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2011年3月30日 (水)

描かれた時代の固定観念をふまえて絵画をみるということ

本日は、父上の誕生日なり。おめでとう。

今月初めに恒例の、西洋美術勉強会がありました。まだ、大地震のことなんて思いもしなかった頃。3月はじめなのに、もうずっと昔のことのようです。
この回のテーマは、「海外の社会的機能、19世紀フランスを中心に」。 知識というフィルターがかかると絵画のみえ方が変わるという講義。まず、作品をみる。そこへ絵画のスタイルという眼でみる。新古典主義のころのスタイルを知った上でみる。さらに、その時代の常識というフィルターをかける。これで見えなかったものがみえてくる。今の私たちの常識とはまるで異なるものを絵にもとめている。時代ごとに固定観念がある。昭和のころと平成の今ではまるで違う。それがヨーロッパで19世紀でなどといったら、違いははなはだしい。絵とはこうあるべきという固定観念を理解してみると、細部にいろんなメッセージがあることがわかる。知識というフィルターをかえてみると、絵画はもっともっと興味深いものになる。知っていいるのと、知らないのとではこんなにも差があるということを学んだ。
学ぶっていい。
終わってからは恒例の飲み会。楽しい話の合間に、芸術の話もでてきていろいろ聞くのが楽しい。2次会で今日の授業の内容について話しているとき、同じ話をきいているのに、まったく逆に解釈していたことに気がついて驚いた。(「この家庭の様子を描いた暖かい風俗画は、画家が1度めと2度めの結婚の間に書かれた作品である」というのを、実際に結婚している時には現実を思い知らされ暖かいものなど描くことができなかった、こういう家庭をと夢見て描いたと解釈した。正解は、実際に結婚している時には、幸せで満たされているので暖かい家庭の様子を描く必要がなかったということであった。) 夢中になって聞いていたのに・・・

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