「ステッチ・バイ・ステッチ〜針と糸で描くわたし」
覚書
東京都庭園美術館へ。「ステッチ・バイ・ステッチ〜針と糸で描くわたし」展に行ってきました。
目黒の駅で降りたら、ものすごい人だかり&モクモクとあがる煙。 どこかかからきこえてくる落語。 どうやら「目黒さんま祭」の日だったみたい。 落語会と さんまに群がる人で、前にすすめないほどの大混雑。
やっと人ごみを乗り越えて東京都庭園美術館へ。こちらも、けっこうな人出でした。 おしゃれな男子(単独行動)、おしゃれな女子達、おしゃれな若夫婦。手芸好きのおばちゃま達。という客層。 想像以上に面白い展示でした。
最初は、”手塚愛子”の作品。 最初にみた作品ですし、それがインパクトの強いものだったせいもあるが、彼女の作品がとても興味深かった。 あんなイメージが沸いたら、天下取ったような気になるのじゃないだろうか。 そのアイデアがとても気に入った。 やったーという気持ちになるだろうな。 これをつくらずにいられようかと思うに違いない。 最初の広間にかけられた白い布の作品。裏にまわるとそこから続く糸による空間に驚く。 「糸が交錯する刺繍の裏側をあえて見せて刺繍の構造を明示する作品」という小難しいコメントがかかれていました。そんなのを読むより、ぜひ一見を。お勧め。 布からあふれ出るもの。 崩れ落ちるといおうか。 そのイメージが面白い。 「落ちる絵」とは、全く うまいこと言ったものだ。 この庭園美術館という建物、朝香宮の隅々まで徹底したアール・デコの館にあるからこそ、こんなに迫力があるのかもしれない。 布(糸)と美しい装飾の館は、いい関係である。
”秋山さやか” の、地図をプリントした布の道筋の刺繍(装飾)も面白かった。沢山の糸や布や地図でちらばった部屋のインスタレーションは、難解でなく 面白かった。真似てみたくなるほど。
”村山留里子”は、「奇麗の塊」シリーズらしい。確かに綺麗なものの塊。つられたマントの中に輝く美しい塊。それが、端しかみえないところがいい。どことなくグロテスクで残酷なところが、少女そのものだと思った。
”奥村綱雄”。 「手垢がしみこみ変色した刺繍作品」 それだけできくとウヘェーである。だが、その細かな作品は面白い。刺繍といわれても刺繍にみえない。絨毯をきりとったものかと思った。 手仕事というより、職人技。 時間を惜しみガードマン中にも作成。作成できるようあえてガードマンの仕事を選択。そして、こんなに根をつめて、特に意味のないものを作るという考えに仰天。 ガードマンの制服、仕事中の刺繍作業写真(さぼり?)を含め、作品なのだな。 男の刺繍。
”清川あさみ” 雑誌のようなポップな作品もきれいだった。 明るさで コンプレックスをだすというのが面白い。女子はキラキラが好きという遺伝子を感じた。
ヌイ・プロジェクト nui project。 なぜ、これだけプロジェクトなんだろうと思いつつみる。 ”大島智美”のビーズ刺繍は、「型」のようなだなと思った。作品というより型。 これが年を経て いい感じにボロボロになったら、儀式の際に使用したものと解説がつきそうな雰囲気をもつ。長いこと使われてきた型のようでした。 ”吉本篤史”の糸を結ぶという考えは、村ぐらいの小さな単位の集団の中で 大事にされてきたもののようでした。 貴族に愛されるものではなく、思い出の中にあるような温かさ。 2人の作品の所蔵が「しょうぶ学園」となっていた。 鹿児島県にある知的障害者施設らしい。 障害があるからでも障害があるのにでもない。個人として発表されるべき作品であるというようなことが、図録に強く書かれていた。 所蔵先に目がいかなければ、全く気がつかなかった。 気がついても つかないくてもいい問題であるけれども。 アーティストというより、職人のようで 意志があった。 押し付けないがしっかりした意思を感じた。
他に、”伊藤存”と”竹村京”。 この8人のメンバーでの展覧会。 どうやってあつまり、どうやってこの館と結びついたのであろうか。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント