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2012年5月17日 (木)

通し狂言 椿説弓張月

新橋演舞場にて花形歌舞伎をみてきました。夜の部 通し狂言 椿説弓張月。 幕間に織田紘二氏が原作の三島由紀夫さんとの思い出を本人の肉声を交えて語るというので、イヤホンガイドも借りてみました。
上の巻と中の巻の間の幕間。30分くらいの解説の途中で、三島由紀夫さんの御本人の肉声での講義を聞くことができました。オープンテープの録音から起こしたものだそうで、音質は少々ざらざらしていましたが、興味深い話でした。国立の養成所の1期生への授業としての講演なので 内容が一般向けでないところがすごく面白かった。高度成長期をむかえた世の中でコンピューターなど新しいものがどんどんでてきているこの時に、あえて古臭いものを選んだ諸君というような呼びかけにもなるほどとおもう。三島自身、幼いころは洋画はいいけれど、歌舞伎はまだ早いととめられていたらしい。解禁になるまで、筋書きを眺めて想像する時間がたっぷりあったこと。連れて行ってもらえるようなったときの勢いなどが 張りのある声での話は貴重でした。
三島の思い入れいっぱいの通し狂言 椿説弓張月でした。
曲亭馬琴の原作に、三島由紀夫が構想を得て書き下ろし、自ら演出した渾身の長編大作。4:30~9:10までとたっぷりとした公演でした。全編、歌舞伎のいろいろな見せ場や技が盛りだくさん。壮大なスペクタクル一大物語。ただ、長い。三島自身が講義の際に語っていた言葉の中に、退屈な場面が続くと突然、ぱっと気を惹かれる場面になる。夢中になってみているとまた退屈な場面が続く。そしてまた面白い場面になる(かなり意訳)。その通りの展開。丁寧に丁寧に描いているわけではない。次の場が数年後だったりすることがある。イヤホンガイドを聞いていないと全くわからなかった。歌舞伎らしい場をつないだ歌舞伎でした。幕開けは、3人がじっと動かない。忠臣蔵の大序のように竹本が、為朝と名を告げると動き出したり、崇徳上皇の霊と出会いに、子役を使った遠見があったり、烏天狗の群が出て北条高時天狗の舞とつぶやきたくなった。為朝が船の先端で毛剃,の潮見のみえのようだ。 阿公は、腹の子を裂いて取り出したというのは奥州安達ヶ原のようだったし、実はかつて契った相手だったというのは弁慶上使ようだった。いろいろな素敵な技法にあふれていた。歌舞伎の知識の深さと情を感じた。そしてそのため長くなった。
4回目の上演となれば、もっとスマートに今に合わせた展開に変えていく必要もあるように思う。が、一方では隅々まで三島の美意識が感じられる展開なので、手をつけにくいのもわかるなと納得したりもした。
白縫姫の七之助が、一等よかった。美意識にあふれていた。筋立てよりも何よりも歌舞伎らしさにあふれていた。荒唐無稽さを納得させられる堂々とした白縫姫でした。武藤太の薪車さんを折檻する場が、三島っぽくて面白かった。寒い季節に赤姫が肩に獣の皮を背負って登場。姫が奏でる琴「薄雪の曲」の調べに合わせ身体の調べに杭をうちこめといい琴を弾く。責めを負う姿は、聖セバスチャンの殉死であった。 三島の好きなもの大集合さが面白かった。
対する染五郎の源為朝は、動じない。一身に崇徳上皇への忠節の念のため、離島に流されながらの申し訳なさと清盛憎しの思いだけで生きている人間。何にも揺らがない。無駄なことを一切しないので派手さにはかけるが存在力があった。後年の染五郎の為朝もみてみたい。脇で為朝を支える紀平治太夫の歌六さんがよかった。
大河ドラマの放映部分の時代を描いていたので、より面白かった。全編に、為朝の清盛憎しの思いが色濃くでていて、そんなに悪いヤツじゃないのにと思いつつみる。イヤホンガイドで、この戯曲の1年後に自害と数回言うので、崇徳上皇への忠誠の死に 本人の覚悟の自害の気持ちを重ねて見てしまった。己の意志を貫くには、死というものでしかなしえないというメッセージのようなものさえ、勝手に感じてしまう。
たっぷりとした公演は、面白かった。 そして、ぐったりとくたびれました。

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