« 2009年10月 | トップページ | 2009年12月 »

2009年11月27日 (金)

海をゆくもの

覚書
金曜日に、久しぶりに芝居を観ました。古典芸能でないものという意味での芝居。非常に濃厚で演技力のある5人の男だけの舞台は、濃厚で、強烈でした。 
日本人同士が、カタカナ名前で相手を呼び合うのってちょっとこそばゆかったりするけど、これは平気でした。舞台はアイルランド。片田舎で暮らす兄のところにもどってきた弟。目がみえなくなってしまった兄に吉田鋼太郎、弟は平田満。昨晩この家でのんだくれて泊ってしまった友に浅野和之。弟がもう顔もみたくない友は、大谷亮介。なぜなら彼女をとられてしまったから。みんなアル中みたいな汚い男たち。うるさいのと暗いのと、小心のとバカみたいに明るいの。クリスマスイブの朝から、夜にかけてたった一日の話。
キーは、大谷亮介がつれてきた男。小日向文世。
のんだくれで、汚くて、とにかくうるさい弟。どうも、目がみえないようだ。しかも近年になってから視力を失った。いらだちのすごいこと。 久々に家にもどった兄は、弟をもてあましているよう。 しかし ストーリーが進むにつれ、どっちが迷惑なのか混乱してくる。 みな 生きにくいところがある。 それは私もだけど、彼らは特に、生きていくのがキツそう。でも自分では、そんなに苦にしていないところが強烈。 なんで、こんなにガーガーうるさい芝居なのかと思っていると そこに、コヒさんが登場。キーになる男 コヒさんは、ときに小さな声で台詞をいい、キキキと音のしそうな なんとも奇妙な手の動かし方をする。 それが怖いのなんの。 こんな怖い芝居とはおもわなかった。(どんな芝居か知らずにきたけど)。 内心ヒーヒーいいながらみる。なぜか一番前の席だったので臨場感ありすぎ。途中休憩で幕がさーっと降りたとき、声にだして「怖っ」って言ってました。 コヒさんは左利きの男の役。みていて怖かったせいか、腕に力をガチガチにいれまくっていたようで、帰りの電車ですでに筋肉痛に。ダル痛でした。特に左手が。 5人が無駄なくうまいので、怖さも100倍。 怖い事実を知っているのは5人中2人だけ。あとの3人の浮かれぐあいとか、該当者の追い詰められ具合とか、なかなかの迫力でした。舞台で大谷さんがオレンジのを食べだし、そのいい匂いがしてくる。そういう臨場感が、観客というより その場に巻き込まれちゃった感じで、こわがりの私は何かと怖かった。 最後の なんだそれ という展開を招いた浅野くんに救われました。あれがなかったら怖くてトイレにいけないよ。ありがとう浅野くん。
おばけよりも、想像させる世界の怖さがすごかった。すごいよコヒさん。

『海をゆく者--The Seafarer』
アイルランド演劇界をリードする気鋭の劇作家コナー・マクファーソンが、2006年に自らの演出により、ロンドン<ナショナル・シアター>デビューを飾った出世作で、ローレンス・オリヴィエ賞"BEST PLAY"他にノミネートされた傑作ストレートプレイだそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月26日 (木)

えいえいおー 通し狂言 仮名手本忠臣蔵

覚書
通し狂言なのに、昼のことしかつけなかったので、夜のことも少し。一気にみたせいか、判官と師直の対決が強烈すぎたせいか、ちょっとおちついてしまった。
五段目、義太夫に注目しながらきいていたら(御簾内だったため)、こんなにも三味線が効果的だたのかと驚く。猪かとおもいきや人だったという勘平の心がビーンという糸ではっきりわかる。相乗効果というより、どっちかがかけても成立しないのだなということに気がついた。旅のお方すまぬと駆け出した後、あっあのお金があればと気づく。そこのはっとしたところにもこんなに効果をだしていたのか。みえない音まで格好いい。 この後に猪でなく人だっただけでなく、それは義父だとわかることを知っている観客。さらに自分を武士にもどすため娘を売った帰り道だとも。これから落ちていく地獄を前にする姿がみせどころというのも、すごい設定。 非劇をみせるだけでないので成立する。 菊五郎さんの六段目は何度も観たが、今回は特に若々しかった。時蔵さんのおかるのすがるような感じが、また勘平をよくみせていた。 いい組み合わせだった。一文字屋お才の芝翫さんの、こういう泣き別れなんて当たり前というお才の感じや、判人源六の 左團次さんの間もいい。忠臣蔵の中で一番多くみて、少々だれぎみ(観すぎのため)の六段目だったが、面白かった。 きびしめの東蔵さんのおかやが、最後に悪かったと勘平にすがる。おだやかに後を頼む勘平、ここが特にきれいだった。
ひとつひとうの歯車があうと、それは非劇になる。しかも自らの命を絶つと、それは間違いだったと知れる。 ここで、最初に与市兵衛をみればよかったという、まっとうな正しさなんて全く不要の展開に、よくできた芝居だなとしみじみ思った。
七段目。だまって、うちわであおいでいる福助おかるは綺麗で安心した。静かなのはいいな。いい香りがしそうで。(3階だから無理だけど) 仁左衛門さんの由良助は、呑んで浮かれた後、ふっとみせる真剣な顔に魅せられた。力弥への声にださない指図のするどさに、うっとり。門之助さんはけっして若くないのだけど、こういういでたちをすると、しっかり力弥になるな。きちんと若衆になる。ほぉ。
十一段目で、やっと登場の錦之助さんと、歌昇さん。あれ?ここだけ?元気いっぱいに小林平八郎と竹森喜多八の激闘をくりひろげていました。
富森助右衛門の男女蔵さんと、赤垣源蔵の松江さんが炭小屋前に。背中だけで、気迫を感じました。最後に梅玉さんがかっこよく見送ってくれました。見事本懐を遂げた浪士達を見送ったのだろうけど、そんな気分に。服部逸郎はあつくていい役だ。
すごい方でもちょっとしかでるところがないほど、充実の重鎮忠臣蔵でした。もうこの歌舞伎座でみるのは最後という勝手な思い入れをおいておいても、相当おもしろかった。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2009年11月25日 (水)

ビバ花形歌舞伎 奮闘の昼の部

勤労感謝の日に、演舞場にいってきました。花形歌舞伎観劇の仕上げに、昼の部を鑑賞。その前の週に歌舞伎座の重鎮忠臣蔵を観た後だったので、より若々しく感じました。盟三五大切が、塩冶家の浪士というところが、歌舞伎座とリンクし面白かった。今ごろ歌舞伎座では、何段目がかかっている頃かななどと思いつつみる。
盟三五大切は、三人吉三に比べて、若さゆえ・・・なのだろうかという箇所があったように思う。立っている姿とか。難しいのだな。ぞっとするような凶気とか、存在感とか。でも、それは時々であって、昼夜通し狂言をかけてだれることがないのはすごいと思う。
まずは、通し狂言 盟三五大切
序幕 佃沖新地鼻の場は、大好き。ここの三五郎が一番格好いいと思ったら、そのあとの三五郎もけっこう格好よかった。菊五郎さんぽさがでていました。あとは色気ですな。うまいこと相手をのせるとこのタイミングなんて、すこぶる決まってました。菊之助さん、立役が続いたら 粋で色気のあるいい男になりそう。でも女形もいい。 悩ましい。 小万の亀治郎さんはちょっとひいたところがよかった。引いても存在感ばっちり。 八右衛門の愛之助さんの健気なこと。
虎蔵の松也くんは、お父様 松助さんのような役がらに果敢に挑戦していて、ちょっとジーンとする。いかんせん背が高いと太鼓持ちという商売はむずかしい。へりくだった感が薄くなるのか、見栄えがよいのか。同行のおさると、わたくしたち長身(否 大女)は、タイコもちには なれないねと話合う。職業の選択が一つ減りましたことよ。
お主大切と、人を陥れてまでも、親のため ついては主人のためにと 必死に金を用立てる。 ところが、騙した相手は 親が大切に思う主人 その人であった。 歌舞伎には、このお約束ともいえる非劇がつきものである。この悲劇がうまれる土壌というものが、私たちには理解しにくい。 そんなにまで他人を敬い、尽くすという気持ちが希薄であるからだ。 芝居の世界は、そんな情が薄い 今の世界はつまんないと思わせるアツいものがある。 それは、芝居を成立させる役者自身が、ちゃんと「忠義」ということを不思議に思わない生活を送っているからなのだと思った。 だからこそ、歌舞伎は演劇とは一線をひいた匂いのある芝居になるのだな。これを書きながらの考察。
通し狂言のあとは、舞踏。四変化弥生の花浅草祭。これもすごい。松緑さん、愛之助の2人であれもこれも踊る。武内宿禰・神功皇后、善玉・悪玉、国侍・通人、獅子の精。最後の獅子の精では、もう首が飛んでくるかと思うほど頭をまわしてました。 松緑獅子はもちろん、松緑獅子の合図まで、まわし続ける 愛之助獅子。そして、その後の鳴り物も大迫力。すこぶる格好よかったです。獅子の兄貴たちの気のすむまでおやんなさいと言わんばかりに 奏でまくる。 ちょっとまわしすぎかとも思うけど、これこそ花形歌舞伎! なのでありますよ。ビバ花形歌舞伎!それなのに・・海老蔵さんの不在を哀しむ。 そして婚約の知らせに呑む。おさる、おつきあいありがと。 案外荒れない、小さくまとまる自分がイヤ。荒事なアタシでいたいのに。 今日は頭が痛いぜよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月19日 (木)

おどろいた

今日は、朝からびっくり。
出勤前は熱愛報道だったのに。残業して、のんきに海老フライを食べて 帰ってきたら、近日婚約報道に成長してました。 あぁ。
ぐぅ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

おのおのがた 通し狂言 仮名手本忠臣蔵

覚書
ビバ花形歌舞伎とは異なる、円熟のなんともおおらかな国立大歌舞伎とも異なる、重鎮揃いの歌舞伎座を大歌舞伎を満喫してきました。
口上人形の登場から、昼夜通しでじっくり鑑賞。
大序は儀式性の高い段。柝がゆっくり打たれ、それに合わせて定式幕がジワジワとあいていく。ワクワクしながらが柝を数える。23回くらいでちょうど真ん中にたどり着きそこからは速くなる。間口が広いためか、最後チョンチョンチョンと細かく刻んでいく数は別勘定なのか、47回を超えていました。幕がひらき人形のように顔をうつむき座っている登場人物たち。この儀式性の高さがいい。義太夫の語りにあわせて一人づつ顔をあげる。忠臣蔵のバイブル、関容子さんの『芸づくし忠臣蔵』のおかげで、ひとつひとつのしぐさが面白くって仕方無い。 畳敷撒という、投げて畳敷きをする大道具さんもすてきでした。職人さんは魅力的です。

とにもかくにも、面白かったのが富十郎 師直と勘三郎 判官。
松の間刃傷の場での師直の 判官への、あてつけっぷりはすごかった。最初は、相手の悪意を全く感じない勘三郎判官には、その、おっとりとした育ちのよさのためか その悪が伝わらない。繰り返し執拗に、言い続ける。そして うまいこと相手の怒りに火をそそぐ。師直は、案外冷静に怒らせているのだな。姑息な感じでなく、堂々と。というか、いけしゃあしゃあと。
はじめは、何を言っているのかしらんこの人は、という判官だが、ここを譲ることができないというプライドに火をつけられてしまう。 ぐっと詰め寄る正義感がいい。
ここで、富十郎 師直は 殿中で刀に手をかけますか、鯉口三寸抜き放たば家は断絶と、あっけらかんと権力を振りかざす。まったく仕方のない男なのだが、妙にいい。 しまったと家を思う判官の熱さがいい。 胆のそこから絞り出すような想いで手を付き非礼を詫びる判官。みていてくやしくて、一緒にジリジリしました。 この先! ここでまた もう一押しする富十郎 師直の意地の悪いこと。 顔をくっつけんばかりにして向き合い、目が落ちそうなほどむき出して、睨みつける。あの、にくらしいことったら。見事でした。 これからの長い物語が始まってしまっても仕方のない あの効果的な怒らせ方。 恨みつらみというより、今気に入らなかったくらいのことを(沢山の賄賂をもらえば、コロっと態度を変えそう)、まぁ、これだけ憎たらしくしてみせられるものだ。 あんなに大袈裟にしたら、ふざけたお笑いになってしまいそうなのだが、富十郎さんはすごい。憎らしかった。しかもコミカルさを残しつつ。やるなぁ。 受ける勘三郎さんもいい。 あんなにされては、もう耐えるということは正義ではないという考えになる。師直覚悟というやいわずで、斬りかかる。歌舞伎しては珍しい俊敏さ。みているこっちも相当腹がたっているので、よくやったとおもう。この先、お家がどうなろうと、ここで斬らずになんとする。 そこへ殿中でござると止める加古川本蔵 菊十郎さん。何をすると判官と一緒になってジッとにらむ。取り押さえられてもなお、なんとかしようと刀を投げる。しっかり相手をみて廊下にきっちりと投げ込んでいました。もう、この場に、振りというものはなかった。止める振りとか斬る振りとか。本気のすごさにしびれました。しかも、ナマにならない。きっちり演じている。すごい。 師直を斬れなかったときには、なんだかくやしくってみていて涙が出た。無念。 しびれた。 面白かった。
大序で、いきどおる若狭之助 梅玉の、正義感もきもちいい。顔世 魁春は、富十郎 師直が惚れるのもわかる品のある女性でした。
富十郎さんの悪は、気持ちいい。 師直の悪は、陰湿な悪意ではない。恨みというのとは少し違う。 ただ、今 面白くなかったから 腹いせにあたってやったというような怒り。 ご機嫌をとられれば機嫌よくなるような。 命があぶなければ這いつくばって謝ることすらなんでもない。プライドなんて持ち合わせていないかのように。 いい位置で、いい思いをして生きていきたいのだ俺はという、あっけらかんとした悪。
気に入った女性には恋文を書き、手をぐっと握り袖の中に押し込んで渡す。実にストレートにせまる。 それを邪魔した若狭之助は、フンといって挨拶してやらない。 刃向ってこようものなら、実にうまいことさらに怒らせ、相手を窮地に陥らせようとする。 危なくなると、環御だと実にタイミングよく逃げる。 コミカルなのだけど、品があるヤなやつ。 逆に魅力的にみえるほど。この悪があるからこそ、すんなりと判官に、そしてその想いを託された大星に、味方し、忠臣蔵を堪能できるのだ。
ここまで効いているので、四段目判官切腹の場が、よりよくなった。覚悟を決めた判官の毅然とした様子に涙が出た。家がどんなことになっても、あそこで折れずに戦ったことは間違いじゃないと思った。切腹の用意をしなくてはならない諸士たちの手際のよさが哀しく、襖の奥で控えている無数の諸士の地響きのようなうなり声が哀しかった。
判官の切腹の場で、九寸五分をつきたてたその時に大星が駆けつける。石堂の仁左さまが大星を、近う、近うと側に行かせるところの格好いいことったら。大星到着を喰ってしまうかと思うほど格好よかった。反則だな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月17日 (火)

この冬は力弥

四段目の力弥は孝太郎さん、前髪ものが似合っていました。七段目は門之助さん。
力弥が若々しくけなげに見えるのは、力弥役者と判官・由良之助役者の技量だけど、もう一つポイントを発見。あの赤い脚袢。あれが、裾からちょっと見えるところが若さのポイント。 ん!赤のレギンス! 今年の冬はあれを履けば よいではないですか。 と、観劇中考えた。
普段から可愛がられている大切主君、判官のもとに九寸五分を乗せた三宝をもっていく。離れがたい気持ちとか、切腹という動揺とか、父である由良之助が到着しない焦りやら、そういう状況を理解したうえで、鑑賞する。なるほどと思う力弥でした。いろいろなものでいっぱいになっている事ところに胸があつくなる。沢山の働きがあり、無駄のない動作が続くなか、ちゃんとわかった。 細かいところに目がいくのは、関容子さんの『芸づくし忠臣蔵』のおかげ。また、読み返し中。何度読んでも感心しきり。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月15日 (日)

独参湯忠臣蔵

忠臣蔵のバイブル、関容子さんの『芸づくし忠臣蔵』を持って歌舞伎座へ。歌舞伎座にて昼夜 通し狂言を楽しんできました。えいえいおー。
いやぁ、忠臣蔵は独参湯ですな。 実に、おもしろかったぁ。 とくに、大序と三段目。震えるほど面白かった。 ビバ富十郎 師直 & 勘三郎判官。 しびれた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

円熟 11月国立歌舞伎

覚書
国立劇場には珍しく、通し狂言でない公演でした。坂田藤十郎と市川團十郎という顔合わせ。 「外郎売」「傾城反魂香」「大津絵道成寺」の3本立てを楽しんできました。もう素直に、楽しい大歌舞伎でした。同行した両親も大満足。
まずは、團さまの「外郎売」。花外のお得な2等席に座ったおかげで、花道でひっそりサポートする新十郎さんを堪能。(團さまは背中を向けているのでね。) おおらかでした。早口の外郎売口上は、 速さを魅せるのではなく、言い廻し・台詞のリズムを魅せるところだったのですね。味わいました。本年度1月に、十八番の象引きで舞台復帰をし、顔見せで十八番の外郎売でまた国立に登場。このようなうれしいことはございませんという口上がありました。元気になられて、本当にうれしい。 亀三郎さんの声のよいこと。彌十郎さんも、大きく立派でした。翫雀さんをみて喜ぶ(石田純一!)。いい声、いい動き。扇雀さんは首が長くすっとしています。ああ、親子ででているのに、なぜ海老蔵さんは出ていないのだろうと残念に思う。
続いて「傾城反魂香」。ども又の團さま、ステキ。 うじうじして、女房のあとをトボトボついてくるのに、頑固で一心な様子がものすごくよかった。ぴったり。女房 藤十郎さんの影に隠れるよう花道を入ってくるところから、もう夢中。こんなにども又が似あうとは。ちょっとダメ男さんを演じると、なんともかわいらしく、歌舞伎らしく、すっごく気に入った一幕でした。(ここでも、亀鶴さんの活躍をみて、海老蔵さん・・と思う贔屓であります。)
最後に藤十郎さんの、「大津絵道成寺」。出てくる人出てくる人 全部 藤十郎さんで、楽しかった。この人はどうして年を取らないのだろうと、不思議に思っていましたが ちゃんとお年をめしていらしたようで安心?!しました。それでも、パワフルに踊りまくり、とにもかくにも明るい道成寺でした。最後に、また翫雀さんが登場。鬼になった藤十郎と 弁慶の亀鶴さん、矢の根五郎の翫雀さん 3人出てきて大迫力。もう、誰と誰が戦うのかまったくわからず(わかるけど)、とにかく妖怪が3人大暴れみたいな景気のいい華やかさ。細やかさもきちんとあります、もちろん。思いっきりのいい華やかさでした。

*

国立劇場から、バスで東京駅へ。新しい丸の内スポットであるブリックスクエアを見てくる。こうやって小さく小さく親孝行もどきを積み重ねじゃ。 と思ったら、素敵なコートを発見。うっかり購入してしまった。にっくきはオールドイングランドなり。そうなのか。 あぁ、東京は、怖い怖い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「セバスチャン・サルガド アフリカ」生きとし生けるものの未来へ

覚書
「旅」シリーズと異なり、これは衝撃的な展示。東京写真美術館で「セバスチャン・サルガド アフリカ 生きとし生けるものの未来へ」をみる。
セバスチャン・サルガド(Sebastião Salgado、1944~)は、今もなお精力的に新作を発表し続けているフォト・ドキュメンタリーの先駆者だそうです。
住むところを追われ、全財産を頭に担ぎ砂漠を歩く親子。安住の地を探すというより、その日を送ることのできる場所を求めて歩く。頭の上に荷物のあるものはまだいい。骨がはっきりわかる小さな小さな子供の手を引き、砂漠を歩く母親。胸にはまた骨の形がわかる赤ん坊を抱いている。子供など、服も着ていない。作品の日付をみると2~3年前のもの。今 現代 起こっていることなのかとがく然とする。マルマルと太った赤ん坊に乳を与える女性の写真をみるとほっとした。 家族がいる。食べ物がある、雨露をしのぐ屋根がある。それだけでどんなに幸せなことか。
アフリカの現実に衝撃を受けた。とにかく知るということが必要だと思った。写真というのは言葉を必要としない、非常に有効な手段なのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月14日 (土)

「異邦へ」日本の写真家たちが見つめた異国世界

覚書
東京写真美術館で「異邦へ 日本の写真家たちが見つめた異国世界」をみる。第1部「東方へ 19世紀写真術の旅」、第2部「異郷へ 写真家たちのセンチメンタル・ジャーニー」に続く「旅」シリーズ第3部。
日本の写家たちがみつめた異国世界。モノクロで撮られた写真は、ポストカードにあるような風景写真と、一線をひく。あたりまえだけど。何がこんなに違うのだろう。
とても見やすく、単純にきれい。自らの内にある意識とか、自己の存在理由を求めるとか、難しいことはわからないのですが、これは作品だなと思う。
木村伊兵衛や、植田正治、森山大道などよく目にする写真家のものもあり、広い人にうけそうな展示でした。いい写真をみたという満足感。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「大きいものと小さいもの — チャプター2」 ジャン=ミシェル・アルベロラ

覚書
メゾンエルメス8階フォーラムにて。今回は、ギャラリーをみたという程の感想もないが、ジャン=ミッシェル・アルベロラの作品をみたことだけ、記録につけておこう思い記載。
”大きいものと小さいもの”というタイトルが面白い。切符に描かれた小さな作品は、いい感じの手書き感。日本では、メトロの切符など、その国にこだわった切符を使っているのは面白い。が、あまり、作品という感じにうけとれなかった。悪くすると、ちょっと雑貨っぽかった。 それは、言葉の意味がわからないため、意味と画の関係(ギャップなど)がわからなかったためだと思う。
帰ってから調べてみると、このよう解説を見つけました。
 「大きなものと小さなもの」というシンプルなフランス語のタイトルは、実際の作品の大小だけでなく、「大人と子ども」、「偉大さと凡庸さ」などとも捉えられる重層的かつ相対する意味がふくまれ、アルベロラの発する言葉が様相を変えて提示する、広大なイメージの地平を表現している。
ほとんどの作品にはちょっとした言葉が添えられていた。日本語訳をつければいいのにと思った。それは野暮なのだろうか。
ベルギー・ブリュッセルにあるエルメス財団のギャラリー『ラ・ヴェリエール』でも、「Les Grands et les petits —chapitre 2」という展覧会が開催されたそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大洗にも星はふるなり

覚書
山田映画よ!と内容もよくわからないまま、山田仲間と意気揚揚と見に行く。
正直、映画にまでする必要ないなぁと思った。だが、メンバーの妄想ぶりが結構面白く  いい意味 B級映画道を突っ走っていて たっぷり笑いました。
8月31日。クローズする海の家から始まる。バイト君達が 一人のかわいいバイトちゃんを巡って妄想する。といっても、勝手に思うのじゃなく、妄想発表会。弁護士が出てきて、我が妄想が論破されると、次の人がまた我が妄想を発表。 なかでも、ハヤシくんの語り部分はすごかった。涙流すほど笑っちゃった。バカバカしくって。 お目当ての山田は、わりとプヨプヨして あれ?カッコ悪いかもという空気をかもしだすが、やっぱりかっこいい。自分でも不思議。小さい声でつぶやく言葉すら、結構効いていてやっぱり主役の男なのであった。
ずっと笑って見ていたのですが、話がちょっと甘い。役者のバランスもちっと悪い。ムロツヨシの腕に随分救われてました。 監督は、「33分探偵」の人と知り納得。あんなにB級的にはたまらないシチュエーションと イケそうなキャストなのに 見事に空回りしていたもの。 面白かったのに、最後はなぜか悪口。
山田の、タキシードとギラギラした唇の あの登場シーンの なんとも素晴らしかったことよ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年11月13日 (金)

第48回野村狂言座

覚書
会社移転後、とても近くなった宝生能楽堂へ。徒歩で。恒例の野村狂言座にいってきました。今回は老武者をいう演目をみるのを楽しみに向う。
『貰婿』
最初は、三宅右近さん・右矩さん・近成さんという親子共演。夫婦喧嘩は犬も喰わぬというのに、親というものは子の幸せを願うものである。実家に泣きついてきたはずの娘は父を投げ捨て、夫と家に帰る。その後姿を見つつ、もう祭りにはよんでやらないという父の出す、怒りと 仲直りの安堵と なんともいえない空気がよかった。これは、年を経ないと無理だなぁ。年を経っただけでも、もちろん出せないけど。
『柑子』
万之介師の太郎冠者。飄々として、面白い。みかんが転がり落ちたので、食べてやりましたと食べる様が面白い。俊寛僧都の下りも感情たっぷり。つい泣いてしまう主の石田師も、おおらかでいい。ぬけぬけとした万之介師の太郎冠者を堪能。
素囃子『楽』
『老武者』
最後に楽しみにしていた演目。11人もの狂言方、4人の囃子方、3人の地謡に2人の後見と、能のように大勢の人が能舞台に。それだけで特別感がある。
旅の途中の美しい稚児 裕基くんと伴の萬斎師は、藤沢で宿をとる。宿屋(深田師)にお忍びなので内密にと言って泊まるが、噂をききつけ地元の若者がやってくる。盃を受けたいという押しかける。宿屋は断ったが、勝手に入ってきてしまったということにしようと、若者と宿屋が共謀する。仕方がないのでと、酒を酌み交わし、舞い謡い楽しむ。 そこへ現れた祖父(おおじ)。自分も盃を受けたいと頼むが、宿屋にすげなく断る。門前で、深田師が万作師を突き飛ばし?!追い返してしまいます。思い知らせてやるという 老人 おおじの言葉が妙にヒヤーっとしました。仲間を連れて帰ってきた万作師ひきいるチーム老人と、遼太くんひきいるチーム若者+宿屋 の争いに。手に手に武器を持ち、すわ一大事。大袈裟に押しつ押されつする様が面白かった。いつのまにか老人4人が、大切そうに稚児を担ぎあげ、皆でうれしそうに橋かかりを去る。
これが、ドタバタにならず、のどか。裕基くんの稚児は、華奢で本当にかわいらしい。軽くすっとした動きは、大人ではもう手も足も出ない。そのため、ちょっとお稚児さんを取りあう様がリアルに納得できて、少々ドキドキする (いかがわしい)。 
万作師の老人ぶりは、最初 宿の主人にすげなく断られるときには、よろけた老人なのだが、仲間の老人を連れて戻ってきた老武者の時には、大きくみえて驚いた。橋がかりにいるときには、どなたかしら?と思ったほど。すごいなぁ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月 5日 (木)

成田屋かまわぬ携帯

Photo_2 携帯電話を新しくしました。かえたくはなかったの。古くても困らないし。古いものはなんでも好きですし。ソンの陰謀で仕方なくと言ったところです。せっかく新しくするので、これぞ歌舞キチというものにしました。 案外うれしい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年11月 4日 (水)

ビバ花形歌舞伎 怒濤の夜の部

文化の日に、演舞場にいってきました。花形歌舞伎は、やっぱりいいなぁ。毎年11月のお楽しみです(毎月お楽しみではあるけれども)。 実力をつけてきた若人の健闘舞台は、とても面白かった。
「鬼揃紅葉狩」の面白かったこと。戸隠山の鬼女たちがすごいのです。笑いたくなるような迫力。あれでは、八百媛の菊さまがどんな名刀をあたえようとも、維茂 松緑さん一行は太刀打ちできないのでは???という心配を余儀なくさせる大迫力。隈取りの鬼女がずらりと居並ぶ中でも、天才 右近鬼女は はっきりわかるということに、圧倒されました。うんまいのう。 荒れ狂う鬼女たちは大変危ない。いろんな意味で。 亀治郎鬼女の、意気揚揚とする様もすごかった。刺されても刺されても、ちっとも弱ることがなさそう。更科の前から鬼女になったとたん、顔がものすごく大きくなったような気がした。存在感ありました。更科の前の舞いつつニヤリとするところはわかりすぎるほど。企んでいる感が面白かった。鬼女大集合の面白かったこと。かぶいて候でした。
最初の演目は、通し狂言 三人吉三巴白浪。黙阿弥の名台詞「月も朧に白魚の篝も霞む春の空...」のところ。菊之助お嬢が、耳に心地よい台詞を運びながら、川面を眺めたり 遠くをみたりと目を使うところがとても印象的だった。表情をつけすぎると台詞が響かないであろう。匙加減のよさ。 この場は台詞の調子を聴くだけでなく、大悪党なのに その情景をのどかにうまいこと例えているという様も、みどころなのだと気付きました。 声がいいので、より心に響いたのかもしれません。
松緑和尚は、お嬢お坊の兄貴分らしい貫禄がきちんとでていました。松緑さんは、うまい時と あれ?と思ってしまう時の差が激しいなぁと思っていましたが、近頃 安定したものを感じます。 思い悩む様など感情がわかりやすいところが若々しさを感じる。 愛之助お坊は、横顔がきれい。目のこしらえがとても格好いい。安定してうまい。 ここに海老蔵さんもいれば・・・と、贔屓は めちゃくちゃな希望を持ってしまうのです。 だって、若手で通しをしても飽きないようになっているのだかもの すごいことです。
若手の中で、キラリと場を引きしめていたのが歌六さん。うまいのはいつものこと。とびっきり格好よかったのが、百両の金を取り返そうと飛び出てきて花道にかかるところで転びそうになった様で型を決めるところ。 キャッっと思う格好よさでした。じいさんなのに(役が)。愛之助お坊に、喧嘩を挑むきっかけの啖呵も決まりました。いつから、こんなに歌六好きになったのかしらと思い返しつつみる。 実は菊之助お嬢の親だった八百屋九兵衛に権一さん。ひさしぶり。また小さくなってしまったそのお姿に息をつめて台詞を聞きました。ちょっとドキドキしました。出てくるだけでうれしいのよね。 寺の坊主になっていた亀寿さんは、ちょっと愚鈍な感じがうまい。梅枝くんのおとせは間違いないうまさだし、松也くんの十三郎の頼りない若者ぶりもよかった。しっかりしてる花形歌舞伎でした。   

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2009年10月 | トップページ | 2009年12月 »