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2011年12月15日 (木)

法然と親鸞

先月、東京国立博物館にて 特別展「法然と親鸞 ゆかりの名宝」をみてきました。いやぁ、面白かった!私には新しい紹介方法にみえました。 すこぶる新鮮でした。この効果は、日曜美術館のおかげかもしれません。小学生のころ、伝記をよく読んでいました。あの感じ!法然と聖人の伝記を読んでいるようなワクワク感がありました。
熊谷直実自筆の書状にもワクワク。全然読めませんが、直筆ってところに浮かれました。ミーハーです。熊谷陣屋のあの方でしょ。「十六年は 一昔、夢だ夢だ」とつぶやく。関係ないけど。
歎異抄「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」。いわんや悪人をやって、これだったのか。無知なりにワクワクする。少しづつわかればよいのですよ。何か、ひっかかりがあると面白い。
伝記絵にみる生涯。「法然上人行状絵図」や「親鸞聖人絵伝」など、2人の生涯が色鮮やかに描かれている。わかりやすい。日曜美術館で生涯を踏まえた上でみているからだけど。仕える者達の衣服や、買われている犬の野性味(まちがっても家の中で飼われているものでなく)、僧侶の衣や、裸に直接 鎧を着ているのではという戦支度ぶりなど 細かく面白い。
臨終をむかえたときに、極楽に住むという仏・阿弥陀如来が25人の菩薩とともに息を引き取ろうとしている人を迎えにくる場(来迎図)。阿弥陀と人が 金の光の筋で結ばれている図はキリスト教の受胎告知のようでした。仏画もこんなに面白いのかと思う。
保元・平治の乱などの戦乱や地震などの天変地異が続く平安末期。冨も権力もない民衆をも救うためにはと考える法然。「念仏をとなえれば誰もが救われる」という方法を、教本を片っ端から読み倒すことでみつける。その情熱にびっくりする。ある日お告げを受けて悟りを開いたのではない。自分の悟りのためでなく、みんなを救うために、その答えを先人の書き遺した教本から探すとは。地道で気の遠くなる方法。けれども、絶対にあると信じる力。すごい。ただ念仏して善人なおもて往生をとぐ。この人が、浄土宗の宗祖となるのか。
そんなすごすぎる法然の魂を受け継いだ親鸞。ダメなところがあると認め、妻帯もみとめ、肉食も厭わなかった。食べていい肉の種類が書かれたものが面白かった。たとえ地獄におちようとも、その教えを信じて念仏をすると決める。弾圧を受け、流罪となる。それでもあきらめない。弟子一人ももたず、何かのために念仏を唱えるのでなく、ただ念仏のみぞまことである。 この人が、浄土真宗の宗祖となる。
このすごさが、よくわかって面白かった。教えまで理解できていないが、根性を感じた。
個人的にうれしい発見が2つありました。
その①。 浄光明寺蔵の阿弥陀三尊坐像(重要文化財)との再会。
以前(2000年)、日本美術史の授業で訪れた鎌倉あたりの寺で、とても気になった仏像があった。型抜きした土を彫像に貼り付け(土紋)ている。大きな三尊像。中国から関東に入ってきた技法で、そこから関西等に広まることがなかったため(流行らなかった?)、関東でしかみることのできないスタイル(だったはず。) そのお寺が、どこだかわからなくなってしまっていました。これだ!これです!これでした! こんなに大きかったであろうか。蓮座も、アーティチョーク座のようにゴージャスにみえます。とても大きいにの衣のひだは、繊細。 そう、この像をもう一度みたかった。再会。ああ、ありがたや。
その②。二河白道図との出会い 。
二河白道は中国唐時代の浄土教家・善導が説いたたとえ話。図の上部に「極楽浄土」。下部に「現世」。清浄な信心を「細く白い道」にたとえる。現世と極楽浄土をつなぐのは、その細く白い線。線(道)の横には、火の河(憎しみ)と水の河(貪り)などの煩悩が横たわる。その道を一心に渡る(念仏する)ことで極楽へいくことができるそうです。この図にはっとする。現世には、虎とか獣もうようよ。極楽への道はこの細い白い道を、一人でまっすぐ歩いていかなくてはならない。でも歩いていけばたどりつく。 すごい!もう、落ち着いていられないような衝撃がありました。すぐ落ち着いたけど、もうはっとしました。そうか!と。法然の教えを、親鸞が伝え、鎌倉時代以降に絵画化された。それが、二河白道。最古のものが光明寺本だそうです。私がみたのは、香雪美術館の「二河白道図 」(重文)と、清凉寺 の「二河白道図」。
最後、閉館まぎわに もう一度展示場所にもどってみてみました。展示室の最初のところなどで、もう誰もいませんでした。 入口をみると床に白い線が。あっ!この白い道を再現していたとは。混雑した会場では埋もれてしまうのは仕方がないがもったいない。あの道を通って、わたくしも極楽へ行くべし。小学生の時に白い線だけを通って家まで帰るというくだらなく真剣な遊びを思い出す。
この展覧会は、小学生のときに面白がった様な気分で楽しめました。何がそんなに 通常の平成館の展示と違うのだろう。 
法然と親鸞 展覧会が同時に1つのところで行われるのは初めてのことだそうです。こんなにも2人の関係を重点的に見た後では、その事のほうが不思議な気がします。
この特別展は、法然没後800回忌、親鸞没後750回忌を機に開催されたそうです。そういえば 増上寺の「三解脱門」公開も、法然上人八百年御忌を記念したものでした。あの山門も、すばらしかった。ありがとうございました。

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