『三四郎はそれから門を出た』
三浦 しをんの『三四郎はそれから門を出た』(ポプラ文庫)を、しみじみと読む。沢山の本の紹介本。3ページ程で2冊も紹介されているので、じっくりふむふむと読む。実に面白そうに書いてある。読み進めていって、山田風太郎の日記『戦中派動乱日記』を紹介しているページではっと思った。あれ?わたくしこの本を持っているかもしれないわ、と。この日記が読んでみたくなって、本屋さんでしをんちゃんのこの本をカバンから出して参照した記憶がよみがえる。私の本はマイブックカバーをかけているから万引きと間違われることはないわよね。でもそれって、弁天小僧みたいじゃんって思ったことを思い出す。あれは、御茶ノ水の丸善であった。あれー、これ持っているのにまた買っちゃったのでしょうか?どんなに、探しても本棚から出てきませんでした。よかった。ん?あの記憶はなんでしょう。
人生について、深く考えてみたくなるようなすてきな紹介の仕方。ほれぼれしたら、次のページには、映画トロイを観て、男性の太ももっていいわねと思ったので男性が太ももを出している時代の本を読むことにしたとある。なんて、すてきなギャップ。愉快なだけでなく、残酷さや辛さ、暗い面にきちんと目を向け、遠くまでしっかり見ている視点を感じる。『さらば勘九郎』の紹介で、勘九郎を表した言葉の使いかたに胸をぐっとつかまれた。勘九郎は自らを閉ざすことはしない。いつでも表現し ~ それを実践している。それを希望と言う。希望を与えられるものとせず、人に与えた人なのだ。そのとおりだと思うし、そう見ることができるすごさにも仰天した。
趣味が読書なんて生ぬるい。そんな次元ではないそうだ。持てる時間と金の大半を注ぎ込んで挑むおまえ(本)と俺との愛の真剣一本勝負 なのだそうです。男らしい。そして、深い。そこに愛をみました。ははぁ、参りました。すごく気分よく参りました。超巨大な壁のように立ちはだかる、憎いあんちくしょう。すばらしい方です。しをん大先生。
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