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2014年4月29日 (火)

『ひまわりの祝祭』

藤原伊織『ひまわりの祝祭』 (講談社文庫)を読む。やはり男の生き様と精神的な愛情が描かれている。そして同じく現実は厳しい。
世捨て人となっており男が、自分の大切な人の関わる事件の真実を知ろうとする。知りたいのは犯人でなく、真相。そこも同じなのだけれど、飽きるどころでなくそこがいい。自分さえよければそれでいい人が多すぎる世の中だからでしょうか。人を蹴落としてまでという程の悪人でなくとも、運が悪いのは自分でなければよいという人はうじゃうじゃしている。
自殺した妻は妊娠を隠していた。このキーワードが重い。人と関わらず、働きもせず生きるようになった主人公の秋山は、義理難く彼らの独自の世界のしきたりが浸透しているやくざと、半端なチンピラのようなやくざと、闇の大物と、昔の会社のスポンサーなど 普通の人の暮らしよりも大げさでやっかいな世界に引き込まれていく。その上、亡くなった妻が幻のゴッホの「ひまわり」と関わりがあるという。展開だけをあげると突拍子もないようだが、細かく展開していく様と、文章でどんどんと引き込まれていく。さすがです。男の美意識が鼻につかないのは、まったくもって文章の力だと思う。裏社会の人は裏だけで生きていこうしている潔さのようなものも。
朴訥で生きるのが下手な男に、妙にものわかりのいいできる女。成就することのない精神的な繋がりに、うーんと思いつつもよかったと思う。
ゴッホがもう一作あったのではという謎解きも陳腐にならず、面白かった。すごいなぁ藤原伊織。

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2014年4月26日 (土)

第15回よこはま万作・萬斎の会

横浜能楽堂で第15回よこはま「万作・萬斎の会」を観てきました。万作師により「狂言芸話」がお楽しみの会。今回のお話もニヤっとしたり、ほーっと思ったり。やはりこの会は特別です。
演目は、「武悪」と「鈍太郎」。萬斎師の鈍太郎。上京・下京の女に中村修一さんと内藤連さんというところに世代交代を感じました。憎らしい妻でなく、どっちもかわいらしかったです。
「武悪」は以前に何回かみたはずなのに。ちっともわかっていなかったようです。ドーンとせまってくるもののある武悪でした。今回もわかっているかどうかわかりませんが。1時間の大曲。みているだけでくたびれましたが、集中力がとぎれませんでした。怠け者の武悪を斬れという主は万作師。名乗りの迫力。何度も太郎冠者を呼び出す。あのジワジワと呼び出し続けるところの威圧感といったらなかった。見所からも音を出すなんてとんでもないと思うほど。主人の説得に失敗し、武悪を斬りにいく羽目になった太郎冠者は高野師。主への逆らえない様子と、気が重そうに道行をする様に、普段の演目との差がはっきりと出る。とうとう武悪を呼び出す。何も知らない武悪。必死に斬ろうとする太郎冠者。斬りかかっては、気がつかれためらい、困ったようなほっとしたようなでもやるしかないという緊張感。主の命を伝えると、では斬れと居直る武悪。ここに至るかけひきの様がすごかった。温度差がどちらも相手にひけをとらず互角で、そこに悪の要素があるべきなのかどうかはわからないけれど向き合う真剣さに魅せられた。
斬ったことにして逃がす太郎冠者。主に伝えると主は一笑いする。そのカラっとした笑いに驚いた。おかしいのでなく痛快というか底恐ろしいようなカラっとした鋭い笑い。均等な力の駆け引きをみた後、簡単に討ちくだいてしまうような笑いに驚いた。
主と太郎冠者yが武悪を弔ってやろうと参詣する途中、この地を離れる前にと参詣する武悪とはち合わせる。幽霊を出会ったことにする設定は狂言らしいが、笑う必要のない狂言の底力に圧倒されました。

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2014年4月25日 (金)

東京国立博物館

キトラ古墳展が始まった最初の金曜日。夜間延長の時間に見に行こうと国立博物館へ向かったところ・・・大行列でした。20分待ち・40分待ち というアナウンスがきこえてきました。鑑賞可能時間と行列時間を比較してみると、うーむ。ご縁がありましたら、奈良県明日香村でみることに致します。
常設展示を味わうことにしました。キトラ展が特別展示室で開催されていたためか、本館も普段と異なるなかなかのにぎわい。
平成館でみた「開山・栄西禅師 800年遠忌 特別展 栄西と建仁寺」。俵屋宗達の「風神雷神図屏風」をみてきました。それに合わせて、本館2階で公開されている尾形光琳の「風神雷神図屏風」をみてきました。宗達の「風神雷神図屏風」を光琳が「模写」したもの。宗達と光琳を比べてみてみたいと思ったり。差ばかり比較せず、堪能できると思ったりした。海北友松も出ていて、今みるとなかなか興味深かった。
平安から室町の宮廷の美術のコーナーにあった「日月山水屏風」がとても気に入りました。かっこいい。屏風の前を何度も往復。桜や柳などが描かれているので、春の景色でしょうか。月を銀で描く部分が特に面白かった。重文だそうです。『日月山水図屏風』 6曲1双  室町時代。宮廷貴族は、自らの手で生活に必要なものを作りだす必要もなく、あけくれ文化的なことに全勢力を注いでいたのでしょう。そんな時間の使い方ができる人が作り出した時代のものは、面白い。
ひさしぶりに法隆寺宝物館へ。人がいません。夜は暗いし、室内は薄暗いし、鑑賞者はいないし。ちょっと怖い。鑑賞者とスタッフが一人づつ。押出仏を念入りに鑑賞。暗い室内の中、一点づつ照明があてられケースに入っている。ほぼ、「観音菩薩立像」。薬甁を持っているし印様も様々。じっくり見て歩くと面白かった。阿弥陀如来倚像および両脇侍立像がいい。金工の部屋の香炉の柄についた獅子なども面白かった。竜首水瓶というのが美しかった。普段なら、こんなにじーっとみないので、きがつかなかったかも。キトラ古墳の大行列のあまりの差が面白かった。みなさーん、ここなら貸し切りで鑑賞できますよーと思いつつ鑑賞してきました。

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2014年4月24日 (木)

101年目のロバート・キャパ

恵比寿の東京都写真美術館へいってきました。木・金と週に2回も夜間延長があるのがうれしい。気になっていた「101年目のロバート・キャパ -誰もがボブに憧れた -」をみてきました。行ってよかった!
彼の撮ったスペイン内戦の写真「崩れ落ちる兵士」 そして地雷を踏み若くして亡くなったことは、あまりにも有名であり 戦地という印象が強い。激しい戦闘のまっただ中の緊張感あふれるものの怖さだけでない。住むところを失い避難するためにあてどなく歩く家族の表情。銃を向けられている訳ではないけれど、今日の暮らしもおぼつかない。、軍の車両に腰かけて編み物をする女性兵士の姿。軍服でいることが、つかの間の平和のその裏の戦いを感じさせる。戦争が起こるということは、戦地にいく人だけでなく全ての人の暮らしを壊していく。頭でわかっているつもりでいることを、実際に写真で目にすると衝撃である。冒頭にあった、ドイツへの協力者とされた女性。ドイツ兵との赤ちゃんを胸に抱き、剃髪され、市民の笑いものにされる様子が写されていた。女性もそうだが、周りの人の表情も衝撃的であった。思ったことを言葉にすることにためらいが出るほど。
辛い日々の中でも、憩いの瞬間がある。思わずほほえんでしまうユーモアあふれる写真。それも、この時代というものを背負いその中で出会った瞬間という時代を感じるものだった。
戦場を写した写真家として知られるロバート・キャパ。彼の撮る写真には、彼の生きた時代の人びとがいる。どんな状況でも、過酷であればあるほど、必死に生きている人がいる。そういうことを伝えるためにとる写真には大きな力を感じた。
キャパの友人たちの写真も魅力的でした。ヘミングウェイやジョン・スタインベックの、親しいものに見せた表情がよかった。パブロ・ピカソの写真は目にするが、キャパの前のピカソだった。何よりの一枚は、恋人ゲルダ・タローをとったものだ。
成功したキャパしかしらなかったが、生活費を稼ぐこともままないスタート時点の写真や、恋人ゲルダ・タローがつけた架空の写真家の名前「ロバート・キャパ」が、伝説のカメラマン、キャパになった様子を写真で知った。そこには数多くの友人がおり、恋人がいた。「誰もがボブに憧れた」というのは、いい文句だと思う。

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2014年4月20日 (日)

『雪が降る』

続けて、藤原伊織を読む。 『雪が降る』 (講談社文庫)。 台風・雪が降る・銀の塩・トマト・紅の樹・ダリアの夏 の6つの短編集。
表題 『雪が降る』となった短編は、特に藤原伊織の世界の美学を感じた。「母を殺したのは、志村さん、あなたですね」と少年から一通のメールが届く。苦い過去が蘇る。最後まで読み、その苦さの先にあるものが美しいと思った。

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2014年4月19日 (土)

『シリウスの道〈上〉〈下〉』

藤原伊織『シリウスの道〈上〉〈下〉』(文春文庫)を読む。
藤原伊織の描く、不器用で生きていきにくそうな「美学」を持つ男が好きだ。痩せ我慢だかもしれないが、熾烈な戦いに正面から挑む。自分のなり格好には無頓着だが、生きる姿勢にはこだわる。
大手広告代理店18億円の広告コンペを巡りしのぎを削る。他社だけでなく社内にも敵がいるっているのが、まったくもってくだらない。派閥ってくだらない。職場を去れば仲間と呼べる人は誰も残らないだろうなとは思いつつも やはりイヤになる。18億って・・何の商品でもなく、イメージにそんなお金が動くのか。それでも絵空事の、用意に想像できてしまう展開にはならない。さすが。
主人公の辰村祐介には、過去の暗い影をひきづり、どうしても明るい道を歩くことができない。寄り添い生きていこうとする優秀な女子や主人公に感化され、男の美学を持つ周りにいる男はハッピーエンドにはならない。でも、決して不幸ではない。損をしても人に恥じることのない生き方。この心意気さえもっていれば、不器用ではある、が まっとうに生きていくことができるから。
もっともっと藤原伊織を読みたかった。

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2014年4月18日 (金)

第66回野村狂言座

宝生能楽堂へ。 第66回野村狂言座をみてきました。
久しぶりに萬斎師の解説。狂言が室町に発生した点を強調しさりげなく比較しているのがおかしかった。石川五右衛門よりもずっと古い盗人と。愉快なお話が続く中で、狂言では人が殺されることはないというくだりがよかった。刀に手をかけることはあるが、事態はなんとか好転する。そこには謡があるからだと。その話を聞いた後の花盗人は、非常に心に染みました。勝手に手折ってきた桜の枝を主人に献上し、喜ばれたのでつい いただいたと言ってしまう。もう一枝もらってこいと言われ、今度は花を盗みに行く。今度は捕まってしまう。万作師の太郎冠者が、途方にくれる様子で花の元に座りこむ。咲き誇る桜との対比がさえる。太郎冠者の謡の力で、桜の持ち主の萬斎師の機嫌がどんどん良くなる。許したうえに最後に土産にともたせるのが桜一枝というのが面白く、粋だ。 見つけた持ち主は烈火のごとく怒る。盗みが見つかり、素直に観念する。謡を歌うことで、場が好転する。それは、花見を愛するという文化が根づいていること、風流を解する心ということが日々の暮らしの中に重きをおくものであるから。やりとりに魅せられました。
公演の最初は、小舞から。毎回小舞があるといいなぁ。身長差をいかしたという解説のあった月崎さんと岡さんの蟹山伏。蟹くんがかわいいかった。石田師の六人僧。以前よりもは、良さがいろいろわかってっきたような気がするなぁ。なんだか心に染みてくるようになったなぁと思いながら帰路につきました。

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2014年4月14日 (月)

『海賊と呼ばれた男(上)(下)』

ずいぶん前に読んだ本。
百田尚樹の『海賊と呼ばれた男(上)(下)』(講談社)を読む。いい!という声をきいていたが、何について描かれた話なのかを知らずに読みました。熱い男のロマンかなと。 男の世界ねというようなことでなく、日本人の誇りというものについて 恥じないように生きるべしと背中が伸びる本でした。人の道に外れることはいけない。不公平なことであれ、日本のためにどうがんばることができるか。企業が個人が得をするかどうかということにしか目を向けず、値段ばかり比較し切り捨てている現代は、戦後にふんばってきた彼らにとても恥ずかしいことをしている。自分の身さえ守られていたら、こういう時代だからと助け合うことすらしない。共に闘わない。文句ばかり言う。まず努力をしてきたと反省した。
必死に努力するに値する職場がまぶしかった。倒れる程働く。競合会社を蹴散らすためでなく、日本を豊かにするために働く。基本的に、人はがんばりたいのだと思う。いい指導者の元、必死に仕事をしたい。そのために苦労することはそんなにイヤではないはず。ところが、がんばる場がない。不条理で、わかっていない上司がいて。でも、この本の中の国岡商店のおかれた立場は、恵まれたものではなかった。恵まれたどころか何もなかった。戦争に国が負け、借金以外に残ったものはない。でも人がいる。死ぬほど努力して、少し上向きになると必ず大きな壁が立ちふさがる。でも負けない。壁を打ち破るにつれ仲間の心は強くなる。読みながら全力で国岡商店を応援し、無性にとことん働きたくなった。聞くべき話に真摯に耳を傾けよう。
人を大切に思うということを社訓にかかげる会社は多い。出勤簿なし、馘首なし、定年なしという 人を信じ 人もまた会社を尊重するところがあるであろうか。せっかく平和な世の中なのにどうなっちゃたのだろう。 どーんと心にうったえてくる本でした。
すごく大きなものを与えてくれた本でした。黙ってしっかりと前を向いて生きていこうとこぶしを握った。
歌舞伎座の横に薄い出光の建物がある。歌舞伎座が目立たなくなる建物だなと思っていたことを申し訳なく思った。焼け野原に、ここに建物が残っていたのかとジーンとした。来年は、せんがいのカレンダーを買ってみようかと思う。

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2014年4月13日 (日)

鳳凰祭四月大歌舞伎

歌舞伎座へ。今月は、「歌舞伎座新開場一周年記念 鳳凰祭四月大歌舞伎 歌舞伎座松竹経営百年 先人の碑建立一年」とものものしい。おまけに、三津五郎さんの復帰を祝い、坂田藤十郎一世一代にてお初相勤め申し候という重厚さ。昼の部をみてきました。たっぷりの曽根崎心中効果か、終演は4時とたっぷり。
幕開けは、「壽春鳳凰祭」。いわうはるこびきのにぎわい。歌舞伎座新開場一周年記念として新たにつくられた舞踊だそうです。豪華で華やかでよい幕開けでした。あの大騒ぎの開場から1年が経ったのだなぁ。時蔵一家の充実ぶりはすばらしい。みなさま達者でかつ品があります。新悟くんは本当にうまくなりました。隼人くんも健闘。若手はもう安心です。橋之助さんの貫録っぷりがよかった。
続いて「鎌倉三代記」。うーむ難しい。まだ、心に染みてきません。今度こそと思ってみるのですが。この刀で北條時政を斬り、その返す刀で自害すれば父 時政を討ったことにはならない。というようなこを言っていたように思う。実父の時政を討てば未来永劫夫婦だというのはちょっと卑怯なのではと思ってしまうようでは、まだ本質を理解できていないのでしょう。まだまだです。姫は、常にかしずかれ、重いものなど持つことがない暮らしなのに、ここで姫をだすというのは難しい。魁春さんは、けなげによく動きますが基本的におっとりしてみえるところが姫でした。姫は、意外と命がけかもしれません。歌女之丞さんが出てくると、感情移入できるのですが、いろんなところで疑問がわいてしまう演目。わたくしは、まだまだです。
おひるごはんの休憩の後、お楽しみの「壽靱猿」。おかえりなさい、三津五郎丈!歌舞伎座の舞台の上で、元気な姿をみたときに嬉しかったこと。そうそう、そうこなくっちゃ。巳之助くんもさぞうれしかったことでしょうと親戚のような気持になりました。壽靱猿は、狂言の靱猿からの演目。といっても大名が女大名になり、太郎冠者が奴になります。それだけでなく、雰囲気が大分異なりました。女大名三芳野は又五郎さん。ぽっちゃりして、何かと殿方を好きになる可愛いらしい女子でした。奴のみっくんは、キリっとして、女大名を軽くあしらい格好よかったです。そこへ小猿ちゃんがタタタタッタタと駆けて登場。かわいい。もう、かわいい。猿曳が踊るときには、きちんと膝を抱えて身動きしない。決めるときはばっちりきめる。もう、女大名でなくても可愛らしくて、抱き締めずにはいられません。 役者が揃ったところへ、猿曳が登場。まってました!大きな拍手に包まれ、花道の七三で踊るその姿をみて、本当にうまいなぁとしみじみとほれぼれしました。猿曳の三津五郎が小猿ちゃんをじっとみる間もいい。より健気で哀れに思えました。いい演目でした。
最後は曽根崎心中。坂田藤十郎一世一代にてお初相勤め申し候。とのことでしたで、これは立ち会わねばと思いましたが、インタビューで藤十郎はんが、お客様お一人お一人にとっての一世一代となるよう・・・というようなことをおっしゃっていました。えっ?藤十郎さんにとっての一世一代ではないの・・・と多少の疑問がわきました。一世一代という思い入れもあったのでしょうか、ものすごくたっぷりとしていました。持参金にまつわるあれこれと、曽根崎の森へいってしまってからのあれこれが、特にたっぷりとしていました。喉元に足首をあてて決意の旨を伝えるところや、平野屋久右衛門さんが2人に死なずにすむどころか一緒になれる道をつくってあげたのに心中に旅立ってしまったというすれ違いのところが余り目立っていなかった。哀れさがかけてしまったかもしれません。でも、藤十郎ショーの感じがたっぷりとあったので、今回はこれでよかったのかと。おつかれさまでした。翫雀さんの口跡がよく、次世代の近松ものも楽しみになりました。橋之助さんの九平次がよかった。悪のかっこよさを持つ男です。

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2014年4月 8日 (火)

アンディ・ウォーホル展 永遠の15分

プチ春休み。
森美術館へ行き、「アンディ・ウォーホル展 永遠の15分」をみてきました。ちょうど日曜美術館で取り上げたばかりだったので、より興味深くみる。
将来、誰でも15分は世界的な有名人になれるだろう。―アンディ・ウォーホル
ウォーホルの言葉に由来したという展示。展示がうまく、非常に面白かった。ウォーホルの代名詞というべきキャンベル・スープの本物は、いかしていました。本物は違う。ウォーホルっぽいものはちまたにあふれているが、最初に掲げるということの違いを感じる。ウォーホル自身、グラフィック・デザイナーから始め、成功を収めた後画家に転向する。キャンベルスープを商業デザインから作品に変えた。アイデアを何十ドルかで買い取ったことを公表しているし、自分のことを表面だけみてくれればそれが全てだという潔さがある。その感覚が面白い。ウォーホルの「ファクトリー」と呼ばれるアートスタジオを体験できるような空間を再現しているところが面白かった。壁や天井に貼られた印刷物という薄っぺらなものと、立体的なブリオの箱が混在していて面白い。内部が銀色。アルミホイルで装飾されていたそうだ。 《シルバー・ファクトリーで花の絵画を並べているアンディ・ウォーホル》という作品で、そこにウォーホルも存在している。一部であろうが、ほぼ原寸大の中にいる感覚が楽しい。うまい展示だと思った。
ウォーホルの作品にある死のイメージを知って、ウォーホルに興味を持つようになった。おしゃれできれいでポップなだけでないと。1960年代の絵画を中心にした「死と惨事」シリーズのコーナーを注意深くみた。事件現場の写真をまっとうでないルートで警察から手にいれたものを加工し、アートとして使用する。そこに冒涜でないかというような常識的の躊躇を感じない。ケネディが暗殺された直後のジャクリーヌ。謎の多い死をむかえた後のモンロー。そのタイミングで色のきれいな作品をぶつけてくる。そして美しい。
タイム・カプセルというコーナー。ウォーホルの「タイム・カプセル」は地面にうめるのでなく、ダンボール箱に保管していく。本や手紙やメモ、招待状、切りぬき。生活のあらゆるもの。ウォーホルの個展開催のための来日の折り、日本のものがつまった箱。その中身をダンボールで作ったケースに収められている。このケースがすこぶるよい。こんなケースで飾りたくなるほどいい。画一し、単色。その中にごちゃごちゃとお宝が並ぶ。昔平凡社からだされた美術のシリーズの本は、いまでも欲しい程のセンスのよさ。足袋も。このタイム・カプセルのコーナーの工夫もすばらしかった。
世界のセレブがずらり並ぶシルクスクリーンのコーナーは文句なしに楽しい。切り取り方がいい。1枚20万ドル、2枚セットで30万ドルとお金さえだせば請負ますという、金次第でどうにでもなるという俗物っぽい設定が 即物っぽいが、確かで確固たる個性がある。誰もがうらやましくなるセンスのある作品ができあがる。自分の家を持つ人生でなく、自分を描いた。ウォーホルの作品を持つ人生もいいのでは思う絶妙な値段設定。うなった。 ミック・ジャガーは、とりわけセンスよく、別の愛情を感じた。
商業デザイナー時代の作品から、ウォーホルを描いているので、アイデア勝負だけの人でなくうまいデザイン力を持つことがきちんとわかる。そのうえで展開するウォーホルの突飛な世界が面白かった。
鑑賞後、おなかがすいた わたくしとおさるは、キャンベルスープに思いをはせつつ歩く。いかした展示だから提供しているかも言っていたら「Andy Warhol Café」発見。52階   展望台 東京シティービュー内にありました。人工芝をひき、なかなか凝ったつくりのスペース。ウォーホルの焼き印入りのホットドックとキャンベルスープと飲み物のセットを食べてきました。Andy Warhol Caféには、ウォーホルが大阪万博に出展したという《レイン・マシン》というインスタレーションの再制作版がありました。ザーザー流れる音は滝というにはしつこ過ぎて面白かった。ずっと水の飛び散ったところを掃除しているスタッフもセットで作品といえるかも。
ここの売店は、久々に物欲に火が付きました。うまい商品を出すんです。買ったばかりの《マリリン・モンロー(マリリン)》のピンバッチをジャケットにつけて歩きました。
なかなか面白い展示でした。

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2014年4月 6日 (日)

『ピエタ』

『ピエタ』表紙にひかれて手にした、大島真寿美『ピエタ』(ポプラ文庫)を読む。 ほんとうに、ほんとうに、 わたしたちは、幸せな捨て子だった。 18世紀のヴェネツィア。作曲家ヴィヴァルディのころの時代。冒頭で、ヴィヴァルディが亡くなる。ピエタ慈善院にもその訃報が届く。ピエタとは、十字架 から降ろされたキリストを抱く聖母子像でなく、ヴェネツィア共和国にあった公式の女の赤ちゃんの捨子養育院兼音楽院のことであった。思いは通ずるものがあるであろうが。捨子達はピエタの娘と呼ばれた。礼拝堂を持ち,音楽活動をして資金を得ている。ヴィヴァルディはそこの司祭であり,音楽教師であった。冒頭からすーっとこの設定が染みてきて、静かに物語が始まる。お話の語り手は、エミーリア。ヴァイオリンの名手であり、音楽の才能にあふれた親しい友アンナ マリーアと共に、ピエタで職を得、ピエタで生活し、ピエタを守っている。 才能に嫉妬するわけではない。エミーリアは自分ができる仕事を淡々に行う。書記として、様々な仕事をこなす。 静かな暮らしは、ヴィヴァルディが亡くなることで少しづつ歯車が動いていく。ヴィヴァルディ先生に書いてもらった一枚の楽譜の謎に導かれ、エミーリアは、いろいろの人々と関り、その人の心に秘めてきた過去の出来事に向き合うことになる。自分自身の蓋をしていた心の中とも。慈善院という聖なる場所と俗世。真実と虚構。波乱にみちた出来事も、エミーリアの語りというフィルターを通すことにより 静かな調和が生まれる。天才の友アンナ マリーアではなく、ピエタで共に音楽教育を受けた幼馴染の貴族令嬢ヴェロニカでもなく、エミーリアであるからこその世界を感じた。大作曲家ヴィヴァルディも、ピエタではヴィヴァルディ先生であった。 『ヴァイオリンは楽しいかい?』 孤児のエミーリアにかけられたヴィヴァルディ先生の言葉。そういう財産により、生きていることの喜びを積み重ねていく。どこに生まれても。 恋も夢もすべてが叶うわけではない。ピエタ慈善院は、よりよく生きることを教えるところであった。 未亡人となって実家で扶養される裕福ではある令嬢ヴェロニカ、年を重ねた聡明な高級娼婦クラウディ。2人とも あきらめるのでなく、折り合いをつけながらよりよく生きるエミーリアと接することで、想いと現実が調和していく。あきらめるのでなく、受け入れる。折り合いをつけることは我慢でなく、そういうものなのだ。きちんとするべきことをしていれば、人を羨んだり比べたりしないでいられれるのかもしれない。 ヴェロニカがヴィヴァルディ先生からもらったものに、音楽に、上質な幸せを感じた。紡がれていく物語は、いとおしく美しかった。

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2014年4月 4日 (金)

鷹の爪7 女王陛下のジョブーブ

上野の帰りに川崎で途中下車。TOHOシネマス゛川崎で、鷹の爪the movie をみました。なんと無料。リクルートのスポンサー力のおかげのようです。 なんと、シリーズ第7弾。スポンサーであるリクルートを思いっきり持ち上げ、名を出す。潔い。全ての働く人たちに贈るロードー(労働)ムービーが、ここに誕生!ですって。ワンダフル。 尾美としのりのも出てるしね、声で。一週間限定上映なので、あわてて初日にいってきました。世界征服を狙っているけど、すごく心あたたまる集団。鷹の爪団の笑いの感じが懐かしかった。やっぱり好き。たーかーのーつーめー

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栄西と建仁寺

仕事帰りに、東京国立博物館へ。3月の終わりから金曜日の夜間延長がはじまりました。平成館 特別展示室で開催している開山・栄西禅師 800年遠忌 特別展「栄西と建仁寺」をみてきました。 今日は歓迎会やお花見を多いだろうから、いつもよりすいているかもと予想して向かう。 日本に禅宗(臨済宗)を広め、京都最古の禅寺「建仁寺」を開創した栄西禅師(ようさいぜんじ)ならびに建仁寺にゆかりの宝物を一堂に集めた展覧会だそうです。わくわく。 入り口にある坐像が、栄西。栄西は、厳しい修行の末、一度見たものは忘れない超記憶法を修めていたといわれるそうです。大きな頭はその象徴だと。顔が大きいのとは違うらしい。大きく、四角く、頭頂部が平らな様子をしげしげとみる。そんな解説をみるとよけい平らにみえてくる。この頭をなでて自分の頭をなでたいと思った。あやかりたい。 展示室の中に再現された建仁寺の方丈がすばらしかった。毎年4月20日に、建仁寺で行われる四頭茶会の様子を、実際の道具や設えをそのまま使って再現していました。よつがしらちゃかいと読むそうです。立ったまま左手でお湯を注ぎ右手でまぜる。次々と。なんだかびっくりしました。あまりに面白く、観終わったあとにもう一度もどって方丈とそのお茶会の様子の映像をみにいきました。日本に茶の習慣を伝えたとされる「茶祖」としても知られているそうです。すごすぎます栄西。 今回の展覧会のチラシにどーんと登場している、俵屋宗達の国宝「風神雷神図屏風」。どーんと大きな 海北友松の「雲龍図」とお宝三昧です。  2mを超える像 小野篁。2尺六寸ってでかい。両脇に冥官・獄卒立像を従え大迫力。六道珍皇寺蔵とのこと。こういう展示室でみると新鮮です。 今回は、『えいさい』でなく『ようさい』として紹介しますという展示。栄西禅師のすごいことはよくわかりました。面白い展示でした。 本館の常設展で、8日から尾形光琳の「風神雷神図屏風」が公開されるとのこと。いかなくっちゃ。海北友松も出ているようです。パスポートを活躍させようっと

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