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2014年7月22日 (火)

『怖い絵』

久世光彦の『怖い絵』(文春文庫)を読む。桜庭一樹の読書日記の中で、久世光彦氏が文壇バーでの話題の本のことがわからなくて悔しくて絶版本を探したという記述を読んだら、久世光彦著作のものが読みたくなった。以前から表紙の絵画が気になっていた『怖い絵』を読む。
表紙の絵は、高島野十郎の蝋燭。ここからして期待が高まる。
若かりしころの久世光彦自身とその周り人間が、死というものの側にいて、それに取りつかれている怖さに驚く。なによりも、自分のことをさらけ出していることに。しかし暴露ではない。その差をみせつける文章だった。人の内面を描き、人に言わないことを表現する。どろどろとして、でも美しく、いやらしく、純真でもある。卑屈であるが、まっすぐでもある。絵画は、そんな少年や若者達に大きな影響を与える。著名な画家が描く絵画でなく、きちんと絵画をみている様はうらやましい程であった。こういう風に怖がり、魅了される心を持っていたはずの頃のことを考えた。いつでも、追いつめられているようであり、のんきでもあった。視野は狭いが、はげしく思い込むことができた。
この作品で紹介された絵画で、ベックリンを知った。この作品を読まなかったら「死の島」の怖さに気が付かなかったかもしれない。何やら私の胸に落としたのは、絵画だけではない。。桜庭一樹の読書日記の中でも気になっていた西条八十。この本で出てきた「トミノの地獄」が妙に気になった。何度も口にだしてみたくなった。何にひきつけられているのかわからないけれど。姉は血を吐く、妹は火吐く と何度も口に出してみた。
久世光彦は、よく生きていたと思った。名作を創る大人になるまで生きていたと思った。そんなにも死に魅了され、自ら命を絶ってしまうような友人と共に過ごしていて。自分とは全然違う青年時代を送っているが、背徳的で暗く。血まみれの美少年の挿絵をみて、そこに憧れを感じるその感じ、その通ってきたときにの気持は理解できる。久世光彦は書く「怖いものがたくさんあったということは、なんだか幸せなことのような気がする」と。その感性こそが昭和だと思った。明るく優しい大人たちに囲まれて育つ、現代の子供たちが、恵まれたことと引き換えに無くしたもの。ちょうど狭間の私はその両方がわかる。この本の怖さは現代の怖さはと違うと思った。久世光彦の言う「自分の正常な鼓動を確かめながら、笑って不幸になって行く」このたまらなく怖い気持ちを、大切に思う。

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