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2012年10月24日 (水)

第6回 萬歳楽座

先週、国立能楽堂で、第6回 萬歳楽座を観てきました。三番叟 双之舞がかかるので是非とも観たかった。発売日に電話してみたら売り切れていました。キャンセル待ちをお願いし、そんなもの出ないだろうなと思っていたら・・・出ました。しかも、希望していた一番お安い席で。よかった。三番叟が2人出てくるものは、六郎兵衛さんのところに野村家の上演の記録が残っていたそうです。それを万作先生に相談され復曲となった演目。以前、万作家の公演で名古屋能楽堂まで観に行ったような記憶があります。途中で対照的に廻る場があり驚いたような。今年、厳島神社で上演されみたいなぁとおもっていました。なんと東京でみることができるとは。幸運。
観に行ってさらによかったと思いました。
最初に、六郎兵衛さんが出てきてお話。三番叟が2人出てくるもの、そして猩々も2人。「神楽式三番叟 双之舞」と「乱 置壺 双之舞」を続けてみるという試みのようです。音というものを主題にして回数を重ねてきたそうです。
まずは、六郎兵衛さんの一管「平調音取」。
続いて、「神楽式三番叟 双之舞」。千歳の裕基くんがキリっと登場。三番叟は万作師・萬斎師。笛はもちろん六郎兵衛さん、脇鼓を2人従えた小鼓に源次郎さん大鼓は広忠さんとみどころだらけです。
席は脇正の一番後ろ。橋がかりでの動きがまじかに感じられました。舞台は横から観賞。2人の三番叟横に並ぶと、きっちり奥の方がみえなくなる。背の高さは違うが、揃うというのはこういうことかと感心する。前後の動きを横からみるのも面白いものだでした。三番叟は、ぐるっと廻る動きが多いので横からの視点も興味深い。おごそかな気持ちになる。繰り返し繰り返しの動きが美しい。
休憩後、能「乱 置壺 双之舞」人間国宝が3名も登場。宗家といわれる方も6名くらいいらっしゃいました。重厚。そこに現れた猩々。登場し、もう1人の猩々を呼ぶ。人間がみることのない世界のような(山奥のような)とても清らかな感じがしました。地謡や後見や囃子方の重厚さが、より猩々たちの清らかさをひきたてているのでしょうか。清潔できれいでした。汲めども汲めども尽きぬ酒壺。それを覗き込む形も、俗っぽくなくきれい。能は上品という自分の固定観念もあるかもしれませんが、美しさが楽しかった。足さばきも変わったもののようです。観世清和さん、片山九郎右衛門さんのお2人はスラっとしているので、重心を感じつつも軽やかできれいだなぁと思いました。
「音」にも注目して観てみた。聞こえない足をする気配や、囃子が止むと急に聞こえる荒い息づかいも、これも含めて舞台なのだなと思った。一管の始まる前の緊張感のある一瞬の静けさ。観客の息をのむ静けさ。会場全体で作る緊張感もよかった。満席なのに、シーンとしたりほおと思ったりする気配を感じました。舞台が終わる時にも、そのまま静にしていたくなった。拍手もせずにただいたい感じでした。 舞台がはじまったときのしずかな感じ(拍手をしない)。幕に演者が入りはじめてはじめて起こる拍手という独特の空間。これが能楽堂の作りだす空間なのだなということも考えました。堪能。

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