「篠山紀信展 写真力 THE PEOPLE by KISHIN」
先日、東京オペラシティ アートギャラリーにいってきました。「篠山紀信展 写真力 THE PEOPLE by KISHIN」を見る。とにかく1枚の写真の大きさに驚く。写真の力か、大きさの力か。何か言いたくなっちゃうほどの大きさ。篠山紀信の取る写真は、やっぱり違うと思う。よく知っているその人が、まさにその人らしくみえる。面白かった。点は多くない。もっとみたいけど、もっとみたら過度な気分になるかもしれない。
展示は、パートにわかれている。「GOD:鬼籍に入られた人々」「STAR:すべての人々に知られる有名人」「SPECTACLE:私たちを異次元に連れ出す夢の世界」「BODY:裸の肉体、美とエロスと闘い」「ACCIDENTS:2011年3月11日、東日本大震災で被災された人々の肖像」
最初の鬼籍に入られた人々のインパクトがすごい。活き活きとしている。それでいて、声を出すことをしのばれるような雰囲気もある。三島はより三島らしく、寅さんはより寅さんである。自分の中でもっているイメージをより濃くした感じ。
スターのところに、大きな市川新之助があった。今よりも繊細でとがった青年にみえた。百恵ちゃんのスター性と蒼井優ちゃんのスター性の違いも感じる。どっちがすごいとか比べるものでなく。時代が求めるものも違うのだなと。
スペクタクルのところに沢山の歌舞伎の写真。ここは文句なく面白い。おおきければ大きいほど歌舞伎に似合うようだ。それにしても、大きい。
ディズニーランドをとっているものは、やや醒めた目線にしてクールにつくりものをみせている気がした。反対に、歌舞伎の方は熱い。紀信氏は撮影がのってくると役者と一心同体の気分になっているそうだ。なるほどと思う。同じ作りものの世界なのに真逆の感じで面白い。
ボディ。Santa Feの宮沢りえちゃん。記憶にあるよりもあどけなく、かわいらしく、少女だった。今になって写真集に興味がわいてきた。ダンサーの身体の美しさ。きっとダンサーを眼でみるよりも、この写真でみた方がボディの美しさを感じると思う。刺青の男の迫力とか。目の前にいたら、絶対に凝視できないものをじっとみる変な感じもいい。やっぱりすごい、篠山紀信。
最後に、アクシデント。2011年3月11日、東日本大震災で被災された人々の肖像。写真家として必要な仕事なのだなと改めて思う。紀信は、震災で前のものが想像できなくなってしまった地にピントをあわさない。そして人を撮る。落ち込んだり、哀しみにくれていたり、元気を出そうとしているのでない状態。それが紀信の考えるありのままなのかなと思った。
この展示を観に行ったのは篠山紀信展トークシリーズのため。ポートレートの被写体となった方々をゲストを迎え、篠山紀信とのトークを行う。「市川海老蔵×篠山紀信」にいってきました。すこぶる面白かった。
冒頭は篠山紀信が話を振り相手の出方をみるようであったが、想像以上に自由きままでかつよく話す海老蔵に、そのうちに押されるようになっていったのが面白い。明確にしにくい大人の事情をにおわせると、やたらとソコを追求し続けたり。急にまっとうななまっすぐな意見を述べたり。主導権は紀信にあるのだけど。被写体となるものとそれをとらえるものという2人の話は面白かった。
役者の写真をとるときに、同じ舞台をとっても写真が違う。紀信が撮ったものとの違い。紀信が舞台資料として撮る写真は、場の一瞬をきりとる写真と性格が異なるから仕方ないという。確かにその場の熱を感じる魅力のある写真と全身の装束や全身のポーズを写すそれと違うようにも思う。そんなことはないという海老蔵。気迫を感じる写真を撮ろうとすべきという。紀信の中にもそういう気持ちはあると思う。よりよくあるために妥協しない・あきらめない人達の話は、時折どきっとするところもあり面白かった。
獅童さんを写真にとるのが、一番浮世絵っぽさが出るらしい。スペクタクルという区分の部屋で歌舞伎役者の写真をみんなで振り返ったりしながらみる。スライドで紀信の撮った海老蔵の舞台写真をみながら海老蔵自身がコメントするというのも、面白かった。こんなたっぷりのトークとは。司会者が出てきて下手な型どおりの質問をしていうようなつまならないものでなく、とても面白かった。来年1月は浅草歌舞伎に出演ということもいちはやくわかってうれしかった。たっぷりと楽しみました。
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