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2013年2月21日 (木)

『有頂天家族』

『ペンギン・ハイウェイ』を買ったので読もうかなぁと思いましたが、新しく読むのがもったいなくなり、なんとなくこちらの森見を再読。変なところが貧乏性。森見登美彦の『有頂天家族』(幻冬舎文庫)。舞台はもちろん、京都。そうこなくっちゃ。桓武天皇が王城の地を定めてより千二百年。かーんむ天皇といえば、歌舞伎でもよく語られる言葉。そう遠くない時代とまで思っちゃう。平家物語において、武士や貴族や僧侶のうち、三分の一は狐・三分の一は狸。残る三分の一は狸が一人二役で演じたものだと狸が語る。冒頭から、自分も狸気分。「天狗は狸に説教を垂れ、狸は人間を化かし、人間は天狗を畏れ敬う。天狗は人間を拐わし、人間は狸を鍋にして、狸は天狗を罠にかける。」そうやってぐるぐる車輪は廻るのだよという、冒頭のくだりが好き。
狸にも家柄で対立があるらしい。狸界の名門と言われるのは下鴨家。対立する夷川家。狸界のリーダーである「偽右衛門」を継ぐのははたして誰か。偉大なる父総一郎は、名実ともに立派な「偽右衛門」であったが、狸鍋にされてこの世を去る。強く気高く美しい肝っ玉母さんと、主人公である三男狸の矢三郎。「阿呆の血」を色濃く受け継ぐ。責任感の強すぎる生真面目な長男は土壇場に弱く、四男は窮地に立たされると尻尾が出てしまう化け下手。でも携帯電話の充電ができる。次男は、六道珍皇寺の井戸に引きこもる井の中の蛙に化け、もうもどり方がわからなくなる。状況を並べると大変なようだが、ちっともピンチではない。家族の誰かが困れば、助けにいけばいい。気が合わないようで、相手のきもちをよくわかっている。猛然と相手に立ち向かい、義理人情に熱く、堂々と策を練る。
天狗の赤玉先生は、おいらくの恋におぼれるが、みぼらしさの中でも毅然としている。強がりなのにあの娘の喜ぶ顔がみたいんじゃと素直なことを叫んだりする。手に負えないがほおっておけない。そういうなんともいえない絶妙の距離感で、いろんな人がつながっていく。そのつながり具合が森見のすご腕。
京都という街は、とっぴょうしもないことでも、京都ならあるかもと思わせるものがある。それは、森見が使う言葉のうつくしさだ。こんな言い回しや漢字が沢山あるのに、このままじゃ死ぬまでに使うことがないかもしれない。そんなもったいないことではいけない。反省するほど、沢山の日本語に溢れている。阿呆との完璧なバランス。
ひねくれて、あっちこっちと遠回りし、どんどんこじれていく関係のところ、突然素直に発する言葉の威力たるや。すばらしい。
「食べちゃいたいくらい好きなのだもの」という言葉にぐっときました。

歌舞伎座新開場 あと40日

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