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2009年10月27日 (火)

芸術祭十月大歌舞伎 夜の部

千穐楽の歌舞伎座夜の部を観てきました。通し狂言 義経千本桜。今回は、渡海屋・大物浦にやられました。素晴らしかった。
義経千本桜といっても、義経が主役の段はない通し狂言。ところが、この「義経」の存在がいかに大切か、はじめてわかりました。富十郎さんの義経のよかったこと。だからこそ、典侍の局が、知盛が、安徳帝の守護を託し、最期を遂げることができたのかと、納得することができた。なるほどなるほどと、感心しつつ観る。そうかっ!と思うのって楽しい。これから先の観劇にも力が入ります。
渡海屋。船問屋の銀平夫婦に姿を変え、源氏に復讐する機会を窺っている。女房お柳の玉三郎さんが、うちの人自慢 「洗濯のしゃべり」をする。それに耳を傾ける義経の姿がとてもよかった。真摯であった。不思議と印象に残った。出船となり 渡海屋を辞する義経も、丁寧で品位があった。
大物浦。血まみれになっても、義経の姿をみると一門の恨みと太刀をふるう知盛。弁慶が数珠をかければ、断ち切って投げ捨てる。怒りに命がつきてもなお戦いを挑みそうな知盛に、安徳帝がいいきかせる。「これまで自分を解放してくれたのはそちの情け、いま自分を助けたのは義経の情け、かならず仇に思うな」と。周りのすごい大人達の力を借りたとはいえ、この小さな帝は立派であった。辞世の句も、意味がわかっていて詠んでいるのではと思うほど。
ここでまず、玉三郎の局が、託すことを選ぶ。これは、あの義経だからかとハッと気づいた。ここで、義経の大きさがどんどんわかってきた。局は自害を選ぶことを知り、その道を貫かせたのかと。 安徳帝の言葉・局の決意に、知盛もまた壮絶な終わりを選ぶ。 そうか、とまた気づく。義経自らも、兄に自分のまっすぐな想いが疑われ、都を逃げ落ちている所だったのだと。その中で安徳帝を引き受けたということは、そこに付随する大きなものも引き受けざるを得ないということか。戦いだけにむけるのでない義経の大きさにはじめて気がついた。 知盛の最後。壮絶なのだが、おれをみよといわんばかりの見せ場にするのでなく、他の人よりもさらっと感じるほど、すっと岩を登っていった。吉右衛門の知盛には腹の大きさがあった。 捕り手たちを薙刀で払うところも、動きを少なく、そして存在は大きかった。傷ついて弱っている様をリアルにする必要がないという表現力に、うなった。
最後に、段四郎の弁慶が花道で法螺貝を吹く。それが鎮魂を表すということはものの本で読んで知っていたが、今回はじめて心に染みた。
玉三郎の局は、渡海屋で夫 銀平のそばによるだけで、子供として身を隠していた帝の隣に座るだけで、風格がある。相手への思いが伝わるのがすごい。 歌六・歌昇の兄弟で登場したので、心がはずんだ。魚尽くし、さすがだった。うまいねぇ。 これだけ渋いと、初々しい四天王(萬太郎・巳之助・右近・隼人)がまた よいです。
富十郎 義経、吉右衛門 知盛、玉三郎 典侍の局、段四郎 弁慶 という豪華な顔ぶれ。役者が揃うとすごいことになるのだな。驚いた。ものすごく面白かった。
以前みた海老蔵 知盛は、戦国の世の無常みたいなものが面白かった、どうしても納得いかない様とか、心を決めて最後を選ぶとかが、面白いほどわかりやすかった。リアルすぎなほど。年を経てリアルに走らないもをみてみたい。 渡海屋・大物浦って、冗長に感じてしまうことが多かったが いいものは、すごいのだな。
ノックアウトされた後、吉野山 、川連法眼館を、素直に楽しく鑑賞。菊之助さんは、赤い着物の姫がよく似あうこと。声もきれい。吉野山は優雅で好き。
川連法眼館の菊五郎狐は、とてもマルマルしてました。動きは俊敏ではないけれど、初音の鼓に惹かれる様や、思いを断ち切って立ち去るところ、鼓をいただきとびあがらんばかり喜ぶ様をみると楽しくなる。この人は、きっちり歌舞伎になる人だなぁと思った。 菊之助さんの狐もみたいなと思った。
正真正銘の芸術祭でした。満足。

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