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2011年2月28日 (月)

『シアター! 2』

インフルエンザを発症し、先週まるまるお休みしてしまいました。
やっと治った・・・と思ったら、今度はミニぎっきり腰に。
つるかめつるかめ。


有川浩『シアター! 2』 (メディアワークス文庫)を読む。おもしろい!『シアター!』という下敷きをもとに、パワーアップ。生の舞台は、テレビなんかにはないパワーがある。面白いもののワクワクはすごいものだ。つまらないもののつらさも、相当だけどね。 ああいう世界を作る人って、経済的には苦労しているのであろうなとうっすら思っていましたが、その苦労たるや。利益などでなくてもという世界なのね。バイトしないと生きていけないって、利益が全くないからなのね。それでも、舞台にはキラキラした世界があるのよ!って世界がうまいことでできあがっていました。わかるわぁ。そのキラキラも、屈折した思いも。そんな世界が面白い。
貪るように嫉妬するところとか、とり乱して相手を心配するとか ドキッとする恋模様もいい。
兄 司のことは、若造くんなのにとちょっと思う。資本主義社会のしくみはこうあるべきだっていうのとかね。演劇を心指しあきらめた部長とか、会社員生活の方がうまくいきすぎているようなところもややあるが、なかなかの世界ができているなぁと思う。
有川浩は、世界を設定するのがうまいのかも。面白かった。

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2011年2月17日 (木)

『きつねのはなし』

そういえば、未読だったと本棚から出して読む。森見登美彦の『きつねのはなし』(新潮文庫)を読む。
ちょっとおそろしい4編の話。 「きつねのはなし」 「果実の中の龍」 「魔」 「水神」 。別の話だが、関係がある。人と人、何かが繋がっている。 舞台は京の都・こういう不思議な事がおこりそうなところである。昔でなく今でも、不思議なことはおこる。科学で判明できないとかそういう言葉で表現するものでなく、 気配みたいなもの うまく言葉にならない何かの存在がずーっとただよっていて恐ろしいのだけど、怖くはない。これは怪談なのであろうか。極度の怖がりの私であるが、この恐ろしさは、怖くなかった。恐ろしいけどよかった。
鷺森神社の近くの屋敷の竹林の葉の擦れ合う音とか、ケモノの声を出さずに笑った顔とか、読んだ世界なのに あまりにも生々しく想像してしまう。においとか温度とか、実際にわかっている気がしてくる。 経験したものなのか、想像したものか。現実か妄想か。
「果実の中の龍」で私は、先輩の話に夢中になる。妙に冷静な瑞穂さんを含め3人の奇妙だけど心地悪くない空間。先輩の話に、妙に納得してしまった。本当でも本当でなくても、本当にどうでもよかった。信じているけど、嘘だったからって裏ぎられたという気持ちにはならない。不思議な感覚。
水の引き込まれるような怖さとか、はっと現実に戻る感じとかに魅せられた。
言葉もいい。禿頭をハゲアタマでなくトクトウとも読める人間になりたい。


Honn 読んでいたら、途中にさくらの花びらがでてきてドキッとしました。私もいつのまにか物語の輪に加わっているようで。 でも、これは歌舞伎のつくりもの花びらでした。そういえば、松竹座にもっていって読まずにもって帰ってきた本でした。海老蔵さん元気かなぁ。

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2011年2月16日 (水)

『シアター!』

祝 上原ひろみさん グラミー受賞!
音楽堂でみたなぁ。格好よかった。 おめでとう。 ところが、ご本人は日本にいたそうです。 なんと鶴瓶とライブだったらしい。つるべ?  いかしてあげたまえよ鶴瓶。俺が楽しませておくからとか、俺が払い戻ししておいてやるからとかいう男気をみせてやって欲しかったのう鶴瓶。 よく事情もわからないくせに、鶴瓶に文句を言ってみた。スマンつるべ。

有川浩『シアター!』 (メディアワークス文庫)を読む。小劇場ものでなかなかのものと聞いていた一冊。 なかなかおもしろかった。阪急電車もそうですが、読んでいて自分なりの情景が浮かんでくるような世界感がある。有川浩、いいね。
そういえば、昔はよく劇場に通っていました。古典芸能にどっぷりとはまる前は、オンシアター自由劇場を中心に、いろいろな舞台をみにいっていました。そのころの世界だなぁ。夢を追う若者たちの話を、まだまだあつく読むことができました。自分の若さチェック?よかった。  才能と 恋(ちょっぴり)という、もう努力ではどうしようもないものに当たってくだける彼らの物語をグイグイ読む。楽しかった。なんと、ちょうどシアター!2が出たらしい。わたくし、幸せものである。

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お染の七役

建国記念日イブにお休みをいただき、母とルテアトル銀座へいってきました。なんの気なく10日の切符をとってしまったので、なんと4連休というありがたい週末になりました。
2月花形歌舞伎、まずは第一部を鑑賞。猿之助四十八撰の内 於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり) お染の七役。そして、チラシは蜷川実花氏の撮りおろしのとてもゴージャスなもの。餅花が咲き、とても華やかなホール。段差がしっかりついていて、とても見やすかった。こじんまりとした中、若手だけれどもしっかりした歌舞伎は華やかで楽しかった。
質店油屋の娘お染(亀ちゃん)と、奉公人 久松(亀ちゃん)は恋仲。 お染(亀ちゃん)には、山家屋清兵衛(友右衛門さん)との縁談が進められており、久松(亀ちゃん)には、お光っちゃん(亀ちゃん)という許嫁がある。奉公人 久松(亀ちゃん)は、元は武家の子息。実は御家復興のため、紛失した御家の重宝(短刀と折紙)を捜している。共に捜すのは姉の竹川(亀ちゃん)。探索の金の工面を、土手のお六(亀ちゃん)に頼む。竹川(亀ちゃん)に恩義のあるお六(亀ちゃん)は、はりきる。お六(亀ちゃん)と亭主の鬼門の喜兵衛(染五郎さん)は、油屋で金を騙し取ろうとするが、あえなく失敗。 その上、久松(亀ちゃん)の子を宿した お染(亀ちゃん)は、母親の貞昌(亀ちゃん)の説得されたが家出。 恋がかなわぬお光っちゃん(亀ちゃん)は物狂い。
大騒動のなか、亀ちゃんの早変わりも大騒動。お染/久松/竹川/小糸/土手のお六/貞昌/お光、ぜーんぶ亀ちゃん。いろいろときちんと演じ分けていましたが、土手のお六のはすっぱな時が一番楽しそうでした。もう、変わるために引っ込む。変わる変わる。引っ込むたび変わるのだろうなと思い、その通りになるのだけど、わかっていても楽しい。変わる不思議さじゃなくて、この独特のワクワク感がいい。楽しませてもらいました。 すごいわとか、いつの間に?とか喜んでいるおばさま達も多く、楽しい雰囲気。どんどん変わり、最後は「これぎり」と、唐突にしめ明るく送り出し。いいねぇ。

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2011年2月 9日 (水)

『こっちへお入り』

おさるのところでこの本を知り、飛びついて購入。平安寿子『こっちへお入り』(祥伝社文庫)を読む。
どんな人にもいい本だけと、習い事女子には特にいい。そう、これこれ!って。あのドキドキとか、まいった~とかワクワクを言葉にするとこうなるのね。
友人の落語の発表会に呼ばれ、おつきあい程度の気持ちでみにいく。素人芸だなと思いつつも、その会をずっと見届ける。そのまま打ち上げにも参加。見届けたた後、あれ?というものに突き当る。気がつくと自分も稽古をすることになっている。
ここで、「みるのとやるのは、大違い」ってことに気がつく。その得体のしれない世界は、実に興味深いと驚く。いままで知らなかった世界程、「なんだこれ!?」という新鮮さに満ちている。 主人公の江利が、引き込まれていく様に強く共感した。私もお稽古をはじめたころは、バカみたいにいろいろ観に行ってました。落語ではないけれど。
この「抑えがたいほどの面白さ」っていうものを、人に伝える事はなんと難しいことであろう。 お稽古仲間同志で盛り上がるように話すことができないのは当然だか、自分のすごく好きな人にはこの魅力を、もう少し上手に伝えたい。自分が歯がゆい。
江利には、今ひとつグッと来ないと不満ぎみな彼 旬がいる。旬に落語の魅力を熱く語る。ネットで得たような表面的な知識から深入りしない彼に腹を立てる。分析バカと。でも、あんがい旬は、小三治を聞いてみたりしている。相手からの応答に、ちょっと喜んだり、もっとと要求したりする感じがうまいなぁ。
生きていれば、毎日調子よくいくわけがない。 何か乗りきらなくちゃならない時に、こういう「落語頭」のように物事の角度を変えて人をみるってことができるかどうかが、とても大切。わかっているけど、自分の意見に頭が凝り固まる。とにかく否定的になる。できないとか無理とか。イヤな人はイヤなまま。環境が変わるはずなどないと。 そういうときに、この「新しい世界の考え方」は柔軟剤になってくれる。 落語の中の登場人物について考えていたはずなのに・・・ あれ?これ自分と同じではとか、あの人と同じではと ハっとする。角度を変えてものをみてみると、なんとか進む道があったりする。折り合いがつけられたりする。  のめりごと(お稽古ごと)は、底なしに面白いだけでなく、私の頭をも柔らかくしてくれているのかもしれない。ありがとう。
「こっちへお入り」っていう言葉のもつ、あったかい空気が最後にふわっときた。その言葉って、きっと人生で何度も聞いているものだろう。そして、その言葉がぴったり自分の胸に響く日があるのだと思う。それは、年配になってからかもしてないし明日かもしれない。NOって決めつけていないときに、すーっと訪れるのだろうな。

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2011年2月 8日 (火)

ペテン・ザ・ペテン

一昨日、新橋演舞場にて『ペテン・ザ・ペテン』をみてきました。
勘三郎さんは体調不良により休演。せっかく両親と行くのになぁとがっかりしつつも、勘三郎さんの応援のため 観に行く。 なんとベンガルさんまで休演(体調不良により)。
勘三郎さんの代役として、ラサール石井。ずいぶん勘三郎を意識した口調で奮闘&健闘していました。 いつものラサール演出は、勘三郎さんや藤山直美さんや柄本明さんの力量に頼りすぎ あいまいな感じにしすぎるせいで、逆に主役の魅力が出ないという変テコな演出と感じ、あまり相性がよくない。 今回は丁寧な感で、いつもよりよかった。
直美ちゃんは、一言しゃべるだけで、ぎゅっと場がしまる。「うまっ」とつぶやいてしまう。けっこう冷めて見ていたのに、うっかりホロリとしてしまう程。小走りひとつとっても、他の人と全然違う。小走りを凝視させる技をもつ。間のすごいこと。 柄本明さんには、脱力した演技なのに、ぐっとそちらへ向かせる力がある。 周りの役者たちが一生懸命、細かい芝居を沢山して土台をつくっておくから生きるのだけど。それはよくわかるのだが、主役が一言いうだけでさらっていく。 才能って残酷だなと思った。
渡辺えりさんは大きくなっていました。旅館の女将を迫力で奮闘しつつ、ちょっとかわいさもあるのが腕。小池栄子さんは、みていて気持ちいいいさぎよさ。ラサール石井さんおつかれさま。
どうしても、勘三郎さんがでていたらと思う気持ちは止められなかった。みなさん、とてもがんばっていました。休憩あとからは自然に楽しめました。
いつまで見ていても、波野久里子さんが出てこない?? もともと出ていませんでした・・・ 久里子さんが代役っていう手はどうかしら。面白いかもと、必要ないのにキャスティング。もはやクセ。無意識キャスティング。

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2011年2月 4日 (金)

わが心の歌舞伎座

いいタイトルだなぁ。
映画「わが心の歌舞伎座」を観て参りました。もう、10日ほどたってしまいました。折にふれ、もっともっと歌舞伎座のことを思い出すようになりました。 途中、「幕間」が10分入る167分のたっぷりした映画。でも、ちっとも長さを感じませんでした。
芝翫さん登場。歌舞伎座という存在がどんなに大きなものであるか語る。その後、吉右衛門さん、團さまと歌舞伎座のあちこちで歌舞伎座を語る。それぞれの わが心の歌舞伎座を語ることは、歌舞伎を語ることにもなっていた。 その語る場所は、楽屋であったり、客席であったり、奈落であったり、鳥屋であったりする。きらびやかな舞台以外の場所は、驚くほど古く、いろいろ補強されて大切に使われていた。思ったよりも狭く その古さに驚いた。
團さまが花道を歩く。ここを歩くことを許された特別さというものを、踏みしめて通っているのだと知る。六法で花道からとびこんでくる團さまを鳥屋で受け止める。そして廊下を通り、楽屋へと戻る。息がきれる様子。衣裳をとりつつも、挨拶にくる人達に応える。 主役の役者の背負う責任というものがひしひしと伝わってきた。
玉三郎さんが奈落で出番を待つ様子。吉右衛門さんが鳥屋で出番を待つ様子、その役になり出を待つ。その場所、その場所の大切さが無言で訴えてくる光景であった。 富十郎さんの舞台の迫力。なんて活き活きしているのであろう。猿之助さんの機敏な動き。目をひく人の持つ力をみた。歌舞伎をみはじめたころ、姫といえば雀右衛門さんであった。今ならばもっと雀右衛門さんの魅力を感じることができたのにもったいない。もっと観たいと思った。 熱い男 勘三郎のあつさに、一緒に胸をあつくした。 いつも端正な梅玉さんの、静かにするお話にもやはり胸があつくなった。 役者の思いに、一緒になって胸をあつくし、涙がこぼれた。
仁左衛門さんからも、主役の役者が追うべきおおきなものを背負っていることを感じた。人を納得させるだけの魅力を出すために、どれだけ努力をし、大切にしているか。楽屋の様子をみているだけで緊張してくる。全身から漂うものがある。こういうものがあるから、人がついてくるのだとわかった。歌舞伎座の楽屋入口に入る幹部役者たち。挨拶やら着登板やら神棚へ拝することなど、儀式のように緊張感があった。
舞台の様子映像。相手役になったほど近くから観る迫力。歌舞伎ってものすごく面白い。
さよなら公演の際、とても贅沢な配役でこれぞ持ち役という沢山の名舞台を観ることができた。 菊五郎さん演じる直さんが訪れる蕎麦屋には、権一さんがいました。そうそうこの声。 團さま演じる鎌倉権五郎の後ろで素襖を広げるのは成田屋の後見。浜松屋の店先の丁稚衆。舞台の端から端まで大好きな人々でいっぱいです。
舞台を支える大勢の人達も登場する。お弟子さんたち、床山さんに衣装さん、大道具・小道具、売店の方、案内の方、お掃除の方。私の知らない沢山の人によって、みんなで作られていたのですね。
ここ10年程であるが、毎月欠かさず歌舞伎を観に行っている。昼夜2公演しか観みない月もあれば、10公演近く観る月もある。 ベテランの歌舞伎好きからは、長いとはいえない観劇であるかもしれない。が、私の中に培われていった大きな歌舞伎座への愛情を再確認した。役者さんたちの思い入れを、一緒に実感できるような気がした。 みる人それぞれのわが心の歌舞伎座なのだ。深さなど関係ない。今の自分が持つ、歌舞伎座への愛情をたっぷり感じた。 この後、またこの映画をみるときには、もっと濃い愛情になっているのだろうな。本当に歌舞伎座が好きでした。こんなに思うほど、訪れることができてよかった。そして、この愛情がわかるほど歌舞伎を観てきてよかった。
また、みにいきたい。

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2011年2月 3日 (木)

節分

Photo福はう~ち~
おたふくの面は、食べることができるそうです。さすが「たねや」さん。
福がきますように。福を呼ぶことのできるようにしよう。ブーブー怒らないぞ。

節分といっても、歌舞伎座を思い出します。豆まきがあるのは、昼の部か夜の部か予想して観に行っていました。そして、よくはずれていました。友に豆をもらったこともあったなぁ。 初午か二の午かという予想もしました。いろいろな節目の楽しみも、歌舞伎座に教わりました。ラブ歌舞伎座。

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2011年2月 2日 (水)

『いっちばん』

病弱な若だんなのシリーズも、もう第七弾。畠中恵の『いっちばん』(新潮文庫)を読む。
今回も、もちろん病弱な若だんな。寝ていなさいと床におさえこまれているのだけど、周りをよーくみている。大事件にも、じっと考える。あわてない。無駄に動き回るってことが、できない。なのでよーく考える。あちらもこちらもと考えるが、どっち付かずにはならない。ちゃんと自分なりの解決方法をみつける。自分が周りに愛されていることを、いい風に自覚する人だなぁ。
兄や達がどんなに気をつかっても、弱い身体はそのまま。どんなに努力しても、おいしい饅頭をつくることができない。めげても、それでもやっぱりコツコツがんばる。物語なのに、調子よくいかない。そういうせつなさをかかえ、それでもコツコツ地道に生きていく。身体が弱いことが、気の毒でない。いじけまくった心根の人の方が、よっぽど気の毒。人をだましていい思いをする人をみても、ちっとも得だとは思えない。そういうよさを、静かに伝える本だなぁ。
妖になれてきた。天狗とかでてきても、出てきそうと思う。鳴家は、みることができそうな気すらする。

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『怪しの世界』

お稽古仲間に、いい本を貸してもらいました。 橋本治・夢枕獏・いとうせいこう『怪しの世界』(紀伊国屋)を読む。
橋本治と 友吉鶴心の薩摩琵琶による「白鷺譚(びゃくろんたん)」(上之巻「天守夫人(てんしゅぶにん) 」 ・ 下之巻「白峯(しらみね) 」) / 夢枕獏と 宝井馬琴の講談による「ものいふ髑髏(どくろ)」  /  いとうせいこうと 野村萬斉の狂言による「鏡冠者」 の3作。 その原作と それぞれとタッグを組んだ2人による対談で構成された1冊。
監修は国立劇場。平成12年8月25・26日に国立小劇場にて上演されたもの。 この公演、観に行きました。もう10年経つとは。 鏡冠者の話が怖かったことを強く覚えています。鏡をモチーフにし、中に引き寄せられるという怖さは超苦手。想像しちゃうので。 万作師と萬斎師の共演。萬斎師の姿が、鏡(枠)をはさんで映し出される。映し出されたのは万作師。同様の動きをする。 基本動作だからこそ、左右が逆になったときの違和感というものは相当なのもだろうと驚いたことを覚えている。さすが万作師と。 たしか、左右 逆にひらくよう特別に扇を作ってもらったと聞いたような記憶している。 薩摩琵琶、講談、狂言と3つ世界の挑戦があったにもかかわらず、狂言の部分しか覚えていなかった。
本で読んでみて、橋本治の「天主夫人」の言葉の美しさにメロメロとなる。何度も読んだ。あぁ、これをちゃんと踏まえて薩摩琵琶できいてみたいと思った(きいたのだけれどもね・・・)。 鏡花の世界は、本当に美しい。声に出して読みたくなる日本語。 橋本治の芸術論も、とても面白いくほぅと感心しつつ読む。読み応えがありました。
講談ものいふ髑髏。スーットなる怖さ。語る苦労、書く苦労という対談の、色気をだして受けてしまうことによる弊害が興味深かった。 ~という一席でしたという締めは格好いいなと思う。
狂言は、ん?こういう言い方の方がいいのではと 最初は勝手に自分なりの言葉で考え直してみたりした。 しかし、やっぱりプロのもの書きは違う。展開に引き込まれるように読む。昔からある演目ではなく、今の人が作る意味があるのだな。いい違和感であった。やっぱり、怖い。終盤、揚幕近くの橋掛かりで、万作師が笑う場面がある。ここの怖さは秀逸。よくできているが、怖い。怖いよう。
私は怖がりすぎという欠点がある。キャー怖かったという印象ばかりで、芯の面白さ、美しさをみていなかった。生の舞台の迫力、しかも一流の演者+一流の原作という最強のタッグでこられたので、怖さにのまれてしまった。本という媒体でしたので、落ち着いて堪能することができました。10年経った今、ちゃんと観て見たい。再演したらいいのになぁ。

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