熊谷陣屋
一部の最後は、熊谷陣屋。この演目をみて、ベテランのだす雰囲気のすごさをまざまざと感じました。弁天のおおらかさもそうだけれど。やっぱり、40・50は鼻垂小僧の世界ってすごい。うまい菊之助さんなのだけれども、この中にはいるとどこかまだ異なる。
とにかく、相模の玉三郎さんに魅せられました。我が子が気になって気になって陣屋まできてしまう。武家の妻の立場と母親の立場。どの動きからも、いろいろな気持ちが伝わってきて、どんどん話にすいよせられる。相模が来ていることに気がついた時の熊谷のパンとひざを打つところもすごかった。言葉なんていらない。ドーンときた。首が我が子のものと知り、どうにも抑えきれなくなる相模。一瞬のとりみだしの美にはっとした。その後の全てを受け入れ、首実検に立ち会う時の背中もすばらしかった。仁左衛門 義経が、所縁の人に首を見せ名残りを惜しませてやれという。その言葉にいろいろな物がこめられていた。同じせりふでもこうはなかなか聞こえてこないと思う。温度を感じる台詞だった。打掛に首を包み、抱きかかえる相模。ここにもしびれました。
熊谷陣屋は、何度も何度もみる機会があり、また陣屋かとよさを今ひとつ理解できていなかった。さよなら歌舞伎座の時の「熊谷陣屋」をみて、初めて納得しました。そうか、と熊谷がひざを打ったほどの衝撃でした。それから、熊谷陣屋を味わうことができるようなった。久々にまたすごい熊谷陣屋をみました。
白毫弥陀六は、歌六さん。もともと大好きなのだけれど、もっと好きになりました。年を経たもののもつ味わいと、頼りになる感じがいい。弥陀六と義経の因縁も、すごくよかった。あの時助けた子倅をたすけたばかりにと平家の没落をなげく。でも、あの親子に手を差し伸べずにはいられなかったこともわかる。何が正しかったか悩見続ける年月。そんな弥陀六に、礼を述べる義経の育ちのいい素直さ。よかった。又五郎さんの軍次の品のいい感じもすばらしかったなぁ。
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