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2010年10月26日 (火)

ゴッホ展 こうして私はゴッホになった

先日、国立新美術館へ「没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった」をみにいってきました。人気でした。ゴッホの展覧会は、以前にも他の美術館でみたことがあります。ここは特徴のあるゴッホ展でした。
アルルの寝室を再現しているのも面白かった。そんなに広くない部屋に、絵画でよくみなれたベットやイスがおかれている。どこからみて描いたのか考えながら部屋をみるのは楽しかった。
何度も驚いてしまうのは、27歳で画家になることを決意したということ。この展覧会ではそれまでは自分探しをしていたと紹介していました。自分探しをしている人は全世界に数多かれど、本当にこうやって転身するするのはすごい。こんなにすごい作品を作っても、世間からは認められず、芸術家仲間とはすれ違う。情熱の行き先をもてあましながらも、その強い何かを現すために、沢山の作品を造り続けた。家族だけでなく、兄までも支え続けた弟テオもすごい。そんな激しい葛藤があることを感じさせない絵もすごい。
初期のオランダ時代のゴッホの絵が面白かった。ちょうど写真というものがはいってくる時代だろうか。それまでの絵画の常識であった筆跡を残さないという基本的な描き方で作成されている。それでもゴッホの絵はどこか違う個性がある。『籠いっぱいのじゃがいも』という作品が印象深かった。じゃがいもの存在感が強く面白かった。
パリの時代になり、写真という簡単に「その場」を写しだす機械が開発される。画家たちは、絵というもののもつ意味や表現方法を考えざるをえなくなった。スーラの色彩を点描で現す方法、時間の経過を表現する方法など、その時代の変化とゴッホ自身の変化を考えながらみた。最晩年の『アイリス』が、一番印象に残った。近くによってみると、花が中からどんどん湧き出してくるよう。日本画の絢爛な屏風をみた時にような要素も感じた。やや離れてみると、アイリスにもどる。浮世絵と出会った驚きや、色彩理論を学んだ冷静な色配分など、いろいろなことがゴッホの中で混ぜられ、こんなすごいものができたのかと驚いた。  「ゴッホがいかにして『ゴッホ』になったか」という流れで展示してあるこの展覧会は、ところどころに多分な影響を与えた別の作家の作品もあり、見る人にいろいろ考える要素を提供していた。ゴッホ自身が所蔵していた浮世絵も、面白かった。梅の枝を効果的に使おうとした作品をみて、「浮世絵」と出会ったときの興奮を思い描いたりした。 熱烈に愛す。そのめちゃくちゃ大きな愛情は受け止められなかったりする。拒絶と悲観したり、絶望したり、その感情の揺れはすごいものなのだろう。そのように心が折れてしまうほど揺り動かされる人だけに、才能ってあるのかもしれない。
自らの耳を切り落とした「、ゴッホはサン=レミの療養院へ収容される。そこの窓からみた景色を描いた作品のみずみずしさに驚いた。絵を描くことが抑えきれなかったのだろうか。一心に学びはじめていたころの作品も、精神を病んでしまったころの作品も、どのゴッホも面白かった。

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