« 『ジョセフ・クーデルカ プラハ1968 』 | トップページ | 芸術祭十月花形歌舞伎 夜の部 »

2011年10月25日 (火)

一命 3D

先週 3Dで、映画「一命」をみてきました。
ただ春を待っていただけだという一言が染みました。
一度みたものを見て その人の気持ちがわかってみてみると、その肝がわかり見応えがあった。 思えば、歌舞伎はいつもこういう状態でみているのだなと思う。物語は把握していて、その人物の心のひだを見る。
3Dは、立ち回りの迫力の効果を狙っていたのかなと思ったが、それよりも屋敷の奥行き感が面白かった。浪人の身で訪れる 伊井の屋敷の立派さが 物言わぬ迫力でのしかかるようでもあった。欄間は3D効果絶大。
役所広司の毅然とした態度が、この屋敷の厳かさを高めていた。 青木崇高の首の太い感じが、きちんと仕える家を持つ若い侍のプライドの高さをよく表していた。 中村梅雀の家老の大きさ。 一致団結し、殿を盛り立てお家を守る必要のある時代に生まれていればどうなったであろうと考える。 
海老蔵と満島ひかりが親子であることも、みてみると違和感がなかった。瑛太との関係も。 きちんとくらす。 ささやかなことに喜ぶ様子は、とても美しかった。 
守るべきものを大切にしているうちに、その守るべき 大切なものが思いとずれてくる。 一身に守っていたはずなのに、何のために守っていたかと再考させられる。
のっぴきならない状況に陥っても、それでも侍の道を生きる。 時代が悪いと受け入れる。権力を誇示するためだけでなく、天下太平の世のため統一したはずなのに、太平の世を引き継いだものは、侍として生きるために苦悩する。
現代も、どうにもならない状況になりつつあるが、こういう矜持を無くしてしまっている。仕方がないからといって諦めたり甘んじたりしない人間の世界は、とても厳しい。正解は一つじゃない。うなってしまう骨太映画。 貧しくとも、正しく生きようとする。 親へ敬意も持つ。 そういう生活は眩しくもある。大切なこととわかりながら、楽な方に流れてしまう。 便利さばかりが先行し、うまく立ち回ること=賢いことというような風潮の中、こういう骨太映画は、ぐっときた。

|

« 『ジョセフ・クーデルカ プラハ1968 』 | トップページ | 芸術祭十月花形歌舞伎 夜の部 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/81962/42681524

この記事へのトラックバック一覧です: 一命 3D:

« 『ジョセフ・クーデルカ プラハ1968 』 | トップページ | 芸術祭十月花形歌舞伎 夜の部 »