『黒く塗れ ~髪結い伊三次捕物余話~』
引き続き、髪結い伊三次もの5冊目を読む。宇江佐真理の『黒く塗れ ~髪結い伊三次捕物余話~』(文春文庫)を読む。買って本棚にいれたまま読むのを忘れていました。得した気分。
伊三次の仕える同心は不破友之進。その朋友の同心の緑川平八郎がいる。それぞれ妻を持つ。何も問題なく暮らしているようでも、それぞれ胸に小さなひっかるものを抱える。今回は、緑川の妻の胸のしこりが描かれる。 幼いころからの友で、好意を持っていながら身分の差でいっしょになれなかった深川芸者 喜久壽がいる。一緒に三味線と尺八をあわせるというおだやかなような仲。それでも誰かの胸に、チクンと痛いものがある。みなを幸せにすることはできない。 所帯を持つ身の強さとかもろさとかに 一緒になって胸をいためる。 それでも生きていくっていう感じの描きかたがすばらしい。
「畏れ入谷の」を読んで、歌舞伎の上意討ちを思い出す。大切な女房をなぜ殿に献上しなければならないのか。主とは、神のように絶対なのか。完璧なのか。主従関係について考えさせられる。自分がお役目についたら、こういうことに立ち会うことになるのでしょうかと事実を前に 考え込む不破の子息の龍之介。ぼっちゃん、と丁寧に説明する伊三次。大切なことをちゃんとみて、きちんと答える。言葉に、人間があらわれる。 うまいこといいのがれたなんておもっても、人の品性は言葉にでちゃうのであろうと、我が事を反省した。
伊三次とお文は、どんどん家族らしくなっていく。伊与太の登場。 まっとうな心を持ち、まっとうに暮らしていても、お金がなくてはどうにもならない。 今と同じなのだけどけどね。ねたみも ひがみも、汚いものもあるのだけれどね。 現代と、なんだか違うのだなぁ。なくしちゃったものがここにあるような気がする。
最後の「慈雨」で、心がぽっとあたたかくなる。犯した罪は消えない。 けれども、罪をないことにしなければ(それを背負っていく覚悟があれば)いい。許されることもある。
また直次郎に出会えるとは。なんだかひっかかる男だったからね。
時が過ぎていく。人は成長し、傷がいえることも 深くなることもあるのだなぁ。
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