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2014年7月26日 (土)

隅田川花火

恒例となった友人宅での花火大会。今年もみんなでよんでもらいました。花火と仲間と合うのが楽しみです。そして今年も楽しかった。新しく伴侶をつれてきた仲間がいて、メンバーがまた増えました。いいなぁ。

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2014年7月25日 (金)

第67回野村狂言座

宝生能楽堂へ。 第67回野村狂言座をみてきました。万作師萬斎師の小舞と、万作・萬斎・裕基3代狂言と超豪華でした。
解説は萬斎師。小舞という言葉から、小と大を比較し大きいことが必ずしもいいというわけでないというたとえがおもしろかった。独特の淡々とした口調の中にのぞく負けず嫌いがみえて。年を重ねることで少ない動きでの表現できる、いや動きを抑えてこそできる芸があるというお話も面白かった。続く小舞で、萬斎師は動きの多い芦刈 万作師は動きを抑えた細布というラインナップらしい。が、動きの大小を感じなかった。自分の身体だけでなく、空間をも制御している感じがしました。毎回小舞があるといなぁ。
続いて狂言「鱸庖丁」。石田師と高野師。石田師のかえしが、したたかでした。 「成上り」野村家3代にて。万作師のすっぱがはつらつとしていました。裕基くんは生真面目な中におおらかさのある太郎冠者でした。縄をない輪を作り、ここに足をいれさしめと大真面目にいったあとの、萬斎師の主と万作師のすっぱが、心底あきれた様子で何をいっているのかとみるところがすごかった。目でなく身体でみるっていうのはこういうことねと思いました。さらに太郎冠者らしさもひき立ちました。大真面目にことをすすめる狂言らしさのよいところを、たっぷり感じることのできる演目でした。
最後に、首引、深田師は為朝のイメージが強く親鬼は新鮮でした。姫鬼のために奮闘する様がいとおしかったです。娘の顔をのぞきこむところとか親バカぶりともとれるようでした。内藤さんの為朝は、そんな情の厚い親子鬼に対してクールに危機を切りぬけていきました。鬼側に感情移入しちゃう首引きでした。
狂言って本当にいいなぁ。美しいことって大切だなぁ。楽しく帰路につきました。

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2014年7月22日 (火)

『怖い絵』

久世光彦の『怖い絵』(文春文庫)を読む。桜庭一樹の読書日記の中で、久世光彦氏が文壇バーでの話題の本のことがわからなくて悔しくて絶版本を探したという記述を読んだら、久世光彦著作のものが読みたくなった。以前から表紙の絵画が気になっていた『怖い絵』を読む。
表紙の絵は、高島野十郎の蝋燭。ここからして期待が高まる。
若かりしころの久世光彦自身とその周り人間が、死というものの側にいて、それに取りつかれている怖さに驚く。なによりも、自分のことをさらけ出していることに。しかし暴露ではない。その差をみせつける文章だった。人の内面を描き、人に言わないことを表現する。どろどろとして、でも美しく、いやらしく、純真でもある。卑屈であるが、まっすぐでもある。絵画は、そんな少年や若者達に大きな影響を与える。著名な画家が描く絵画でなく、きちんと絵画をみている様はうらやましい程であった。こういう風に怖がり、魅了される心を持っていたはずの頃のことを考えた。いつでも、追いつめられているようであり、のんきでもあった。視野は狭いが、はげしく思い込むことができた。
この作品で紹介された絵画で、ベックリンを知った。この作品を読まなかったら「死の島」の怖さに気が付かなかったかもしれない。何やら私の胸に落としたのは、絵画だけではない。。桜庭一樹の読書日記の中でも気になっていた西条八十。この本で出てきた「トミノの地獄」が妙に気になった。何度も口にだしてみたくなった。何にひきつけられているのかわからないけれど。姉は血を吐く、妹は火吐く と何度も口に出してみた。
久世光彦は、よく生きていたと思った。名作を創る大人になるまで生きていたと思った。そんなにも死に魅了され、自ら命を絶ってしまうような友人と共に過ごしていて。自分とは全然違う青年時代を送っているが、背徳的で暗く。血まみれの美少年の挿絵をみて、そこに憧れを感じるその感じ、その通ってきたときにの気持は理解できる。久世光彦は書く「怖いものがたくさんあったということは、なんだか幸せなことのような気がする」と。その感性こそが昭和だと思った。明るく優しい大人たちに囲まれて育つ、現代の子供たちが、恵まれたことと引き換えに無くしたもの。ちょうど狭間の私はその両方がわかる。この本の怖さは現代の怖さはと違うと思った。久世光彦の言う「自分の正常な鼓動を確かめながら、笑って不幸になって行く」このたまらなく怖い気持ちを、大切に思う。

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2014年7月21日 (月)

『三月は深き紅の淵を』

桜庭一樹の読書日記を読んだら無性に読みたくなった。恩田 陸『三月は深き紅の淵を』 (講談社文庫)を再読。恩田陸ではこれが一番好き。最初に読んだので印象がとても強いせいだと思う。
一冊の不思議な本『三月は深き紅の淵を』を巡る4部構成の物語。それぞれが別のようで、からみあうところもある。複雑で、全てがあきらかにならず余韻がある。本の中の本に魅せられる。本の中の本に物語がある。どこまでもぐっても、まだ先に何かがある不思議な感じ。本が好きな人がいっぱいでてきて、その本を愛好する様に飽きれつつも憧れる。自分も沢山読むのに。第一章・待っている人 では、そんな若手社員の彼が出てくる。会長の別荘へ2泊3日の招待を受ける。たった一人だけ。しぶしぶ屋敷に向かい謎の本に序所に魅了されていく。もどってこれなくなりそうな怖さを含んでいる世界がいい。
第二章・出雲夜想曲 では、女性編集者2人が夜行列車で出雲へ向かう。ただ本が好きなだけではない、本そつくることに携わる編集者。夜行列車という閉ざされた不思議な空間で酒盛りをしながら本の話をする。伝説の謎の本の話になり、ついには行く先の出雲にて作者と推定される人を訪ねる旅となる。目的があるのにどこか心もとなく堂々巡りになりそうな不思議な世界があった。
第三章・虹と雲と鳥と では、冒頭に女子高生が2人転落死する。この高校生の世界は怖く残酷で美しかった。運命にはあらがってもしょうがないというあきらめと、散ってしまうことになってもあらがう若さの美しさの危険な感じ。この人の描く高校生の世界はすごいと思う。大人になったら、高校時代は通過点ということがわかるがあの頃はわからなかった。今が世界の全てで、他の世界を認めず、好転することを信じず、絶望を愛するところがあった。大人になってしまった今、その空気感がよくだせるなと。真相を追い、事実がわかってもなお物哀しくてよかった。
第四章・回転木馬 では、人々も物語も飛びまわる.とりとめがないようだがリンクする。それぞれの人生の空間を映しだす映像を順にみているような。切り替わって余韻を引きづりつつ巻き込まれている。わからさなが不快ではない。ひとつづつのエピソードがそれぞれ小説になりそうな 読んでみたいと想わせる贅沢な話。この本は、恩田陸の初期のもの。ここにちりばめられたモチーフが、どの作品にどうのように影響を及ぼすのか。読み返し、まだまだ未読の恩田陸の作品を読むのが楽しみになった。
幻の本『三月は深き紅の淵を』。それを探す話。実際にこの本は存在するのか、誰の手によるものなのか。魅惑的な本について、時間もお金も人生もかけて考える。実に魅力的である。
解説は、皆川博子さん。うまい。物書きってすごい。(すごい物書きによる表現がすごいのだけれど。)うまいなぁ。 物語がすばらしく、解説までがすごい。最高。

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2014年7月20日 (日)

七月大歌舞伎 夜の部

歌舞伎座へ。七月大歌舞伎の夜の部をみてきました。
最初は、猿翁十種の内 悪太郎。元になった狂言の悪太郎は素面で登場し伯父の家で乱暴し大酒を飲むのだが、歌舞伎の悪太郎は、最初から酩酊して登場。ほぼ悪太郎と修行者智蓮坊のやりとりの妙をみせる。こういう展開を考えるとは面白い。市川右近さんの悪太郎に猿弥さんの修行者。バランスのよく達者な2人。松羽目だったのに、松だけ残し往来になってしまう。理屈じゃない展開があっぱれです。狂言は、乱暴者の悪太郎が変わり果てた自分の姿に心から前非を悔いしょんぼりする様が可愛らしいが、歌舞伎はどこまでも明るく身勝手。それを愛嬌とみせるところが腕のみせどころだなぁと思う。伯父の松之丞に亀鶴さん。 太郎冠者に弘太郎さんととにかく踊れる人ばかりでキレがあった。
続いて、修禅寺物語。岡本綺堂による新歌舞伎のこれは、なかなか自分の中に浸透してこない。春猿さんと笑三郎さんなら、わがままな姉はきっと春猿さんであろうと思いこんでいました。笑三郎さんもなかなかのきかん気。このお2人はどちらも巧みにできるのですね。月乃助さんの頼家も本当に性急そうで、不幸になりそうだった。娘が目の前で命を落としてしまうというその時にも、その死相を、苦しむ女の顔を面に彫りたいと筆を取る夜叉王。中車さんの夜叉王のリアルさに、非情モードが更に増加し、ぐったりしました。丹念に非情。
最後は、天守物語。玉さま以外の天守というのは不可能なのではないだろうか。海老蔵さんの姫川図書之助といい、鏡花の世界にはそれを説得させる位を感じさせる人でないと創り上げることはできない。この2人にはできる。いつまでみることができるのであろうか。今回の観劇を大切に観た。
富姫の凛とした姿。異形のもの残忍さ、強さともろさが完璧でした。見慣れてきたのかもうこれは歌舞伎だということに違和感がなくなった。幕見をした時に驚いたが右近ちゃんの亀姫がすばらしい。妹分であり、かつ富姫と同等にわたりあっていた。気高く、残酷さを感じさせる。
花道のそばで鑑賞。よい香りがすると思ったら図書之助が天主への階段をあがってきた。暗い中、香を炊いた装束の香りがして登場を知る。現代でない別世界に、心がワクワクして飛んでいく。農民のものは大切にし、武士の狼藉ぶりを嫌悪する。戦いで見事散った者の兜は美しく、陣の後ろでただ控えているだけの兜に価値を見出さない。言葉や精神の美しさを大切にした鏡花の世界にどっぷりとひたって鑑賞する。劇場に足を運び、その場で体感しなくてはこう隅々まで感じることはできない。その場かぎりの道楽ではあるが、贅沢なものである。富姫は、姫路城の天守でその姿をみることができたなら、こんなに尊く美しいものはないのであろう。天主でないところでは在らざるものもので獅子のように、万人の目に美しいと映るのものではないのかも知れないと思った。
創った世界だからこその完璧な美。海老蔵さんの図書之助は瑞々しく正しい生き方をしてきた勇気ある若者であった。強く気高い富姫が「帰したくなくなった」いう。そのもろさがきれいだった。鏡花の世界を満喫した。

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小倉さんと柴崎さん

今年はもう3回目かも。ギャラリーしあん へ行ってきました。またまた小倉さんのおっかけ。今度はルミロックさんとの対談。アーティスト同士の対談なのに、ルミロックさんがメモを片手に小倉さんにどんどん質問という面白い形式。職人根性と面白がりがよくわかった。八海山やビールを片手にグビグビとしながらのお話。この歌舞伎座なので、辛抱しましたが、こういう風情のある空間で、昼から一杯二杯というのは、気分よさそうでした。夏は浴衣だなぁ。襟をぬいて短かめに着て、いいなぁ。すてきな浴衣の着こなしを沢山みました。来週は浴衣を着ようっと。

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2014年7月18日 (金)

斎藤誠独唱独演 ~品川教会ネブラスカ2014~

キリスト品川教会 グローリアチャペル‏にいってきました。
「MARTIN CLUB JAPAN Presents 斎藤誠独唱独演 ~品川教会ネブラスカ2014~」をきいてきました。斎藤誠さんのライブに久しぶりにいってきました。しかも場所はグローリアチャペル。以前、ここできいたライブのよかったこと。よかった記憶を更に上回るいいライブでした。とにかくいい音。空中をみても音がみえないのはわかるのだけれども、つい空中をみてしまう。そんないい音に包まれた空間でした。十字架のかかっている突きあたりの壁は、コンクリート打ちっぱなしの壁。横はタイル状のガラスの壁。はねかえってくる音の速度が異なり、いい相乗効果をうんでいるそうです。アンプラグドのギターと声だけで勝負。うtっとりする。トークも好調。いい年をして・・・と言われるとゾクゾクしちゃうっていっていました。楽しかった。

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2014年7月17日 (木)

『桜庭一樹読書日記1・2・3』

これぞプロの日記。
桜庭一樹の『少年になり、本を買うのだ 桜庭一樹読書日記』 『書店はタイムマシーン 桜庭一樹読書日記』『お好みの本、入荷しました 桜庭一樹読書日記』(創元ライブラリ)を読む。満喫。
私が、プロの物書きの書く日記が好きなのを知るおさるが 桜庭一樹読書日記 を薦めてくれた。なぜか買ったままずっと積んでおいた。そうそう、これまだ読んでいなかったと手にとる。あわわわわわ。ものすごい。なぜ、すぐに読まなかったのだろう私と、己の不甲斐なさにクネクネしながら読む。ゆっくりと大事に読む。1冊目を読みながら3冊目まで購入。手元において安心しながら読む。 読み始めて、あっ桜庭一樹って女子なのねと驚く。格闘家っぽい男子かと思ってた。なぜ、かわいらしい甘そうなアルコールを飲むだろうと思っていたら。女子なら、あっていた。
本当に本当によく読む人である。読みまくるとはこのことだと実感した。編集者という人種の読書量にも驚く。本をこんなに愛している人が、本をつくっていたのかと、ものすごく納得した。かっこいい。編集者諸君は、魅力的な人だらけで、登場するたびに興味深く読む。若い編集者の あれ誰ですか の一言に、「若いのにあんなに本を読んでいるのに長淵剛を知らないなんて」と思う桜庭一樹の感覚が面白い。 本を読みながら、あーこれ読みたい。これも読みたいと思う。読書中の大半は、かなわない かなわない かなわないと降参しながら読む。彼女がこよなく愛するジョン・ディクスン・カーのミステリや、ガルシア=マルケスは読んでみないといけないなぁ。
紀国屋書店に歩いていかれる都会に住む生活も、実家の鳥取にこもる生活も全部本が中心。他のことに執着しない いさぎよさが気持よかった。直木賞の受賞や、電撃入籍などの一大事にまつわる大きな出来事もある時期の本の読み方も面白い。かわらない本の虫。
彼女の人となりが浮かび上がってくる。プロの物書きの面白がり方は、こちらに感染する。好きさを表すのは腕がいる。面白さを共用した人となら、どんどん盛り上がれるが、自分が感じたワクワクを伝えることのなんて難しいことか。
ページ下の補足までも丁寧に読む。とにかく読みどころだらけ。ぼんやり気味に日常を描いていますが、プロの覚悟がみえる。時折ハッとする。生きにくい道をあえて進むことを選んだ厳しさがみえた。
一番驚いたのは、飲んで帰ってきた時に お風呂に入る前に 酔いざましにと本を手にとるところ。おそれいりました。次巻がまちどおしい。

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2014年7月14日 (月)

『ビブリア古書堂の事件手帖 (5) 栞子さんと繋がりの時』

ビブリア古書堂シリーズ5冊目。三上 延の『ビブリア古書堂の事件手帖 (5) 栞子さんと繋がりの時』 (メディアワークス文庫)を読む。前作は、乱歩を巡り、栞子さんの内面の怖さがでるような関係をみせられた。今回も一人で考え込み、その深い思いを抱えるがあまり用心深くなるけれど 傍観していて怖さをあまり感じずにすんだ。人は変わっていく。それが作風に出ていた。暗雲もあるけれど、それも乗り越えられそうな強さも感じた。4があって5があるんだなぁ。
本にまつわる話がやっぱり面白い 。

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2014年7月13日 (日)

『本日は、お日柄もよく』

お稽古とその後発表会の反省会。我が姿をみて我が姿に驚く。こんな風なのか。精進あるのみ。こぴっと頑張るという気持ちがワクワクとわく

またマハ。原田マハ『本日は、お日柄もよく』 (徳間文庫) (角川文庫)を読む。
あれもこれもは手に入らない。それはわかるが、辞める勇気がない。なぜ勇気が持てたのだろう。言葉の持つ威力、可能性を本当に実感し信じることができたからだろうか。信じている人の言葉だから耳にちゃんと届いたからであろうか。
いろんなことを考えた。主人公のこと葉は、伝説のスピーチライター・久遠久美の祝に感動し涙した。ス ピーチライターとはなんだ。どんどんひきこまれた。一生に一度の晴れの舞台。結婚式でのスピーチ。選挙における決意表明のスピーチ。そこで印象に残るものがあったか。今でも思い出すものがあったか。言葉の持つ力を愛しているので、とてもよかった。がんばりやさんが奮闘ってだけの話ではない。言葉って絶対に力がある。忘れられない言葉があり、威力も信じている。それなのに情報があふれ、ていのいい表現が浸透し、言葉の力が弱まっている。この本の言葉は、生きている。ああいい言葉だなとおもいながら、じっくり読んだ。

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2014年7月11日 (金)

夜の宴 ~奈々福・充子の江戸がたり~

先月、小倉染色図案工房展にうかがった際に教えていただいた「夜の宴」をみて(聞いて)参りました。「奈々福・充子の江戸がたり 夜の宴」の第一夜。ギャラリーしあん という風情のあるところで、浪曲師・玉川奈々福さんの朗読三味線、江戸型染作家の小倉充子さんが江戸の粋を解説。泣きたい夜においでなさい。疲れた晩においでなさい。とは文句は なんとも気になります。木戸銭という表記にもワクワクしました。江戸前そば与之助での打ち上げまであわせて参加してきちゃいました。おさるを誘ってくりだしました。台風直撃のはずが、いいお天気になりました。
岡本綺堂の半七捕りもの帳。三味線と朗読で江戸の世界に思いをはせました。場所といい雰囲気といい来ている人々といい、普通でない。そんな空間にも酔いました。朗読のあとは、小倉充子さんの江戸の粋のお話。みんなが温かく、面白い雰囲気でした。ちゃんとしゃべってったと変なほめ方。お人柄がよく出ていて楽しかった。蕎麦屋で飲むのっておいしいものがでてくるということも知りました。大人の世界に足を踏み込んでしまった感じがしました。ドギマギしちゃった。

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2014年7月10日 (木)

天守物語・幕見

嵐の日に歌舞伎座へ。仕事帰りに「天守物語」を幕見してきました。泉鏡花の世界も数を重ね、歌舞伎座で観ることに違和感がなくなりました。
富姫の玉三郎さんには、天上に暮らすものの位があり、話に説得力がある。天才 右近くんは、亀姫史上一番の出来。富姫の事を姉と慕うが、また亀姫自身も姫である。妹分であっても気高く残酷で堂々わたりあっていた。はじめて観た時に、図書之助の瑞々しい若さに魅せられた。新之助時代だったか。海老蔵さんもよくこの瑞々しさを保っていられると感心した。声の出し方に若さをだそうとちょっとのどに力がはいっているような気もするが、帰したくなくなったと富姫にいわせるだけど正しい生き方をしてきた勇気ある若者の美しさが出ていた。幕見は、舞台全体で作り上げる世界感がよく出ていた。後日、舞台近くで鑑賞する時には 人ばかりみてしまいそうなので ひいた場を観て楽しむことができてよかった。
異形の世界のものの強さと、力を失った時のはかなさ。もろくなった時に人間に近づいたような気がした。
鏡花のおりなす言葉は美しい。もう一度本を読んでみようと思いつつ帰路についた。

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2014年7月 9日 (水)

『てのひらの闇2』

『てのひらの闇』につづき、藤原伊織『てのひらの闇2』(文春文庫)を読んだ。
前作で飲料会社を離れたが、元同僚で親友の柿島の死 しかも集団暴行を受け殺されたことで、また動き出す。柿島の死に納得がいかず、独自に詳細を調べるうちに事件んの真相に近づいていく。また、卑怯で強大な力を持つヤツらがあらわれる。それと同時に心から信頼できる人間とも出会う。その人間達の個性的で格好のいいこと。きちんと仕事をし、きちんと楽しむ。中途半端なことをしないのがとにかく格好よく感じるのは、それが自分に欠けているいるところだからである。
主人公 堀江は、強く、仕事ができ、冷静だけど、あつく、酒を飲むとすぐに記憶を無くす。ダメが同居していて憎たらしいほどいい男して描かれる。あと、この本で現れた大会社の創業社長の男っぷりにもホレボレした。女子もいい。
亡くなった柿沼の人間としてのすばらしさは前作でよくわかっていた。しかも見た目もよさそうだ。2で出てきた細君の華奢で芯の強い女性像の美しさが、事件に本質に迫るにつれ物悲しくなってくる。事件もきちんとしているし、人間の描き方もすばらしい。
著者最後の長篇となってしまったそうだ。あぁ。悲しむより、読むことができたことを嬉しく思おうと思った。

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2014年7月 8日 (火)

『てのひらの闇』

藤原伊織『てのひらの闇』(文春文庫)を読んだ。
主人公の男は輝かしい道を歩いているわけではない。でも絶対に人を惹きつける男である。強引で、上にこびず、かといってわがままではない。強いのだけど陰があり、仕事もできる。読んでいてどんなに幸せを願っても、自分からすっとその幸せに背を向けてしまう。なるほど、これがハードボイルドかという作品。
主人公 堀江は、会社でリストラに直面している46才。彼は、淡々とそれを受け入れる。私は、うらまずにはいらない。そんな選択を押しつけた側は、自分は安泰でも 親の因果が子に報いできっと子孫に報いがいくわと思ってしまうような人間だ。 有能な彼は、最後まで自分の仕事をする。自分のスタイルをつらぬく。飲料会社宣伝部課長という役職でありながら、会長から直々に仕事の打診がくる。そこに真摯に向き合い、なにかねじ曲げられ隠されていることに気づく。その指摘を受けた会長が、それを素直に受け入れ感謝し、その夜自殺する。
堀江の出自が極道であったこと、企業に吸着する極道と政治家、過去の女、みごとなハードボイルドの世界。堀江の周りには、魅力的なというか個性的な女や男が現れ、手を貸すような関係を築く。やっかいことだから、言わずにいてもちゃんと気が付き手を差し伸べる。満身創痍で敵に立ち向かい、ボロボロになり、ほろ苦い結末を迎える。やっぱいいいなぁ、藤原伊織。
自身は東京大学卒業。大手広告代理店に勤務の経験があったそうだ。解説の そこを強調して紹介する言い方がなぁ。ハードボイルドじゃない。解説者逢坂剛御自身も大手広告代理店に勤務と言及。電通や博報堂勤務を否定するつもりでない。仲間意識を伝えたいのでしょうが、こういういい世界を読んだ余韻を楽しんでいるときに、野暮な気がした。

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2014年7月 5日 (土)

七月大歌舞伎 昼の部

歌舞伎座へ。七月大歌舞伎の初日です。昼の部を鑑賞。到着すると、報道陣がどっさり。厳しい目つきのSPも沢山いて、なにやらモノモノしい。どんな要人が鑑賞に現れるのであろうかとおさると想像。トムクルーズか、はたまた号泣県議員か。正解は首相ご夫妻とケネディ駐日大使ご夫妻でした。
まずは、正札附根元草摺から。力自慢の2人が鎧の草摺を引き合うのだが、どう英訳されているのであろうかと考えた。蘇我の五郎と朝比奈の妹舞鶴という仇討にからむ設定はあるけれど、20分間の舞踏をそれでずっと押し通すというこの歌舞伎っぽさ。改めて独特の文化だなぁと考えた。
次に夏祭浪花鑑。お鯛茶屋から団七内屋根上までの通し狂言。事件の発端からなので分かりやすい。門之助さんの磯之丞様のボンボンぶりが見事。親がくると聞けば 怒られない様とにかくやりすごそうとしたり、安心すると意見をされている最中にも恋仲の傾城に酌をさせる。こんな人でも、藩の家臣のご子息であれば 命がけで守らなくっちゃならないのだなぁ。琴浦の天才右近ちゃん、きれいでした。住吉鳥居前。左團次さんの三婦は、俠客の大きさがあっていい。吉弥さんのお梶と登場。場がしまる。いい雰囲気の中にむさくるしい団七が出牢される。そして床でさっぱりし、さっぱりしたぐらいでそんなに見栄えがよくなっていいのだろうかという程、いい男になって登場する。いい場面です。のれんをかきわけ登場する様は惚れ惚れします。海老団七は、見栄えがいい。
三婦内。お辰の玉三郎さん登場。きっぷのいい役は珍しい。うちの人が惚れているのここ(顔)じゃない、ここ(心)だよという名文句。あまり溜めずにさっと言った。そこも玉三郎のお辰らしくてよかった。顔に色気があるから磯之丞様を預けられないと言われ、顔に火傷の後をつける。なりふりかまわず焼きゴテを手にするきっぷの良さや、多少自分を奮い立たせて、女をあげるところが、ジワジワと気持が伝わる。一連の流れが手順になってしまうか、このようにジワジワくるか。ちがうものだなぁ。よかった。 三婦が数珠を切り、一暴れをしに出かける。そんな亭主を見送る右之助さんのおつぎは、本当に亭主に惚れている可愛らしさがあった。 右之助さんはおじさんではなくおばさんなのかもと思うほど、いい。 琴浦さんが連れ出されたことも知らず、意気揚々と三婦・九郎兵衛・徳兵衛の3人がもどってくる。ここは、何度みてもかっこういい。拵えのいいこと。この場面でしかみれないなんてもったいない。色違いの格子の着物の九郎兵衛と徳兵衛。それに龍の着流しの三婦。絵になる。胸のはだけ方といい、歩き方といい様になっている。あんな浴衣を御揃いで着たいものねとおさると言い合う。 義平次に連れ出されたと知り、駕籠を追う九郎兵衛。花道七三でバっと立ち止まり、先を見据える団七。すこぶる決まった。超絶に格好いい。この場を正面からとらえた写真がポスターになっているが、私の席から横向きにみているこの形が一番いいのではないであろうか。劇場中で一番幸せとうぬもれつつ観る。仮に、仮に海老蔵さんが大キライな人がいたとしても、この場をこの席でみたならば、キャッと思ってしまうに違いない。あのような決めの形を七三でとることを思いつくなんてすごい。急いだ折りに無用な体系だけれども、美しい。造形美にあふれた演目でした。海老蔵さんによく似合っている。
中車さんが義平次で登場。駕籠の先に立ち花道を出てくる。いじましく汚らしい。なんだか知っている感じ。大河ドラマの岩崎弥太郎でした。姑息さについ笑っちゃった。でもいい。こういうのもありです。鬼気迫る怖さがあった。声の出し方がやっぱり歌舞伎の手法とちょっと違うところがある。でも無理せず声がしっかり出ていた。夕刊で玉三郎さんから「歌舞伎を忘れて、自由に」とアドバイスをうけたと読んだ。悩み続け、努力し続け、今回は一度それを置き ふっきったように演じていた。その思い切りは斬新でよかったし、団七をよく引き立てていてバランスがよかった。人をひきつける2人でした。

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2014年7月 4日 (金)

『さいはての彼女』

またマハにもどる。原田マハ『さいはての彼女』 (角川文庫)を読む。
冒頭で、暴力的に猛烈な若手女性社長の鈴木涼香がいばりくさり暴れまくる。何ひとつ同意できず。転がるようにうまくいかない様子には、出てきたばかりなのに溜飲が下がる思いがした。
脇目もふらず一心に働き続け努力し続け、成果もあげてきたのになぜ!?と周りにあたりちらす。同様に他人に猛烈を求めうとまれる。恋も信頼していた秘書も無くす。みんな自分から去っていく。それでも南の島の完璧なバカンスを楽しもうとする。最高のものさえあればいいわと。
しかし、最後の仕事として秘書が手配したチケットは、雪深い極寒の北海道女満別だった。
ふるえながらもまだ、うまくいかないことをレンタカーにあたりちらしているところに、一人の少女と出会う。強い力の瞳を持つ少女が、手をひいてつれていってくれた世界は、ガチガチに凝り固まり、誰の言葉も耳にはいらなった鈴木涼香に響いた。自分のしてきたことを思い知らされることになる。人の事を一切気にせず戦ってきた。成果の為なら傷づけることが何だというのかと。でも、歯をくいしばって努力してきたことだけは間違いではない。根性はあるのだ。少女「なぎ」は、耳が聞こえない。だからこそ両親が一生懸命に与えてくれたものをしっかりうけとめ、一生懸命生きる。人の心に一生懸命語りかける。真剣だということはきちんと伝わるものだ。
なぎがくれたことを心に受け止めた女社長は、芯はかわらないがやり方を変えてみるtこができそうだ。
なぎに関わる女性達がちゃんと頑張っていこうと気が付く。文句ばかりいってたけど、与えてくれていたものがやっとみえてきたりする。もういいやとあきらめたり、後回しにせずに生きるってしんどいけど、理想だけど、でもいい。そうありたい。
短編集う。なぎの存在がしみ込んだころ読む、母のくだりがよかった。

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2014年7月 3日 (木)

『私は好奇心の強いゴッドファーザー』

マハを読んだら、宗典が読みたくなった。原田宗典『私は好奇心の強いゴッドファーザー』 (講談社文庫)を読む。エッセイでなくて、小説が読みたいのだけどねと思いつつ読む。すみません、いいエッセイでした。
宗典が、赤ん坊から少年・青年父親へと成長する間、いつも傍らに映画があった。マハの小説『キネマの神様』の父親がここにいるとうれしい驚きだった。もちろんあのままの男ではないけれど。この兄弟が、父から映画からもらった素晴らしいものが、キラキラと描いてあった。
スパイを目指したり、8禁作品上映館への潜入を心みたり。映画が教科書となり人生の偉大なる失敗は、気分がいい。ここまで思い込みのめり込みつきすすめるのは若さの特権でもある。あんなに真面目に映画がみれるであろうか。あんなに一本の映画が心にしみるであろうか。うらやましい程だ。いつまでも大人になれていない父親の様子も目に浮かぶ。自分が親となり、子供をつれて映画をみたり映画の話をしたりする。そこからあふれるちょっとこそばゆい幸福がいい。笑ったりホロっとしたりして楽しんだ。
しょうがない人   宗典。帰りをまつ。

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2014年7月 2日 (水)

『まぐだら屋のマリア』

原田マハ『まぐだら屋のマリア』 (幻冬舎文庫)を読む。
東京の老舗料亭で修業をしていた紫紋は、偽装事件ですべてを失う。働くところ、職場の寮という住むところ、やっと母親に孝行できそうな料理人になるという夢も。やっとできたひたむきな後輩が命を絶ったことが、紫紋をそこから逃げ出させた。電車を乗り継ぎ、その先のさみしい道をひたすらバスに乗ると、絵にかいたような人生の終わりの地にたどりつく。バス停の名は、「尽果(さいはて)」。
定食屋「まぐだら屋」で働くマリアに助けられ、行くあてのない紫紋はそこで働くことになる。丁寧に料理を作る。老舗料亭でコツコツとまじめに修業してきたことがしっかりと役に立つ。そこがよかった。下積みで得た力を再発見する。ていねいできちんと作る料理は、おいしい。さいはての寒い土地で働くの人の血や肉となり、喜ばせる。すべてを失ったと思っても、自分には持っているものがあったと気付いたのではないか。
マリアの 左手の薬指がすっぱりと切り落とされていた。謎めいた女性に心惹かれ、一緒に働くことに喜びを感じる。定食屋のオーナーの老女は、マリアのことをひどく憎んでいる。それでも世話をやこうとするマリア。その間に立ち、そこでも自分が必要となる。そんな時に、自分同様に尽果のバス停にたどりつく息も絶え絶えな若者をひろう。自分と同じなのに、その新しい侵入者に、自分の築いた居場所を奪われそうと、気を荒げる。ぶつかり悩み恥をかき、成長していく。淡い恋心の前に、立ちうちできないほど濃厚な恋の物語があったことを知る。むきあうことで、逃げ続けてきた自分を自分で変えていく。
人の弱さと強さが、いとおしい物語でした。

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2014年7月 1日 (火)

超高速参勤交代

映画の日に映画。邦非映非連の活動で映画をみてきました。演舞場でスーパー歌舞伎をみたおりにこの映画のチラシがあり、これは面白そうと楽しみにしていました。
田舎の小藩主。やっと江戸務めがあけ、しぶしぶ大金を使い愛する地元へ戻ってきたというところ、またもや江戸に参勤せよとの命が下る。しかも5日で。参勤交代は、徳川幕府に楯つくための財力を奪う目的があることを教わったけれど、一日十里しか進んではならないとか、盛大な行列をしたてなければならないとか、要所要所で役人のチェックが入るとか、なるほどこれは膨大な費用がかかるなとわかりやすかった。
映画はまず国元に戻る。小藩であるが、正しい指導者のもとまっこうに生きている藩だと描く。農民は畑仕事に精を出すことができるよう守られており、武士は日ごろの鍛練をおこたらない。近隣の藩が困窮すれば救いの手を差し伸べる。あまり大きくなると叶わない夢の小藩である。そこをしっかり描いてから、むちゃくちゃな設定にむちゃくちゃにこたえていく。5日で交代するなら、最低限のチェックポイントのところだけしっかり大名行列し、後は山道を走り抜けるという策。最強の家臣たち 六角さんとか柄本時生くんとか、殿の蔵之助くんとか、引導する忍びの伊原くんとかも そんなに機敏でも強くもみえにくい。でも乗り越えちゃう。ありえなさすぎて、逆に違和感がなく面白かった。いい相乗効果。笑わせようとしすぎていなくて程よい感じ。えーっとついつい笑い、ついつい応援してしまう。マドンナ的j女子は、深きょん。はすっぱでもかわいい。かわいい底力があり、むさくるしい中、1人だけ女子がはいっても融合していました。亀ちゃん(現猿之助)はさすが。所作がいちいち決まる。普段着のようでした。片方あげた膝頭を下ろしただけで雰囲気を変える。その忠言 あい分かったぞということが分かる。さすが。 敵対する徳川の家老が、忍びをつかうのだが、なんだか精彩を欠き腕がなさそうだった。 田舎であっても日ごろから鍛練を怠らない武士連中は、都会の忍びより強いという設定は気分がいい。竹光の刀でも戦えちゃうし。知恵を絞り、急ぐならとにかく走る。シンプルで爽快な映画でした。

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