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2012年9月 3日 (月)

八月花形歌舞伎 千穐楽

覚書
プチ夏休み、演舞場編。演舞場に行くのはいつものことだけど。
昼の部、夜の部と3階から観賞。宙乗りの引っ込みあたりの席から存分に観賞(昼はとんでこないけど)。
ニンというものを考えた。
慙紅葉汗顔見勢。これは、三代猿之助四十八撰の内である。猿之助が、猿之助をみにくる客をいかに楽しませようかと工夫に工夫を重ねたものだ。あの工夫はすごい。俺をみたい人に俺をたっぷり御披露しようという心生きがある。でも、はたして人々は今の海老蔵にそのようなものを求めているのであろうか。少し角度が違うと思う。
伊達の十役は、魅せることを追求した芝居になっている。海老蔵の仁木弾正は、確かにいい。細川勝元の正義感もよく似合う。土手の道哲の悪だくみ感は、小悪党なのに小さくならない。悪いのに愛嬌がある。足利頼兼ののんびりした感じもいい。位が出る。 でも腰元累や絹川与右衛門は、人を替えて見せるというところにとどまってしまい、その小ささが逆効果になってしまった。高尾太夫も。女の役が悪いというわけではない。じっくりと乳人政岡をみせたところは、よかった。好きでした。こういう演目がないと、みることができなかったかもしれない。彼は、じっくりと役をみせる方がいい。それがニンなのだと思う。 
ところどころで、そう、これよこれっ!っという場があった。 仁木弾正は、でてくるだけで空気が変わる。仁木弾正が、あたかも空をあるいているようなみせかたは、すごく面白い工夫だ。3階で待ち受けていて嬉しかった。 でも、出でみせる集約力がすごい分 工夫によって気迫が薄れてしまったようでもある。殺気を感じるほどの出のあと、何も言わずただ花道を去る。その歌舞伎の古典の手法の方が、なんだか得体のしれないものを観てしまったという強い印象が残るように思った。
私は、大の贔屓だです。観ていると、やっぱり面白い。でも、心の奥に何か違うものを感じてしまう。もっともっとそれじゃない何かがあるのに。もったいないと。 
私は、海老蔵の器用さが好きなのではないのだ。きっと。
海老蔵のみせる歌舞伎の空気は、他に向けた方がもっと似合うと思う。人にこの事を指摘されたら反論して、擁護したくなるかもしれないけどね。模索中なのかな。付き合うけどね。

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