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2012年6月22日 (金)

ベルリン国立美術館展

美術展巡りの第2弾。次は、国立西洋美術館です。おさると合流。一緒に「ベルリン国立美術館展 学べるヨーロッパ美術の400年」をみてきました。
おっ、ここにもフェルメール来日というくらいの気持ちで足を運びました。新鮮におもしろかったです。最初の展示物が、ルーカ・デッラ・ロッビアの《聖母子》。彩釉テラコッタの作品。真っ白で壁にかけるタイプの立体的な像。これがきれいでした。清楚で、美しい。指摘されてみてみると眼に薄く青が入っていて、そこも美しかった。1450年頃って日本では何時代かしらねといいながら鑑賞。聖ゲオルギウスがでてきたら、退治せんとする龍をチェック。龍にみえないつるっとした表面のものが多いような気がします。樫なと木材の彫刻がおおいことにも興味を持つ。木彫=仏像のイメージなので、新鮮。テラコッタの像の優美さや、なんとなく素朴な 柔らかい気持ちになる木彫像を沢山鑑賞。いいものねと言いあう。
ルーカス・クラーナハ(父)の工房の作品。《マルティン・ルターの肖像》。ルターってこんな人だったの?肖像画というよりも、何か語りだしそうな雰囲気があり人を描くというよりも、その人のしてきたことを描くことができる人なのだなぁと感じる。 同じくルーカス・クラーナハ(父)の《ルクレティア》をみて、より強く感じる。絵ハガキをみても沸いてこないけれど、本物の絵画からは、物語性を強く感じる。横にある解説のおかげだけど。マニエリスムという言葉でいわれるよりも、みた方が感じる。百聞は一見にしかずだ。
そして、ありました。ヨハネス・フェルメール。《真珠の首飾りの少女》そんなに大混雑ではなかったので正面から、右横から、左横から鑑賞。右ななめからみる角度が気に入りました。窓から入る光が、あたたかいようにすら感じる。どうなっているのでしょう。手にした真珠のネックレスを自分にあてている、直しているとも眺めているとも取れる、今みている一瞬を感じ、すごいなぁと感心する。
ジャン=バティスト・シャルダンの《死んだ雉と獲物袋》。すごく、死んだものだった。静物画ってこんなに命が終わっていることを感じるものなのでしょうか。18世紀の静物画は道徳的な意味があるそうです。キジは快楽と誇りを表すらしい。死んだものなのに、雄弁。
最後に、デッサンが沢山展示されていました。チマチマしているけど、妙にうまいと思ったらサンドロ・ボッティチェッリでした。なんと《ダンテ『神曲』写本》より煉獄篇第31歌だそうです。地上の楽園、ダンテの罪の告白、ヴェールを脱ぐベアトリーチェ。ベアトリーチェの前でベアトリ姐ちゃんに思いをはせる。田谷力三先生。なぜ、先生?紙でなく、羊皮紙に没食子インクというもので描かれているそう。 おーなんかすごい。変な感想だが、素直にうまいと思った。

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