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2011年3月30日 (水)

描かれた時代の固定観念をふまえて絵画をみるということ

本日は、父上の誕生日なり。おめでとう。

今月初めに恒例の、西洋美術勉強会がありました。まだ、大地震のことなんて思いもしなかった頃。3月はじめなのに、もうずっと昔のことのようです。
この回のテーマは、「海外の社会的機能、19世紀フランスを中心に」。 知識というフィルターがかかると絵画のみえ方が変わるという講義。まず、作品をみる。そこへ絵画のスタイルという眼でみる。新古典主義のころのスタイルを知った上でみる。さらに、その時代の常識というフィルターをかける。これで見えなかったものがみえてくる。今の私たちの常識とはまるで異なるものを絵にもとめている。時代ごとに固定観念がある。昭和のころと平成の今ではまるで違う。それがヨーロッパで19世紀でなどといったら、違いははなはだしい。絵とはこうあるべきという固定観念を理解してみると、細部にいろんなメッセージがあることがわかる。知識というフィルターをかえてみると、絵画はもっともっと興味深いものになる。知っていいるのと、知らないのとではこんなにも差があるということを学んだ。
学ぶっていい。
終わってからは恒例の飲み会。楽しい話の合間に、芸術の話もでてきていろいろ聞くのが楽しい。2次会で今日の授業の内容について話しているとき、同じ話をきいているのに、まったく逆に解釈していたことに気がついて驚いた。(「この家庭の様子を描いた暖かい風俗画は、画家が1度めと2度めの結婚の間に書かれた作品である」というのを、実際に結婚している時には現実を思い知らされ暖かいものなど描くことができなかった、こういう家庭をと夢見て描いたと解釈した。正解は、実際に結婚している時には、幸せで満たされているので暖かい家庭の様子を描く必要がなかったということであった。) 夢中になって聞いていたのに・・・

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なぜ、これが傑作なの?

週末、国立劇場へ払い戻しにいってきた。その帰り道に ブリヂストン美術館へ寄り、「なぜ、これが傑作なの?」をみてきた。
ブリヂストン美術館は、お宝を沢山もっている。48点の彫刻作品とともに、115点の絵画を出品。その中から「傑作」12点が選出されている。「なぜ、傑作か」がわかるような2000字の作品解説がついている。これが面白かった。
この企画をした学芸員の貝塚健氏自ら12点を選出したそうです。2000字の作品解説がつく。この分量が絶妙。通常の作品解説は400~500字が普通とのこと。その4~5倍の分量。確かに パッとみたときに、その長さに驚いた。読まない人はどんなに短くても読まない、読む人は長くても読むという経験則から、内容で勝負だそうです。勝負あり。面白かった。 「分かりやすい」という感想ではない。作品だけでなく、画家の1生を区分し、この作品がどこにあたるとか、美術史的な区分のどこにあたるとか、内容よりも、位置を伝えるという視点が面白かった。傑作だからありがたく思えというような、貴重さで押さない解説。全部の作品に説明があると流れが悪くなるし飽きもくるだろう。 この作品でなくて、こっちを取り上げるのかと、自分の12選を選びたくなったりした。いい企画だ。面白かった。  ジャクソン・ポロックは2000字でも足りない。ジェームス・ディーンもポロックも、年こそ違え、ポルシェで自動車事故を起こし亡くなったと並べてあるのがいい。カリスマ並び。 ルノワールの《すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢》の解説が一番好き。
ブリヂストンは、壁の色にも眼がいく館。改修前も改修後も、邪魔にならないけど主張のある壁だ。今回の企画では、「傑作」中10点の背景には特殊な色が配列されていた。目立ちすぎるほど、コントラストをつけている。でも邪魔じゃない。印象的。
「なぜ、傑作か」12選
     ルノワール 「すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢」
     モネ  「黄昏、ヴェネツィア」
     マネ  「自画像」
     セザンヌ 「帽子をかぶった自画像」
     セザンヌ 「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」
     マティス 「縞ジャケット」
     ピカソ 「腕を組んですわるサルタンバンク」
     クレー 「島」
     ポロック 「Number2,1951」
     小出楢重 「帽子をかぶった自画像」
     岡鹿之助 「雪の発電所」
     藤島武二 「黒扇」
絵画の一点目にレンブラント・ファン・レイン「聖書あるいは物語に取材した夜の情景」があった。光が甲冑にあたり照らされる様子、蝋燭の明かり、火にあったている明かり、それぞれの明るさが違う。どうなっているのだろうと、小さな絵画にすいよせられた。 マネ「自画像」について、朝日新聞に載っていた記事を思い出しじっとみる。きびしい顔つきが興味深い。ドニもあった。モーリス・ドニ「バッカス祭」。そうだ、ドニ好きだったのだと思いだす。どこか好きなんだろう。なんだか惹かれる。ルオーの「ピエロ」。ここの「ピエロ」は美しい。哀とかでなく美しいと感じる。この絵も好き。ピカソの「腕を組んですわるサルタンバンク」がすごい。話題になったことがうなづける。サザビーズだかのオークションで競落とし、個人所有でなく美術館所有となったと名誉風に解説にあったが、ヨーロッパから持ち去られるということに関して、物議をかもしたであろう。説明のいらないすごさがある。みごと。ブリヂストンでは世界中からこの絵をみに来る人がいるというたい、常時展示しているそうだ。ブリヂストンのすごさも実感。どれだけお宝を持っているのでしょう。そのお金のかけ方もすごいし、選ぶ眼もすごい。  藤田嗣治の「猫のいる静物」。私なら、12選にこれをいれるであろう。この白は驚くほど美しい。アングルはやはりきれいだなと思ったり、白髪一雄のかっこうよさに驚いたり。12選とじっくり向き合い、他の作品もおまけにならない。とてもいい展示でした。気に入りました。

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2011年3月26日 (土)

『ICO-霧の城- 上』『ICO-霧の城- 下』

避難の大行進のときに一晩中起きているように、板尾日記 1、 2とあわせて この上下も購入。4冊も読めまいと思いつつも 読み終わってしまったならばと思い つい購入。重くなってしまった。結局、自宅待機時に読む。 宮部みゆきの『ICO-霧の城- 上』『ICO-霧の城- 下』(講談社文庫)。
上橋菜穂子?かと思った。最初は。『精霊の守り人』の。皇子とか精霊とか用心棒とか出てきそうだった。 読み進めると、上橋菜穂子さんが作る冒険の世界感とは違ったものがあった。 宮部みゆきが描く 底のみえないほどの孤独とか絶望感が、ひんやりとそこにあった。
私は、ゲームと縁のない生活を送っている。こういうのがゲームの世界なのかしらん。生贄というより、人柱という言葉がしっくりくる私を、話の世界にひきいれた筆力は、さすが宮部みゆき。
主人公イコは産まれ落ちた時に、とてつもなく重いものを背負っていた。背負わされた者の苦悩。背負わされた物を教え その者に諦めさせなければならない周り者の苦労。 正義とただ一身に信じていられる時。その明るさ。全てを知ってしまい、逃げ出すこともできなくなった時に真の冒険が始まる。その展開が面白かった。状況の描き方に引き込まれたが、話の世界感には、もう一つ心惹かれなかった。
上巻では、イコがお話をすすめる。下巻では、ヨルダの記憶をひもとかれるように進む。その展開がうまいなと思った。

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2011年3月25日 (金)

深田博治狂言会

久良岐能舞台で、第3回久良岐狂言会「深田博治狂言会」が開催された。大地震の2日後のこと。 開催場所は、私の家からは歩いていくことのできる近さにある久良岐公園の中にある能舞台。果たして観客のみなさまは、ここまで来ることができるのかと心配しました。大入りでした。
昆布売、梟山伏、附子の3演目。大熱演。熱演しすぎではと思ってしまうほど熱く、こういう時にぴったりでした。
休憩時間には、普段狂言をみることがないという声も聞こえてきました。小声で 先の展開をつぶやいているのが聞こえてきて楽しかった。とられちゃうのじゃない?とか、うつっちゃうとか。 楽しそうな笑い声が沢山ありました。 笑い声のパワーを感じました。 大熱演に元気がでました。
The冠公演!といったような会の名前が気に入りました。


昆布売  深田博治・月崎晴夫
梟山伏  高野和憲・岡聡史・中村修一
附子    深田博治・月崎晴夫・竹山悠樹

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2011年3月24日 (木)

『てのひらの闇』『名残り火 てのひらの闇Ⅱ』

藤原伊織の名著『てのひらの闇』『名残り火 てのひらの闇Ⅱ』(文春文庫)を読んだ。先月のインフルエンザ治りかけのころのこと。

『てのひらの闇』は、リストラ・吸収合併という企業の混乱の中の話である。サラリーマンになり定年まで勤め上げるというあたりまえと思っていた図式が壊れた時代。今はもう少し進み就職すらなくなってしまった。どこかおかしいと思うけれど、仕方ない、しょうがないと暮らす人もいれば、自分の正義感で生きる人もいる。そんなに人は強くない。そして、正義感を貫いている人をみても無理と思ってしまう。
貫くあまり、自分がボロボロになるヤツがいる。堀江雅之である。ハードボイルドってこういうものなのだな。美学は男のものだけでないのだな。めちゃくちゃだけど、ちゃんと筋が通った人間。そのためにいろいろなものをなくすけれど、信頼と愛情という絆を得る。地位や名誉や金よりも、大事にしなきゃいけないものを、荒々しく教えてくれた。人としてかっこいい。
飲料の大手メーカー、タイケイ食料。宣伝部の課長、堀江雅之。その部下の大原真里。取締役柿島隆志。スナック・ブルーノのナミちゃんと弟のマイク。くせのありすぎる人々に愛情がどんどんわく。ものすごく面白い本だ。
闇。親友のために闇の中から真実を探す。企業の闇。業界の闇。そして個人の抱える闇。闇をあばきより辛い思いをしたりする。あえて自分の心の闇をそのままにしたりする。強い人間でいるために引き受けたものがかっこよく魅力的だった。

『名残り火 てのひらの闇Ⅱ』は、2007年5月17日に逝去された藤原伊織氏の遺作となった。もう、読むことができないと寂しくなる。 夏目漱石のような文豪という位置にいる人の作品なら、こんなおセンチにならずにすむのにな。

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2011年3月23日 (水)

岡村桂三郎展

先日、岡村桂三郎展をみてまいりました。於;コバヤシ画廊。
大きな作品が3点。龍らしい。作品名をみてくるのを失念した。 ちょうど岡村桂三郎さんご本人がいらして、お知り合いの方に今回の作品について語っておられた。狭いギャラリーの利点を活かし、私もそのお話を少々拝聴した。 今回のテーマは龍である。平安時代から描かれているような龍の形ではない。 ということらしい。 頭は龍である。その胴体というか本体はどっしりとしている。身体というより塊のよう。 毎回、岡村作品を観る時と同様、まず圧倒された。そして何だろうこれはと考えた。 龍というテーマがわかっても、それは頭の中にいるものとかけ離れていて、一体これはなんだと混乱する楽しみがある。そして、じっとみていると眼がみえてくる。本来あるべき位置ではないところに眼がみえる。いくつかみえる。こことここを一対にすると とじっとみす。そこから鼻がみえたりする。人の鼻だったり象の鼻だったり、そこが飛び出してみえたり。 じっとみる。 あの眼がちょっと怖いところがいい。 みてはいけない眼。こちらをみている眼をみてしまったようで。 あきない。 そして、かっこいい。
会期最終日にみにいった。電車に乗り、降りて これをみて30分後にはもう電車に乗り帰路についた。 今は自分がみたいかどうか 自分でよくわからなくなっている。 迷ったけれども、みてよかった。

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2011年3月22日 (火)

『板尾日記 1』『板尾日記 2』

避難の大行進のときに一晩中起きているならば、手持ちの本では足りないなと考えた。行進途中の田町で明るい書店をみつけ購入。『板尾日記 1』『板尾日記 2』(幻冬舎よしもと文庫)を読む。作者はもちろん板尾創路。
著者からの内容紹介。
「人の日記を読んだりするのは最低やと思います。」板尾創路。 
そんないかした本。
私は、プロの物かきの日記が好きである。かつ板尾創路が好きである。従ってこれは、相当嬉しい本である。
1月1日から12月31日まで、毎日かかさず 大学ノートに綴った日記。お笑いとか俳優という自分の定義がしっかりある人でした。プロの仕事をしない人には手厳しい。その切り捨て方にハッとしたり、当然と思ったりした。 本気で働いていないことは、本気の人にはみんなお見通しなんだな。 普通と特別が入りまじった暮らしは、興味深い。 人に自分をみせることを職業とした人の生き方って厳しい。 プロフェッショナルさを出しつつ、嫁のしてくれることに一喜一憂したりする。 嫁は桜が好き。嫁はフレンチが好き。そして創路は嫁が好き。
一億円当たるより、一億人を笑わす言葉が欲しいわ、マジで という一言にしびれた。

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2011年3月14日 (月)

3月11日14:46

11日に大地震があった。あわてたが何もできぬまま時が過ぎた。とにもかくにも家に帰りたかった。職場の御茶ノ水から品川まで歩いた。新橋までは、見知った道なのですいすい歩いた。新橋から品川。第一京浜沿いは、歩くしかない人々がいっぱい。この3kmが長かった。9:30。この暗さではもう無理と品川で待機することにした。駅は明るく人も沢山いて安心だった。とても寒かった。プリンスホテルに行ってみた。ここでは、ロビーや通路といった場所を提供してくれていた。ありがたかった。暖かい通路に座ったとき、本当に心の底からほっとした。助かった。もう大丈夫と思った。寒い駅にいた時間はわずか30分程のことなのに。暖かいということは本当にありがたいことだ。私は宴会場前の通路に場所をみつけた。人が増えたら、場所を詰めあう。携帯の充電器を持っている人がいれば貸しあう。おばさまは 赤ちゃんが泣くのを恐縮する若い母親に 暑いんじゃないのかと気にかけ、泣いても平気よと声をかける。就職活動中の子たちが大変でしたね、どこからですかと声を掛け合う。カロリーメイトならあるわよという声や、新聞を引いたらと渡す人もいた。声を掛けるという行為を、みな自然にしていた。震災に人は全く無力であるけれど、人の心はいい。人にしてもらってうれしかったことは、すぐ隣の人にすることができる。こういう気持ちが自分の中にあることを感じ、人は変わると思う。もちろんいい方に。
ホテルの人は、避難してきた人にも、実に立派な接客をしていた。どんどん増える帰宅できない避難者を、丁寧に案内してくれる。小さな子をつれた人や年配の方には布団が渡されていた。ロビーにはテレビが置かれ、震災の情報を流し続けていた。朝は、ゴミを回収してくれた。避難所に指定されたところでは、休まず働いてくれている方々がいるのだ。本当にありがたかった。
我々は、その日帰れないだけである。離れた場所でも、とても長い揺れに何もできなかった。関西大震災のときのことを思い出した。とにかく家に帰りたいと思った。そして帰るところがあることのありがたさを感じた。自分の住む土地に 凄まじい災害が起こり、家や家族を失う方がいる。自分の周りが日常に戻ってしまっても、その大きな痛みを受けた人々のことを忘れてはいけない。そう思う。 そして、救助のため不眠不休で働いている人々を尊敬する。

職場から家までの遠さをしみじみ実感した。3時間半歩いたところで1/3も帰ることができていない。どうにも帰ることができないことをわかっていなかった。携帯電話はつながらない。公衆電話は強い。が少ない。そしてなにより災害の前に無力だと知った。
人は集団になると、批判や要求ばかりするものである。が、個人は捨てたものじゃない。いろいろな人の優しさに心が温かくなった。感謝した。そのことをしっかり覚えておく。

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2011年3月10日 (木)

道行初音旅

2月の覚書。

恋と忠義は、いずれが重い。
国立劇場小劇場 にいってきました。第三部の義経千本桜 「渡海屋・大物浦の段」 「道行初音旅」をみてきました。3部ですと、職場からすっとんでいくとギリギリ間にあうのがうれしい。義経千本桜は、二世竹田出雲、並木千柳、三好松洛の合作により、延享4年(1747)年、大坂竹本座で初演。文楽で大当たりしたものを歌舞伎化したということは、どの本を読んでも書いてあります。歌舞伎でしっかりと学んだ演目なので、どうしても 「ん?」と比べてしまいます。重量の配分が異なって、とても興味深く観ました。かなり集中していたので、終わってからぐったりしました。くたびれた~。面白かった。渡海屋・大物浦の段にクタクタになったあと、道行初音旅の華やかさ・明るさに助けれらました。ありがとう。
「渡海屋・大物浦の段」は、悲壮美の極ともいえそうです。滅びの美は美しいがずっしりきました。  こちらは、花の吉野山。まず義太夫と三味線がずらり。桜色の裃をつけ10人くらいずらりと。迫力があり、もりあがる。そこへ浅黄幕がぱっと落ちる。静登場。蓑助さん。 あーなるほど。これが人間国宝の技かとものすごく納得。 静御前が、とても浮き浮きしているのがよくわかる。少々大袈裟な動きのようで、他の人がつかったら振り回しているようにみえそうなのに、ちっともそんなことがない。義経を尋ね旅路の途中という状態をひととき忘れて、桜の力で  あの吉野の山の中、たったひとり。それでもひとつも心細くない。「初音の鼓」を打てば必ず家臣の忠信がすぐに来ると信じる。あたりは桜一面。 特別な高揚感がこんなに伝わるのかと、驚いた。かわいい。
鼓の音に、狐登場。勘十郎さん。 忠信ではなく、白狐。そのままの姿。たまらずに鼓にすりよる。そして、はっと後ずさり人(静)から離れる。その繰り返し。 一人で狐をつかう。ここの狐との一体化がすごかった。 みているこちらが気配を消して観なくては思うようでした。桜の木の陰に隠れたかと思うと、あっというまに忠信(実ハ源九郎狐)になって登場。十数秒で3人使いになっただけでなく着物も変わっていました。??
景清の戦語り。きりっとするところもいい。鎧のしころをひっつかむ様をリアルに2人で演じるようなほのぼのするところもいい。
義太夫も、5人の大夫、5人の三味線と豪華。舞台は春爛漫。楽しい道行きでした。

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渡海屋・大物浦の段

2月の覚書。

国立劇場小劇場 にいってきました。第三部の義経千本桜 「渡海屋・大物浦の段」 「道行初音旅」をみてきました。3部ですと、職場からすっとんでいくとギリギリ間にあうのがうれしい。義経千本桜は、二世竹田出雲、並木千柳、三好松洛の合作により、延享4年(1747)年、大坂竹本座で初演。文楽で大当たりしたものを歌舞伎化したということは、どの本を読んでも書いてあります。歌舞伎でしっかりと学んだ演目なので、どうしても 「ん?」と比べてしまいます。重量の配分が異なって、とても興味深く観ました。かなり集中していたので、終わってからぐったりしました。くたびれた~。面白かった。渡海屋・大物浦の段にクタクタになったあと、道行初音旅の華やかさ・明るさに助けれらました。ありがとう。

まず、こちらの覚書。第三部のメイン。文楽 義経千本桜「渡海屋・大物浦の段」
戦に勝ち目がないと知らされ、覚悟を決めた乳母 典侍局が幼い安徳帝に波の下にこそ極楽浄土という結構な国があると語る。入水という事実も知らず、そなた行きゃるなら、いずくへなりと行くわいのうという健気な安徳帝との場面が、たっぷりとした見せ場になっていた。歌舞伎でも重要な場ではあるが、ボリュームが異なる。もともと文楽で大当たりしたものを、歌舞伎にもっていたのですがね。 重量の配分が異なるものだなと、とても興味深かった。附討が下手(左)の方からきこえてきたのも不思議な気分だった。
渡海屋の場の男らしい銀平もよかった。登場したときから碇をかつぎ渡海屋へ戻ってきたことに驚いた。ザ海の男でした。
義経が幼い安徳帝の守護を誓い、典侍が自死する。知盛の恐ろしい落ち着き。迫力があった。大きくみえた。小舟を漕ぎだし海の中の岩場にあがる。知盛と人形遣いが岩場をよじ登る。おお。碇を持ち岩の上に上がり、綱を体に巻き付け、碇を高々と差し上げ、ドーンと海にほ放りこむ。ためらいもなく、さっと放る。合掌し、投げ込んだ綱と共に海へ。いさぎよいその姿。 壮絶な最期。 もう思い残すことはないとか、白か黒かはっきりとすることのできない、何か大きなものを ぐっと掴み、ドーンと海へ入ったような気がした。圧倒される大きさでした。

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2011年3月 9日 (水)

女殺油地獄

2月の覚書。

父とルテアトル銀座へ。2月花形歌舞伎、第二部を鑑賞。テアトルは、歌舞伎座のない間も しっかり歌舞伎を支えようという若手のしっかりした想いがある公演のようです。チラシからして蜷川実花氏の撮りおろしと新しい。(藤十郎さん襲名のときも、そうでしたけど。) 通常、豊嶋屋油店の殺し場までの上演なのですが、今回は「豊嶋屋逮夜の場」が付いていました。ここも実験(挑戦)の心を感じました。お吉を手にかけたあとの与兵衛を描く必要があったか。どうして、普通はこの場を演じないのか、考えるのも面白かった。そういう、若手の気概をも楽しむ場なのかもしれません。
どうしても、仁左衛門さんの与兵衛が 頭に染みついてしまっているので無意識に比べてしまいます。あまりにも、自分の事しか考えない調子のいい若者与兵衛。小心者であり、いいかっこしいであり、カッとなりやすい。それでも、憎めないかわいらしさがある。このかわいらしさの難しいこと。 染五郎さんは、かわいらしさを健闘していましたが、いかんせん 調子のよさが鼻につく。まじめに生きろと思ってしまう。 これは、若いからだと思う。仕方ないと思わせるぼんぼんぶりがないと、強がって・・・と思ってあげるあことができない。
これは、お吉の亀治朗さんがきまじめで一生懸命な女だから余計強く思う。同業の油屋の息子さんだからと意見し、夫(門之助さん)に妬かれてしまう。ちょっと年上の夫といい、年齢的にぴったりの座組なので、少しリアルすぎたような気がする。こんな風に思うのは意外。 実力ある若手なので、思い入れてしまうのかも。家を追いだされるはめになっても、与兵衛のひっこみのつかなくなった葛藤をみるというより、追いだしてして当然と常識的な観点でみてしまった。
秀太郎さんの母 おさわがよかった。ドラ息子を放り出し、心で泣く。追いだした後、お吉のところに もし与兵衛が訪ねてきたら渡して欲しいとお金をもっていく。先にきていた 父 徳兵衛の彦三郎さんに会ってしまう。まだ強がる母 おさわによりそう徳兵衛がよかった。 妹 おかちには、宗之助さん。けなげな娘さんが本当によく似合う。ぐっと古めかしさ(歌舞伎らしさ)が出た。声が特にいい。
豊嶋屋油店の殺し場。死にたくない死にたくないというお吉の母の声が切なかった。リアルすぎるほど。抑えた演技だが重厚感があり立派でした。 子供のために死ねないと命乞いするその想いに与兵衛は、「こなたの娘が可愛いほど、俺も俺を可愛がる 親父が愛しい」と言い放ち手にかける。 「俺も俺を可愛がる」だけだろうがとその勝手な物言いっぷりが すごい。見せ場。ここで、スイッチがはいるよう一気に手にかけてしまう。 油まみれになり、震えながらこの場を去る。
人でなしの与兵衛はこの先どうなるのか。
その後、お吉の三十五日の法要の場面に逮捕される場までついたことにより、逆に救いようのない悪人に思えた。 この どうしようもなさを見せないためにあまり この場は演じられないのかもしれない。 憎んでしまうギリギリを維持するために。
しょーもない、ぼんぼんの かわいらしさって、ものすごく難解だったのですね。憎めないぼん。藤十郎さんとか、仁左衛門さんは さらってやってらっしゃるのね。 愛嬌のあるいい男。華もあるし、母性もくすぐる。小心者で、すぐカっとする衝動的な面を隠す明るさがある。 人物は描けている。うまいけど、もう一声。それは実年齢という壁だとも思う。 これから先にまたみるのが楽しみ。見応えありました。

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2011年3月 8日 (火)

演舞場 三月大歌舞伎 夜

もやもやした。辛口の感想。
先日、演舞場 三月大歌舞伎 夜の部をみてきました。 夜の部は、源氏物語「浮舟」から。このイヤな感じはなんであろう。匂宮に大切な何かがなかったからであろう。
歌舞伎の世界は、悪人でも大らかさがあったり、冷酷だけれども愛嬌がある。華があることは必須である。 今回は、匂宮を全く愛することができなかった。 台詞に、もたつきも多かった。 あれだけ力量がある人なのにどういうことであろう。 下手な訳ではない。観ていて、役のその勝手さに腹が立つというのは、うまいからである。けれども、ただ不愉快だった。 我が子を前にするとつい愛おしくあやすところなど上手かった。 相手より優位に立とうと立回るのも巧みであった。 それでも不快であった。 私のいる列は、14人並んだ席であったが、途中で7人帰ってしまった。 変な空気があったのだと思う。
まだあどけない浮舟の自由奔放さや、ちょっと大人になったところを菊之助さんが熱演していました。チラシのお写真ではちょっとふっくら?と心配しましたが、実際はおきれいでした。 自分の理想の生き方がぶれない、青くささ満点の薫大将は、染五郎さん。わが道をいきすぎるけれど理屈を通させる愛嬌があった。菊五郎さんは時方。匂宮のため上手く立ち回る。時方は愛嬌たっぷり。さすが。
浮舟は、ずいぶん前にみたことがあるように思う。そう印象深くないが、いやな気持ちにはならなかった。自分の不快感に自分で驚いた。 あの時代の浮世離れ感がなかったのだろうか。 自分の気持ちを持て余した。
続いて、「水天宮利生深川」筆屋幸兵衛。 以前、観たときに救いがない話という印象だった。 ところが、こちらは最後の一場にちいさな希望があり救われた。不思議なものである。
明治維新により没落した士族、幸兵衛に幸四郎さん。細々と暮らすが乳飲み子を含め3人の子を抱え、妻は亡くなる。筆を売った金では所詮 生計がたたない。それでも凛と暮らす。礼儀正しい子供たちに、面倒見のいい近隣のもの。 なぜ、この時代に生まれたのか。 散切り頭の高利貸しに身ぐるみ剥がされ、とうとう幸兵衛の気がふれる。 ひどすぎる。幸兵衛の声が小さ、く余計「もはやこれまで」感がつのる。 でも、浮船よりはいい。明治という価値観がひっくりかえる時代なのだなと思う。 身投げし、助けられ正気にもどる。 まじめに生きてきた家族に 日ごろ信心する水天宮のご利益があり、目のみえない長女の目が、ぼんやりと物がみえるようになる。 ちょっとよかったと思った。
気がふれてしまったたところは、内にこもりすぎやや現代劇風になってしまった。黙阿弥なのに台詞が生きていないのがもったいない。 最後の場、魁春さんもかけつけ役者が揃った場はよかった。大袈裟でないのだが、心の底からうれしそうににっこりとする幸兵衛さんは、よかった。 一大事に呼ばれて駆けつける車夫三五郎に松緑さん。威勢がよく よかった。
締めは、「吉原雀」。六世中村歌右衛門十年祭追善狂言。鳥売りは、梅玉さんと福助さん。とても、上品でした。明るく華やかで、これが最後にあって本当に助かった。福助さんは、所作がきれい。抑えた上品な動きでした。安定した梅玉さん。美しいものはいい。鳥売りの夫婦がやってきて、放生会の由来を聞かせ、去る。これだけ。シンプルな内容を このように、美しく踊るのはすばらしい。

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2011年3月 7日 (月)

ONE KNIGHT STAND TOUR 2010-2011

もう他力に頼らなくてはどうにもなりません。先週、友の力で山崎まさよしのコンサートにいってきました。鎌倉芸術館にて開催の”15thAnniversary YAMAZAKI MASAYOSHI ONE KNIGHT STAND TOUR 2010-2011”  久々のまーちゃんは、ものすごーく にいくいあんちくしょうでした。かっこよすぎ。照れや具合といい、女心をくすぐりまくりです。愛想の加減とかね。 いい声・いい歌でよい男。最強。気持ちよくノックアウトされてきました。 老化についての様子の発表とか、人によってどうしてこうも興味がわくものなのでしょう。 ちなみにまーちゃんの老化は、お酒をこぼすようになったところだそうです。(口からではないそうです。)  鎌倉芸術館だけど、そこは大船。寺とか大仏がなかった、デジカメもってきたのにって。キューン。かわいい奴ちゃ。
一人ぼっちで、なんでもかんでもやっちゃうライブ。一人なのに、どうして音が重なってきこえるの?はもって聞こえるの?これは空耳?と不思議にみつめていたら、サンプくん効果でした。サンプラーというものがあって、自分ですぐに録音し、すぐに音を出しているらしい。逆回転技の披露とかにくすぐられました。かっこいいー。足でリズムをとるとか、ギタを叩いて音を出すとか、なにもかもいかしてました。何よりも、あの声が好き。 モットーは「滑舌よく、大きな声で」だそうです。
私がしゃべらないと、誰もしゃべらない。というような一事を言ったのに大爆笑。 ひとりぼっちで じゃなくてひとりっきりで、こんなにすごいものをみせてくれてありがとう♪

最近のわたくしの生活には、音楽を聴くという習慣がなくなってしまいました。 ちょっと音のある暮らしをしてみんとてす と思いハマのCDショップにいってみて愕然。 縮小している!品揃えが薄い! 映画の棚が増えていました。しかも格安販売の。HMVに関しては店すらありませんでした。ダウンロード全盛のためCD苦戦と聞いていましたが、こんな状態になっていたとは。微力ながら3枚程購入しました。がんばれCD業界。

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2011年3月 6日 (日)

おかたづけ

雛人形を仕舞う。
さっさと仕舞う。
効果を願う。

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2011年3月 3日 (木)

ひなまつり

Photo今日は、ひなまつり。
なんだかうれしい。
女の子だもん。

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2011年3月 2日 (水)

『今朝の春』

みをつくし料理帖シリーズ 第四弾、髙田郁『今朝の春』(ハルキ文庫)を読む。おいしそうな料理と、せつない恋と、人として凛とした生き方とと満載の一冊。迷ったときも、一途に料理に懸ける気持ちを思い出し、なんとか前をむこうとする。なんてえらいのでしょう。
寒い日の鍋は、たまらないごちそうというくだりで、「男伊達より小鍋立て」なんて言葉もでてくる。ニクイなぁとにやりとしたり、澪や美緒さんや、おりょうさんの心に一緒に切なくなったり。おいしい料理が救うすばらしさ。おいしいってことの持つ力を、きちんと組みとれる人でありたい。食を大事にしない人にはわからない機微かもしれない。お料理できないけれど、おいしいものの力を教えてくれた両親に感謝。
この本は、心のごちそうです。

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2011年3月 1日 (火)

洋菓子店コアンドル

2月の覚書。

蒼井優のエーガであった。
「東京の洋菓子店を舞台に、過去を引きずる元パティシエの男と見習い店員との心の交流を描く感動作。」とあったが、それはちょっとボケたあらすじ。蒼井優のファイトをみる映画。
鹿児島のケーキ屋の娘であるなつめ(蒼井優)が、東京にいった彼氏を探しにくる。自分では、いいなずけというが、思いはどうも一方的。いるはずの“パティスリー・コアンドル”に、もはや彼 うみくんはいなかった。なんでうみくんがいないのか、なんでそんないい方するのか、なんでなんでと我を通す様がすごい。みごとな自分勝手。東京で評判の洋菓子店という設定だけあって、そこのケーキは超一流。作り手の愛情や、自信があふれる店でも、店の人がいじわるするから うみくんがいなくなったと、我かんせず怒りまくる。怒るパワーは半端ではない。人のイヤな面をパワフルにおしだす蒼井優。うまいから、本当にイヤな子みたい。 行くあてもなく出てきたので、店で働くと言いだす。ケーキやの娘だからできるという。いばって作ってみせたケーキを店の人が試食。町のケーキやさんの味は、店には受けれ入れられない。これを食べて おかえりなさいと、ケーキをひとつテーブルにおいて、ひとりきりにされる。 ふてくされながら一口ケーキを食べる。 そのとろけるような味。 あんなにガミガミして、かわいげのない女の子が、そのひとくちにうっとりする。 うまい。ほおばるように次々とケーキを口に運ぶ。
それから、この我の強い娘は、若さとわがままさで怖いものなしのまま、店で働く。ぶつかりながらも、ちょっとづつ変わる。根性のはいった娘は、ケーキ作りにも根性がはいる。ほんのちょびっとは、いい子になってきたりもするけれど、相変わらず我かんせずで突き進む。周りを巻き込む。周りは顔をしかめたりもするけれど、裏のない、まっすぐなおバカさんを憎めない。ニクイけど憎めない。 ここらへんの匙かげんがいい。蒼井優あっぱれである。
江口洋介は伝説の天才パティシエ。彼の背負っている大きなものにさえ押しつぶされない なつめ(蒼井優)。いい格好しいだったり、場の空気を読んでしまったり、わかった風に 傷つかないように生きているだけじゃ 得られないものがあるのだ。「小さくまとまるな自分」と鼓舞した。

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