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2012年10月31日 (水)

狂言ござる乃座47th

週末、国立能楽堂に行ってきました。 狂言ござる乃座47th。大曲、花子がかかるとあって楽しみにしていました。
楽しみにしていたはずなのに・・・
おうちでぼんやりしていて、出発するのが遅れました。自分のバカさ加減にあきれつつ向かう。残念ながら、舞囃子「班女」は既に終わっていました。
「花子」静かに始まり(ここは遅刻して立ち会っていない)、演者が幕に入る段になってから拍手がおこる。そういう、わーっと盛り上がるのとは異なる観賞のものもいいなぁとしみじみ思いました。拍手をする気にならないほど内側で満喫という感じでした。こういう気分にはなることは、そうそうないのですが。うーむ。すばらしかった。しみじみ。 この抑えた美の下にある、しっかりとした運びがきれいだった。今回は、ややもすればおかしみのある部分が あまりいらないなぁとまで思った。色味を抑えた装束のもまた美しかった。 これこそ、日本人の美ではなかろうか。外人にはわかるまい。 それぞれの国に異なる文化があってしかるべきである。
国立能楽堂の中庭には、すすきなど秋らしいしつらえで風流だなぁと思いました。

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2012年10月30日 (火)

『1Q84』

9月に村上春樹の『1Q84』(新潮文庫)を6冊続けて読みました。単行本発売時のお祭りさわぎすごかったなぁ。せっかく文庫になったのに、ゆっくり読むタイミングで読みたいと楽しみを先伸ばしにしておいた。読んだパンダのカバーをもらおう!という物欲的なきっかけで読む。6冊続けて(途中で1年待たずに)読むことができてうれしかった。やめられないもの。ばーっと読んじゃうのももったいないけどね。
村上春樹を読んで、どう思ったのかあらわすのはとても難しい。世界感がいいとかいうのも、ちょっと違うと思う。好きというより、この気に入った感はなんだろう。 すごい成功者(お金持ちだったり有名人だったり)が主人公ではない。こうやって書いてみると俗物的な言い方だなぁ。普通の暮らし(普通じゃないけど)の中にあること。いかにして人の芯になるあるものに 自分で気がつくかということを考えた。 物だけでなく機会やいろんなことに囲まれて飽和した毎日を過ごしていると(仕事と家の繰り返しでも)、みえないかもしれない。なくしちゃうかもしれない。 さっぱりとした暮らしにあこがれながら、いろんなものにしがみついているから、そう思うのかもしれない。
青豆、天吾、ふかえり。すごく魅力的です。麻布の夫人もタマル氏も、そのプロフェッショナル振りにひかれる。牛河のアクの強さにも。 宗教は自分で選んで信じるものと思ったが、それは無宗教をありとする日本の風土だからだ。そして日本にいても、のがれられないものもいる。深く信仰する家にうまれた子供もまたしかり。 最初は自分の信じる正しい道であっても、それが集団となり、手に負えないほどの力を持ってしまうと今度はあり続けることに力をそそがなくてはならなくなる。答えのわからない社会問題も、「仕方ない」以外の道を自分で切りだすところをみせてくれた。それによって背負うものも。とるべきこのを、自身を犠牲にして得たからこそ、余計なことが不要であり、大切なものもみえるのかもしれない。すごい本です。 
淡々と暮らす。本当に大切なものがあればいい。それが私の理想とする暮らし方なのかな。と、この本を読んで思った。 はなしの筋や、それ以外のことにも心をゾワゾワさせて読んだ。私の人生で握りたい手のこととか。
堪能しました。

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2012年10月29日 (月)

ジェーン・エア

先日、日生劇場へいってきました。それは嵐が丘をみるため。開演にちょこっと間に合わず、「ヒースクリフ待っていてっ」と心の中でつぶやきながら小走りする。3分程遅れて入ると孤児院での場面のよう。ジェーンが、わたしは嘘付きですって札を首から下げられて怒られていました。あれ?どうしてジェーンが孤児院に?みなしごなのはヒースクリフの方では?あーなりほど。これは、よしながふみの大奥のように逆転しているという趣向なのね。ふむふむ・・ そんなはずはない。ん?そういえば、嵐が丘はキャサリン。これはジェーンと呼んでいるわ。
結論。ジェーン・エアは、ジェーン・エア。嵐が丘は嵐が丘。違うおはなしです。なんと、わたくしの観に行ったお芝居は、ジェーン・エアでした。びっくり。
うーん。松たかこさんの嵐が丘を観た気がする。舞台のセットも覚えてます。あれは、新橋演舞場であったのか。
というわけで、ジェーン・エア。 実は、当初 歌舞伎会のポイントかせぎ気分でした。すみません。これが、けっこう面白い。 舞台のセットも荒涼たる感じがよく、ヒースの丘(否 ヒースクリフ)の強く風が吹き何もない雰囲気がなかなか。 驚いたことにミュージカルでした。どんどんどんどん歌いあげる。松たかこの伸びる声は、すごく表情があり魅力的。感情が声によく乗っていて、あきさせない。どんどん引き込まれる。
久々に翻弄されました。こういう感情の動き忘れていたわ。会場の一番後ろ、かつ端っこの席だったのに、すごく集中してみました。そしてワクワクした。ワクワクていうよりハラハラ。最近、おちついてしまって人の恋の話をきいても、それはよかったのうとおばあちゃんが孫の話を聞くような気分できいていました。久しぶりに荒々しい気分がもどってきました。翻弄されてもよくってよ。
音楽は生のオーケストラでした。日生劇場は、上の方まで音がいい劇場です。古いといい音の気がします。感情は歌にするにかぎるわね。あれれ?ミュージカルってこんなに面白かったかしら。今なら、ラ・マンチャの男をみにいってしまいそうだわ(それは若干誇張すぎたけど)。

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2012年10月25日 (木)

『あやつられ文楽』

三谷文楽、9月文楽公演、秋文楽巡業と3か月続けて文楽を観にいったので、読みなおしてみました。三浦しをんの『あやつられ文楽』(双葉文庫)。何度読んでも面白い。大の贔屓の勘十郎さんの部分の文章を、特に楽しんでいましたが、他の方も少しづつわかるようになってきて より楽しくなりました。燕三さんとかね。
こんな風に紹介していただけるならば、世界中のあんな人・こんな人・めったにどころか一生あうことのかなわない人にもどんどん逢っていただきたい。そして庶民のみんなに、その世界を知らせて頂きたい。つまんない案内本にあるがっかりがない。わざわざあのお方にあって、できあがったものはコレですかという、がっかりするものがあるからね。逢ったことを自慢してるだけなのは論外です。腹立たしくなるもん。 プロの書くものをよみたい。これみたいに。
みたものを、面白可笑しく説明できる腕ってすごい。しかもとても身近なな感じがする。高尚という部分から離れて説明。いかに愛しているかも伝わる。 好きなものをどんな風に好きかって上手にかけるような練習に、私もこのブログをつけているのかもしれません。しをん師匠は、さりげなくてそして秀逸。
しをんちゃんによる文楽解説は、最高。こんな風に私もあの桂川の長右衛門さんのことを誰かに話したいわ。こんな風に、つい観にいきたくなるようにね。忠臣蔵通しの物語を読んだら、11月大阪文楽劇場での忠臣蔵の通しをみたくなっちゃたじゃないのっ!魅力的すぎるわっ!しをんちゃんのバカっ!あれ?師匠なのに(勝手に思っているだけですが)。

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2012年10月24日 (水)

第6回 萬歳楽座

先週、国立能楽堂で、第6回 萬歳楽座を観てきました。三番叟 双之舞がかかるので是非とも観たかった。発売日に電話してみたら売り切れていました。キャンセル待ちをお願いし、そんなもの出ないだろうなと思っていたら・・・出ました。しかも、希望していた一番お安い席で。よかった。三番叟が2人出てくるものは、六郎兵衛さんのところに野村家の上演の記録が残っていたそうです。それを万作先生に相談され復曲となった演目。以前、万作家の公演で名古屋能楽堂まで観に行ったような記憶があります。途中で対照的に廻る場があり驚いたような。今年、厳島神社で上演されみたいなぁとおもっていました。なんと東京でみることができるとは。幸運。
観に行ってさらによかったと思いました。
最初に、六郎兵衛さんが出てきてお話。三番叟が2人出てくるもの、そして猩々も2人。「神楽式三番叟 双之舞」と「乱 置壺 双之舞」を続けてみるという試みのようです。音というものを主題にして回数を重ねてきたそうです。
まずは、六郎兵衛さんの一管「平調音取」。
続いて、「神楽式三番叟 双之舞」。千歳の裕基くんがキリっと登場。三番叟は万作師・萬斎師。笛はもちろん六郎兵衛さん、脇鼓を2人従えた小鼓に源次郎さん大鼓は広忠さんとみどころだらけです。
席は脇正の一番後ろ。橋がかりでの動きがまじかに感じられました。舞台は横から観賞。2人の三番叟横に並ぶと、きっちり奥の方がみえなくなる。背の高さは違うが、揃うというのはこういうことかと感心する。前後の動きを横からみるのも面白いものだでした。三番叟は、ぐるっと廻る動きが多いので横からの視点も興味深い。おごそかな気持ちになる。繰り返し繰り返しの動きが美しい。
休憩後、能「乱 置壺 双之舞」人間国宝が3名も登場。宗家といわれる方も6名くらいいらっしゃいました。重厚。そこに現れた猩々。登場し、もう1人の猩々を呼ぶ。人間がみることのない世界のような(山奥のような)とても清らかな感じがしました。地謡や後見や囃子方の重厚さが、より猩々たちの清らかさをひきたてているのでしょうか。清潔できれいでした。汲めども汲めども尽きぬ酒壺。それを覗き込む形も、俗っぽくなくきれい。能は上品という自分の固定観念もあるかもしれませんが、美しさが楽しかった。足さばきも変わったもののようです。観世清和さん、片山九郎右衛門さんのお2人はスラっとしているので、重心を感じつつも軽やかできれいだなぁと思いました。
「音」にも注目して観てみた。聞こえない足をする気配や、囃子が止むと急に聞こえる荒い息づかいも、これも含めて舞台なのだなと思った。一管の始まる前の緊張感のある一瞬の静けさ。観客の息をのむ静けさ。会場全体で作る緊張感もよかった。満席なのに、シーンとしたりほおと思ったりする気配を感じました。舞台が終わる時にも、そのまま静にしていたくなった。拍手もせずにただいたい感じでした。 舞台がはじまったときのしずかな感じ(拍手をしない)。幕に演者が入りはじめてはじめて起こる拍手という独特の空間。これが能楽堂の作りだす空間なのだなということも考えました。堪能。

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2012年10月23日 (火)

『Santa Fe』

写真展をみにいって、欲しくなって購入。今頃。宮沢りえx篠山紀信『Santa Fe』。 
篠山紀信の70年代の「激写」シリーズとして社会現象にまでなった写真集には、『Santa Fe』(宮沢りえ)と『water fruit』(樋口可南子)などがありました。そういえばそうだった。あのころは、ザ ヌード写真集というイメージが強かった。今では、芸術としての写真というものが浸透し、ヌードということが そんなに大きな問題に感じない。肉体の表現、より美しくみせる方法の一つである。沢山の紀信の作品を見た。Santa Feの宮沢りえの写真は若々しさにあふれていた。売店で扱っていたので、奮発してみました。
先日、劇場のロビーでとてもきれいな人だと思ったら、りえちゃんでした。キラキラしていました。あー私の永遠のアイドルだなぁと思ったところでしたし。ほっそりして気品があって凛として美しかった。
10代の終わりのあの輝くばかりに美しいひと時を、うまいこと撮るもんだなぁと思った。昔は岩のところで裸体をとるなんて奇抜なようが気がしたが、今みると奇をてらう感を感じなかった。理屈をこねないショットにみえた。自分が変わったのか、時代が変わったのか。おもしろいものだなぁと思う。そしてとてもかわいらしいと思う。

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2012年10月22日 (月)

「篠山紀信展 写真力 THE PEOPLE by KISHIN」

先日、東京オペラシティ アートギャラリーにいってきました。「篠山紀信展 写真力 THE PEOPLE by KISHIN」を見る。とにかく1枚の写真の大きさに驚く。写真の力か、大きさの力か。何か言いたくなっちゃうほどの大きさ。篠山紀信の取る写真は、やっぱり違うと思う。よく知っているその人が、まさにその人らしくみえる。面白かった。点は多くない。もっとみたいけど、もっとみたら過度な気分になるかもしれない。
展示は、パートにわかれている。「GOD:鬼籍に入られた人々」「STAR:すべての人々に知られる有名人」「SPECTACLE:私たちを異次元に連れ出す夢の世界」「BODY:裸の肉体、美とエロスと闘い」「ACCIDENTS:2011年3月11日、東日本大震災で被災された人々の肖像」
最初の鬼籍に入られた人々のインパクトがすごい。活き活きとしている。それでいて、声を出すことをしのばれるような雰囲気もある。三島はより三島らしく、寅さんはより寅さんである。自分の中でもっているイメージをより濃くした感じ。
スターのところに、大きな市川新之助があった。今よりも繊細でとがった青年にみえた。百恵ちゃんのスター性と蒼井優ちゃんのスター性の違いも感じる。どっちがすごいとか比べるものでなく。時代が求めるものも違うのだなと。
スペクタクルのところに沢山の歌舞伎の写真。ここは文句なく面白い。おおきければ大きいほど歌舞伎に似合うようだ。それにしても、大きい。
ディズニーランドをとっているものは、やや醒めた目線にしてクールにつくりものをみせている気がした。反対に、歌舞伎の方は熱い。紀信氏は撮影がのってくると役者と一心同体の気分になっているそうだ。なるほどと思う。同じ作りものの世界なのに真逆の感じで面白い。
ボディ。Santa Feの宮沢りえちゃん。記憶にあるよりもあどけなく、かわいらしく、少女だった。今になって写真集に興味がわいてきた。ダンサーの身体の美しさ。きっとダンサーを眼でみるよりも、この写真でみた方がボディの美しさを感じると思う。刺青の男の迫力とか。目の前にいたら、絶対に凝視できないものをじっとみる変な感じもいい。やっぱりすごい、篠山紀信。
最後に、アクシデント。2011年3月11日、東日本大震災で被災された人々の肖像。写真家として必要な仕事なのだなと改めて思う。紀信は、震災で前のものが想像できなくなってしまった地にピントをあわさない。そして人を撮る。落ち込んだり、哀しみにくれていたり、元気を出そうとしているのでない状態。それが紀信の考えるありのままなのかなと思った。
この展示を観に行ったのは篠山紀信展トークシリーズのため。ポートレートの被写体となった方々をゲストを迎え、篠山紀信とのトークを行う。「市川海老蔵×篠山紀信」にいってきました。すこぶる面白かった。
冒頭は篠山紀信が話を振り相手の出方をみるようであったが、想像以上に自由きままでかつよく話す海老蔵に、そのうちに押されるようになっていったのが面白い。明確にしにくい大人の事情をにおわせると、やたらとソコを追求し続けたり。急にまっとうななまっすぐな意見を述べたり。主導権は紀信にあるのだけど。被写体となるものとそれをとらえるものという2人の話は面白かった。
役者の写真をとるときに、同じ舞台をとっても写真が違う。紀信が撮ったものとの違い。紀信が舞台資料として撮る写真は、場の一瞬をきりとる写真と性格が異なるから仕方ないという。確かにその場の熱を感じる魅力のある写真と全身の装束や全身のポーズを写すそれと違うようにも思う。そんなことはないという海老蔵。気迫を感じる写真を撮ろうとすべきという。紀信の中にもそういう気持ちはあると思う。よりよくあるために妥協しない・あきらめない人達の話は、時折どきっとするところもあり面白かった。
獅童さんを写真にとるのが、一番浮世絵っぽさが出るらしい。スペクタクルという区分の部屋で歌舞伎役者の写真をみんなで振り返ったりしながらみる。スライドで紀信の撮った海老蔵の舞台写真をみながら海老蔵自身がコメントするというのも、面白かった。こんなたっぷりのトークとは。司会者が出てきて下手な型どおりの質問をしていうようなつまならないものでなく、とても面白かった。来年1月は浅草歌舞伎に出演ということもいちはやくわかってうれしかった。たっぷりと楽しみました。

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2012年10月20日 (土)

宗家藤間流 藤間会

9月覚書
二世藤間勘祖23回忌追善 宗家藤間流 藤間会に行ってきました。とても豪華で、しっかりした内容。斬新さもある。素晴らしい。一日だけのためとはもったいない。(公演は2日。3つにわかれていますが全部で27演目も。)
それぞれ最後の演目に藤間勘十郎さん出演。昼の「四の切」と夜の「関の扉」。すごく楽しみにしていました。期待を裏切らないどころか、技術の確かさと、見せ方のセンスに驚きました。演じる方にまわればいいのにと思ったり、このセンスは、なるべく人が宗家となったのだなと思ったり。藤間のことをいっぱい考えた日になりました。
合間に、虎之介くん・鷹之資くん・千之助くん・玉太郎くん・金太郎くんの「石橋」というような可愛らしい番組も。チビっ子でも堂々としています。その子の小ささにあった見事な振付になっていて、プロってこういうことかと感心。みている人々の顔もほころぶ。愛子ちゃんと、梅彌やさんの踊り。愛子ちゃんに姫天王と大向こうがかかり、ジーンとする。堂々としていて大物。可愛らしかった。藤十郎さんと翫雀さんの「隅田川」があったりと、重厚。「鶴亀」では梅枝くんと歌昇くんが鶴亀を従者に壱太郎くんと注目ののびざかりの超若手の清潔感あふれる演目もある。すごい会です。
勘祖さんの御出演は「野狐禅」。出てきたところから雰囲気が違う。踊りに詳しくなくとも、この違いはわかる。はじまる感じ、展開する感じが他の踊り手の方と全然違う。ほぉっと思う。
「四の切」装束を着用せず、素踊りのように紋付袴姿。無地の着物の色を変えることで雰囲気を出す。清潔感があり、ごまかしのきかない感じ。「関の扉」では、勘十郎さんは鷲の役も。髪型が鳥になっていてキュートでした。
「四の切」をみて、この演出は若手役者さん達が挑戦したところをみてみたいと思った。台と大きな屏風で川連法眼館をあらわす。佐藤忠信でいる場面が多いので、忠信の重要性がはじめてよくわかった。なるほど。子狐のくだりの後、再び忠信が登場し大取りものになる。この展開はとても面白かった。重鎮は技をみせてくれる。若手は物語の面白さを伝える方を重点に表現するのが向いているのではないかなと考えた。 装束を省き、抑えた魅力。慈愛あふれる魅力。華やかな魅力と さまざまな要素がありとても魅力的だった。
「関の扉」。話がよくわかった。梅津さんの会で、素踊りでの「関の扉」をみたときに話がよくわかると思った。不思議に、歌舞伎で装束をつけて演じるよりも話がはいってきやすい。松緑さんの黒主は眼をギョロリとさせて装束がなくとも堂々として動かない人間像でした。松緑でなく、藤間勘右衛門として登場。舞踏家でした。菊之助さんは、清潔感があり透明な美しさ。勘十郎さんとこの3人を軸にして、みごたえがありました。沢山の演目をみていて、最後の一つなのでみているこっちがつかれてしまいもったいない。
勘十郎さんへの大向こうは、「宗家(そうけ)」というのと「えいたい」というのがありました。藤間の宗家というのはわかるけど、えいたいって何かしら。歌舞伎手帳で調べたところ 「~ 昭和の名人祖父二世藤間勘祖から継承される演出の目を持った<永代(えいたい)>の振付手法は、作品と役者の魅力を存分に引き出すもの。 ~」と書かれていました。わかったようでわからない。永代供養という単語が頭に浮かんだ。 振付のすごさは体感したけれどもね。
見応えたっぷりで、ものすごく面白い。藤間会。 歌舞伎役者も沢山登場。どうか、次回はなんとかして休日に開催していただけないでしょうか。 毎月最初はその月の歌舞伎の舞台のお稽古で、25日ころまで毎日お芝居。月末しか、日にちがないという事情はわかるのですが。みたい。みんなでみたいのです。歌舞伎贔屓にも、たまらなく魅力的でかつ貴重な会ですので。お願いでしめてみる。 わくわくと、感心にあふれた会でした。客席や、ロビーも見るべきものがあちこちにあって、浮かれました。観くたびれました。

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2012年10月19日 (金)

「田村彰英 夢の光」

9月覚書
田村彰英。冒頭の作品は、〈BASE〉〈YOKOTA〉〈YOKOSUKA〉等の様子。人気のない場所。どうしてローマ字で表記するのだろうと思いながら見た。シリーズ「家」は、同じ家を、異なった月日時間で撮影したもの。ふーむ。同行のおさると、この狙いは何だと小声でいいながらみる。みていくとドンドン面白くなった。
「名もなき風景のためにより 気仙沼 2011年」「名もなき風景のためにより 陸前高田 2011年」にはっとした。風化するほどの年月がたっていないのに、少し記憶が後ろの方になっていた。すまなく思った。写真家たるもの、かけつけずにはいられないのだなぁ。写真を取ることが助けになるのか。この写真をみて、はっとした。被災地はそのまま。放射能のせいでもどることができない人がいる。写真で心を動かすことができる。
三重県津の座礁船や、上九一色村のアジトの写真もあった。少年のころあこがれた戦闘機のシリーズ。
田村氏が、展覧会への思いを綴ったのエッセイに、「子どもだった頃、アメリカは憧れの国だった。」とあった。 憧れの感情。負のもの、戦争。震災、原発事故への感情をつづったのか。見ている時とは、へーっと興味深くみるだかだったが、その面白さを感じたのかもしれない。

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「自然の鉛筆」展

9月覚書
写真美術館で、「自然の鉛筆 技法と表現」をみてきました。フォトジェニック・ドローイング?東京都写真美術館コレクション展 。写美コレクション展らしい、写真の歴史も感じる展示でした。最初は、写真という媒体で写し取るとこができるようになったという技術革新に注目という感じでした。そこから芸術性、写真にしかできない表現と進んでいく過程が面白かった。おお、マン・レイかと知った名前がでてくるあたりから表現がギューンと変わる。世界最初のカラー写真『アジャンの風景、木と水の流れ』という貴重なものをみたり。(ちなみに1872年)
木村伊兵衛や、植田正治などの大物も1点づつ。選択がむずかしそう。アラーキーや、森山大道のかっこよさ。杉本博司や、奈良原一高も気になった。最初のおカタさから、カッコよくなる流れも面白かった。

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2012年10月16日 (火)

茨城大冒険の巻

9月の覚え書き。
学友と2人で、先生をたずねて茨城県にいってきました。茨城の大自然探索。朝6時前に家を出発。いいお天気。台風がやってくるなんて考えられない秋晴れ。上野で集合したときにカシオペア運休です等々のアナウンスを聞きつつも、特急に乗る。電車は旅って感じがして楽しい。おしゃべりしるうちにつきました。
先生宅で御家族と合流。久々の友も一緒に一日いるかと思うとウキウキする。
5人でドライブ。蕎麦の花をみたり。牛もいました。樹齢3百年の桜の木は、うねうねとしていました。何で節々をゴツゴツとさせるのでしょう。通常の桜は寿命百年だそうです。森の中、静かにそしてドーンと桜が立つ。人はいない。でも横にお墓があったりとのんびりとしたところ。蝶々が飛んでいるのをみたり。赤トンボが飛ぶ季節なんだと感じたり。指にとまらせようとしたが失敗に終わりました。
月待の滝というところでお蕎麦をいただく。おいしいおそばでした。訪れる人もそこそこの数で、のんびり。いつまでもいられそう。きれいな名前の滝です。茨城には滝が沢山あるようで滝のグラフがかかっていました。滝の裏にまわれるとか、滝は滝なりのポイントがあるのですね。 滝の裏側にまわったり、滝越しに写真を取ったらずぶぬれでやさぐれた人にみえると笑ったりといい時間を楽しみました。川の中の魚を探したり。
最後に袋田の滝という大きな滝に連れていっていただきました。急に一大観光地のようになり、大きなバスの駐車場や、よびこみ熱心はおみやげもの屋さんも沢山。雰囲気の落差が激しい。大きな滝をみて、大きすぎて距離感がわからなくなる。大きすぎて小さくみえました。カメラからのぞく滝は、眼でみる滝と全然違う。チビっこちゃんに写真をとってもらいました。幼稚園生でも、上手にとるものです。時代を感じます。
本当は、もう一度先生のお宅でゆっくりさせていただくはずでしたが、台風がせまってきているということで後ろ髪をひかれつつも退散いたしました。帰りの電車で、友と宴会。ビール(しかもプレミアム)とおつまみ。おじさんじゃん。でも幸せ。

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2012年10月13日 (土)

ローマ法王の休日

9月の覚書。
夕刊の広告をみて、是非みたいと思った1本。ローマの休日まいたいなラブロマンスコメディかと思うでしょう、誰しも。しかも、ユニークなハートフル・コメディーと書かれていました。ひとっつもハートフル・コメディーではありません。私はこれ好きでした。
ナンニ・モレッティ監督は、イタリアのウディ・アレンとの異名をとるそうです。どうしてもあの傑作・イン・パリを思い出します。監督は、脚本、演出、出演の3役をこなしたそう。えっ出演してたの?あの精神科医らしい。なるほど。
ローマ法王の訃報。新しい法王を選出するために各国からヴァチカンへ枢機卿たちが招集される。コンクラーヴェです。これは、ダヴィンチ・コードを読んで知っています。法王選出の選挙です。枢機卿たちがゾロゾロと儀式に連なる。システィーナ礼拝堂にこもり。選挙が終わるまで外部との連絡は一切遮断される。これも、読んでしっています。各国からというのは、世界中から枢機卿たち達が集まってくることでした。知らなかった。オセアニア代表とか。日本からも一人参加してました。その人数の多さ、一切現代化しない昔どおりのしきたり、外では、法王選挙を報じる過熱報道、お祝いに集まる多くの人民。信者は、世界中にいるのだということを思い知らされる。一生をかけ信仰の道に進むもの。そうでないものも、日々のいろいろな場で祈りをささげる。その頂点に立つ人が、この神聖なヴァチカンで選ばれるのである。背負うものの大きさが徐々に伝わってきます。
ここで驚くことに、投票している枢機卿達が「どうか私に投票しませんように」と祈る。一人ではない。全員が祈っている。ええっ。
繰り返し投票が行われ、候補にもあがっていなかったひとりの枢機卿が当選してしまう。責務から逃れた喜びで祝福する枢機卿達。ここら辺から、この気の毒なメルヴィルに感情移入することになる。助けて神さまと。
特別な着衣を身につける。みているこっちも心臓がしめつけられるようだ。就任演説のため、多くの民が待つ聖ペドロ広場に面した窓に向かう。熱狂する人々の多さ、ここにいない世界中の存在を感じる。おしつぶされそうです。 直前にとうとう耐えられなくなる。重圧のあまり倒れる。
人民の前に姿をあらわすことで発表となる。手厚く看病を受けてもうけいれらないメルヴィル。決定するまでは、一歩も出られず誰とも連絡できない枢機卿達。精神科医が呼びよせられる。どうにもならないお年寄りが沢山の図。しわしわで大げさな服をきて、どうすることもできない。
広報の一手で、メルヴィルはだけがそっと外にでる。そして、逃亡する。私は逃亡を支援しました。心の中で。
市民の生活に入るのだけど、信仰について考えるわけでなく自分のなりたかったものをなぞる。どうしてここへというところへチョコンと入りこみ、控えめに口を挟む。そしてあまり受け入れられないがなんとなく居場所がある。
一方、ままならない各国の枢機卿がそれなりの時を過ごそうとする。バレーボールをすることになる場には笑った。
この2つの動きはちょっと皮肉で、おかれた深刻な状況と間逆に楽しむ様がなんだかおかしかった。
最後は、自分の責務を果たすために自分の意思でメルヴィルが戻るのかと思ったら違った。連れ戻され、期待にみちた枢機卿達を後ろに従え人民の前で「私は法王を辞退します」と告げる。呆然とした。
でも、やっぱり引き受けられないとおもった。(法王目線だけど。)
現在や過去のローマ法王の苦労をおもんばかる。

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文楽がやってきたヤァ!ヤァ!ヤァ!夜編

我が街に文楽がやってきました。紅葉坂の青少年センターで夜の部も観賞。今度は、職場の友と観賞。同じく最前列より、くいいるように観賞。
まずは「二人禿」。豪華な羽子板でも、普通に羽をつくのかしらんと思う。続いて お楽しみの「すしや」。勘十郎さんがいがみの権太ですからね。
お里ちゃんと弥助(実は維盛)が冒頭にいちゃいちゃするのは、歌舞伎バージョンなのねということを知る。 一番おどろいたのは、すしやで本当にすしを売るシーン。あの桶の中に、長方形の柿の葉寿司の大きいようなのが何本も入っていてそれを売っていました。ますの押し寿司のように、あの桶の中じゅうご飯だと思っていました。おっかさんからじゃなく、娘から受け取りたがる客とかもいて、面白かった。
親 弥左衛門に、玉也さん。にがみばしっていていいです。勘十郎さんの権太はおおきかった。憎たらしさ満点。足で戸を開け閉めし、母親には調子よく、妹には横暴。あの乱暴ものは、何をきっかけで改心したのだろう。しかも、改心するとなったらただの善人をはるかに超える自己犠牲(自分の家族を犠牲)する。みるからに不逞の輩の時には、憎たらしさ満点。それなのに、改心後(その場面では憎たらしいまま。観客はわかってみている時)、維盛の妻子だといって自分の妻子を差し出す。その時にそっと妻子をみる眼がジーンとした。気がつかれないようそっとみる。しかも人形が。それなのに、とても伝わるものがあった。 徐々に明らかになる真実。権太の腹には、親 弥左衛門が差した刀が刺さっている。もう息もたえだえである。その状態で維盛のお伴をといって立ち去ろうとする。ええっ。行かないでと思う。(歌舞伎なら権太の脇に座っているのにと。) その時に、はっと権太の前にまわる。顔の前に顔を近づける。もう見えていないかもしれない権太の顔の前に我が顔を近づける。ジーンとした。もう少し早く、性根を入れ替えればこんなことにと嘆く。そんな父に、いがみだったからこそ梶原を欺くことができたのだと声をかける。我が子を手にかけたという、重荷を背負わさないためであろうか。いい場面でした。いやぁ、すしやも面白かった。我が街にやってきてくれて、そしてお安く観賞させてくれて、どうもありがとう。文楽。
追記;後で、よーく筋書きを読んでみると出家した維盛は滝に入水し命を落としたとかかれていました。みんな命掛けで守ってくれたのに。

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2012年10月11日 (木)

文楽がやってきたヤァ!ヤァ!ヤァ!昼編

我が街に文楽がやってきました。2012年秋の地方公演。神奈川県立青少年センターにいってきました。一昨年は、こんな素敵なこと(巡業)があるのねと直前で気づき当日券でみました。去年は、はりきってとりました。今年は、もっとはりきって昼夜両方みちゃった。以前、国立小劇場で昼夜続けての観劇に挑戦し、集中力がきれてぼーっとしてしまいもったいなかった思い出が。今では、歌舞伎観賞のように、昼夜通してみることができるようになりました。
昼は、桂川連理柵。六角堂・帯屋。最初に解説が入る。長右衛門の人生について、友にあつく長く語りたくなった。38歳と妻のある男と、14歳の少女が心中にいたるまでの話だけど、もともとのもめごとの根本の部分を、全く演じない。解説で話を聞き、ええと思う。そこから、じわじわと抜き差しならない事態に陥り、2人にはこの道しか残されないと手に手をとって・・・ いや、違う!この道以外にもあったろうに。あんなにできた嫁を持ち、人格者の父を持ちながら、長右衛門さん、あなたは心中しかないのか。まったく残されたものが気の毒ですよと思った。 この話を理解していないのと、お半ちゃんが最後にちょっと出てくるだけなので そんなに味方してあげられなかったせいかもしれません。お半ちゃんを遣ったのが、勘十郎さんだったのに。嫁のお絹ができすぎた人間だから窮屈なの?と一筋縄ではいかない人の心のわからないあれこれを感じました。初心者なので、人形ばかりみたいのですが、今回やっと床の魅力にきがつきました。それは、嶋大夫さんのおかげです。まぁ、面白い。どうしても嶋大夫さんがみたくて、首を舞台に床にとキョロキョロ動かし続けました。すごい。いじがわるい母親と義理の弟とおまぬけな丁稚の長吉のやりとりが秀逸。大物の方に言う言葉ではありませんが、これを可愛いというのでは。基本うまい。その技術の上にある愛くるしさ。すごく楽しかった。あんなに生きいきとしているなんて、どうなっているのでしょう。長生きの亀さんのような風貌で(失礼)、語るもの語るもの生きいきとして、楽しくなる。愉快な会話も気迫溢れ、絶妙の間合い。きかせどころも、普通の会話も全力投球。すごい。みていてクタクタになるほど。 長右衛門の人柄について、いろいろ思い、嶋大夫さんの語りに吸い寄せられました。 あー楽しかった。同行の父も喜んでいました。夜の部につづく。

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2012年10月10日 (水)

K.ファウスト

先日、世田谷パブリックシアターにて、『K.ファウスト』というお芝居をみてきました。串田演出で、笹野さん、コヒさん、小西さんや片岡さん・内田さんというオンシアター自由劇場のメンバーも集結ということで、でかけてきました。
みながら、自分の観劇の歴史なども考えました。オンシアター自由劇場をみて、芝居というものは面白いなぁと気が付き、夢中になってみにいきました。解散してしまい、寂しい心をうめてくれたのが古典芸能。狂言のお稽古をはじめ、能楽をみにいったり。そして歌舞伎にはまり・・・文楽も落語も味わう古典芸能大好き女になりました。あのままオンシアター自由劇場が存続していたら、こんな感じの芝居になっていったのかなぁと考えた。
K.ファウストをみていて、ちっとも気がつかなかったのだけれど、メフィストフェレスが出てきて、あっ!これはあのファウストかと気がついた。そのぐらい独特な世界感があった。笹野さんと小日向さんには、存在感が段違いでした。コヒさんののんきななかにある残酷さがすごかった。求心力と。
あのファウストかと気づき、思い出したのが野村萬斎さん主演の『ファウストの悲劇』。蜷川演出なのでまがまがしかった。悪魔に魂を売った男が代償として追いつめられる様を思いだす。このK.ファウストでは、笹野さんがファウスト。博士なのだけど、チラシにあるようにK.ファウスト君という感じもある。年を重ね、まだまだもっと知りたいという知識欲からはじまったのに、力を手にすると思うことは俗っぽいことばかり。名声、女性にもてること。ちやほやされることに上手に悪魔に誘導され、気がつくと約束した終わりの時が迫ってくる。まだ何もなしえていないという気持ちは、力を得る前より強い。そういえば、萬斎ファウストにもトロイのヘレナがでてきました。笹野のおじさまも、気になる女がいるとブランコの上の美女に後ろ髪をひかれながらも、悪魔に次の地につれていかれてしまう。とりとめのなさと、人の手に負えない運命の流れが、サーカスとcobaらの折り出す音楽で運んで行く。
もう、時間がつきるというドキドキした瞬間で、ぷつっと終わった。えっ・・・ 劇中の笹野ファウストと共に茫然とした。 音楽がうねり、サーカスがうねり、誰かの一生がおわっても世界は続くとばかりにうねる。 夢だったようですらある。 このえっ・・・ という気持ちを持て余していると、横の席のおさるが「今日はこれぎり」っと言った。 すごく腑に落ちた。二人で、宙に大入りと書いてみました。
帰りに、祝杯。何を祝うかは不明。&お買いもの。お酒の勢いかしらん?

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2012年10月 8日 (月)

古典への誘い

各地をまわる、「古典への誘い」。唯一の能楽堂での公演を選んでみてきました。
海老蔵主催。本当に?と思っていたら本当でした。オープニングトーク、35分ほども。そして、実に熱心に丁寧に、古典芸能への愛情を語り、観客に話しかけ、あちこちに気を使うという、もう偽物では?と思うほど、まじめでちゃんとした海老蔵さんをみてきました。仕切ってるの。ちゃんとした話は、人によっては頭に入ってこないのですが、楽しくまじめな説明を聞くことができました。ときどきちょっとおかしいのもいい。熱心な解説のおかげで、その後に続く能楽の「石橋」の面白かったこと。今までで一番ひきこまれたかも。山深い地に、自然が作りだした橋のような形に石がある。そこに露がかかる。獅子登場の場面を想像させるべく説明がある。一番心にのこったのが、海老蔵さんが時間はいつなのか説明してほしいと言ったこと。夕刻のその眺めを想像する。地謡の地の底からわきあがるような声。吠えるような大鼓(広忠さんだから)。小鼓もまけていない。笛の切り裂くようでしずかでもある力強さ。太鼓もすごい。もう、大迫力。シテ方もまけてない。特に親獅子の動きにみせられた。なんて面白いのでしょう。
休憩をはさみ、歌舞伎による連獅子。能舞台という特殊な空間で面白かった。脇正面だったので、長唄が真正面にきて、義太夫の三味線のように音が響いた。親獅子の海老蔵さんも、子獅子の壱太郎くんも、能楽の大迫力に力を得て、のせられることなく、しっかりと歌舞伎をみせてくれた。派手な演目のチョイスもうまいし、なによりも説明から演目への運びがよかった。やるじゃん。(高かったけど。)なんだか。もうのすごく満足して、満たされて気分で帰ってきました。

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御園座 吉例顔見世・夜

続いて夜の部。菊畑です。これ、何回みてもよくわからなかったような気が。でも、今回はわかりました。これもまつけんの平清盛のおかげです。鬼一法眼三略巻。今みるのにいいかも。
奴智恵内に、仁左衛門さん。これ、智恵内が一番かっこいいのじゃないかしら。左團次さんは、今度は鬼一法眼。お鹿ちゃんとちがってしっくりきます。菊五郎さんは実は牛若丸。キビキビしてないけど、ちゃんと若くみえる。皆鶴姫は時蔵さん。もう、間違いのない座組です。
続いて、六代目中村勘九郎襲名披露 口上。菊五郎さんが紹介をするとは。全体的にわりとあっさりした感じでした。七くんが挨拶ししているのを聞くと、なぜかいつも涙ぐんでしまいます。今回も。応援しまーす。親戚の一員としてという言葉が次々と続くことに、観客が妙に反応していました。
最後に、義経千本桜。マーベラス。すばらしい。きちんとしていて、けなげで、もう百点満点です。全体的にもすばらしかった。ケレンを極め、お客様を喜ばせたいという趣旨もよくわかるけど、この基本のような 道行と四の切に参りました。あーいいものみた。どこもかしこもすばらしい。道行の静御前の出もよかった。山奥に気品のある人がすっと現れたあの感じ。すばらしいです、七之助さん。 源九郎狐の勘九郎さんは獣のするどさが隠しきれず、しかも子キツネくんでした。戦語りもすばらしい。景清をなんでそんなに知っていいるの、子キツネくん。
川連法眼館は、忠信として出てくる部分も、すばらしかった。襲名のポスターの夜の方が忠信でした。キツネじゃないのかなぁ?と思いましたが、この忠信をみてなんだか納得しました。 そして子キツネのよかったこと。夜の部も芸にみせられ、もうメロメロです。遠かったけど来てよかった。大満足。3等なのに集中して観賞できました。

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御園座 吉例顔見世・昼

中村勘太郎改め 六代目中村勘九郎襲名披露となると、どうもじっとしていられません。第四十八回 吉例顔見世公演をみてきました。
昼の部は、嫗山姥から。八重桐廓噺。煙草屋は扇雀さん。似合ってます。腰元お歌は、亀蔵さん。ちゃかちゃかかわいかった。あの、ひょうきんな腰元が着ることが決まっている緑のお着物、好きなのよねー。きてみたい。
八重桐は、時蔵さん。さすが。切腹した蔵人の魂が八重桐の体内に宿る部分で、読み終わったばかりの1Q84のことを考えた。
次に蝶の道行。菊之助さんの助国に、七之助さんの小槇。菊之助さんが助国とは珍しい。でもこのお2人なら、どっちもできそうです。うまいし、若いし、申し分ない。武智歌舞伎の毒々しい感じが、気にならなかった。蝶のはかなさがよく似合っていました。一緒に命を立っても、蝶になり花の大きさにますます頼りなげにみえる。あえて嬉しいのもつかのま、また責め苦に苛まれ、やがて静かに息絶える。はかなさがきれいでした。この2人こんなに似合うとは。すばらしかった。
昼の最後は、「伊勢音頭恋寝刃」ねたばか、ねばたかいつもわからなくなっちゃう。(正解はねたば。)勘太郎改め勘九郎丈が、福岡貢に挑戦ということでものすごく楽しみでした。彼は、すごくうまいし、間も完ぺきなのだけど、若い人が演じるとなんだか少ししっくりこないものがある。何もかもお主のためなのだけど、その大前提はあるのですが、なんだか行き当たりばったりのようで。うーん。どうしてそう思うのだろう。リアルすぎるのかなぁ。
万野は、菊五郎さん。意地の悪いぐあいがなんともいい。イヤな人がいいっていう、こういう味は若いうちには出ないのね。どんなにうまくても。料理人喜助は、仁左衛門さん。反則ってほどかっこいい。お鹿ちゃんが左團次さんだったとは。マイペースすぎるお鹿ちゃん。邪険にされてもなんとなく可哀そうじゃなかった。
お岸に、梅枝くん。これがすごい。もう、女の色気ですよあれは。祇園にお店を持たせてあげようかと旦那気分になってしまうほど。騙されてるとわかっても貢ぎたくなる魔力がありました。恐るべし、梅枝くん。とポカーンとしているところに、お紺さん登場。菊之助さん。あーやっぱりワシがお店をもたすのは、こっちのこだった。またもや旦那気分になりました。すねっぷりのうまいこと。すねてなおきれい。あのうちわのあおぎ方、女子たるもの身につけたいものである。メロメロ。
油屋で、カッカ カッカした貢さん。すごく怒っていて、奥庭へすっと気持ちが入る。殺すことないじゃんと思いつつも、もうなんだかわからず殺すしかなくなっている。血まみれになっているところに出てくる油屋の衆の一人に左十次郎さんが。ついてるわ。
御園座なくなっちゃうのかなぁ。記念にやひろで味噌でんがくと菜飯をたべてきました。いろいろと満足。

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