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2011年2月 4日 (金)

わが心の歌舞伎座

いいタイトルだなぁ。
映画「わが心の歌舞伎座」を観て参りました。もう、10日ほどたってしまいました。折にふれ、もっともっと歌舞伎座のことを思い出すようになりました。 途中、「幕間」が10分入る167分のたっぷりした映画。でも、ちっとも長さを感じませんでした。
芝翫さん登場。歌舞伎座という存在がどんなに大きなものであるか語る。その後、吉右衛門さん、團さまと歌舞伎座のあちこちで歌舞伎座を語る。それぞれの わが心の歌舞伎座を語ることは、歌舞伎を語ることにもなっていた。 その語る場所は、楽屋であったり、客席であったり、奈落であったり、鳥屋であったりする。きらびやかな舞台以外の場所は、驚くほど古く、いろいろ補強されて大切に使われていた。思ったよりも狭く その古さに驚いた。
團さまが花道を歩く。ここを歩くことを許された特別さというものを、踏みしめて通っているのだと知る。六法で花道からとびこんでくる團さまを鳥屋で受け止める。そして廊下を通り、楽屋へと戻る。息がきれる様子。衣裳をとりつつも、挨拶にくる人達に応える。 主役の役者の背負う責任というものがひしひしと伝わってきた。
玉三郎さんが奈落で出番を待つ様子。吉右衛門さんが鳥屋で出番を待つ様子、その役になり出を待つ。その場所、その場所の大切さが無言で訴えてくる光景であった。 富十郎さんの舞台の迫力。なんて活き活きしているのであろう。猿之助さんの機敏な動き。目をひく人の持つ力をみた。歌舞伎をみはじめたころ、姫といえば雀右衛門さんであった。今ならばもっと雀右衛門さんの魅力を感じることができたのにもったいない。もっと観たいと思った。 熱い男 勘三郎のあつさに、一緒に胸をあつくした。 いつも端正な梅玉さんの、静かにするお話にもやはり胸があつくなった。 役者の思いに、一緒になって胸をあつくし、涙がこぼれた。
仁左衛門さんからも、主役の役者が追うべきおおきなものを背負っていることを感じた。人を納得させるだけの魅力を出すために、どれだけ努力をし、大切にしているか。楽屋の様子をみているだけで緊張してくる。全身から漂うものがある。こういうものがあるから、人がついてくるのだとわかった。歌舞伎座の楽屋入口に入る幹部役者たち。挨拶やら着登板やら神棚へ拝することなど、儀式のように緊張感があった。
舞台の様子映像。相手役になったほど近くから観る迫力。歌舞伎ってものすごく面白い。
さよなら公演の際、とても贅沢な配役でこれぞ持ち役という沢山の名舞台を観ることができた。 菊五郎さん演じる直さんが訪れる蕎麦屋には、権一さんがいました。そうそうこの声。 團さま演じる鎌倉権五郎の後ろで素襖を広げるのは成田屋の後見。浜松屋の店先の丁稚衆。舞台の端から端まで大好きな人々でいっぱいです。
舞台を支える大勢の人達も登場する。お弟子さんたち、床山さんに衣装さん、大道具・小道具、売店の方、案内の方、お掃除の方。私の知らない沢山の人によって、みんなで作られていたのですね。
ここ10年程であるが、毎月欠かさず歌舞伎を観に行っている。昼夜2公演しか観みない月もあれば、10公演近く観る月もある。 ベテランの歌舞伎好きからは、長いとはいえない観劇であるかもしれない。が、私の中に培われていった大きな歌舞伎座への愛情を再確認した。役者さんたちの思い入れを、一緒に実感できるような気がした。 みる人それぞれのわが心の歌舞伎座なのだ。深さなど関係ない。今の自分が持つ、歌舞伎座への愛情をたっぷり感じた。 この後、またこの映画をみるときには、もっと濃い愛情になっているのだろうな。本当に歌舞伎座が好きでした。こんなに思うほど、訪れることができてよかった。そして、この愛情がわかるほど歌舞伎を観てきてよかった。
また、みにいきたい。

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