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2010年4月 3日 (土)

野馬台の詩

3月覚書シリーズ
国立能楽堂で、新作能「野馬台の詩」をみてきました。
「野馬台詩」というものがある。それは乱行不同の暗号形式で書かれている。予言書といわれている。 等 基本的知識がなかかったため、まずその大袈裟な いえ壮大なスケールに驚く。チラシには、「能と狂言の融合を目指す斬新な舞台の創造―そのチャレンジの先にあるものとは」と書かれていました。 これまた、大きな企画のようです。
事前に、「最後に、時空を越える」ということを聞いていたので そこへ向かって想像しながら鑑賞していたので、話においていかれることなく、面白かった スペクタクルでした。能楽堂でスペクタクルとは。
物語は、まず阿倍仲麻呂がいる。平安末期、遣唐使となり唐に渡りながら帰国できずに、異国で鬼になったという鬼伝説がある(藤原仲麻呂鬼伝説)そうだ。これを能生の梅若玄祥さん。 同じく、平安末期の遣唐使「吉備真備」に、萬斎師。
唐で塔に囚われの身となった吉備というところから、スタート。 鬼となった阿倍仲麻呂に助けられ、唐の王(万作師)の繰り出す難問を解き明かし命びろいする。 最後につきつけられたのは、『野馬台詩』。観客には、入場時に『野馬台詩』を印刷されたものが配布されているので、共に悩む。 これも、蜘蛛の糸の導きによって、この難問を読み解く吉備。 
『野馬台詩』には、中世ヨーロッパの『ノストラダムスの大予言』に似た 日本終末予言がかかれているそうだ。 日本に知らせねばとあせる吉備と、さっきまで命を取ろうとしていたのに、こんなに賢い男なら唐のために尽くさせようとする王。2人が争ううちに、時空がねじれて・・・・ 照明が落ち、きざはしに足をかける吉備にだけピンスポットがあたる。 吉備の目には、一面何もない大地がうつっていた(ように思う)。 「ここはどこだ。」 幕。
最後に、時空を越えるという予備知識があったので、現代までタイムスリップしたかと思った。「ここはどこだ。」が現代語風だったので。 日本はすでに滅びていたのかと解釈した。 あってないかも。  終演後、資料(パンフレット)を買いにいく人が多かった。 なんだか、すごいものをみた、楽しさがあった。 能楽堂でも照明の捜査ができるのね!(いつも明るいままなので)と驚いたし。 最後に、萬斎師の 「ここはどこだ。 『野馬台詩』の詩を持ち帰ってきたぞ。」 と叫ぶ姿が、狂おしくよかった。遣唐使の装束の似合うこと。かっこいい。狂言方の活躍は、わかりやすく楽しかった。  外国の方のグループが鑑賞してました。終演後、通訳の人が説明したらしく いっせいに「オー」といってました。どんな説明したのか知りたかった そして、その中に 胸に「能」とかかれたトレーナーをきている外人さんがいたことも記述しておこう。

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