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2012年3月24日 (土)

一谷嫩軍記 ~流しの枝・熊谷陣屋~

国立劇場ではいろんな工夫をしています。その工夫が昭和っぽくてなんだかいい。切符を購入し観劇日・座席番号を添えて前もって応募しておくと、サイン入り舞台写真があたりますとか。あれ、どうなったのでしょう。当選だったら、そっと席においてあるとか・・・ 熊谷市特産物祭も開催していました。熊谷うどんとか。直実トートバックは、あとちょっとで買うところでした。絶対にほかでは売っていなさそう。トートバックに熊谷直実?!
團さまは、白血病を克服し『歌舞伎十八番之内 象引』で舞台復帰されました。その復帰した舞台に“白血病とたたかうみなさん”をお招きしていました。今回もあるそうです。舞台で熊谷直実を演じている姿をみせるというのは、元気になるだけでなく強くなれそうでいい。

さて、本題。『一谷嫩軍記』の通し上演です。国立劇場開場45周年記念の一環。これをみたら熊谷陣屋がより味わえるようになるであろうと楽しみにでかける。めずらしくイヤホンガイドも借りてみました。やるき満々で観劇に向かいました。
平家のことは、チンプンカンプンなので(源氏」に詳しいわけでもないけど)、大河ドラマで勉強中。興味を持って鑑賞。
團さまも、三津五郎さんも2役つづ。見ごたえがありました。團さまの薩摩守忠度は、案外若い青年にみえ驚く。イヤホンガイド鈴木多美さんから「年配の方々が、キセル乗車を忠度(ただのり)とかけ、薩摩守(さつまのもり)と言ったりします」と教わりました。薩摩守なんて言っているの聞いたことがないけど、ちょと使ってみたい日本語。説明してもキョトンとされるだろうけど。
2幕・兎原里林住家の場までは、イヤホンガイドにふーんとうなずきながら聞く。でもなんどもみて筋がしっかり頭にはいっている熊谷陣屋をみるには向かないかなと思った。気持ちが集中しにくい。めったにかからない流しの枝の場というのもなかなか面白い。忠度が武将として、歌人として、きりっと魅せる。受ける岡部六弥太忠澄は人物が大きく情が厚く品がある。   序幕の堀川御所の場で、熊谷陣屋の制札がでてきた。なるほど、これが後々にきいてくるか。ひとつの演目というのは、しっかりとした筋立ての上になりたつのだなあと感心した。こうやって、しっかりと通し狂言をする劇場があるという国立劇場の意義がよくわかった。
最後に、3幕・生田森熊谷陣屋の場。魁春さんの相模と東蔵さんの藤の方は、位があってやりとりがすばらしかった。軍次に巳之助君。重鎮の中なのに若さをいかし、しっかりと場になじんでいた。台詞もなじんでいた。うまくなったなぁ。首実験の場は、小山観翁さんが義太夫にかさねて義太夫の解説をするのは効果的なのかどうかとか考えて、ちょっと気が抜けてしまった。私自身の問題だけど。最後、出家姿の直実が花道七三で呼び止められる。ちょうど花外にいる私のところ。直実が振り返り見る景色は私の視線と同じ。義経が小次郎の首を差し出し見送る。妻・相模の見送る顔、藤の方の手を合わせるような顔、その顔に見送られ、直実同様、胸が苦しくなる。最後の「十六年は一昔、夢だ、夢だ」と嘆く言葉。何度みてもここはピンとこなかった。でも今日はじめて胸にせまるものがあった。世の無常を嘆くという本質まではわかっていないかもしれないが、なんとなくわかる気がした。
前列に、ずっと隣の妻に説明し続けるご主人がいました。年配の組み合わせなので少々声が大きい。が、まぁほほえましい気持ちでいました。だが、團さまが大切な台詞「十六年は一昔」を言うちょっと前に「十六年、十六年っていうところ」と言ったのには辟易とした。4時間半みてきた芝居の最高潮のところ、目の前の團さまの台詞でききたい。素人のじゃなく。そして、夢だも、もちろん言ってました・・・ そんな障害があっても、涙がじんわりと出てきた。團さま、すばらしい。大薩摩は巳太郎さん。三味線の音も決まっていました。みなに背を向け、この場を立ち去る男の後をずっと見送りました。見ごたえがあり面白かった。時には、派手なものじゃなく重厚な路線のものを、どっしりと観るのもいい。

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2012年3月23日 (金)

『武士道シックスティーン』『武士道セブンティーン』

誉田哲也の『武士道シックスティーン』『武士道セブンティーン』(文春文庫)を読む。『武士道エイティーン』を買ったので、その前の2冊を再読。
中高生の気持ちなど、もうわからないと思ったけれど、共感できた。3年毎に学校が変わり、その中でクラスも変わる。クラスでの位置とか部活での立場とか、その都度新しく確立していたのだなあ、あの頃の自分。大変だったなあ。ぼんやりとしていたけど、それなりに大変だっただろうなあ。部活も強くなりたいとかなくて、参加していることが好きだった。覇気がないっていえばそれまでだけど、ただ練習する中に何か楽しさがあった。みんなで。働きはじめてから、仕事の内容は変わっても、ずっと同じ会社の同じ部署にいる。もうわりと長いこと環境の変化がない。変化とか一からはじめることに、おっくうで かつ臆病だ。 転校したり、その上スポーツ推薦での入学は、期待された強さを保持しなければならない。あぁ大変。ジャイアンツの金で集められたと揶揄されるプロ野球選手もさぞ辛かろう。
それでも、悩んで相談して自分で答えを出す。相手の思っていることを勝手に想像して悩むのは一生続くのだなぁ。こういう「人としての道」のような意義を悩むことをしているかなぁ、今。緑子姉さんや、香織のお兄ちゃんの言うことにほほうとうなる。高校生って真剣に生きてる。爽快になった。

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2012年3月22日 (木)

『生きるコント2』

大宮エリーの『生きるコント2』(文春文庫)がでました。読みました。エリーすごい。ぐちゃぐちゃ悩む。そしてものすごく行動する女。かっこいい。前作に引き続きエリーに首ったけです。

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2012年3月20日 (火)

『神田堀八つ下がり~河岸の夕映え~』

宇江佐真理の『神田堀八つ下がり~河岸の夕映え~』(文春文庫)を読む。『おちゃっぴい』の後日談もあって、この本もいい心持になる本でした。苦労も多いけど自分のせいいっぱいで生きていく。
十七のおちえ。大店暮らしのお嬢さんが火事で焼け出され、御廐河岸に越してくる。大川の流れをみつめ切なくなることもあるけれど、少女が大人になろうとしている期間にある しょうがないですませられない どうしていいかよくわからない じれったい感じがよかった。誰かとつるんで反抗するのでなく、一人ですねたり、ちゃんと考えたりする。川は、いろんな悩みと寄り添ってくれるよという六つの河岸を舞台にした物語でした。
『おちゃっぴい』のあの甘ったれた根性の若旦那が、しっかりと店を考えていたり、しぶしぶ女房にしたはずのあの娘さんとちゃんとした絆が結ばれているのを感じたりするのをみると年寄り気分でよかったのうと目を細めてしまう。人の暮らしに差があるのはあたりまえ。差があることを羨んだり恨んだりひがんだりするのでなく、今自分ができるせいいっぱいができるかどうかが大切とちゃんと気がつく。そうそう、そうなのになぁ。今の暮らしは便利なはずなのになぜこれができないのかなぁ

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2012年3月19日 (月)

『海の底』

少し前になりましたが、有川浩『海の底』(角川文庫)を読みました。自衛隊三部作 3作目。
「空」も「塩」も大変だったけど、「海」もまた、どエライことになっていました。海から巨大な伊勢海老みたいなのがわしわしと陸にあがってくる。人は襲われ喰われてしまう。弱肉強食の世界とか言うけど、弱者になったときに本当に喰われてしまうとは。弱って生きにくいとかでなく喰われて生きていけないことであった。
人類の危機的状況にもかかわらず、うちのメンツが丸つぶれになるだのなんだのというようなくだらない権力争いがある。警察と自衛隊。こんな危機的状況でも 規則を守る。
この本の中では警察と自衛隊が、お互いのメンツを守るという建前を理解し、落とし所をみつけ 平和のためには人に理解されない犠牲を負うことができる立派な人間がちゃんといる。ああ、よかった。
海から、巨大な海老がわさわさと這い上がってくる。海老を悪いとは言いたくないが、巨大な海老は人を餌にする。桜祭りであつまっていた横須賀の基地は逃げまどう人々でパニックを起こす。得体のしれない、自分もみたことのない恐ろしいものと闘おうとする人がいる。たまたま救助した見ず知らずの子供達を守る。正義感を、どうしてこんなにも保てるのであろう。安全な所に居る人間は、弱く何もできないくせに、警察や自衛隊に そのためにおまえらはいるのだろう、何とかしろという人がいる。おぞましい。 要求ばかりする。自分の権利を主張し、相手にばかり求める。 それでも、正義を貫く人たちはめげない。負けない。 生きるか死ぬかという時には税金で喰っているも何もないだろうに。 今の政府にどうにかしろという図式にも少し似ていると思う。 文句なんか誰でも言える。やってもやっても終わらないほどやるべき事がある時、歯を食いしばってがんばる人に、何をやっているんだ 自分を助けろとえばる。 それでも助ける。
ひねくれた図式は、大人だけでない。子供の狭い狭い世界の、ひねくれた図式。ひんまがった自分に気がついた子供が、今できるなりの責任を取ろうとした。強いなぁ。
とにかく人のせいにしない。「だって」って頭につけない。いさぎよさが大切だ。
骨太の本。自衛隊三部作 3作目は読み応えがあったが少々くたびれた。次は、少しお気楽なほっこりするものを読もう。

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2012年3月18日 (日)

三月大歌舞伎 夜の部

夜の部の「唐相撲」が気になった。これは狂言の演目だから。舞台上には、官人がどっさり。その後ろにはずらっと長唄連中。上手には、竹本が3人づつと豪華。唐の皇帝に召し抱えられている日本の相撲取りに菊五郎さん。残りはみんな唐人だから、役柄は日本人。皇帝に左團次さん。タモリっぽいめちゃくちゃな中国語を話す。狂言では万作師が適当そうな言葉を話す。それには驚いてしまうけど、左團次さんならいいそうだなと思う。皇后に梅枝くん。すごいわ。皇帝だって手玉に取れそうな美しさ。日本人が唐の人達を片っ端からやりこめる。最後に皇帝をまで。 上演を重ねると、練られてすっきりした歌舞伎向きに舞台になるのかも。再演を繰り返すってことの意味がよーくわかった。(狂言の世界では、しっくりくる。)  派手なのだけど、たまにでいいかな。
最後に「小さん金五郎」初めてみる演目。最近、初めてが少ないのでうれしい。上方の芝居を、なぜ演舞場でするのでしょう。しかも本物の上方者は秀太郎さんだけなのに。 ちょっとしっくりこない感じも可愛らしく面白かった。木津屋六三郎という若旦那が家宝の茶入れを質に入れて勘当される。若旦那に松江さん。勘当されたからって太鼓持ちになってる?!芸妓お糸といい仲に。梅枝くん。色っぽい。お座敷で人気が出そう。そこへ許嫁の大店のお嬢さんが登場。右近ちゃん。おお!天才右近ちゃんとめくら滅法うまい梅枝くん。私の中の若手界の星が揃って松江さんをとりあっている!うまい!この絶妙な配役に心の中できゃあきゃあ言う。
主役は金五郎の梅玉さん。仲裁上手。説得力があるっていうより、気がつくと言いくるめられている。 金さんに惚れているのはお鶴の、秀太郎さん。なんとこの2人髪結だったということを帰りの電車の中のチラシで気がついた。金さん、金さんってまとわりつくけど、うまくいかない。 そこへ芸妓の小さん 時蔵さんが。粋だねぇ。梅枝くんにかけている唯一のものは粋さ加減かも(でも若い芸者にはそんなにいらないかも)。 なんだかわからないけどポンっと五十両出させて 金さんにポンって渡していました。それを松江さんにポン。 あっちとこっちがくっついて、あれれ?こっちもくっっついて。 ちいさいことにこだわらない歌舞伎マジックが華ひらく。理屈なんてどうでもよく思えて楽しかった。
あれ?今月の演舞場夜の部はあんまり心が踊らなかったなぁとトボトボ帰ったのに、思い返してみると面白かったのかも。

於;新橋演舞場
「唐相撲」 
日本人:菊五郎、皇帝:左團次、皇后:梅枝、通辞:團蔵、通辞夫人:萬次郎、官人:亀三郎、亀寿、松也、萬太郎
「小さん金五郎」 
金屋橋の金五郎:梅玉、女髪結お鶴:秀太郎、広瀬屋新十郎:團蔵、芸妓額の小さん:時蔵、芸妓大村屋お糸:梅枝、太鼓持六ツ八実は木津屋六三郎:松江、千草屋娘お崎:右近、千草屋女房お縫:歌江、奈良屋権左衛門:錦吾

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三月大歌舞伎 夜の部 佐倉義民伝

先日、演舞場夜の部をみてきました。佐倉義民伝。以前も幸四郎さんでみたような記憶が。あの時は泣けた。今月は哀しくならなかった。宗吾が立派で実直な人であるということ。家族もまた清く美しい心を持っているっていうことはよくわかった。
序幕 印旛沼渡し小屋の場から。渡し守甚兵衛は左團次さん。身体の大きな渡し守だが、苦労していそうでした。宗吾を旦那様と心から敬っているのが伝わる。「だんなさまー」と言っていました。以前みた段四郎さんが「だんなしゃま~だんなしゃま~」と切なげに言う声が強く耳に残っています。ここはだんなしゃまっていう台詞なのかと思っていました。普通ここからはじまるものなのだろうか。宗吾のためにと鎖を斬る、命を投げだす行為に至るという気持ちになるには唐突な感じがした。宗吾の帰りを待つ家。下総佐倉の名主である宗吾宅では、妻 おさんがけなげに近隣のものを慰める。こういう抑えた良妻賢母のときの福助さんは本当にいい。所作もきれいだし。 宗吾長男彦七に金太郎くん。小さいながら健気。なんて立派な子なのでしょう。下の2人のご褒美をあげたくなるほどよい子供達。真っ正直に生きている父・宗吾像がよくわかる場でした。梅玉さんは、ちょっとでてきただけでワルさがでていました。
二幕目 東叡山直訴の場。家綱の染五郎さんが、将軍然として大きくてよかった。桜満開の中、渡り廊下が太鼓橋のようになっていて、家綱を中心としてずらっと大名が並ぶ。亀三郎・亀寿兄弟の安定感の横に萬太郎くん、廣太郎くん、廣松くん。太鼓橋の傾斜と前の人の長袴を踏まないようにという緊張感がみてとれて可笑しかった。がんばれ!こうやって並ぶと松也くんももう立派です。
コクーン歌舞伎でみたドロドロとしたあの佐倉義民伝が、いまだにべったりと心にはりついているからでしょうか。清貧の美しさはよくわかるが、ジーンとしなかった。下総佐倉の家を出るときに直訴するということがよくわからなかった気がする。ややもったいない。 コクーン歌舞伎のラストで、宗吾自身のみならず、家族もはりつけになる。念仏を唱える長男に対し、死んでも成仏するな 魂拍となってこの地にとどまり農民を守れって叫んだ宗吾。あの壮絶さが頭に焼きついているので、形式的な綺麗さに違和感があった。 とても印象強く心に残っている舞台というのは、いい。 でもあまり強烈なものも今後に差しさわりが出るなと困った。

於;新橋演舞場
「東山桜荘子 佐倉義民伝 ~宗吾霊三百六十年~  (序幕 印旛沼渡し小屋の場より、二幕目 東叡山直訴の場まで)」
木内宗吾:幸四郎、おさん:福助、宗吾長男彦七:金太郎、渡し守甚兵衛:左團次、幻の長吉:梅玉、徳川家綱:染五郎、大名:彦三郎、友右衛門、権十郎、亀三郎、亀寿、松也、宗之助、萬太郎、廣太郎、廣松

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2012年3月17日 (土)

「フェルメール 光の王国展」

フェルメール全37点のリ・クリエイト作品を一堂に展示したというフェルメールセンターに行ってきました。福岡伸一 監修『フェルメール 光の王国展』です。
「re-create」(リ・クリエイト)とは、通常の複製画と異なり、現存している本物の絵をそのまま複製するのではなく、フェルメールが描いた直後の絵の色合いを復元することを目標として再現した複製画dそうです。
本物のフェルメールをみたときに感じた光の感じが違う。 以前、上野でみたのきに本当に光があたっているようで、ああ作品がやけると思ってしまった。そういう感じを受けませんでした。正確に再現をすることが可能になっても、作品のかもし出す雰囲気というものは再現できないということがわかった。本物のすごさを感じる。図録の中に入って、じっくり眺める感じがして、それはそれで面白かった。全37点が一同にかいすると作品のサイズなどもよくわかりました。
会場の一角で、「フェルメールのアトリエ」を再現。記念写真をどうぞというコーナーがある。この体験コーナーは今までみた中で一番本格的なコーナー。フェルメールが描いた“あのアングル”で、記念写真をとうたったコーナーは、机や床や窓の再現だけでなく、窓から入る日差しや、立ち位置の指定、ここでカメラを構えるという目線の指定までされていました。なりきり心に火がつくすばらしい設定でした。
会期が長いのに、雨の日なのに、けっこう盛況で驚きました。福岡伸一さんは、以前 世田谷パブリックシアターで狂言の野村萬斎・文楽の桐竹勘十郎・ 生物学者の福岡伸一という取り合わせの MANSAI◎解体新書 で話を聞いたことがあります。文楽の変形的な実演の後、花粉症と身体の闘いについてという話をし始めたことが興味深かった。本を読んでみようかしら。

福岡伸一監修「フェルメール 光の王国展」
於:フェルメール・センター銀座

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2012年3月16日 (金)

APA AWARD 2012/全国学校図工・美術写真公募展

東京都写真美術館にて、『APA AWARD 2012』をみてきました。社団法人日本広告写真家協会(APA)が主催している公募展。
「写真作品」部門は、広告写真家への『登竜門』という役割を担っているそうです。「人の心を動かす」というテーマで公募した作品。
「広告作品」部門は、昨年1年間に広告として世の中に流通した広告作品。東日本大震災のあったこの1年。広告している場合ではないこんな時。でもこんな時だからこそという想いがあったような気がする。広告部門では、2012年度だけ特別に、応募料を無料・賞金を出さないということにした。それでも通年より3割多い応募があったそうです。それを読んで、自分でできることをそれぞれが探す1年だったのだなと思った。
入選作品は美しかった。とらや 夏の贈り物 という羊羹の写真は、かわいらしく、美しく、清々しく、おいしそうだった。アート作品としての写真と広告写真の違いを感じた。そこに文字が入る。 「とらや 夏の贈り物」。 奇をてらって人目をひくのではなく、本物のすばらしさをすっと出されたようで気分がよかった。フォトグラファーは小山雄司郎さん。
「人の心を動かす」というテーマの「写真作品」の数々。東北からの写真に力強いメッセージを感じた。実際に行って、東北の地を自分でみてみたいと思った。
見応えがある作品でした。 写真には力がある。

併設展として「第三回全国学校図工・美術写真公募展」がありました。ふーんなんて軽い気持ちでみてまわったら、これが面白いのなんの。小・中学生が応募した写真。今、実践授業「図工・美術授業にカメラ」というのがあるそうです。デジタルカメラの使い方を説明し、図工・美術で作った作品(虫とか塔とか人とか)を、自分で置くべく場所(教室やグランドなど)を決め、光などを考えて撮る。 芸術的にしようとしない。素直さが妬ける程うらやましい。面白い。そして、視点がいい。小学生や中学生が、全部自分で考える。本当に?と驚くほどいい。一言コメントの字や表現が幼くて、なるほど本当に自分で考えたのかと納得。 高いところにのぼってしまった変テコな虫。明後日降りることにしたらしい。ビビって口をあけているいるところなんて書かれると、想像力が膨らむ。 手術に向う医師の後ろ姿、いざって感じがよく出ている。 日陰を探し、サンダルに潜り込もうとしている虫というのもある。 どれもこれも、すごく面白かった。こんな授業があるなんていいなぁ。いまだに教える方の立場でなく、授業を受ける立場で物を考えてしまうけど。いかした作品ばかりで、心がキラキラしました。

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2012年3月15日 (木)

追悼・中村雀右衛門丈

テレビで雀右衛門さんの追悼番組を見た。
私が歌舞伎にはなりだしたころ、観るもの観るもの主人公の女形といえば雀右衛門さんでした。揚巻も雪姫も八重垣姫も静御前も。吃又のおとく、大物浦の典侍の局、葛の葉も。 英執着獅子で獅子頭振った時には驚きました。
どうして姫といえば、このおばあさんばっかりなんだろうと失礼なことを思っていました。正確にはおばあさんではないけれどもね。
だんだん数を観ていくうちに、すこしづつ味わいがわかってきた。今思えば、最初からいいものをたっぷり観てきた。良さをちゃんと理解することはかなわなかったが、その姿はよく覚えている。この役はこういうものという風情を雀右衛門さんで覚えた。姫の似合う人だった。 小首をかしげた形がイメージ。 本朝廿四孝の八重垣姫や 野崎村の  のように周りに全て世話をしてもらうおっとりさと、情熱的を兼ね備えたかわいらしさがよかった。    のような 情の深さもよかった。 長い間第一線でずっとがんばってきてくださったおかげで、私も実際に観て目に焼き付けることができた。歌右衛門さんがどんなにすばらしかったという話をきくことができるし、映像をみることができる。けれども、自分の中に培うことができるのは、実際に自分で観た記憶からだ。
告別式の日は大雪でした。雪姫の舞台設定のようだと言わしめる、大きな歌舞伎役者でした。ご冥福をお祈りします。ありがとうございました。

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2012年3月11日 (日)

普通の一日

あの震災の日から1年もの日が経ちました。あの時に思った沢山のこと。普通の日があることってことが、どんなにいいことだったのかよくわかった。すぐに文句を言ったりもしちゃうけれど、いや待てよと思い返すことも少しできるようになった。伊坂幸太郎の『仙台ぐらし  叢書東北の声』を用意し、一日中家にいて 普通の一日を嚙締めました。

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2012年3月10日 (土)

やっとことっちゃ うんとこなー

「ザ道楽デー」
まずは、中村座へ。またまた襲名を祝う。海老蔵さんのやっとことっちゃ うんとこなーを花道側で観る。首をはねられちゃうかもと思った。でっけぇえ。花外だったので背中もたっぷりみました。背中をみていてもおかしい。権五郎ごしにみる舞台っていうのもいい眺め。時折、すごく長い睫毛がみえた。横顔がきれい。後見の新蔵さんが狭いスペースできっちり役割をこなしているところも見どころでした。スパイダーマンのようでした。
その後、学友の新居を見学させてもらう。真新しい。天井が高い。窓が大きい。寝床の上には天窓!一国一城の主だね。エライなぁ。ローンにおける銀行対応の手のひら返しという講義を拝聴。新しい何かを始めることができそうなところでした。
締めには この楽しい一日の思い出をつまみに、おさると祝杯。極楽極楽。でしたが泡の魔力に溺れる。シャンパンのバカ。たぶんバカなのは自分自身だけど。 やっとことっちゃ うんとこなー。

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2012年3月 9日 (金)

俳優祭 TV鑑賞会

切符を手にすることがかなわなかった俳優祭の様子をTV鑑賞。 なぜEテレ?教育テレビでいいじゃん。Eテレって何だか4chっぽい響き。いやいや、放映ありがとうございます。にっぽんの芸能ろいう番組にて。あれは、芸能花舞台のようなお堅い番組のままでよかったのではないであろうか。中途半端な感じ。でも、檀れい、かわいい。
さて、俳優祭。そうか、これが殺陣 田村なのか。細かいところも食い入るように見つめました。売店で、アナウンサーが邪魔(役者をひとりじめ)をしちゃいかんよ。 あの場にいないと、けっこうクールに落ち着いてみれました。 現地にいると舞い上がってとちくるっちゃうのだけどね。そんな魔術にかかった観客達をうらやましくみる。 こっちをみせて、もうちょっとそっちと思ったりしながらおおいに楽しみました。いいなぁ、みたかったなぁ。

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2012年3月 7日 (水)

平成中村座 勘九郎襲名初日 昼

120303_145359_cropひなまつりの日、浅草 平成中村座へ新勘九郎襲名披露公演に駆けつけました。初日は特別よねぇっと思っている歌舞伎好き・中村屋好きが大挙して平成中村座へ。満員の小屋は熱気でいっぱい。でも寒かった。
はじめて桜席に座りました。なるほど、これは変わった席です。舞台がよくみえなかったり、役者の声が通りにくかったり、花道が全然みえなかったりするのに・・・面白い。すこぶる楽しい。マイナス要因がちっとも気にならない。 お手洗いなんていっている暇はありません。静かに手際よく舞台を転換していく様や、念いりの上に念いりに舞台の上を掃き清める様、定位置につく長唄さんや義太夫さんの様子を、みせていただく。お行儀よくしていようという気持ちになる。 お客なのだけど、ちょっとだけ幕内気分で舞台が滞りなく進みますようになって想いながら(余計なお世話だが)みるというのが楽しい。この席に座ってみると義太夫に心が惹かれてならなくなる。
「暫」で、この小屋ならではの雰囲気に酔う。舞台いっぱいというより舞台からはみ出してしまっている。このスケールにワクワクする。我當さんの武衡は何があっても動じなさそうだった。声からして存在感がある。 男女蔵さんの成田五郎は頼りになるようなならないようなのどかさがあり、とにかく大きいというおおらかさがあり 以前の襲名の時よりも貫禄があっていいなと思う。
権五郎の海老蔵さんは声という面では大きさがでなかった。そこに居るという存在感の大きさは、よかった。桜席の私からは姿はおろか、たまーにお顔がちょっと見えるだけなのに、何やら「でっけえ」権五郎らしさがあった。何か考えがあってのことでしょうが声の大きさが出ないことがちょっと気になった。七之助さんの照葉は、美しく頼もしかった。照葉姉ねぇのおかげで一安心。そのかっこいい頼もしさは、真家みきのようでした。
暫は、襲名の幕あけにぴったりな派手で古風で気分のいい演目。どっしり構えた優雅な役者の後ろで、キビキビと無駄なく鋭く働く後見の動きも素敵でした。こっそり舞台をみつめ続ける勘三郎さんをこっそりみつめつづける。
「一條大蔵譚」。こんなにいいとは。ぐっとくました。つくり阿呆という設定はなかなか じっくりと見ることができない。何かひっかかってしまう。 けれども新勘九郎さんの大蔵卿の阿呆ぶりは愚かさが不幸そうでなかった 私はすごく好きでした。人の顔をじーっとみるところ。あそこも深くてよかった。 扇雀さんの常盤御前は 敵を惑わすにはまず味方からという覚悟がよくわかった。 ここでも七くんはかっこよくたのもしかった。 キリッといい女 七之助さんは、一日中大活躍でした。兄の襲名を支えるだけでなくひっぱっていました。一日中みていて、七くんの活躍ぶりも印象的でした。

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平成中村座 勘九郎襲名初日 夜

007_crop「傾城反魂香」は、いくつか手順の違うところがあって興味深かった。少し違うだけで随分異なって感じるものだ。昼の一條大蔵譚の時に、桜席からじっと義太夫をみつめていた。夜の部ではみつめるどころか、もう目が離せなくなった。夜の部に座った竹席は花道横のとびっきり端っこ。舞台下手部分がみえない位 端の方の席。けれども義太夫は真っ正面。特等席。義太夫越しに傾城反魂香を観たってほど、じっとみてしまった。 義太夫の三味線が合図をだすのか、役者に合わせるのか。ものすごい緊迫感のあるやりとりに魂が抜かれるかと思いました。なんという迫力でしょう。鳴門太夫と長一郎さんでした。穴があくほど観ました。
「御所五郎蔵」では、特設花道ができました。中村座にも設置できるのかとびっくり。途中から花道にあがる方式、その際、五郎蔵の脚のかけ方が惚れぼれする位決まっていた。かっこいい。あれは、ちょっと真似したくなるような格好よさ。 本花道からは海老蔵さんの土右衛門一味が登場。仮花からは五郎蔵一味が登場。ああ、私はどちらをみたらいいのでしょう。五郎蔵は粋でかっこいい。 けれども、男の意地の張り合いって本質的にどうしてもくだらないと思ってしまう。手切れの手紙を書かせる下りでいつも気分がだれてしまう。こんなに素敵な顔あわせなのに、この日もどうしてもここは乗れなかった。 同じ くだらなさでも女の見栄の張り合いの方が乗れる気がする。自分が女だからであろうか。 売られた喧嘩なんかどうでもいいじゃんとまで思う。 主のために命までもを投げだす忠義のようなものは、現実味がなくても泣けたりするのに不思議だ。むむむ?と思ったその後の場、殺しの立ち回りは理屈なくかっこよく惚れぼれしました。いつまでも決めていて。みていたいと思った。 勝手だ。
皐月の扇雀さんの我慢ぶりが綺麗だった。逢州さんの七之助さんのかっこいいこと。あの女ぶりにも惚れぼれした。 お主の大切な逢州さんとは知らず斬り殺す 五郎蔵という 軸のずれた世界が美しかった。 ここで爆発するために、ジリジリと(くだらない)意地の張り合いをするのかもしれない。 幕あけの登場のあの颯爽としたかっこよさ、斬ってしまう狂った美しさの間には、静が必要なのか。
幕あけの場、五郎蔵が颯爽とでてくる。あの胸の張り具合といい、所作の粋なことといい。際だっていました。 だが一方、比較される土右衛門も渋くかっこよかったのですよこれが。 海老蔵さんはかっこよさを大分抑えているのはわかったけど、なおかっこいい。 ちょっとバランスがね、悪いんじゃないかと思うけどかっこよかった。 終わりよければすべてよし。
009_crop「口上」。笑ったりジーンとしたり。大きな劇場にズラーっと並ぶ豪華なのも素晴らしいのですが、小屋いっぱいの人にやんややんやと祝われる様っていうのも味があってよかった。幕がひらくと笹野さんも列座していてびっくり。自由劇場時代からの贔屓なのでどんなに胸いっぱいであろうと思い、ジーンとする。みるからに緊張していらっしゃいました。笹野さんらしい言葉で伝えた思いにうるうるしました。淡路屋~。 挨拶が一周し、締めで勘三郎さんが皆さまに声援をいただきと改めて感謝。縁もゆかりもない笹野さんにまで祝ってもらいと続ける。あの愛のある言葉をきき、また鼻の奥がツーンとした。  我當さんの口上を2ヶ月続けて聞き、この方は心の優しい人なのだなぁとじわじわ思った。内容や、選ぶ言葉からより 話している姿とかそういうところから人柄を感じた。 進之助さんの口上は、脚を褒めるところから入り脚で人柄を表し締めていた。斬新。 海老蔵さんと仁左衛門さんが並んでいました。 眼福と思ったり、仁左衛門さんはもう怒っていないかなぁと心配したり。海老蔵さんは、新・勘九郎さんはまじめな方でとお話した後に、わたくしも見習って精進したいと言っただけで、あんなに客席を沸かせるとは。そういうところが好きだなぁ。

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2012年3月 4日 (日)

タバマ企画横浜ダブル公演(横浜赤レンガ倉庫1号館ホールでの「リリバーシブル」+象の鼻テラスでの「ワタシヲ サスラウ ウタ」)。田畑真希率いるタバマ企画が横浜ジャック。1日に2会場で2作品を上演。というのがありました。2公演間にパフォーマンスがあり、その部分だけを、をのぞき見してきました。主旨とか企画とか全くわからないまま、散歩中の人がふっとみかけたのでつい見ちゃったという感じで?! なんだかパワフルでした。 グリコを買わずにおまけだけもらっちゃった感じ。おおきに。 知らない世界をのぞいてみるというもの、面白い。

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2012年3月 1日 (木)

岡村桂三郎展

_crop岡村桂三郎展にいってきました。
久しぶりに展覧会の情報をみつけて大喜びでいってきました。コバヤシ画廊の階段をおりていくと・・・ドアの向こうにご本人のお姿が。びっくり。
会場には大きな作品が3点どーんとおいてある。 久しぶりにみる本物はすごい。 なんだかわからないものをじっとみる。 少しづつ形を現す何かをじっとみる。少し怖いような、不思議で、大げさで、深い。わけのわからないものを圧倒されながらみるのが、たまらなく楽しい。 かっこいい作品でした。 あの眼がたまらない。そしてちょっと怖い。
荘子の「逍遥遊篇」にでてくる架空の巨大な魚だということを教えていただきました。画廊の方にみせていただいた詩は難しいが不思議なイメージが沸いてくる。面白かった。 何だこれはとワクワクする。 じっと作品をみていたらイカロスの翼が頭に浮かんだ。が、詩をみせていただいてみてみると、落ちていくのではなく加速して飛び込んでいくのかなと感じた。ずっとみていたい不思議さが好き。
初めて、作品をみたのは、国立近代美術館での「モダン・パラダイス展」のとき。展の最後にあったあの作品に驚いた気持ちはよく覚えている。 なんだこれは。なんてかっこいい。そして作家が生きている!
今日は、岡村桂三郎さん御自身に少しお話していただきました。ドキドキしました。
いい日だ。 

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