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2013年3月28日 (木)

野田版 研辰の討たれ

シネマ歌舞伎をみてきました。「野田版 研辰の討たれ」。歌舞伎座でみたときから、よくできているなぁと思った。最後の場面が印象的で、時折思い出す。
映画がはじまると、舞台には祝い幕がかかっている。あーそうでした。十八代目中村勘三郎襲名披露狂言として上演(再演)された舞台でした。2005年5月歌舞伎座だそうです。襲名披露で、生きている作家の狂言を披露したとうれしそうに言っていた勘三郎さんの姿を思い出しました。ガヤガヤとした感じ。上演前のあの騒がしさ。そして歌舞伎座という小屋の雰囲気。高性能カメラの映像とリアルな音響で歌舞伎の臨場感をそのまま映画館で楽しめる「シネマ歌舞伎」と銘打つだけのことはあります。
歌舞伎座という魅力的な舞台構造がありながら、そればかり使ってみたがるのでなく野田秀樹の美学がある。時代の流行りの洒落を取り入れ、もう8年も経つと、古く感じたりするのも面白い。守山辰次が、武士道を面白おかしくちゃかしていたことは、よく覚えていましたが、そこにはちゃんと根底になるものがあった。赤穂浪士討ち入りの事件が、一大ブームを生んだ。敵討ちが美化され、流行りものになっていた。それは、江戸から離れた近江の国・粟津藩にも伝えられ、流行りになる。その話題で持ちきりの世の中で、一人だけ、あだ討ちなんて馬鹿馬鹿しい、武士といえども潔い死を望まない武士もいるはずだ、と言っていたのだ。それを踏まえてみると、辰次は世論がどう言おうとも、おかしいものはおかしいと言っているのだった。問題提起のような大袈裟なものでなく、個人の意見だけのこと。世渡り上手で追従をいい、なんとかその場をしのいでいく男だけれども、そうひどいばかりでない。言葉を発し続け、動き続け、それでも勘三郎さんが演じるとそれは「歌舞伎」だった。うんまいなぁと、みている間に何度も何度もつぶやいた。にくたらしいけど可愛げがあって、絶妙の場で気持ちを掴まれる。若者(染五郎さんと当時の勘太郎さん)の激しい立ち廻りに、若さに嫉妬したりするのも、すごくいい。あーこの負けずギライな感じ。もう、雲泥の差ほどの実力に開きがあるのにまだそんなことを言う。その感じが、あー勘三郎さんだなぁとうれしくなる。
野田の演劇は、大衆の扇動の持つ力の恐ろしさの表し方が特に好きなところだ。この演目でも、やっちゃえと平気で恐ろしい言葉でたきつける。一人の意見なら、その責任に押しつぶされ口にできない言葉も、みんなという存在で平気で口に出す。その押し寄せる怖さの中で、一人でいる守山辰次=勘三郎さんの恐怖はすごかった。こそくなのだけど、心の底から「死にたくない」と言った。その魂を感じた。そして、御本人とちょっとだぶってしまい、切なくなった。笑わせながら、ぐっと心を掴まれ動けないような気持ちになった。すごい。すばらしい。

歌舞伎座新開場 あと07日

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