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2011年11月30日 (水)

年賀状書き

プリントゴッコが本体販売終了だけでなく、とうとうプリントゴッコ事業を終了するそうです。来年でもう消耗品も買えなくなるとは。 プリントゴッコは1977年に発売されたのだそうです。海老蔵さんや菊之助さんと同い年! 理想科学工業さん今まで長いことありがとうございました。
愛好家ならば、おなごりプリントゴッコせねば。 今回もプリントゴッコでがんばることにしました。 そして、うまれてはじめて11月に年賀状にとりかかってみました。とりかかっただけですが・・・  それでも、なんだか大きな一歩の気がします。ガガーリン気分。大袈裟。

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2011年11月29日 (火)

祝・新勘九郎丈

先週の日曜日、浅草へで新勘九郎さんの襲名披露のお練りに駆けつけてみました。勘三郎さんの襲名披露のお練りのときにも浅草にいったなぁ。今年は、又五郎さん・歌昇さんの襲名披露も浅草まで祝いに行きました。
今回は、096_crop_2お練り開始前に浅草に到着。歌舞伎ブームの友人とちょこちょこ移動しながらお練りを楽しむ。ものすごい人でびっくりです。TVのニュースでは2万5千人と。本当かしら。
太鼓の鳴りものをのせた車のあと、半被姿の粋でしぶい年配の男性衆の木やり。 その後ろを勘太郎改め勘九郎さん。勘三郎さん。七之助さん。御一門の方々が続く。その後にはあでやかな芸者衆。 雷門から浅草寺までのあの参道を1時間かけて練り歩く。 中村屋の3人は、緊張というより これからのこの期待にしっかりこたえますよと決意を新たに キリっとしてました。
雷門では勘太郎さんのおでこしかみえませんでした。横道をさささと移動し、右からお祝い。またさささと移動し、浅草寺前の門では 左からお祝い。「おめでとうございまーす」と声をかけちゃった。ニコニコと手を振りかえしてもらい、あたくし観にいきますことよ!と更に強く思う。 最後に、浅草寺の階段で御挨拶をきく。あーめでたい。おめでとうございます。中村屋~
終わったとたん猛烈に空腹になりました。池波正太郎さんの愛したおそばや尾張屋で天せいろを食す。三越前に移動し、千疋屋でフルーツソフトクリーム(この週はりんご)を食す。由緒正しきものはいいなぁ。

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2011年11月24日 (木)

『君を乗せる船 ~髪結い伊三次捕物余話~』

引き続き、髪結い伊三次もの6冊目 宇江佐真理の『君を乗せる船 ~髪結い伊三次捕物余話~』(文春文庫)を読む。
伊三次たちが親世代になり、子供達が大人になりかける。不破友之進の息子・龍之介が元服。龍之進となり見習いとして働きはじめる。武家に生まれても、出仕することができる長男達と次男とで雲泥の差がある。すすむべき道のある者とない者。次男や三男に生まれたから親の跡を継ぐ以外の道を探さねばならない。無頼派と名乗り市中で暴れる者の気持ちもわかるような気がした。長男連中は、自分の恵まれた環境に気がつかず正義を振りかざす。その青くささがいい。自分が通ってきた道と見守ったり諭したりする大人たちもいい。今の時代の我々は、年に応じた人との接し方ができているのであろうか。
「おんころころ」では、伊三次とお文の息子 伊与太が疱瘡にかかる。江戸のころは、子供が病で亡くなることが多かったのだとあらためておもう。どうぞ助けてくれて祈る以外何もできない。そんな時にも伊三次には裏の捕り物の仕事がある。仕事にだしてくれたお文。伊与太のことを祈り、夢みて殺されたあわれな娘たちの犯人をつきとめる。どんな状況dも一生懸命自分の仕事をする。亡くなった娘の霊が助けてくれたと思う。そういうこともあっていいと思った。 「自分のやるべきことを全うする。それしか娘に恩返しする術はなかった。」というところに、はっとした。仕方ないとか、だってという言い訳をしない。そこにドキっとした。
表題にもなった「君を乗せる舟」。正義をつらぬくことによって、生き方が変わってしまう人もいる。娘のために犯罪に手を染めた師匠をみてしまう。正直に申し出たため、娘の運命は変わる。それでも、罪はつぐなわなくてはならない。人殺しの父親をもつ娘 あぐりの人生は変わった。それを変えたのは龍之介。元服し龍之進となりあぐりの苦労を知る。どうにもならないけど、生きていかなくてはならない。なんとも切ないものがたりだった。そして、こういう切なさこそ、宇江佐真理の本骨頂だと思う。

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2011年11月22日 (火)

吉例顔見世大歌舞伎 昼の部

週末の暴風と大雨の中、演舞場の昼の部をみてきました。今月は夜の部だけにしてじっくりみようと思っていましたのに。三津五郎さんと時蔵さんの「傾城反魂香」が気になっていたところ3階最前列の席をみつけ つい購入。行ってみると、やっぱり面白い。最近、2階左袖の席でばかりみていたので、正面はみやすいなぁとも思う。
「傾城反魂香」土佐将監閑居の場。あーやっぱりみにきてよかった。ものすごくよかった。
彦三郎さん土佐将監の厳しさがとつもよかった。土佐を名乗ることというのは、どれだけ大切なことか諭すところ。武運で名をあげて名乗るよりも、筆を認められてとるべきであろうと教える。娘を傾城のつとめにださねばならぬほどの貧しさも、みな土佐を守るため。 こういう大切なことを教えていたのかと、はじめてきがついた。言葉がちゃんと伝わる土佐将監でした。 けれども又平らの耳には届かない。どもりだからとだめなのだと、師匠の本心が胸に響かない。 必死さと頑固さと根性を感じる三津五郎さんの又平がいい。 夫を思い、夫の分まで師匠に願い出る女房おとく。時蔵さんのおとくは、夫の気持ちが痛い程わかり、夫になったように辛さをともに感じていてとてもいい。この2人のつくりだす夫婦が、すばらしかった。 また、彦三郎さんの側にいるだけで、いることがちゃんと北の方になっている秀調さん。慈悲深くよかった。この夫婦もいい。 先に土佐の名前をもらうはつらつとした土佐修理之助の松也くんもよかった。このみなで作り出す、地道で堅実な感じがすばらしかった。
死を覚悟したときの又平の絶望、その覚悟に反対するでなく 生きた証を残そうとするおとくの必死さ。ひきこまれた。一念が奇跡をおこす。  「かか、抜けた」と喜ぶさまに、一緒になって喜んだ。 土佐の名字を許された時に、新しい衣服・大小に喜ぶさまはかわいらしかった。 着丈はどうかとニコニコ見守る秀調さんの北の方。あーそうか。何か筆で認められれば名をやりたいと、この夫婦はちゃんと用意をしていたのかと、この点にもはじめて気がついた。 いい傾城反魂香をみました。   
「吉野山」松緑さんの忠信実ハ源九郎狐に、菊之助さんの静御前。古風な雰囲気が出てよかった。松緑さんのおうちのやり方は、狐六法でひっこむのではないのですね。
海老蔵さんの感情たっぷりの狐ではなく、抑えた控え目さ 固いまじめさが 味でした。歌舞伎舞踊らしかった。
最後に、「魚屋宗五郎」 時蔵さんは、こんどは、菊五郎さんの女房。このくみあわせもいい。菊五郎さんは手堅い。いつみても安心。酒を飲む前の分別ある姿が印象的でした。動きが少ないのにピリっとしまる。花道をとおって家に帰るという出のところ。せっかくの祭も妹が死んだのでと語るところがよかった。おさえた声に感情がつまっていました。 丁稚与吉に藤間大河くん。堂々していてかわいい。
おなぎちゃんは、菊之助さん。宗五郎さんちの方々に 妹お蔦の最後を伝えるところの臨場感がすごい。ものすごくドラマチックに解説。殿が たぶさを掴んで~ のくだりなんて、あんなに 今 目の前でおこっているかのように伝えられたら、宗五郎さんちも、断っていたお酒ものんじゃうよ。殿のところに乗り込んじゃうよ。と思う。 このようなことならばお菓子かお油でも・・のタイミングも絶妙。おなぎちゃん、みなの心掴みすぎよと、ちょっとおかしかった。
吉例顔見世大歌舞伎、昼も夜も大層面白うございました。

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2011年11月21日 (月)

第56回野村狂言座

先週、宝生能楽堂へ行ってきました。第56回野村狂言座。
「井杭」から。名古屋の井上靖浩さん・蒼大くんと、佐藤融さん。マイペースないぐいクンでした。佐藤融さんは登場時から迫力。橋がかりで「しかも上手」というせりふがきいていました。
「酢薑」石田師がはじかみ売り、万作師がす売り。この演目は言葉がさらさらと耳を流れていてしまうなぁと思っていましたが、今回は違いました。なるほど。そういう面白さなのかとやっとわかりました。無駄に大袈裟でないのに、ちゃんと言葉のもつ意味が頭にはいってくる。呼応の意味があるのがよくわかる。いまさらながら うまいなぁと思いました。 顔をみあわせて笑いあうところが、じわじわとよかった。このくらいのおかしさがいい。爆笑でなく、人をバカにしたものでもなく、おかしさがわいてきて笑う。 なるほどと感心して観た。
素囃子「黄鐘早舞」に続き「瓢の神」。久しぶりに演じられる演目だそうです。鉢叩きという、空也上人の流れをくんだ宗派。鉢や瓢をたたきながら念仏をとなえ托鉢するのだそうです。そして茶せんも売る。
鉢叩きとは、空也上人
萬斎師の鉢叩きの太郎は、石田師の瓢の神から、立派な瓢と衣をいただく。 もう鉢叩きはやめようと決め、暇ごいにおとずれた大明神で夢にでてきた神より賜る。ありがたやと念仏鉢叩連中 深田師を筆頭に7人をひきつれ踊り念仏をする。最後にいた萬斎師 念仏を唱える一派からは妙な緊張感も感じ、独特な雰囲気がでて面白かった。 その時代に、空也上人の踊り念仏をみているような古風な感じがして いいなぁと思う。
来年の狂言座も楽しみです。

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2011年11月17日 (木)

ステキな金縛り

一昨晩、おさると自宅最寄の映画館にて、三谷幸喜監督の映画「ステキな金縛り」を観てきました。手堅く期待を裏切らない監督です。
少々長く、キャストが隅々まで豪華すぎるところが、ぜっかくの作品を薄めてしまっているところは、マジックアワーなどの作品と変わらない点。やっぱり主役を張るような人は、ちょっとだけでて目立つ。そんな人ばかりで構成すると、濃厚すぎてメリハリが欠けてしまうのがなんとも惜しい。そこでちょっとくたびれる。
でも、気になる点はそこだけ。 面白かった!こうなるだろうなぁと想像できることをしても、なおかつ面白い。つい笑っちゃう。もって行き方がうまい。 意外な展開も、笑いつつヒヤっとするもの、心がポッと暖かくなるのも、みんないい。 そして、うまい役者は、うまい。本当にうまいのだなぁとしみじみ感心さえるのも、監督の技だと思う。西田敏行の うっと黙る顔とか、コヒさんの 黙って見つめる顔とか。 深津っちゃんじゃなきゃ、必死さもうるさく感じるだけかもしれない。
深津っちゃんは、大層かわいらしかった。深キョンも。
 
面白かった。映画は、映画館で。

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2011年11月16日 (水)

『黒く塗れ ~髪結い伊三次捕物余話~』

引き続き、髪結い伊三次もの5冊目を読む。宇江佐真理の『黒く塗れ ~髪結い伊三次捕物余話~』(文春文庫)を読む。買って本棚にいれたまま読むのを忘れていました。得した気分。
伊三次の仕える同心は不破友之進。その朋友の同心の緑川平八郎がいる。それぞれ妻を持つ。何も問題なく暮らしているようでも、それぞれ胸に小さなひっかるものを抱える。今回は、緑川の妻の胸のしこりが描かれる。 幼いころからの友で、好意を持っていながら身分の差でいっしょになれなかった深川芸者 喜久壽がいる。一緒に三味線と尺八をあわせるというおだやかなような仲。それでも誰かの胸に、チクンと痛いものがある。みなを幸せにすることはできない。 所帯を持つ身の強さとかもろさとかに 一緒になって胸をいためる。 それでも生きていくっていう感じの描きかたがすばらしい。
「畏れ入谷の」を読んで、歌舞伎の上意討ちを思い出す。大切な女房をなぜ殿に献上しなければならないのか。主とは、神のように絶対なのか。完璧なのか。主従関係について考えさせられる。自分がお役目についたら、こういうことに立ち会うことになるのでしょうかと事実を前に 考え込む不破の子息の龍之介。ぼっちゃん、と丁寧に説明する伊三次。大切なことをちゃんとみて、きちんと答える。言葉に、人間があらわれる。 うまいこといいのがれたなんておもっても、人の品性は言葉にでちゃうのであろうと、我が事を反省した。
伊三次とお文は、どんどん家族らしくなっていく。伊与太の登場。 まっとうな心を持ち、まっとうに暮らしていても、お金がなくてはどうにもならない。 今と同じなのだけどけどね。ねたみも ひがみも、汚いものもあるのだけれどね。 現代と、なんだか違うのだなぁ。なくしちゃったものがここにあるような気がする。
最後の「慈雨」で、心がぽっとあたたかくなる。犯した罪は消えない。 けれども、罪をないことにしなければ(それを背負っていく覚悟があれば)いい。許されることもある。
また直次郎に出会えるとは。なんだかひっかかる男だったからね。
時が過ぎていく。人は成長し、傷がいえることも 深くなることもあるのだなぁ。

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2011年11月15日 (火)

モーリス・ドニ展

週末に、東郷青児美術館にいってきました。『モーリス・ドニ  -いのちの輝き、子どものいる風景-』をみてきました。
国立近代美術館にあるドニの『雌鶏と少女』という作品がとても好きです。縦長の作品。掛け軸のような細長い作品の真中に少女と雌鶏。足元のレンガ色の道と一番上に描かれた小さな家を分断するように少女が立つ。色あいと、迫力が妙に気にいっています。制作年1890年。
今回の展覧会で、彼の生涯を 子どもの絵画を中心にして紹介。 彼の初期のころの作品が、私の好きなものだとわかりました。初期の作品の色合いがすごく好きです。
妻を愛し、崇拝し、子供達を慈しむ。敬虔なカトリックであることがよくわかった。 神を描くときに、大切な家族の姿をそこに写すということが、気をなった。 カトリック信者として神を実在の人物 しかも自分の妻や子供達の顔に近づけて描くということは、神に対して恐れ多いことにはならないのであろうかと強く不思議に思った。絶対的な存在であることが揺らがないので、失礼になるという考えもないのであろうか。いろいろと考えながら鑑賞。
はじめてうまれた小さな家族。その子のようすを描く。写真では、とうてい写すこのできない愛情あふれた想いがいっぱいの、みているだけで幸せになる絵画。そしてその命が、まだわずかのうちに失われる。歩きだすよりも早くこの世を去った愛しい我が子の亡骸も、花いっぱいに愛らしく描かれる。哀しみと愛情と、いろんなものがつまった絵。絵の力を感じた。
あんなに愛した妻が亡くなったあと(ドニ40歳後半)、2~3年して(ドニ51歳)再婚。勝手ではあるが、えっと思う。もう 別の人生を歩むのかと思う。
ドニの家は、裕福である。裕福に生まれ、最後まで裕福な画家もいるのだなと改めて思った。

東郷青児美術館は、新宿損保ジャパンのビル42Fにありました。42Fから見下ろす新宿の街なみ。新宿はちんぷんかんぷん。案の定迷いました。魔都新宿。左端にスカイツリー、右端に東京タワーがみえました。
ツレがこれなくなったというおばさまが、招待券を下さいました。御親切、うれしゅうございました。

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2011年11月14日 (月)

『さんだらぼっち ~髪結い伊三次捕物余話~』

引き続き、髪結い伊三次もの4冊目を読む。宇江佐真理の『さんだらぼっち ~髪結い伊三次捕物余話~』(文春文庫)を再読。
ちょっとした不幸の影がありつつそれでも、生きていく市井の人々の魅力を読んでいると思っている。その中でもこの本は、やりきれない。それでも読みたい。
妹分のように本気で親身に思っていたおみつのひとこと。子を無くした人の気持ちは普通でなくなるとは思うが、お文の胸の痛みを一緒に感じた。
子供の巻き込まれる事件に、なんともいえないやりきれなさを感じる。仕方ないと言われると、わかっているけど なんだか腹が立つ。
粋な深川芸者のお文が長屋暮らしをするようになる。心配されて周りの手助けが多く、することがあまりなくなる。特別扱いを面白く思わない人もいる。いい人に囲まれつつも 人と沢山係わって生きる毎日に 少しづつづれが出てくる。  夜泣きする子を慰めたというまっとうな事から、つい長屋のおかみさんに手をだしてしまう。 きっぷのいい深川芸者はやることも豪快。とうとう長屋を出ることになる。人を憎んですることでないのに、どうしてこうなってしまうのか。 人の口から出た言葉が、どうしてこう心に刺さるのだろう。
引き続き、髪結い伊三次もの5冊目を読む。宇江佐真理の『黒く塗れ ~髪結い伊三次捕物余話~』(文春文庫)を再読。
巾着切りの直次郎。すれた人間の純なところにグッとくる。悪事はチャラにはならないっていうことを思い知る。悪党のすっとするかっこよさを描く人は多いけど、してしまったことは消せないことを真摯に書いているのは、そう多くない。
やりきれない。
不破友之進の息子 十二歳の龍之介の男気に救われる。やるせないけど救われた。
「時雨てよ 足元が歪むほどに」 海童
各章につけられているタイトルがとてもいい。「時雨てよ」は、俳句から。海童とは、故夏目雅子さんの俳号だそうです。

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2011年11月13日 (日)

『さらば深川 ~髪結い伊三次捕物余話~』

引き続き、髪結い伊三次もの3冊目を読む。宇江佐真理の『さらば深川 ~髪結い伊三次捕物余話~』(文春文庫)を再読。
巾着切りの直次郎も登場。おねえ言葉を使う人って 繊細で、ものすごく人を見てる。すれた人間の純なところにグッとくる。お文のところの女中さんがおみつからおこうへかわる。すれた感じのおこうの、案外と純なところにホロリとくる。
お文が摺りにあう。すっ転びお絹を調べると おかっぴきの増蔵につながる。何やら訳ありらしい。この事情の切ないこと。こういうのを「訳あり」というのか。どうにもならないことにぐっとくる。簡単なことで「訳あり」なんて言うまい。 全てが終わったときに、黙って 遠からぬ所にいてくれる仲間にもぐっときた。
仙台の伊勢屋さんに家をもたせてもらったお文。そこへ息子の伊勢屋忠兵衛がちょっかいをだしてくる。粋でない男のみっともなさが面白い。けれども事態は、みっともないですまなくなる。火事で焼け出されるお文。 伊三次とお文の仲も戻る。仕方のないことで まとまる2人。うっとりするような設定ではない。心の底にポッと暖かくなるものがある。しかたないというくっつきかたがすごく素敵にみえた。
伊三次も、不破友之進の小者に戻る。
解説は、山本一力。いいね。 宇江佐真理さんのエピソードを読み、惹かれました。嘘のないかっこいい方だなぁ。

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2011年11月12日 (土)

『紫紺のつばめ ~髪結い伊三次捕物余話~』

引き続き、髪結い伊三次もの2冊目を読む。宇江佐真理の『紫紺のつばめ ~髪結い伊三次捕物余話~』(文春文庫)を再読。久々に、1冊目を読み、1冊目からこんなに波乱万丈だったかしらと驚く。話は覚えている。この人が出てくると、あーこうなっちゃうのだなぁと思いつつも、行間に潜む 切ない想いにまた胸が締めつけられる。
伊三次とお文の2人に溝ができてしまう。 伊三次が、不破の旦那のところを飛び出すことになる。 わかっちゃいるけど、どうしても許せないことがある。 周りの人も どうにもならない そのいきどころのない気持ちをわかっている。お文への思いは変らずにも持ち続けている。不破友之進に対しても憎しみの感情はいつしかなくなっている。でも・・・  どうしてもこの「でも、」が心を占めてしまっている。みんな強情っぱりだ。
現代の大人の事情だから仕方がない というあきらめに似たものと違う。 意地を通すことで失うものもひっくるめて耐える。 言葉にすると、微妙な違いなのだけど、あきらめて、ねたんだりするのでなく、腹をくくって耐えるという感情は現代と随分違うと思った。いいものなくしちゃったのかもしれない。
「ひで」という幼馴染の余話に、一番胸が締めつけられた。やるせなくてたまらない。うまいこといかない。人生そんなことばっかり。そういうことがいとおしかった。 現代、実際に起こった事柄をきいた宇江佐さんが、絶対に書こうと思い 江戸の時代のこの話にしたというあとがきを読んで、ちょっと震えた。

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2011年11月11日 (金)

『幻の声 ~髪結い伊三次捕物余話~』

肌寒くなってまいりました。人恋しい季節。
髪結新三を観て、宇江佐真理さんの伊三次シリーズを読みなおしたくなった。 宇江佐真理の『幻の声 ~髪結い伊三次捕物余話~』(文春文庫)を再読。
すっかり忘れていた機微を、うっとりと読む。廻りの髪結い(かみいい)伊三次と、深川芸者のお文。若さで自棄になって飛だし、八丁堀の小物としても働くことになった伊三次。借金は終わり独り立ちしている芸者のお文。人生を追いつめられるような問題は起こらないのだけど、なかなかうまくいかない。そのじれったさや、すれ違い もう駄目かと思うけど、ちゃんと気持ちをくむことができスレスレのところでお互いのところに戻っていける様をうっとりと読む。いいなぁ。
この本を読んだきっかけは、確か 橋之助さんが伊三次を演じたドラマをみたから。 酒は飲めず、甘いものに目がない伊三次。お文は、注し向いでいっぱいやることができず不満だ。 そうよね。飲兵衛は、相方にも飲兵衛を求めるもの。伊三次は、飲めないのになぜか格好よくうつる。 冷たいところ、つれないところ。人情に厚いとこもいい。 お文の強がりや、弱いところにも惚れぼれする。 八丁堀の不破の旦那のぶっきらぼうさも、妻いなみの凛としたところも、隅々までいとおしい。 皆、胸にひっかかるものを抱えて生きている。
これは名作です。

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2011年11月10日 (木)

『見仏記:ゴールデンガイド篇』

先日、増上寺や五百羅漢寺に行った折 購入。いとうせいこう、みうらじゅん『見仏記:ゴールデンガイド篇』(角川文庫)を読む。やっと文庫の新刊が出たよと教えてもらっていたのについ買い忘れていました。お寺参りの後、すぐ読むことができ上々です。
今回もすばらしい仏、満載。 是非一度と思う。 今までの見仏記を読んで何度そう思ったことであろう。 拝観料をさだめていないお寺をみせていただいた折の「志納」というしくみも学びました。是非そっと差し出してみたい。みたい、したい ことだらけの本にうっとり。
今回はゴールデンガイドと銘を打ち、ゴールデン感をだそうとするのに、つい渋い方へ流れるというジレンマに悩むところがキュート。 メジャーでないことこそ、見仏記の王道。つまりゴールデンガイドなのにと読む人全員が思っているであろうところがいい。
ただ黙ってそこに居るという、あの空気にもしびれる。靴の側にいるカマキリの進行方向を変えて カマキリ苦手のいとうせいこうの手助けするとか 愛情の表し方に、しびれる。 
本文の下の言葉の解説も、的確。時々あるイラストに魅かれる。スティービーワンダーはいらないと思う。福助はいるけど。何故このチョイス?っていうこの感じがいい。結局、スティービーワンダーの絵の印象が一番残っているし。丈六像とか、ぱっと解説できるようになりたいわ。
仏像への深い理解と、愛情と、変でキュートなこだわりと その夢中になり方は何度読んでもためになる。仏像について学んだことを、おおかた忘れてしまっている自分にかつを入れる。仏像を研究する学者ではない。仏を見るプロ。知識は学者レベルというtころがさらっとでるのがかっこいい。いろんなものにとことんはまっているのに、すごいなぁ、みうらじゅん。そしてそんなみうらじゅんを素直に尊敬するいとうせいこうもいさぎよい。最高の組み合わせ。
あとがきもよかった。MJが絵を描かなかったのが原因とは。再開の仕方とかも心にくい。文庫版あとがきの、震災を期にどうしても前と同じように感じるない事はできないというようなくだりにべそっとする。仏にすがりたい状況を実感することにならなければよかったのに。仏をみるということにいろんな意味がある。
あぁ 道成寺にいってみたい。

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2011年11月 9日 (水)

『心星ひとつ―みをつくし料理帖』

夏に読んだ本。髙田郁の『心星ひとつ―みをつくし料理帖』(ハルキ文庫)を読みました。
みをつくし料理帖を愛読し、澪にも出てくるみんなにも、思い入れいっぱい。このシリーズを読んでいる人は誰しも、澪の包丁に惚れ、澪の恋を応援し、澪の苦渋の選択にとことん付き合おうと思っているに違いない。 しかし、今回の選択には ほおと参った。
人は、自分1人で生きている訳ではない。特に澪は、周りの人々に思いをかけ、思いをかけれれている結びつきが強い。 澪の恋焦がれる心も、目指す道もはっきりしているのに、それは何かを捨てなければならない。もうどうしたらいいのと 身もだえつつ読む。
これだけの覚悟をしているのだから、どの道を選んだとしても突き進んで欲しい。 でも薄情な自分を責め続けてもしまうのだろうな。真剣に生きている人にだけ、真剣に勝負してみる道が与えられるのだなとまぶしくもあった。
朋友のおちゃるが、自分の思う澪の進むべき道を私に熱く語ってくれた。新鮮ではっとした。

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2011年11月 8日 (火)

三解脱門と羅漢さん

演舞場にて 吉例顔見世大歌舞伎観劇の翌日。ホテルのお部屋で、隅田川を行きかう船を眺めつつ朝食。パンとコーヒーとケーキ。朝から のんびり。文化の日の翌日は休暇。一般庶民が働いているなか、くつろぐのはこのうえなく楽しい。
また観劇に向かう神戸の歌舞キチの可愛い子ちゃんと別れ、おさると神社仏閣巡り。
まずは、め組の芝神名へ。七五三の季節なので着飾ったちびっこの撮影が盛んでした。生姜塚というものがあったので、おみやげに生姜飴を購入。
続いて増上寺へ。戦後初の一般公開 国指定重要文化財 増上寺 三解脱門を拝しに行ってきました。何気なく くぐっている山門は、よくみると大きな建造物でした。法然上人八百年御忌を記念し、通常非公開の「増上寺三解脱門」を公開。 列に並び 二階(楼上)へ。高所恐怖症には、この階段がけっこう怖かった。お年を召した方々が普通に昇っているので弱気をはくわけにもいかなかったので がんばりました。 昇ってみると 釈迦三尊像・十六羅漢像および当山歴代上人像がずらっと奉安。おお。来てよかった! 一見は百聞にしかず。とにかくみて欲しい。色彩が結構のこっていて驚く。江戸時代には、この山門の楼上から海がみえたそうです。 この山門は、三解脱門という名。「むさぼり」「いかり」「おろかさ」の三毒煩悩から離れ(解脱し)極楽浄土へ入る心をつくるための門だそうです。
増上寺の本堂にも参拝。立派さに驚く。葵の御紋グッズが充実でちょっとうかれる。
おさるが夢中になっているイタリアンでランチ。夢中になるのも道理のおいしさでした。
参拝したあとは、物欲!?有楽町にでも・・といいつつ地下鉄に乗る。 羅漢つながりで五百羅漢に行こうと思いたち 逆もどり。一路、目黒へ。前から一度いってみたいと気になっていた五百羅漢堂へ行ってきました。見仏記にのってたコンサート会場のお寺。 平日なので、こちらはすいていました。
禅師 松雲元慶が江戸の町を托鉢して集めた浄財をもとに、たしか五百三体を彫りあげたそうです。 羅漢さんはお釈迦さまの弟子であり人間。坐像一体づつにお言葉がついており、2人でそれを読み上げ 感心したり はっとしたり 納得したり。 心がすごくきれいなった気がするなどと言いあい、有頂天になるべからずというようなお言葉があったなと思いし、互いをいさめあいました。
いい休日を過ごしました。

そしてその後、都心のキラキラしたビルの高いところでシャンパンとお寿司とピザをいただいたのでありました。煩悩。

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2011年11月 7日 (月)

吉例顔見世大歌舞伎 夜の部

文化の日、演舞場にて 吉例顔見世大歌舞伎 夜の部を奮発して鑑賞。充実の演目の並びに、豪華な配役。その上、最前列から鑑賞。こんなに贅沢なことはございません。いやぁ、一番前って本当に舞台に近い。よく見えました。
とにかく楽しみでならなかったのが女形の最高峰とも言われる、京鹿子娘道成寺。道行より鐘入りまで。白拍子花子は菊之助さん。新しい衣装と思われる出の着物がよくお似合いでした。一つづつ丁寧で、最後 鈴太鼓のあたりでは帯を振り回す勢いで鐘であろう方をキッとにらみ大熱演。 誰にみしょかとのところはしっとり。かれんというより色っぽかった。必死に演じるという若手感でなく、丁寧で緊張感があり、清らかな道成寺でした。 囃子方の迫力もあり、滅法面白かった。踊りと音との迫力と緊張感に軽く疲労するくらい面白かった。愛おしそう2011だったり、切なそうだったり、恨めしそうだったり、毅然としていたり、愛らしかったりと 菊之助さんの花子の心情が豊かに出ていて 魅力的でした。 もう少し年を重ねるとここをもう少し消化するのかもしれないなとも思う。が、時分の華の美しさがあり、楽しんだ。
所化さん達の白拍子の説明は、天才右近ちゃんでした。貫禄を感じさせる程のおちつき立派な説明。あっぱれ。うますぎて面白い。右近ちゃんの日でうれしかった。
道成寺で、撒き手ぬぐいをいただきました。松五郎さん、ありがとうございます。
夜の部の最初は、歌舞伎十八番の内 外郎売。松緑さんの外郎売実は曽我五郎。劇中口上で、七世梅幸・二世松緑の追善と同時に、松助さんが七回忌とのこと。早いものだと思う。松緑さんの五郎と松也くんの十郎。松也くんが大きくなっているようでした。五郎の兄 十郎らしさが出るものだなと思う。
大磯の虎・化粧坂少将は、梅枝くんと右近ちゃん。 貫禄のうまさの2人にみとれる。 亀三郎さんの珍斎も、ゆとりがあり 立派でした。後世がしっかり育っているという感じが、たのもしく これもまた、追善の演目にぴったりでした。
最後に、梅雨小袖昔八丈 髪結新三。 新三は、かっこういいのだけど、ひどい男なのでなんとなく惚れない。今回もやっぱりひどいなと思う。 お熊ちゃんをまんまと連れ出し、手代忠七をいたぶる。仁侠のヤクザでなく、やくざに因縁をつけられているようだ。でも、一つづつの仕草は決まる。うーん。もやもやした感情の間をとって、じっくり観るけど拍手はできないというスタイル。ひどいしうちなのでね。菊五郎さんの新三が、時蔵さんの手代忠七を踏みつけて去っていったあと、地震がおきた。ザワつく観客の前で、何事もない顔で芝居を進める時蔵さん。みていて落ち着きました。
今回の勝奴は、菊之助さん。新三の菊五郎さんにかいがいしくつくす様が、ちょっとまじめな感じに格好つけていて なんだかいい味があった。芝居じみていてちょっと大袈裟な感じが実にいい。この親子の掛け合いが楽しみでした。そして、たっぷり楽しませてもらいました。いいなぁ、こういう師弟関係。最後に懐手で、子分に分け前の小判を投げる新三が格好よかった。これこれ、この色気がなかなか出るもんじゃないのよね。そして、兄貴にもう一枚と小判をねだる勝奴の姿がキュートでした。
家主夫婦は、家主が三津五郎さん 女房に亀蔵さん。がめついいいコンビでした。カツオは半分もらったよという繰り返しのセリフをしつこく感じさせないのがさすが。
見応えのある顔見世大歌舞伎でした。


終演後、一緒に最前列で鑑賞した おさると神戸の歌舞キチの可愛い子ちゃんと3人でキラキラした夜景のホテルにお泊まりして反芻会。隅田リバーを眺めながら、アルコールをいただき、お食事。お部屋だから気楽にのんびりとおしゃべりしつづける。楽しみにうちふるえました。

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