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2011年6月28日 (火)

コクーン歌舞伎 盟三五大切

昨日、コクーン歌舞伎第十二弾  盟三五大切を観てきました。去年、衝撃を受けたコクーン歌舞伎。演出の力がやっとわかったと思った。今年もまた、驚かされた。参りました。平場だからお尻も痛い。心身共にぐったりする程、のめり込んでみてきました。
去年のコクーン歌舞伎で衝撃。それは、ラップという手法で語りかけること。主役以外の多くの人がとにかく動き、集団心理を表すこと。それでも歌舞伎の胆があること。であった。
今年は、手法としてはきっちり古典であった。そこに丁寧に丁寧の心情を追う目線が加わる。ここが新しかった。
歌舞伎の様式美を重んじるところは、時に現代人には説明が足りなく 不親切と思える程である。しかし、その為に特有の世界感ができる。そしてそれが歌舞伎の美しさを保っていると、私は思う。  今回はここを壊した。 斬新さという手法でなく、こんなにも丁寧に丁寧に心情を追う。 歌舞伎役者が演じるからこそ、これは演劇ではなく歌舞伎であった。この形式を保つことのできる役者の技量もすごいと思った。
物語の最後、全ての連鎖を背負って 三五が腹を切る。 通常の歌舞伎では、ここで幕となる。
コクーン歌舞伎では、盆が回る。 源五兵衛が、斬殺前の家の裏手に潜んでいる場面になる。 人はよく「あの時、ああしていれば」と後悔するものである。この場は、まさしく 源五兵衛が「あの時、辛抱していれば」という場面のようであった。 自分が手をかけることがなければ、あの者もあの者も みな それぞれのの日常を過ごすことができていたのに。 紗幕の向こうの平凡な世界がまぶしかった。 毎日の事で笑ったり泣いたり怒ったり。無くしてみると「普通」のなんとすばらしいことか。
この芝居では、皆が 源五兵衛のために 必死になっていた。 結果として、源五兵衛のために 源五兵衛をだまし、源五兵衛を絶望させ、源五兵衛から金を巻きあげ その人生をもズタズタに切り裂いた。 全ては、そこで得た金を源五兵衛に渡すために。 どんなひどい仕打ちも主 源五兵衛のためであった。
源五兵衛にとって その皆が都合してくれた金は、源五兵衛にとって仕える人である大石内蔵助に差し出すためであった。 必死になって得た金で 敵打ちに名を連ねたい一心であった。 そして大石内蔵助もまた、主のために 犠牲者を出してまで忠誠を尽くすのである。 物語の連鎖と共に、その先もまたその先も連鎖は続くのだ。
三五は親に勘当されている。父の主である源五兵衛の御役に立つことで、なんとか自分を認めてもらいたいと必死になる。顔も姿も知らぬ主のため、好きな女を苦界に沈めてでも金を工面しようとする。 顔も姿も知らぬ主のために、そんなにも忠誠を尽くせるものであろうか。
忠誠心が希薄になっている現代に住む私には、いつもこの一途な思いにまいってしまう。 この世界をみたくて歌舞伎をみるのかもしれない。
源五兵衛が、小万を手にかけ 三五との子供も嬲り殺す。静かな残虐さが恐しかった。 殺しの場の後、小万の首を懐に入れ 雨の中 歩く。怖いような途方にくれたような姿がが印象的であった。恨みだけで生きてきた男が、このことに関しては本懐をとげる。とげたあとの喪失感であろうか。説明のつかない姿であった。 その後 宅に戻る。生首を台に置き、差し向いになり、黙々とご飯を食べる。 そしてポツリと おまえとこういう暮らしがしたかったと言う。 運命を狂わされた男は 武士として最高の誉れである 討ち入りに加わることを望み、普通の暮らしを望む。 自分の気持ちが、もうよくわからない感じに胸がいっぱいになる。  盆が回った世界が表した 「あの時、刀に手をかけないでいれば」の世界をみて、源五兵衛の気持ちで後悔した。 また、三五になって悔みもした。 なんだかわからない涙がどんどん出てきて、自分でもめんくらった。 久しぶりの勘三郎の姿をみた 嬉しさなのか。 何がなんだかわからない。混沌とした世界が、しっかりできあがっていて、そこに溺れて涙が出た。  ぐったりしたが、いい気分であった。
勘三郎は、大石内蔵助の出で立ちで 立っていた。立っているだけで大石であった。 源五兵衛が 小万を残殺したあとに聞こえてきた大石の声に、真実を突きつけられたように感じた。そうか、これは忠臣蔵の一人の浪士なのかと思うと、この芝居のからくりが連鎖がすーっと理解できた。 こんなすごい芝居をみたら 勘三郎丈は、出たくてたまらなくなるだろうと思った。 おかえりなさい。待ってました。 元気になってよかった。
橋之助の源五兵衛は、翻弄されるも 芯はしっかりと不破数右衛門であった。 この人の存在は大きかった。狂気の沙汰は怖いだけでなく不気味であった。強烈な人間であった。 存在感というのはうまくてもあるものではない。これがなくっちゃ主役ははれない。  国生くん がんばれ。
三五の勘太郎は、驚くほど見事な三五であった。彼は芝居をしているのでなく三五そのものであった。気迫は怖いほどだった。 源五兵衛があと少しで落ちるときの息の詰め方とか、源五兵衛から小万を守ろうとぐっと抱き寄せる男気などに魅せられた。 小万には亭主がいるんだ、それは俺だと 言い放った時の気迫には 驚かされた。 うまい。
今回、菊之助の小万の力は 大きい。 コクーン歌舞伎という実験的な歌舞伎公演の中、毅然として彼は 歌舞伎役者であった。色気とか見つめ方とか、声を発すること以外で その場を作ることのうまいこと。 自分も、我が子も 殺されるという場で、源五兵衛に 女童を斬る気はないと言われたとき かすかにみせる女の顔にも、はっとさせられた。 一環して色気があり、源五兵衛が狂うことに納得がいったのは菊之助の小万であったからだ。 一番の効力は、物語の中で男達が常に主のためと 誤った一途さで進むなか、小万は大事な三五郎のためだけに生きているように感じさせたところだと思う。
歌舞伎には、滅びの美学がある。こういう表しかたもあるのかと思った。
ビバ・コクーン歌舞伎 。 初めて平場の一番前に座った。物語の中に入りこんだようであった。 濃厚な物語にどっぷり浸った。

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2011年6月23日 (木)

『レインツリーの国』

『図書館内乱』の中に出てきたので読みたくなった。有川浩の『レインツリーの国』(新潮文庫)を再読。はじめてよんだ有川浩がこの作品でした。Yondaパンダキャンペーンに応募しようとパンダ帯のついた本の中から探した一冊。そんな出会いでした。思ったより面白い(えらそう)と思った記憶があります。
聴力に障害のある女の子と恋する男のお話。イヤなこと、知ってほしいこと、エゴ。「可哀相」という言葉のエゴ。大変だからって拠らず触らずにいる残酷さ。誰にとっても不快でない本などない。読んだ人に何かが残る一冊だと思う。 大切なら言い難い事でも言うという勇気をなくしているかもと思った。『図書館内乱』とのコラボも楽しみました。

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2011年6月22日 (水)

『図書館内乱』

続いて、有川浩の『図書館内乱』(角川文庫)を読む。2冊いっぺんに文庫化とはうれしい限りである。
職場で、手順が代わり面倒だなぁと思っているところに 変更した側が「こっちも大変なんですよ」とぬけぬけという。それを言ってはダメでしょうと思う。 自分もしているかも。自分に甘いから。気をつけよう 。そんな身近なこととかも考えつつ、ぐんぐんひきこまれながら読みました。
仕方ないという言葉で片づけられるようになるのは、大人になった寂しい部分である。 折り合いをつけるという言葉で納得できるようになったのかもしれない。違うとわかっていながらも、すしなくてはならない。そういうことは、いくらでもころがっている。
それでもがんばる。しなくてはならない自分達というのを黙って背負ってしている。 言い訳されるのが一番ゲンナリする。こっちも大変なんだ、辛いんだと。 わかって欲しいと思う気持ちは口にすべきでない。  なので、この一冊では、ここに鋭くうなづきながら読んだ。
 ” 「わたしたちも辛いんです」などとは利用者にはいえない。傷つける側が言う権利はない。利用者にとって図書館は図書館として一絡げで、図書館員だけど私は違うんですなどという理屈は通用しない。ただひたすら傷ついた人々に向けて、憤る人々に向けて謝るだけだ。  ”
戦っているのは防衛部だけではないということを実感して、またまたがんばるところが印象的だった。 この覚悟。ここまで愛するものがあり、本当に命がけで戦っている。 こうやって好きな本を読んで、好きな感想を書くことができるってなんて幸せなんだろう。大袈裟だけど、本当に感謝する。
恋愛模様も、どんどん発展。もっと照れさせて。

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2011年6月21日 (火)

『図書館戦争』

祝文庫化。有川浩の『図書館戦争』(角川文庫)を再読。
この本はちょっと照れるくらいの恋愛模様で、なかなかの台詞が飛び交う。悪くない。
再読してあらためて思ったのは「正論」とのつきあい方。この本の登場人物達は、とかく正論を振りかざす。だが、正しければいいのかという問題提起もきちんとしている。正しければ何を言ってもいいわけではない。正しくても聞く耳を持てぬときもある。権利を振りかざすとか、人の気持ちをわからずに 気がつかずに自分が言葉の暴力をふるっているかもしれないこととか、ものすごくまじめなことを ちゃんと考えてみたりできる本だ。何はともあれ、すごく面白い。
「ちゃんと自分の仕事をする」ということに気づいたところに、ドキっとした。
 ” この仕事よりあの仕事がよかったと駄々を捏ねるのはそれこそ子供のわがままだ。 自分の仕事をこなせない奴が自分を信用しろと主張する権利はない。 噛みつくのは自分の仕事をこなしてからだ。  ”
ここを読んでハっとした。これ、すごく大切なことだ。他人をみていて、こう思う時がある。自分は大丈夫か。人にいわれても聞く耳がもてなさそう。結局、自分で気づくしかないのだ。

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2011年6月20日 (月)

狂言ざゞん座 「浮かれます」

一回目「はじめまして」
二回目「水道橋にて」
三回目「平日ですが」
四回目「目黒で二時」
五回目「披キです」
六回目「浮かれます」

週末、喜多能楽堂にて「狂言ざゞん座」の第六回公演を観て参りました。恒例のひとこと、今回は「うかれます」。今回は、全ての演目にうかれる型があるところから来たそうです。いかしてます。喜多能楽堂で2時開演なので、「目黒で二時 再び」じゃん とちょっと思う。が、ひとことの贔屓なので言わない。
高野師の解説は、落ちがあるのかと思わせつつ 落ちがなく、それなのにおかしいという 高度なテクニックでした。
蝸牛の山伏を演じる予定だった破石晋照さんが、主に変わった訳の説明がありました。中尊寺で被災されたこと。ボランティアをされていたこと。休憩をはさみ、破石さんより震災の当日のお話をききました。まだまだ人手がいること。東北を怖がらないでほしい。忘れないでほしい。丁寧なお話に鼻の奥がツーンとしました。会には、東北から東京に非難されてきている方を招待されていたそうです。 
番組は、「蝸牛」「水汲」「悪太郎」。「蝸牛」は いかにも、山伏(月崎師)にだまされそうそうな太郎冠者(岡さん)でした。たっぷりした浮かれ具合でした。 「水汲」のいちや(竹山師)は、ツンケンタイプでした。新発意(深田師)はこういうタイプがお好きなのかしら。最後、茶のために汲んでもらった水をかけられてスゴスゴと帰る新発意ですが、懲りずにアタックしそうな熱烈な謡っぷりでした。お茶のための水を汲むという言葉から、私の職場「御茶ノ水」の駅前に殿が鷹狩の時に茶を飲んだという碑があったなぁと思い出しました。 最後に、「悪太郎」高野師の勝手な言い分の悪太郎ぶりを楽しみました。最後にでてきた僧の万作師が、飄々とからかっているのがすごかったです。動きはすごく少ないのに、はぁ?という感情がばっと出る。大きな動きをする相手に、動き全部が効いているすごさをみました。
とてもいい会でした。

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2011年6月19日 (日)

六月大歌舞伎 昼の部

先週末、観てまいりました。演舞場 六月大歌舞伎 おたのしみの昼の部。松嶋屋の「連獅子」。仁左衛門さんと、千之助くんの「連獅子」。劇場中から応援され、劇場中から愛されていました。もちろんアタクシもおおいに愛してきました。
獅子が仔獅子を千尋の谷に突き落とす様子を見せる場面では、そっと連れていくような振りでした。とても突き落とせまい。厳しい顔つきで連れて行ったあと、心配そうに しかし毅然として見守る。 ドラマティックでした。千之助くんの丁寧さがいい。ちゃんと振りの意味を理解してなぞっているのを感じました。
獅子になって戻ってくるところ、勇壮に舞うところは、新鮮な振付でした。獅子の出の前の演奏。鼓が鳴り。充分間をとり太鼓が応えるという、緊張感のただよう場面が好きなのですが、そこを使って獅子になって戻ってきたのには驚いた。最後に笛が入り締まるところで、親獅子が台に乗り決またところで、おおっと思う。
宗論は、愛にいにと、錦にい。キビキビと明るくてお祝いムード。緩急がついてよかったです。
客席全員が、孫をみにきたかのようなデレデレな応援ぶり。そして一生懸命だけではない踊りにほほうと思う。舞踏をみるというより芝居をみるようでした。
子供の時代のものって見ることができるのは縁だから、うれしかった。祖父と孫という風にいいたくない。親と子の『連獅子』でした。鴈治郎はんと壱太郎くんの『連獅子』もそうだったなと思い出しました。
昼の部は「頼朝の死」から。
つい最近、梅玉さんの頼家をみたような記憶が。よくかかりますね。染五郎さんの気性の激しい頼家もよかった。とにかく人の言うこと聞きたくない。真実を知るということの重みを全部背負えると思いこんでいる、若い武将っぷりが似合ってました。小周防は、孝太郎さん。翻弄される様がよく御似合いでした。侍女 音羽の梅枝くんはうまいなぁ。ベテランにみえる。愛之助さんの重保の暑っ苦しいっ程の悲観ぶりも似合ってました。
時蔵さんの尼御台所政子がすばらしかった。最後の「家は末代、人は一世」と言い放つ台詞が本当に効いていました。家を背負うってことの重さ。あーわたしは平民でよかったと、ちょっと見当違いなことを思ったほど、効いていた台詞でした。 すばらしかった。
真山青果モノは、引き込まれるぐらいうまくないと歌舞伎味が出にくいかもと密かに思う。ハードルが高い。
もうひとつの演目は、「梶原平三誉石切」。大名として種太郎くん、種之助くん、米吉くんと吉之助さんが並んでいて、そこばかりじっとみる。最近 活躍目覚ましい梅枝くんと種太郎くんは、 もう若手を一つリードしていますね。みんながんばってほしい。お行儀がよくていい。
芝雀さんの梢は、可愛らしくて大好き。今回の六郎太夫は、歌六さん。父娘っぷりがすばらしい。大庭景親は、段四郎さん。夜の部の夏祭りでは、あんなにみすぼらしい義平次でしたのに、堂々した武将。ちっちゃいのに大きなお方です。 景時は吉右衛門さん。
歌六さんの夢中になっているうちに、歌昇さんも夢中になってきました。うまい兄弟だなぁ。
最後に『連獅子』をみて、ニコニコ顔になり終了。入場時の大雨もあがっていました。来月は海老蔵さん復帰祭です。どさくさだろうと嬉しい。

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2011年6月17日 (金)

映画『プリンセス トヨトミ』

14日はTOHOシネマズデー。 ということで、みてきました。邦画『プリンセス トヨトミ』。
うむ。「これでいいのか万城目」と心の中で呼びかけた。 とてもびっくりした本であったし、キャストも豪華なのですが。うむむ。微妙にに変化させた部分が百発百中 空周りしてしまったところが惜しかった。
この話のとても大切なところ、父子の繋がり。 本では、男だけの社会であるようでいて 女には女の筋の通し方というか見守り方があるという最後の落ち着かせ部分もじんわり心に染みてきました。 自分のページで楽しむ本と同じように、展開の妙というのを映画に求めるのは難しいかもしれません。映画には映画の展開のよさがあるのはわかるけれど、トヨトミと豊臣を、最初から強く押し出したり、最後に無理やりのように父子の絆をこれでもかと畳かけたり。せっかくジワジワしみてくる主題が・・・ともったいないもったいないと思いつつみる。
大阪のガヤガヤ感とか、建物の迫力とか、茶子ちゃんの普通子のようでその中であきらかにキラリと光る眼の力とか、おいしそうなお好み焼きとか、映像ならでは世界は面白かった。綾瀬はるかのとぼけた感じはとびっきりかわいいし、岡田くんのツンとしたところもかわいいし、堤真一の動じない男っぷりもいい。なのになのに。みながらずっと、心のどこかで「もったいないなぁ」と思ってました。 ミラクル鳥居のミラクルぶりの表現が消化しきれないなら、ミラクル設定もカットしちゃえばどうだろう。 お好み焼き屋「太閤」主人真田 幸一さんは、弁が立ちすぎるなぁ。和久井映見のおかみさんは、肝があってよかったなぁ。 宇梶が大統領のスピーチ中ずっとうちわをパタパタしているのがうっとおしかった(そんな細かいコトを思う自分がイヤだった)。 玉木宏のタコ焼きやっぷりは、短くていかしてた。TV力もこういう風なら洒落てていい。
一応時代ものの場面もあるのだから、梨園枠 (←時代ものの映画には必ず一人梨園からキャスティングすべしという空想の枠) から一人出してほしかった。 大輔は、壱太郎くんでお願いしたい。ぴったりなのになぁ。
縁というと大袈裟だけど、国会議事堂見学してきたので「あそこね♪」と 楽しみ倍増したり、ちょど大河ドラマで大阪城の時代なのでわかりやすかったり、ああこのグリコの角の映らない側に松竹座があるのにと思ったり。自分と繋がりがあるみたいでちょっとワクワクした。先日奮発した小倉充子さんの染めの夏の着物の背中(肩)には大きな ひょうたん の柄があることも、「ご縁ね」と思う。
そうそう。ひょうたん・ひょうたん をサラウンド効果にしてたのには笑いました。そこですか。無駄に豪華。 全編、そこをそうしちゃうの?と思うとこばっかりですが、この映画を見たことをこの先楽しめそう。9月の松竹座遠征の折には、大阪城もここもあそこも行くわよと思いつつみてました。市中引き回しよ、おさる。大阪を満喫するぞぉ。おー。

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2011年6月11日 (土)

国立劇場 鑑賞教室「河連法眼館」 & 程ほどの大切さ

一昨日は、演舞場7月公演 ゴールド会員優先発売日。お休みして切符とっちゃった。歯医者に検診に行ったり、平日昼間にしかできない手続きをしたり。

夜のもうひとつのイベントまで時間ができたので、行ってきました。国立劇場 鑑賞教室。6月7月と義経千本桜を上演。6月は翫雀さん・壱太郎くん。河連法眼館の場。 歌舞伎も見方は壱太郎くんの担当。巳之助くん、隼人くんが鳥居前を演じてみせるなど、とても考えていることが伝わりました。とにかく、若者も出ているんだよと、観に来ている高校生と同世代の役者もいるのだよというところがアピールしたいようです。そして、隼人くんが17歳と言ったときの客席の高校生の反応がよくって驚きました。壱太郎くんのまじめさと、面倒見のよさを、お父さんに似ているのかなぁと思いつつ、微笑みつつみる。
翫雀さんの狐は、子狐度が高かったです。かわいらしかった。 壱太郎くんの静御前は少し現代っぽかったかも。動きが少し早い。丁寧に演じていてみていて気持ちがいい。
終演後や休憩のときに大騒ぎして話している学生諸君のおしゃべりが面白い。やっぱり、寝ている子も多いのだけどね。「で、狐はいったい誰だったの?」っているのがおかしかった。

国立から鼻歌うたいながら溜池山王 ANAインターコンチネンタル東京へ。国会議事堂とか首相官邸とかのあたりを通ったらあっという間に到着。 おさると待ち合わせして36階の小粋なバーでこの夏のお楽しみ予定の相談会合。ホテルの25周年記念のお得なプランを発見。そして酒に飲まれました。翌日の夕方まで最悪でした。夜にやっと治ってきました。程ほどとAnaいうことを学びたいです。
だってね、通していただいた窓側の席は正面に国会議事堂。権力のにおいがしますぅとデカワンコ的に喜ぶ。次第にキラキラしてくる夜景がきれい。飲み物は、香りがいいよう考えられたグラスでサーブされ、お料理もおいしい。フリードリンクなのがニクイ。すばらしいタイミングで、そっと次のドリンクを聞いてくれるというプロの接客。ついつい杯を重ねてしまいました。あぁ。

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2011年6月 8日 (水)

オグラカタビラ 「ハレ」

Dreams come true.
先週末 Gallery S.c.o.t.tというところに再びおじゃまして参りました。 竹ノ輪 × 小倉充子 「オグラカタビラ」展、こんどは「ハレ」。ここぞ!という時用。  「ハレ」と「ケ」に分けたところが面白い。 染色家 小倉充子さんの手染め絵羽模様の着物作品を見てきました。
とにかく、作品を見てみたい。機会があるたびうかがっておりました。といっても、まだ4回目。そして、密かに?!「死ぬまでに是非一着」という夢をいだいておりました。
ちょうど用事で都心にでてきていた両親と待ち合わせ、展示会をのぞいてきました。そして、あーコレ!という作品と出あってしまいました。これ、格好いい。と思いじっとみる。見れば見るほど格好いい。 実際に、はおらせていただきました。粋な柄と対照的に、地の色のやわらかいこと。さっぱりと無地のようで、よくみると実は優しい色みの縞。凝っているのは背中側。前からみると大人しそう。実は・・・というところが粋。 そして柄に粋な仕掛けが。惚れました。
秋にアッシジに行こうかなとちょっと貯めかけていた予算をこちらにつぎ込むことに致しました。 そう、夢をかなえてしまいました。注文しちゃった。 道を歩きながらも、ついつい「わたくしの素敵な着物」のことを考えてしまいます。ふふふ。

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2011年6月 7日 (火)

島鵆沖白浪 その弐

昨日にぎわい座へ行って参りました。柳家三三 六ヶ月連続公演 「嶋鵆沖白浪(しまちどりおきつしらなみ)」をききに行ってきました。二話目。
まずは、春風亭一之輔の粗忽の釘。最初に出てくる人は前座さん?妙に大人でした。そして普通に面白かった。うまいじゃんと思うが三三さんが出てくると、やっぱり違うと思う。
さて、三三さん。1回目のあらすじをごく簡単に。休憩をはさみ1時間30分かけて語ったものがあっという間に。すぐに済む話をたっぷりときかせるのが落語家の「ポン(腕をたたく音)」ここですよ。 こういうクール感がすてき。手首に近いところ叩くと粋だな。 その後10秒でかたる「まんじゅうこわい」を披露。笑った。
人の個性を活かした語り口がいい。 ゲラゲラ笑うような類の話でなく、じっくりきく。ときどきニヤリとしつつ。おじいさんとか、小僧さんとかをすると、本当にしっくりくる。低音で迫力のあるのもいいけど。
相手もやくざ稼業とはいえ、人を殺めたおたずね者となった喜三郎は、江戸の親分筋のところに身を寄せる。浅草三社祭の日、人出の多いことを幸いに見物に出かける。そこで10歳位の小僧に財布を摺られる。この三日月小僧っていう少年(実は15歳) 庄吉が、どうもこの後の話に重要らしい。なかなか、憎めない小僧さん。一生懸命仁義を貫こうとするのに、どうもうまく事がはこばない。どうも波乱万丈の人しか出てこない物語のようです。
しかも、この物語の発端となる 成田でお虎の紙入れを掏り盗ったスリがこの三日月小僧庄吉だっという因果物語というのも効いています。
仲入り後は、湯島のお寺の話。なまぐさ坊主を脅そうとした悪人を、言葉巧みに丸めこむ坊主の玄若が登場。もうきいているとポカンと口をあけてしまう程口が立つ。どうも奴もこの先の重要な登場人物らしい。
三日月小僧 庄吉、坊主の玄若 の2人が三宅島に島流しにあった。ここからはこの先のお話らしい。
登場人物が沢山出てくるが、目立つべき人の目立たせ方が際立っている。主人公(と思われる) 佐原の喜三郎は、相変わらず格好いい。男の美学。つまり高倉健のようでした。どうなるの、この先。絶対の大活劇になることは間違いない。筋を知らないこのワクワク感。物語の顛末が気になるけど、三三からきくわ。「あたい、絶対最後まできくわ。」と手ぬぐい握りしめたくなる。
つつがなく電話予約しておいた 翌月の3話目の公演の切符を受け取る。今回も次回も補助席。とれてよかった。次は七夕。楽しみでならない。


*
人を殺めたおたずね者となった喜三郎は、江戸に身を隠す。
三社祭の日、見物中の喜三郎の懐から財布を摺ったスリの小僧は、あっけなく喜三郎に捕まる。騒ぎになるところ、小僧からすっと財布を取り上げ 「ついてきな」と言い残し歩き去る。身の上話をする三日月小僧の庄吉は、すっかり喜三郎の男気に参る。子分にしてくれと頼む。
おとらから財布を摺ったということもわかり、しっかり任侠の道で生きていくよう算段してやる。自分の身辺をきれいにしてこいと30両という金を渡された三日月の庄吉は、言うとおりにする。明日は喜三郎の元に行こうというその日の晩、スリ一味は あっけなくお縄となり寄席場送りになる。
金を持ってにげたんじゃないと喜三郎に一言いうために、牢を脱獄する庄吉。 臭くひどい目に合いやっと脱獄し、いざ喜三郎のもとへ・・・という時にまた捕まる。 今度は、三宅島に島流となる。
続く・・・

湯島・麟祥院の住職は生臭坊主。生ものを食べ、酒を呑み、女に手を出す。孟宗竹生い茂る麟祥院へ入っていく、若い娘さんを見かけた悪人。そっと後を追い、現場を押さえ その生臭坊主(住職)を脅し金を取ろうとする。
百両出せとわめくところ、そこへすっとはいってくる納所坊主の玄若。額を床にこすりつけるよう住職の替わりに詫びる。玄若は、いつのまにか強請った男をうまく丸めこみ、住職からの金もいつのまにかほとんど自分の懐に入るという ツワモノであった。
結局 強請った男を殺め、住職もろとも捕えられる。住職は牢死。玄若は三島に流される。
続く・・・

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2011年6月 6日 (月)

六月大歌舞伎 夜の部

先週観てまいりました。演舞場 六月大歌舞伎。まずは夜の部から。
最初に「吹雪峠」から。
外は猛吹雪なのに、高笑いし外に出ようとする直吉のあたりから、染五郎さんの声も姿も幸四郎さんそっくりにみえて驚きました。普段はあまり似ていると感じないので。愛之助さんは病弱で、おびえたり甘えたりする様がいい感じでした。いい陽気のときにどうして「吹雪峠」なのでしょう。その上、休憩をはさみ「夏祭浪花鑑」とは。季節感は?理屈を越えたところが好きなので、いいのですがね。
夏祭。義平次は段四郎さん。笠を深くかぶり、ボロボロの着物。背の丸め具合。バタバタとせわしく古い扇子があおぐ様子。こんなに、いじましさが出るとは。うまいなぁ。何も言わず、顔もみせなくても、その役どころが全身からあふれていました。むしろ笠を取る前の方がインパクトがあったくらい。 芝雀さんのお梶は、かわいらしい。錦之助さんは。いいところ人の優雅さがあって、磯之丞がよく似合う。孝太郎さんの琴浦の勝手なやきもちぶりもいい。周りは大変だという感じがよく出た。一寸徳兵衛の仁左衛門さん。もっとみたいと思わせる格好よさ。 三婦の歌六さんの、渋さがいい。どうどうしていました。たのもしい。芝喜松さんの三婦のお内儀のやきもちもかわいい。会話のテンポもいい。特に、住吉鳥居前は、大歌舞伎だなと気分よく観る。
長町裏はくたびれてしまった2人がただ手順を追って動いているだけに感じた。その前で「今日はこれぎり」と終わる案が頭に浮かんだ。
夜の部、しめは「かさね」
時蔵さんは、容貌が変わるところの醜くさがやや押さえぎみのところに乙女心を感じました。 比べて脚をひきずる様が迫力。ここで怖さを出すバランスがいい。むしろを持って伸びあがるところの計算力もみごと。
染五郎さんの与右衛門は、心ない男でした。非道さもカラっとしていてこの表現方法もいいなと思った。哀れと思う情を出す型もいいけれど、このばっさりと女を捨てる。鏡を魅せるところも必要以上に残酷というのも、よく消化されていて似合っていました。 怨念で堤から出られなくなるところも すっきり。形よく決まっていました。
時蔵さんと染五郎さんの組み合わせもいいなぁ。
取り手に新十郎さん。ひさしぶり。こちらも、きっちり決まっていました。

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2011年6月 5日 (日)

手塚治虫のブッダ展

覚書
写楽の時にブッダ展もみていたことを思い出しました。東京国立博物館でも、写楽は平成館。ブッダ展は本館 特別5室にて。
手塚治虫さんの『ブッダ』のオリジナル原画の横にその場面を表す東博所蔵の仏像や石像を並べ、ブッダの生涯を順を追って展示。「文化遺産と現代文化を融合しながら、手塚が追及したブッダの世界を間近に鑑賞していただく展覧会」とのこと。そんなに大袈裟なものではない。
博物館は、おカタイ訳でなく面白いものがありますよという、とっかかりとしては面白いと思う。 ブッダは、母・摩耶夫人(マーヤ)の右脇下から生まれたと伝えられている話。手塚治虫さんの原画で読み、その後 仏像でみる。重要文化財の摩耶夫人像(飛鳥時代 7世紀)。あれ?仏像って面白いかもと思うではなかろうか。 パキスタン・ガンダーラ(クシャーン朝2~3世紀)の仏伝図「摩耶夫人の里帰り」という石像も、面白かった。
ただ、これで800円の特別展扱いにするのはどうであろう。常設展示の扱いで、太っ腹にみせて欲しかった。 確かに、手塚治虫さんの直筆の原稿というのはありがたかったけれどもね。 写楽で稼ぎここはバーンとふとっぱらに東博入場者みんなに見せて欲しい。もしくは、もっと出展数を増やし一大生涯絵巻のような展示にしてほしい。 
この展示を見た親子連れが、映画「手塚治虫のブッダ-赤い砂漠よ!美しく-」を見に行くかもしれないではありませんか。映画配給会社がもうちょっとがんばるとかして欲しい。
最初は、ついつい漫画「ブッダとイエス」の登場人物!という不謹慎な見方で見進めてしまいましたが、誕生 苦悩 成道 涅槃 という区分で仏陀の生涯をみて、すごく興味がわきました。ちょっと仏陀について読んでみたくなった。 手塚治虫さんの解釈が入っていて、そこも興味深かった。
以前、常設の展示で、たしか仏像の道と銘打ち、仏像がインドからアジアをとおり日本へ入ってきた変遷をたどる展示を行っていました。 結構長いこと続いていました。あれはすばらしかった。スペースも品数も多く面白かった。毎回、楽しかった。 そういうものと比べると、有料でこれ?と思ってしまうところがもったいない。やや過剰な照明が、余計そんな気分にさせる。 原画を読むという人が集中する展示の割にはスペースの配分が悪く、混雑していました。まず字を読む人ばかりなのだから、少々離れても読むことのできる大きさの原画のコヒ゜ーを展示し、読むスペースを作り、その後 原画を展示したらどうであろうか。そんな展示案まで考えてみました。大好きな東京国立博物館なのでね。常にパーフェクトを求めてしまいます。
辛口ついでに。「かまわぬ」と「手塚治虫のブッダ展」のコラボレーション限定手ぬぐいが会期半ばを待たずに完売したのは仕方ないかもしれませんが、Tシャツも一部欠品(完売)していました。確かに、色みもよく 柄も確かによくみると仏陀というぐらいの なかなかのデザイン。 わたくしが特設売店を物色している間中、しばしば いろんな人がレジの女子に質問し 売切ですと謝られていました。売り子ちゃん同志 小声で「こんなによく売れるTシャツはめったにないのになぜ再販しないのか」と言いあっていたのが面白かった。
愛あるとはいえ文句を言ってしまいました。パスポート鑑賞者の私は 余分な出費もなく、スタンプを押印で入場できましたし、中身も結構楽しんできました。
がんばれ東博。

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2011年6月 3日 (金)

池田進吾(67)

先日、誉田哲也の『武士道シックスティーン』『武士道セブンティーン』(文春文庫)を読んでいて またこの名前にあたった 「池田進吾(67)」。
以前、三羽省吾の『太陽がいっぱいイッパイ』(文春文庫)を読んだ時から気になっていた 「池田進吾(67)」。この丁寧ないかした手書き。67歳のおじいさんでは?そんな訳はない。
調べてみたら、デザイン・装丁の有名な方でした。あわわわ。 この本もこの本もこの本もそうでしたのね。 本棚収納スペース問題(もしくはケチンボ)のため、文庫待ちをして本を買っているのですが、単行本のすばらしさを実感。(文庫もあるけどね。) 池田進吾さんが手がけた本を私も持っておりました。
奇抜とか人を驚かすという方法でなく、人を惹きつけるセンス。できそうで凝っている。 いいバランス。
1967年北海道生まれ。デザイン会社K2を経て1997年「67(ロクナナ)」を設立。それで、「池田進吾(67)」なのですね。ふうーん。
世の中には、私の知らないステキな方がまだまだいらっしゃるのね。

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2011年6月 2日 (木)

『武士道シックスティーン』『武士道セブンティーン』

万城目学の『鹿男あをによし』で堀田イトの剣道シーンを読んだら これが読みたくなった。誉田哲也の『武士道シックスティーン』(文春文庫)。
我関せず。ただ勝利のみ。こんなに周りを気にしない思春期の少女がいるであろうか。剣道だけでなく、気も強い。猛者、磯山香織。学校にいっても勉強せず、友達も作らず、稽古のみ。休み時間は五輪書を読む。 ポワンとしているけど、肝の座った西荻早苗ちゃんと2人の目線で順番に物語は展開する。両方に肩入れしつつ読む。 なんだか剣道をやりたくなってきちゃった。先輩・後輩とか、礼儀を重んじるとか、そういう筋を通す世界が魅力的にみえた。 読んでいるこちらも、すがすがしさがあふれてくる。
続いて、誉田哲也の『武士道セブンティーン』(文春文庫)。ええ。シックスティーンの翌年に2人の展開に驚いく。そして、心のたくましさに何か教えられたような気がします。ずっと同じじゃいられない。最終的には、それを潔く受け入れる強さを得るところに驚いちゃった。 昔のやり方の方がよく思え、こんなんじゃなかったのにと文句ばっかり言っていてはいかんのだ。自分を含め 周りにはそういうのばかり。特に職場。 変わるのがあたりまえ。 今をなんとかして自分で納得できるようにしないと、未来になったとき 今を振り返り「昔はよかった」と思えなくなってしまう。 多かれ少なかれ困難は必ず降りかかる。上手くいかなくてもなんとかしようとさえしていればそれでいい。 今もいいものだと思う気持ちを、これからも どこかにやらないようしていきたい。なんて考えた。

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2011年6月 1日 (水)

『天使はモップを持って』『モップの精は深夜に現れる』

近藤史恵の『モップの精は深夜に現れる』(文春文庫)の文庫発売を発見。まずは『天使はモップを持って』(文春文庫)から読み直し。キリコちゃんのシリーズを続けて読む。
これって北川景子ちゃんドラマ化の、結構違う話になっちゃっているモップガールだったかなと思ったら、作者も作品も違っていました。
読んでいる時間があれば掃除をすればいいのにと言われたらそれまでだ。と思いつつも、掃除をしてキレイになったときの清々しい気持ちを実に上手に伝えている本だと思う。キレイになったときの気持ちよさがわかるのにどうもできない。そういうことは置いておいて読む。
あるオフィスのビル全部の掃除をまかされているキリコちゃんが、そのビルの会社に新人として入社した大介と謎をといていく。近藤史恵さんの本っていつも思うのだけれど、謎ときそのものより、その謎にかかわっている人達の、なぜそんな事件をおこしてしまったかという機微の描き方がすき。
自分の好きなことを仕事にすることができた人など、ほんのひとかけらほどしかいなのかもしれない。 毎日長い時間すごす職場での仕事が全部好きでなくても、全部イヤではない。今月も期限どおりに仕上げたら安心するし、できたらちょっと嬉しい。やるべきことがあることは自分の居場所があることでもある。それをちゃんとこなしていくことの小さな達成感を大切にしようかなと思ったりした。
次作の『モップの精は深夜に現れる』では、職場でなく家庭において よく耳にする課題も登場。 どれもイヤ・なにもかもイヤというのでなくどれもこれもがんばろうとする。 うまくいかなくても、イヤという気持ちでなく 考えてみるとこれもありだなという折り合い点がでてくる。正解なんかなくて、自分で納得するしかない。
女性特有の刺のようないやーな感じを描くのがうまい。
他は軽いタッチでかかれていて、そんなに問題提起されたつもりはなかったのですが、自分がどう思ったのか考えてみると 結構 道徳的な感想になってしまった。ふうーん。

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