『魔王』
相棒と生ビール。日本の夏。
伊坂幸太郎『魔王』(角川文庫)を読む。
びっくりした。
集団の恐ろしさというものは、時々考える。事件の後の極端な報道とか、時の総理を必ずけなすとか。 野田秀樹の芝居をみても、集団の恐ろしさを感じる。集団になったときの勢いを考えさせられる芝居を、これまた多くの人がこぞって観るっていうのも妙だけど。
時の政権は、全くうまく回っていない。仕事はない、老後は危うい。アメリカや中国は強大。環境は破壊され、なにもかもうまくいかない。誰が政権を握ったところで、何も変わるはずがないというあきらめが蔓延する。まさに今を語っているようでドキドキした。
そこへ新しい男が現れる。犬養。独断的ではあるが、人民の心になんとも魅力的な男。改革すると自身に満ち溢れる。政治界から改革すればいいのだ。だって、悪いのは政治家だから。宮澤賢治の詩がなんとうまく働くことよ。うっかり自分自身もその流れにのりそうになる。安藤の視点からみる現実には ドキっとする言葉がたくさんある。考えろ考えろ。
読みながら、とても多くのことを考えた。ここが一番大切なところだ。
弟 潤也くんの岩手山が好きという気持ちや、彼女 後の潤也くんの妻 詩織ちゃんの言葉 消灯ですよがいい。落ち着く。地に足がついた言葉だなと思う。言葉の持つ魔のような強い力を感じた後に、この2人の言葉には、別の力を感じた。
言葉の持つ力。それは、自分の気持ちか。流されていないか。自分で考えてしたことなら、うまくいかなくても仕方がない。それを乗り越えることができる。みんながいったからでなく、自分の言葉に責任をもとう。
ファシズムについても、ちゃんと知りたいなと思った。
どうせインターネットで仕入れた情報だろう。そこに自分の考えがあるのかという問いかけには、ひやっとした。犬養の言うことは、恐ろしくもあり、同感するアイデアでもある。
集団と同様に、便利ということが何にも勝るという考え方にも、ひっかかるものがある。それもこわい考え方だ。便利至上主義という考えがあってもいい。そうでない考えがあってもいい。自分にとっての考え、主義があるかどうか。大きな流れに押し流されそうになっても、最後まで抵抗する杭でいるという方法は、大発見だ。 熱く生きていなくとも、地球を救おうとか大きなことを考えていなくても、突然 自分のすべきことを思える戦いに挑むことがあるかもしれない。
蜜代っちの言うことが好きです。
プツっとした終わり方がよかった。
この本もすごかった。
最近読んだ、海老蔵さんも雑誌のインタビューでの答えで、妙に心に残った言葉と、はからずも係わりがあるような気がした。
「孤独でなければなんの意味もないですよ。団体行動ほど人を弱くするものはない。」
考えろ考えろ、マクガイバー。
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