『さんだらぼっち ~髪結い伊三次捕物余話~』
引き続き、髪結い伊三次もの4冊目を読む。宇江佐真理の『さんだらぼっち ~髪結い伊三次捕物余話~』(文春文庫)を再読。
ちょっとした不幸の影がありつつそれでも、生きていく市井の人々の魅力を読んでいると思っている。その中でもこの本は、やりきれない。それでも読みたい。
妹分のように本気で親身に思っていたおみつのひとこと。子を無くした人の気持ちは普通でなくなるとは思うが、お文の胸の痛みを一緒に感じた。
子供の巻き込まれる事件に、なんともいえないやりきれなさを感じる。仕方ないと言われると、わかっているけど なんだか腹が立つ。
粋な深川芸者のお文が長屋暮らしをするようになる。心配されて周りの手助けが多く、することがあまりなくなる。特別扱いを面白く思わない人もいる。いい人に囲まれつつも 人と沢山係わって生きる毎日に 少しづつづれが出てくる。 夜泣きする子を慰めたというまっとうな事から、つい長屋のおかみさんに手をだしてしまう。 きっぷのいい深川芸者はやることも豪快。とうとう長屋を出ることになる。人を憎んですることでないのに、どうしてこうなってしまうのか。 人の口から出た言葉が、どうしてこう心に刺さるのだろう。
引き続き、髪結い伊三次もの5冊目を読む。宇江佐真理の『黒く塗れ ~髪結い伊三次捕物余話~』(文春文庫)を再読。
巾着切りの直次郎。すれた人間の純なところにグッとくる。悪事はチャラにはならないっていうことを思い知る。悪党のすっとするかっこよさを描く人は多いけど、してしまったことは消せないことを真摯に書いているのは、そう多くない。
やりきれない。
不破友之進の息子 十二歳の龍之介の男気に救われる。やるせないけど救われた。
「時雨てよ 足元が歪むほどに」 海童
各章につけられているタイトルがとてもいい。「時雨てよ」は、俳句から。海童とは、故夏目雅子さんの俳号だそうです。
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