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2012年7月29日 (日)

第一回 千之会

中学1年生なのに、もう自分の勉強会をひらくなんて驚きです。浅草公会堂にて開催された「第一回 千之会」を観て参りました。
最初に、『正札附根元草摺』。千之助くんと、勘九郎さんが素踊りにて。千之助くん、しゃっきとして立派でした。じっとしている姿もキチっとしていた。勘九郎さんが踊ると、踊りに表情が出る。相手に渡すかんじもいい。うまい。そして素敵。
正札附根元草摺の後、御挨拶ということで、孝太郎さん・千之助くん・勘九郎さんが登場。孝太郎さんの御挨拶に、勘九郎さんに対し御自分の襲名の時、おにいさんの御病気の時という大変な時に申し訳ないしありがたいという挨拶があった。仁左衛門さんが病気の倒れられた平成5年の1月、ちょうど孝太郎さんが浅草公会堂でこの正札附根元草摺を踊ることになっていたそうです。その時に一番に相談にいったのが当時勘九郎さんだった勘三郎さんだそうです。励まされ、翌月の連獅子も一緒に踊って下さった。その演目を、同じ場所で千之助くんが踊らせていただくことに感慨深そうでした。続いてお話された勘九郎さんも、熱い想いを語り、2人に涙ぐまされました。どうして病気なんてものがあるのでしょう。闘病中の勘三郎さんも、この世の闘病中の方もよくなりますように。 ジーンとしている時、さいごに千之助くんの挨拶。この会が2回3回とずっと続けることができますよう自分でお祈りしちゃったりと、子供らしい一面もありほほえましかった。
続いて、『喜撰』。藤間勘十郎さんと孝太郎さん。最初に藤間勘十郎さんが登場。当たり前ですがうまい。踊っている役柄の雰囲気がふわっと出る。こんなにうまいと御自身で舞台に出られたらどうかしらと思ってしまう。でも藤間の宗家という要がいないのも困ってしまう。うーむお2人も素踊りでした。素踊りでも雰囲気がちゃんと出るのがすごい。
最後に、『供奴』。今度は拵えをした千之助くん。キビキビと、そして決めるところきちんと決めて、隅々まで気を張って踊っていました。決めた後少しふらついてしまうこともあったけれど、そこはまたかわいらしくみえた。沢山お稽古をして、力いっぱい向かった舞台。一生懸命だけでなく、見て面白かった。それは、堂々した様子で主役の器だったから。立派でした。

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2012年7月28日 (土)

隅田川花火大会

浅草にある学友の家に、学友みんなで押しかけました。
友人宅の屋上からみる花火はまんまるで大きく見えました。横にスカイツリーと月。すばらしい。おなかに響く音も、匂いも楽しみました。家の屋上から仲間とゆったりのんびり観賞というすばらしい体験をしました。
そして、浅草駅周辺の大混雑も体験しました。浅草駅から、信号を2つ渡って松屋にたどり着くまでに25分もかかるとは・・・東京の花火大会ってすごい。
水戸のスクーリングで出会ってから、来年で10年になります。各自環境が変わったり、変わらなかったり(←これ、わたくし)。逢うとその10年なんて月日がなかったような身近な感じでもあり、その間に得た家族という存在の大きさに月日を感じたりしました。会うたびに、ああ出会えてよかったなと思います。
大集合するだけでもうれしいのに、その日は隅田川花火大会。大混雑の中みるのでなく、友人宅の屋上からみんなで眺めるなんて最高でした。大勢呼んでくれてありがとう。あえてうれしかった。そして、あせった。私は何をしてたのかしらと。花火きれいでした。

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オリンピック開会式

早起きをして開会式をみました。5時からはじまり9時までとたっぷり。やっぱり、いいなぁ開会式、おおげさで。さすが英国。あのお話もこのお話も、英国のものだったのねと楽しむ。近代の懐かしの曲のパートよりも、フロックコートを着た人達の世界の方が好きでした。古いものの方が好きになっちゃうのは日本も英国も変わらないようです。
選手の服装ですが、日本はもう少し洒落た感じにならないかなぁ。羽織袴だとか。それでは選手が疲れてしまうのでしょうか。あのショーの間、選手はどこにいたのかなぁ。

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2012年7月27日 (金)

7月大歌舞伎・ザ襲名劇場

わたくしにとっての演舞場襲名公演のみおさめ。夜の部を途中からみてきました。3F後ろの方の端っこから観賞。黒塚は、1階の前で観ればそりゃいいでしょうが、3階からというのもすごくいい。すすきでいっぱいの山の中で、ウキウキと踊る。その影が出るところ、影と踊るところは、1階の前の方からは見えまいとニンヤリ。芒一面の野に大きな月が出てきれいだった。
冒頭、夜 山の中の一軒のあばら家に阿闍梨一行が到着する。家というより小さな祠くらいの四角に建物。老婆一人が座るともういっぱいになる程。そこに、阿闍梨一行が一夜の宿を貸してくれと頼む。こんな小さなところに、更に4人も入れるのかと素朴な疑問がわく。おびただしい死体の山も、どこにそんなにはいるのであろうかと。デフォルメとはわかっているけれどもね。初日は、そんなことばかり考えてしまい、途中から会話をあまり聞いていなかった。今度はやりとりもちゃっと聞いてみた。(最初に岩手が登場したとき、家の中が見えたけど何もなかった。とまた思っちゃった。) 
あと、團さま演ずる阿闍梨祐慶が、その機械はなんですかと問うのが、ちょっとおもしろかった。團さまは僧のおおらかさがあり、改心さえすれば それでも御仏は救ってくださるでしょうという言葉に大きさが出たようにも思う。 
希望を失っている老婆 岩手は、まだ間に合うのかと、希望の火が胸にポッと灯る。その小さな変化がよかった。最初に観たときには気がつかなかった。
「黒塚」のというか、亀治郎さんのすさまじいほどの気迫にみせられた。もうどうみても完ぺきにおばあさんになっているのだけど(見た目も身体も動きも)、ついつい嬉しくなって踊りだすところにはじらいとか初々しさとかの娘が見えた。そこまでみせる執念のようなものを感じる舞台だった。 削って削って魅せる。ヤマトタケルとは逆の魅せ方。
若さがあるとキレのある動きができる。それをなくしてきつつある年代から、見た目でない若さとか 深い味わいがにじみでてくる風情や心をみせることができるようになる。この人にその年が加わったらどうなるのか。今は、うまいのだけど見事すぎて 感情の面でちょっとドライな感じもした。 年を重ねる変化を、私も長生きをしてずっとみたい。
鬼女の本性を顕した岩手に対し、阿闍梨らは数珠を擦って鬼女を調伏しようとする。それをみて、鬼女が哀れだ、可哀そうだと思った。 成仏したように思えなかった。あのすすきの野に消えたのか。あさましいという言葉が哀れだった。消えずに逃げていったなら、またあの空しい日々が戻ってくる。それよりはいいのかもしれない。鬼女に同情する気持ちを起こさせるところが亀治郎さん(猿之助さんだけど)のすごさだと思う。見応えがありました。

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2012年7月26日 (木)

観客と歌舞伎をつなぐ音~附け打ち

六本木ミッドタウンタワーというとてもおしゃれなところにいってきました。SURUGA銀行【d-labo】主催ののセミナー。お話されるのは、歌舞伎の「附け打ち」さん、山﨑徹さん。はりきって申し込みしました。
しかし当日残業に。無理だろうなぁと思いつつ会場へいってみました。豪華な都心のオフィスビルでした。ドラマっぽい。途中から参加させていただきました。細かい配慮がありがたかった。
1部は、コクーン歌舞伎のおはなしのようでした。30分も遅れたので不確かですが。ボソボソという感じなのですが、熱意とまじめさと冒険心が伝わりおもしろかった。歌舞伎のそれぞれの専門の方が、自分の仕事ややり方に誇りを持っていて、決してそれを曲げたくないという想いと、串田さんの吹かせた新しい風を不快に思うところから始まり、徐々に落ち合う場所をみつけていくような過程を、不器用な感じで説明する。それがよかった。調子よく言わないところがいい。葛藤しつつ、いいものいいと認める感じが、じわっと楽しい。コクーン歌舞伎「天日坊」でドラム&パーカッションとして参加された、関根真理さん&熊谷太輔さんも観客の中にいらっしゃいました。3人でトーク。あの天日坊に、度肝を抜かれた観客であるわたくしには、いろいろ細かく興味深かった。セミナーに参加されている方は、大の歌舞伎好きばかりのようでした。言葉はかわさなくても ああ、あれね~と言ううなずき具合でなんだかわかります。音源が流れた時の、耳を傾ける集中力とか。いい雰囲気でした。
2部は、歌舞伎の音というテーマで。鳴り物さん、望月太佐成さんが登場し、びっくり&すこぶる嬉しくなりました。ビバ菊五郎劇団音楽部。贔屓です。かなりの。あーあきらめずに来てよかったと思ったり、どうして劇場の中という室内で働いていらっしゃるのにあんなに日焼けしているのでしょうと思ったり。附けと締太鼓で、舞台でよく聞くあの音この音を奏でてくださる。ぐっとワクワクしてくる。音を出す直前のちょっとした打ち合わせの専門用語がおもしろくてしかたない。おお、これは霊に引き戻されて、グルグルまわされるあのかっこいい場の音だわと思っていると、そこに中村橋吾さん登場。連理引きの説明をしてくださる。役者さんが出てくると、それまで中心になってお話をされていたお二人がすっと脇の顔をしたのが印象的でした。これが、世界という空気なのかな。廿四考の白須賀六郎の注進の場を細かく解説し、実演。ここが一番楽しかった。本物の音の威力はすごい。読んだりするよりも何よりも印象深い。音が役者をひっぱっており、かつ役者に音を合わせている、こういう場面をみることができない。ひとつひとつ全ての場で、こうやって積み重ねている物をみていたのかと、改めて驚く。とても面白かった。私の椅子の位置から、附け打ちさんも役者さんも見えなくなってしまったせいもあり、贔屓のせいもあり大太鼓ばかりをみていました。普段黒御簾の中なのでみることはできないものを見ているのだなぁとじっと見る。下手端の黒御簾の中から、役者さんをみて、しかも隙間から、その上花道七三の場で決めるところでも効果的な音を出すとなると、いったいどの位置にいて音を出しているのでしょうと、すごくすごくすごく気になりました。意気地がないので質問できませんでした。どんな仕組みなのでしょう。おもしろかったなぁ。
ほどよい人数で、いい会でした。日本語が好きになり、もっと知りたくなりました。いい思い出と、形のあるおみやげもいただき感激しました。

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2012年7月22日 (日)

『トッカン -特別国税徴収官-』

高殿円の『トッカン -特別国税徴収官-』(ハヤカワ文庫JA) を読む。
ものすごく面白い。
税金って、どうしても取られるってイメージ。税金滞納者から取り立てを行うとなれば、より嫌われ者のイメージが強くなる。でも、国を動かすための資金になっているのは税金であるし、きちんと納税している人がいるのであるから、同等に日本中から公平に徴収すべきであるのだった。なるほど。 あれ?もう既に、東京国税局京橋地区税務署 所属 特別国税徴収官(略してトッカン)にのせられてしまっているのかも。
主人公のぐー子。 言いたいことを言えず、すぐに「ぐ」と詰まってしまう。「ぐ」って詰まって耐えているところがエライ。「でも」とか「だって」とか言わない。なんで、こんな仕事についたのだろう。安定を求める意味とか、群ずに「ぐ」っと詰まって耐えることとか、その後ろにある人生が徐々にみえ、胸があつくなった。 納税を拒む方の手口も、それを見破ろうとする手口もすごい。探偵気分で読む。鏡雅愛が、なぜ冷血なトッカンとなったのかにも泣かされた。人に歴史ありだ。税金を払いたくても払えない者は仕方ないですましちゃいけないという運びに震える。持っていき方がうまく、ドラマティック。ドラマ化したくなるはずの 心の波打つ物語。
さぁ、録画しておいたドラマもみようっと。
“税金”について、“人生”について学べる本。ブラボー。

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2012年7月21日 (土)

祝 梅雨あけ漫画祭

清盛の視聴率について最低とかなんとかマイナス報道が、うるさい。わたくしはすごく楽しんでいます。国民とひとまとめにしないでいただきたい。
平家のことがやっと少しづつわかってきました。これからの私の歌舞伎ライフにも大いに役に立つことでしょう。あっ、お能にも効果あるかもしれないわ。松ケンの清盛は素敵です。清盛がギラギラした親父のように描かれることが多いけれど、私には松ケン清盛というビジョンができたので、これから自分の眼で公平にみようと思います。

おさるのおかげで毎度開催の漫画祭。今回もすこぶる面白かった。
雲田はるこ『昭和元禄落語心中』1,2巻(講談社)
名人=変わりもの。 そんな名人のもとに若くて猪突猛進な男が弟子入りする。この世界のことをなんにもわかっちゃいないけど、師匠の腕に惚れこんだっていう無茶苦茶なおもいでアタックしてくる。あれ?そんな設定歌舞伎漫画にもあったなぁ。鉄板の設定なのかも。しかも面白い。 あれ?タイガー&ドラゴンにも似てるじゃん。まぁ間違いのない設定ということで。 八雲が刑務所の慰問で演った「死に神」に魂を抜かれる与太郎。ムショで演った「死神」が忘れられず、生きる道は噺家と心に決めておりました。なんてくさいほどのせりふが面白い。そんなことを思いながらも、普通に暮らしていたら、魂抜かれるほど 何かにしびれるって体験はできないなぁと ちょびっとうらやましく思ったりもする。八雲の落語シーンが、なんだか聞いているような気分になりいい。哀愁がいいのよね。触れてはいけない影ってものが人には必要なのですね。「長ぇ夜になりそうだ」とか台詞もいい。八雲に並ぶ名人 助六を父に持つ娘 小夏。伝統芸能の世界で女の壁は厚い。だけれども、漫画ですよ。常識を読みたいわけじゃないんですこちとら。
やっぱり落語はいいなぁ。談春さんが聞きたいのだけど、切符がとれないんですよ!!もう!!
伝統芸能漫画のものすごいシリーズをもうひとつ。嶋木あこの『ぴんとこな』1,2,3,4巻(小学館)
木嶋屋の御曹司 恭之助が、家柄にあぐらをかいていたけど、クラスの歌舞伎好きの女子あやめちゃんの 曇りのない目にドキっとして なにくそと修行に励む。一般人だけど子供の頃からお稽古を続けている轟屋の一弥をライバルとも刺激ともし、なにくそと修行に励む。けっこうめちゃくちゃなんだけど、オモチロイ。 だいたいさぁ、1年生を迎える会の小学4年生の出し物で「鏡獅子」を出しますか?っていうもんんですよ。でもオモチロイ。作者の嶋木あこさんの、若手歌舞伎役者への取材のミニページにも興味深々。梅枝・萬太郎兄弟とか、隼人くんとか、鶴松くんとか。いいところをついてくるなぁ。 えー えー といいながらも、非常にオモチロク読みました。
西炯子の『姉の結婚』1,2巻(小学館)。前におさるにお借りした『姉の結婚』もぐっときました。恋をあきらめたって女子だけど、かわいいんですよ。華奢でスタイルはいいし。 文句じゃないの。地方の閉塞感とかも、いい世界をつくってます。
羽海野チカの『3月のライオン』7巻(白泉社)。もう7巻目です。名作。学校図書にして、中高生全員に読ませたい。小学生にも。いじめ問題は昔からあるけれど、こんなに通信機器が発達するとより残酷になっている気がする。された人も、する人も、黙認している人も、読んで自分で考えて欲しい。何かのせいにするな!自分で考えよ!号泣しました。ああ。ありがとう。
名作 、清水玲子の『秘密(9,10巻)』(白泉社)。科学の発展は、ものすごいことになってきました。もう人間には背負いきれないほど科学が発達しました。人の目でみるその人なりの真実。事件さえなければ、他人の真実は知ることもなかったのに。ものすごい話なのです。大河ドラマ的にしっかりとりくまれていて、その重さに読んでいる方も耐えきれなくなるけど、読まずにいられない。 こんなすごい本をずっと貸してくれてありがとう。これは絶対に読みたかった。重いけど。
清水玲子の『秘密』に震えあがったあと、瀧波ユカリの『臨死!!江古田ちゃん』6巻(講談社)を読む。ありがとう江古田ちゃん
マンガも好き好き。

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2012年7月19日 (木)

『チャンネルファンタズモ』

加藤 実秋の『チャンネルファンタズモ』 (角川文庫) を読む。モップガールにちょっと似た世界かも。小さな企業だけど、奮闘できる仲間との仕事は、なんだかんだいっていい。
チャンネルファンタズモは、オカルト専門のケーブルテレビ局。大企業の報道部のディレクターとして、スクープを我が手にしてきた百太郎の再就職先はオカルト専門局だった。生きていくためには仕方がない。でも一言言わずにはいられない。百太郎は、そんな男。
その職場で、レポーターとしてきっちり仕事をするミサ。オカルトマニアなので、くだらいとしか思えないネタに本気で飛び込む。あー仕事が楽しそうでいいなぁ。でも、彼女にも影の面がある。思いこみ激しくつっぱしるけど、とことんがんばる。この性格がかわいい。
元レディースのヘッドとか、設定がなんというかベタな感じ。人気番組名のパロディとしか思えない番組名も苦笑ぎみだか。イメージのケーブル局っぽさにあっている。職場は大きくなりすぎないほうが、みんなが何をやっているかぼんやりでもわかるし、一致団結して危機も乗り越えられそうでいいのかもなぁと思いながら読む。
事件の謎を解く物語だけど、結末が想像しやすい。謎よりも人物像を描く本だと思うのでノープロブレムです。

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2012年7月18日 (水)

『メルカトルと美袋のための殺人』

表紙が少女趣味っぽいというだけで、どうなのだろう?と思ってしまったビブリア古書堂の事件手帖がすこぶる面白かった。表紙にまどわされてはいけないことを学ぶ。学んだばかりのなので、実践。少女少女している表紙の文庫を手に取ってみました。こちらは、表紙の少女っぽさにプラス、筆者名もタイトルも少女すぎ。大丈夫か?丸善 御茶ノ水店のポップを信じて購入。 麻耶雄嵩の『メルカトルと美袋のための殺人』(講談社文庫)を読んでみる。
日本語語句へのこだわりとか、一昔前の設定がいかにも。徹底した設定と、ねちっこく偏屈で美意識が高すぎる探偵メルカト鮎の人物像や、小説家である主人公 美袋(みなぎ)が、謎と仕事との重点の置き方が、郡を抜いていい。単語や、漢字が美しい。少々、変な世界に傾倒しているけれど、きっとそこがいいのでしょうね。これは、面白かった。
特に、「小人閒居為不善」の後味の悪い終わり方がよかった。いいというと、歪んでいるようだけど。
確かにつじつまはあうのだけれど、納得できない(納得したくない)解決方法を提示されると、なんだか、落ち着きが悪い。そこを狙っている本なので、乗せられながら読んでみた。

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2012年7月16日 (月)

『ビブリア古書堂の事件手帖2~栞子さんと謎めく日常』

SMAPxSMAP のゲストは海老蔵さんでした。枠外な感じがいいねぇ。大分大人になったとはいえ。 そうそう、こういう感じがいいのよね。

ビブリア古書堂の事件手帖3を読んだので、1に続き2も読み直し。3での機微がやっとわかる。忘れるの早すぎ。三上延の『ビブリア古書堂の事件手帖2~栞子さんと謎めく日常』(メディアワークス文庫)を読む。さすがに、内容はほぼ覚えています。ヒヤっというか ちょっとゾっとする感じがより伝わる。度を越して他人の行動を推測できることって、ちょっと恐ろしい。自分の中身もみられてしまうような怖さ。 助かっているのに気味悪がられる。だから、そのそぶりさえみせない。そして度を越えた内気になるのだな。
そうだ。『時計じかけのオレンジ』を読もうと思ったのだった。

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2012年7月15日 (日)

7月演舞場

ふたたび、7月歌舞伎 夜の部をみてきます。今度は間違えなく夜の部。先月は、同行予定だったおさるに悪いことをしました。今度は、本当にお目当ての夜の鑑賞。くしくも、幻の6月昼の部と同じ席で。この席、お気に入り。2階の左列より鑑賞。
終ったら、軽くイタリアン&ワイン。翌日お休みだもん。遅くなってもいいのだもん。
着物でいくと何倍も楽しくなっちゃう。道楽だなぁ。では、いってきます。

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2012年7月14日 (土)

コクーン歌舞伎・天日坊

7月はじめに再見したコクーン歌舞伎・天日坊の覚書。日はたってもなお熱い。

今度は、平場にて。しかも最前列。舞台と自分の間にさえぎるものもなく、表情までもよく見え、どんどんのめりこんでいった。ひさしぶりにしびれるほど面白かった。なんじゃこれはと愉快だった。
渋谷・コクーン歌舞伎も、第十三弾となる。新しい歌舞伎の挑戦の形ができあがったのだなと思った。初回『東海道四谷怪談』からみてきた。都度、ほぉーっと思っていたが ちょっと場所を変えただけじゃんという気持ちもあった。役者でもっているというか。二回目の『夏祭浪花鑑』からは、串田さんが演出をするようになった。オンシアター自由劇場フリークの私といしては嬉しくもあり、一方 演出って何だろうとも思った。装置等の変化は面白いけれど。 何回目かの三人吉三のときに、あー串田演出ってこういうことかとストンと腑に落ちた。そして今回「コクーン歌舞伎」というものができあがったのを感じた。歌舞伎がものすごく好きで、古典と異なるものには どうしても抵抗があった。 この天日坊には、まいった!あっぱれと気分がよくなった。
最後に向かって、どんどん集中していって、最後にはなんだかわからない涙が出てどうしようもなかった。 クドカンの脚本がすごいのか、勘九郎の天日坊(法策)がすごいのか、串田演出がすごいのか 誰なの?!このすごいのを創った人はと愉快でたまらなかった。
法策は、みなしごだけど周りに恵まれない訳ではない。それでも自分の出自がわからないということに収まらない想いが常にある。師匠に仕え、仲間を慕い、世話をやいてくれる婆さんを大切にする。つまり、いい子だ。婆さんから、孫の話ときかされる自然さ。そしてポッと自分の胸についてしまった炎の怖さ。いけないことはわかっているが、どうにも止められない。自分の出自がわからない事が自分をこんなにも支配していたのかと驚くほど、人を手にかける気持ちが抑えられない。いい子の法策がおさえようとするがみなしごの自分が止められない。囁くように自分に 目の前の婆さんを殺せばいいと気がつかせる。その時に入る音にしびれた。トランペットだ。心がグイっとなる時の音だ。この音にやられたし、あの表情にやられたし、この場で「まじかよ」と吐かせる台詞にしびれた。ビリビリ。
いい子の法策が顔を出したり、なりすましとして器用にこの場をしのごうとしたりしている間に、 事態はかわっていく。しかも都合よく法策を助けるように環境が変わる。今日は運の方が俺をおいかけてきやがると言ったときの法策の顔は印象的だった。
再見でしたので、最初の場にあった伏線もよくわかった。「生き延びよ」と語りかけられる意味とか。俺に言われてもと軽く返すところもよかった。
勘九郎のうまさ、心情がよくわかり愛嬌があり威厳がありみすぼらしさもある。脇でいる立場をきっちり出し、かつうまさで歌舞伎らしさを出した七之助がさすが。七之助が芯となるときには兄弟の立場を変え、支えあえるのであろう。恐ろしい程上手い兄弟だ。亀蔵のかっこいいこと。存在感でみせ、台詞でみせ、声でみせる。しかもクセがある。大きな存在だ。獅童は思ったよりも大きくみえた。止まって見せるという技を身に付けたみたいだ。巳之助くんの時貞のはじけっぷりが、間あいのいいものでよかった。新悟くんの高窓太夫も、もう安心。最期にみせた迫力は立派。うまくなったなぁ。
観音院の真那胡さんは自由劇場時代から好きです。最初は言葉がわかりにくく心配しましたが、次にみたときからは大丈夫。久助の白井晃さんには驚いた。歌舞伎役者かと思ってみていたぐらい。あの言葉の操り具合はただものではない。センスが違う。存在の怖さがすごい。平蔵の近藤公園も、うまいお弟子さんだなと思った。気がつくと側にいますよという空気感が怖い。おそれいりました。
勘九郎の独り舞台のように、どんどんと人生が変わっていく。頼朝の落胤になりすまし、高窓太夫の弟になりすます。本当は、義仲の子であるという。もう元にも戻れない。前にも進めない。止まっていると殺される。みんなが命をかけて守ってくる。何なんだ一体。くるくる変わる感情の出し方がみごと。
猫間光義の萬次郎さんに向かって、みんながお前の為に命を張っているのにお前は何なんだと叫ぶ。ここがすごくよかった。主従の関係に希薄となった現代、主のためにそのお家を守るためにと命を投げだす。その本気さが実感できないでいる。でも、その想いを自らが台無しにしようとした時の怒りが、その感情がコクーン歌舞伎として出来上がったものだと思う。歌舞伎は絶対にあのような台詞をはかないと思う。その叫びにも参ったと思った。すごい。
最後の立ち廻り。何もない箱のような舞台で取り手がかかる。速い動きでの立ち廻りが美しい。歌舞伎のゆたりとした時間をいかしてみせる立ち廻りと異なる。が、主のため怖いものなどない。その精神は歌舞伎である。七くんと獅童さんのひたむきな想いは強く感じる。バンといさぎよく突っ伏すように倒れた七くんの姿は、歌舞伎味あふれていた。そんなのみたことないけれど、すごくよかった。覆いかぶさるように獅童さんが倒れる。犠牲となった死に一つも悔いのない2人に姿。そこに駆け付ける天日坊の勘九郎。自分への想いに少し揺らぐ様がいい。 ついこの間   とわかったばかり俺を命をかけて守る。俺は誰だと叫び、俺として戦う。 とてもよかった。あまりにも素敵で、大の贔屓の海老蔵さんよりも勘九郎さんを贔屓にしてしまいそうだと思った。どうでもいいけど。 立ち廻りに重なる音楽。トランペットにギターによその音に、胸がぎゅーっとなった。オンシアター自由劇場を彷彿とさせるところも心に染みたのかな。何の涙か自分でも説明不能に、ポタポタおちた。すごい芝居でした。すごい歌舞伎でした。

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2012年7月13日 (金)

図録「照度 あめつち 影を見る」

会社の友人と、飲みにいってきました。友人の弟さんのお店。しりあいの店に行くというあこがれの体験シリーズ?!でした。彼女はもう会社にいないので、弊社の今!とかをつまみに楽しく飲む。彼女の人生はドラマチックで、話を聞いてばっかりいる。シャッキっとした人です。私は、強く発言されると弱っちゃうので人にも言えない。彼女のどうどうとした様は、魅力的でもある。楽しかった。

昨日観に行った展覧会「照度 あめつち 影を見る」の図録「照度 あめつち 影を見る」を読む。画で訴えたもののあとに、それを沢山の字で読むと、また面白い。

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2012年7月12日 (木)

川内倫子展 ~照度 あめつち 影を見る~

東京都写真美術館「川内倫子展 照度 あめつち 影を見る」に行って来ました。
写真美術館で、川内倫子の「照度 あめつち 影を見る」展をみる。彼女が都内で個展を開くのははじめてのことらしい。
ぼやけた世界のようで、知っているものなのに、私の知っているものと違う世の中にみえるのが面白い。
川内倫子は、『りんこ日記』『りんこ日記2』と2冊日記を読んだことがある。写真家・川内倫子の写真付きWeb日記の書籍化らしいが、web感というより 日記っぽさが気にいった。 川内倫子のみる世界をみるというのが面白いのかな。不思議な面白さ。
「写真を撮る時は、その一瞬に集中するわけですが、そうすると過去も未来もなくなるように感じる。その瞬間に集中できることが喜びだし、救いだし、自分がクリアになる、もしくは自由になれる瞬間。だから、写真集を作る時にも、時間や場所が特定できる要素はすべて取り除いて構成しています。」
東京都写真美術館ニュース「アイズ12」73号より書き写し。
時間や場所が特定できる要素をすべて取り除き構成される。言葉にすると観念的のようだが、眼でみると意味がよくわかる。
写真は、簡単に誰でもとることがっできるけれど、プロと素人の間の谷のような大きな溝をみせつけられて気分がよかった。
写真としての作品にあったものを含む映像がすごくよかった。左右くっついたスクリーンに別々に写された映像は、どこかシンクロしつながっているのが面白く、飽きずにずーっとみていた。ずーっとみていられるものを作る。それがプロだ。

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2012年7月11日 (水)

『ビブリア古書堂の事件手帖―栞子さんと奇妙な客人たち』

テレビで音楽寅さんをみる。桑田さんは年齢を重ねたのだなぁ。この感じも悪くない。贔屓だからね。やっぱりアルバムを予約しようとおもいつつテレビの前で唄う。いい曲。かっこいいねぇ。いい声。

ビブリア古書堂の事件手帖3を読んだら、先月読んだばかりなのに、あの事についてちょっとうろ覚えになっていることに気が付く。なんだったかしらと思いさっそくよみ直し。三上延の『ビブリア古書堂の事件手帖―栞子さんと奇妙な客人たち』(メディアワークス文庫)を読む。さすがに、ほぼ内容な覚えている。いろいろな顛末を知ってから読むと 伏線にしていたのかなと思うような行動に気が付き面白い。夏目漱石全集がよみたくなった。とくに「それから」。
知らないでいる方がいいかもしれないことが、わかってしまう。だからこそ内向的になる。わかってしまう鋭さが残酷でもあるんだなぁ。

太宰の「晩秋」についてのくだりで、大切な本を五浦さんの祖母の家の金庫にいれたはずなのに、どうして栞子さんの病室の金庫の中にあったのだろう。何度か戻って読み直したけど、どうしてもそんな気がする・・・

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2012年7月10日 (火)

『ビブリア古書堂の事件手帖3~栞子さんと消えない絆~常』

趣向の華の切符発売日。久しぶりに電話で切符を取る。電話でとるのって大変。前は、こうして取っていたのね。すっかり忘れていました。 「おのえでございます」という応答の声を聞いた時はうれしかった。

美術館巡りをした日、帰り途におさると一緒に購入した三上延の『ビブリア古書堂の事件手帖3~栞子さんと消えない絆~常』(メディアワークス文庫)を読む。
古書店という職場で、うら若き女性がやたらと本を愛していて、するどいう視点で謎をとく。それだけでも好きなのに、そこにちょっと毒があるのがいい。 貴重な古書のため、何かを失ってでも欲しいと思う人の欲。 その描きかたがいい。
親からもらった本を愛するという血と、許せない思いがある。身近な1人の人をみているだけでもその奥にあるものはわからない。実は彼女は母とあっているという男がいる。疑惑を抱えたまますごすと、身近な人に与える影響がある。真実がすべて明らかにならばいいとは、思わない。疑うことで人に生まれる いがんだ気持ちは避けてとおれないけれど。毒がイヤな感じでない本。いいシリーズです。

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2012年7月 6日 (金)

マウリッツハイス美術館展

東京都美術館リニューアルオープン記念展「マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝」に行ってきました。会期最初の金曜日の夜間公開に鑑賞すべし!というマイルールを決めていましたが、ここのところずっとかなわず。久々のマイルール鑑賞となりました。なんだかうれしい。自己満足なのだけれどもね。
フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」来日!ということで、大騒ぎになっていました。まぁまぁ混んではいたけれど、少し待てば最前列で作品を鑑賞できました。「真珠の耳飾りの少女」を鑑賞するためのルールが徹底されています。①並んでも間近でみたい方はこちら。②頭越しでいいので、なるべく待たずにみたい方はこちら。と完全に通路を分けシステマチックに運用する気まんまんです。この日は、クネクネと列に並んでもそう待たず、ゆったり並んでいるので待っている間もけっこう見えました。 止まらずに鑑賞下さいと言われながら、間近で鑑賞してきました。 展覧会の入口も、どんなに長蛇の列ができても大丈夫という通路が確保されていました。都美術館は、並ばせる気満々の様子です。
リニューアルし、中の色づかいがかわいらしく 絵の鑑賞スペースも充分。 でも、階層式に進むので 鑑賞するにつれ階が変わってしまう。 エスカレーターで移動するので、最後に、もどって私のお気に入りのあの1枚をもう一度じっくり鑑賞ということができません。そこが気にいらなかった。都知事にいちゃもんつけてやる!とふざけて息まく。出口直前で、もう一度入口にもどる道が用意されていました。確かにこれで元にもどることができるけれど・・・振り出しにもどるのでなく いったりきたりしたいのです。ここがちょっと問題。他は、リニューアルされて きれいに素敵になっていました。
鑑賞前に、美術手帳を買ってマウリッツハイス美術館展について勉強。本では、どれも同じような大きさの写真になっていましたが、実物は違う。あたりまえだけど、それぞれのサイズに驚いた。
全体的に、光の描き方に注目してみました。フェルメールの印象のせいだと思うけれど、普段充分に日光があるとはいえないオランダの地だからこそ、光のとらえかたが特徴的でした。レンブラントのうまいこと。「うまい」っていうのもどうかと思うけれど、色のない このようなものというものを わかるように描くってすごい。作品のその部分にライトを当てているように思えるほど輝いていました。 ルーベンスの絵の広がりにもほーって思う。天にむかってひろがっていく空間。巨匠ってすごい。格段に違う。
世界一有名な少女は、美術手帳に載っていたいろんな解説など、説明をおいておいてただただみたくなった。 何かいいたげな口元とか、解説に教えられるのでなく、自分で感じとりたくなった。 いろんなことを置いておいて いい絵でした。
フェルメールは、デルフトで生まれ、育ち、暮らし、最後を迎える。年表中に何人かお子さんを亡くしたとあり、お気のどくに思う。が他にも11人程いたようです。今は億という単位でとりひきされるのに、フェルメールの死後残された妻や子供達には金銭的な苦労がかかったようです。画科はとにかく貧乏でめぐまれないけれど 今のこの人気ぶりを思うと、なんとかその時代に、一部でいいから恩恵を受けてもらいたいと思う。今回もまた思う。しかし、子だくさんの人なのだなぁ。
イギリスの王立芸術院のことを思い出した。ミケランジェロの円形の大理石彫刻 「幼少の聖ヨハネを伴う聖母マリアとキリスト」 をみたところ。ミケランジェロの大理石彫刻は世界に2点しかなく それが、その1点でした。 マウリッツハイス美術館は、オランダの「王立絵画館」の名で世界的に知られるそうです。王立の重みを感じる。改装中なので、日本に巡回してきたとのこと。自分の財産で自分で建て直すってすばらしい。
フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」。マウリッツハイス美術館の展示室では、少女が肩越しにまなざしを投げかける場所には、「デルフト眺望」が飾られているそうです。彼女がみつめるのは青年でなく、デルフトの地だというセンスが王立です。 フェルメール、レンブラント、ルーベンス、ヤン・ブリューゲル(父)、ヴァン・ダイク、フランス・ハルス。オランダ・フランドル絵画を支えた人達はすごい。いつの日かオランダに行って、オランダの光を感じ 作品をみてみたい。
売店がすごいです。バリエーション豊で、うさこちゃんとかとのコラボも絶妙。ついひっかかりそうになっちい面白い。けっこう惹かれるものがありました。展示室に入らなくても、都美術館の誰でも入ることのできる売店までもマウリッツハイス美術館展ものがどっさり。展示室特設売店にないものまでおいている点だけは疑問でしたが。フェルメールとうさこちゃんものとオランダものがたっぷり。お財布ゆるみがちでした。
同行のおさると、公園の中にできた丸太小屋風のところでビールを一杯のんできました。東博の夜間鑑賞の帰りにいつも気になってみていたお店。1人じゃないというのも、いいものね。

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2012年7月 5日 (木)

7月初日 夜

7月歌舞伎 夜の部をみてきました。初日は、やっぱり違います。思いこみもあるでしょうが、客席の愛情が濃厚な気がします。
夜の部の2大演目は、暗い。舞台の照明がね。しっかり話を頭に入れて、その心の機微を楽しむ演目でした。間に、口上と、楼門五三桐という明るい舞台。照明がね。暗い、明るい、暗い、明るいでした。じっくりと楽しむ演目と、明るく華やかな演目をはさむのは面白い。
口上は、猿之助さん、中車さんと團子くん。猿之助さんの横には團さま。そして海老蔵さん。全員海老茶の裃。まさかり髷。おお。市川宗家のお二人の髷は、油付でよりすっとしていました。おこちゃまの團子くんは違うけれど。6月のようにずらっと並ぶのもいいけれど、この内輪の特別感も面白い。團さまのお披露目のお話は、のどかで雰囲気が柔らかくなりました。和らげるつもりではないのだけれど、なんだかにっこりさせられてしまう。そこがいい。パリ公演の話になり、「昭和19年」に團さまと海老蔵さんと亀治郎さんと訪仏したときのエピソードを語っていらっしゃいました。昭和19年じゃ、まだうまれてないよ~とみんながニコニコ笑っている中、全く気がつかずお話を続けてました。團さまですら生まれていないのに。
最後に『楼門五三桐』。たった10分たらずの一幕を、これだけ豪華にすることのできるアイデアは流石だと思った。猿翁さんは8年ぶりに舞台で芝居をなさったそうです。ただ、登場するだけでも、あんなにパワーがあったのに、台詞を発し演技をするということで 何倍もパワーを出していました。 客席には感極まってな涙する人があちこちに。芝居をする猿翁さんを見守るおもだかや一門の視線のあつさにも、感じるものがありました。みんな待っていたのだなぁ。よかったですね。黒子までも紹介し、それが中車さんだということも、胸をあつくしました。でも、会場のあまりの感動ぶりには、ちょっとドギマギしました。状況がわからない人には、何がこんなにあついのかちんぷんかんぷんだろうなぁ。海老蔵さんもいつにもまして迫力を出していました。 負けてられないものね、五右衛門が。すばらしかった。本当にすばらしかったのですが、翌朝の報道では、楼門五三桐のこの場面のみ。新・猿之助さんのことも、きちんと紹介して下さい。まったく、もー。
奮闘の「将軍江戸を去る」や、すごかった「黒塚」のことなどまたおいおいと。

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2012年7月 4日 (水)

アーティスト

プチ夏休み 第一弾。演舞場の初日の夜の部を観にいくので、ついでに?!お休みしちゃいました。 気になっていた「アーティスト」を上演していたので、せっかくなので映画もみちゃいました。アカデミー賞とかオスカーとかをあれこれ受賞していました。ハリウッド黄金期のロマンティックストーリーって言われていたので、その気で見に行きました。
違いました。
流行りがくれば、必ず終わりもくる。これは、サイレント映画から、トーキー映画への移行期に ちょうど円熟していた俳優の話でした。サイレント映画といわれるのは、比較するトーキーというものができたからで、それまでは「映画」といえばこれだった。映画館にくる観客は、おでかけ用の服を着る。スクリーンの前にオーケストラが並び、生で演奏する。言葉がない分、動作はオーバーになる。華やかで、まさに「娯楽」という空間。これはこれで、素敵な世界だと思った。黄金期のスターは、スターにふさわしい生活をする。豪邸から、運転手付きのクラッシックカーにのり、スタジオへ向かう。その時はクラッシックじゃないけど。スターは、スターである。隣にいるような女の子の要素は求められない。特別な人。
そして、突然終わりがくる。トーキーなんで奇妙なもの人がみたがるはずがないと。でも、現実は違った。おちぶれていく。が、映画「ハリウッド大通り」で観たような残酷なだけの現実とは違う。うらぶれても様になっている。そして、愛し そっと見守る人がいる。彼は、人から注目されなくなってもみすぼらしくない。悪意のレベルが違う。絶頂期に人にえばりくさっていたわけではないからであろうか。粋な男が、さえなくなっただけ。彼が悪いのではなく、時代が変わっただけ。無声映画をなくし、スペクタクルなものが全盛になったけれど、やっぱりあのころのものっていいと思う心がどこかにある。全員そうおもっているわけではないけれど、便利さや目新しさに夢中になってなくしちゃったあれ、いいものだったのになと思う心に気付く。ノスタルジーってこういうことなのだろうか。何もかも昔どうりにもどせばいいってものではない。映画「ミッドナイト・イン・パリ」で、懐古に思いをはせるが ここで暮らすとなるとアスピリンがないところでは暮らすことができないと言う。 あこがれと現実の差があってこそいいのかもしれない。
言葉を極力少なくし、短い言葉(字幕)で表現する。言葉を選びぬいたすえにのこった言葉に威力がある。音楽がいい。トーキーの世になった瞬間の場面にだけ、言葉以外の音が入った。グラスを置く音、物と物があたっておこる音。音の使い方が絶妙にうまい。トーキー(talkie)って、talking picture からきたものなのか。なるほど。
主人公ジョージのジャン・デュジャルダンがこのみでした。レッドバトラーっぽい。かっこいい。ほろ苦くって、いい映画でした。好きです。

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2012年7月 3日 (火)

愛と誠

歌い上げる映画みたいなので、見に行ってみました。「愛と誠」。自分で高校生だと名乗れば、誰でも高校生なのです。伊原くんだってね。
武井咲ちゃんは、どこかずれたような生活感のないお嬢様がぴったり。妻夫木くんは、意外と高校生。ものすごい世界なのに、よくも淡々とできるものです。唐突に「突然唄えばいいさ。」ということを教わりました。ものすごいダンスでした。 私の青春時代ってこんな時代なの?違うと言って欲しい。 エグザイルも、これから年月が経ったころ振りかえってみると、こんなにあれ?って動きにみえるのかしらん。これが、風化なの?でも、面白いことになっていました。 すごいダンスというかステップです。そして、なんだかすごい映画でした。よく映画化を踏み切ったなと驚く映画。そして、よくOKがでたものだとも思った。
愛も岩清水くんも、自分のためでなく相手のためを思ってつっぱしっていました。端からみるとおかしい程。なりふりかまわずってまさにこれです。上演前に、ボブ・マーリーのルーツ・オブ・レジェンドの予告で、「自分のためだけの人生ならいらない。人のために生きる。」と言っていました。アウン・サン・スーチーさんの半生を描いた「ザ・レディー」の予告では、人民と一緒に立っている様子を描いていました。自分のためでなく、人のために生きる覚悟を 短い予告の間に感じ、感心し、早くも感動すらしました。その流れなのか、自分のためでない人をフューチャリングしている映画のように感じました。
スペクタクル具合とかが、私にちょうどよかった。噴出した場面もあれやこれやとありました。あれ?楽しかったのか、わたしよ。 どうも、楽しかったみたいです。 昭和歌謡の名曲はすばらしい。ついつい歌っちゃう。そしてあの、すてきすぎる振りつけでちょびっと踊りかけちゃう。 ガム子最高。

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