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2012年4月24日 (火)

『だれもの人生の中でとても大切な1年―yoshimotobanana.com 2011―』

よしもとばななの『だれもの人生の中でとても大切な1年―yoshimotobanana.com 2011―』を読む。
プロの書く日記が大好きで、これも楽しみにしているシリーズ。 2011年3月11日という日が来た。 プロの物書きとして、どうするのだろう。整理ののつかない気持ちを、書くのであろうか。簡単な日常ではすまない、いろいろなものが詰まった時期である。本にするくらいの内容を、一日として書くのであろうか。 日本人誰もが、世界中の人も、どうしたらいいか途方にくれたあの時を。
1月からいつものように始まる日記。そして、3月になった。 びっくりした。家族は、親しい人はどうしているのか。自分はどうやって帰るのか。それに追われるだけだった。そういえば、そうだった。 なんとか家に帰りつき、状況がわかるにつれ、じっとしていられないような、普通でいることが申し訳ないような気持ちになった。すごく普通に書いてあって、善人ぶらずに。簡単に書けるかっていうこともあるのかもしれないけれど、すごく納得したし安心した。 その後、それぞれみんな落ち着いてきた。だれもの人生の中でとても大切な1年。すごくいいタイトルだ。あんなこんでもないことが起こって、それでも得たものがある。普通って素晴らしい。
よしもとばななさんは、「十年間は続けようと思って日記をはじめ、ここで終わります」とあった。この時を含む2011年が10年目だったのか。今年になって吉本 さんの訃報が届いた。この十年だったのだなと、わからないなりになんとなく思った。 だれもの人生の中でとても大切な1年―yoshimotobanana.com 2011―同じ時代を生き抜きましょう。そしていい一年をそれぞれの場所で創りましょう!という、大きなタイトル。終わってしまうことが残念という気持ちよりも、ああ、いい時期にいいものを読んだなと思った。HPやtwitter は紙じゃない、本じゃない。私は、それらを続けて読むことはないと思う。これで一区切り。作家は身を削ってかいているんだ、こんちくしょう的な根性が、凄くすきだった。何か犠牲にするくらいの人が、物を書いたりつくったりする。全員がそうである必要はない。 熱烈に人を愛し、好きすぎて相手からかえってくる温度が違ってあれって思うところ。人を好きすぎるなんていう感じは、なんだかすごくよくわかった。ほとんどは、全然わからない別世界だけど。人とかかわりの人数も違うし、家に動物もいない。別の世界は、いろいろ興味深かった。よしもとばなさんは、堂々としている。断言しているように聞こえるから 面白く思わない人、やっかむ人も多いのだろうと思う。イヤな事をする人は、自分で言ったことに自分で責任取る根性がありもしないのにね。 生きにくそうに闘う女の人だなと思う。そこも、いさぎよくて好きだった。 私はこの本に頼ったり、すがったりしてきたわけじゃないけど、この日記のシリーズはずっと楽しみだった。 この本にでてくる人も、なんだか好きだし、ちょっと他人でない感じがする。ここに出てくる言葉は、ときどきグサっと胸に突き刺さった。 その時の自分によって響く言葉は違うのだろうけど。 甘い自分に気がつかされた。 今回ドキっとしたくだりは、「もし私の人生が不自由だったら、それは私の心が不自由だからであって、だれのせいでもない」。ここだけとりだしても、正しく響かないけど。ここを詠んで、「ああ、そうだった」とハッとした。  ありがとう。

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