« 2013年1月 | トップページ | 2013年3月 »

2013年2月28日 (木)

『新訳 マクベス』

世田谷パブリックシアターにマクベスを観にいった際に購入したシェイクスピアの『新訳 マクベス』を読む。河合祥一郎訳(文庫)。金の表紙に、金子國義画伯の装丁で格好いい。薄い本だが、注釈が沢山あり細かく面白い。戯曲の段落に、台詞のリズムを感じる工夫がある。そこをつかむと、声に出してよみたくなる面白さを感じる。aikoの歌に似た区切り具合ではとも思った。読み応えがある。
お芝居をみていただけではわからなかった背景などもよくわかる。シェイクスピアのよく使う技法なども語られており、韻を踏んでいること そしてその意味もわかる。短い注釈の中、簡潔で見事だと思う。
マクベス夫人は再婚で、先の夫との間に子をなしたが、マクベスとの間に子はいないという背景をわかった上で「乳を飲ませたことがあるからわかる」や「乳を胆汁に変えてもいい(→もう子をなすことはない)」という台詞を考えると、どんどん深くなる。ほーほーと感心しながら読む。読んでは戻り、戻っては感心。
もう一度舞台がみたくなってしまった。

歌舞伎座新開場 あと33日

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年2月27日 (水)

成田やっ

團さまの告別式。お昼休みに斎場の前まで行き、手を合わせあわてて職場にもどってきました。建物の外で周りをぐるーっと取り囲み並んでいる一般弔問客の列まで、藤十郎さんの弔辞がはっきりと聞こえていました。あーあ、本当のことなのですね。実感するということは、寂しいことです。
はじめて、自分で歌舞伎の一等席を定価で買ったのは国立劇場の本朝廿四考でした。はりきって一番前でみました。文化の日でした。むずかしくって、筋書きと首っぴきになってみましたが話がよくわからなかった。それでも、ワクワクしました。團さまの花作りの簑作でした。めったにかからない筍堀が出て、わからないなりにも雪の中での所作事が面白かった。母親がわがままな兄ばっかり贔屓してかわいそうだと同情したり、兄は身代わりにするつもりだったので甘やかしたとい聞き驚いたり。歌舞伎ってすごいって思った。松緑さんの襲名の際にみた、車引。團さまの梅王の格好よかったこと。あれいらい、車引にぞっこんになった。荒事ってなんて格好のいいワクワクするものなのでしょう。成田屋さんが特に好き。後援会に入り、贔屓気分も味わう。沢山わくわくしました。喜んだり泣いたり夢中になりました。ありがとうございました。ずっと覚えています。これからもずっと成田屋贔屓です。大好きです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年2月26日 (火)

音羽やっ

130226_123428お昼休みに神田明神までお散歩してみました。菊之助さんの慶事の準備中。人も集まっていました。御神輿も用意されていました。お忙しそうな音羽屋の半纏連中に後ろ髪をひかれつつ、職場に戻りました。おめでとうございます。

歌舞伎座新開場 あと35日

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年2月24日 (日)

歌舞伎-江戸の芝居小屋-

サントリー美術館にいってきました。『歌舞伎座新開場記念展 歌舞伎-江戸の芝居小屋-』をみてきました。久々の六本木。記念トークライブ「『歌舞伎座新開場記念展 歌舞伎-江戸の芝居小屋-』に寄せて というのに応募し当選しました。講師 市川猿之助氏、聞き手 フリーアナウンサー竹下典子氏という設定。対談形式を取る場合の質問は、もうすこしどうにかならないものでしょうか。ひどくはないけれど、よくもない。いかにも聞きそうなことを、やっぱり聞くというのではちょっと興醒め。亀ちゃんが登場。スーツですか、着物かと思いましたと進行する。歌舞伎役者は着物というイメージを払拭したいからスーツを着るようにしている。これ、あちこちで話されているのを聞いた。らしいなぁとは思うけど、そんなのここにいるほとんどの人が知っていると思った。私でも聞くことができるような質問ではなく、プロの技を魅せて欲しい。冒頭は肝心だと思う。割と高額なイベント料でした。もっとしっかりしていただきたい。
ただ今回は、竹下さんが話をを振り、猿之助さんが答えるというよりも、展示作品のスライドにあわせ、猿之助さんに歌舞伎の生い立ちを教わるという形になった。それがとても楽しかった。研究者の視点と、その研究材料である舞台に出ている人間の視点は違う。双方からみた話が、歌舞伎観賞愛好家にはたまらなく面白かった。ときどきでてくる、歌六さんに教えていただいた「武士は食わねど高楊枝」という背伸びの仕方とか、世話物の捨て台詞がいかに難しいかというところで、先代の勘三郎さんの舞台上で試されるエピソードなど、貴重な情報も飛び出しワクワクした。
舞踊は、舞うと踊るという2つの流れがあり本来別のものであるべき。舞うというのは横に。踊るというのは縦に跳ねる。そこから踊りの派流の話になったり、能楽の話になったりする。話題がどんどんリンクしていく。突然でた話題でも、きちんと解説する。すごいなぁと会場中感心していると、こういうものは大学で研究していればわかっていることですがと謙遜したりする。知識としてあることもすごいし、話の持っていきかたもわかりやすく面白い。
真剣で、まじめだけどちょっとひねくれもので、自信家だけど謙虚。シャークスピアのきれいは汚い、汚いはきれいのようだ。この亀ちゃんらしさが面白い。歌舞伎役者は着物というイメージを払拭したいからスーツを着るようにしている。これ、あちこちで話されているのを聞いた。らしいなぁ。
一番印象にのこったことうちの一つは、日本人の芝居の見方。江戸の芝居小屋では 幕開けに客はちっとも舞台をみちゃいないってこと。場内を描いた図では、後ろから舞台を見ているの図なのに観客も後ろをむいちゃったいる人が多い。喧嘩したり、煙草をのんだり、お酒を飲んだり、話こんだり。だから、どうしても聞かせたい台詞は2度繰り返して言うし、見て欲しいところは、ツケをうって注意をうながすと。実際、一回では聞こえなかったくらいうるさかったそうです。何度も言えば、さすがに聞くだろうというのんきさがいい。もともと、忠臣蔵の四段目をあえて通さん場とするのは、上演中であろうがおかまいなしに通っていたのが当たり前だったからというのを教わり、感心しきり。 神にささげるために演じていたので観客は不要というのが日本の演劇。きちんと前をみて芝居をみるというのは西洋の演劇の風習。神にみせるために演じていたものを、面白そうだと勝手に集まってきて、勝手にやじをとばし楽しみだした。浮世絵をみて、観客はいろいろなことをしていると知っていましたし、もともと神にささげるためのものが芸能ということも読んだことがあった。いろんな知っていたような気がすることがどんどんつながり、面白かった。
そういう話を聞いてから、芝居のあれこれの展示をみると、実に面白かった。歌舞伎の名優たちというと、絶対にかかせないのは 市川團十郎。團十郎贔負のものが沢山あった。やっぱり江戸の華なんです、團十郎は。いてくれなくっちゃ困るんです。亀ちゃんが、團十郎さんについての思いでを質問された時に紳士ということを教わったと話していました。役者である前に人間であれと。社会人だったかもしれない。 きちんといろいろなことを知っている方なので、大使館のようなところに呼ばれても、きちんとお話をすることができる人だと。歌舞伎以外に、政治のことも人と話がきちんとできる人。まず紳士であるべきという「姿勢」を教わったと。12代目も、立派な團十郎だとうれしくなった。 展示品は、細かいところまでまで面白く、人の流れがちょっと悪い。わかるけれど。助六でなくても、芝居小屋の前の賑わいに福山のかつぎをみつけたり。私も随分立ち止まって、眺めてしまった。
新しい芝居が始まるたびに、役者の舞台姿を描いた浮世絵が多数制作され婦女が喜んで買い求める。贔屓の役者のために喧嘩したり、役者の着こなしが江戸市井で流行したりする。火事で何度燃えてしまっても、復活する歌舞伎の底力が面白かった。戦争後GHQの検印のついた台本をみても、その力を感じる。ずっと古いあの歌舞伎座のままで居て欲しかった。でも、立て替えの時期にちょうど立ち会うことになったのも何かの縁なので、存分に楽しむことしようと思った。

歌舞伎座新開場 あと37日

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年2月22日 (金)

マクベス

世田谷パブリックシアターへマクベスを観に行ってきました。ベンチ席追加発売されていたので喜んで取る。初日でした。ベンチ席ははずかしくなるほど舞台に近く、変に可笑しくなりました。舞台にまきこまれているようで。最後は、一緒に森にのみ込まれました。

シェイクスピアを河合祥一郎さんの翻訳で。『まちがいの狂言』を思い出す。きちんと古典でありかつ斬新な作品で魅せられ、強く印象に残っています。本作は、ここ東京・大阪・ソウル・ニューヨークと4都市で上演されるそうです。そのせいか、日本色が強かった。一番惹かれたのは、声。野村萬斎マクベスが魔女のお告げに翻弄され、心が乱れているときの小さな声。これで後ろまで聞こえるのだろうかともちょっと思ったけれど、小さい声で身体がバラバラになりそうに悩んでいる感じが とてもしっくりきた。元来、言葉がはっきりと聞きとりやすいので小声でも大丈夫なのであろう。後半、もう眠りも奪われ 心も壊れ 自分で進んでしまった王の道をすすまなくてはならなくなってからが、とても気にいった。突き動かされるように出る声は力強く、低く、野太い。血走った眼でいるところが本領発揮というカッコよさだった。
戦で山のように人の首を切り落としてきても、心に影を落とすことはない。王への澄んだ忠誠心と、戦場で信用しあえる友がいる。それが、己の欲の為だけに、たった一人の命を奪うことで、グラグラとくずれていく。夫を支えようと心を強くもったばかりに夫人もくずれていく。眠りを奪われた夫と手から血の消えない妻。秋山菜津子のマクベス夫人は、こうあろうとしている気高さや、それに押しつぶされていく様子がよくわかった。余分なものをそぎ落とした舞台に、気持ちが強く生えた。
シェークスピアの作品には、三人の魔女がでてくる。破れた衣の魔女達(高田恵篤、福士惠二、小林桂太)は、いかがわしく、狡猾だった。コロコロとかわり話をすすめていく様が、運命をころがしているようで面白い。でも、あまりに返信していくので、ダンカンの家来の時にはこんがらがった。魔女から、人間になるときに 今回のマクベスをみて、ああこの三人というのは、このみすぼらしい汚さはが初めて腑に落ちた。尽きる事のない命を持つ魔女達は、退屈しのぎに人間にちょっかいを出す。ほどよく権力を持ち、まっすぐとした忠誠心と、豊かな領土と、家庭を持ち反映を約束された若者の鼻先に鼻薬をかがす。 よってかって言葉を投げかけたり不安になるほど与えなかったり。巨大になりすぎず でも一人ではない。三人というのは絶妙なのかもしれないと。間違った解釈かもしれないけれども。 河合祥一郎さん翻訳の『マクベス』を買って帰る。言葉をじっくり読んで味わいたくなるマクベスであった。

歌舞伎座新開場 あと39日

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年2月21日 (木)

『有頂天家族』

『ペンギン・ハイウェイ』を買ったので読もうかなぁと思いましたが、新しく読むのがもったいなくなり、なんとなくこちらの森見を再読。変なところが貧乏性。森見登美彦の『有頂天家族』(幻冬舎文庫)。舞台はもちろん、京都。そうこなくっちゃ。桓武天皇が王城の地を定めてより千二百年。かーんむ天皇といえば、歌舞伎でもよく語られる言葉。そう遠くない時代とまで思っちゃう。平家物語において、武士や貴族や僧侶のうち、三分の一は狐・三分の一は狸。残る三分の一は狸が一人二役で演じたものだと狸が語る。冒頭から、自分も狸気分。「天狗は狸に説教を垂れ、狸は人間を化かし、人間は天狗を畏れ敬う。天狗は人間を拐わし、人間は狸を鍋にして、狸は天狗を罠にかける。」そうやってぐるぐる車輪は廻るのだよという、冒頭のくだりが好き。
狸にも家柄で対立があるらしい。狸界の名門と言われるのは下鴨家。対立する夷川家。狸界のリーダーである「偽右衛門」を継ぐのははたして誰か。偉大なる父総一郎は、名実ともに立派な「偽右衛門」であったが、狸鍋にされてこの世を去る。強く気高く美しい肝っ玉母さんと、主人公である三男狸の矢三郎。「阿呆の血」を色濃く受け継ぐ。責任感の強すぎる生真面目な長男は土壇場に弱く、四男は窮地に立たされると尻尾が出てしまう化け下手。でも携帯電話の充電ができる。次男は、六道珍皇寺の井戸に引きこもる井の中の蛙に化け、もうもどり方がわからなくなる。状況を並べると大変なようだが、ちっともピンチではない。家族の誰かが困れば、助けにいけばいい。気が合わないようで、相手のきもちをよくわかっている。猛然と相手に立ち向かい、義理人情に熱く、堂々と策を練る。
天狗の赤玉先生は、おいらくの恋におぼれるが、みぼらしさの中でも毅然としている。強がりなのにあの娘の喜ぶ顔がみたいんじゃと素直なことを叫んだりする。手に負えないがほおっておけない。そういうなんともいえない絶妙の距離感で、いろんな人がつながっていく。そのつながり具合が森見のすご腕。
京都という街は、とっぴょうしもないことでも、京都ならあるかもと思わせるものがある。それは、森見が使う言葉のうつくしさだ。こんな言い回しや漢字が沢山あるのに、このままじゃ死ぬまでに使うことがないかもしれない。そんなもったいないことではいけない。反省するほど、沢山の日本語に溢れている。阿呆との完璧なバランス。
ひねくれて、あっちこっちと遠回りし、どんどんこじれていく関係のところ、突然素直に発する言葉の威力たるや。すばらしい。
「食べちゃいたいくらい好きなのだもの」という言葉にぐっときました。

歌舞伎座新開場 あと40日

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年2月20日 (水)

『この話、続けてもいいですか。』

あれ、これもあるじゃん。家の本棚にあった西加奈子 『この話、続けてもいいですか。』(ちくま文庫)を読む。
彼女の血となり肉となった部分にほぉーと思う。その酒ぐせには、ありゃりゃツワモノだなぁと驚く。たまにでてくる作家としての骨のようなものを感じ、シャキっと背筋をのばす思いになる。自分と自分にかかわる世界とのかかわり方にも驚く。しつこいほどからんだり、いさぎよくさらけだしたり。大阪弁はネコやイヌの気持ちをあらわすのにぴったりな言葉だなぁと思った。あら、帰ってきはったわ。帰ってきはったわ。うれしいわ。自由やわ。声に出したくなる大阪弁です。楽しんでます!生きてます!存在してます!圧巻。もの書きの根っこも顔を覗かせます青い眼が欲しいと、アネモネのくだりはすーっと違う世界に引き込まれるようで面白話にまぜてはもったいないと余計な御世話を焼きたくなった。でも、これも匙かげんなのでしょう。 すばらしい。テヘランで生まれカイロと大阪で育った著者、西加奈子。生い立ちで目をひかれ、ひかれたらもう、巻き込まれます。

歌舞伎座新開場 あと41日

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年2月19日 (火)

『通天閣』

織田作之助賞受賞作。西加奈子『通天閣』(ちくま文庫)を再読。
ニューヨークに行ってしまった恋人と別れたんじゃないと自分にいいきかせながら生きている若い女子。
町工場でとにかく今日の糧をかせぐために働く中年男。
自分により厳しい試練を与えるために、スナックで働く女。苦労すればするほど、これがあの人への愛情と思い込もうとする。それが間違っていると頭の片隅でわかっていても。
幸せになることを恐れるように、人とかかわらないようにする男。人を拒絶しているのに、自分から相手に手を差し伸べる。自分でそんな自分にうんざりしながらも。
待っていてもいいことなんか起こりはしない。でも追い込まれていく中で起こった事件で自分が動いてみると、そこささやかな何かが生まれる。とびっきりいいことでなくて、そのささやかさがなんかいい。
去年、通天閣の近くに行ってみてその辺りの独特さに驚いきました。こういう世界もあるかもしれない。

歌舞伎座新開場 あと42日

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年2月17日 (日)

2月文楽公演

国立劇場にいってきました。はりきって着物で。文楽公演の2部を観賞。驚いた!
まずは、「小鍛冶」から。お能の小鍛冶をざっくりと予習していったので、より面白かった。実ハ稲荷明神の動きがすごい。人間ではできない。手がきちんと狐のそれになっていたり、あっここも、あそこもとみるべきところがいっぱいでした。鉄を打つ槌の音が天地に響くとなっていたので、どうするのかな?と思っていたら主遣いが本当にたたいていました。自分で音を出すのですね。小鍛冶宗近が、敬っている様子もキリリとして格好よかった。 厳かさと、暴力的なほどの荒々しい動きの両方があり大層気に入りました。またみたい演目の一つになりました。
続いて、曲輪ぶんしょう 吉田屋の段。吉田屋の前での餅つきの場面が、絵に描いたような失敗でかわいらしかった。きねで手をたたくとか、きねの重さでひっくり返るとか。歌舞伎のようにあいかわらず伊左衛門はつまらないことですねまくっていました。ここは人間がした方が許せるなぁと思いました。夕霧が、一生懸命に伊左衛門の顔をみようとしている健気のところが可愛らしかった。
最後の演目は関取千両幟(せきとりせんりょうのぼり)。猪名川内より相撲場の段まで。12月に南座で観たときにどうしても腑に落ちなかった演目。歌舞伎の復習及び文楽の予習をしてのぞみました。今度は前回よりも味わうことができました。まず、先立つ話というものがある。昨年秋にみた巡業での帯屋もそうですが、こんなに大事なことが起こっているのに一切説明なしに唐突にはじまる。うーむ。この先立つ話というのを踏まえてみたので、今回は大分気持ちがはいりました。好きな人はおいおい理解していくものでしょうが、いさぎよく切り捨てるものだなぁ。江戸のころの相撲取りの人気っぷりは知っていましたが、大商人の庇護をこんなに受けていたとは。主に仕えるように、相撲取りは忠節を尽くす。ここを踏まえてはじめて、夫婦愛もみえてきました。猪名川次郎吉は、大坂の商人・鶴屋の若旦那 礼三郎のために錦木大夫の身請けに骨をおる。大阪での相撲は初めての鉄が嶽蛇多右衛門。昨日は黒星で今日はなんとか勝ちたい。
猪名川宅へ、猪名川と鉄が嶽 2人の関取がつれだって帰ってくる。そこに、大阪屋から使いが来て、錦木太夫の身請けの後金2百両を今日中にお支払いただけないなら、よそにやりますよと言われる。礼三郎が錦木大夫の身請けに失敗したら死ぬかもしれないと悩む。まったく若旦那っていうのは甘ちゃんでしょうがない。今日中にはらえなきゃ身受けするのは俺だと鉄が嶽。えええ!しかも礼三郎の恋敵・九平太と組みなんだか悪い奴らしい。(ここも何も説明がない。) そこへ、今日の取り組みは猪名川と鉄が嶽と案内がくる。今日の相撲の勝ちをゆずってくれたら、考えてやってもいいぜ、魚心あれば水心ある なぁと。イヤな奴です。
やっと、猪名川の苦悩がわかりました。鉄が嶽の人形も大夫も、太い声でいかにも悪そう。猪名川は、すっきりとした男前。(歌舞伎では猪名川が翫雀さんで、鉄が嶽が橋之助さんだったので鉄が嶽の方が強そうだったし悪い人だと思いにくかった。)男のプライドってヤツもなかなか厄介です。
そこに蓑助さん操る猪名川の恋女房おとわが現われる。負けるしかないと思い詰める猪名川の髪を直す場面がとってもよかった。夫を思い、夫の気持ちになって苦しむ。髪を直しながら鏡の中で目があう2人。あーもうこの感情たっぷりなこと。じーんとしました。蓑助さんと一緒の人形は、それ自身が生きているように思える。現代人のなくしてしまった沢山の美しいものをちゃんと持っている女性です。もう、自分がはずかしくなるほど。相撲場に送り出すと、舞台に浅葱幕がおりる。呂勢大夫が、今から櫓太鼓曲弾きをご覧にいれますというような紹介をし、三味線2人を残して立ち去る。こういう形式をはじめてみました。大夫の床の真横の席でしたので、首が痛くなるほどひねって息をのんでみつめました。
二と三の糸の間にばちを通して抜き取る。胴の木枠をたたく。胴を上にして三味線を立てる。ばちを投げて隣の三味線弾きが受け取る。などもう考えられないことが沢山おこりました。驚き続けていました。
場面は相撲場。歌舞伎では相撲をとらなかったなと思いました。文楽でも昭和61年以来の上演とか。マッチョな人形というのもかっこういいものでした。負けなきゃと思っている猪名川に「進上 金子二百両 猪名川様贔屓より」と声がかかる。何二百両!鉄が嶽を投げ飛ばす猪名川。ところが、二百両の金は女房・おとわが夫を思い、自らを苦界に身を売って調達したもののでした。最後の一言は猪名川の「何にも言わぬ 女房かたじけない」。
やっとこの芝居の味がわかりました。(うーんやっぱりちょっと引っかかるけど・・・)
あー文楽も面白い。すごーく面白い。もう、いやんなっちゃう。

歌舞伎座新開場 あと44日

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年2月16日 (土)

フライヤーチョコ

先週、新入社員のころのお昼仲間と会食。人生のある時期、毎日毎日一緒にくらしてきた仲間はいいなぁ、大切だなぁと感じました。友達っていいなシリーズ第2弾。
一昨年前、高校のテニス部の同窓会がありました。懐かしいなんてものじゃないくらいの久々の再開。年賀状のやりとりで、高校時代とは少し違う角度の彼女に興味を持っていたけれど、中々会う機会がありませんでした。あったらもう大変。心は女子高生。キャーキャーと再会を喜ぶ。テニスコートにローラをかけた朝練のこととか思い出し、話はつきませんでした。青臭い悩みもよかった。
今は、ブログでお互いの近況を知りあいます。私のように、歌舞伎バカな偏ったことばかりでなく、彼女のブログはみていてワクワクします。おしゃれだなぁ。彼女は、年賀状が好きというところで、むむむ気になる人と思った。高校のときは、しっかりものの部長(彼女)と、練習に参加することだけで満足するぼんやり部員(私)という間がらでしたのに。
130216_232004今は、手ですることがどんどん少なくなっています。より便利で簡易に。やりとりはネットで。そのよさも充分わかる。恩恵にも預かっている。でも、便利さで失われてしまうものが もったいない。PCでというのは苦手ってこともあるけれど。メールよりもお手紙がくる方がうれしい。これは中々いいデザインだなぁと思った月は、カレンダーを破った後、しばらくブックカバー(→)にして楽しむ。よくみると氷の中にペンギンが一匹います。自己満足かもしれませんが、自分自身が一番楽しんでいます。そういうのが好きな人が気のあう相手なのです。
130216_222905_3彼女のブログをみていて、フライヤーチョコというのをつくったとかかれていました。フライヤー???そうしたら、うちにも届きました。へぇーこういう風な形でおたよりを出せるのねー。感心しちゃった。ほー。こんど、まねしてみようっと。中にいいものが入っていました(←)。ハート形の紙の中にチョコ! 手間をかけ、手で作ってくれたちょこっとしたものは、うれしいものに変身するのね。添えられたポストカードが本が沢山写っているものでした。これを選んできれたこともうれしいなぁ。ありがと♪

歌舞伎座新開場 あと45日

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年2月13日 (水)

『ヤッさん』

久々に、歌舞伎界に慶事です。うれしい。おめでとうございます。
一報をきいたときには、えー、あーれー、えーと大層驚きました。上品・誠実を絵に描いたような、組み合わせ。すごーく嬉しい。そして大の贔屓としてはどこか寂しかったりします。うれしさみしい。ぞっこんの友のことを憂いたりと大忙しです。菊之助さん、おめでとうございます。これで両親が人間国宝になりました。天上人ですね。ますます梨園にぴったり。
菊ちゃんの慶事に祝福しつつも心を痛めているであろう、おさるのおすすめの原 宏一『ヤッさん』(双葉文庫)を読む。面白くて、電車を乗り過ごす人続出みたいな帯がついていましたが、その帯も伊達じゃありません。
仕事をやめたらあれよあれよと、若くして常におなかを減らし、都会の公園で寝起きする身になったタカオ。ある日誇り高きホームレス「ヤッさん」に叱られる。そのヤッさんは食に精通する男。食に精通って聞くとウンチクさんを思いうかべるけれど、センスのある舌を持つまでに鍛えあげた男。名前に踊らされず、対等に議論する。しかも自分の立場をわきまえ出すぎない。しぶいとかいう言葉でまとめたくないけど、高倉健のようなザ・男って心を持つ。かっこいい。
もともと弟子と師匠の関係のようなものが大好きですし、成長や試練という真面目な課題もすき。好きな言葉は「まっとう」かも。この本には、ぐっときました。築地市場や銀座の高級料理店の料理にうっとりし、人情に目がしらが熱くなる。とことん食べ物を愛す。保障がなく身体が資本だから、しっかり鍛える。本物の人間にしびれました。そのうえ面白い。この上なくおいしそうだしね。すんばらしい。

歌舞伎座新開場 あと48日

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年2月11日 (月)

日生劇場 二月大歌舞伎

日生劇場にいってきました。二月大歌舞伎観賞。今月、関東で歌舞伎をみようと思ったら、たぶんここだけ。歌舞伎座がおやすみしている期間は、しっかり演舞場で歌舞伎をみせて欲しかった。あと一息なのに。時間は短いし、お値段は高いままだし、演舞場にはがっかりモードです。松竹には完璧でいて欲しいのです。夢の会社だから。
さて、日生劇場二月大歌舞伎。日生劇場にいってきました。二月大歌舞伎観賞。今月、関東で歌舞伎をみようと思ったら、たぶんここだけ。歌舞伎座がおやすみしている期間は、しっかり演舞場で歌舞伎をみせて欲しかった。あと一息なのに。
まずは、幸四郎さんの口上から。せがれが、怪我から復帰し再び舞台を踏みます。福助さんや左團次さんにも御出演いただきありがたいと。親バカ口上でした。親バカだなぁと思いつつ、元気になって本当によかったと思う。自分勝手で、でも そこもいい口上でした。口上って自由自在で便利だなぁ。
口上が終わると、その後ろの浅葱幕がパッと落ちて、吉野の山に。吉野山の踊りがはじまりました。劇場の一番上の一番後ろの席からみてきましたが、花道もよくみえる席で 静御前の出もしっかりみえました。福助さんは所作がきれい。振かえりもきれいでした。鼓をうつと、佐藤忠信実は源九郎狐がすっぽんから登場。染五郎さんお元気そうです。哀しいニュースのあと、こういういいお知らせは特にうれしい。戦語りのところが好きなので、楽しむ。
休憩後は、通し狂言新皿屋舗月雨暈。しんさらやしきなので、勝手に青山播磨の男の誠がわからぬかっと魚屋宗五郎が同じ話なのかと勝手に思いこみ、勝手に驚き(同じ話とはおもえない・・・と)、同行のおさるをも驚かせたのに、間違っていました。お蔦の悲劇からの通しでした。なるほど。納得。大谷桂三さんの典蔵は、お家を乗っ取ろうとする悪人にみえませんでした。あからさまな横恋慕がおかしかった。なんとかなるでしょうにというぐらいの罪でしたが、染五郎さんの磯部の殿様のおこりっぷりは、すごかったです。「魚屋宗五郎」で、よく たぶさをつかんだとと、大騒ぎする場面がありますが、大騒ぎしたくなるぐらい短気さ爆発でした。お酒って怖い。愛妾お蔦は、猫を探して心配したり、無実の罪でしょんぼりしたりと元気のないお役なので、そういう福助さんはよかった。児太郎くん、がんばれ。おなぎちゃんの高麗蔵さんがとてもよかった。こういう方がいると安心します。
休憩後、魚屋宗五郎。のんでくだをまく宗五郎さんの幸四郎さんは、声が大きかった。こういうほうがいいかも。女房おはまの福助さんもしっかりしているけど、出すぎずによかった。あしらい具合もうまい。廣太郎、がんばれ。鳶よね・・・三吉の亀鶴さんは、人情に熱く、考えがたりなくてぴったりでした。ひきつづきおなぎちゃんには高麗蔵さん。続いてみると、おなぎさんにお線香をあげてもらうのが何よりも喜ぶというのがよくわかる。よかったなぁ。
なぜ今、日生で歌舞伎を上演するの?と思い、実はそう期待していなかった。結構たのしみました。失礼しました。

歌舞伎座新開場 あと50日

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年2月 9日 (土)

『野良女』

宮木あや子『野良女』(光文社文庫)を読んでみた。あーれー。あけすけ?あばずれ?これがせきらら? 誇り高き野良女たちとか、酸いも甘いもといった話なのだが、too much パワフルでまいりました。降参。何度でも立ち上がるのだ、うちのめされても。まだまだ器の小さな人間です、わたくしは。あっぱれさはよくわかりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

お昼仲間ランチ会

それはまだわたしがピチピチの新入社員だったころ・・・毎日同期入社10名ぐらいでお昼を食べておりました。久々の再開。顔をみるだけでキャアキャアと。何を話しても懐かしく、あれこれとどんどん思いだす。親戚のようねと言うのをきき、あーこの安心感はそれねと思いました。友って大切ってしみじみ思いました。楽しくってしかたなかったもの。家に帰って思いだしているだけでもなんだか幸せになっちゃうほど。真の財産ってこういうつながりねと道徳の教科書に出てくるみたいなことを感じました。

歌舞伎座新開場 あと52日

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年2月 7日 (木)

円空

歌舞伎座新開場「杮葺落四月大歌舞伎」いよいよ優先発売開始です。そのためにお仕事をおやすみしちゃいましたよ。歌舞伎バカです。みごとに初日の切符を獲得しました。この日は一日中歌舞伎座で過ごしますことよ。さぁ、何を着ていこうかしら。うふふ。あはは。ふふふ。

円空ってとてもいい名前だなぁ。
歌舞伎座切符捕り物、大騒動のあと おさると合流。歌舞伎座裏で歌舞伎そばを食す。それから東京国立博物館にいってきました。1・2月は夜間延長がないので昼間に観賞。けっこうなにぎわいでした。ご年配の方がどっさりいらしていました。
円空仏を沢山みたのは、何年かまえの東博の一木祭の折。円空と木喰の仏を沢山みました。あれも、すばらしかった。今展示では、100体の円空が一堂に紹介されるとのこと。木を割り、鉈や(のみ)で彫って像を創りましたという感じの荒削りなのだけど、なんども見たくなる像。家に一つ欲しい。独り占めはいけないけれどもね。夜みても恐ろしくなさそうです。毎日ながめたい像でした。
「両面宿儺坐像(りょうめんすくなざぞう)」の迫力もいいけれど、「三十三観音立像」が特に気に入りました。ずらっと並ぶそれらは、人々の心を一気にとかします。怒っている人はそんなに気を荒げることもないかと思いそうですし、悩んでいる人の唇の端もちょっと持ち上げそうです。三十三観音立像といっても、三十一像とのこと。病気になった人に貸し与え、もどってこないこともあったという解説を読み、ますます好きになりました。
秘仏「歓喜天立像」を特別開帳。しかも初めて厨子から出して展示というものものしさの割に、その小ささにまず驚く。そして、その簡略さにも。あれ?正面じゃないのかしら?と一周廻る。うーむ。すごいなぁ。
千手観音菩薩立像の脇手にみせられる。どんな困ったことにも対応する何かがあるかのようです。龍頭観音菩薩立像の、龍頭の勢いにほれぼれした。すーと天上に登るような勢いがあった。如意輪観音菩薩坐像が、右手を頬にあてる様のその柔らかさにはっとした。どうしてそのように柔らかさがあるのでしょう。十一面観音の一つ一つの御顔に、にこやかになりました。すばらしい。
岐阜・千光寺でも、是非みてみたい。
数年前に、岐阜の即身仏のあるお寺を訪れたことを思い出しました。私はどこを訪れたのでしょうか。

歌舞伎座新開場 あと54日。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年2月 6日 (水)

成田屋っ!

いつまでもしょんぼりしていても仕方ない。それでも、やっぱり途方にくれてしまいます。團さまのニュースを目にするたび、イヤだなぁと独り言がでてしまう。
あんなに楽しみだった新しい歌舞伎座開場なのに、どうしてそこに登場しないのでしょう。勘三郎さんは、いつだってワクワクさせてくれた。團十郎さんは、そうそうこれこれ こういうのが歌舞伎の醍醐味ねといい気分にさせてくれた。なんだか現実との折り合いがつきません。御子息達を全力で応援します(すでに夢中になっていますがね)。
おおらかで、大きくて、舞台に團十郎が登場するだけで歌舞伎って感じがしました。どうどうとして、頼もしかった。俳優祭のようなふざけた場でも、いつもどおりまじめで、それなのに人一倍おかしかった。荒唐無稽なことなのに、團さまの荒事には、説得力があった。うんまいなぁと、うなる感じではない。だが、その役の人間性がひしひしと伝わってくる方だった。忠臣蔵の由良助として、切腹の場に駆け付けた場面も思い出す。早くきてくれ、来てくれさえすればなんとかなるのではないかと思う大きくてあったかくて頼りになる人に思えた。熊谷陣屋の熊谷次郎直実では、その苦労に一緒に胸が痛んだ。 生まれて初めて暫をみたとき、人が着るものとしてはあきらかにおかしいほど巨大な衣装を身にまとい花道から堂々と現れた。衣装に埋もれることもなく人の力を超えたなんだかすごいヒーローが出てきたと驚いた。首をはねられそうになっているところに救世主として登場。そのくせ悪人共の首はざーーっと斬ってしまう。理屈をいわずに黙ってご覧なさいというおおらかで なんだかとてつもない存在だった。助六は、出の華やかさを思い出す。うどんを頭にぶっかけるところや、こりゃまたなーんのこったと ぷいっと横を向くさま、おかしさの中に品があった。真似をしてみせているのでなく、積み重ねて作り上げられたものを感じた。繊細な心のヒダも沢山みせてもらった。菊五郎さんと一緒にでていらっしゃるときの感じも好きだったなぁ。 いい人だなぁと、よくしみじみ思った。そういうものが舞台からもあふれてくる方でした。
ありがとうございました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年2月 3日 (日)

『さくら』

節分。近所の神社の豆まきに行ってみようかなと思っていましたが、続けて休養。寝だめする。

『きいろいゾウ』、『あおい』を読んだら次はこれです。西加奈子の『さくら』(小学館文庫)を再読。あーこれものすごく好き。他にも西加奈子は何冊か読んだけれども、いまのとここれが一番好き。そうだったなぁと思い大切に読む。言葉にできない想いと、外への表し方についていろいろ考える。あー、いい本です。
個性がバラバラの家族。キラキラして自分の中にはない個性とか、わからなそうなのにすごく腑に落ちるところもある。家族は求めすぎたりがっかりしたりあきらめきれなかったり許せたり許せなかったり。思うとおりにはいかないけどいとおしい。大事にする仕方は人により違う。近くにいるものでも。家族でも。
調子よく進んでいた毎日が、ある日突然狂う。家族の誰が悪いのでもない。事故で奪われたものは、どうにもならない。とんでもなく重いのだけど、辛いのだけど、どうすることもできないのだけど、ずっと寄り添っていたいと思う家族がいる。苦しいのだけど、やっぱりこの本は、好き。

歌舞伎座新開場 あと58日

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年2月 2日 (土)

『あおい』

風邪がダラダラと治らない。とことん休む。一日の半分くらい寝てたかも。
『きいろいゾウ』を読んだらよみたくなった。西加奈子の『あおい』(小学館文庫)も再読。そうそうこういう感じだった。自分の中には全然といってほどない個性なのだけど、すごく腑に落ちる。わからないようでわかる。

歌舞伎座新開場 あと59日

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年2月 1日 (金)

エル・グレコ展

東京都美術館で「エル・グレコ」展をみてきました。去年のうちに前売り券を購入し(グレコにかけて1枚905円・2枚セット鑑賞券)、楽しみにしていました。金曜の夜間延長でみてきました。そんなに混んでなく、ゆっくり鑑賞できました。
まずは、本人の肖像画から幕開け。エル・グレコといえば、宗教画のイメージが強かったのであれれと思う。イタリアで活躍していた時代から肖像画を得意とし、トレドにおいても、まず評判を呼んだのは、肖像の分野においてだったそうです。
角を曲がると、宗教画が。そうこれこれ。こういう作品がみたかった。あれれと思った後だとよりいっそううれしい。「肖像画としての聖人像」「見えるものと見えないもの」というセクションがわけられるが、くくりはあまりピンとこなかった。『フェリペ2世の栄光』フェリペ2世が跪ひざまずき、神の裁きを受けるべく祈りを捧げている大きな作品が面白かった。細かさと、勢いが混在していて不思議。エル・グレコは衣の色づかいが単色なのにツヤというか照りがあり独特。その中でゴブラン織のような素材のみ、事細かに仕上げてあるのが不思議。この作品でも、フェリペ2世の膝のところにあるクッションの柄の細かさに興味がわいた。天上と、地上と、地獄。この世界を一緒にあらわしているのに現実感とそうでないところのおりあいが実に面白い。子供向けの解説も楽しく、手にとり隅々までながめた。普段は、スペインのエル・エスコリアル修道院にあるそうだ。現地でみてみたい。
最後の第4章に、この企画の目玉でもあるトレドのサン・ビセンテ聖堂オバーリェ礼拝堂の主祭壇画として制作された『無原罪のお宿り』。次の区切りに進むと、突然大きな絵がドンと目に飛び込んでくる。迫力のある絵に吸い寄せられる。3身体のひねりが3Dのようとかいう解説を超えた流れがある。こういう絵の前で教えをこうと、天上の世界や現世のことを信じやすそうだ。悩んでいたり苦しい生活を送っていたらすがりたくなるであろう。宗教の知識が足りない私でもそう思った。このような大きな絵が日本に来てしまっていて現地では大丈夫なのだろうかと心配になる。トレドに行ってみたい。これは、是非この地でこの場所でこの空気の中みてみたい。もっと、視線が上にいくよう設置されていることであろう。いってみたい。
『聖マルティヌスと乞食』の物乞いに自らのマントの半分を分け与えたという聖マルティヌスの生涯の一場面を表すとかかれていた。衣服をまとわない乞食に比べ。鎧に身をまといの上からマントまではおる聖マルティヌス。マントぐらいあげても一つも困らなそうであった。やはりちゃんとキリスト教について学び、その上で宗教画をみたらさぞ面白いであろうと、ますます思った。『聖アンナのいる聖家族』のマリアが美しく、印象に残った。
とても沢山の作品がきていた。それなのに、あれ?これでおしまいと思ってしまった。なぜでしょう。いつも楽しみにしている物品は、いまひとつ食指がすすまなかった。フェルメールの時の都美術館の売店はすごかったのになぁ。おかげで散財せずにすみました。

歌舞伎座新開場 あと60日

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年1月 | トップページ | 2013年3月 »