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2012年7月14日 (土)

コクーン歌舞伎・天日坊

7月はじめに再見したコクーン歌舞伎・天日坊の覚書。日はたってもなお熱い。

今度は、平場にて。しかも最前列。舞台と自分の間にさえぎるものもなく、表情までもよく見え、どんどんのめりこんでいった。ひさしぶりにしびれるほど面白かった。なんじゃこれはと愉快だった。
渋谷・コクーン歌舞伎も、第十三弾となる。新しい歌舞伎の挑戦の形ができあがったのだなと思った。初回『東海道四谷怪談』からみてきた。都度、ほぉーっと思っていたが ちょっと場所を変えただけじゃんという気持ちもあった。役者でもっているというか。二回目の『夏祭浪花鑑』からは、串田さんが演出をするようになった。オンシアター自由劇場フリークの私といしては嬉しくもあり、一方 演出って何だろうとも思った。装置等の変化は面白いけれど。 何回目かの三人吉三のときに、あー串田演出ってこういうことかとストンと腑に落ちた。そして今回「コクーン歌舞伎」というものができあがったのを感じた。歌舞伎がものすごく好きで、古典と異なるものには どうしても抵抗があった。 この天日坊には、まいった!あっぱれと気分がよくなった。
最後に向かって、どんどん集中していって、最後にはなんだかわからない涙が出てどうしようもなかった。 クドカンの脚本がすごいのか、勘九郎の天日坊(法策)がすごいのか、串田演出がすごいのか 誰なの?!このすごいのを創った人はと愉快でたまらなかった。
法策は、みなしごだけど周りに恵まれない訳ではない。それでも自分の出自がわからないということに収まらない想いが常にある。師匠に仕え、仲間を慕い、世話をやいてくれる婆さんを大切にする。つまり、いい子だ。婆さんから、孫の話ときかされる自然さ。そしてポッと自分の胸についてしまった炎の怖さ。いけないことはわかっているが、どうにも止められない。自分の出自がわからない事が自分をこんなにも支配していたのかと驚くほど、人を手にかける気持ちが抑えられない。いい子の法策がおさえようとするがみなしごの自分が止められない。囁くように自分に 目の前の婆さんを殺せばいいと気がつかせる。その時に入る音にしびれた。トランペットだ。心がグイっとなる時の音だ。この音にやられたし、あの表情にやられたし、この場で「まじかよ」と吐かせる台詞にしびれた。ビリビリ。
いい子の法策が顔を出したり、なりすましとして器用にこの場をしのごうとしたりしている間に、 事態はかわっていく。しかも都合よく法策を助けるように環境が変わる。今日は運の方が俺をおいかけてきやがると言ったときの法策の顔は印象的だった。
再見でしたので、最初の場にあった伏線もよくわかった。「生き延びよ」と語りかけられる意味とか。俺に言われてもと軽く返すところもよかった。
勘九郎のうまさ、心情がよくわかり愛嬌があり威厳がありみすぼらしさもある。脇でいる立場をきっちり出し、かつうまさで歌舞伎らしさを出した七之助がさすが。七之助が芯となるときには兄弟の立場を変え、支えあえるのであろう。恐ろしい程上手い兄弟だ。亀蔵のかっこいいこと。存在感でみせ、台詞でみせ、声でみせる。しかもクセがある。大きな存在だ。獅童は思ったよりも大きくみえた。止まって見せるという技を身に付けたみたいだ。巳之助くんの時貞のはじけっぷりが、間あいのいいものでよかった。新悟くんの高窓太夫も、もう安心。最期にみせた迫力は立派。うまくなったなぁ。
観音院の真那胡さんは自由劇場時代から好きです。最初は言葉がわかりにくく心配しましたが、次にみたときからは大丈夫。久助の白井晃さんには驚いた。歌舞伎役者かと思ってみていたぐらい。あの言葉の操り具合はただものではない。センスが違う。存在の怖さがすごい。平蔵の近藤公園も、うまいお弟子さんだなと思った。気がつくと側にいますよという空気感が怖い。おそれいりました。
勘九郎の独り舞台のように、どんどんと人生が変わっていく。頼朝の落胤になりすまし、高窓太夫の弟になりすます。本当は、義仲の子であるという。もう元にも戻れない。前にも進めない。止まっていると殺される。みんなが命をかけて守ってくる。何なんだ一体。くるくる変わる感情の出し方がみごと。
猫間光義の萬次郎さんに向かって、みんながお前の為に命を張っているのにお前は何なんだと叫ぶ。ここがすごくよかった。主従の関係に希薄となった現代、主のためにそのお家を守るためにと命を投げだす。その本気さが実感できないでいる。でも、その想いを自らが台無しにしようとした時の怒りが、その感情がコクーン歌舞伎として出来上がったものだと思う。歌舞伎は絶対にあのような台詞をはかないと思う。その叫びにも参ったと思った。すごい。
最後の立ち廻り。何もない箱のような舞台で取り手がかかる。速い動きでの立ち廻りが美しい。歌舞伎のゆたりとした時間をいかしてみせる立ち廻りと異なる。が、主のため怖いものなどない。その精神は歌舞伎である。七くんと獅童さんのひたむきな想いは強く感じる。バンといさぎよく突っ伏すように倒れた七くんの姿は、歌舞伎味あふれていた。そんなのみたことないけれど、すごくよかった。覆いかぶさるように獅童さんが倒れる。犠牲となった死に一つも悔いのない2人に姿。そこに駆け付ける天日坊の勘九郎。自分への想いに少し揺らぐ様がいい。 ついこの間   とわかったばかり俺を命をかけて守る。俺は誰だと叫び、俺として戦う。 とてもよかった。あまりにも素敵で、大の贔屓の海老蔵さんよりも勘九郎さんを贔屓にしてしまいそうだと思った。どうでもいいけど。 立ち廻りに重なる音楽。トランペットにギターによその音に、胸がぎゅーっとなった。オンシアター自由劇場を彷彿とさせるところも心に染みたのかな。何の涙か自分でも説明不能に、ポタポタおちた。すごい芝居でした。すごい歌舞伎でした。

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