『ジョセフ・クーデルカ プラハ1968 』
『ジョセフ・クーデルカ プラハ1968 -この写真を一度として見ることのなかった両親に捧げる-』
これは、今年の初夏に写真美術館で開催していたジョセフ・クーデルカの展覧会「プラハ1968 -この写真を一度として見ることのなかった両親に捧げる-」の図録です。 が、これは図録という枠でおさまりきれない一冊。
プラハの春という単語は知っていても、はずかしながらどういう事態になっているのかわかっていなかった。写真とそれに添えられた文章が教えてくれる事実は重たく、読んでいて押しつぶされそうになった。平和ボケしている私がいる。そして同じ時代に、突然 街を戦車に埋め尽くされたプラハに住む人がいる。「突然、街を戦車に埋め尽くされた」という状況は想像しようとしてもうまくできない。写真をみると本当に普通の街、それも素敵な石畳の街に 戦車が押し寄せている。そしてそれに人力で立ち向かうプラハ市民がいる。自分が住む街、プラハを侵攻される。その現実は何を言われるよりも写真に見せつけれるものが大きい。また一方で、言葉の大きさも感じた。
なぜ、理不尽なことに立ち向かわなくてはならないのだろう。
安全なところに住んでいて、危機に瀕してもいない。 政府が悪いと文句をいい、何もしてくれないという。なぜ待ってばかりいるのだろう。やってもらえるのを待っている人だけでは景気の回復なんてありえない。何もしてないのに、偉そうなことを思った。 文句は言わないようにする。
ジョセフ・クーデルカは、こんなに凄い写真を撮った。それらの写真はプラハの写真史家とスミソニアン博物館の学芸員等の手によって秘密裏にアメリカへ持ち出されたそうだ。ロバート・キャパ賞を受賞した。が、「プラハの写真家」という匿名者によるドキュメントとして発表されたものであった。ジョセフ・クーデルカがこの写真の作者であると名乗りを上げることができたのは1984年、彼の父親がチェコで亡くなった後のことだったそうです。それで、この副題 -この写真を一度として見ることのなかった両親に捧げる- がついたのか知る。事実は、なんて重いものだろう。 のんきな私が、しばしきちんと考えてみた。 この本は、人に自分で考えてみようと思わせる力を持っている。
東北におきた大震災のときにも思う。その地に住んでいた人だけが、どうしてこんな困難にあわなければならないのか。自分がそこに住んでいたからといってなかなか受け入れることができるものではない。前を向くしかないことはわかる。でも、自分だったら どうしても以前の自分と、そして周りの環境と比べることをやめることができないのではないかと
思う。 この本の中の市民が、隣の国の暮らしを知ってしまい その豊かさに愕然とする。そして知らなければよかったと言う一節があった。それが忘れられない。
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