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2012年6月18日 (月)

藪原検校・観劇後

井上ひさし生誕77フェスティバル2012 第四弾は、こまつ座&世田谷パブリックシアター公演。萬斎師の演ずる『藪原検校』を観てきました。ものすごかった。観劇後、三軒茶屋から、渋谷に出るくらいまで同行の友人と無言になる程。衝撃的でした。
冒頭、真っ暗になる。浅野和之さんの語りで、この時代に盲に生まれたら同じ境遇どうし身をよせあって生きるしか道はないのかとドーンと身に応える。不作で来年の種付けの籾にすら手を出さねばならないような年にも、琵琶を語りおかえしの食糧を乞う。食糧がもらえばそりゃ、盲のネットワークで立て続けて訪れるだろう。毎日押し寄せられたら、村の人が、池に落としたくなる心情が沸くのも仕方がない。誰が悪いわけでもない。そういう状況の説明を、あきさせることなく実に巧みに語っていた。愉快なところから、昇りつめた先の末路を迎えるまで。浅野さんの語りはすばらしかった。
目が見えない。それは、親の因果であった。それを知ることもなく、感覚を研ぎ澄まし生きていく。自分で掴みとった生きていく光のようなものに純粋に手を伸ばす。女がいるから手をのばす。寺に預けられ、近くにいるのは座頭の妻だからその女に手を出す。たとえそれが師匠の妻であっても。 巧みに語るのでお布施も増える。 受けがいいことによる特典を知る。 その先の盲の最高の地位である検校を知る。そいつになると決める。盲がどこまで勝ち進めるかというよりも、自分の感覚で知りうる限りの最高のものになりたい。 あっけらかんとした熱意。萬斎師の杉の市をみて、あー若者なのだとものすごく実感した。見えないから、自分と世間を比較する基準が違う。無理を思う基準が違う。俺はなんでもできるんだという信念。邪魔ならば、言いくるめればいい。殺してもいい。欲しければ盗ればいい。ためらいのなさがに、若さが加わって、すごく説得力があった。二代目薮原検校の一代記であった。悪党の一代記ではなく。 すべてうまく運ぶようで、周りは、自分をのことを見えていることをスポンと抜けてしまう感覚がよくわかった。 主題を理屈で語るのでなく、体感させる芝居だった。
萬斎師は短髪にしていて新鮮でした。動く姿勢はさすがだった。コヒさんと熊谷真実さんの杉の市の両親は、特別でなく普通に必死に生きていた。ついという出来心への展開がうまい。盲に生まれたその子を気の毒がらせ、それが後に効いてきた。親にとっては、ただただかわいい我が子。杉の市もそういう子なのだ。コヒさんの検行の仕草が、美しかった。 舞台には綱が効果的に張られる。その綱を頼りに道をさぐる。綱は、道になり橋になり場面をも示す。ギターの音と綱というシンプルな設定で後は役者の力量でみせる。うまいだけに、より衝撃的だった。 みてよかった。ぐったりするほど全身でみた。

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