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2011年4月25日 (月)

英国王のスピーチ

予告篇をみて、これ行こう!っと思った映画。現エリザベス女王の父、ジョージ6世のものがたり。吃音に悩んでいたという。そんな立場の人の悩みを、みんなに発表していいのかしらと驚いた。先週、みてきました。
冒頭、英国王ジョージ5世の次男 ヨーク公が博覧会という大きな舞台で、ラジオ放送される中、スピーチをしなくてはならないという場面から始まる。吃音という苦難は知らされていないが、無条件に尊敬される格違いの高い立場あること、おしつぶされそうなほど重苦しい何かに襲われていることを、一緒に体感する。
内気で癇癪持ちの彼には、つらい責務ばかりがある。王としてふさわしいものを学んできている。素質もある。だが、スピーチができない。王室にとって、「スピーチ」というものの重要度がひしひしと伝わる。
けれど、彼には暖かい家庭がある。心から寄り添って生きていける妻と愛くるしい2人の娘がいる。これは、今のイギリス王室にはない。あの愛くるしいエリザベスには、こんな強力な愛情にあふれた家族はいないのだなと(勝手に)思い、切なくもなった。
吃音の王族には、もちろん最高の専門家が何人もつく。彼らにはどうにもできない。何度も絶望した時に現れる言語矯正家のローグが現れる。彼が非常に魅力的なおじさまであった。アーストラリア人の彼は、「平民」である。平民の彼にも、強大な愛で繋がっている家族がいる。オーストラリア人で、夢があり、平民としてしっかり生きている。突拍子もないローグの生きるためのやり方に惹かれた。冗談じゃない!と気になるの見事なバランス。策を練って、のしあがろうとしたのではないところがいい。直球勝負の対決が面白かった。王室と平民、先生と生徒、いろいろな立場が交錯する。自分の方法に絶対の自信のあるローグが、真剣に克服させようとする。ヨーク公(ジョージ6世)が、腹を立てても冷静に自分のすべきことを考え真剣に努力する。いいわけしない2人が、いろんな立場に立ち奮闘する。
英国王室の普段のくらしをみて、あの大袈裟な調度品は本当に日常の家具であったのだなとあらためて驚いた。美術館の中で住んでいるような世界の人が、平民ど真ん中のローグの教えを受ける。「対等」の面白さに魅せられた。
本来の後継であった長男のエドワード8世が、愛のためにと王位を捨てる様子も王室という重さを常に感じて生きていた人のうっぷんなのかなと思った。愛至上主義にはみえなかったが、王室の生み出すなんだか黒いものを感じた。
ナチスが台頭し、戦争を余技なくされる。国を動かすのは首相。王の権威の大きさとか無力感とか、いろんなものを一緒に体感できる映画だった。
どうしたらいいかわからないことに立ち向かわなくてはならないとき、何があればいいか。家族の愛だ。信じてくれる人と信じる人がいることだ。真剣に向き合う相手がいることだ。
すごく好きな映画でした。

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