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2011年4月27日 (水)

おセンチちゃん

110427_234411_crop 去年の今ごろは、さようなら歌舞伎座に感極まって おセンチちゃんになっていたのだなぁと思い出しました。歌舞伎座クリアファイルとか、てぬぐいとか、コースターとか、ハンドタオルとか、あれこれ買ったなぁ。
4月28日が千穐楽。30日が閉場式でした。
1年経ちました。早かったような、長かったような。演舞場で歌舞伎をみることはできるのだけれども12ヶ月全部の月 上演するわけではありませんでした。一年中、歌舞伎だけがかかっている座っていう存在としても大きかったです。毎月、歌舞伎は観ているのですけれどもね。しばしば、歌舞伎座の大きさを感じる一年でした。
新しい歌舞伎座が、すてきなものになりますように。
新しい歌舞伎座ができあがるまでに、わたしも 何というか いい感じになってますように。

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2011年4月26日 (火)

千代田区祭 ~この国のシステムを変える~

090_crop_2 この国のシステムを変えるべく、国会議事堂へ行ってきました。完全にSPの影響。映画SPを見て、一番心に残ったところ。それは、国会議事堂。 先週、お仕事をお休みし おさると2人で国会議事堂見学をしてきました。
この日の予定は、千代田区遊覧。千代田区区役所の食堂でお昼を食べようと思いつつも、新橋のビアライゼにてメンチカツランチ。絶品のメンチカツという話をきいていてぜひ一度と思っていたので。滅法おいしかった。後に、ここは港区と判明。おいしいのでよしとする。次回はビールタイムに訪れてみたい。
ここまできたら、虎ノ門が近いと思って歩いているといつのまにやら霞が関へ。エリートの匂いがします。TVの知識しかないのであろうかと思うほど、外務省をみれば黒田の職場と思い(大倉くんもここ)、警視庁をみればデカワンコ(ここにも大倉くん)とかBOSSの職場と、気分を高揚させる。各官庁の入口にはものものしい警備員が。それぞれちょっと雰囲気が異なる。お昼に外に出てきた公務員の会話を耳にし、もっと高尚なことを話して欲しいと無理な注文をつけたり。霞が関巡りがこんなに楽しいとは! 桜田門で、よくドラマでうつるビルをながめ、意外と汚れていると思ったり、桜田門外の変に思いをはせたりした。
おお!国会議事堂! 見学にきたのに、わざわざお休みしたのに、ものものしい警備に見学をあきらめかける。建物の立派さにみとれつつ、せめて一周しようと巡る。首相官邸をみたりしながら裏に回ると、急に話かけてもよさそうな警備の方を発見。衆議院は審議中のため、参議院へどうぞと教えてもらい、無事 参議院を見学してきました。
087_crop まず、参観ロビーで待機。議員席に座ってみたり体験型でけっこう楽しい。明治天皇のおかけになった椅子のレプリカを拝見したり。時間になると2列に並び、衛視の方の後について見学。はりきって一番前に並ぶ。厳粛に従う我々と異なり、感想をそのまま口にするおばさま。居間ですかここは。 議事堂の一般傍聴席に座り、説明を受ける。国産の大理石とか、まさ目の美しい檜とか、天井の上品なステンドグラスとか、一流に囲まれる空間。5分毎に交替するための速記者用の合図の音とか、士農工商を象徴する彫刻(これはわからなかった)とか、情報が多すぎで目が回る。なんでもかんでも億単位の設備でした。 再建不可能な貴重な資材の数々だそうです。 議員は当選年数の若い議員から前に座るという情報から出席の札をみていたら柔ちゃんのを発見。あれは牛歩戦術した階段かとささやきあったり、岡田くんがトントンした机の幅を確認したり、大満足。 SPの通りの(?!)厳粛な場所でした。 国民に選出され、このようなすばらしい場所で審議しているときに、よく くっだらないヤジとか飛ばせるなぁと思った。
引き続き説明。廊下にひかれた赤絨毯もこれまた高価。1㎡あたり何万だかの、何キロだかもある最高級赤絨毯は15年だかに一度張替られるそうです。何といろめきだつ表情を浮かべるカッパとおさるに、議場へ入る2階の絨毯を、1階に移し、そこでまた8年だか使用すると聞き一安心。張替にいくらかかるのかと、同時にいろめきだったのがおかしかった。法隆寺五重塔をそのまま入れることのできる吹き抜けとか、天皇陛下だけがお使いになるお手洗い(未使用)とか、規格外の豪華さに満腹になる。 凄い場所でした。議員諸君は、こういうところでも働いているのですね。 文句ばっかりいってないで、協力しあってしっかり審議してくれたまえと切に願う。 最後に、門の手前で国会議事堂を正面から眺める。本物をみておくべきです。貴重な体験でした。
Photo 売店では、議員バッチ飴とか歴代首相クリアファイルとか国会議事堂クッキーなどがありました。のこらず引っかかる。ミニタオルもね。
休暇をとったはじまりは、国立近代美術館での岡本太郎展を鑑賞。今は開館時間が短いから。ゆっくり楽しむためにお休みしました。
霞が関に高揚し、国会議事堂に圧倒され、エリートに満腹になりつつ、竹橋へ。妙に人が出てくるなぁと思っていたら4時閉館ですって。5時じゃ駄目ですか。駄目ですね。 あきらめて、半蔵門へ。カラッカラな喉をうるおしました。ホテルのバーで、皇居の森を眺めつつ祝杯をあげる。 ごめんね太郎。みることができなくて。 残念。でも、明るいうちからのむのって 格別なのよね。 ビバ千代田区。

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2011年4月25日 (月)

英国王のスピーチ

予告篇をみて、これ行こう!っと思った映画。現エリザベス女王の父、ジョージ6世のものがたり。吃音に悩んでいたという。そんな立場の人の悩みを、みんなに発表していいのかしらと驚いた。先週、みてきました。
冒頭、英国王ジョージ5世の次男 ヨーク公が博覧会という大きな舞台で、ラジオ放送される中、スピーチをしなくてはならないという場面から始まる。吃音という苦難は知らされていないが、無条件に尊敬される格違いの高い立場あること、おしつぶされそうなほど重苦しい何かに襲われていることを、一緒に体感する。
内気で癇癪持ちの彼には、つらい責務ばかりがある。王としてふさわしいものを学んできている。素質もある。だが、スピーチができない。王室にとって、「スピーチ」というものの重要度がひしひしと伝わる。
けれど、彼には暖かい家庭がある。心から寄り添って生きていける妻と愛くるしい2人の娘がいる。これは、今のイギリス王室にはない。あの愛くるしいエリザベスには、こんな強力な愛情にあふれた家族はいないのだなと(勝手に)思い、切なくもなった。
吃音の王族には、もちろん最高の専門家が何人もつく。彼らにはどうにもできない。何度も絶望した時に現れる言語矯正家のローグが現れる。彼が非常に魅力的なおじさまであった。アーストラリア人の彼は、「平民」である。平民の彼にも、強大な愛で繋がっている家族がいる。オーストラリア人で、夢があり、平民としてしっかり生きている。突拍子もないローグの生きるためのやり方に惹かれた。冗談じゃない!と気になるの見事なバランス。策を練って、のしあがろうとしたのではないところがいい。直球勝負の対決が面白かった。王室と平民、先生と生徒、いろいろな立場が交錯する。自分の方法に絶対の自信のあるローグが、真剣に克服させようとする。ヨーク公(ジョージ6世)が、腹を立てても冷静に自分のすべきことを考え真剣に努力する。いいわけしない2人が、いろんな立場に立ち奮闘する。
英国王室の普段のくらしをみて、あの大袈裟な調度品は本当に日常の家具であったのだなとあらためて驚いた。美術館の中で住んでいるような世界の人が、平民ど真ん中のローグの教えを受ける。「対等」の面白さに魅せられた。
本来の後継であった長男のエドワード8世が、愛のためにと王位を捨てる様子も王室という重さを常に感じて生きていた人のうっぷんなのかなと思った。愛至上主義にはみえなかったが、王室の生み出すなんだか黒いものを感じた。
ナチスが台頭し、戦争を余技なくされる。国を動かすのは首相。王の権威の大きさとか無力感とか、いろんなものを一緒に体感できる映画だった。
どうしたらいいかわからないことに立ち向かわなくてはならないとき、何があればいいか。家族の愛だ。信じてくれる人と信じる人がいることだ。真剣に向き合う相手がいることだ。
すごく好きな映画でした。

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2011年4月20日 (水)

『終末のフール』

なんとなく未読のままとっておいた伊坂幸太郎の『終末のフール』(集英社文庫)を読む。
八年後に地球に小惑星が衝突する。そして地球は滅亡する。そう政府から発表された人々はパニックになる。そして5年が過ぎた。あと、地球上の生物の寿命は3年という時の物語。
まず、この本を震災前に読むのと、今読むのとでは受ける感覚が違うだろうなと思った。 そういうことは起こりえるかもしれない。未曾有の大震災のように、そこに住んでいたから、旅行していたから遭遇してしまった。というように地球に住んでいたから遭遇してしまったのだ。 こういう想定の物語よりも、近く感じた。 映像で津波の恐ろしさをみたから
人類が絶滅するというのに、その前にパニックで殺人がおきる。家族のためにと誰もが必死で物資を奪い合う。ニセの情報に踊らされて逃げるところがないのに、どこかへ向かって逃げ大混乱を引き起こす。
その後、混乱を通り過ごすことができた人達が、あきらめや落ち着きや希望をもって毎日をみる。終わりの日が決まっているから、仲たがいした人がお互いに向き合おうとする。終わりの日が決まっているから、おなかの子供の未来が必要かどうか悩む。「終わりの日」という揺るがせることのできない決まりに、人は狂い、そして人は幸せをみつける。
物語の中でも、現実でも、決まっていることは人には寿命があるということ。終わりの日が必ずくる。今は、わかっているけれど実感がない。でも、それが目の前にせまってきたら、「普通」ってなんてすばらしいことだと気づく。隣に人がいるのってなんて幸せなのだろうと胸が暖かくなる。 大震災のあと、被害のなかった私の暮らしでも、「普通」の素敵さが身に染みる。普段のくらしがあたりまえにできるということが、ありがたい。 とても小さいことだけど、買占めとか、人が少しおかしくなる様子もみた。 人の死は、運が悪かったなんて思えない。でも運命の力は恐ろしい。今できること、今決断すること、人を大事に思うこと、そんな身近なことだけど、何よりも大きな幸福について考えた。
終末にむかっているのに、この本は希望にあふれていた。じっと踏ん張った人がみることのできるあたたかい希望に、よしっと思った。

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2011年4月19日 (火)

第54回野村狂言座

先週、宝生能楽堂にいってきました。恒例の野村狂言座。開演10分前に会社を出る。韋駄天走りで宝生へ。橋がかりに入ってきたときに着席。よかった。バタバタしてすみません。
「鼻取相撲」から。今、大名の本名乗りに興味津津なので、くいいるようにみる。本物はこれか。すごい。何度も何度もみているものでも、注目してみるとまだまだ知らなかったっ大変さがいっぱいみえてきて、面白い。
大名は家来をかかようと言う。何人かかえるかと聞かれると8000人という。結局一人だけかかえるということに落ち着くくだりは、なんどみてもにこっとしてしまう。やってきた男の特技は相撲だという。これも、よくあるパターン。鼻取相撲は、鼻がポイント。おおまじめに鼻をかばいのどかでたのしかった。大名は深田師。太郎冠者は萬斎師。
続いて「見物左衛門 花見」珍しく、一人きりの狂言。そうか、見物左衛門は花見をするのでした。今の季節にぴったりなのですね。あちこちとみて歩く見物左衛門は、一人なのに優雅に楽しそうに見物してました。おれは見物のプロだぞって威張り具合も鷹揚でした。
「舎弟」実の弟のことだそうです。兄、萬斎師にいつも「舎弟」と呼ばれる弟、竹山師。さて「舎弟」とは何のことか?物知りのもの(万作師)に意味を聞きに行く。だまされてウソを教えられる。万作師に教えられたら、信じてしまいそう。そして兄よりも万作師を信じる固まじめな竹山師がぴったりでした。萬斎師は、鼻取相撲に続いて舎弟でも最後に投げられていました。苦々しさを演じ分けていました。ますますほっそりされたようにお見受けしました。
休憩をはさみ、素囃子 「男舞」。最後に「蛸」。これが、とびっきり気に入りました。
能がかりになっている狂言。
僧が、所の者にきくと、大きな蛸が取れたので喜んでみんなで食べた。その日から夜な夜な蛸の霊が出るので卒塔婆をたてて供養してやったという。後シテでは、頭に蛸を乗せた万作師により蛸の幽霊が登場。優雅に哀しみを舞ってみせる。ひとつひとつの動作は美しく、謡は荘厳であるが、内容が面白い。乾されてという謡には、ピンと腕を伸ばし乾されてみせる。美しいのに可笑しい。ニコニコしながらうっとりするという特別な楽しみ方のできる演目でした。静かに橋がかりを去っていく蛸をみて、あー蛸ちゃん、成仏できたかなぁと思う。すごく気に入りました。

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2011年4月18日 (月)

『小夜しぐれ』

髙田郁のみをつくし料理帖の新刊『小夜しぐれ』(ハルキ文庫)を読む。急にいろんなことが展開。みんな、このままではいられないのね。生きていくためには、独り立ちするためには、あえて辛い道を選ばなくては。なくてはでそんな切なさも感じつつ、ハラハラしたりキュンとしたり、おいしそうな食べ物にうっとりしたりしつつ堪能。
お嬢様道まっしぐらの美緒は、どうして現実の道にきりかえることができたのだろう。わかるけどわかりたくない。腹をくくってから急にぐっとキレイになったように思えた。なんでダメなの、どうにもならないのといろんな人の想いにぎゅうぎゅうになる。種市の恋なんて苦いばかりなのに、それでもというどうにもならない想いと、周りの大きな大きな命がけの愛情との戦いにもぎゅうぎゅうとなる。心が揺さぶられ続けました。
小松原様の大きくて細かくて責任ばかりが大きい仕事に驚く。江戸時代の殿も大変。自分妃取りのためにどれだけの役職があるのか。お江戸のためだけど、もう殿のためっていうものが多すぎる。料理に心悩ますということでも、対象が違うとこんなにも悩みが異なるのかと面白かった。 庶民と富裕層と殿。もとめられるものの違いから、江戸は、身分というものの妨げの大きいのだなぁとしみじみ思う。 澪の料理人としての矜持のようなものも頼もしかった。 そうすると人への思い(小松原さまとかつる家とか)よりも、優先しなくてはならないかもしれないものがでてきてしまうのか。 ああ、悩ましい。 成長が眩しい。これは私が現状から巣立てないからだなぁ。
だいたいキャスティングできました。タレント名鑑片手に考えたくなった。が、家にはかぶき手帖しかない。あっ梨園枠からもキャスティングしないと・・・

週末におさる宅へよっぴいておじゃましてきました。毎回なかなか帰らず 御迷惑をかけてしまう。だって楽しいのだもん(すみません)。今回は東北の日本酒をごちそうになり、またまた長居しちゃった。みをつくしキャスティング披露会もたのしかった。 どうしても、この役はこの人にと頼んだり頼まれたりしあいました。

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2011年4月15日 (金)

『図書館戦争』

おさるさまにお借りして、インフルエンザの時に読んだ本。有川浩の『図書館戦争』(メディアワークス)。キャーキャー言いたくなるくらい面白く、ドーンと分厚い本。たまらなくうれしい。幸せでした。
「公序良俗を乱し人権を侵害する表現を取り締まる法律として『メディア良化法』が成立・施行された現代。」
という大袈裟な設定。正義の味方「図書館」が、合法国家機関を相手に戦う。本のために!しびれる。 超法規的検閲とか、言葉がいちいちいい。世界を細かく設定しているのだけれでも、その細かさがいい。下手に描かれると面倒くさくなる仔細な設定だけれども、この本ではそのおかげで、活き活きしてくる。熱い女とクール女。熱血男と冷静な男。登場人物たちも、ものすごく魅力的。ねぇねぇ誰が好き、なるなら誰と 聞きあいたくなるような人物。愛とか憧れとかライバルとかいろいろなときめき要素がいっぱいで、かつ大義とか正義とか本質的な戦いもあって、なんだこれはーっていう面白さ。
本を狩るなんていう言葉。独裁社会を体験したことがないので、ただカッコいいなんて言えるとは思うけど。正義のために戦う。悪がよくわかっているというところもいい。正しいからといって闇雲に戦えばいいじゃないってこととか、めちゃくちゃな行動が突破口になったりとか、いいバランスに夢中になる。
大満足。
本読みだけど、文庫本読み。どうにも待ち切れず貸していただきました。でも読みたい。どんどん読みたい。気になる。

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2011年4月13日 (水)

『もりだくさんすぎ yoshimotobanana.com 2010』

よしもとばなな『もりだくさんすぎ yoshimotobanana.com 2010』(新潮文庫)を読む。プロの物書きの日記。1~12月を1冊にまとめてくれているので区切りがよい。これからは、よしもとばななと板尾創路の日記(の本)を1年区切りで読むことができそうだ。文庫が出版されればであるが。 あといしいしんじのと松井今朝子のも。
道徳的な教えとして、みた目のきれいさよりも、心のきれいさが大切という。いやぁ、見た目がいい方が・・・と心のどこかで思う。でも、わりと美人で無表情でいじわるな美人さんよりも、つきあうならきだてのいいブスの方がいい。というくだりを読んで、その通りと思った。やっぱり道徳があってる。 人生全体 冷え性になりそうだという〆にうなる。 かわいこちゃんは大好きだけど、心が貧困なら 台無し。そのキレイさすらマイナス。人の本質の正義に厳しいし、身を削って仕事する職業についた自負がすごいし、いいにくいこともいっている。はっきり言うってことが苦手なので、まぶしい思いで読む。 親が年老いていくこと。それにおびえるところがある心と、受け入れようとするきっぱりとした心、してもらったことに気の付くところの描き方を読み、どきっとしつつ自分も自分の親に対して思う。
自分の周りの大事な人を描かなければ日記として成り立たないし、さらけ出すことで負うリスクの大きさも感じる。好きっと思って読んでいるわたしのような人には、ただどんな人かなぁという想像だけですむが、悪意のある考え方をする人は必ずいる。身をけずっていく職業なのだな、物書きさんは。すごいなとも思いつつ楽しむ。
今年の日記は、どうなるのであろう。被害のない所に住む一般の人にも、なんだかわからないものが巻きついてどんよりとしてしまっている今の時期をどういう言葉で書くのだろう。 自分の1年のことも思い出しつつ、読む。 出版され続ける限り、私も読み続けるであろう。
大人の中でもちゃんと対等に扱われることの多いちびちゃんの名言も楽しむ。
飛行機の中でみた映画「シャーロック・ホームズ」。好きすぎで何もいえないらしい。うーむ。みればよかった。ロンドンに行く機内でやっていたのに。画面の暗さにリタイアしたエーガだ。ホームズかワトソンくんかみわけがつかないほど暗い画面だったのだもの。

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2011年4月11日 (月)

四月大歌舞伎・夜

週末に2日続けて演舞場へ、昼も夜の同じ席で観劇。今おきいにいりのお得な席。ここはよく見える。
大河ドラマのころの話だなぁ。まずは、絵本太功記。尼ヶ崎閑居の場。十次郎に時蔵さん。おお若武者だ。品があって清潔でした。初菊は菊之助さん。びっくりするほどあどけない。前日はあんなに大きくみえたのに。許嫁が死を覚悟していることに泣き、鳴き声で親に知られてはいけないと耐える。いじらしい。戦支度を手伝いたく、兜を運ぼうするが重く運べない。なんとか袖にのせてもっていく。ここが見せ場ということは知っていたが、こんなに見事に運んだところは初めてみた。なるほど、だからここは見せ場なのだと、腑に落ちた。皐月の秀太郎さんは凛として、操の魁春さんは情にあつい。團さまの光秀はむやみに大きく、菊五郎さんの真柴久吉はどことなく不気味な迫力でした。佐藤正清は三津五郎とは思えないほど大きくみえた。いい顔ぶれ。
男女道成寺。桜子実は狂言師左近に松緑さん。花子は菊之助さん。ここでまた成田屋の若でみたなぁと懐かしく思う。(実は十次郎をみても思った。)鐘に恨みは数々ござれという踊りだし。桜子と花子、それぞれ我が道をいって舞う。正直あっていない。(源氏物語の青海波の舞を思い出した)男女になってから、2人で舞う意味がちゃんと出て鞨鼓や鈴太鼓のくだりでは息がぴったりでした。わくわくする踊りでした。歌舞伎座と演舞場は舞台の幅が違うなぁ。2人にはちょっと狭いほどでした。
最後に、権三と助十。今月は権三に三津五郎さん。江戸っ子の粋な口調がこんなに似合うことをすっかり忘れていました。かっこいい。熱い男 助十の松緑さんとの組み合わせがとてもいい。この2人だと、素直に話がはいってくるような気がする。権三女房は時蔵さん。気が強いけど恋女房っぷりがいい。上方から訪ねてくる倅 彦三郎は梅枝くん。恐ろしくうまい。助十 松緑さんの弟 助八には亀三郎さん。ほらみて。うまい。もっともっと毎月活躍してほしい。バカみたいに熱く、でも絶対に信用できる男くさい兄弟でした。今月の左官屋(しゃかんや)勘太郎は市蔵さん。変わった凄みでした。人くらい殺してそうな凄みもだせるのですね。左團次さんじゃないと、あのテンポで家主感は出せない。長屋のケンカに声を出して笑いながら楽しんだ。 この日は、会社仲間と観劇。長屋の暮らしは面倒くさいって感想を述べていたのに笑った。確かに考えられないほど筒抜けの暮らしだけど。活き活きした江戸っ子のくらしをみた直後にもクール。いつも彼女の感想は面白く、聞くのが楽しみ。井戸換えでゾロゾロでてくるのにも浮き浮き。一人も見逃さないよう、楽しみました。長屋連中としてガヤガヤ出ている中、左十次郎さんが人の後ろの方に控えつつ、権三や助十のケンカを見守るという図にも、しっかり注目。暑い厚いって井戸替えるしているのをみた後、外にでたらひんやりしていていました。そうだった花冷えの季節でした。しっかりと歌舞伎の世界にひたれました。
今月の夜の部は、並びがよくとても楽しかった。また、来月♪

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四月大歌舞伎・昼

週末に演舞場へ。気分だけは妙に久々の歌舞伎。
まずは、お江戸みやげから。これは分が悪いだろうと思い少々気の毒に思いながらみる。芝翫さんのお辻に、富十郎さんのおゆうというゴールデンコンビで観たことがあり、それが今でもとても印象深いから。歌舞伎チャンネル最終月の先月に放映をみて笑ったばかりですし。
そんなことを思ってすみません。あー楽しかった。結城紬の行商人のおばあさん2人づれ。亭主に先立だれ、結城紬を背負い、1年間の暮らしを支えようと田舎から売りくる。芝翫・富十郎のお二人はみごとに田舎者のおばあさんでした。今回のお辻の三津五郎さんは、最初ちょっとキレイすぎではとひっかかった。徐々に払拭。 翫雀さんのおゆうは、最初から絶品。背中の丸め具合といい、身体を横に振って歩くとこといい、おせっかいさとか、みごとなおばあさん。役者さんの演じるおばあさんは、位があったり情愛があったりという設定があり時代味があるが、翫雀さんのおゆうは、江戸時代のただの田舎者のおばあさんでした。しかもちょっとかわいい。うまいのだなぁ、この人はとしみじみと思った。今月昼の部のMVPを差し上げます。勝手に。
疲れたといっちゃあ一杯のんじゃう おゆうばあさんと、件約家のお辻ばあさん。心が乱れるから飲まないといったお酒を、旅の最後にちょっと気が緩み飲んでしまう。そうなるとお辻ばあさんが、おゆうばあさんなんか目じゃない暴走。お江戸の役者に一目惚れ。今日初めてあったという惚れた男に、江戸っこよりも粋なお金の使い方をする。酔いがさめても、にっこり笑う。これが私のお江戸みやげさと 悠然としているお辻ばあさんがかっこうよかった。心配したり協力したり奮闘するおゆうばあさんがかわいらしかった。ええ話や。 歌舞伎という土壌にちゃんと立っていて。歌舞伎の人が演じるからしめっぽさとかなく、カラリと面白く、なぜか心もあたたかい。いいお芝居でした。
続いて、一條大蔵譚。どうして作り阿呆のこの演目、よくかかるのかなぁと思いながらみる。勘三郎さんと菊五郎さんでは、雰囲気が違ったのが印象的。勘三郎さんのはかわいらしい阿呆でしたが、菊五郎さんはおおらか。実はという本心をみせたところはキリリ。じゃあ戻すかとまた阿呆を演じたみせた切り替えどころが決まっていました。鬼次郎・お京夫婦は、團さまと菊之助さん。鬼次郎は迫力があり、 お京は貫禄がありました(ちょっと心配な程)。2人で常盤御前にせまるところは厳しかった。常盤御前・時蔵さんが気の毒なほどのせめたて。常盤御前の本心を知り、夫婦揃ってひれ伏すところが 歌舞伎らしくてよかった。家橘さんの鳴瀬がけなげでした。
最後に、封印切。忠さんは藤十郎はん。おえんに秀太郎さん。あまりになめらかな上方言葉なので、最初のやりとりはヒアリングテストのように集中力がいりました。耳慣れていない言葉なのだなと改めて思う。
今まで、梅川ってじっとしているだけの役かと思っていましたが違いました。いじわる男に身請けされると悩み、忠さんがこないとうじうじし、八右衛門の悪口に悩み、ひとときの幸せに浮かれ、死を覚悟してからは泣きながらもどこか肝が座っている。 扇雀をみていてそんなことを思いました。八右衛門のポンポンと調子のいい悪口や、いがんだ感じが暗めで面白かった。今までの忠兵衛は、あーあ、乗せられて封をきっちゃった、ダメだよと注意したくなるようなイメージだったのですが、この日みた藤十郎はんの忠兵衛は もうそうなるしかないという死へ向かって吸い込まれるように追い込まれていくようにみえて、ちょっとドキっとした。

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2011年4月10日 (日)

演舞場四月大歌舞伎②

投票して、演舞場へ。夜の部も演舞場にお客さんがかえってきていました。
夜の部は、演目の並びがいい。じっくりみて(絵本太功記)、うっとりして(男女道成寺)、笑って(権三と助十)。
昨日は、一條大蔵譚で貫禄あり大きく見えた菊之助さん。團さまの吉岡鬼次郎との夫婦もぴったりで、あら、ちょっとふくよかになられたのかしらん。と思っていましたら、今日の菊之助さんはかわいらしかった。絵本太功記の初菊では10代でした。腕がいいので、昼の部では貫禄があるように見えただけなのですね。よかった。
4月は顔合わせが豪華で、大歌舞伎感にあふれています。團菊のような顔合わせでもあり、もう一人の成田屋もでていたらなぁと時々思う。
歌舞伎はだいたい演目中も明るいのですが、節電で場内が暗い。集中してみることができて、たまにはいいかも。
あぁ、これこれ。この雰囲気。歌舞伎はやっぱりよかった。

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2011年4月 9日 (土)

演舞場四月大歌舞伎①

週末は歌舞伎三昧。土曜に昼の部。日曜は夜の部。
観劇を楽しみしてしていたが、7日の夜の地震におびえる。注意深くすることが大事。すぐ忘れてのんきになっちゃうからね。
いざというときにもなるべく一人で頑張れるような準備(寒さ対策カーディガン・おやつ・飲み物とか)を持ち、楽しんできました。
演舞場に、お客さんはかえってきていましたよ。
歌舞伎はやっぱりよかった。

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SP 革命篇

岡田くんに元気をもらおう。ということで、おさると邦非映非連。昨年末の「SP 野望篇」に引き続き、「SP 革命篇」をみてきました。
前回は、走れ!メロスかっと思うほど走っていた岡田くん。あんなに笑って楽しませてくれたもの。
今回は、骨太映画でした。「衝突する2つの運命」とか、「大義」とか、前回やたらと押していたその言葉どおり。ちゃんと筋が。全体的にすごいし、強い人ばかりなので、岡田くんの超人ぶりがおとなしかった。
国会議事堂、すごいです。オペラとかやったらいいのになんていう思うほど重厚。こんな場所で、よく くだらないやじとか飛ばすなぁ。敬虔な気持ちになるであろう、普通は。
政治家達のおべんちゃらとかエバリっぷりとか醜さとか、憎い対象風に描かれる。官僚は矢面に立たず、影で自分が操っているというような上からみくだした感ただようように描かれる。でも、SPはSPの誇りと仲間のために、命をかけて働くのである!!!という、骨太の物語でした。前作との温度差にびっくり。 やっぱり両方みてよかった。おさると一緒にね。正しい邦非映非連活動となりました。
岡田くんは、ちょっこっとお小さくていらっしゃるけど やはりかっこいい。あんまり痛めつけられすぎてヒーと思いました。真木よう子、やっぱりいかしてました。腰をクネッとさせて銃を撃ちまくるところがかっちょいい。平Jr.のぼっちゃんぶりにはオーラがありましたことよ。堤班は、みんな不死身でみんな強くて、乱暴なコミュニュケーションのとり方がいい。
国会議事堂が、がぜん気になる。平日に見学ができるようです。下見がてら休みますか。

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2011年4月 6日 (水)

『しずく』

西加奈子の『しずく』を読む。「もう」っていうのの向こうにある結びつきを描いたという短編集。親でも友でも大好きな人でも、自分の感性と違うところが絶対にある。ちょっと「もう」って思っても、それでも仕方ないなぁと気持ちが寄り添う。長いつきあいだったり、いきおいだったりするようで、それだけでない。西加奈子さんの描くものは、とっちらかり方がいい。人のイヤな面を(ちょっとでも沢山でも)、余計な悪意や色をつけずに、すっと描くことができる。やっぱり相手が必要だと素直に思うことのできる。思いに建前をつけない。かっこつけない。なので心にしみこむ。そこが好き。
表題のしずくは、2匹の猫のはなし。キーっと頭にきて叩きあっても、すぐに何を怒っていたのか忘れて身体をなめあう。しずくって言葉をしらないし、大事なことも怒ったこともすぐに忘れちゃうけど、しずくってものに対してお互いに持っている愛情のような温度だけは、何かの拍子にすぐに思いだす。そんなものだなぁと思う。人は、怒ったことを忘れないから腹が立つのだし、うまくいかなくなったりする。でも、人も猫もいいことを覚えているから、相手が必要になったりする。
何がどうなってしまっても、それでもいい。というか、好き。そういう気持ち。それが書いてある本。

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2011年4月 4日 (月)

川崎市岡本太郎美術館

Photo 昨日の日曜日、久しぶりに学友たちと集った。みなで、川崎市岡本太郎美術館へ繰り出す。
ちょうどNHKドラマ「TAROの塔」を見たところ。より興味深かった。芸術学コースの友人たちなので、飛び出す言葉も面白い(お昼を食べているときから、すでに面白かったけど)。 でもTAROの方が何百万倍もすごい。ものすごいエネルギーを出していました。見にきた方は、少々吸い取られる感じ。
←これは撮影コーナーにある顔を出すところのある太陽の塔パネル。 横にはTAROパネルも→ 
Photo_2 展示室にもTAROの写真パネルが。若干小さい。ちょっとだけ小さい。それならいっそ等身台に。それとも、小柄なの?  岡本かの子や、岡本一平の作品もある(パネルもある)。かの子の美しく装丁された本。そして筆跡。流暢な筆跡を読解することができないながらもきれいであった。日本人なのに読むことができずすみません。 一平氏の新聞漫画は、個性的だった。絵もすてきだった。
岡本太郎にとって、絵も書も彫刻も違う種類ではないのかもれしれないなと思った。ジャンル分けという概念などないのだろうなと。どれも、すごすぎて、理解を越える。飛び出して一周してかえってきてしまう。衝動的なイメージだったが、考え抜かれた線の集まりなんだと思った。
座ることを拒絶した椅子等、有名な椅子が沢山あった。どれも勝手に座ることができる。あちこち座りあう。意外と座りごこちがいい。刺さるのもあった。
今までの作品の写真にも驚いた。高島屋のディスプレイとか。驚きっぱなしで楽しかった。
この日は、「第14回 岡本太郎現代芸術賞展」最終日でもありました。パフォマーが総登場し、若い観客で結構にぎわっていました。
入賞作の島本了多さんの『知らない言葉の百鬼夜行』という作品が好きだった。 巻物に描かれた妖たち。その前にコメント。 この絵に書いた「言葉の意味」を私は知りません。もし意味をご存知のものがあれば、教えて下さい。
妖は、ちょっと現代的でもある。ひとつひとつに名のようなカタカナがつく。 プロトコルとかハイファイとかヌーベルバーグとか。何度も指差して笑いながらみる。最後に用紙と箱があり、知っていいる言葉を投稿できるようになっている。そして、観客からの答えの言葉も掲示されている。あってるのとかあっていないのとか面白い。ニュースをみていて、カタカナを使わず日本語で言いたまえとしょっちゅう思っているのだけど、カタカナにされてしまい、今ひとつなんのことやらわからずといった言葉が、おおまじめに書かれていて面白かった。響きがいい感じの言葉のチョイスが面白い。
展示室から飛び出して展示されていた山本麻璃絵の「ものモノ」も、すごく気に行った。自動販売機や信号などを木彫で表現。本物の大きさ。細かくておおらかで。入口にあった公衆電話の横に、作品の木彫りの公衆電話があった。受付の方に教えていただくまで、本物かと思ってた。うわっと、いい驚きができる。
のびアニキのプロマイドをもらったり。おどろおどろしいのや、よくわからないのや、わからないけどクールで格好いいフォルムのものをみたりと、じっくりと楽しんだ。みごたえが面白い美術館だった。
最後に美術館の丘の上にそびえたつ岡本太郎の『母の塔』をみる。でっけぇ。桜が咲き始めており、ホーホケキョとうぐいすの鳴く音もきこえた。肌寒いけど春だなと浮き浮きした。学友集合し、とても楽しい一日になった。身体があったまる程笑った。ありがとう友よ。 知り合ってから時間は流れたし、家族が増えていく友も多い。芯になるところが変わらなくて、なんだかいいなぁと思った。

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2011年4月 2日 (土)

ゲントの祭壇画

ポケーっと美の巨人達をみていたら、おお!ファン・エイクの「ゲントの祭壇画」が! 西洋美術の授業で先生があつく語っていらっしゃるのを聞いて、本物がみてみたいと印象深く心にやきついた祭壇。でも、先生からの熱のような人を酔わせる思いは、この番組にはなかった。TVにそれを求めるのは酷だけれどもね。
前よりはちょっとはわかるようになってきたかも。見たい。ここ数年、歌舞伎鑑賞という名目がない旅行は、ほとんどしていないからなあ(遠征という名の旅行ばかり・・・)。あの講義をきいてから、6年くらい経ちました。早いものです。見たいなぁ。

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2011年4月 1日 (金)

愛したことを後悔する

昨日で歌舞伎チャンネル終了。元 こぶ平司会の歌舞伎役者さんとの対談とか好きでしたのに。鈴木治彦さんの番組よりも、みなさまのびのび話してらっしゃるから。3月31日24時にいさぎよくブチっと終わりました。残念なり。

Photo 先月(先々月かな)、クロッカスの小さな鉢植えを購入。あっというまにつぼみが全て咲きました。球根なので、来年も咲くのかな。
クロッカスの花言葉は何かしら。調べてみたら 「信頼」「青春の喜び」だそうです。「若返り」というものもありました。  クロッカスは色別にも花言葉が。黄は、「私を信じて」「切望」。 そして、紫は 「愛したことを後悔する」だそうです。 えええ。
源は、ギリシャ神話。美青年クロッカスは羊飼いの娘と恋仲。ところが、神々の反対にあい悲嘆のあげく自殺する。花の神フローラは、あわれに思い彼の亡骸をクロッカスの姿に変えた。ここから「愛したことを後悔する」という花言葉になったそうです。
なぜ紫のクロッカスを選んだのでしょう、わたくし。
かわいいのでいいわ。

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2011年3月

大変な月であった。来月になっても引き続き ふんばりが必要です。
人の優しさが身にしみた。毅然として働く人々を心から尊敬した。普通に暮らすということがこんなにもありがったいことであったのか知った。
余暇を楽しむことにためらいがある。出かけることが不安だからなのであろうか。家に大人しくいると、何か協力しているような気になるのであろうか。申し訳ない気持になる。 自分の気持ちがよくわからなくなった。 被害にあっていないのにどうして混乱するのであろう。安全な所でこういうことを考えることすら贅沢な気もする。 直接被災し、必死に毎日がんばっている人でなくても、その心は混乱する。今、そう思うようになった。
大震災のため、公演を中止(もしくは延期)と決めた公演が沢山ある。
国立劇場での『絵本合法衢』が中止になった。
神奈川芸術劇場(KAAA) での『杉本文楽曾根崎心中』が中止になった。
国立能楽堂でのござる乃座が延期になった。
上演を中止という決断。私は、その決断に同意した。
一方、がんばって公演を続けている新橋演舞場の3月大歌舞伎もある。こういう時だからこそと上演を続ける公演もある。
私は、その決断にも同意する。
どちらも、いろいろな立場で 深く考えて出した結論。正解というものはない。出した結論にそれぞれの団体が真摯に対応するしかない。真剣な決定であればいい。
歌舞伎に狂言に文楽。普段なら、何をおいてでも観に行きたいと思う。 どうしても心が浮き浮きしない。誰でもそうであろう。 自分が楽しみたいかどうかすら わからなくなってしまっている。中止と主催側に決めてもらい、ほっとした。 がんばって上演を続ける演舞場は、遠方からの友人といくはずだった。悩んだ末 諦めた友人。一緒に観劇をやめた。やめたかった。電車運行が不安定という要素も大きい。楽しみで出かけて帰宅できなくなるというやっかい者になることを恐れる気持ちも大きい。 なによりも、家にいたいと思った。家族といたい。 楽しむことに申し訳ない気持ちもあった。
あの惨状に驚き、TVの前で見続けた。画像を見続けることしかできない人の心も、くたびれさせてしまっていたのだと気づく。
明日から4月が始まる。
ちゃんと自分で決めて、どんどん行動しはじめてみよう。今までのように楽しいことに浮かれてみよう。 どこかでがんばっている人のことをちゃんとわかった上、私の毎日をちゃんと過ごそう。働いたり、楽しんだり、のんびりしたりして、ちゃんと暮らす。無駄に生きない。 沢山考えたこと大切なことを忘れない。
いろいろな機関が、それぞれいろいろな結論を出す。どういう結論がでても、それに対して文句ばかり言う人には、絶対にならない。 このことも忘れないでいよう。

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