかそういうものでカバーできない、2人の突拍子もないすごさを素直に楽しむ。こんな人たち他にいないわ。すごいなぁ。
もう一回みたくなったなぁ。昼の部。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

七月大歌舞伎 五重塔

250 土曜日に、やっと昼の部を鑑賞してきました。待ち遠しかったわ。といっても、その日は初日の翌日だけど。 昼の部の切符はこの1回しかないので、心して観る。 最前列で♪

恥ずかしながら、文豪 幸田露伴の名作といわれる『五重塔』は未読。
大工の十兵衛(勘太郎)と源太(獅童)。どうやら 獅童大工は、親方といわれ周りから慕われているようです。弟子の巳之助くんなんて、陶酔してる。 一方 勘太郎大工は、のっそり十兵衛とか言われる。腕はあるが、野暮天のようだ。
谷中感応寺で五重塔を建立することになる。お出入りの大工である獅童親方に仕事がいくのは当然。でも、のっそり十兵衛は職人として生まれたからには、どうしても五重塔が建てたくてたまらない。腕もある。 頑固で、人と調和のとれない十兵衛。勘太郎さんの名演技が光りました。うまいのなんの。というか、勘三郎さんかと思った。あの感じそのまま。声も、間も。最初から最後まで120%ぐらいの力で突っ走るところが若い。 意地をはっているのでもなく、もういてもたってもいられない程五重塔が造りたくてたまらない。そう、こういう気持ちが「死ぬほど」なんだなぁと思う。いいとか悪いとか超えて、その思いに涙が出ましたことよ。ずーっとグスグスしながらみる。 
感応寺のお上人さまは、市蔵さん。若い2人を諭す、慈愛にみちた説教が、私のココロにもしみちゃった。 若く一本気な巳之助くんも、好演。少々立派すぎる獅童親方の女房、吉弥さんは、短い出で、夫想いの勝気っぷりを表現。さすが。 勘太郎大工の女房は、春猿さん。 獅童親方からの理解ありすぎる提案にもどうしても応えられない 勘太郎大工に、キンキン言って諭す。もー うるさい。少々ムカつく。ってことはうまいのだと思う。(そういうお役だからね。)
この演目は、勘太郎さんが見事にひっぱった。 うまいねぇ。 最後のめでたしめでたしの場は、強引すぎ。 あそこ、いらないのじゃないかしらと思う。 

五重塔のようなものは今みてもいいものだ。これをクレーンなしで造った職人技に感心する。 今から相当の年数が経ったころ、森ビルをみても いいとは思わないであろう。ホテルもデパートもマンションも会社も、みーんなビル。ビルだけみても中身が何かわからない。五重塔は、五重塔でしか存在在できない。建物への思いを強く感じる。 歌舞伎座も そんな建物なのですよ、松竹さん。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年7月 2日 (木)

『チョコレートビースト』

続いて、加藤実秋の『チョコレートビースト』(創元推理文庫)を読んだ。
ん!この作家いいなと発見し、続けて未読の文庫を楽しむことができるというのは、とても嬉しいことである。
前作、『インディゴの夜』と同じ。 渋谷のクラブ・インディゴというあえて王道をはずしたホストクラブの話。そこのホストは探偵も務める。事件解決しますと札を掲げているわけでないのに、抜き差しならなくなり事件を解決するはめになる探偵たち。ストリート系とかお笑い系とか、人を楽しませるプロの彼ら。だんだん好ましく思えてくる。若い男子諸君(しかもホスト連中)の中で、女が一人。フリーライターというかフリーゴーストライターである晶が、つぶやく台詞にニヤリとする。この若造が、という態度で接する晶、妙齢女史扱いしてからかう彼ら。この関係がいい。いざとなったときの信頼関係がいい。
どこかドラマっぽい本だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 1日 (水)

『インディゴの夜』

加藤実秋の『インディゴの夜』(創元推理文庫)を読んだ。
「クラブみたいなハコで、DJやダンサーみたいな男の子が接客してくれるホストクラブがあればいいのに」というアイデアからうまれたホストクラブ。
この例えが もうよくわからない。ひとつもいいイメージが湧かない。どうも、ホストクラブには惹かれる要素がない。 源氏名というのでしょうか、ホストの店での名前も変テコ。行く前から、おうちに帰りたくなるような場所というイメージ。 でも、ホストの世界のことを、読んだり見たり聞いたりすることには、興味あり。
加藤実秋の描くホスト達は、やっぱり得たいのしれない世界の住人で、まじめに表現することが格好悪く、なんでも洒落のめしたり ふざけて表現するのがカッコイイという世界。 それなのに なんだかいつも、押し付けられたり、後に引けなくなったりと、「情」の部分で事件を引き受ける彼らなのである。 案外 まじめで、結束し、真摯に事件を追う。男まさりのフリーライター高原晶のアネゴぶりがいい。ホスト諸君との関係もいい。しんみりしたり、クスっと笑ったり楽しんだ。
おしゃれさが鼻につかず、楽しめる一冊でした。
ホストの上客は、キャバ嬢である という点に驚く。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »