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2010年7月23日 (金)

古屋誠一 メモワール

先週の金曜日、東京都写真美術館へ、「古屋誠一 メモワール~愛の復讐、共に離れて…」をみにいってきました。父が観にいって、涙が出るほどジーンとしたいうので 終わる直前にあわてて向かう。
なんの情報もなくみると、主題がわからないかもしれない。作品展示内に、そう親切な注釈もない。朝日新聞に紹介された記事を読んでいたので、おぼろげながら概要をつかんでみる。写真家 古屋誠一の妻クリスティーネを撮影した写真集『Mémoires(メモワール)』。一番最初の展示は、遺影と戒名の並ぶもの。そのあと、いろいろな表情のクリスティーネの姿を移した作品が並ぶ。これは、1985 年に東ベルリンで自ら命を絶った妻クリスティーネを撮影した写真なのである。年代が並んでいるわけでもない、そのバラバラな表情の彼女と、息子である功名くんの写真は、そのバラバラさがなんだか心にひっかる。
これまでの写真展の図録を掲載したコーナーをみて、それらの写真は 彼女がこの世にいたときは、撮影することまでであった事を知る。彼女の死後、何年も経って、古屋は彼女の写真を現像し、日記を日本語訳してもらうことにする。 2人には、よく言い争いをした時期があった。そして、喧嘩した後に1本近くフィルムをつかって妻の姿をカメラにおさめることがよくあったとある。口をアヒルのようにとがらし、それを誇張するように手で唇をひっぱるリスティーネの写真は、喧嘩のあとに撮られたものだと知る。どういう感覚なのであろう。 そういう知識を得て、もう一度作品をながめてみると、一緒にくらしている家族の近さと遠さを感じる。
2010年1月インタビューよりという古屋の思いが書かれていた。「写真とは心の奥深くに籠る“どうしようもない何か”と向き合い、さらにそれを表現の場へと引き上げることを可能にしてくれる素晴らしいメディアである」
配偶者の死というテーマ。その上、自分で死を選んだ配偶者。その気持ちを知りたいということと、探りたくないということと、目をそむけていては決して知り得なかったこととか、いろいろなことを考える。写真はあどけなかったり、静かすぎるまなざしだったり。生きているっていろんな種類の感情がうずまく。落ち込んだ日々でも、ちょっとほほ笑むこともあるし、浮かれているときにふとひどく冷めてしまうこともある。 写真家のとる表情は、かつそれが配偶者である人のとる表情は、すごかった。「愛の復讐、共に離れて…」というタイトルにもうなる。

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