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2011年10月30日 (日)

芝翫さんを偲んで

NHKの「中村芝翫さんをしのんで」という番組をみました。
美貌かと問われればそうではない。でも浮世絵に描かれていそうな役者でした。歌舞伎が面白くなり 毎月 歌舞伎座で昼・夜 とにかく観た。 最初は、どうして老いた人ばかりが姫なのかと思っていた。少しづつ、上手さってことがわかってきた。 ある日突然、芝翫さんのよさがわかった。「年増」をみたとき。駕籠の前で1人で踊る。うっとりするような姫とは違う ちゃきちゃきしてなんだかかわいい女子であった。
一世一代の道成寺をみたときに、これで 「一世一代」とは我が人生の演じ納めであるという宣言だと知った。満開の桜が似合う若さがあり なんでおしまいにするのかと思った。
一番に思い出すのは、野崎村。国宝だらけの野崎村。 なるほど 雀右衛門さんがお染で、芝翫さんがお光になるのだなと納得した。若い役者の演じる若い役よりも、作為的でなく感じる。若さ故の自意識をみせるのか。ちょこまかちょこまかと、横恋慕ぶりは必死でけなげでかわいかった。最後身を引くあわれさも可愛らしかった。
あの月は白井権八もあった。「お若けえの」ときくと、あの時の芝翫さんを思い出す。
「沓手鳥孤城落月」の淀君の狂いっぷりは気高かかった。「平家蟹」もすごかった。怨念のようなものもよかった。実に恐ろしかった。人の狂気に共感できた。
つい、芝翫ちゃんと言ってしまうのは 富十郎さんとの「お江戸みやげ」をみてから。あれでお2人にメロメロになった。普通にしゃべっているように感じるくらい全身が歌舞伎役者。 あの掛け合いは絶品。あの感じを出せる人はちょっといない。
さびしい。

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2011年10月28日 (金)

横浜トリエンナーレ・横浜美術館

先週末、訪れた横浜トリエンナーレ。4人で巡ってきました。
まずは、横浜美術館からスタート。ここの作品は、奇抜さがわかりやすく 言ったものがち感が強くて面白かった。 「インスタレーション」とつぶやきあいながら見学。
部屋の区切り事に、わかりやすく気が変わるのもいい。 普段の企画展では、横浜美術館は部屋の別れ目がはっきりしすぎていて 移動で気持ちが区切られるのが難点だと感じていましたが 今回には向いていると感じた。
お気にいりのメレット・オッペンハイムの『栗鼠』が真ん中に置いてある部屋。そのまわりには動物の作品を展示。特に池田学の細密画が面白く、4人で喰いついて鑑賞。実存の動物の見事な細密画の中に、どうしても本当にいるとは思えないものが混ざっている。これは本当にあるだのないだの言いつつじっくりみる。ヒョウザンクラゲは、横に描かれたプロペラ機が小さくみえるほどのおおきさ。いるわけないとおもいつつ、世界のどこかに実はいたりしてと思う。
湯本氏の妖怪コレクションも、細かく鑑賞。浮世絵だけでなく妖怪が出る邦画のポスター(美空ひばりや若山富三郎出演)まで展示。妙にポップな一反木綿や一つ目小僧のぬいぐるみもおいてある。あれは必要なのか。
部屋としての統一感は、ステンドグラスと巨大オルガンの展示がある部屋。いつもはダリのシュルレアリスムがある部屋。ステンドグラスはよくみると蝶の羽。色彩のバランスがすばらしい。デミアン・ハーストの作品。この部屋に弥勒菩薩の半跏思惟像がある。木製のその作品はなんと骸骨。きちんと半跏思惟の形状になっている。骨だけだと優雅さはない。仏像の骸骨という発想に驚く。
田中功起の作品は、何度もこれ作品よね?と確かめたくなる。展示室と展示室のスペースでつくる空間。ビルの冷暖房装置やくたびれた家具、床は養生。映像を数か所で上映。別の場面を映しあう。説明すればするほど?となるけど見ると面白い。
土俵くらいの大きさの場所に、ダイヤがぎっしり。この中に一つだけ本物がというコメントがいい。ウィルフレド・プリエトの作品。そうきくと、ワクワクしてみいってしまう。その横の壁一面にキラキラしているのは、冨井大裕『ゴールドフィンガー』近づくと画鋲をきちんと整列して留めているだけ。
行きつ戻りつ楽しんだのは岩崎貴宏の作品。望遠鏡を覘くと見える鉄塔や観覧車。それは遠くはなれた手すりや柱にちょこんとつくられたオブジェ。なんと髪の毛とほこりでできている。どこに設置してあるか探すのが楽しく、見知らぬ人と指差しあい 教えあったりするのも楽しかった。
会場をあとにするとき、燻製製造中のアートを発見。この環境で果たしてハムができるか だって。
横浜美術館は、なんだか派手で面白かった。

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2011年10月27日 (木)

トリエンナーレ・BankART

先週末、気になっていた横浜トリエンナーレに行ってきました。横浜に住んでいながら、どこにどういったらいいのやら。漠然としちゃいました。学友と4人で巡ってきました。
Bank ART STUDIO NYKでの展示、クリスチャン・マークレー 『The Clock』。 24時間の作品にしたヴィデオアート。これがすばらしく面白かった。ベネチア・ビエンナーレの最高賞である金獅子賞(個人部門)を獲った名作らしいです。納得。映画の中で時を表しているシーンをつなぎあわせた映像作品。 よくぞここまでみつけたという感心と、よくぞこうつなげたという感心。 何より、よくぞこれを思いついたと大いに感心する。 わけもわからずみていると、時計を大写しにしたり、腕時計が映ったりと どうも「時計」がキーワードだと気がつく。ん?これはカサブランカ?など有名なものや いろんな映像がでてくる。とりとめないようで、関連があって なんだかドキドキハラハラしたりする。 そして、あれ? これ今の時間と同じ?!と気がついたときの驚き! あー面白かった。 いつまでもいつまでも見続けていられる作品。日をあらためて、これだけ見に来ようかしらと思わせる作品。 24時間の作品とは、こういう意味か。 トリエンナーレ中、一日だけ24時間上演するという企画があるようです。確か昨晩から今晩まで。 これはすごい! Photo_3
日本郵船海岸通倉庫(BankART Studio NYK)の作品は、映像が中心。けっこうヘビイ。横浜美術館で散々楽しんだあと、夕方訪ずれたのでそう思ったのかも。くたびれてたし。シガリット・ランダウの死海に浮かぶスイカ ぐるぐるはおもしろかった。スイカのラインにまきこまれたヌードの女子の行方を見届ける。映像をみおわると、それで?というきらいもあるが引きつけ上手。 モダンアートに「それで?」っていう一言は 禁句な気がする。
1Fのカフェで横浜の地ビールをのみました。ハッチ。蜂蜜入り。おいしゅうございました。 船とみなとみらいがキラキラして、女子うっとりの眺めです。

メイン会場と思われる横浜美術館は、別枠で。

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2011年10月26日 (水)

芸術祭十月花形歌舞伎 夜の部

覚書
先日 演舞場で、猿之助四十八撰の内 通し狂言 當世流小栗判官をみてきました。 国立劇場では、菊五郎さん・菊之助さんの親子宙乗り。演舞場では亀治郎さんと笑也さんが天馬にて宙乗り相勤め申し候。今月は2人で飛ぶのが大流行りのようです。
猿之助さんがお客を喜ばせるためにどれだけ骨を折っていたかを感じました。俺をみにきているお客を楽しませることに命をかける。ある程度、年をかさねないとイヤラしくなるかもしれないな。今のおもだかやさんたちは、それをクリアしているなと思いつつみる。 歌舞伎だけど、新しい道を模索した歌舞伎でした。 俊寛とか逆櫓とか、名作歌舞伎のエッセンスのようなものを多く感じた。てんこもりにいい場面がはいっている。筋も丁寧につくられている。これを飽きずにみせるのは技術がいる。古典の復活の仕方でも こういう工夫がされているものが、猿之助四十八撰なのかな。
亀治郎さんが、小栗判官と浪七と娘お駒を。どうも、初挑戦らしい。そんな風にはひとつもみえず。 小栗判官とお駒を演じ分けるときに淡々としていて 逆にそこが似合っていた。女の美しさ・か弱さを出すというよりも お駒には似合っていた。 大袈裟に演じ分けていなのいので淡々としてみえる。 でもそれは、考え抜いた異なる動きになっている。早変わりの早さや不思議さを出すよりも人が違うという芯を変えてくる。 しっかり違う人になる。正統でかつ自分の味があったように思う。
右近さんの胴八と、猿弥さんの四郎蔵のコンビは手堅い。出てくると場面が安定する。やりとりのテンポもいい。先月の幸助餅以来、ものすごく愛情を持ってみるようになったようです。 夜の部の獅童さんはいいとこなし。 昼にあった華がなかった。せめてひっこみくらい腰を入れて去って欲しいよ。亀治郎さんの浪七のような完璧さは求めないにせよ。 照手姫は、笑也さん。初演の時には馬の脚をされていたそうです。馬、大活躍でした。楚々とした姫でした。亀治郎さんとバランスがいいかも。京人形の時には右近さんとよく似合うとも思った。
なんだが壮大な話でした。うっすら頭痛がしていたので冷静に鑑賞。なるほどなぁ。

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2011年10月25日 (火)

一命 3D

先週 3Dで、映画「一命」をみてきました。
ただ春を待っていただけだという一言が染みました。
一度みたものを見て その人の気持ちがわかってみてみると、その肝がわかり見応えがあった。 思えば、歌舞伎はいつもこういう状態でみているのだなと思う。物語は把握していて、その人物の心のひだを見る。
3Dは、立ち回りの迫力の効果を狙っていたのかなと思ったが、それよりも屋敷の奥行き感が面白かった。浪人の身で訪れる 伊井の屋敷の立派さが 物言わぬ迫力でのしかかるようでもあった。欄間は3D効果絶大。
役所広司の毅然とした態度が、この屋敷の厳かさを高めていた。 青木崇高の首の太い感じが、きちんと仕える家を持つ若い侍のプライドの高さをよく表していた。 中村梅雀の家老の大きさ。 一致団結し、殿を盛り立てお家を守る必要のある時代に生まれていればどうなったであろうと考える。 
海老蔵と満島ひかりが親子であることも、みてみると違和感がなかった。瑛太との関係も。 きちんとくらす。 ささやかなことに喜ぶ様子は、とても美しかった。 
守るべきものを大切にしているうちに、その守るべき 大切なものが思いとずれてくる。 一身に守っていたはずなのに、何のために守っていたかと再考させられる。
のっぴきならない状況に陥っても、それでも侍の道を生きる。 時代が悪いと受け入れる。権力を誇示するためだけでなく、天下太平の世のため統一したはずなのに、太平の世を引き継いだものは、侍として生きるために苦悩する。
現代も、どうにもならない状況になりつつあるが、こういう矜持を無くしてしまっている。仕方がないからといって諦めたり甘んじたりしない人間の世界は、とても厳しい。正解は一つじゃない。うなってしまう骨太映画。 貧しくとも、正しく生きようとする。 親へ敬意も持つ。 そういう生活は眩しくもある。大切なこととわかりながら、楽な方に流れてしまう。 便利さばかりが先行し、うまく立ち回ること=賢いことというような風潮の中、こういう骨太映画は、ぐっときた。

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2011年10月23日 (日)

『ジョセフ・クーデルカ プラハ1968 』

『ジョセフ・クーデルカ プラハ1968  -この写真を一度として見ることのなかった両親に捧げる-』
これは、今年の初夏に写真美術館で開催していたジョセフ・クーデルカの展覧会「プラハ1968 -この写真を一度として見ることのなかった両親に捧げる-」の図録です。 が、これは図録という枠でおさまりきれない一冊。
プラハの春という単語は知っていても、はずかしながらどういう事態になっているのかわかっていなかった。写真とそれに添えられた文章が教えてくれる事実は重たく、読んでいて押しつぶされそうになった。平和ボケしている私がいる。そして同じ時代に、突然 街を戦車に埋め尽くされたプラハに住む人がいる。「突然、街を戦車に埋め尽くされた」という状況は想像しようとしてもうまくできない。写真をみると本当に普通の街、それも素敵な石畳の街に 戦車が押し寄せている。そしてそれに人力で立ち向かうプラハ市民がいる。自分が住む街、プラハを侵攻される。その現実は何を言われるよりも写真に見せつけれるものが大きい。また一方で、言葉の大きさも感じた。
なぜ、理不尽なことに立ち向かわなくてはならないのだろう。
安全なところに住んでいて、危機に瀕してもいない。 政府が悪いと文句をいい、何もしてくれないという。なぜ待ってばかりいるのだろう。やってもらえるのを待っている人だけでは景気の回復なんてありえない。何もしてないのに、偉そうなことを思った。 文句は言わないようにする。
ジョセフ・クーデルカは、こんなに凄い写真を撮った。それらの写真はプラハの写真史家とスミソニアン博物館の学芸員等の手によって秘密裏にアメリカへ持ち出されたそうだ。ロバート・キャパ賞を受賞した。が、「プラハの写真家」という匿名者によるドキュメントとして発表されたものであった。ジョセフ・クーデルカがこの写真の作者であると名乗りを上げることができたのは1984年、彼の父親がチェコで亡くなった後のことだったそうです。それで、この副題 -この写真を一度として見ることのなかった両親に捧げる- がついたのか知る。事実は、なんて重いものだろう。 のんきな私が、しばしきちんと考えてみた。 この本は、人に自分で考えてみようと思わせる力を持っている。
東北におきた大震災のときにも思う。その地に住んでいた人だけが、どうしてこんな困難にあわなければならないのか。自分がそこに住んでいたからといってなかなか受け入れることができるものではない。前を向くしかないことはわかる。でも、自分だったら どうしても以前の自分と、そして周りの環境と比べることをやめることができないのではないかと
思う。 この本の中の市民が、隣の国の暮らしを知ってしまい その豊かさに愕然とする。そして知らなければよかったと言う一節があった。それが忘れられない。

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2011年10月20日 (木)

『逃亡くそたわけ』

絲山秋子の『逃亡くそたわけ』(講談社文庫)を読む。 初 絲山秋子。この本から読むのってどうなのであろうか。
いつか読もうと思い続けていました。このタイトルをみて手にとりました。
見ていないのにたとえるのは変だが、テルマ&ルイーズってこんな雰囲気があるのではと思った。
病気しかも精神病院から逃げ出す2人。そんなに思いつめたというところまでいっていないのに、何かはずみがついて どんどん抜け出せなくなっていく。こんなはずじゃないのにというのと、精神病の患者としてのアタシというのと、両方ある気持ちがうまい。
始終ぐだぐだな感じの中にいるのだけど、その中でブレない はっきりしたものがあったり、その人の本質をちゃんとみていたりするのがすごい。
健康と心が病んでいるのって、紙一重だ。
21歳の夏は一度しか来ないからと、逃げ出すことにしたあたし。さそったのは24歳のなごやん。世間から逃げている2人。他に頼るものがないからこそ、ケンカしたり 違う面をみようとしたりできすのかもしてれない。別の人がいない。この人とどうするかしかない。親子でも兄弟でも恋人でもない2人。その2人の濃厚さにちょっと酔う。

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2011年10月19日 (水)

『九つの、物語』

これも、夏に読んだ本。橋本紡の『九つの、物語』(集英社文庫)を読みました。
一つづつの物語が、九つ並ぶ。 最初の書き出しを読んで、兄の状況がスーっと心に浮かんだ。少しづつしのばせた言葉でつくるその空気がすごいなと思う。 思わせぶりでは興ざめになる。大学生の妹。その兄。注意深く普通の会話をするこの空気。 ありがたがらせようとせず、おしつけがましくなく、それでいて大事なことがみえるようになっている。
大学生の妹ゆきなが、兄の本棚から1冊抜いて読む間の物語。それが九つ並ぶ。 ゆきなが読む本を読んでみたくなった。この世は読みたい本だらけです。
兄の作る料理のおいしそうなこと。 おいしいものは家族をつなぐ。

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2011年10月18日 (火)

『別冊 図書館戦争I』『別冊 図書館戦争II』

夏に読んだ本。どちらも発売日に本屋さんに買いにいったなぁ。月日の経つのは早いね。 有川浩の『別冊 図書館戦争I』『別冊 図書館戦争II』(角川文庫)を読みました。完結した図書館戦争もの のスピンオフ小説。図書館戦争 ファースト、セカンドと読んで欲しいらしい。
図書館戦争シリーズの5冊目、6冊目でなくスピンオフ小説。本編とは別に「『別冊」とするくくりの色濃いところが面白い。
「恋愛度の高い一冊」と書かれていました。どれも高いじゃんと思って読んだら、本当に高かった。読んでいて持てあますほど。自分の中に若さが失われていることを、なんだか実感させられちゃった。
最後の一冊は、柴崎と手塚のおはなしに決まっているわと思って読みました。あとは玄田隊長のもね。 緒形の話もあるとは。緒方の男気とじわじわと染みました。その後の事情を踏まえた周りの男たちの男気がいい。引きずる想いのどうにもならなさがいい。なかなか。
柴崎と手塚の話はキツかった。困難をきっかけとしてくっつく2人というのは、定番の図式ですが その困難がキツかった。 やっかいな事態を引き起こす人の持つ心の闇。 深く辛い何かがあるのでなく、あまりにも浅く自分勝手な理由。全てが明るみに出た後、彼らに罪の意識すらない。「だってしょうがない。」「あの人のために自分はこんな目にあった。」  自分以外が悪いというその感覚に、ぞーっとした。 そして、この理解できない理屈をもつ人は、現代では 特別なことでなくざらにいる。そこが恐ろしかった。
これで、シリーズ幕引き。楽しかった。 終わりといわれるとなんだか寂しい。どの本もガラスの仮面みたいにいつまでも続いてしまうと、それはそれで困るのだけれどもね。

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2011年10月17日 (月)

嶋鵆沖白浪 その六

覚書

先週 三連休あけに、にぎわい座へ行ってきました。 島鵆沖白浪 その六 をきいてきました。柳家三三 六ヶ月連続公演 「嶋鵆沖白浪(しまちどりおきつしらなみ)」。毎月のにぎわい座詣でも10月で完結。 ああ。 おわってしまいました。楽しかったなぁ。 どんどん増えていく登場人物。 時節が味方をしてくれる人もいれば、ぱさっと斬られてしまう人も。卑劣な人や魅力的な人にワクワクした。 6回全部きいたら、もう文句なく楽しい。1回こっきりでも充分というしくみ。通して聞くことができました。
開口一番は柳亭市馬。りん気の独楽。あーこれ聞いたことがある。確か初めて三三さんをききにいったところで前座の人がかけてました。その時には、今ひとつオチが聞こえなかったことを思い出す。今度はわかった。 この日は、前座さんも三三さんもまくらなし。 真剣勝負って感じなのでしょうか。
島抜けした達成感の後にも、日々の暮らしはつづく。しかもお尋ねものの日陰の身。前回は、喜三郎と花鳥のその後。島抜けしてまで仕返ししたい相手を倒した。でも毎日おまんまを食べないと生きていかれない。あんなにピカピカかっこうよく見えた悪人たちも少々しょぼくれてみえた。 今回は、まず勝五郎と三日月小僧 庄吉の仇打ち。やっと憎い仇のすぐそばに行くことができた。戦いの前に、いとしい女房・倅の顔を見に行く勝五郎。せっかくの再開もつかの間のこととなるのがなんとも切ない。 憎き親の仇を見事討ちとる2人。島抜けをした上人を殺めたと 2人は自ら代官所に願い出る。
ええ。お縄になるのかと驚いた。続いて あんなに狡賢く世を渡っていた納所坊主 玄若が病に全身がただれて登場。人の隙をうまくついて、一生うまいこと生きていそうだったのに。キラキラしていた花鳥は、少しも躊躇せず残酷に人を殺める。玄若を手にかけたところお縄になる。佐原の喜三郎も、自ら代官所に願い出る。
あの島抜けをした伝説の5悪党。玄若は、花鳥に殺され 残りは全員お縄になる。 悪は滅びるのか。 正義の味方が格好よく倒すのではなく、悪の華の盛りには、終わりがあるという なんだかしんみるというか、しょんぼりする終焉を迎えた。 期待を裏切る終わり方。これにやられました。 あー そうなのかと。 最後の最後まで驚かされました。想像していない終わり方だけど、こういうのもいい。
幕が下がり始めたところで、三三さんが止めて少しお話されました。 6回もひっぱって、大団円を期待されたでしょうが・・・ニヤリというのにムフっと笑う。他の噺も沢山知っていますので、また足をお運びくださいというようなキュートなことをおっしゃっていました。 演じられる方も、聞きにきている方も、やりとげましたねというなんだか一体感のようなものがそこにありました。笑いたくてくるのじゃないというのが不思議。大満足。貴重な体験でした。

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2011年10月16日 (日)

一命 2D

一家総出で、映画「一命」をみてきました。まずは、2Dで鑑賞。
三池監督なので、スキヤキウエスタンジャンゴほどではなくても十三人の刺客のような味があるのかなと思っていましたら、とんでもない。骨太映画でした。
侍の矜持と、太平の世に生まれた侍について深く考えました。
キャストもよかった。華のある人でした、海老蔵さん。そしてアツかった。 うーむと 唸ってしまう映画でした。

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2011年10月15日 (土)

万作を観る会

国立能楽堂で「万作を観る会」を観てまいりました。傘寿のお祝いの会。 素晴らしかった。

『翁』 「火打袋風流」

翁は、金剛流家元 永謹さん。いいお声でした。面箱・千歳は、裕基くん。披キです。立派でした。 万作師は「火打袋風流」のシテを初演されるとか。初演のものがまだあるなんて。三番叟は、萬斎師。切れ味するどく迫力ありました。「火打袋風流」という特別な小書(演出)の翁。見ごたえのあるすばらしいものでした。集中しました。この段階で、結構クタクタです。

『高砂』

観世銕之丞さん。八段之舞という特別なものだそうです。まあるいお体とお顔(失礼)ながら、キリっと力強い。

『末廣かり』

万作師と三宅右近さん、野村又三郎さん。なんだか迫力あるやりとり。観ているだけなのですが、ここまでの疲れが出てちょっとぐったりしてしまいました。もったいない。太郎冠者の失敗を帳消しにしようとする謡に、徐々にのってくる万作師は愛くるしかったです。

『奈須与一語』

遼太くんの披キです。緊張感あふれてさわやかで若々しい。語り分けも鮮やかでした。奈須与一も遼太くんも二十歳だそうです。若さまぶしい。

『千切木』

連歌の会に呼ばれたがった招かざる客。いばったりいばられたり大騒ぎ。石田師の太郎はほがらかなので卑屈さを感じなくていいなぁ。

 

火打袋風流は、三番叟の「子宝」という演式だそうです。十人の子供が登場。翁なのですでに、多くの演者が舞台に上がっているところへ、また9人の子供たちが登場。豪華。遅れて末の子「火打袋」が登場。これは名前。万作師。火打袋になって登場。欽ちゃんの仮装大賞のような火打袋でした。中から万作師が登場。火打石で清められた気持ちになりました。大きな火花が出てきれいでした。子宝に満ち満ちていることを寿ぐ。この会は、万作師のご子息の萬斎師、お孫さんの裕基くん・遼太くん 多くの立派なお弟子集と師の築きあげてきたものを目の前にして改めて、素晴らしいなぁと感無量。万作師と萬斎師が、鈴を手に舞納める。あぁ、いいものをみました。観続けてきたので、この会の素晴らしさも、より感じることができたようにも思います。くたびれる程、観るものを集中させる舞台ってすごいことです。

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2011年10月14日 (金)

文楽 巡業 ・ 摂州合邦辻

覚書

三連休の三日目は、道楽に疲れた身体と心とおサイフを休める。
夕方、紅葉坂の県立青少年センターへ。お稽古の相方と、かながわ伝統芸能祭 文楽公演をみてきました。文楽の巡業公演。
裏の方から小山を登っていくと、外で熱心に携帯電話を操る 勘十郎さんのお姿が。浴衣姿も活かしていました。心の中でキャーといいつつ、顔はすまして通り過ぎる。
人形浄瑠璃。巡業の時には、家に近いホールまで大の贔屓の勘十郎さんが来て下さって1等席で3千円。ありがたい。一番前でみてきました。
私がみたのは、夜の部。団子売と摂州合邦辻。 団子売りは、こういう乗りなのかちょっと正解がわからなかった。お臼ちゃんは、足がありました。お臼ちゃんも杵ぞうさんも, 身体じゅうで踊っていました。
続いて、お楽しみの摂州合邦辻。合邦住家の段。  摂州合邦辻は、去年12月に日生劇場で菊之助さんの玉手でじっくりみました。すごく濃厚でよく覚えています。人と人形の記憶をかせねつつ観る。                       
合邦夫妻は抑えめでした。継子に不義をしたような娘は死んだ。幽霊なら家にいれてもかまうまいといって家に入れるところの細やかさがよかった。抑えているから、娘をしかりつけるところや抱きしめるところが効いていました。 娘は、かかさんかかさんと戸を叩いて帰ってくるのに、親子の会話は父とばかり。時代的に、そういうものなのであろうか。
勘十郎さんの玉手は、大層ドラマティックでした。浅香姫を押しのけ、俊徳丸にせまる。にじりよる迫力は人のそれよりすごかった。そのうち、浅香姫に狂ったように襲いかかる。平手打ちをし、髪をつかみ、頭突きするように叩きつけるところなんて、しえー。バイオレンス。
それは、おさえきれない衝動というのでなくある筋立てがあうからだという腹がきちんとあり、また次郎丸の陰謀から彼を守るためで 恋しい想いからではなかったということの中に潜む気持ちがもしかしたらあるのではと思わせるような ドラマティックな動きの中にある細やかな細やかな心に魅せられました。
後妻である自分。後継ぎである俊徳丸が大切なのと同時に、長男でありながら家督を譲らないことになった次郎丸も同様に大切なんだという述懐は、毎回驚き 毎回じーんとしまう。今回もまた涙ぐんだ。
相方が、義太夫と三味線と人形遣いはどれがシテでアドで小アドなのかという難題を聞いてきた。面白い奴だなぁ。
芸術の秋を堪能しました。

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2011年10月13日 (木)

開幕驚奇復讐譚

覚書

三連休の中日に、おさると国立劇場に行ってきました。国立劇場開場45周年記念 「開幕驚奇復讐譚」。通し狂言かいまくきょうきあだうちものがたり。仇打ちって切りがないって思いました。そういう趣旨ではなかったけれど。 善を扶(たす)けて悪を除く《義俠》の精神をテーマ久しぶりに、菊之助さんがきりっとした男子 小夜二郎に。清潔で固くまじめな若侍。お主の奥方を助け、諸国をさまよう。すぐに困ったことになるのがよく似合う。あまり華美でない若侍がすごく気に入りました。
筋は入り組んでいるのですが、敵味方というかチーム分けがわかりやすく面白い。かなり強引に場を勧める工夫も面白い。さっき死んだ松緑さん。次の場ではその忘れ形見 息子になっている。黒幕に顔だけ出していたり、スモークやら、いなづまやら、セリがあがったりさがったり。 ありとあらゆる手段を楽しく使いこなす工夫は、流石でした。 これで懇切丁寧に筋を追うのならばちょっと退屈しちゃうけれど、強引だったり、唐突だったりするので楽しかった。
ガガをイメージしたという菊五郎さんは、ものすごいお姿でせりあがってきました。わわわ。「森は生きている」っていうセリフがワタシの頭の中に浮かびました。一大ミュージカルがはじまるのかと思いました。休憩の度に、横のおさるが雅雅と書いてガガとか、妄想の知識をさずけてくれるので余計に面白かった。宙乗りでぐるんぐるん周る菊之助さんにコルテオ姫とか。染五郎さんも周っていました。ライバル心かしら。
尾上菊五郎・尾上菊之助 両宙乗りにて術譲り相勤め申し候も、別次元でした。筋に関係なんかしなくていいの(関係ありました)と思わせる迫力。 問答をしながら宙乗りは面白かった。我々は菊之助さんのそば。もののけ姫?!とコルテオ姫?! は楽しそうでした。思った以上に大袈裟で、そこが楽しかった。
しかし、話をさらったのは時蔵さん。 女子のみなさま必見です。藤白安同の妻として、家を夫を大切にする 長総(ながふさ)。 ところが状況が変わったときに身の処し方のすごいこと。 手の平を返すよりも早く みごとにスイッチ。 あんぐりと口をあけてしまいました。劇場中がえぇと言いました。(きっと)。もう仇打ちのことも物語のことも忘れちゃう程驚きました。
家来の菊ちゃん 小夜二郎も、 盗賊の菊五郎さん 荷二郎も翻弄されちゃいます。 最後に筋を通し 悪には捌きがあたえられるとチョット物足りなく感じました。それほど、時蔵さんの悪女っぷりに魅せられたのだと思います。
梅枝くんは、文句をつけるところがなく完璧すぎ(そこが文句?)。今回も、あつく若衆を演じていました。松緑さんが頼もしく、大きく、いい組み合わせ。 亀三郎さんはチンピラっぷりもうまい。汚い役の松也くんが大きくて別人かと思った。どうも、物語は田之助さん演じる三代将軍足利義満が、南北朝合体のため南朝方を滅亡に追い込んだのが原因。田之助さんのせいか・・・お元気そうでうれしかった。
大詰めまで出てこなかった、亀寿さん・萬太郎くん・天才右近ちゃんにもドキドキしました。もう3時過ぎてるのにと・・・ 。役者が揃いすぎているというのもやっかいです。
終演後は、権力ロードを通り権力バーへ。(国会議事堂や首相官邸の前を通り 、国会議事堂を見下ろすことのできる ANAインターコンチネンタルホテル東京のMixxバー&ラウンジへ。) 国会議事堂前は、銀杏が沢山落ちていました。問題発言をすると銀杏を踏んじゃう刑に処せられました。 おまわりさんが沢山立っている中、 「都知事の娘を誘拐して」 と怪しい会話をしてしまう(ジウの最終回)。 溜池山王あたりのお金持ちマンションもながめる。 森いづみちゃんのおもとめになったとかいうスワロフスキーのワンちゃんのベット(700万円)を買うような人たちがいそうな街であった。 観劇をし、散歩をし、バーへ。 Mixxバー&ラウンジの秋の飲み放題を楽しむ。もう最近では飲まれなくなりましたことよ。ホーホホホ。

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2011年10月12日 (水)

芸術祭十月花形歌舞伎 昼の部

覚書

三連休の初日に、演舞場に行ってきました。昼の部から鑑賞。今月の昼の部はバランスよく 楽しく鑑賞できるいい演目の並びでした。
昼の部の最後の、江戸ッ子繁昌記 御存知 一心太助。あまり期待していなかった。 みていて、なんだか明治座とかにかかりそうな芝居だなぁと思ったのだけど・・・・ これが、面白い。ドリフみたいなやりとりについつい笑っちゃう。やはり集客力のある人なのだと思う、獅童さんは。 亀治郎さんが手堅いのは当然。愛之助 の悪人ぶりも安心。 猿弥さん・右近さんが、からむとドリフっぽさがちゃんと歌舞伎になる。友右衛門さんや我當さんがばっちり締める。 獅童さんは、徳川の次期将軍 家光と 魚屋の太助との演じ分け方が まじめな人 愛すべきおバカさんみたいになっていて、シチュエーションコメディ風でした。むむと思いつつも、これが面白い。 歌舞伎味が増せばどんどん良くなりそう。こういう好かれる何かを持っているってすばらしい財産だと思う。
大久保彦左衛門の、猿弥さんが秀逸。用人喜内の右近さん、この間に立ち困ることになる具合がお上手。 御台所の高麗蔵さんが、人として格好よかった。凛としてました。高麗屋~。
特筆すべきは、門之助さんの柳生十兵衛。驚くほど決まっていました。舞台写真買っちゃおうかしらんと思いつつみる程。 似合うわぁ。あんまり強くなさそうに感じちゃったけど、これは斬ってはいけない人というパワーがありました。 今月一 カッコいい人です。おそらく。
一心太助の前は、京人形。京人形の精の笑也さん、おきれいでした。思っていたより、おキレイで驚く。右近さんの甚五郎と、笑也さんの京人形の踊りは、上手く 雰囲気もあって楽しかった。京人形は大工道具を持った、取り手の方々もかっこいいので好きです。
最初の演目は、源平布引滝。愛之助さんの義賢最期。重厚で、見応えがあり、立ち回りが派手。見応えのある一幕でした。
これをみておくと、よくかかる実盛物語がよーくわかる。小万がなぜ腕を斬られてもなお 白旗を守ろうとしたか。葵御前が、小万や九郎助一家のことをいかに慈しんでいたか。葵御前のお腹の木曽義賢の子が、葵御前自身にとって 家にとって どのような大切な子であるか。 いい芝居でした。
愛之助さんの義賢の、ゆるぎない強さ。凛として家のことを考える春猿さんの葵御前の気高さ。笑三郎さんの小万の献身的な強い愛情。すばらしかった。魅せられました。
愛之助さんの迫力の立廻りがみどころ。襖を使っての 戸板倒しや、階段を使っての仏倒しの緊迫感はものすごかった。舞台に、一人立つ。血まみれで左右から矢が飛び交う、ぐっとこらえて立つという そこにいるだけということでみせる壮絶さもすごかった。
「観た」という気持ちになりました。満腹。

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2011年10月11日 (火)

芸術の秋・三部作 おまけ付き

芸術の秋・三部作 (単に3連休 観劇三昧しただけです)

一日目は、演舞場に。昼の部鑑賞。鑑賞後プールへ。心も身体も元気に動かす。
芸術の秋&運動の秋。

二日目は、国立劇場に。国立劇場開場45周年記念。おめでとうございます。尾上菊五郎・尾上菊之助 両宙乗りにて術譲り相勤め申し候 を楽しみ、その後”権力バー”としておなじみ?!のANAインターコンチネンタルホテル東京のMixxバー&ラウンジへ。国会議事堂を見ながら杯を重ねる。シアワセ。
芸術の秋&食欲の秋。

三日目は、地元の紅葉坂の県立青少年センターへ。かながわ伝統芸能祭 文楽公演をみてきました。
夕方までおうちでのんびりして、夕方は人形浄瑠璃。大の贔屓の勘十郎さんを近くで拝見。終演後、家が近いのもうれしい。ああ、シアワセ。
芸術の秋 堪能しました。

おまけの今日は、にぎわい座へ。 島鵆沖白浪 その六 をきいてきました。今日で完結。おわってしまいました、柳家三三 六ヶ月連続公演 「嶋鵆沖白浪(しまちどりおきつしらなみ)」。毎月のにぎわい座詣で楽しかったなぁ。
今月は、まだ万作師の傘寿記念の公演もあるし、まだ演舞場の夜の部もみていない。 いい舞台ばかりなのだけれども、ちょっと多い。 一つ一つが漫然としてしまうのは、ちと惜しい。

11月は、少しシンプルにする。普通の生活を大事に暮らしてみようと心に誓う芸術の秋。 (今は・・・)

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2011年10月 7日 (金)

岡本太郎記念館

先月 都会に出たおり、岡本太郎記念館に行ってみました。 太陽の塔のすごさの余韻さめやらぬ中訪れたそこは、また特別な場所でした。 万博公園であまりにも巨大でパワーあふれるものをみた後、この記念館の生活の色の強さは新鮮でした。
岡本太郎記念館は、1996年に八十四歳で亡くなるまで、岡本太郎のアトリエ兼住居であった場所だそうです。五十年近くも彼が生活した空間。そして岡本一平・かの子・太郎の一家が永く暮らした地でもあるそうです。ドラマでみたあの場所。
一軒家としては広いが美術館としてはそう広くはない。濃厚だが奇抜ではない。あの突飛にも思える作品は、コツコツと地道に積み重ねたものの上にあるのかもしれない。そんな風に感じました。企画展として「もうひとりの太郎」展を開催していたから 余計に感じたのかもしてない。岡本太郎の自画像・岡本敏子の肖像画は、相手のことをどう思っているか伝わってきた。紙にペンで書いただけの敏子さんは素敵だった。彼には敏子さんが必要だったし、敏子さんは太郎を太郎らしくすることができた人だった。絶対に他の人では駄目な人になりたい。ぼーっとしているだけじゃダメだなぁ。エネルギーに満ち溢れ かつ落ち着いた場所で 圧倒されながらそんなことを考えた。
戦災で焼失した旧居の後に、ル・コルビュジェの愛弟子だった友人の坂倉準三の設計でたてられたアトリエだそうです。ジャングルのような力強い庭に、太郎の作品はよく似合っていました。

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2011年10月 6日 (木)

『アンコ椿は熱血ポンちゃん』

先日の台風で大変だったときに、本屋さんで本を2冊購入。とたんに安心しました。これで雨風をしのげるところさえあれば、なんとかなるわと。
品川で本を読んで待機しました。3時間ほど。 その時の1冊が山田詠美さんの『アンコ椿は熱血ポンちゃん』(新潮文庫) これなら間違いなく、明るくなるから。すこやかに猪突猛進!ってかかれた1冊。そんな感じでした。
人間にとって大切なことは、おいしいごはんと信じている仲間 家族団結、そして色恋沙汰 と言っているのだと思う。そうそう。つまんないことをゴチャゴチャ言う人は多いけど、どーんとかまえていればよいという気に またなれました。
ちょっといじわるなとことか(辻仁成のエッセイ紹介は強烈でした。おかしいけど もうみなくてもおなかいっぱいって思いました。)、ひややかにみているところとか、やりすぎちゃうところとか、ポンちゃん健在。 自分の意見はこう。 人からどう思われようとも それを受け取れる度胸のある人。本人はつらくてもね。 プロの物書きの根性を読み、ははーっとひれ伏す。
ポンちゃんを読むと 本当の仲間がいることを嬉しく思い 大切にしようと思う。

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2011年10月 4日 (火)

すてきな藤娘

先週末、日生劇場にて坂東玉三郎特別舞踊公演をみてきました。
別世界。

とにもかくにも「藤娘」。あんなにかわいい藤の精はみたことがありません。芝翫さんの時に 人間でなく妖精だなあと思いました。が、玉三郎さんは妖精の中でも 本当に花の精。儚げな花の精なのだけれど、気の強そうでもあり。照れたりはしゃいだり、寂しそうにしたり。うっとりしました。ほっそりとした身体つき。美しかった。 傾城や姫などを演じているときよりも、少し人間味(娘さん)があって すごくかわいらしかった。 六代目菊五郎考案の、藤の花を大きくすることにより 可愛らしさを出すというアイデアはすばらしい。通常の方が踊られるよりもほっそりと小ぶりの藤。 そこにすっと立つ藤の精。 心のきれいな人間でないとみることのできない特別な素敵なものを目にすることができたような気がしました。暗転からパッと灯りがつく。すっと別世界に入る。 うっとりしました。
日でしたのでお着物の方も多く、しかも何かちょっと違う粋な方が多かったです。華やかでした。転勤で台湾に行ってしまう従姉妹と舞台から一番離れた席でみてきました。熱気がすごく 一番上の席は暑かった。吉原絵巻で傾城が雪化粧の中舞う。でもここは暑いなぁと思う。最初は、ガウディのような印象の強い壁が 舞台と一緒に目に入ってくるとちょっと違和感があるなぁと思いました。 普段は人とか提灯とかというスタイルを見慣れているので。2演目目から気にならなくなりました。
最初は、「傾城 吉原絵巻」20分程の短い踊りの中に、季節がうつっていく様が美しかった。 動作の一つ一つが考えぬかれていて、裾捌きも指先も完璧に美しかった。
藤娘をはさみ、最後に「楊貴妃」。7月に演舞場で大佛次郎の楊貴妃をみていたので、これは玄宗皇帝が絶世の美女である のちの楊貴妃を妃として迎えによこす場面の踊りかなと想像する。使者として迎えに来るのは、方士の彌十郎さん。 昨年、玉三郎さんが京劇に挑戦されていてなかなか観る機会がなく 気になっていました。これが京劇なのかなと思いながらみる。なめらかさが日舞のそれとも歌舞伎舞踏とも違う。つま先に遣い方が印象的。不思議な世界でした。京劇、能、歌舞伎舞踊を融合したものだそうです。
『傾城 吉原絵巻』、『藤娘』、『楊貴妃』。豪華な踊りでした。歌舞伎公演と舞踏公演は違うものだなあと感じました。。

菊之助さんのチャリティ公演「祈り」での藤娘、日本橋 架橋100周年の記念碑セレモニーで踊られた藤十郎はんの藤娘に続き今年3度目の藤娘。 いろんな良さがあり、それぞれ 感心するポイントがありました。なので難度も観に行きたくなっちゃうのだなぁ。

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2011年10月 2日 (日)

45回 ござる乃座

先月末 国立能楽堂にて「ござる乃座」を観てきました。もともと3月末の公演でしたが、震災のため延期になっていました。3月のときの切符を持って国立能楽堂へ。今回は僧ものが並べてありました。聖職者でる僧侶の人間くささをご覧下さいというテーマが面白かった。
まずは、万作師の通円。お茶をたてにたてて 点(た)て死にした茶坊主 通円の様。 点てては差し出す。悲壮なのにおかしい。能「頼政」をきちんと理解していればもっと楽しめるのであろうが。300人の巡礼者が次々にやってくる様を思い浮かべてみる。乱暴そうに碗を突き出すのに一つもあわてたようにみえない。きれいな動きでした。小舞を観ることができてうれしかった。
薩摩守 謡入。無一文の僧に遼太くん。茶屋の石田師が 舟にタダで乗る知恵をさずける。「平家の公達」と言えという知恵。薩摩守(さつまのかみ)忠則(ただのり)。それで大丈夫なのか?!
先頭は萬斎師。船上の様子を語る 謡入という小書。棹一本で船上の様子を表す。こういうのをみると狂言って素晴らしいと思う。
裕基くんと石田師の魚説法。裕基くんの見事な新発意ぶり。どうどうとお布施は欲ししと立ち回っていました。魚の名を連ねたお経も堂にいっていました。プロだから当たり前ですが、施主の石田師の きちんとしたタイミングできちんとした場所で叱るものだなぁと改めて思う。
休憩をはさみ最後に、小傘(こがらがさ)。にわか坊主これに極まれり。賭場で覚えた小歌がなんでお経に聞こえるのか。昨日通る小傘が今日も通り候 あれ見さいたいよ 是見さいたいよ。 たったこれだけの小歌なのに。萬斎師の僧と石田師の新発意 お見事でした。
お供え物をまんまと盗みとられた尼は、孫にもやらぬ衣をとられたと悔しがる。でも集まった人(だまされた人)達もなんだか楽しそう。
徹底して僧が並ぶものをみるのも面白いものでした。

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2011年10月 1日 (土)

中村又五郎・歌昇襲名披露 秀山祭・夜の部

先日、秀山祭九月大歌舞伎 夜の部もみてきました。今月は、中村歌昇改め 三代目 中村又五郎襲名披露 そして 中村種太郎改め 四代目 中村歌昇襲名披露 です。染五郎さんが飛んでくるので、3階から観劇。
夜の部は、「沓手鳥孤城落月」から。芝翫さんの淀君が絶品なので、楽しみにしていました。体調がお悪いようです。心配。 淀君が芝翫さんだからこそ、秀頼の新 又五郎さん・氏家内膳の吉右衛門さんのバランスが取れるのですが。 福助さんは、狂乱で年老いてはみえましたが(いい意味です)、少々バランスが悪かったです。秀頼は、新 歌昇さんでもいいのではとちょっと思いましたが、新 又五郎さんをみていたら、若さがありました。 芝翫さんが心配。
舞台には、祝い幕が。つづいて、「襲名披露口上」。吉右衛門さんの傍らに、歌昇 改め 又五郎・種太郎 改め 歌昇。そして、幹部俳優お歴々。藤十郎はんが、わたくし2回襲名を行いました。(もう一回くらいできそうです。)襲名してからが大変ですのでお引き立てをとご挨拶。なるほど。種之助くんも列座し、挨拶をしていました。清々しかったです。
続いて「車引」。車引大好き。 新 歌昇さんは梅王の隈がよく似合う。 形もきれいにきまっていました。ドンと足を踏めないところだけ痛々しかったです。お元気になられたらまたみせて欲しい。歌六さんの松王との組み合わせもいいなぁ。藤十郎さんの桜丸。隈をひかない桜丸という方法。よくお似合いでした。梅・桜・松 それぞれうまいのですが 連携はそんなに感じなかったかな。新 種太郎くんの力いっぱいの杉王丸、若々しかった。 歌六さんの時平は、魔力がありそうでした。
最後に、増補双級巴。 石川五右衛門は楼門のところからかと思いました。石川五右衛門と此下久吉(後の秀吉)は奉公先の同朋だったというところが面白い。染五郎さんの五右衛門と、松緑さんの此下久吉は いいコンビでした。夜は重厚なメンバーが続いたので、キリっと若々しい並びでわくわくしました。中納言から勅旨を奪う強盗 五右衛門一味。中納言は、盗賊に盗賊のようだがそちは誰だと訪ねてました。中納言の大谷桂三さんは麿はまろはだかといって花道をしゃなりしゃなりと退場。このとんでもない感じ、これもいい。 葛籠(つづら)しょったがおかしいかー と言って、五右衛門が飛んできました。市川染五郎宙乗りにてつづら抜け相勤め申し候。ちょうど、五右衛門が飛んでくる席でしたで 楽しかった。 最後はいつもの楼門。  楼門の赤い柱に、石川や濱の真砂は尽きねども 世に盗人の種は尽きまじ って詩を書いておくのはなぜだろう。  締めの 松緑さんの「巡礼に ご ほー しゃー」の低音の声と言い方が妙に気に入り、一人で小声で「巡礼に ご ほー しゃー」と言いながら帰路につく。

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