« 2010年2月 | トップページ | 2010年4月 »

2010年3月24日 (水)

3月御名残大歌舞伎

3連休のうち、2日は歌舞伎座通い。1・2・3部をもれなく鑑賞。余は満足じゃ。
久し振りの歌舞伎座。二の午以来かな。(あっ もう一回行ったのだった。1階で4月のポスターをみて、驚いたのだった。)
3連休の中日に、母と一緒に 3部を奮発し鑑賞してきました。奇しくも先月の二の午の日と同じ席。最前列。しあわせ。 歌舞伎座 最後の最前列。 ここ歌舞伎座にいると、やたらと「最後の・・」とありがたがってしまう。 お弁当を食べているときの、定式幕を動かしておこる埃までもがいとおしい!? 
今月は、菅原伝授手習鑑のうち 加茂堤・筆法伝授・道明寺がかかる。 来月は、寺子屋もある。 しっかり堪能しようと、全段のあらすじをじっくり復習してのぞむ。 全体がわかると、その段が すごく心に染みる。 しみたなぁ。 深いなぁ。 すごいなぁ。
とくに道明寺は、動きもすくなく、全体を理解していないと 今ひとつ その行動の意味がわからないと思う。筋書を読んだくらいじゃわからない。道明寺は難解だ。 そして、わかると実に感動的。 筆法伝授もそう。 大切に予習してのぞむっていうのも、たまには いいものかもしれない。 
3連休の締めには、1部と2部を続けて鑑賞。この日は3階から鑑賞。
1部は3階B。この見やすくっておとくな3階Bのこのステキな席も最後。最後、最後ってうるさい。席には、ひとりだけど同じ3階に、歌舞キチのかわいこちゃん。それぞれの友人ともばったり出会う。歌舞伎好き大集合の巻。 楼門五三桐。楼門の上の五右衛門 吉右衛門さんが門とともにドーンと上がっていく。あああお顔がみえなくなりました。3階の上の方の、「あああ・・・」っていう声にでない残念の気持ちが漂って、逆におかしくなっちゃった。 女暫は、玉三郎さん。3部の老婆とうってかわって、かわいい。花道にかかるところも、なんとかみえました。
2部。おさると合流。ちょっと前進して3階A。 自分なりに好きな座席ってあるものです。 筆法伝授に、なるほどってしみじみし、 大人の弁天にほれぼれしました。 あの、大向うのタイミングはあんまり好きじゃないなぁなんて、通ぶった会話をしたり。 いろんな楽しみ方ができるようになったなぁ。
3階から舞台の見えなさ加減までも、いとおしい。 稲瀬川勢揃いの場で、シャッという揚幕のあく音を聞き、 カッカッカッという下駄の音をきき、 台詞を聞き、 今 花道で何をしているのか想像する。 「3階だからね」って納得できちゃう鑑賞スタイルって特殊なことだなぁ。 1階は、何もかもすばらしい。 3階も、その魅力がある。 音もいい。 義太夫の音は右から、黒御簾の音は左から、きちんと分けて聞こえて頭の上で交差する、この感じ。 歌舞伎の劇場の中で ここが一番素晴らしいと思う。 あー歌舞伎座すばらしいなぁ。
私がビルゲイツなら、ここをそのままの形で建て直すのだけどなぁ。(東芝と原子力発電にのりださずにね。)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

3月大歌舞伎 3部

ああ。一番前って最高。
道明寺も最高。
玉さんの覚寿が、実によかった。 あんなにいつもいつも完璧に美しい人が、老婆だった。背中が少しいがみ、足をすこしひきづる。首を少し前に出す。 言い方のきつさ。自分の心を押し隠した辛さ。養子にだした実の娘への想いと、菅丞相への想い どちらとも立てるこのできない苦しみ。 痛いほど想いの伝わる覚寿でした。 
仁左衛門さん菅丞相は、姿をみせず、声だけっていうのが多い。菅丞相が主なのに、菅丞相自身の出番は少ない (身代わりの木像とか)。 登場してきたときのその存在感の大きいこと。ものすごく辛く厳しい立場にいつのだけれども、そのたたずまいは格好よかった。さすが仁左衛門。そこに姿をあらわしてくれることだけで、顔をみることができることだけで、どんなにうれしいことかよくわかった。そして、会えないつらさもよくわかった。
管丞相の流罪の原因を作った 刈屋姫と、かばおうとする立田の前 2人諸共 杖で折檻する母の覚寿。杖で打つ姿で悲哀をだすという難しいところが、とてもよかった。いつもなら完璧な角度で美しく杖をつかうでろうに、覚寿である玉さまは、なりふりかまわず杖を振り上げる そこにハッとした。打たれる方も打つ方もつらい。
命を犠牲にしてまでも、主につくす。この忠義の心っていうものは、時に納得しにくい時がある。わが子の首をさしてだしてまで・・・と。 でも、この道明寺は、素直にその心を感じることができた。最後、ほんとうに別れの場になって、菅丞相が立ち去るとき、一緒にすーっと静かに涙が出た。 しみました。 堪能。
玉孝コンビ全盛期に、よく歌舞伎をみていた母も、仁左衛門・玉三郎コンビの追善狂言に大満足してました。(キレイなタイプのものじゃないけれども。)すごかったわねと、一緒に感心しきり。
弥十郎さんの宿禰太郎。大きく、浅はかな感じでよかった。エラそうな言い方ですが、腕をあげられたのではないでしょうか。 歌六さんの土師兵衛がさすが。時平の陰謀というか、歌六の陰謀というくらい。 残酷でよかった。立田の前の秀太郎さん。夫にみせるかわいらしさと、妹にみせる姉としての頼もしさがよかった。改心したという夫の言葉に、一瞬みせた顔のいいこと。改心がウソというのが余計悲劇的に感じる。 神妙な場が続く中で、この東天紅と鶏を鳴かすところだけが、ちょっとコミカル。していることはひどいけど。楽しく、一息つく。ここの義太夫の三味線は、長一郎さん。奴宅内の錦之助さんのヘナちょこぶりもよかった。うまいこと、着物が脱げるものだなぁ。
丞相名残の義太夫、すばらしかった。個人的にゴールデンコンビと名づけている綾太夫・宏太郎コンビ。三味線の気迫のすごいこと。ハっとした。母と、すごかったねぇと驚きあいました。
孝太郎さんの苅屋姫は、若かった。好きな人といたいというばっかりに、自分の父をこんな窮地においこんでししまったと、泣き崩れる。どうしていいかわからない。でも、一目父にあいたい。ただただストレートで、そこが若々しかった。玉さんの覚寿が、苅屋姫を着物の裾に隠し、一目あわせようとするところの熱さもよかった。顔をあわせることができない親子が、相手をそばに感じ、耐えているところ。 覚寿の計らいで一目みるところ。よかったなぁ。大袈裟に首を動かすのだけど、その人形のような動きがうるさくかんじなかったのが不思議。それが型の力なのだろうか。
予習効果で、満喫しました。
最後は、文珠菩薩花石橋。これも、石橋? 歌舞伎って自由。
役者にあてて芝居を創るってこういうことだったのだろうなと江戸時代の歌舞伎をしのぶ。 現代では、富十郎さんくらいじゃないと 歌舞伎にならないけど。富十郎さんと鷹之資くんを、いかした石橋。獅子だからって頭をまわすことをしなくても、富十郎さんなら獅子らしくなる。南座で、 雀さんと愛之助さんの石橋をみて、新しいなぁと思ったのだけど、あれは古典どまんなかでした。これに比べると。 鷹之資は、皐月人形のようでした。ムチムチ。 橋之助さんちのお子さんはプニプニ。肌感が違うなぁと余計なことを思う。文珠菩薩(鷹之資)をみてありがたくなりました。
男某の松緑さん、軟弱な修験者の錦之助さんの間狂言のような部分も新しい。楽しい踊りでした。 松緑さんって 皐月人形のようだと思っていたのですが、鷹之資くんをみたあとだと、すっきりとした大人にみえました。ちょっとほそっりされたかした。最初にでてきた寂昭法師の幸四郎さんが大きくて(でかくて)驚いた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

3月大歌舞伎 1部

またまた、菅原伝授手習鑑。 事件、発端の加茂堤。でも、このときは、事件の重大さに誰も気がついていなくて、春の のどかなようす。
梅玉さんの、桜丸はパタパタこばしりで若々しい。梅玉さんのせっかちさが、かわいい。 早く早くお二人を、と一人で気をもむ。 えらいことになっちゃうのになぁと思いながらも、かわいいなぁとのどかにみる。時蔵さんの八重と、よくお似合いの のどかさ。
次に、楼門五三桐。15分の演目!短い。みごとにいいとこどり。ストーリーなんて、どうでもいい。この豪華なのをみよ!っていう感じがいさぎよくて好き。
五右衛門の吉右衛門さんは でっかく、真柴久吉の菊五郎さんは、すっきりいい男。どうして、詠む一句を 後の柱に書いておくのだろう。この場をみるといつも思う。
右忠太に歌六さん。左忠太に歌昇さん。兄弟そろって、なんだかうれしい。内容なんてきにならなかった。 ビバ様式美。
最後に女暫。
思い返してみると、いろいろな方の暫をみていました。今回の巴御前は、玉三郎さん。きれい。といいますか、かわいい。大きな袖に振り回されず、振り回すことなく 美しく扱っていました。さすが。毅然としているのだけど、することがかわいくて(そっぽをむくとか)、ニコニコしながらみちゃった。
菊之助さんは、声もきれい。松緑さんの轟坊震斎 同様、菊之助さんの女鯰若菜も、お手のものって感じ。いつの日か、菊之助さんの女暫もみたいなぁ。 絶対に似合うと思う。 ひさびさに、進之介丈をみました。
The勧善懲悪という物語。 義高らの命を奪おうとした蒲冠者範頼の我當さんに立ち向かう、巴御前 玉さま。ところが かかってきた舎人らの首を大きな刀で一気にはねちゃう。その人たちの首は、はねても いいの?突拍子もなくて、面白い。   
最後に、舞台番に六方を習い、恥ずかしそうに引上げていくというこの趣向。よくできているなぁ。 最後のところも、大好き。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

3月大歌舞伎 2部

またまた、菅原伝授手習鑑。 こんどは、筆法伝授。数年前に、昼夜通しでかかっていたとき ここをみて、その後 寺小屋が がぜん面白くなった。
またまた、梅玉さん大活躍。こんどは、武部源蔵。戸浪の芝雀さんと一緒に、耐えてしのんで。我慢に我慢のお役です。よかった。
希世の東蔵さんの愛くるしいこと。こういうおどけたお役は、うまくないとみていてむずがゆくなってくる。 東蔵さんにたっぷり、たのしませてもらう。伝授されるのは自分と勝手におもい込めるのんき者。いじわるの仕方も、小学生レベル。かわいい。 強いほう強いほうに、はずかしげもなくなびけるところも、面白い。
筆法伝授せよとの勅諚を賜った菅丞相。もちろん仁左衛門さん。厳しさが格好よかった。
冠が落ちたことを不吉と予感するところ。大袈裟でなく静かな動きで、じっくりと表現するのがすごいなぁ。
一時は、勘当がとけたかと喜ぶ源蔵。伝授は伝授、勘当は勘当という厳しい言葉に、落ち込む、源蔵夫婦。 勘当された身だからこそ、怖いものなしに主のために戦いまくる熱い源蔵夫婦。 どれも、すばらしかった。 予習のおかげで、ひとつひとつの行動に、ジーンとして、堪能しました。
築地(塀)の上から 菅秀才を託す、梅王丸には、歌昇さん。目がクリックリッとして いかにもいいもの。 源蔵夫婦へ頼むところもかっこいい。 ちびっこ菅秀才も立派でした。

最後は、弁天。まってました!キャー菊五郎さんってこんなに格好よかったかしら。なんていうのかな、あの間。動作も口調も、粋なこと。 若者の美しい弁天は、もちろんきれいでいいのですが、これよこれ。大人の弁天。 本当の弁天っていうのをみせてやろうというわれたようです。 ははぁー参りました。 うまいねぇ。 吉右衛門さんの南郷はでっかく、頼りがいがある。かけあいのかっこよさ。 心のなかでうなりながらみました。
かっぱとのっぴ的に、浜松屋さんも勢ぞろいって感じ。キビキビ働く店のもの勢ぞろいでした。やったー。橘太郎さんの番頭も満点、贔屓の役者はというところで、番頭さんもフリ。ご自身で「小粒だけど山椒のようにピリっとした坂東橘太郎」とおっしゃってました。たしかにたしかに!!小僧さんからお年寄りまで、何をやっても間違いないもの。番頭さんにふられたものをみたのは、初めて。いっぱい拍手しました。
歌舞伎座って広いなーと思うのですが、それを感じさせない大きい舞台でした。おもしろかったー。

帰りに、おさると祝杯。なんの祝いであろうか。歌舞伎座に乾杯。 おさるが 適切な飲み放題は1時間だ という名言をのこす。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月22日 (月)

岡村桂三郎展

この3連休は、歌舞伎座へ。楽しかったけど、短い。3部制。お手頃価格なら、いいのだけど、去年までの2部制の値段じゃん。もっとみせて~
歌舞伎座の帰りに、小林画廊へいってきました。現在開催中の「岡村桂三郎展」をみるため。このすばらしさは、言葉では伝えられない。ならば、本ものを! 現在、コバヤシ画廊で個展開催中なのでいってきました。
大きな作品が壁4面に。タコ。たこ?蛸 。 かっこいい。一瞬何だかわからない。じっとみていると、ジワジワわかる。この目げたまらない。蛸に囲まれる空間は、すごかった。
奥で話し声がしていました。奥にも作品があるのかな?と思っていたら、奥から男性がでてきました。なんと、岡村桂三郎御本人。うれしすぎて、後ずさり。ヒデキ感激です。ヒデキじゃないけど。 ちょっとお話できて、うれしかった。
奥の小部屋には、小さな作品が。いつか、自分で手に入れることができるのでは?と淡い夢を抱く。小さくても、大迫力。小部屋の作品の目が、少し大きくて不思議な感じがした。
また蛸の部屋にもどる。圧倒的 奇妙な肌感が好き。 とても好き。
作品をはじめてみたのは、2006年8月の国立近代美術館のモダン・パラダイス展。出口にあった、氏の作品のインパクトは忘れられない。生きている作家なら、本人とお目にかかる機会があるのではと思った。 長生きはするもんだ(変なまとめ)。
会期は、27日まで。また行こうと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

木田安彦の世界

パナソニック電工 汐留ミュージアムに、「木田安彦の世界」をみに行って来ました。いかしたポスターをみて気になっていました。しかも、招待券をいただいての鑑賞。 母娘ともども、御親切にしていただきました。 どうも、ありがとう。
今回の展示は、「西国三十三所」の版画と、「日本の心・名刹」というガラス絵の 一連の作品をずらーっと展示。木田作品これにあり、という格好いい展示。 しびれました。
「西国三十三所」
2004年~2009年の5年間をかけ作成された、木版画。これが、還暦をむかえた人間のパワーだろうか。とても力強く、若々しい。 圧倒される大胆な構図と、緻密な彫り。 色のなんともいえない魅力。センスというものは、残酷なほど人を選んで与えられたのだなぁ。 かっこいい。
展示には、下絵 と 彫り上がり と 主版 が紹介されている。 そして、木版画の作品が別に展示されている。 下絵や彫り上がり、主版も 迫力があり、それにも見入ってしまう。 これが、何なのか今ひとつわからなくて、展示の方に教えていただいた。 完成品ではなく、こういう過程の展示があること自体 珍しいことであることを知りました。 そこが ちょっと わかりにくく もったいないかもしれない。訳がわからなくても なんだか面白いのだけれども。 木版画をみて、また版木コーナーにもどったり。 知らなかった新しい世界は、面白かった。 木田安彦の千社札が壁に貼られていたのも、いかしてました。
十分満足したところで、次のガラス絵のコーナーへ。ここも、また 新しく 格好いい作品でした。
ガラス絵シリーズは、先ほどまでの 黒の美しさを全面に押し出した世界とは異なる。 金の美しさ。 仏像の あの金箔の 静かな美しさに 魅了された。 格好いい。 一緒に うっとりとみていた母が、「この中でもらえるとしたら、どれがいい? ママはこれ。」 と先に、ツバつけつつ質問してきました。 なんだ その質問?! この親をして この子ありだな。 いかにも、自分のしそうな質問に 「私は、これだなぁ」 と即答しておきました。 その後、2人とも、別の作品が もっと気に入り やっぱりこっちにすると 言い直しあいました。 架空の質問なのですがね。 家にあうサイズなので、そんな夢も膨らみました。 ちなみに、私は唐招提寺がよかったのですが、浄瑠璃寺に変更。 母は、高幡不動尊から三千院に変更。 仏像や寺の切り取り方が、とてつもなくすばらしい。

木田安彦は、木版画制作の細かく緻密な作業のため、眼を悪くし それは版画制作をやめるよう言われるほどだったそうです。 彼は、あきらめず、病を押し、この版画の大連作を完成させた。 版画制作はこれを最後とするそうだ。 気迫あふれるすばらしい作品でした。
単行本のような図録を購入。 編集装幀が木田安彦さんという素晴らしいもの。 本人による図録(本?)は、とても珍しいのではないだろうか。 大事に読もうと思う。 たのしみ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年3月21日 (日)

川喜田半泥子のすべて

今年の1月に、銀座松屋での展示できになっていた「川喜田半泥子」。横浜のそごう美術館に巡回とあったので、楽しみにしていました。ぼーっとしている間に、もうすぐ終了!昨日、あわてていってきました。
デパートだしなんて、おもっていたらさすが美術館と銘打っているだけのことがあります。おもったよりも、沢山の作品がありました。
川喜田半泥子(かわきた・はんでいし)は、社会人であり 趣味として陶芸をはじめた人。といっても、会社員ではなく、百五銀行の頭取を二十数年間勤めた人。その後、津市議会議員や、三重県議会議員も務める。そんな人が、陶芸だけでなく、書、画にまで堪能。しかも、素人がみても、センスがいい。どうなっちゃっているの!?。
器のことは、ちっともわからないけれど、それでも味があって面白かった。 抹茶茶碗だと思うのだけど、おおぶり。手の大きな人なのだろうか。 粋というのは、こういう人のことをいうのだろな。 みていて、なんだか面白い。 水さしの作品で、「勘忍袋」という題のものがあった。なんだかユーモラスな形。そして「やぶれたら また ぬえ ぬえ」と添えてあった。 いかしてる。
自画像も、すてきだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月20日 (土)

染模様恩愛御書

日生劇場へいってきました。「染模様恩愛御書 細川の血達磨」。大袈裟な外題。染五郎と愛之助をおりこんだ外題が、江戸っぽくていい。怪しげなチラシに誘われいってきました。面白かった!(おかしかった?!)
大川友右衛門の染五郎と、印南数馬の愛之助が、はじめて出会うとこ!人が恋に落ちる瞬間をみたわ!ハグちゃんか!ハチクロを思いだしましたことよ。もう、ベタベタな一目ぼれ。こんなに、歌舞伎の名場面をひっぱってくるなら 見染の場を意識したらどうであろうか。意識していたのかしらん。わかりやすすぎ。そこが、大袈裟でいいねぇ!
横山図書の猿弥さんは、人の話をうのみにしすぎ。 おたくの奥さん間男してますぜってきいて、すぐ妻を斬る。(猿弥さんを わざと、たきつけたのは新蔵さん。) 猿弥さんは ものすごく、悪いひとでした。 かわいげのない悪。  妻を、あっさり斬っちゃう。 とにかく、展開が早いの。全体的にあわてすぎ? 女を斬るときは、籠釣瓶みたいでした。決まってかっこういいのだけど、なんだかおかしくって。 どれも、これも、歌舞伎の名作を彷彿させるモノが多すぎですぞ。
追いつめられる猿弥さんは、黒の紋付に、大小あられの裃。これは、仁木弾正!と思ったら もう 伽羅先代萩の「対決」の場 そっくりの動き。 門之助さんの細川越中守は、細川勝元そっくりの装束。 位置も似てるし。 弾正の最後じゃなくて 猿弥さんの最後は、弾正のように両手で空をグルグルとつかんでバタン。 死骸の片づけかたも 同じように 高々と掲げられてました。 あぁ、思ったとおりに・・・
細川の家の宝を守るため、命を投げ出す染五郎さん。死骸となり、殿の前に戻る。だが家宝を守ったことは、伝わっていない。どうする染五郎!? 実盛物語の小まんのように、腕をつないでもらったら、一念で一時生き返るのでは?と期待しちゃった。ここは、死骸にとりすがっている愛之助さんが、普通にみつけてました。
腰元あざみの春猿さんが、最初に 妙に八百屋お七の話をするなぁと思ったら、最後に火つけにつなげてました。もう、見事に歌舞伎味満点。 歌舞伎好きには、いろいろと面白い舞台です。
お手討ちか!っていう危機にあった直後(まだ安心できないとき)、一句詠んでみせる友右衛門 染五郎さんのおおらかさ。おかしいよ。そして、その詩は、歌になり流れてました。照明がすごくて、録音された音が流れてくると、2部は歌謡ショーって気分になっちゃう。 もうちょっと おさえていた方が、歌舞伎味があるのではないかしらと思ったけど、この ものすごさが面白かった。
しのぶちゃんの、耐える女のかわいらしさと、春猿さんの、キーーーって情熱的な女のかわいらしさが 対象的で面白い。おふたりともおきれいです。
愛之助さんの、ドリフっぽいおかしな可愛らしいお小姓さん、面白かった!パタパタしてるところが、頼りなくていい。 なんともいえない路線を走っているようでもある染五郎さんも面白い。かっこよく決めたとこまで、面白い。

大川友右衛門祭。頭の中で、大谷友右衛門に変換。もう、明石屋物語になっちゃった程。(そういえば、大向こうがきこえませんでした。) パワフルでした。(力わざ?)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月18日 (木)

少年よ大志をいだけⅧ

覚書
今月はじめごろ、西洋美術史 勉強会開催され ホクホクと参加。 緊張しなくなってきた。すごいぞ、自分。
すっかり定例となった 講義前の聴講側生徒による発表。 紅型についての卒論。面白い。そして、そのテーマとの運命も面白かった。 毎回思うが、ここに参加している人はいろいろと魅力的である。
その後、いつもどおり先生による講義。「絵画と写真」
「死と生」というテーマのときに、キリスト教以前と以後との違いに驚いた。BC、ADって分けるはずだと関心しきり。 今回は、写真というものが登場することによって、絵画におこった革命的なことについて学ぶ。こんなに違うとは。また驚く。
絵画というものは、宗教的な教えを表すものであった。そして王室などの肖像を描くという意味をもっていた。そこへ、写真が登場。 画期的に機械ではあるが、王室でないと持てないというほど高価なものではない。才能をもった人でなくとも、機械を操作することにより姿を写し取ることが可能となった。肖像画家たちのとまどいなんて、考えたことがなかった。 宗教画には、約束事が沢山あり、当時の人々は常識としてしっていた。 そういう約束事をうちやぶり、絵をかく意味を模索しはじめたころの作品としると、マネも、モネも、スーラも、ゴッホも、ますます面白くなる。絵画とは、筆の跡を 完璧なまでに残さないものという常識をうちやぶった筆づかいだったのか。 知るということは、実におもしろいことだ。 カラバッジョの映画で、宗教画のあの時代を少し感じたような気もする。 一度みたことのある作品を、もう一回みたい。ワクワクする。 
そして、自分の大きな壁である 人に伝えることについても、少しのりこえたい。 自分の中で、消化できていないからなのだろうな。さらっと紹介する。これが夢。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

斎藤 誠 LIVE ぶらり二人旅2010 ~片山敦夫編~

覚書 音楽編
あぁそうでした。こんな楽しいこともあったのでした。覚書しておこう。
ある金曜の夜、ヨコハマ赤レンガ倉庫へいってきました。 モーション・ブルー・ヨコハマでのライブ  ”斎藤 誠 LIVE ぶらり二人旅2010 ~片山敦夫編~ ” を聞きに。
伝統芸能以外にうとくなってしまっているので、友人に誘ってもらえないと、こういう場に出向くことがなくなってしまいました。 モーション・ブルー・ヨコハマって、Blue Notes 系列のジャズライブレストランだったのね。 そんなお洒落なところとも知らずに、のこのこでかけてきました。ベイブリッジとかもみえて、夜景がキラキラして、デートにくるならこんな店って感じでした。デートにいいねぇ、そうでしょ、と話しあう女子2人。 大人の客層、ロケーションのよさ、+近所、いいねえ。 
2ステージ制。6:30pmから聞いていた人が、そのまま残ってきいていていいしくみらしい。 8:30pmの2ステージめの30分ほど前についたので、もう横のカウンター席しかなかった。でも、ココがなかなかよかった。誠っちゃんは、こちらに思いっきり背中をむけて弾いているので、時々気にして こっちをむいたりして。 かえって特別な感じ。 ビールをのみながら、おいしいおつまみを食べ、いい音楽があり、窓の外はキラキラ。 すてきな夜でした。 音楽バカって感じの子供っぽさと、いい声がお気に入り。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

覚書祭 美術館編

いやぁ、昨日の『霧の旗』の面白かったこと。
生誕100年2週連続松本清張スペシャルの『霧の旗』をみました。昨晩は、間に合うようにあわてて帰宅し じっくりTV鑑賞。 海老蔵丈鑑賞会。 力はいりまくっちゃうかと思ったけど、そんなこともなく 面白かったし、かっこよかった。 といいますか、いろんな意味で かなり おもしろかった。やっぱり、かっこいいのう。  途中で 黙っていられなくなり、おさるとメール合戦しながらみる。
最後の あの30秒程 がね・・・ 個人的には、あんなに転がるように展開していったのだから、もっと どん底感を!と思いました。 2人で検討した結果、いきなり今日はこれぎりって終わることにしました?! 検察庁の場面で、急に刀とか 長刀だかを手にとり、中井貴一と「大入り」と かきあう。そして、本日はこれぎり って挨拶して幕。 そんな男気は どうだろうか。
さぁ、録っておいたスペシャル番組を見るぞ。

美術館にいった記憶がたまっちゃったので、覚書をまとめて更新。覚書祭。
読んだ本は、収拾つかなくなってしまった。 もう追いつかない・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

没後400年特別展「長谷川等伯」

覚書
東京国立博物館にて没後400年特別展「長谷川等伯」を見る。
はじまってすぐでしたが、すでに結構な人出でした。 
長谷川等伯って何人いたの?と思うほど様々な画風。年代を追って、住む地を変え、画家としての価値を変えていった等伯自身の歴史とともに変わってゆく、その作品の変化も面白かった。
国宝「松林図屏風」の印象が強かったが、こんなにもいろんなものがあるとは。 ダイナミックな屏風絵が気に入りました。金に金の薄を描くところがすごい。派手なんだが、抑えているんだか。 一番気に入ったのは、あの大きな仏涅槃図。 そして、「枯木猿猴図」のやわらかい線にメロメロになりました。売店で猿を買い求めるはめに。かわいい罪なヤツです、枯木猿猴図。
能登の絵仏師・長谷川信春 これも、等伯か(信春時代)と驚く。こんでいたので、ちょっと斜め見をしてしまった。
上洛し、等伯という画人が誕生。のちの水墨画の感じもでてきた時代。敬虔な法華宗徒であった等伯が描く、その関係の肖像画の時代。
それを経て、桃山謳歌-金壁画-の時代。ここ、おもしろかった。 屏風や障壁画がたっぷり。楓や、秋草。波濤など自分の知っていいるものを、こう描くのかという驚き。面白かった。
信仰のあかし-本法寺と等伯-の時代。高さ10メートル、横6メートルにも及ぶという「仏涅槃図」。大きい。想像を超える大きさ。東京国立博物館平成館の あの高い天井から下げているのに、作品の一番下は 折れ曲がって床につくほど大きい。 わたくしの夢のひとつに、歌舞伎座に緞帳を贈呈するというのがあるのだが(←夢をみるのは、自由ですもの!) それも、このくらい大きいのであろうかと考えた。 
墨の魔術師-水墨画への傾倒-の時代。一緒に、息子久蔵亡き後の時代。一緒に、能登から京都にでてきたのに。墨の魔術師というネーミングは、どうであろうかと思う。魔術じゃないよ。 ここに、龍泉庵の「枯木猿猴図」がある。
最後に、松林図の世界。 国宝「松林図屏風」がありました。本館で、展示していたときには、人が少なく ゆっくりみることができたのにな などと思い返す。 出口近くなので、ちょっとバタバタ感があります。人も多く、遠くから鑑賞。 それでも山の中の静けさのようなものがあるのが、さすが。
もう一回、みにいこうと思っていたのですが、ちょっと無理そう。会期1ヵ月と短めなので混雑もものすごいらしいです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

おもてなしの美 宴のしつらい

覚書
サントリー美術館で、「おもてなしの美 宴のしつらい」をみてきました。招待券をいただき、ホクホクと足を運ぶ。(ありがとうございました。)
所蔵品展だけあってみたことのある作品が多かった。テーマに沿った展示をすると また面白い見方ができるものだなと思った。
季節がら、雛人形・雛道具。 犬張子のおおきさには、毎度驚く。東博の本館にもあったな。戌の日との関係を調べてみようと思って忘れていたことを思い出した(やってない)。
酒宴の宴の正しい姿の記録のようなものがおもしろかった。食膳具の置き方見取り図のようなもの。 酒器や、茶道具もおもてなし。 遊楽図もおもてなし。 浮世絵も、そのような様子を描いたものが飾られる。無理に、テーマにあわせた感もあるけど。
おもてなしの茶道具に、江戸時代の猿猴捉月図野溝釜がありました。茶道具は、全くわからにのですが、これは惹かれました。茶釜の胴の部分に猿がいる。はっきりは、わからないのですが 右足を持ちあげ、水にうつる自分の姿に対して挑みかかっているようにみえた。月が水に落ちてしまった。大変だ。月を救い出そうとして自らが水に落ち命をおとしてしまった。という注釈があったのは、ここだったかしら。 
『猿猴捉月図』の謂れ。 猿が、池に写っている月を本当の月と間違えて その長い手足を伸ばし 取ろうとしている情景を描いたもの。 実現不可能なことをして 身を滅ぼすたとえのように書かれている。 が、本物の月かと思って 手をのばすことを、愚か ととらえるか はたまた 純真 ととらえるのか。 (私は、純真派。) どこかで読んだ解説は、この世に月がなくなっては大変と、身をていして救う猿 と表現されていました。猿よ、ありがとう。 
江戸時代の楓流水蒔絵車文透香枕という、飾り窓のついた、陶器の枕があった。香を炊きしめて、寝るという趣向なのであろう。風流だけど、首が痛そうだ。
室町時代の、西行物語絵巻は、愛嬌のある表情ですてきでした。
狩野元信の酒天童子 中巻。細かくて面白い。源頼光らと 酒天童子ら が お互いに、酒で相手を油断させ、寝首をかこうとする 火花散る 緊迫の場面らしい。が、酒天童子らが すすめられるまま 酒をくらい、グデングデンになっているようにみえる。もどしてしまっているものまでいるし。吐いたものまで、細かく描かれていて、それを後生大切に鑑賞するっていうのも おかしい。
鼠草紙絵巻の横には、放屁合戦絵巻。放屁の合戦に備え、放屁しやすい食材を食べる図が展示されていました。栗を食べてました。栗って、屁の材料になるのね。
そんなに、新鮮さはなかったけど おもしろかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

山本冬彦コレクション展 ~サラリーマンコレクター30年の軌跡~

覚書
先月、国立能楽堂の帰りに、佐藤美術館にいってきました。初めて訪れた美術館。こぶりで個性的。
山本冬彦コレクション展 ~サラリーマンコレクター30年の軌跡~ 岡村桂三郎さんの作品が出品されているらしいぐらいの気持ちで出かけたら、相当に面白い展示でした。最終日にみたので無理でしたが、友を誘ってもう一回いきたくなる展示であった。
個人の趣味で集めたということは、趣味が片寄るということでもある。その方と 好みがあうということは、そのコレクションは おおむね好き ということになる。 おおむね好きになりました。 作品のサイズも小柄でいい。
観賞者という立場だけでなく、自分で作品を買うという可能性を感じさせる展示。 こんなの家にあったら、どんなに素敵だろうと思う。この作品はいかほどするものなのだろうかと考えるのは、俗なのであろうか。
アンケートに、自分ならどれが欲しいか書く欄があったのがいかしてました。断然 岡村桂三郎さんのですが、他にも欲しいのがあった。普通の家に飾ることが可能な大きさなので、夢が広がっちゃう。 
3階は、「コレクターの眼」同世代作家の作品。4階は、「アートソムリエの眼」若手作家へサポートの意も込めて購入した作品。5階は、大作。

「サラリーマンが美術作品をコレクションするということは?」
山本冬彦さんというサラリーマンが、画廊をの巡り 30年間で約1300点の作品を蒐集ししたそうです。大企業でも、大富豪でも、大成金でなくても、美術作品を購入することができるのですね。しかも、自らを「アートのソムリエ」と称し、画廊の巡り方や美術品購入のアドバイスや普及活動も行っているそうです。立派すぎ。 
佐藤美術館自身も、美大の学生に奨学金を支給したり若い作家のサポートを目的とし約20年活動をしてきた美術館。どっちも、立派すぎ。
山本冬彦さんは、ちくま新書から「週末はギャラリーめぐり」という本をだされたようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

村山槐多 ガランスの悦楽

覚書
先月、松濤美術館にいってきました。「没後90年 村山槐多 ガランスの悦楽」をみる。
村山槐多(むらやまかいた)は、22歳(1896年~1919年)で逝った夭折の天才画家だそうです。毎回、松濤美術館で出会うものには驚かされます。 河野通勢もすごかった。 そもそも芸術家というものは、情熱的に決まっているけれども、村山槐多のどこにむけたらいいのかわからない あふれる情熱のあつさに圧倒。
槐多少年が、大好きな少年にあてた桃色の手紙が めっぽう面白かった。 僕はとるにたらない貧乏な少年だけど、立派な芸術家になるのだ。 すてきな君と友達になることができたなら夢のようだ。(かなり意訳) それを あんなに かたくて 魅力的な文章 で綴ることができるとは。しかも小学生がである。 あこがれの君を描いた絵には、坊主頭の少年がかかれている。 愛なのか 恋なのか、あこがれであるその少年の 存在のおおきさは、後世の作品にも出ていて興味深かった。 「二少年図」という作品がある。 あの江戸川乱歩が 生涯書斎に飾って愛した作品 だそうだ。 大切にかけられていた その村山槐多の絵画は、槐多自身とあこがれの少年の2人の図である。 槐多は、乱歩をいう人を介して、少年探偵団の小林少年になったのではないか という説があるそうだ。
槐多は、女性に興味がないわけではない。 青年になると、婦人をおいかけ、失恋したりしている。 もう、すべての作品にものすごいエネルギーを感じ、面白かった。
病にかかり、その重さに押しつぶされそうになる。 療養中の浜で酒をあびるように飲み、表に飛び出し倒れたりする。 あの早熟で多感な青年が、長く生きていたらどんなものをかいたのであろう。 絵画だけでなく、詩もキラキラしていた。 子供のころだした暑中見舞いのはがきも、面白かった。 村山槐多、すごい。
300円でみせていただきました。 松濤美術館も すごい。今年もまた、ここで 驚かされたいものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月16日 (火)

『上海バンスキング』 ~千穐楽編~

♪月白く輝き 青空 高く 
  木ずえの青いを 我によせて
  タラン ラン ラン ~

先日、上海バンスキングの千穐楽をみてきました。熱かった。舞台も、客席も、わたくしの心の中も。ともに 上海バンスキングに、自由劇場に狂ったおさると観劇。感動 胸いっぱい。 
また、上海バンスキングをみることができるなんて、夢みたいでした。 ワクワクその日を待ち、舞台をみている時も夢のようでした。終わりをむかえても、さみしいというより、なんだか まだ夢の中にいるよう。はぁ。楽しかった。
戦争という大きなテーマを、小難しくなく、ひねくれず、つらさをふざけるジャズマンのチャランポランさで描く。うかれたツケとか、どうにもならないことの切なさがたまらなくいい。 大切にしなくちゃいけないことは、ちゃんとこの胸に残りました。 いい芝居です。 そして、音楽劇のこの格好よさ。 今、新しいものがどんなにでてきても、この格好よさは、まだ 出せていないと思う。 日出子さんの声大好き。 あの歌声をきくとうっとりします。最後のSwing Swing Swingのいかしたことったら。 思いだすだけで、涙がでちゃう。 
自分たちが、いかにこの芝居を、オンシアター自由劇場を愛しているかよーくわかった。こんなに、台詞を覚えていることも。歌もばっちりだし。 楽しい時代だったなぁ。 
やっぱり日出子さんの可愛らしさは天下一品です。 大森さんはどっしりかっこいい。小日向さんは、2枚目さん。串田さんのあのフニャフニャさがいいし、笹野さんは、忙しくしているのに、突然じっと動きを止めたときにドキっとする。小西さんは、ちっとも老けずかっちょいい。・・・隅から隅まで、みんな大好きです。 
終演後のロビーは、ものすごかった。この場にいるだけで幸せです。誰かにお礼がいいたくなった。愛があふれた空間でした。 また、みせてくださってありがとう。いろんな思い出をありがとう。愛してます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月11日 (木)

『上海バンスキング』 ~親孝行編~

昨日、お仕事をお休みして 両親と一緒に『上海バンスキング』を観てきました。お昼間にみるのも、いいなぁ。夕方 まだ明るいうちに終わり、あせらずにあれこれ話ができる。 両親にとっても懐かしの上海バンスキング。とても面白かったとゴキゲンでした。よかった よかった。 いいお芝居をみることは、楽しい。そして、それを共有できることって、とても幸せなことだとしみじみ感じました。
今回は、S席から鑑賞。よいお席だったということもありますが、S席はみやすい。すぐ横を役者さんが通ったり。舞台も近いし、臨場感もたっぷり。よりお芝居にひたることができました。
自分の思い入れの強さやら、懐かしさやら、いろんなことに感極まって涙していた前回の観劇と異なり、今回はちょっと落ち着いて芝居をじっくりみることができました。切なくて涙がでてきました。すごい芝居です。すばらしい。
景気よく 調子よく浮かれて世をわたってきたジャズマン。戦争の影響で、みな大事なものをなくしていく。指の間からすべりおちるように いろんなものを失って、それが夢だったらどんなにいいのにという 楽しい思いでだからこその切なさを みごとに表した作品。説教くさくなく戦争を描くことって非常に難しいと思う。
終演後は、役者さんたちがそのままロビーへくりだします。熟年齢層の客層のみなさまは、この芝居に愛情・思い入れたっぷりの方が多いよう。 もちろん そのお約束をよくご存じで、あっというまにロビーが黒山の人だかりに。マニアのわたくしも、もちろんいち早く駆けつけ、後ろの人たちのためにしゃがみこんで、ロビーで熱くなりました。 リンゴの樹の下でを聞き 幸せいっぱいに。どうもありがとう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年3月10日 (水)

「カラヴァッジョ/天才画家の光と影」

覚書
カラヴァッジョの映画をみてきました。ものすごかった。
現代人なんて、ひよっこである。
そして、あのような情熱を持つことができる時代でないと、神の絵なんてかけないと思った。
「絵画=宗教的意味あいの、誰がみても何を どの場面を表したかわかるもの」 ( または、「絵画=王室・貴族の肖像画」) という時代。 絵画を書くときに、神を書くことはあたりまえとか、そういう理屈じゃない。 スイッチをひねれば電気がついて、夏はクーラーで冷えるほど涼しい。そういう、軟弱な快適さの中で生活していることで失った感覚だ。惜しいことに。風を感じ、光を感じ、ひれ伏す位思う高貴な人がいて、恐ろしいほど貧しい。五感を研ぎ澄まさなければ、生死にかかわるような暮らし。そんな暮らしにあっとうされた。 そして、剣を持ち本気で決闘したり、ギロチン刑(民衆の面前で斧で首を斬りおとす)がある時代のものすごさにぐったりした。ひ弱なことをいうようですが、現代人でよかった。
この時代には、カラヴァッジョには、神を崇拝する心がある。 心さえあれば、描けるものでないことは百も承知。 だが、現代のように作品に意味をもたせるなんてことをみじんも思わぬ その時代がよく出ていて圧倒された。
あんなにも粗野で、乱暴で、ワインはピッチャーに直接口をつけこぼしながら飲む男が、光が手に触れるような作品を描きだす。あんな棒のような筆が、あんなに繊細な感じをだすなんて。 
同業者の天才へのやっかみが面白い。モーツアルトに対するサルエリのような。今までコツコツと自分が築きあげたものが、パっと現れた若者(しかも天才)によって 存在が薄くなってしまうことの恐れ。そして、確かにその才能がわかってしまうあきらめきれない怒り。おそれ。そういうものに心が曲がって、立場を利用した悪意のある行為をしてしまう気持ちがわかる。 
「モデルがいないと絵が書けないとは、なんとおそまつな」と誹謗する画家仲間。しかも、娼婦をモデルに聖母を描き批難される。 彼にとって それは あこがれの女性 そのうつくしさを描くためだけのこと。みているこちらも、そこに何が問題であるのだ。とカラヴァッジョの友のような(しかも騎士)気持ちになる。強引に女性を選び、モデルにする。決闘だ、テニスで!といったときには??となった。ラケットなんかつかわず、あらっぽくテニスをしていたシーンも、ものすごく本気でした。 
カラヴァッジョが38歳で倒れるまでの波乱の生涯を描く映画。 38歳までよく生きてた気すらする。もう何度もダメだと思った(冒頭から)。濃厚で、気が休まる隙のない映画。 どんな解説書を読むよりも、すごさを感じる映画である。
東京都美術館での「ボルゲーゼ美術館展」で何をみるこができるのであろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月 8日 (月)

『桃色トワイライト』

覚書
おうちで読みました。三浦しをん『桃色トワイライト』(新潮文庫)。しをんちゃんのエッセイは、電車より家がい。気兼ねなく大笑いしたいから。そして、心おきなく大笑い。いやぁ、すばらしい。
あんなにかわいらしいくせに、ものすごい暮らしっぷり。アタクシ これを読んで ぜひとも仮面ライダーク○ガ(←伏せ字)を、夜通し 体力勝負で見てみよう!と決意。 無駄にムーディな豪華ホテルとかでみたいわ。(わたくしの相方も,覚悟していることと思います。) 物陰カフェというアイデアに、にんまり。おさると私が、個人的に贔屓の某役者に「物陰さん」ってあだなをつけています。ちょっと違う方向なのだけど、共通点では?あたしたちも中々だわ(しをん師匠と同じような妄想だから)と 勝手に思いました。 エッセイによくでてくる、しをんちゃんの素晴らしい御友人たちには、もう自分の友人のように愛おしく思います。 京都の男とかなんて、もう日常使ってますし。 これは、新撰組!のころのことなのね。新撰組!もみたくなったわ。こちらも、もちろんよっぴいて。
ベッキーの趣味は妄想らしい。こんな風にプロポーズされたいのという台詞をきいていて恥ずかしくなってまいりましたことよ。まぁ、ハタチそこそこの娘さんだから、それでいいのだろうけれども。彼がこういって、私がこういって、ウフ・・・そういうのも、妄想なのか。妄想だろうけどもうちょっとパンチというかひねりというか、味つけが欲しい。つい、バッカじゃないのと言いたくなるような愛らしさといいましょうか。
しをんちゃんのエッセイは、何度読んでも面白い。すばらしい構成 微妙な匙加減 のめりこむというのはこういう事をいうのよっといういさぎよさ。そして、妄想とはこうあるべしという高レベルな妄想っぷり。プロの仕事はすばらしい。
わたしくも、妄想修行を怠らず、日々精進いたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月 4日 (木)

上海バンスキング ナイト アンド ネクストディ

ロッテリアのエビバーガーだかのCMに全身真赤のスーツをきた海老蔵さんがでてました。すごい・・・間違ったルパン三世みたい。やっぱり目がはなせません。

思い出のつづき (覚書)
先日、おさると二人で上海バンスキングの再演に胸震わせ、その晩は東京プリンスのザ・タワーにお泊まり。窓の外には、はみ出るほど大きな東京タワー。おふろは、ジャグジーみたいにブクブク。ホテルの入口は、ピカピカ。ロビーは、甘いいい香り。コンシェルジェさんは、ウエンツ顔のかわいこちゃん。(質問したけど、かわいいなぁと思って答えをあんんまりきいていなかったほど。) なにもかもロマンティック。おさるに無駄扱いされるほどのロマンティックさ。胃が本調子でないのがつくづく残念であった。すまん、へばれけになれなくて。いいお部屋で、のーんんびり。夜中までパンフレットみながら、上海バンスキングやオンシアター自由劇場の思い出を語り合う。幸せでした。

翌日は、フカヒレ入り茶碗蒸しもある ビュッフェで朝食をとり 東京国立博物館へ。「長谷川等伯」展をみる。枯木猿猴図グッズに心奪われる。 常設展もしっかり鑑賞。先日、本館を訪れた際に見巧者の方にたっぷり教わった浮世絵の知識を、忘れないうちにおさるに垂れ流す。季節がら出品されていたお雛様も面白かった。東北の方の仏像の彫りについて語りあった。法隆寺館でずらっと重要文化財が並ぶフロアで、あまりにすごすぎるものが並ぶことと、浅田真央ちゃんのフリーの素晴らしい技術のオンパレードについて考察しあった。(すごすぎて、すごさが目立たないもったいなさがあるのではないか。) 表啓館でアジアの広さを実感したり。一緒にあれこれ語りながらみる博物館めぐりの楽しさを満喫。 法隆寺館でホテルオークラのレストランのランチをたべ、ホットワインなんて女子っぽいものをいただいたのも楽しかった。 仕上げに、近くの国際子ども図書館へ。、「日本発子どもの本、海を渡る」展をみる。本当に、ここは素晴らしい館です。傘の収納の仕方が難しいこと以外、文句のつけようがないです。(あれ?最後が文句になってる・・・)ブラボー。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月 3日 (水)

上海バンスキング

先週『上海バンスキング』を観てきました。
このお芝居は、私にとって特別なものです。こんなに何度も見た芝居はないし(20回近くみたと思う)、こんなに台詞が頭にはいっている芝居はない。なんなら代役ができるかと思うほど。無理でもプロンプならつけられると思う。
はじめてこの芝居を観た小娘のとき、驚愕しました。今のように芝居をみることなど、ほとんどないという生活環境もあったかもしれませんが。そして、上海バンスキングの世界にのめりこみ、オンシアター自由劇場の役者さんたちをこよなく愛しました。アングラ演劇ということばも知りました。 また、昭和のジャズマンたちの資料を夢中になって読みました。ジャズというものに出会い、本物のビッグバンドを聞きにいって、本物のバンドマンのうまさにびっくりしたり。NYに旅行したときにも、ビッグバンドを聞きにいったり。 「オンシアター自由劇場」と出会い、道楽の門をひらいてしまったようです。 
1994年シアターコクーンでラスト公演を行ってから16年たったそうです。 久し振りに集まるオンシアター自由劇場のメンバーが、舞台に現れるだけでジーンとしました。幕明けに、バクマツがトランペットを持って登場し、そこに四朗さんのクラリネットの音が流れるだけで、涙がでてきました。みんな、均等に年をとり、腕をあげたり変わらなかったり、格好よくなったり恰幅を増したりする姿をみて、胸がいっぱいになりました。年をとるのも悪くないと思った。ちょっとくたびれたりしている姿も、なんかいい。
16年も経つということは、あの時の全員が舞台にもどってくることではない。そんな寂しさもありました。
同行のおさるに、助六も沢山観たのじゃないかと言われて考えました。確かに、助六の台詞もわりと頭にはいっている。でも、「上海バンスキング」にはシーンごとに 舞台と関係ない自分たちの思い出にリンクするものがいっぱいある。あのシーンをみるとこんな出来事を思い出し、これをみるとこんな事も思い出す。あぁ楽しかったなぁ。ふがいない思い出までがいとおしい。
こんなに惚れ込む舞台は、もうあらわれないと思う。またこの舞台を観ることができ、その時に熱狂した相方が隣にいるということに、とても幸せな気持ちになりました。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

ひなまつり

22 先週、風邪をひいた。うがい手洗いして予防していたのにな。楽しみにしていた観劇前にヒヤヒヤしました。おひなさまを出しているときには、我が家では 何かとお雛様頼みしています(神頼みみたいに)。きいていただけるのかしらん。
2月の風にあたりたいというのよと教わったおひなさま。今年も、1番上のお二人しかだせませんでした。それでも なんだか、うれしくて ついつい眺めます。さっさとしまおう。(まだ手遅れでないと思っているので)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年2月 | トップページ | 2010年4月 »