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2011年12月31日 (土)

『こっちへお入り』

年の暮。今年もばっちり大掃除というわけにはいかなかった。うむむ。
去年の暮には想像もできなかったことがおこった年だった。
あの3月11日、会社で大きなゆれに驚き、家にかえるのに苦労し、帰宅後 TVで実態を知り驚愕した。あの驚き、感じたこと、人のあたたかさを再確認したことを忘れずにいよう。年の暮に、再度思いかえした。
よし!がんばるぞという気分になるお稽古小説、平安寿子の『こっちへお入り』を読み返す。柳家三三で北村薫をきいた後、『空飛ぶ馬』を読み返したら 他の落語ものが読みたくなったということもある。江戸の熊さん、八つぁんが暮らしているころの時代の常識。知りもしない世界のことが、心に染みてくることがある。涙することがある。そんな自分に驚きつつも、新しい世界にのめりこむ。 お稽古によって、ただ観ているという状況から1歩進み 名人の大きさがよくわかるようになる。素人のできなさ具合がよくわかるのだ。 そして、のめりこむことの楽しさとは、知る楽しさでもあるのだ。そう、これこれと 現代とは縁遠いはずの世界のよさがわかるところがうれしいのだ。少しづつわかるとことが増えていくのことのワクワクがいい。うなずきながら読む。
主人公の江利は、落語にのめりこみ かつどんどん独学する。えらい。 なぜもっとお稽古にはげまないのかと自分に叱咤激励させるべく、無意識の自分が本棚からこの本を手にとったのやもしれません。
来年は、きちんと自分のやるべきことを遣り通す人になろう。今は、本当にそう思う。長続きしますように。
良いお年を。

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2011年12月30日 (金)

『セレモニー黒真珠』

おさるに面白かったよと聞いた 宮木あや子『セレモニー黒真珠』(メテ゛ィアファクトリー文庫)を読む。
葬儀業界の話。人は必ず生まれそして死ぬ。絶対に必要とされる職業。街にごまんといるけれど、同じ「ご愁傷さまです。」という言葉をかけてもらうなら、この人達がいいなと思う愛すべき主人公達。わたしもすっかり気に入りました。
町の中小葬儀屋・セレモニー黒真珠。葬儀社といえば、大村昆がしきる葬儀社。社長は片平なぎさ。2時間ドラマだけどね。
29歳女性・笹島。20代なのに40代に思われるシッカリ者。葬儀社には落ち着きが必要。26歳悩めるメガネ男子・木崎。21歳新人女性派遣社員・妹尾。葬儀社は忙しかったり、暇だったり。 亡くなってしまったからとい言っても、その身体は乱暴に扱って欲しくない。物言わぬ相手だからこそ、ズルもできる。人間性の出る職場なのだなぁと思う。えげつない人間の様には、読んでいるだけなのに、ぐったりさせられる。葬儀屋の仕事って大切なんだ。
悩みや葛藤があるのは、人間だれしも当たり前。自分にも、葬儀屋の仕事にも真剣に向かい合う。しょうがないとか、誰かのせいにしない姿勢がかっこいいです。働きたくても仕事がないのが、今の現実。あー働くことができるのってありがたい。とも思った。
これでお別れという大事なタイミングに 悔いのないよう ちゃんと向き合う手伝いもする。 なんだかズタズタでボロボロ気味だけど、ちゃんと恋愛もする。生きてる!って感じで生きている登場人物は、読んでいて元気になる。面白かった。

妙に喪服が似合う眼鏡男子とか、ラブコメな感じとか、読みやす過ぎるので ドラマ化されそう。しかも薄っぺらくなりそう。あーもったいない。 いらぬお世話だけど。

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2011年12月29日 (木)

『きみはポラリス』

三浦しをん『きみはポラリス』(新潮文庫)を読む。
大好きなしをん先生ですが、この短編集に通る骨みたいなものをあまり感じないなと思った。どうやら、短編として世に出たものを1冊の本にしたものらしい。 最初と最後に「永遠に完成しない二通の手紙」と「永遠につづく手紙の最初の一文」という話がきているので、全体の一貫性を求めてしまった。 一つ一つは、その特別さがよかったのだけど、ちょっと そこがもったいないように思う。「最強の恋愛短編集」って書いてあったけど そうなのだろうか。余計な思いこみや、余計な宣伝は、本当に余計だ。勝手に全体を通る骨子のようなものを探さなかったら、もっと楽しめたのにと思う。
自分で勝手に考えて、自分ではまっていってしまうことや、家族だからこそ聞けないこと。何をきっかけて先に進むのか。普通の暮らしの中にあることのとりあげかたもいい。
日常生活に起こり得ないような設定の中にある、普通さのとりあげかたもいい。
「裏切らないこと」「私たちがしたこと」「夜にあふれるもの」など、タイトルのつけかたも考え抜かれていていい。
「骨片」の狭い世界で生きていこうとするすごさも好きだな。「森を歩く」の豪快さもあこがれる。「夜にあふれるもの」の答えのでない感じもいい。結局、気に入った。
短編集って紹介が難しいものかもしれない。

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2011年12月28日 (水)

七世松本幸四郎襲名百年 日生劇場十二月歌舞伎・昼の部

これも、みてからずいぶんたちました。初日から少したった頃、日生劇場にて十二月歌舞伎公演の昼の部をみてきました。そしてこのクリスマス3連休にもう一度みてきました。七世松本幸四郎襲名百年曾孫3人勢ぞろい。
演目は、碁盤忠信、茨木。
「碁盤忠信」ごばんただのぶ。七世幸四郎襲名披露狂言だった演目。今回は、百年ぶりの復活上演だそうです。碁盤を片手に差し上げて闘う忠信の姿が盛岡山車などでも有名だそうです。なじみのない人には、なぜ碁盤か?と思う。そこに碁盤があったらという程 碁盤の存在感はないし。碁もうたないし。理屈じゃないところがいい。
佐藤忠信が、なぜ義経から名前もいただいたのかよくわかった。亀三郎さんの義経。この人は本当にいい声。義経のためにって思いやすい凛々しさがありました。 染五郎さんの忠信は忠義ものだし 高麗蔵さんの妻おぐるま(小車)は一途。親の入道は悪者。普通の人はいなくて面白い。実はこの人は悪くって、実はこの人は内侍でと いりこんでいるところを、いちいち説明する場面があり 少々平坦に思えた。場面展開が長く、せっかく盛り上がった気持ちが落ち着いちゃったり。 こういうのも再演を重ね そして観る側の知識も増え はぶけるところが増えるとすっきりしてメリハリがつき面白くなるのであろうなと感じた。 高麗蔵 小車のけなげさに 切なくなっていると 小車の父(ザ悪者)と染五郎 忠信が戦い始める。なぜ屋根裏から義経所用の鎧が?寝ずにみているはずなのだけど?丁寧に筋を追ったりはしょったりのバランスがちょっとどうかな。
染五郎 忠信が鎧を身につけ、大立ち廻りするところは、華やかでゆったりとおおらかですこぶるよかった。 こういう、スピード感でなく古風なおおらかさで魅せる立ち廻りは美しくて好きです。
最後の最後に、横川覚範登場。海老蔵さん登場。1時間35分のお芝居の最後の5分に登場して、あれだけかっさらうのはずるいよ、海老蔵さん。いや、ずるくないです。 待ちに待っての登場。鳥屋口で、まず声だけが聞こえる。はりきりすぎちゃって、ちょっとなんて言っているかわからない。でも、でっけえ横川覚範の登場に大喜びしました。 いざ、対決!となったのに 本日はこれぎり。なぜかというと、ひ孫同志が喧嘩したら ひいじいちゃんに悪いから。ええ!そんな理由! さすが歌舞伎。こういうところが大好きです。
次に、新古演劇十種の内「茨木」。今月の日生劇場で 一番気にいったのはこの茨木。順位をつける必要は、全くないのだけれどもね。
羅生門に鬼退治に出かけ、鬼の片腕を切り取った渡辺綱。館に籠もり物忌みの最後の一日。渡辺綱のこしらえはどうしてあんなに大男になるのでしょう。あの装束は色あいも大きさもとても好きです。装束に埋もれるようで かつ大男に仕上がる。 海老蔵 綱も大きかった。
最後の一日に綱の伯母 が訪ねてくる。音もなく花道を登場。ここも好き。 足さばきの難しそうな登場。静かだけど、ただごとじゃなさそう。でも年老い、くたびれた老女にもみえる。そんな伯母 真柴 実は茨木童子は松緑さん。立派でした。すごく面白かった。静かに小さな声で話す。それを集中して聞かせる腕を感じました。そういえば、片腕がないというくらい 片腕なのにバランスのとれた動作。きれいな所作でした。
逢うことかなわずと告げられ、うらみがましく戸口にたつときの一瞬の殺気。さみしげに花道をトボトボ帰る姿。うまい運びです。 対する綱をよくみてみたら、陰陽師から指導を受けた物忌みを重んじる気持ちと、大切な伯母への思いに苦悩している様子がよくわかって愛らしかった。綱のような強い男には、この愛らしさが必要だと強く思う。團さまの綱も実に愛らしいもの。お行儀よく 綱を努めたいというインタビュー記事にあったとおり お行儀よく抑えて綱は、海老蔵さんによく似合っていた。
伯母を招き入れ 音若に舞を披露させる。梅丸くんはまた凛々しくさわやかに太刀持を務める。 所望されて舞を舞う松緑さんもすばらしかった。羅生門での武勇伝を伝える海老蔵さんもよかった。これは、いい配役なのかもしれない。
帰って皆に話してやりたいからといい鬼の腕をみたがる。どうなるかわかってみている我々は、ついにきたかと思う。ここから どんどんとテンポをあげ、対決していく盛り上げ方も非常によかった。鬼は恐ろしく 腕を掴み勢いよく去る。 実は茨木童子と気づき いきりたつ綱。ドヒャー ウギャー という迫力があっていい対決だった。幕よ閉じないでと思う 格好いい形が決まっていた。怖くて最高。 最後に花道を 自らの腕を取り戻した茨木童子が六法で去る。 迫力があってよかった。片手であの勢いって そういえばすごいことだ。 見応えのある すばらしい「茨木」でした。

でもね、やっぱり短いと思う。 縁のものでなくていいので もうひと演目やってほしい。もしくは、お値段を可愛らしくして下さい。重ねてお願いします。誰にお願いしているのかわからないけども。

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2011年12月26日 (月)

七世松本幸四郎襲名百年 日生劇場十二月歌舞伎・夜の部

もうずいぶんたちました。初日から少したった頃、日生劇場にて十二月歌舞伎公演の夜の部をみてきました。そしてこのクリスマス3連休にもう一度みてきました。昼の部の時間なのに夜の部の日に。七世松本幸四郎襲名百年曾孫3人勢ぞろいという公演です。
演目は、錣引、口上、勧進帳。
「錣引」しころびき。景清の謡にある、しころびきとか、腕の強さとか、首の強さとか、悪七兵衛景清と名乗りたて とか、よく?! 耳にするあのフレーズが登場する芝居と、大層楽しみにする。摂州摩耶山の山頂で、源氏方が平家の重宝を盗みだし、平家方と争ううちに 重宝の一つ御鏡を摩耶山の谷間に落とす。摩耶山の谷底には、 実は三保谷四郎の松緑と、実は悪七兵衛景清の染五郎が焚き火を囲んでいる。 2人の間に鏡がストンと落ちる。 ものすごく調子のいい展開。 筋なんてどうでもいい、俺をみよ!という無茶苦茶な展開がよく似合っている迫力のこしらえ。残念ながら、平景清と三保谷国俊の「錣引」の話のことはよくわからなかった。 なんだかわからないけど、だんまり&立ち回り。ハッハッハッ。そんな力技。ねじふせられました。  あまりかからない演目というのは それなりの訳があるのだなと思う。再演を繰り返し、練られるといいのかも。 あの鏡がなんでとんできたか。そこはわかったが そこは教えなくても(あの場はなくても)いいのかもなどと考えながらみる。三保谷四郎の方が、凛々しくかっこよくみえました。松緑さん あの出で立ちがよく似合う。 景清は怪奇的な力がありそうでした。 強引な見せ場が面白かった。訳はわからないが眠くはならない。そんな演目。
「口上」。染五郎さんを真ん中に、松緑さん 海老蔵さんと3人で。染五郎さんがしっかりと公演の由来を説明。重ねて足をお運び下さいとまとめる。若者3人がこの会にかける想いがよくわかるサービス精神にあふれた口上でした。 はじめのころのものと、先日の3連休とは別のエピソードになっていて がんばっているなあと思う。染五郎さん・松緑さんが、愉快なエピソードをはさみサービスする中、私がきいた日は海老蔵さんだけは 決まったものでした。でもそれでよし。まじめにがんばっていました。家の芸をしっかりと継いでいきたいという3人の気持ちが伝わる口上でした。
祖父達の口上が、紋付袴だったので同じようにと裃をつけず、鬘もつけないという3人。 なんだか少々ガラが悪くみえました?! 両脇のお二人、迫力がありすぎるのだもの。 長髪だったときの松緑さんは怖かった。先日は短髪でした。自由気ままな彼らで楽しかった。
最後に「勧進帳」。染五郎 義経が、気品よく登場。亀三郎さんの亀井六郎が頼もしい。 そこへ海老蔵 弁慶。とにかく、染五郎 義経を守るぞと血気盛ん。 対するは松緑 富樫。何人たりとも、通さぬと対峙する。相手とのやりとりとか、呼応をみるというのではなく、対決をみる。 そういう面白さがある。 家のやり方というものに真剣で、合わせる気が少し足りないたりないようにも思うが、 あの真剣なぶつかりあいは 滅多にない。皆、このくらいの若者なのかもしれない。  義経は、気品があり 他の者の手にかかるくらいならと先に進むことをためらう。 そんな主人をみて なお一層俺がなんとかしようとする弁慶。もう、わかりやすいくらい一途に守る。そりゃ眼もむくわと思う。四天王も見守るというより一緒に熱くなる。
対する富樫。この人も関を守ることに真剣。 だが、弁慶の必死さにも心うたれる。 心の葛藤がよくわかった(わかりやすい)。打擲したもうなという台詞に ジーンとしちゃった程。 わかりやすい程 感情をあらわにする2人の対決は、やりすぎではあるが 魅せられた。 全部に180%の力をこめて全場面突っ走るので 少しメリハリがかけ もったいない気もする弁慶だった。が、安宅の関における 死に物狂いさをみたようで 面白かった。やっぱりすごい。 太刀持は梅丸くん。しっかりとしてお行儀よく 清涼剤になりました。
染五郎・松緑・海老蔵の3人が それぞれの演目で六法を踏み 花道を駆け抜ける。 その趣向も面白かった。

ただ短い。もうひと演目やってほしい。もしくは、お値段を可愛らしくして下さい。お願いします。

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2011年12月23日 (金)

ウィーン工房1903-1932 モダニズムの装飾的精神

先日、パナソニック電工 汐留ミュージアムにいってきました。友よ、いつもありがとう。
招待してくださった友が、好きと言っていた展覧会、なかなか面白いものでした。
ウィーン工房とは何でしょう。 1903年、ウィーン市の小さなアパート3部屋で、建築家のヨーゼフ・ホフマンとコロマン・モーザー、そして財政的な後ろ盾ともなった実業家のフリッツ・ヴェンドルファーの3名がはじめた企業だそうです。初期から解散まで約30年間の活動だそうです。
クリムトの絵が飾られた部屋の写真をみてワクワクする。
会場に敷いてあった絨毯と、壁紙。これもウィーン工房のデザインとのこと。お洒落だけど奇抜でなく 毎日暮らす家になじむすてきなデザイン。絨毯の歩きごこちまでいい気がしました。椅子・机・ベット・食器棚・照明・食器。くらしもののデザインは、どれもきがきいている。統一性でなく 品の良さで揃えたような。突飛でなくくたびれない。
アクセサリーや小物が特にかわいらしかった。壁紙のデザインが特によかった。同じデザインでも、色彩の配色により 随分イメージが変わるのが面白かった。 好きな色の組み合わせと、部屋の壁にしたら最適であろう色の組み合わせは異なるものですね。どれがいいかなぁと、オーダーする気分で楽しむ。
ウィーン工房のデザイナーで、結婚後京都に移り住んだというフェリーチェ・ウエノ・リックスの作品が沢山ありました。上野リチ(リックス)は、建築家である夫 上野伊三郎とともに、京都市立芸術大学やインターナショナルデザイン研究所で、デザインの手法を普及させ かつ教育も熱心に携わったそうです。作品もすばらしく、上野リチという名前も気になりました。島根県立石見美術館所蔵のものが多いのも不思議。なぜかしら。
ジョルジュ・ルオーの小部屋で、パナソニックの技術力を生かした照明説明があって おお!と思う。
落ち着いて、いい大きさで、なかなかいい美術館です。

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2011年12月22日 (木)

自分達生誕祭

先日、おちゃると 仕事帰りに お誕生日お泊まり会開催。無駄にムーディと称しながらもキラッキラしたホテルにウキウキ。チェックインカウンターの後ろは東京湾&キラキラしたレインボーブリッジ。真ん中にはキラキラした東京タワー。ゴージャス。ボーイさんは、90度の角度でお辞儀をしてくれます。ザウルスの形のパンを買うと丁寧に梱包してくれます。お部屋の石鹸はいい香り。いいホテルは、いいですなぁ。
シャンパンを楽しみ、お食事をして泊まってきました。隣のテーブルの女子会のガールズ達も、おめでとうと祝ってくれました。照れました。が、いいものだねぇと言いあう。「お部屋で一緒に、シャドウ探偵やタモリ倶楽部を見ましょ!」と楽しみにしていたはずなのに・・・部Photo_3屋に入り、部屋着に着替えた後の意識がありません。3秒で熟睡していました。
_crop翌朝、早起きしてレインボーブリッジや東京タワーや、行き交う船をみながら お部屋でのんびりと朝食会。&プレゼント交換会。 楽しゅうございました。お台場って何もないのではと思っていましたが、自由の女神がいました。ガンダムはビルをつくっている様でした。観覧車は周り、アウトレットもありましたことよ。ついついお買いもの。いいじゃん、お台場。
お台場で遊んだ後、ゆりかもめで汐留へ出て美術館に行きました。夕べには北村薫さんのお話を三三さんが落語にした会を楽しむ。 くたびれる程遊んで幸せでした。
お台場ではフジテレビのビルを横目でみる。汐留では日テレを横目でみる。三三の会のある草月会館は赤坂。アサカササカスとかいうTBSがあるはず。帰宅するのに乗り換えるのは渋谷。NHK。あとは六本木にいってテレ朝を押さえれば?! テレビ局スタンプラリー完成ねとい話し合う。 あれ?テレビ東京は?どこにあるのかしらん。
おちゃるとは、幼馴染。生年月日も一緒。住所も近く。お財布も色違い。普通の幸せから、特別な幸せまで、共有して楽しむ仲間がいてくれることは幸せなことであります。ありがとう。

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2011年12月21日 (水)

『空飛ぶ馬』

北村薫の『空飛ぶ馬』(創元文庫)を読み返す。
きっかけは、柳家三三で北村薫。という落語の会をききにいったから。あの会が、この本を大切に忠実に作られていたのだなと改めて思った。
久しぶりに読む<円紫さんと私>は、新鮮だった。自分の物言いのぞんざいさに イヤになったり、お洒落な姉に対する 家族の前ですら表面に出すことのできない鬱屈とした思いにドキっとしたりした。10代のころの、あの自分に対する周りの評価の目を意識する気持ちを久しぶりに思い出した。北村薫さんは、おじさまなのにどうしてこの気持ちがわかるのだろう。細かく胸に広がる気持ちをどうして文章にすることができるのだろう。すごい。 柳家三三で北村薫。では、最後に三三さんと北村薫さんの対談があった。 最初に「私」は満たされないものを持っている子なんです というようなことを言った。この言葉にドキっとした。 これだ。 これが、この本に惹かれるところの一つなのか。
何度も読み返している本なので、砂糖合戦や、赤ずきんの強烈な「悪」の印象は残っている。今の本ある強烈な描き方と違う。時代だと思うけど。胸に残るしこりのような、いやな気持。特別な奇行でなく、誰の中にもある卑劣さ。気をつけてみれば、ほらそこにもそんな感情を持った人がいるよと指し示す。そんな怖さがある。
けれども、これは大好きな本である。なぜならば、そんな汚い心も少しはあるけれど、全般的には人生を楽しんでいるから。 文学部の「わたし」の毎日には、沢山の書籍に囲まれている。何かをみれば、あの本を連想する。オペラに行って心を揺り踊らせたり。普通の毎日を、地道に生きる。地味な自分を自覚し、知識のあるものを尊び、自分で沢山のことを考える。寒いときには寒さを感じ 季節のことごとを見、きちんと暮らしていく。 大好きな落語に通う。教授に紹介された大先輩が 贔屓の落語家という偶然から親しくなる。この親しみの間にもきちんと礼節がある。ここが、好きなところのひとつだ。 その落語家 春桜亭円紫さんは、わたしの身近にある謎を、解き明かす。その関係も素敵だ。 この本には素敵なことが沢山つまっている。
読み返してみて、文中の本に興味を持ったり、歌舞伎の引用がよくわかるようになったなと思えたりした。バカみたいに歌舞伎を観に行った甲斐がありました。また、少々ではありますが落語をきくようになると、本の中の噺にのイメージも膨らむような気がする。 この本は、事あるごとにずっと読み返すのであろうなと思った。

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2011年12月20日 (火)

柳家三三で北村薫。-<円紫さんと私>

草月ホールにて、柳家三三で北村薫。-<円紫さんと私>という会に行ってきました。
柳家三三さんが、中学生の頃から愛読していた北村薫さんの『空飛ぶ馬』を演じる。どんな会になるのであろう。想像もつかないままむかう。
まず、スーツ姿の三三が登場。  スーツ姿に驚いていると 「ごうっという風の音が・・・」と演じはじめる。『空飛ぶ馬』の中の、空飛ぶ馬の章の冒頭である。女子大学生であるわたし、友人、母上、どんどん登場人物がでてくる。 本を手に持たない朗読のような不思議な感じ。この日の会に行くために、『空飛ぶ馬』を読みなおそうか迷う。当日 少しだけ読む。織部や砂糖合戦の章を読む。久しぶりに読む<円紫さんと私>を読んで、はっとした。自分の言葉使いの汚さに。まぁいいやですましてしまっているところに。10代のあの感覚を無くすのはあたりまえだけれども、無くしてしまったものにドキっとした。変わりに得たものもあるけれど、無くしたそれはもっていたいものだったので。
三三さんは、落語をきいているときも若い花魁など その女っけが少し恥ずかしい感じがする。おじいさんや小僧さん、仁狭ものなんかはすごくいいのだけど。なのでわたしや正(しょう)ちゃんや江見ちゃんの部分は少し恥ずかしい感じもする。乙女すぎるから。 とにかく原作を大切に、その世界を壊さないよう忠実に作っている感じがした。 きいているうちに、空飛ぶ馬の話をおもいだした。ああ、あの感じをどう表現するのかと期待しつつ聞く。
落語家・春桜亭円紫の高座の場面になる。一度ひっこみ、円紫さんの出囃子 外記猿で登場。着物姿で高座にあがる。今度は円紫さんとしての落語。でも、落語だから三三自身である。お話の中の通り、噺は「三味線栗毛」。これを一席。三三のうまさがあって面白い。
大名の三男・角三郎が、自分の不遇にもめげずおおらかで前向きな男と演じられる。角三郎が魅力的であったところが後にきいてきた。角三郎を贔屓の客とする按摩の錦木。長患いをする。病の中の大名の三男・角三郎の出世を知りお屋敷に駆けつける。大名になったらおまえを検校にしてやろうという約束を叶えてもらおうという気持ちと、角三郎のことを祝福したい想いよと、自分の骨相を見る目の確かさの自信と まざった気持ちを感じ、あの意気込んだ雰囲気がうまいなぁと思った。 頭で三味線の部位の説明を細かくするなぁと思ったら、そこが最後の締めになっていた。なるほど。
休憩をはさみ、今度は円紫さんの謎解きの部分。暖かい話。そういえば、この話はクリスマスの話だった。時期をあわせた話を選んでいたのだと気づき感心する。
落語「三味線栗毛」の角三郎と錦木がむかえる大円団と、かど屋の国雄さんと恋人の田村さんがむかえるであろう大円団。馬繋がりというだけでなく 周りの評価を気にせず努力できる人と、それを信じる人というをつなぐ情という共通点もあったのかなと思った。
終演後、北村薫さんと柳家三三さんの対談。北村先生の饒舌ぶりがおかしかった。楽しそう。そして話が止まらない。落語を愛しているのだなぁ。柳家総選挙構想には、爆笑した。
最後の対談で、「三味線栗毛」のオチの部分は人によってさまざまだということがわかった。錦木を検校にしてやると約束し、もとめた名馬を褒められ 罰(バチ)があたるかとおだやかにしめる。今回は小説の中のとおり演じたが、普段の三三は錦木が病で死ぬ形でやるらしい。バチがあたるかというのもの大名になった角三郎が相手を下にみるような言い方をする形式もあるらしい。そこは落語自信が決め演じる。師匠のとおりにするわけでもないということを知り、驚いた。 落語家としての自分のやり方は自分の芯になるものである大切なもの。 自分で作り上げる世界の人が、小説を大切に とにもかくにも忠実に演じているということがどんなに大変だったろうと驚いた。今年、にぎわい座に通い聞きとおした 柳家三三 六ヶ月連続公演「嶋鵆沖白浪」も、すごい挑戦だったと思う。 自分で高いハードルを用意し、必死になって越えていく。内容の面白さはもちろん、その臨む姿勢をも堪能した。
来年、5・6・7月とまた柳家三三で北村薫。-<円紫さんと私>の公演があるとのこと。楽しみである。

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2011年12月19日 (月)

平成中村座 十二月大歌舞伎『菅原伝授手習鑑』

先日(今年最後の満月の日)、神戸の歌舞キチちゃんと平成中村座にいってきました。スカイツリー大きかった。もう、できちゃっていました。できかけの方がワクワクした。なぜかしらん。
平成中村座 は、来年5月まで半年のロングラン公演。 寒い時期を避けたらどうであろうか、中村座。 寒かった!!そして芝居は熱かった!!
観るなら、だんぜん昼の部。菅原伝授手習鑑ですもの。大好きな「車引」ですもの。これが滅法面白かった。これで1ヶ月もつのかしらと余計なお世話をやきたくなるほど熱い「梅王丸」。腹が立つぜ!と暴れまくる。とにもかくにも面白い。最前列でおまけに梅王の前だったので、大迫力に圧倒される。冒頭の、桜丸と梅王丸のやりとり。桜丸の言葉をこんなにきちんと聞いたのは初めて。菊之助さんの台詞はきかせるひ、頭に意味が入ってくる。 杉王丸の虎之介が大きくなっていてびっくり。すたすたすたと、現代っこっぽく登場!その後は、型も台詞もしっかりしていました。年代的なバランスがいいかも。松王は彌十郎さん。じっくり取り込む。だけれども梅・桜のあのすごい兄弟と取り組むとバランスがやや悪いような。
みればみるほど面白い。車引、大好き。しっかりした筋がある上で、理屈を越えたあの感じがたまりません。自分の車引好きさも、実感する。
続いて、 「賀の祝」。梅王丸と松王丸が俵を振り回しての喧嘩。ここまでは愉快。この先を知ってみているからこそ、ここまでの明るさが引き立つ。車引で松王だった彌十郎さんが、今度は白太夫。親心たっぷりでよかった。松王よりこちらの方がしっくり。桜丸のことがあるから、あえて梅や松を叱る肝がよかった。 春、千代には、新悟くんと松也くん。成長を感じます。とくに、松也くんが感情豊かで感じがよかった。 八重の七之助さんは格違い。桜丸との夫婦は悲しくすばらしかった。 毅然と静かに自害する桜丸、立派でした。
最後に、「寺子屋」。菊之助さんがぜひ武部源蔵を と望まれて挑戦したと聞き、より注目。以前、とにかく寺子屋がよくかかる時があった。『菅原伝授手習鑑』を今一つ理解していなかった頃なので、疑問がいっぱいで のめり込みにくかった(眠かった)。ところが、各人の思い入れを踏まえてみると、なんと胸に染みることか。 「主従」が絶対である時代のことは、現代の我々にはわかりにくい。「忠」のためには、我が子の首を差し出すこともいとわない。そこへ至る苦渋の決断や、その深い悲しみを背負って生きていこうとする。その「忠」が、理解できないと思う。“宗教”ではないかとすら思うこともある。 が、芝居をみていると その「忠」を感じ、涙を流してしまう。今回の勘三郎 松王・扇雀 千代の夫婦にも、泣かされた。子のことをぐっとこらえる。そして忠義を果たすことなく自害した桜丸の不憫さに号泣する。そんな松王をわからないと思い またよくわかると一緒に泣く。 わたしを引き込ませるすばらしい寺子屋だった。 菊之助 武部源蔵と、七之助 戸浪 夫婦。実際の年齢は、このくらいの若さなのだなと思う。源蔵の出から、食い入るようにみた。最初は、抑えておじさんのような?落ち着きで 冷静に対処しようと 静かに 死に物狂いで考えている源蔵。 今日、寺入りした子をお身代わりにと心に決めたところからは若さみなぎる源蔵でした。 命がけの企みごとがバレちゃうよと思うほど熱い源蔵。 静かな松王の勘三郎をはさみ、熱い源蔵の菊之助さんと 春藤玄蕃の亀蔵さんの2人のやりとりの声の大きさが面白かった。あんな大声のやりとりきいたことない。とにかく真剣で、ぐいぐい引き込まれ、ホロホロ泣いた。 中村座という小屋によく似合った空気ができあがっていた。
車引・賀の祝・寺子屋 を堪能。くったくたになった。面白かった。

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平成中村座 十二月大歌舞伎『積恋雪関扉』

001先日の覚書。平成中村座 昼の部に興奮した後、そのまま夜の部の『積恋雪関扉』を立ち見でみてきました。 中村座は、いろんな決まりがあって少々(やたら?!)と細かく指示される。少々窮屈。 お手洗いの長蛇の列をさばく彼女くらいの技量があれば、気にならないのであるが。あのレベルを全員に求めるのは無理。 立ち見は立ってとか指示が多かった。こちとら、見えないのを承知でしゃがんでいるんですよ。休憩ですよ。場所は見やすく、お値段はお財布に優しく、嬉しいのに文句を言ってすみません。満喫しました。
さて、積恋雪関扉。つもるこいゆきのせきのと。この演目は、いつも小難しい。素踊りの会の時に、驚くほど話がわかってびっくりしたのだけどな。 また元にもどっちゃった。むずかしい。関守関兵衛と宗貞の立場とか、小町姫と宗貞の関係とか すぐ忘れちゃう。勘太郎ちゃんは、2階の遠くからながめても大きくて立派で、なんだかとてつもない人 にみえた。大伴黒主の勘太郎ちゃんと小町桜の精の菊之助さんが舞うところは、筋をおいておいても楽しい。 七くんの小野小町姫は可憐で可愛らしかった。 でも、なんの話かこんがらがちゃった。 昼の部を 魂を抜かれるほど集中してみたので、くたくただったせいかもしれません。 次の機会には、しっかりと堪能したい。

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2011年12月15日 (木)

法然と親鸞

先月、東京国立博物館にて 特別展「法然と親鸞 ゆかりの名宝」をみてきました。いやぁ、面白かった!私には新しい紹介方法にみえました。 すこぶる新鮮でした。この効果は、日曜美術館のおかげかもしれません。小学生のころ、伝記をよく読んでいました。あの感じ!法然と聖人の伝記を読んでいるようなワクワク感がありました。
熊谷直実自筆の書状にもワクワク。全然読めませんが、直筆ってところに浮かれました。ミーハーです。熊谷陣屋のあの方でしょ。「十六年は 一昔、夢だ夢だ」とつぶやく。関係ないけど。
歎異抄「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」。いわんや悪人をやって、これだったのか。無知なりにワクワクする。少しづつわかればよいのですよ。何か、ひっかかりがあると面白い。
伝記絵にみる生涯。「法然上人行状絵図」や「親鸞聖人絵伝」など、2人の生涯が色鮮やかに描かれている。わかりやすい。日曜美術館で生涯を踏まえた上でみているからだけど。仕える者達の衣服や、買われている犬の野性味(まちがっても家の中で飼われているものでなく)、僧侶の衣や、裸に直接 鎧を着ているのではという戦支度ぶりなど 細かく面白い。
臨終をむかえたときに、極楽に住むという仏・阿弥陀如来が25人の菩薩とともに息を引き取ろうとしている人を迎えにくる場(来迎図)。阿弥陀と人が 金の光の筋で結ばれている図はキリスト教の受胎告知のようでした。仏画もこんなに面白いのかと思う。
保元・平治の乱などの戦乱や地震などの天変地異が続く平安末期。冨も権力もない民衆をも救うためにはと考える法然。「念仏をとなえれば誰もが救われる」という方法を、教本を片っ端から読み倒すことでみつける。その情熱にびっくりする。ある日お告げを受けて悟りを開いたのではない。自分の悟りのためでなく、みんなを救うために、その答えを先人の書き遺した教本から探すとは。地道で気の遠くなる方法。けれども、絶対にあると信じる力。すごい。ただ念仏して善人なおもて往生をとぐ。この人が、浄土宗の宗祖となるのか。
そんなすごすぎる法然の魂を受け継いだ親鸞。ダメなところがあると認め、妻帯もみとめ、肉食も厭わなかった。食べていい肉の種類が書かれたものが面白かった。たとえ地獄におちようとも、その教えを信じて念仏をすると決める。弾圧を受け、流罪となる。それでもあきらめない。弟子一人ももたず、何かのために念仏を唱えるのでなく、ただ念仏のみぞまことである。 この人が、浄土真宗の宗祖となる。
このすごさが、よくわかって面白かった。教えまで理解できていないが、根性を感じた。
個人的にうれしい発見が2つありました。
その①。 浄光明寺蔵の阿弥陀三尊坐像(重要文化財)との再会。
以前(2000年)、日本美術史の授業で訪れた鎌倉あたりの寺で、とても気になった仏像があった。型抜きした土を彫像に貼り付け(土紋)ている。大きな三尊像。中国から関東に入ってきた技法で、そこから関西等に広まることがなかったため(流行らなかった?)、関東でしかみることのできないスタイル(だったはず。) そのお寺が、どこだかわからなくなってしまっていました。これだ!これです!これでした! こんなに大きかったであろうか。蓮座も、アーティチョーク座のようにゴージャスにみえます。とても大きいにの衣のひだは、繊細。 そう、この像をもう一度みたかった。再会。ああ、ありがたや。
その②。二河白道図との出会い 。
二河白道は中国唐時代の浄土教家・善導が説いたたとえ話。図の上部に「極楽浄土」。下部に「現世」。清浄な信心を「細く白い道」にたとえる。現世と極楽浄土をつなぐのは、その細く白い線。線(道)の横には、火の河(憎しみ)と水の河(貪り)などの煩悩が横たわる。その道を一心に渡る(念仏する)ことで極楽へいくことができるそうです。この図にはっとする。現世には、虎とか獣もうようよ。極楽への道はこの細い白い道を、一人でまっすぐ歩いていかなくてはならない。でも歩いていけばたどりつく。 すごい!もう、落ち着いていられないような衝撃がありました。すぐ落ち着いたけど、もうはっとしました。そうか!と。法然の教えを、親鸞が伝え、鎌倉時代以降に絵画化された。それが、二河白道。最古のものが光明寺本だそうです。私がみたのは、香雪美術館の「二河白道図 」(重文)と、清凉寺 の「二河白道図」。
最後、閉館まぎわに もう一度展示場所にもどってみてみました。展示室の最初のところなどで、もう誰もいませんでした。 入口をみると床に白い線が。あっ!この白い道を再現していたとは。混雑した会場では埋もれてしまうのは仕方がないがもったいない。あの道を通って、わたくしも極楽へ行くべし。小学生の時に白い線だけを通って家まで帰るというくだらなく真剣な遊びを思い出す。
この展覧会は、小学生のときに面白がった様な気分で楽しめました。何がそんなに 通常の平成館の展示と違うのだろう。 
法然と親鸞 展覧会が同時に1つのところで行われるのは初めてのことだそうです。こんなにも2人の関係を重点的に見た後では、その事のほうが不思議な気がします。
この特別展は、法然没後800回忌、親鸞没後750回忌を機に開催されたそうです。そういえば 増上寺の「三解脱門」公開も、法然上人八百年御忌を記念したものでした。あの山門も、すばらしかった。ありがとうございました。

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2011年12月14日 (水)

『この話、続けてもいいですか。』

討ち入りの日

西加奈子の『この話、続けてもいいですか。』(ちくま文庫)を読む。 ~いいですか。と「。」がつく。つんくか。 つんくのこと、シャ乱Qのことを わりと細かに説明してたのも面白かった。
西加奈子は、イラン、テヘラン生まれ。エジプト・大阪府堺市南区の泉北ニュータウン育ち。どんな人?と思う人は、これを読むべし。ええエッセイや。大阪弁いいなぁ。
どうぞ、その話続けても下さいと思いつつ、ぐんぐん読む。面白いし、うまいし、変な人、すごく。なんだかてんこ盛りな人。 物を書く人の生き方というのは、書くという動作に入るまでの序章のような生き方があるのだな。人生に変テコな時期があったとしても、それが作品をつくるという方向に向かない人がほとんどだけど。
西加奈子は不思議な人。全身で生きてる!って感じがする。激しい人ともちょっと違う。とにかく生きてるって感じ。 わたしも生きてるのだけど、なんだか勢いが違う。 西加奈子、好きだなぁ。

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2011年12月11日 (日)

『キリコについて』

西加奈子の『キリコについて』(角川文庫)を読む。
西加奈子は不思議。最初の頃に読んだ『さくら』『きいろいゾウ』で夢中になった。『あおい』の不思議さが面白く、『通天閣』や『しずく』はフムフムと読んだ。 『窓の魚』には、驚いた。これ書いたの同じ人?わけがわからんと読書後すぐ再読。こういうのを奥深いとか冷静とかいうのか。よくわからん。でもついつい最後まで読んでしまう。 西加奈子は不思議な人。
さて、『キリコについて』。これはすごい。大問題の答えのような本だと思った。
主人公は、きりこ。 客観的にいって「ぶす」らしい。 それが何か? と堂々うと生きていく。 自分は自分で決める。 コンプレックス? 悩み? そんなもの自分で自分にひきよせているだけのものなのかも。 自分で考える。 最強のきりこ。
両親の愛情を浴び、素直に信じる。 人間が思う「ぶす」と 猫が思う「すてき」と どっちが正解か。 どっちが?ってことでもう何かにすがっているのかも。きりこは、すごい。
賢い黒猫 ラムセス2世。 猫界では、かわいいは褒め言葉じゃない。「賢い」にグッとくるそうだ。 そうなのかも。 猫の考えも、 引きこもりも、ほめそやしも とにかく、何もかも人に決めてもらった価値は、自分の考えでないってこと。 これが、答えだ! そうよそうなのよ! とつぶやきつつ読む。
執拗に ぶす、ぶすと 繰り返し ぶす が出てくる。  魔法のようだ。呪文にかかりそうになる。 でも、きりこにそんな魔法はかからない。 きりこは自分で考えるから。 かっこいい。きりこ。
大阪弁の具合もいい。 声に出してよみたなる。
堂々とした一冊。

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2011年12月 9日 (金)

狂言劇場 その七

先週、世田谷パブリックシアターへいってきました。「狂言劇場 その七」Aプロの方を観てまいりました。企画力!という公演でした。
狂言「棒縛」の前に、小舞「暁」と「七つ子」をみる。なぜこの2つか。それは、「棒縛」で酔った太郎冠者・次郎冠者が舞うからでした。なるほど。
小舞は、やっぱりいいなぁ。この日は、深田師の「暁」と月崎師の「七つ子」。世田谷パブリックシアターの舞台に作った能舞台なので、踏む音があまりよくない。反響するのか脚がいたそうな音がしちゃうとなと思う。能楽堂ではこういう音はないので。 ところが、「棒縛」で万作師が酔いながら舞っているときの足拍子の音がよかった!うーむ。やっぱりすごい。両手を棒で縛られているのに、どうしてあんなに飄々としてみえるのだろう。 家に帰ってから、両手をかかしのようにあげたまま胡坐をかいてみた。そして立ちあがってみた。なんとも不細工な動き。しかも、2度目はたちあがれなかった。とほほ。 観るのと真似てみるのは大違いである。 万作師と石田師のかけ合いは、しっかり相手のことをうけていて、やりとりが何とも楽しげにみえた。 今回誂われた能舞台は、客席にせり出す形。 右端の前方にいたので横から舞台を観る形になった。本来の能楽堂では、存在していない席なので、おもしろいながめでした。
小舞は、「暁」と「七つ子」の他に、「鮒」も。これも楽しみでした。萬斎師の鮒は、足を蹴りあげる型がキビキビ いきがよかった。切れ味するどく、わくわくしてみました。
休憩をはさみ、最後に「MANSAIボレロ」。 「狂言劇場 その七」は、AプロとBプロがありました。迷わずAにしたのは、「MANSAIボレロ」が気になったから。いい意味で俺様満載のかっこいいボレロでした。ボレロのメロディで、三番叟の籾の段を全部踏むというのもみてみたくなった。ところどころ、恐ろしく嵌るところがあった。 バレエは上に上にのびる印象がある。狂言は、腰を入れて重心を落とすという印象。真逆である。それでも、重心をしっかり下にとっている時の方が、決まっているように思えた。最後の締めがすごかった。気持ちよさそう。とにかく決まっていました。
面白い企画の いい公演。たった一つを除いて。 短い。休憩20分含め 1時間15分也。ちょっと短すぎ。 でも、すごく楽しかった。

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2011年12月 8日 (木)

『キネマの神様』

本日は、健康診断也。あー。  でも、午後はお休みして日生劇場也。うふふ♪ 幸せです。
お昼間に 久しぶりに国立能楽堂の図書閲覧室で舞台の映像を視聴してきました。個人ブースでみることができます。好きな番組を途中でとめて同じ場所を何回も鑑賞することもできます。利用料は、30分50円。ありがたい。

おさるが激しくススメてくれた一冊。偶然、本屋で表紙にひかれて買っていました。 原田 マハのキネマの神様 (文春文庫)を読みました。これも、夏の頃のこと。また読み直してみる。
シビレました。
物事が流れるタイミングっていうのがあると思う。なんだかうまいこといっちゃう時もあれば、何もかも悪い方向にしか向かわなくなってしまう事も。
この本の最初、主人公の歩は、突然会社を辞める。自分で道を切り替えるという前向きさ。でも人生そうはいかない。父は、多額の借金を背負うことになれてしまっているから。 八方塞がり感とか、いろんなものに押しつぶされそうになる。 年をとると、どうして人の意見に耳を貸すことができなくなるのか。もういやになる。
そんな父が、勝手に歩の文章を投稿した縁で映画雑誌「映友」の編集部にひろわれる。「縁」がある。いいことにも、悪いことにも。とにかく必死にがむしゃらにがんばる。がんばる人には必ず神様がいてくれといいのだけれど、現実はそううまくはいかない。苦いものを含めて、「神様」に救われる。ここでは、“映画の神様”。なにもかもうまくいくわけではないところがいい。それでも信じることができるのは、“映画の神様”のおかげ。 号泣。 もう、とにかくいい。 大絶賛。
おせっかいでも、これを読みたまえと人に勧めたくなる。いや、この本で救いたくなる。そんな一冊。

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2011年12月 7日 (水)

『恋文の技術』

今日は、日生劇場12月歌舞伎の初日。あぁ、観たいなぁ。 公演は、わたくしの誕生日に始まり キリストの誕生日に終わります。比べてみると大物気分になれます」。

森見登美彦の『恋文の技術』(ポプラ文庫)を読む。夏のころ読んでそのままにしていました。もう一回読んでみる。恋文の技術というタイトルがすばらしい。
一言で言うと、「いとおしき ぐだぐだ」。
京都の大学院から、遠く離れた実験所に飛ばされた一人の男。飛ばされたといって研究の機会を与えられたように思う。仲間達と離れ 淋しい時に人は何をするのか。そうだ、文通だ! すばらしい発想。
無聊を慰めるべく文通修業する。仲間への手紙は、恋の相談に乗ることとなっていく。 自分の想う人に何も届けられないのに人に指南する。これは、自分の想いがまわりまわっている気もする。が、とにかく恋文の師範となる。 妹には説教を垂れ、友人に相談の返事を書き、もちろん本分である研究もする。皆が集う様を想像し、淋しがったりと大忙しだ。1対1の文通なのに、ちゃんと人々の輪に繋がってからんでいくのがみごと。
手紙っていい、断然。

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2011年12月 5日 (月)

『雨を見たか ~髪結い伊三次捕物余話~』

引き続き、髪結い伊三次もの7冊目 宇江佐真理の『雨を見たか ~髪結い伊三次捕物余話~』(文春文庫)を読む。
6冊目に続き、不破友之進の息子・龍之介たちの出番が多い。1読者としては主人公は伊三次でがいい。伊三次中心に。 親となった伊三次が、自分の仕える主人の息子と係わる部分がほろ苦くていいのだけど。
正義感に燃え、悪事を許すまじと意気込む見習い同心達の前に、現実はあまりにも厳しい。 子を売って糧を得なければならない者たちが普通にいる時代。家を守るために、子をなした妻でも病にかかれば身をひいてもらおうとする。そんなにまでして守る家系という考えが今では薄くなっている。妙齢の女性への風あたりの強さ。芸を持ち、客扱いがたけた芸者でも、年増扱いされるお文。女は家に入るもの。平等や同権なんて、考えられない世界で 顔をあげている女達。 続けて読んでみて、時代が違うなぁと強く思った。 自由になったけど、それで失った大事なものもあるなぁ。無理にでも、家を作り、身をよせあい守ってきたもの。この時代の人があんなにも犠牲にしてきたものはどこにいっちゃったのでしょう。
見習いになり、多少なりとも家に扶持を入れることができ少々誇らしげな龍之進がかわいい。背は父を越えそうでも父の存在はどんどん大きくなる。世間に出た青年の青くさい奮闘がいい。時代のほろ苦さは全体に色こくなる。伊三次は自分の家を持ち、子も弟子もいる。1,2冊目のように自分のふがいなさにめげずにがんばるよさ と違い 自分が救えない者達への生き場のない気持ち。そういうものに向き合っていく重さを、日々のちょっとした幸せが跳ね飛ばす。宇江佐真理の力で、いい塩梅の いい話になる。 この本も、よかったなぁ。

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2011年12月 4日 (日)

人形浄瑠璃文楽ワークショップと鑑賞会2011

先月、池上実相寺に「人形浄瑠璃文楽 ワークショップと鑑賞会2011」というのに行ってきました。今年で第9回だそうです。上品そうな方々が沢山いらhしていました。ギリギリに会場に飛び込み、所在なげにあいている座布団に座りました。お尻が大層いたくなりましたが、もしすごく楽しかった2時間20分でした。
竹本津駒大夫さんの義太夫のお話。鶴澤燕三さんの三味線のお話。桐竹勘十郎さんの人形のお話。最後に一場面を実演。という構成。
お話は、個性的。普段あまりない展開ですすむ。器用ではない。華やかでもない。 やや冒頓とした感じ。身体の中につまった技を、ちょろちょろっとづつ出して説明してくれる。どんどん乗ってきた感じは、失礼ながらキュートである。 声を出したり音を出したりしてくれると ドーンと身体に響くすごい「本物」っていうのをみせてもらえる。 拍手をするのも忘れて聞き惚れる。 なんだか驚いちゃった。 ちょっと皮肉っぽかったり、クールだったりするのも素敵。 言葉使いもいい。 大変な修行をしてきた話にも驚く。 コツコツコツコツ積み重ねて芸を磨くってこれか。すごい。
調子がいい人がいない世界なのかなぁ。こんなにウソっぽさがない世界は、生活しているところにはない。だから、古典芸能が好きなのかもしれない。
驚いたり、いろいろ考えたり、脳を沢山つかった感じがしました。

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2011年12月 3日 (土)

『あやつられ文楽鑑賞』

先日 三浦しをん大先生の『あやつられ文楽鑑賞』(双葉文庫) を読んだ。読むのがもったいないなぁと本棚に寝かせていたもの。文楽ワークショップに行く前に、いまだ!と思い読む。むふふ。大層面白い読み物でした。
大の贔屓の桐竹勘十郎も登場。それよりも、燕三さんの人柄に興味を持った。この方はワークショップにお名前があったはず。注目してこようと強く思う。(ワークショップを経て、気になる方となる。) いかにして「文楽」という このとんでもない芸能にはまっていったかの記録というビジョンでの鑑賞本。 この轍が大層友白い。 わかるわぁと身もだえつつ読む。
わからないなりに面白い。 そこから本を読んだり 関連した歌舞伎とか落語とかに携わる。 なぜ、こうなると驚愕したり、共に泣いたり、怒ったり、それでも目が離せなくなったり。ものすごく、よくわかる。
そして、素人とプロの物書きの差を出す。 とにかく面白い。あらすじがわかるにつれ この面白さを伝えたいと身もだえする想いにかられる。が、面白く伝わらない。 そしてこの本は面白い。 私と感じ方が違うところに、おどろきつつ感心。同じところも、言い方がうまい。そりゃプロだけど。 そして、プロでも伝わらない人も多い。それが好みとよばれるものであろう。近松の油地獄の解説では、その表現方法に ザワーっと鳥肌が立つ一節があった。
作品解説も面白いし、自己解説も面白い。 どうして心中ものに惹かれず 殺人に心ときめかすのかとか。 論文の観点のようだなぁと感心する点も沢山あり、さらっと読めるのと裏腹に、ギューっとつまった濃厚さもいい。
一般の我々と違うのは、技芸員に突撃インタビューを敢行のところ。「うらやましい」という気持ではなく 「しをん先生、潜入捜査お願いします」という弟子気分になった。 あこがれるけど、直接質問となると ものすごくいいことを言いたくなる見栄っ張りな自分がいる。(当然名質問なんて思いつけない) あー楽屋ってどうなっているのであろうと、とても気になる。友人について一緒にお邪魔するっていう具合が一番いい。文楽じゃないけど体験しました。ちゃんとしている友で、わーきゃーと心の中で叫んでいるのがシアワセ。凡人である。
好きなものを沢山みる。そして勉強する。これは、私にぴったりの道楽。 歌舞伎もあるし、狂言もある。もうおなかいっぱい。でも、文楽もすこぶる面白いのである。わたくしもすでにあやつられです。

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2011年12月 1日 (木)

能と狂言 和楽の世界

先月、日経ホールで 能と狂言 を並べて鑑賞するという会にいってきました。大手町に新しいホールができていました。室町コレドにもあるもののような会議ホールという感じ。ホールってそんなに沢山 必要なのでしょうか。
梅若玄祥さんの舞囃子「景清」。そして、万作師の小舞「景清 後」。並べることによって内容の比較よりも、気迫合戦というものに感銘を受ける。戦うということではなく、高めあう。空気がピリっとしました。 梅若玄祥さんの景清は、動かないところに気迫があり、万作師の景清は、動くが美しかった。ひとつひとつの動作に意味があるってこういうことかと驚く。しびれるほど格好よかった。
能楽素囃子後 休憩。まずは、半能「頼政」。ここの能舞台は、柱が根元にわずかにあるだけの仕様。目付柱がなくてどこを目印にするのであろうかといらぬ心配をする。プロだけどね。 頼政をよーく予習してから鑑賞。けれども戦の有様を語るところは、曲の見どころの部分を、しっかりと味わうまでの理解力がなかった。いつか身につく日がくるといいのだが。それでも、筋を踏まえてみると違ってみえる。予習してみるととても興味深いのに 頭の中の起伏と目の前に展開する舞台の重厚さに差がでてしまった。沢山みて養うものでしょう。
最後は、狂言「通円」。さきほどの頼政を、通円をいう茶屋坊主にたとえる。頼政が三百余騎を前に少しもためらわず討ちいりて浮きぬ沈みぬ渡しけりという戦の場面。 通円の茶を求める人が三百人押し寄せる。 茶を飲まんと群れいる旅人に、ちゃっちゃっと、うち入れて浮きぬ沈みぬ点てかけたり。三百人の客を相手に 1人残さず茶をたてまくり、ついに、点て死にしてしまう。茶杓を手に点てまくる。おこられないのかなぁとちょっと心配になるようなナンセンスな展開。 おおまじめに、きちんと型でみせる。
重厚な会でした。

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