« 2014年1月 | トップページ | 2014年3月 »

2014年2月28日 (金)

『レベル7』

高校のテニス部OB会に出席してきました。セレブなキラキラにた眺めにポーっとなりました。テニス部の女子はかわいかった。今もかわいい人たちでした。男子もただものでなくすばらしい。せっかくの高校生活を何をしていたのでしょう、わたし。やはり緊張しましたが、いいメンバーで、やさしくて、よかった。

宮部みゆき『レベル7』(新潮文庫)を再読。「レベル7まで行ってみる?」って言葉をよく覚えていた。
序所に全貌が明らかになっていく展開がいい。緊張感がある。これだけのことが起こったが、たった4日間だったとは。その人しか頼ることができないが、どこか怪しいとか、何かひっかかる点を残しつつ、という先に何かありそう感がいい。中盤で黒幕が薄らみえてくる。そこのひねりはそんなにないかもしれない。が、そのころには、感情に気持が移っているのでそう気にならなかった。忘れたころ読み返しても、その都度面白い本だと思う。
人をそれだけ思えるか。そこまで思うから、そこまで考えてもらえるのかも。心地よい程度の距離感では得られない関係についても考えてみた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月25日 (火)

『名もない毒』

『理由』に続き、宮部みゆき『名もない毒』(文春文庫)を再読。理由のように密かにではなく、ギャーギャーと騒ぎたてる逃げ場のない理解不能な怖さだった。立て続けに宮部みゆきを再読し、人の心に巣食う毒を取り出してみせるのがうまい人だと思った。毒は誰の心にもあり、誰もが毒にやられながら生きている。
「どうして私だけ」「私ばっかり」これは、私の心にも巣食う毒だ。あの人と比べても仕方がない。世の中は不公平だということも知っている。ひがむ方がかえって不幸せだともわかっている。でも、この毒は消えない。
今多コンツェルン広報室に雇われたアルバイトの原田いずみ。彼女は自分の経歴に嘘を並べ、職場の人を振りまわし、辞めさせられるということを繰り返す。今多コンツェルン広報室でも同じことを起こした。絶妙のタイミングで、想像できないような嘘をつく。若い娘が優位に立ち、相手を再起不能にするほどの。j彼女だけが感じる仕打ちなので、事態が起こるまで予測不能である。「あたしばっかりイヤなめにあう」「あそこにいるのはあたしのはずなのに」。何を手にいれても、決して満足するはずはないのに。原田いずみという娘のために親や兄弟の人生はボロボロになる。かかわる人全てに牙を向く。生まれや育ちが大きく違うわけでもなく、狂っているわけでもない。そんな人と人生で関わりができてしまった故に逃れられなくなる怖さ。悪いことをしていなくても巻き込まれる。
それでも不幸にならないのは、理不尽に打ち勝つことができるからだ。「どうして私だけ」と思う。思い悩んでも、なだめたり別の側面に良さを見出して生きていくことができるから。大事な配偶者から、生きてきた生活レベルが違うから悪意なくはく言葉にチクっとしてしまうことがある。違和感を持つことがある。それでもそれを上回る気持があることをちゃんと知っている。とんでもない人と普通の人にそんなに違いがあるわけではないことも併せて書いている。自分の中の「どうして私だけ」「私ばっかり」を上回る気持ちがあるかどうかだけ。
近寄り難いだけであった義父の口から、権力を持っていても社員を悪意から守ることができない無力さなげく言葉を出させたのもすごいと思った。4歳の娘が友達とけんかしたことを思い悩む。自分がごめんなさいをしたら相手もごめんなさいをしてくれるか。自分がごめんなさいと言うと自分だけが悪いと思われるのではないかと相談する。謝ったら謝ってほしい。だってけんかだから。割り切れないって小さなころから抱えてきたのだ。妥協と違う心の落としどころについて考えた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月24日 (月)

『理由』

宮部みゆき『理由』(文春文庫)を再読。本棚にあったのだから、既読のはずなのに新鮮に読む。
大財閥・今多コンツェルンの広報室の杉村三郎が主人公。会長の娘と結婚し、いわゆる玉の輿扱いされる。妻を思い、娘を思う。家庭には愛が満ちている。人からなんと言われようと、失うことなど考えられない大切な家族である。でもそこには人の興味本位の目があり、取り入ろうとするものや、やっかむものの心ない言葉に潜む小さな悪意が忍び寄る。
会長の個人運転手である梶田信夫が事故死する。残された娘たちの相談を受けるという会長命令が下る。会長に言われたからだけでなく、手を貸したいという自らの意志もわき、少しづつではあるが事件を明らかにすることに力を尽くす。人が死んでいるのですが、やや地味で、そう盛り上がる訳でもない。その特別でない描写が肝だと思った。人の心にある「悪意」と、人の行動から 「悪意」という程でもないが小さなトゲのように突き刺ささってくるもの。その描き方がうまい。後味の悪いほど。事故をおこして人を殺してしまった人よりも、人を家族を嫉む気持の方に恐ろしさを感じさせるから。根底にある悪意が少しずつ明らかになるのが恐ろしかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月23日 (日)

Kawaii 日本美術

母と山種美術館にいってきました。品よくいい大きさの美術館ですが、あれだけの人出があるともうちょっと対応をとれるような設備がいるかもしれません。御手洗いとロッカーの数がいかんせん少ない。
特別展「Kawaii 日本美術 -若冲・栖鳳・松園から熊谷守一まで-」なかなかの企画でした。こりゃ混むはずです。かわいいもの大集合。
目玉の伊藤若冲の樹花鳥獣図屏風が展示される後期になってからいってきました。これは静岡県立美術館のおのなのですね。日本にあれば、いつかまた会えるとうれしくなる。去年、福島県立美術館でみたプライスさん所蔵の屏風の頭の中の記憶と比べながら鑑賞。やはりとびっきり面白い。
川端龍子の百子図にも驚いた。歌舞伎座に飾られている川端龍子の青い獅子の絵が大好きです。象を中心にした画からうける勢い。面白かった。奥村土牛の描く動物のかわいいこと。特にアンゴラ兎のふわふわ感にメロメロ。熊谷守一のとのさま蛙も格好よかった。
山種は、すばらしい所蔵品をお持ちです。別のテーマで並べた展示もみてみたい美術館でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月21日 (金)

五右衛門ロック

ゲキ・シネという騒々しい映画をみてきました。劇場で上演された舞台の映像化。途中休憩15分を含め3時間以上。人気が高く取れなかった公演は、こういう迫力のある映像でみるのも手かもしれません。
劇団☆新感線なので、ものすごく大げさに歌ってました。五右衛門は新太ちん。敵の総大将的な立場なのが北大路欣也さん。ラブ。松雪ちゃんとか森山未來とかが出てきて、テレビでおなじみのひとの威力を感じる。飽きさせない。江口洋介も出ていました。とにかく濃いメンバーの中で、川平滋英の怪優ぶりがすばらしかった。疲れを知らぬハイテンションぶり。あと高田聖子さんの地に足ついた変テコなきれいさがいい。橋本じゅんさんとかもね。新太ちんはさすが。だけど、北大路欣也さんが主役のたたずまいででてくるとちょっとどっちが主役をはっているのかわかんなくなっちゃって面白かった。浜の真砂は尽きねども世に白波の種は尽きまじのセリフのところは、所作も決まって相当かっこよかった。ど迫力過ぎの映画でおかしかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月20日 (木)

『鳩笛草 - 燔祭/朽ちてゆくまで』

宮部みゆき『鳩笛草 - 燔祭/朽ちてゆくまで』 (光文社文庫)を読む。短編集。超常能力者が出てくる話は難しいと思う。特別な能力をもってしまいそれを隠している人はいると思う。なるべく目立たないように生きていくしかないのは、自分と違うものを受け入れられない風潮だからだ。
力を持ってしまったら、それとどう暮らしていくか。力を持ち生まれてしまったものと、家族を惨殺され 証拠不十分としていかにも怪しいが犯人に断定されず歯がゆい思いをしている人があってしまったらどうなるのか。特別な力をふるうことが正義になるのか。法律で認められないこを、正しくないと言えるのか。
能力を、もってしまったもの。失いかけていくものを巡る構成にしたところがすごい。誰のために生きるのか。誰と共に生きるのか。明らかな答えの出にくいけれど、どう折り合って生きていくかというのは自分以外の誰かの存在が大きい

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月16日 (日)

二月花形歌舞伎 夜 二の午

二の午なので、歌舞伎座へ。二月花形歌舞伎 今度は夜の部をみてまいりました。やはり弁天って面白い。よくできています。通しにしても冗長に感じない。すばらしかった。でも花形。お値段据え置きはないと思う。
2014 2014_2 歌舞伎稲荷神社の祭事「二の午祭」は、新しい歌舞伎座でも開催されました。序幕後に、3階から1階ロビーへ駆け下り、お参りしてまいりました。御神酒とおしるこのおふるまいがあり、いただいてきました。場内に飾られた地口行灯。設計時には地口行燈を飾ることを考慮しなかったのかしら。あまり映えませんでした。いちいち設計に口をはさみたくなる歌舞伎愛好家の一人です。歌舞伎稲荷神社は、以前の歌舞伎座では二の午もしくは初午のときにしか参拝することができませんでした。今はいつでも参拝できますが、特別感が違うなぁとちょっとバチあたりなことを思いました。季節を感じるものはいいものです。2月の歌舞伎座行事を満喫致しました。
20142 さて、演目は「通し狂言 青砥稿花紅彩画 白浪五人男」です。序幕からみると、忠信利平や赤星十三郎の人物もわかり面白い。忠信利平の亀三郎さんは、いい声で存在感も大きくとてもよかった。赤星十三の七くんのうまいこと。貫録すら感じます。千寿姫は梅枝くん。姫って意外と大胆不敵。おきまりの南無阿弥陀仏と自害を匂わせ、希望をかなえます。しかしその殿子は若殿小太郎と家来に化けた弁天小僧でありました。神輿ヶ嶽の場、稲瀬川谷間の場と2度死んじゃう梅枝くん(千寿姫)。可哀想なのですが哀れさよりも悪のあっぱれの方に引かれます。非道なことが続くけれど、カラっと粋に演じる。この荒唐無稽な感じが、おおらかでいい。歌舞伎のすごい力です。理屈じゃないことをすんなり納得させる力があります。
ご存知、雪の下浜松屋の場。菊之助さんの弁天小僧の達者なこと。まさに弁天小僧菊之助です。でも「へぇーー」だけが気になった。あの「へぇーー」って難しかったのですね。、菊五郎さんは難なく言ってらっしゃいましたが。松緑さんの南郷は、頼れる相棒感があってよかった。駄右衛門の染五郎さんは、ちょっと線が細く感じました。 浜松屋倅宗之助は天才 尾上右近くん。もっと活躍してほしい。場数って大きいのではと思う。鳶頭は亀寿さん。スキッとして決まっていました。何回か通しをみましたが、蔵前の場で ややそちゃ倅。親父様かっ。の組み合わせのくだりは何回みても面白い。都合よすぎる。四の五の言わせないこの感じが大好きです。
大詰の極楽寺屋根立腹の場。大立ち廻りがいかしていました。序幕から「胡蝶の香合」が印象深くでてくるので、ここで川に投げ込まれ こうなってはと腹を決めるようすが腑に落ちやすい。やっぱり弁天って面白い。よくできた芝居だなぁ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

式能

先日、大河ドラマで足利義昭が13番立ての観能の会をひらこうと言った時に、信長の5番になさいませという言葉に、あいわかったと受け入れたことに驚いた。信長に短縮させられたということなのでしょうか。
国立能楽堂へ式能をみにいってきました。翁附五番立て。1部2部あわせて一日かけて翁と五番の能がかかります(狂言4番も)。私は、1部だけを鑑賞してきました。
始まりはもちろん翁です。久しぶりに正面席から翁をみました。橋がかりに入っていくるところから、大勢の演者が静かに能舞台に渡ってくるところから重厚で儀式がはじまったという気分になるものだなぁと思う。三番叟は萬斎師。配布された案内に、翁附の式は「舞台上の能楽師だけでなく見所の皆様もまた式に参加していただくことになります。」と書かれていました。翁に続いて能 岩船。そして狂言 三本柱までが「翁附の式」となりますとのこと。2時間30分続けて演じられました。笛や太鼓の方はその間 能舞台で正座をしたままです。そこにだけ驚いたわけではないけれど、大層びっくりしました。こちらも息を詰める思いでしっかりみたところクタクタになってしまいました。清経と神鳴を見ずに失礼してしまいました(言い訳)。五番立てを全てみるというのは大仕事だということはわかりました(みていないけれど)。
翁をみると、新たな気持ちになり背筋が伸びます。五穀豊穣を願うと言葉で書かれたものを理解するというより、何か感ずるものがあります。儀式でしかあらわすことができない空間。まだまだ理解できていないことは多いですが、ちょっとづつわかることがあり興味深い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月14日 (金)

2月文楽公演

国立劇場小劇場にて開催されている文楽公演 第三部をみてきました。三部は、「御所桜堀川夜討」弁慶上使の段と、「本朝廿四孝」十種香の段、奥庭狐火の段です。どちらも歌舞伎ではよくみる演目ですが、文楽でみるのは初めて。元は文楽からきたものとはわかっていますが、逆にこうなるのかといろいろとうなってまいりました。面白かった。
最初は、「御所桜堀川夜討 弁慶上使の段」。和生さんの母おわさがよかった。館務めから、ちょっと離れた口調や身のこなし。しのぶを大事に思う母の必死さが、真実を知ってみているこちらにより哀れに感じさせられました。腰元信夫は、けなげでした。なにやらおっしゃっていますがもう聞こえぬ、目がみえぬと。死んでしまったしのぶちゃんは、遣い手が消えた人形でしかなく、魂が抜けて本当に物になってしまていた。とても興味深かった。
身の丈7尺という弁慶はとても大きくて驚きました。遣い手は玉也さん。ドシドシと登場。弁慶らしかった。
続いて本朝廿四孝。人間国宝祭。この雪のなか、来てよかったと思う廿四孝でした。十種香の段、切は嶋太夫さん。ガラガラしている声なのにとても状況が浮かぶ。どうなっているのでしょう。どうなっているといえば、蓑助さんの八重垣姫。今日びの娘さんよりもかわいらしい。恥ずかしがったり熱烈だったり。思い込んだらもう何もみえなくなる一途さ。あーこれ無くしちゃったなぁなんて思いました。義太夫に近い席の前の方でしたので、勝頼の姿絵に香を焚いている様子は橋でみえませんでした。姿をあらわしてからの一挙手一投足に夢中。どうしてそんなに可愛いらしいく恥ずかしがれるの。どうしてそんなに強引なのに仕方ないなぁと思える可愛らしさがあるの。どうしてどうしての嵐でした。対する濡衣には文雀さん。久しぶりに御姿をみました。そしてこの配役がなんて似合うのでしょうと感心。悲しみにくれながらも気丈に振る舞い、かと思うと諏訪法性の兜を盗むことを条件に出すというするどい態度。すばらしかった。
長尾謙信が、白須賀六郎と原小文治をまとめて呼んで、勝頼を追わせるのですね。(歌舞伎だと白須賀六郎がひとくさりカッコよく決めてから追った後、あいつだけでは心元ないと原小文治を呼び寄せ、更に後をおわせるので。)
大層驚き、感心しきりの後に奥庭狐火の段。清治さんのきりだす三味線の迫力。背筋を伸ばしました。この段の八重垣姫は、勘十郎さん。まずは狐として登場。絶対に何か起こるという雰囲気満点の中、何かが起こりました!予定調和がいい。最初は橋で蓑助さんの八重垣姫がみえませんでしたが、今度は兜を手に水に映る我が姿を映す勘十郎さんの八重垣姫がよくみえました。ブンブンと音がしそうなほど大きな動きの八重垣姫。下手すると乱暴になってしまうギリギリのところで、活き活きと八重垣姫が活躍していました。面白かったなぁ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月11日 (火)

『長い長い殺人』

宮部みゆき『長い長い殺人』(光文社文庫)を再読。『小暮写真館』を読んだ後に読むと、昔の作品はやや稚拙だなと比べてしまう。語り部は登場人物の財布達。10個の異なる財布がそれぞれ自分の持ち主のことを語る。今の宮部さんが描いたら、表現方法が異なるのではと思うところもあるが、それは表面的な言葉の選び方具合のことで、序所に繋がっていく事件展開は面白い。絶対悪い人にしかみえない容疑者。世論も犯人と決めつける。噂の根拠のなさや、みな同じ報告を向くことの怖さに気がつかせるように描く。それはおかしいと気がつくものの意見に、誰も耳を貸そうとしないところや、自分が疑われてみて初めて気がつくという点など、じんわりいい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月10日 (月)

鑑定士と顔のない依頼人

保険人保険のきかない歯をいれました。大事にしなくちゃ。

気になっていた映画、「鑑定士と顔のない依頼人」をみてきました。美術品鑑定士の物語かと思っていたら、姿を現さない女からの依頼というミステリーでした。師玉の。
オークションの一流鑑定士であるオールドマン。彼の言葉は大きな力を持ち、彼がかかわるオークションこそが一流品を扱うオークションになる。天涯孤独で友もいない、短気で気性の激しい彼。彼は、ひそかな楽しみを持つが故、人と関係は何もいらないのかと納得させられるのが、自宅の隠し部屋。その部屋の壁一面に、すばらしいものしかない女性の肖像画が飾られている。この部屋をみるだけでもこお映画をみてよかったと思う。固執狂の残酷な感じが面白い。オークションのパートナーであるビリーにも、この部屋のことはおろか一緒に鑑賞する気さえない。ビリーをオークション常連客にさせ合図を出し落札させる。ビリーは、自分のコレクションを増やすための手段であって友ではない。ビリーが自分の絵を一度でもいいからちゃんとみて欲しいとオールドマンに切々という様子が後々の伏線となってくる。
怪しいところはあちこちにある。屋敷の美術品鑑定を依頼するが決して姿をあらわさない女。オークショニアのオールドマンのプライドが許せなくなるギリギリのところで、一流の目利きにしか気がつかないものをすべりこませる。受けるはずのない、姿をみせない女、顔のない依頼人の仕事なのにどうしても手放せなくなる危険なモノ。15歳から外へ出ていないと告白する女、クレアへのめりこんでいく様はいかにも危ない。屋敷の前のカフェにいた小さい女の人は、いかにも何者かであると思わせる。わかっていながらもどんどん歯車が周り、用心深く美術品しか愛せない男を狂わせていく。ガラクタにしかみえない歯車。そんな部品が、歴史的発見ともいえる美術品と見抜く目を持つ。若い技師がそこに力を貸す。若者にはなぜか自分の愚かな恋の話ができるようになる。審美眼を持つ男だけの楽しみというプライドが、どんどん事実を見えなくしていく様が面白かった。用意周到なトリックを味わう映画ではなく、超一流の審美眼を持つ男が、己の目で見誤り完璧に破滅していく話であると思う。予測がつかない結末ではない。伏線が映像としてつみかさなっていくのがも白い。構図が一変する様は映像ならではの力であった。
全てをなくしたオールドマン。病院か施設なのか、車椅子に乗り口をきくこともない。そんな彼の頭の中で出かけている場所がある。クレアが唯一楽しい思い出がある場所と語ったチェコのカフェ。店中をうめつくす歯車というモチーフが残酷である。が彼女は現れるかもしれないとまだ信じている彼がいる。ありえないことだけど。それが愛なのか。
想像とは違っていたけれど、わたしにグットくるすごい映画でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月 9日 (日)

能狂言公演

雪の中再び外出。昨日の公演も今日の公演も去年取ったのだもん。調べてみたら10月にとってました。今日は逗子へ。京急で1本なので楽々です。
逗子文化プラザなぎさホールでの公演にいってきました。「能狂言公演」といういかめしいタイトルでしたが、完売です。新しい建物で、図書館も入っています。利用している人が多く、地元の人がきたくなるようないい施設。こういうところが近くにあるといいのになぁ。
公演は仕舞「西行桜」、狂言「隠狸」、能「石橋」。仕舞の地謡がひっそりめでした。これは西行桜だからなのでしょうか。静かな舞、銕之丞さん。石橋は鮮やかでした。こちらの地謡は力強かった。シテの柴田稔さんは背が高いからなのか、若い獅子のような気がしました。文殊菩薩の使いであるという獅子はどういう年ごろなのでしょう。間は、仙人。柴垣の謡をうたいながら登場。なぜ芝垣なのでしょう。配布された解説には、菩薩が寂昭法師し獅子の舞楽を見せると聞きつけ見物しようとやってきたとありました。勉強不足ででれもこれも答えがわかりません。わからないけど興味深く面白かった。
一番のお目当ては隠狸。はぁーほぉーと関心しきり。全身でしっかりとみてきました。絶妙の間合い。無駄なく意味のある動き。どうなっているのでしょう。すばらしいなぁ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月 8日 (土)

もっと泣いてよフラッパー

20140208 201402082 目が覚めたら一面真っ白。
今日は出かける予定があるので大変なことはわかっちゃいるのだけど、一面真っ白な雪景色はきれい。ワクワク。夕方出かけるまで、外みたりオリンピックをみたり外をみたり。ベランダのシクラメンにもみるみる雪が降り積もる。

この大雪の中、文化村へいってきました。Bunkamura25周年記念 もっと泣いてよフラッパーの初日です。オンシアター自由劇場が大好きでした。解散してからぽっかり空いた心の穴を歌舞伎に埋めてもらいました。
生まれ変わるフラッパー!デコさんのいないフラッパーを受け入れたくないような、あのフラッパーをもう一回みれるといううれしさやらで心中大忙しです。おおむね、楽しみにしていました。こんな天気ですが、客席はそんなに空席もありませんでした。年配の方も多く、往年の自由劇場贔屓がおおかったような気がします。
フラッパーは、そんなに繰り返しみる機会がなかったのですが、はじまってみるともう懐かしくて!なんだか心に残るあのセリフや、この感じ。そうそう、これこれ。これが私の愛するオンシアターの世界です。シカゴなんだけれども、そこは空想のシカゴ。クラブの踊り子やギャングや八百長ボクサーや新聞記者。突然地下の世界にいってしまったり。話がどんどん広がり、散らかっていくのだけど、そのとっちらかり具合も心地よく懐かしい。華やかな世界なのだかけど、なんとなく物哀しい。ギャングなのにどこか間が抜けている。大切にしたいものをやっとみつけたのに、素直になることになれていなくて指の間を流れ落ちるように幸せを取り逃がしちゃう踊り子。反対にギャングのボスのくせに好きな女の子しか目が入らなくなり、全てをなくしてしまうことで、彼女の心をつかんだり。その世界にかかせないのが音楽。役者は演じたりバンドマンになったり。ここに首ったけになりました。やっぱりいい。こんなお芝居、他にはない。よかったなぁ。
昔のままでなく、進化していました。ダンスのセンスもキレもちがう。松たか子さんは、吉田日出子さんのもつちょっと残酷さを秘めた愛嬌がありました。そして彼女本来ののびやかでちょっとイジワルなかっこよさがあった。真ん中に立つべき人でした。松尾ちゃんのとんでもなさが素晴らしかった。みんなかつての自由劇場の串田さんのテイストを大切にしている中、松尾ちゃんだけはおかまいなし。みんなの作る空気にのまれることなくちょっと舞台を壊すような破壊力のある引きつけかたをする。それがボスらしくてよかった。秋山菜津子さんはさすがでした。りょうの、きれいなんだけどいつも幸せを逃がしちゃうホレっぽさが哀しくてよかった。石丸幹二さんの妙に完璧なミュージカルぶりも面白かった。われらが?!亀蔵さんの堂々した感じのいいこと。無駄なことをせず堂々とじっとしていて、雰囲気がある。
大森博史さん、真那胡敬二さん、小西康久さん、内田紳一郎さん、片岡正二郎さんが、あの役この役で出てくるたび、楽器を引くたびに、胸が高鳴りました。いいなぁ。頭髪はさみしくなったけど、魅力は衰えません。串田さんの音楽劇・恋模様の描き方が出す気です。
大雪で電車もあちこち止まったりしていましたが、おさると一緒になつかしみながら無事にかえってきました。ああフラッパー。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月 6日 (木)

『いとみち』

オリンピック開会式の前になぜ予選がはじまるの~?

越谷オサム『いとみち』(新潮文庫)。東北旅行してから読んだ本の覚書。青森駅の駅前の様子をみたばかりなので、いとにとっては、あそこが都会なのかとおおいに驚く。わかる町だとなんとなくうれしい。
青森といっても、青森駅まで列車でずいぶんかかるところに住む高校生の相馬いと。ちっこくて人見知りで泣き虫で濃厚すぎる津軽弁。思い切ってはじめたアルバイトはメイドカフェ。はずかしいだけでなく、津軽訛りのせいでおかえりなさいませすら言えない。「お、おがえりなさいませ、ごスずん様」。ああ初々しい。
ダメなんだけど勇気がないだけで、ちっこくてかわいい。実は津軽三味線のすご腕の持ち主。自分の持っているいいところなんて、ひとつもみつけられずおどおどばかりしている。でもそんな娘がここまで来た勇気と、ほっとけなさと、やっぱりちっこいかいわいらしさで、周りに手を差し伸べられる。がんばってがんばっていると、周りの人も実はすごくがんばっていることがみえてくる。なかなか良い青春小説でした。 じぶんの事を相馬さんとしか呼んでもらえなかったのが、いとっちと呼ばれるようになったときの飛び上がりたいようなくすぐったいようなうれしい感じを思い出す。これって若い時だけでなく、新しい世界にはいっていく時に何度も何度も感じるものだ。 
いとの祖母がすこぶる格好よかった。津軽三味線をかきならす。三味線から離れてしまった孫をじっと待つ。待っていられるのも強さだ。生き様が御手本になるようにしゃきっと生きていて、しかもかわいい。
やっぱりちっこくてかわいい娘はいいなぁ。(背が高いことを、気に入っているのだけれどね・・・)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月 5日 (水)

『シスターズ・イン・クライム』

家にあった本の読み返し。『シスターズ・イン・クライム』マリリン・ウォレス編(早川文庫)。女流作家のショートミステリーのアンソロジー。シリーズもののあの個性的な探偵が出てきたり。作風が異なるし、短い1作でそれぞれ勝負という感じで並ぶので、その気負いを勝手に感じ読んでいて少々くたびれる。ぞっとするものや、窮地におちいる感じがうまいけど1冊単位で読みたい。へー これはなかなか良かったなと思うと次の作品は作家が異なり雰囲気も異なる。のってきた気分の流れが止まる。アンソロジーはちょっと苦手。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月 4日 (火)

『淋しい狩人』

引き続き宮部みゆきさん読み返し中。宮部みゆき『淋しい狩人』 (新潮文庫)を読む。
友人が60過ぎて始めた古書店を、仕事を勤め上げたあと引き継ぐことになったイワさん。イワさんにはたった一人不出来な孫がいる。週末になると、横浜から祖父の店のある東京の下町へ手伝いにくる。宮部みゆきさの描く下町や家族との繋がり、相手に対する想像力の欠如により犯罪がおこるという世界がひろがる。
古書店がからむ短編集。いろんな人が出てくるが、それはイワさんのいる街のことで、イワさんの田辺書店がからんでくる。不出来と言われ頭をはたかれても、隙さえあれば生意気な口を聞く孫の稔。愛情いっぱいの叱り方。毎日には多少の足枷があった方がまともな人間になるものだ。叱りすぎたり、触れて欲しくないことに口を出されて祖父と孫の間に距離ができてしまう。同居していないと、すれ違う。イヤでも顔をつきあわせる距離にいるときっかけってあるものだが、もんもんと過ごす。思い出すことは憎たらしいところがかわいいことばっかり。その淋しい感じがいい。きっかけを知りホッっとする。事件が起こり、解決する。あくまでも街ぐらい規模の事件や物語がここちいい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月 3日 (月)

二月花形歌舞伎 昼 節分

2014_7 節分なので、お休みをとり歌舞伎座へ。二月花形歌舞伎 まずは昼の部をみてまいりました。歌舞伎座新開場柿葺落とかいてあるのに、柿葺落ボーナス会員資格は1月で勝手に終了。花形公演なのにお値段据え置き。松竹さん、あくどいのでは。
さて、二月歌舞伎座は昼の部も夜の部も通し狂言。昼の部は、通し狂言 心謎解色糸(こころのなぞとけたいろいと) 小糸左七 お房綱五郎でした。はじめてみる演目。41年ぶりの上演で、歌舞伎座では初めてとのこと。なぜそんなにかからなかったかは、このややこしさからだたと思う。どんどんややこしくなり、このしがらみは最後どうにかなるのであろうか思うほど。中心となる家宝「小倉の色紙」がそんなに目立たない。目立てば面白いというわけでないのでこれでいいと思うが、見る方も根気強くみないといけません。ひょんなことから起こるできごとだらけで、結構面白くみました。集中してみないと単調になっちゃう恐れもあり。若い人達だけで十分がんばっていました。
廻し男儀助の萬太郎くんが大奮闘。悪の下っぱとして上手に場をかき回していました。うまくなったなぁ。五平太の松也くんも、声がよくでていました。悪ものっぷりにおとぼけ感がちゃんとあった。たくらんでもうまくいかないだろうという空気があった。場数というのは大切だなぁと。米吉くんの芸者が色っぽかった。丁稚の玉太郎くんが達者で場をさらっていました。背がずいぶん伸びたなぁ。でも子供っぽさがいいんだなぁ。
菊之助さんと七くんのうまさと貫録が際立っていました。イヤになるほどうまいね。男性陣の方が少しおされていたかな。染五郎さんは粋な左七と極悪の九郎兵衛の2役。たまにどっちででているのか出ではわからないところがありました。進んでいくといい感じになるのですが。 め組の鳶姿は格好よかった。悪の九郎兵衛は、悪の方の七くんと掛けあうと非道っぷりがいかしていました。綱五郎は松緑さん。自分が身替りに腹を切ろうと切りつめた空気を出したりするのが似合ってる。あと、固くまじめゆえに2人女の人の愛でで困っちゃうのとかも似合うものだなぁと思った。
若い人達だけでがんばるなぁとみていました。秀太郎さんと家六さんが登場し、そうそう この落ち着くこの感じがいいのだなぁと思う。
2014_8 最後、少々無理やりにいろんなことが判明。染五郎さんが、「南北はこれぎり」としめ。一度常色幕がひかれた後、また開きました。節分のこの日、昼の部の最後に追儺式がありました。衣装のままの方や、紋付に着替えた方がでてきて豆まき。うれしい。こういう特別な行事の日にあたると、うれしい。3階にも職員の方は豆を配ってくれました。いただくことができてホクホクです。ありがとうございました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ラファエル前派展

2014_6 歌舞伎座のあと、六本木ヒルズへ。エッグベネディクトとかいう非常に女子っぽいものを食べる。柄じゃないなぁとおさると言い合う。非常にかわいらしいお店でした。いつまでたってもおなかに溜まっていて、1杯飲んで帰れないほどでした。恐るべし、女子っぽい食べ物・・・

森アーツセンターギャラリーへいってきました。52階。窓がないのでそんなに高いところなのかいまひとつわからない。森美術館だと、窓があって時々外をみることができて急に高窓階の実感がわき面白いのに。
テート美術館の至宝「ラファエル前派展」英国ヴィクトリア朝絵画の夢。テート美術館所蔵の名画72点を紹介。そんなにあったかなと思う構成。品よくしようという域は感じるのですが、なんだか全体的に薄味な感じがしました。テート美術館と言えば、古めかしい建物に一歩足を踏み入れると高い天井の壁一面にぎっしりと名画が並ぶ。何よりもあの赤い壁のインパクトといったら。ラファエル前派には赤い壁が似合うと刷り込まれているせいかもしれない。
面白かったのは、人物相関図。この人の妻と付き合うとか、そんなに数多いわけでない主要人物たちの色恋模様がわかりやすく図解してありました。こういうドラマあったわねと同行のおさると頭をひねる。出てくる人達が順番に付き合っていって全員とつきあっちゃうようなドラマ。ビバリーヒルズ青春白書でした。相関図には、自画像の顔やモデルの顔を表示。ロセッティもミレイもモデルたちも何かあってもおかしくないような端正で魅力的な人々でした。アヘンで亡くなったとか退廃的な感じも、生きることに必死にならずにすむ階級の退廃的なかおりがする。ラファエルより前の初期ルネサンス絵画を理想とする美の世界を若者達が提唱。スキャンダルとなるような彼らの芸術活動の息吹をもっと感じることができるかと思った。

2014_5

「それは懐古か、反逆か?」チラシや駅の看板などは、とてもインパクトがあるので期待も高まった。が、全体的に上品でおとなしかった。ミレイのオフィーリアをまたみることができた。しかも、ゆったりと。うれしかった。好きなんだけどな、ラファエル前派。この展覧会は、なぜこんなにもったいない気がするのであろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月 2日 (日)

『東京下町殺人暮色』

引き続き宮部みゆきさん読み返し中。宮部みゆき『東京下町殺人暮色る』 (光文社文庫)を読む。
これなんの話だったかなと思い読み返す。日本画家の篠田東吾が出てくる話でした。この火炎の画に絡むところはすごいと思ったのでよく覚えていた。どんな絵なのか是非本物をみにいきたくなるような描写でした。火炎がでてくるのはこの本だったか。
この本にも、人がどういう気持がするのか想像できることについて説いていた。相手のことを考える想像力にかけるから犯罪がおこるのだと。 事件の謎よりも、下町に対して抱くちょっと面倒くさいけどうらやましい人とのつながり具合を味わって読んだ。本当に大切な心の持ちよう説く大人の言葉を聞く耳を持つ。誰に言われるかによって耳を傾けることができるかどうか異なるのだけどね。人と向き合うのは面倒だけど、避けていては決して手に入れらないなと再確認。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月 1日 (土)

『龍は眠る』

1月が終わってしまっていました。2月はウカウカしないぞ

引き続き宮部みゆきさん読み返し中。宮部みゆき『龍は眠る』 (新潮文庫)を読む。台風の日にマンホールの蓋をあけておいたことによりひき起こる事件。そこに悪意があったのか。これはよく覚えていた。
超常能力者が出てくる話は難しいと思う。苦悩を持ったヒーローになりやすいし。力をもてあました少年、稲村慎司はそれをなんとか+にしようと葛藤する。相手の思っていることを知りたいという欲求を抑えるのが大変なこととか、なまじ事実を知ってしまったが故に苦しむこととか読んいて苦しくなった。
雑誌記者の高坂昭吾は、嵐の晩に稲村少年を拾う。雑誌記者のもとには、超常能力者を騙り記事にしてもらうとする輩もやってくる。信じ裏切られたり、のめりこみすぎて相手を追いこんでしまったり。失敗をくりかえし、その苦さを忘れないようにふんばっている記者たちと共に事件が進んでいく。
自分を信じてくれる人を助けようとする稲村少年。その少年のように力を持つことで苦悩し人を拒絶していた少年は、稲村少年に反発しつつも手を貸す。命掛けで。少年達は、不思議な力をもつことを人に気味悪がられるので言えない。だから黙って助けようとする。自分が手を貸したことを知られなくてもいいという無償の愛。あきらめていても、人はやっぱり誰かとかかわっていたい。自分だとわからなくもいいからというその悲壮な思いに胸が苦しくなった。
あっというまに時代がかわるので、やはり少し古びてきているところがあるけれど、やはりすごい本です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2014年1月 | トップページ | 2014年3月 »